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はてなキーワード: 宗教施設とは

2022-07-20

ディズニーとか言うカルトは取り締まられないの?

宗教施設に入るたびに1万円近くのお布施を取られる

・にもかかわらず毎日数万人の信者が押し寄せている

信者宗教施設に加入している様子もさまざまな場所で見られる

・一日に数回教祖のご尊顔を数万人が見上げる宗教行事を行なっている

・大したことのない物品に教祖イラストをあしらっただけのものが割高な値段で売られている

ネット上では上記物品がさらに高い値段で売買されている

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-14

anond:20220714073105

文化会館なんていう地方都市では浮きまくりな立派な宗教施設が全国津々浦々に建立されているのはスルーですか?

学会員さん

新しく出てきた宗教を旧世代宗教信仰する人間は「カルト宗教」を呼びたがる

カルト宗教信者に多額の寄付をさせるからいけない」

いやいや日本のあちこちに建っている在来宗教施設を見れば、当時の民草から相当巻き上げないと建たないだろってレベルのものも多い

歴史的国家庇護の無かったとされる宗教団体だって立派なもの建ててんじゃん

今のカルト教団も4-50年後には当たり前の信仰対象となっていて、また新しく湧いてきた宗教を「カルト宗教」って呼んでいるんでしょ

2022-07-12

小説を探しています

演説中の元首相が暗殺された。その背後には政治を裏から操る巨大宗教団体の影が!?元首相の祖父の代から因縁から関係世間が騒然とする中、ひとり真実を追い求める新米記者宗教施設に潜入する!果たして事件黒幕は誰なのか!政治宗教の禁断の関係に鋭いメスを入れたノンフィクションハードボイルド小説の傑作!」

みたいな小説ないですか?

anond:20220711190722

もちろんタダで、とは思わないんですが、

課金し放題、すればするほど宗教に貢献したことになるので「徳」が積めますって制度設計は、

信者無限に金を貢がせることを正当化してしまう。

それはシステムとして間違ってると思うんですよ。

から新興宗教カルト化しやすいのではないかなあ。

カリスマあるいは金儲けの上手い尊師的な指導者が出てしまうと、いくらでも悪用できますよね。

巨大な宗教施設を見ると、ちょっと儲けすぎだと感じますし、

一方で実際に町の小さな寺社なんかは、けっこう貧乏だとも聞きます

上手いバランスはないものなんですかね。

anond:20220711190722

もちろんタダで、とは思わないんですが、

課金し放題、すればするほど宗教に貢献したことになるので「徳」が積めますって制度設計は、

信者無限に金を貢がせることを正当化してしまう。

それはシステムとして間違ってると思うんですよ。

から新興宗教カルト化しやすいのではないかなあ。

カリスマあるいは金儲けの上手い尊師的な指導者が出てしまうと、いくらでも悪用できますよね。

巨大な宗教施設を見ると、ちょっと儲けすぎだと感じますし、

一方で実際に町の小さな寺社なんかは、けっこう貧乏だとも聞きます

上手いバランスはないものなんですかね。

2022-07-11

彼は実際のところはスパイである

彼の所属する宗教施設には一定数そういった人材がおり、信者の中から適正のありそうな人物を選んで育てている。

自作の銃のように見せるため、あえて簡素な作りになっているが、実際のところは彼一人で作成したものではない。

銃の練習が行える施設は実際に宗教施設提供しているが、動機はつくられたものである

海上自衛隊所属していたのも内部情報の入手や内部の人間とのコネクション確立のためであったが、うまく行かなかったため3年で辞めた。

それ以降、彼は政治上重要人物を狙っていたが、ついに先日チャンスが訪れ、任務を達成することができた。

という三文小説を考えたけど三文にもならなさそうだ

2022-03-18

結婚予定の彼女新興宗教信者だった・・・、どうしたらいい?

非常に悩んでいます。。。。

彼女とは2年ほどのお付き合いがあり、そろそろ結婚するかーという雰囲気になっています

あくまでも雰囲気であり、直接求婚したことはありません。

2人での余暇は、俺の家で過ごすことが多いです。

ただ、昨日は地震の影響もあり、彼女の家に泊めてもらったのです。

(彼女の家にはこれまで何度か行きましたが、30分ほどの短期滞在ばかりでした)

風呂に入ってまったりしていた時、ふと立派な木箱が目に留まり

何だろう?という思いで手に取ろうとしたところ、

ダメ!」と彼女から静止されました。

それは彼女が信じる宗教の宝玉?なるもので、他人に触らせてはいけないのだそう。


その話を聞き、正直ぶったまげました。

(もちろん冷静を装ったが)


彼女はまだ20代前半であり、今風のちょい派手目の女性あり、バリバリ働く女性でもあり、それなりに美人であり、世間からリア充と呼ばれる人種です。

宗教からもっとも遠い人だと思っていたし、そうした雰囲気を感じたこともありませんでした。


え。。。まさか。。。彼女が。。。。嘘だろ。。。。という思いです。

その夜は寝付けませんでした(セッ○スはしました)

俺は布団の中で彼女宗教団体検索しまくりました。

初めて聞く名前だったのですが、そこそこ大きな団体のようで。

伊豆に巨大な宗教施設があり、信者はそれなりにお金献金させられていそうな感じです。

で!

どうするか!?


正直、彼女のことはめっちゃ好きです!

でも宗教は。。。。

心の中では嫌悪感があります。。。。

お布施とか献金とか発狂しそうです。。。。


俺はどうすべきだと思いますか?

知恵袋で聞けと言われそうだが、はてな民意見を聞きたいのです。。。

2021-10-19

anond:20211019201012

自分エホバ二世大人になってやめた口だけど、洗脳から解けてしばらく親と教団に対しての憎しみでどうにかなりそうだった。18歳未満の子どもは宗教施設に連れていくのを法律禁止して欲しい。

2021-08-06

記事掲載までのタイムラグ悲惨なことになったケース

8割おじさん「8月新規感染者5千人超」は誇大な数字か| デイリー新潮

最近話題新潮のこれ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1

掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。

木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道スキャンダル路線模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田まりだったような侘び寂びを感じさせる。

「罪深き」私にとってのオウム 島田裕巳

島田裕巳オウムシンパ宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。

1995年3月20日地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアン宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTV新聞で通常番組差し替え報道されている日に島田の「サティアン宗教施設毒ガス工場ならず」のコメント掲載される珍事となった。

 

これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。

島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウム近代への疑義評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田スケープゴートにした為に更にバッシング苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレーム脅迫殺到して島田解雇された。

 

オウム島田擁護最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンション玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。

ソ連が攻めてくる 中川八洋

中川八洋アフガン侵攻等を受けて80年代ソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。

ところがゴルバチョフ書記長就任してペレストロイカデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。

これに対して中川は「ゴルバチョフ政策反動化している」「ゴルバチョフ路線侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。

だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国独立を認め、東欧衛星諸国にも改革自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。

要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである

西側心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側自由化デタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。

その心配の通りにソ連共産党守旧派クーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。

 

ところが中川は相変わらず論壇誌ゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデターソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。

 

これによって中川反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論オカルト本が流行っていたのだ。

ところがオウム事件が発生するとオカルト陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。

 

2021-07-09

男女論界隈をヲチしてたら(胸糞、R18)

※閲覧注意

反出生フェミが、何かと染まりやす毒親強制的宗教施設に連れ込まれ安産体質(牛チチ(母乳が出る)、ムチムチエロい肉付き、超デカ尻、多産(一度に何人も孕める)に改造されて神への生贄量産機になるエロシチュ思いついた。

2021-06-23

マ●コ・デラックス日記


六月十六日(水)

コロナ禍で遠出をしていないせいか、何年も前の旅行きっかけもなく思い出す。たとえば友人と厳島旅行したとき土産物屋に「マ●コおすすめ」と書いてあったのだが、それを指さして友人が「一瞬ぎょっとしたわ」と口にした。自分は「西日本だとオ●コになるんじゃないか」と指摘したが、友人にはスルーされた。「九州だとボ●」だよな、と続けたら「お前いい加減にしろ」と𠮟られた。言い出しっぺは友人なのに納得できない。

なお、厳島の鹿は落とし物のパンフレットも食い散らかすほど貪欲である

六月十七日(木)

そういえば、同じ旅で広島原爆資料館を訪れたのだが、「これだけ戦略上有利な兵器を捨てるのって無理じゃないか?」といつになく深刻な雰囲気になった。するとタクシー運転手さんがそれを察したのか、ゲイバーを訪れた時の話をしてくれた。営業時間が終わると中から化粧を落とした屈強な男性が出てきたので、「昼は何をしているのか」と尋ねたところ、「肉体労働をしている」との返事だったそうだ。

適度な生活感がある話であり、多くの死を前にしたあとに何となく救われた思いがした。自分たちは今のところは生きているのである

六月十八日(金)

三大欲求生活感をもたらす際たるものなのだけれど、それが思いがけない人の口から出ると幾分ぎょっとする。学生時代から十年以上前になるか、京都哲学の道沿いにある枯れ山水のきれいな寺を訪れたとき、入場券売り場の男性言葉を交わした。そこでどんな文脈だったか忘れたが、彼が「六年生にもなると覚えちゃうでしょ、オナニーとか」と放言したのである

この日記を見ればわかるように、自分は卑俗卑猥ものは嫌いではないが、さすがにこの時は面食らってしまった。一応宗教施設であるのに、いったいどういう経緯でこういうタイプおっちゃんが寺の受付に選ばれたのか、まったくの謎である

六月十九日(土)

寺といえば、近頃は有給休暇を取ってひっそりと鎌倉を訪ねている。今年は生きてきて一番たくさんアジサイを眺めた年になりそうだ。鎌倉観光地化が著しいが、それでも土日は混雑緩和のために敷地を非公開にしたり、一眼レフカメラ禁止したり、庭園鑑賞の前にまずは本堂で参拝することを命じていたりと、それにあらがう流れもあるようである

この日は歩いていたら新しい喫茶店を見つけたので休憩。旅先ではしばしば牡蠣ソフトクリームだとか醤油ソフトクリームだとか普段食べないものを頼むし、前述の友人は旅先では一日に三杯から四杯のアイスを平らげていたが、今日はそういう気分ではない。

変わりものといえば、別の友人から下北沢納豆クレープを食わされた。味はまあまあ。少なくとも名古屋喫茶マウンテンよりはうまかった。

六月二十日(日)

食の話ついでに書く。この日に久し振りに高級な肉を食べたが、以前よりも脂肪タンパク質を口にしたときの喜びが減衰している。確かに良い肉であって摂取しても不快にならないタイプ脂肪なのだが、それよりも山盛りの野菜と豆が食いたいのだ。お前は当分肉を食うことはまかりならんと言われても、さほど傷つかないだろう。魚だってある。

野菜で思い出したが、最初非常事態宣言以来、ひいきにしていた店のランチサラダビュッフェがなくなってしまった。しかも、経営難ランチを二度も百円値上げした。しばらく足を運んでいない。

六月二十一日(月)

近頃は新しいランチ開拓するのが難しい。コロナ禍で店が閉まっているからだ。そんな中、新しく見つけた蕎麦屋天丼に乗ったエビの食感が良かったのだが、店員女性からおつりの小銭を受け取るときに指が妙な具合に絡まってしまい、ばつの悪い思いをした。もう一度行くことをためらう。

ところで、渋谷駅構内を歩いていたら、短パンブラトップ女性とすれ違った。先週はへそ出しファッション女性自分の目の前に座っていた。確かにこう暑くては脱がないとやってられないが、食道楽自分としては見せられる腹がうらやましい。

2021-06-22

両親が宗教信者だと、その子供には信教の自由なんてない

俺は母親お腹にいる頃から、ある宗教施設に通っている。

通いだしてから四半世紀以上過ぎただろう。恐らく俺の人生の中で、もっとも長続きしていることだ。素直に凄いことだと思う。自分をほめたい。

でもな、これだけの時間を費やしても、いったい自分が何をやっているのか分からないんだ。

そもそも俺がこの宗教に入信したつもりは全くないのだが、両親に従って生きてるうちに気がついたら信者の一人に数えられていた。しか一定の出席率がないと得られない資格(のようなもの)もゲットしてしまった。これは親が勝手申請していた。でもこの資格(のようなもの)が何に役に立つ変わらない。説明は受けたはずなのだが。

さすがに舞踊楽器資格挫折した。というか、幼い頃から訳も分から練習させられ、結局覚えきれなかった。半端にあるスキルは実社会で役に立つこともない。あの練習した時間はなんだったの。

今は実家暮らしだが、この宗教の繋がりが原因で家を出れそうにない。うちの家が数ある勉強会の会場のひとつになっており、毎月一回、30人~40人は来る。このご時世であってもだ。みんな熱心だ。そしてそれは維持していかなくてはならない。誰が?俺が。

俺は両親には育ててくれたことを感謝しているし、取り立てて仲が悪いこともない。何か恩返しができたらとも常日頃悩んでる。でも、この宗教に関わることだけは生まれから納得がいかない。

小学生くらいの時に、宗教施設へいくのが嫌で、本気で怒ったことがある。そしたら母は泣いてしまった。それ以来、俺は露骨にいやがることはしなくなった。だが、それで良いのか?

自問する日々に終わりは来るのだろうか。

2021-05-21

マンボネットルームから出られない

ネカフェメディアカフェポパイ

あそこ、プラン自動切り替えじゃないから「覚悟」がいる。

時間ネカフェに居座るかの「見積もり」を前もって出さなきゃいけない。


これがしんどい

勝手に最適なやつに切り替わってくれよ。

延滞料金めいたやつが高すぎるよ。


3時間かな? って思うと6時間ちゃうし、6時間だけ寝ようって思うと10時間寝てしまう。


から結局常に12時間コース(2400円ちょい)にするしかない。

それ以外で寝過ごすと速攻3000円越えてしまう。


そりゃホテルよりかは安いさ。しかシャワーは別料金だし、ご飯がタダで食べれるわけでもない。


シャワーコース料金に含まれる、もしくは格安、あるいはご飯食べ放題というネカフェはある。


池袋マインスペースはシャワーがとにかく快適。30分~1時間使ってOKだし、天井もふさがった完全な個室が選べる。


新宿マンボネットルーム漫画が一切ないしシャワーコインシャワーだが12時間2000円ちょいでご飯牛丼カレーコロッケ)が食べ放題


ご飯食べ放題って狂気の沙汰だ。僕はあそこを「ブロイラー」と呼んでいる。一度入るともう出る気にならない。そもそもご飯を食べて寝る為に生きているんだから貯金尽きるまでここで暮せばいいんじゃないのかってくらい不満がない。栄養偏って死ぬと思った。


マンボネットルームだけはヤバい。あそこは本当にヤバい

「出る根拠」ってものが見つからない。


ネカフェにずっといても飽きるので「コンビニ行くかー」ってなるじゃん?

でも食べ放題フロアがあると「その前に飯・・」ってなるじゃん。

最上階の食堂フロアへ行って、鍵を渡すと食券がもらえるから、それを持っている間は無限におかわりができる。


まあ、なんとなく最低2杯はご飯食べて、味噌汁も飲んで、コロッケも食べて。最上から新宿の殺風景景色ぼんやり眺めて。


「戻るか」ってなるでしょ。

自室戻るでしょ。


そりゃあんた、寝るでしょ。

もうコンビニとか行かない。起きたら夕方ですよ。


最悪の場合、ここでまた食堂行くから。そしたらもうおしまい

ジ・エンド。


日食って寝てるだけで終了。


から、怖ろしい事に食べ放題「使わない」ってのが一番正解。


「囚われる」


僕それで一週間出られなかったから。


もう牛丼カレー食べない! ぜったい外食する! って覚悟決めて外出ない限り、抜け出せない。


しかもハンパな牛丼チェーンより美味いんだわ、マンボネットルーム牛丼自分いくらもつゆだくにできるんだよ??

もう、美味いっしょそんなの。福神漬けちゃんとあるし。


ああ、今すぐあの殺風景食べ放題フロアに行きたくなってきた。

店員も常に手持ち無沙汰で。二人くらいでずっとだべってて。

客も3人くらいしかいない。


なんなの? あの完璧世界コミュ力低い人間楽園でしょ。

あれで畑仕事とかしたら賃料タダになるとかだったら、畑仕事するし。


宗教施設化できるでしょ、マンボネットルームちょっとなんか足すだけで。

2021-05-16

anond:20210516015317

創価学会

 山手線沿線の裏道を練り歩いていた頃に信濃町のあたりにも言ったけれど、駅前コーヒーチェーン店の客層が他と違った。他の地域でするのと同じように路地裏を練り歩いていたら、宗教施設が密集している場所だったようで、警備員のような服装をした人たちが後から付いてきて「このあたりに来ちゃいけない」という意味のことを言われた。

anond:20210516015317

コロナが落ち着いたら天理にはぜひ行ってみてほしいな

毎月25〜27あたりに行くと、祭典があるから出店なんかが賑わってて雰囲気もわかるよ

何もない日に行った時は思ってたより人気がなくて驚いた

元増田は気にしてそうだけど、みんなもこういう宗教施設行く時は信者の人に突然声をかけたり、物珍しそうに眺めたりするのは避けようね

anond:20210516015317

総武線の駅から土産物屋?を横目にちょっと歩くとある宗教施設のX号館があるのだけど、建物の中はデイケアサービス施設に近い雰囲気だったな。

 

しか受付で手続きを済ませた後、事務員の付添いで所定の部屋まで案内された気がする。その時はエレベーターから出て左右左右右と曲がったところにある小さな部屋に通されたけど、通路の壁に偉い人の撮った写真や大きな姿見が掛けてあって、場違いな中にも何らかの意図を感じたのはよく覚えている。そのフロアはとにかく壁やパーティションが多くて、ワイヤーフレームで描画したダンジョンのように位置や方向感覚がつかみづらく、全体が見渡せない構造だったのが印象的だった。

 

応対してくれた方はスーツの胸にバッジを付けており、若く卒なく頭の回転も速くといった感じだった。終始笑みをたたえて柔和な感じを出しつつも、その射るような目線には「そうかそうか、こういう感じか」となんだか納得させられるものがあった。

 

長文すまんけど、普段入らない(そもそも入れない)ところに入る時の特別感ってなんかあるよね。

2021-04-19

占いは信じないが「神様」を信じている。だから、日々の占いを好んで読む

占い手法はどれも胡散臭いと思う。

それでも私は日々の占いを好んで読む。

こう述べると相手は必ずその矛盾らしきを指摘してくるが、私の中では何も矛盾していない。

なぜなら、私は世界を統べる「神様」という存在を信じ、胡散臭い占いにも、その「神様」の意図が示されていると思うからだ。

さらに言うなら、「神様」には、世界自分の思う方向へ向ける何らかの意図があり、

学習付けとして、その意図に沿う人間には何らかの利益がもたらされると思っているのだ。

まり占い手法自体は信じないが、占いの結果に「神様」が好ましい意図を含ませていると信じているので、好んで読むというわけだ。

なお、世界を統べる「神様」を信じるということは、特定宗教を信じることとは全く異なる。

どちらかというと、重力だとかの自然法則存在を信じるのに近い。

なんでこの世界はこんな上手く回っているんだろう!と思うから科学者自然法則としてその仕組みを数式化するように、

私はそれを統べる「神様」の存在仮定し、それを信じているというわけだ。

から既存宗教施設である寺や神社教会にはめったに行かないし、宗教儀式にも特に関心はない。

ただ、宗教儀式ではなく宗教的結果、例えば、おみくじ神託なんかは好きだ。

それらはどうやって導かれたか不明瞭で、内容も抽象的でバーナム効果だとか馬鹿にされがちだが、

それでも、示されるのは「AまたはBまたはC」みたいな優柔不断さではなく、きっちりとした唯一の解だ。

そもそも社会には仕組みがわからないものはたくさんあるだろう。

から不明瞭さや抽象性は、おみくじ神託などを批判する要素にはならない。

しかし、再度繰り返すことにはなるが、私はそのおみくじ神託をもたらす宗教自体を全く信じていない。

ただ、世界にはその全てを統べる「神様」が居て、その存在おみくじ神託なりに

その好ましい意図を含ませていると信じているから、それを好んで読むというだけだ。

そういえば、「神様」の存在を信じる理由は述べたが、その「神様」が意図を持ち、意図に沿う人間優遇すると信じる理由を述べていなかった。

それは、「神様」がそういうゲームを行っていると思うからだ。

すなわち、「神様」は自身存在をあらわにせずに、占いだとか天気だとか偶発的なもの操作することで

自身意図にじませながら、自身の思う世界を作るというシミュレーションゲームを楽しんでるんだと思うのだ。

だって宗教の説く神様っておかしくないですか?

人間をある高みに導くために、この世界に降りて宗教言論を説いて人間馬鹿にされ、迫害された上で、

この世界から去った後も、たった一人でこの世界メンテナンスし続けるなんて、そんな慈善活動を誰が好んで行うというんだろう?

それだったら、「神様」はシミュレーションゲームとしてこの世界を楽しんでいるのだ、という理屈の方がまだ納得できる。

から、これまで述べてきた「神様」という存在も、わかりやすいからこの表現を使ってみただけで、

宗教が説くような、人間を高みに導く存在というよりは、モルモット操作する実験者というのが私のイメージに近い。

なんなら、「神様」という言い方が気にくわなければ、「実験者」とでも言い換えてもらってもいい。

そうすれば、占い意味も改めてわかってもらえるだろう。

占いは、シミュレーターであるこの世界に、実験者が隠れた意図を示すためのコマンドひとつというわけだ。

それなら、実験者としては、その意図合致すれば、この世界存在がそれを学習するために好ましい動機付けをするはずだ。

から胡散臭いだろう占いを私は信じる。

占いの結果としてではなく、ゲームコマンド、つまり実験者の意図として信じるのだ。

私達にはその結果が偶発的に見えるからこそ、占いには実験者の意図を潜ませる余地があると私は信じているのだ。

最後一言

神様」が自らの存在をあらわにしないのは、ゲームとしての楽しみを保つためだ。

神様」が自らの存在を明らかにして、自分とこの世界関係を述べれば、この世界人間は確実にそれに従うだろう。

しかし、それではもはやチートモードであり、ゲームとしての難しさは消え、興を削ぐ。

から、「神様」は自分存在を消しながらこの世界を何らかの方向に向けるという、回りくどいゲームを続けているのだ。

そういや、興を削ぐと述べたが、本当に「神様」がゲームとしての面白みを感じなくなったら、この世界はどうなるのだろう。

そんな不安を感じながらも、今日占いを読み続ける。

2021-04-07

anond:20210406154303

無意識になんとなくやっていること」でいうなら、毎日なんとなくスマホいじってるし、

大して意味ないと思いつつ宿泊先に温泉を選んで温泉に浸かったりする(実際に行って温泉入ってる時間は1時間ぐらいしかない)

そういう「なんとなく単なる大浴場じゃなくて源泉かけ流し温泉を選ぶ」

カレンダー曜日の並びが日曜日が左端にあるのが当たり前で月曜日が端だと見間違える」

「3点リーダーは二つ並べるのがデフォ

みたいのまで宗教と言っていいなら宗教なのだろう

 

が、元増田のは「宗教施設だと思われてるもの使用する」という限定条件が重要そうであり、

そうすると宗教施設や宗教行事という条件に入らない「なんとなくの行動」は宗教扱いされないんだろうなと思う

 

では自然発生的な願掛け「どっかの橋の欄干に鍵をかける」はどうか

あるいはそれを商業的にパクった「どっかの展望台の欄干に鍵をかける」はどうか

 

逆に宗教施設の「宗教色」を薄めて「パワースポット」という呼び方に変えて集客するやつ。あれは宗教なのか

 

TV雑誌占いコーナーは宗教

 

「私は宇宙人存在を信じる」のは宗教

トランプ大統領選挙落選したのは秘密結社陰謀のせい」とかは宗教になるのか

 

そのへんも含めて全部が宗教なのか、そういうのは除外して既存宗教施設とみなされてるものに関わる行為けが宗教なのか

 

もし、既存宗教施設に関わるものけが宗教というなら、既存宗教の枠組みが大事ということで、

ならば「神道七五三をし、キリスト教結婚式をし、仏教葬式をする」というのは

既存宗教の枠組みに外れているか宗教ではない」と言っていいのでは?

2021-03-18

anond:20210318173343

アニメは見てないけど、序盤はよかったんだよなあ…宗教施設拉致こえー!とかえっリンダって!?とかさ、夢中で読んだ…

無知なんだけど気軽に人に頼れない怖さとか、知ってる人が大人なっちゃう戸惑いとか、そういう大学ならではの青春感はあったと思うわ

2021-01-04

最高睡眠時間18時間

中学のころ某宗教施設に泊まり込みに行ったとき

毎朝5時おき、寝る時間AM1、2時みたいな生活を1週間つづけてて、自宅に帰った時に18時間寝たのが人生で最高記録

夜の9時に寝たら、次の日の昼3時に起きた

2020-12-15

anond:20201215091921

2月ピークは大邱宗教施設が原因で、わりと明確だった。今月はソウルとその郊外京畿道感染者が拡がってて7割くらいそこに集中してて、やはり感染経路不明が多い。ほんとわからん

2020-10-05

同性婚が認められたら同性愛者は増えるし異性婚は減る

よね。

実際に昔の日本衆道が盛んだったり、宗教施設刑務所等異性と隔離された場所同性愛流行ったりとかの例があるわけだし

(まあ両性愛者も多そうではあるが、異性愛者ではないわけだ)

同性愛禁忌で異性婚が文化的強制されている地域時代であれば、同性愛者であっても隠して無理やり異性婚するわけだし

両性愛者も異性婚しか認められていない状況なら異性婚するけど同性婚も認められている状況なら同性婚するって人も出てくるだろうし

異性愛者でも異性婚するより同性の友人と同性婚した方がメリットがあると考える人同性婚を選ぶ事もあるわけだし

(以前どっかでそういう記事見た、オランダだったと思う)

それでも同性婚は認めた方がいいと思うんだけど

そういった現実無視して「同性婚を認めても同性愛者は生来のもので数は不変だから増えないし、異性婚する人の数も変わらない」

と言い張るのは詭弁しかないと思う

2020-09-27

anond:20200927155613

昭和天皇だろうと慰安婦像だろうと、ムハンマドだろうとチンギスハンだろうと、地元の人々が大切にしている本尊毀損した者はしばかれる。

欧州北米など移民の多い地域は、移民が像や宗教施設を建てるので、文化間の衝突が悩みの種。

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