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2015-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20150120145202

東大先生、チーッス!

安田講堂の前の地下の食堂で、吹き抜けの通路を歩いていくのが、さすが東大って感じです。

2014-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20140126133027

教育の場は聖域だという意識が強すぎるんだよな。安田講堂事件のような事件を起こしても、特に左翼とかは検挙しようとした警察の方を批判してたしな。

暴力事件を肯定しながら、平和を語るとか左翼が支持されない理由が端的に現れているわ。

それで自分たちが支持されなくなったら「日本人右傾化してる」とか日本人のもの責任転嫁するような連中だし。

2012-08-25

よど号ハイジャック事件安田講堂事件、あさま山荘事件

ふと、思っただけなんだが、弊社や同業界で5~6年前から目立つようになったパワハラから鬱・退職自殺が急増したのは……。

経営陣・管理者達の世代が……。元々あの世代ってそんなんばっかりで、そんな奴らが会社上層部になってりゃ、会社自体もそうなるだろうな。

2010-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20100310132337

大学合格してからが大切」

というのは、良く言われるが、学生は理解しないものだ。

もちろん、全員というわけではない。東大には、原則論としては、優秀な人材が集まっている。

同時に、落伍者もたくさんいるのだけれども。

司法試験の頃の文I学生は、2年ぐらいになれば予備校に通って司法試験に備えていたように思う。

ロースクールが始まり、弁護士の門戸は広がったが、同時に「人余り」がささやかれるようになった。

離婚調停破産処理などが多いー京大から弁護士に進んだ知人がそう言っていた。

悲しいかな、それは現実なのだろう。資格者数に対して、案外、分け合うべき果実は少ないのかもしれない。

もちろん、文Iが進むべき道は弁護士だけではない。官僚や有名企業社長に多かろう。

文Iには、社会に出てから名を挙げた人材は本当に多い。

多いが、だからといって、文Iは必ずしもエリートではない。

理文という境が正しいかという議論はさておき、理系の相対的価値は昔に比べれば上がったように思う。

それは、文系の相対的な価値の低下の裏返しであろう、と想像する。

数字が苦手な文系論理的思考が苦手な文系

なんども言うが、もちろん、全員ではない。だが、そういった文系が余りにも増えすぎた。

理系から理数的能力差し引いたら文系、と言われてしまえば、文系価値など無いに等しい。

それは文Iとて変わらないのだ。

そういった理尊文卑マインドの中で、文Iに真に求められるのは、新しい文系の在り方ではないか、と思う。

「最強の文系」像とは何か。

あるいは、「有るべき社会構造」とでもいえばいいのか。

この不景気は、ただお金が稼げないだけではない。

日本構造的に消極的な雰囲気が広がっているように思う。

古い世界からの抜け穴。全く新しい世界への変化。

その答えは、割合、理系とか文系とかそういうことにも有るようにも思う。

理文無関係に過ごす駒場の2年間と、安田講堂の左右(厳密ではないけれども)で分かれる本郷の2年。

その期間が、あなたにとって有意義でありますように、お祈り申し上げます。

2009-06-15

日米安保同盟、次の半世紀を考える

そして樺美智子さんの死から49年が経った

日米安保条約空洞化日米同盟の軽量化、来年改定から半世紀

昭和三十五年六月十五日。アンポ改定に反対するデモ隊が国会とりまいた。

樺美智子さんが死んだ。デモの隊列にあって、群衆に巻き込まれて圧死したのだ。左翼はこれを権力の謀殺と宣伝したが、だれも信用しなかった。この鮮烈な記憶があるのも、いまでは還暦をすぎた世代だろう。

昭和四十三年十月八日、佐藤首相ベトナム訪問に反対する左翼学生が騒ぎ、羽田京大山崎某が仲間の運転した車に轢かれて死んだ。機動隊は二十数名が瀕死の重傷だった。

かれらは権力側に殺されたと宣伝したが誰も信用しなかった。

昭和四十五年、安保条約改定から十年が経って「70年安保決戦」が叫ばれた。前年の東大安田講堂新宿騒乱で前哨戦が消え、左派の分裂は決定的になり、「革命ごっこ」は意気消沈していた。

70年は平穏に幕が開け、左翼内ゲバに熱狂し、組織は壊滅に瀕し、窮状に陥った日本赤軍派のハイジャック事件と三島由紀夫憂国の諌死事件で終わった。

昭和五十五年、安保条約改定から二十年が経った。

いわゆる「80年アンポ」は左右対決の政治状況にはなく、あらかたは体制保守革命の唄も謳わないサヨクに転じており、サヨク全学連OBは「同窓会」を、そして日米安保二十周年記念の日米シンポジウム東京で開催され、ゲストフォード大統領が来日して「安保改定」を示唆した(筆者はそのおり、会場のホテルに泊まり込んで裏方。広報担当だった。シンポジウム記録は『日米同盟の二十年』、自由社)。

60年安保の象徴だった唐牛健太郎氏は死去し、西部邁氏は保守の側にあり、江田五月氏は国会議長となり、清水幾太郎は「核の選択」を主張した。

情勢はめまぐるしく変わった。東西冷戦の終結は、なにを意味したか?

日米安保ソ連中国北朝鮮を仮想敵に防共の軍事同盟ではなかったのか?

ところが主要敵だったソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構は消滅し、NATO性格をかえて、イランを囲む新型の防衛機構に早変わりし、中国は時代にふさわしい<?>「上海シックス」を主導して米国金融秩序へ挑戦を始めた。

戦後秩序は劇的に風化した

英米同盟は軽くなり、NATO五十年式典は独仏国境で開催されたが、オバマが出席したものの、興奮状態にはなく、むしろチェコで『核廃絶』を訴えた。

ロシアNATOチェコポーランドレーダー基地化に反対を唱える。しかし、グルジアアゼルバイジャンウクライナNATO入りが時間の問題となっている。

イラク戦争のおりに、ロバート・ケーガンは「ネオコン」の論理を代弁し、世界の警察官としての軍事力にひいでた米国の一極体制が復活する。世界秩序は保たれると言い、ホッッブスの説いた「リバイアサン」という怪獣の「力と畏怖」のイメージ世界新秩序の基軸を置いた。

しかし現在世界は、イラク戦争アフガン空爆で復活した筈の米国リバイアサンが衰退し、G2という不思議な時代にはいった。

米国はこれまでの国家性格をおおきく変貌させようとしている。もっと言えば、米国みずからがリバイアサンを峻拒し、「普通の国」になろうとしているかのようだ。

NATO運用比重を独仏英主導に移管しつつあり、G2時代の到来は、次の日米関係を曇らせる。

こうした歴史パラダイムのなかで、平成22年(2010)は、安保条約改定から半世紀を迎える。日本生命線と言われた日米同盟だった。生命線?

安保議論は風化し、「事前協議」条項はかるがると無視され、沖縄海兵隊横須賀空母も、戦争地域に向かった。

そればかりか日本自衛隊は「集団安全保障」「極東条項」の議論を忘れたかのようにPKOはカンボジア派遣から開始されて、いまではイラクのお隣、ゴラン高原モザンビークスーダンへ向かった。役割を分担しながらも、陸海空全軍が出動した。

日米安保条約は風化した。というより事実上性格を変えている。日米同盟存在意義は、鰹節よりも軽くなりつつある。

日米同盟鉄壁は吹き飛ばされそうである。

吹き飛ばそうとしているのは日本ではなく米国である。アメリカ中国重視にかたむき、ヒラリーガイトナー中国に揉み手して、{G2}と言いだし、日本が期待した北朝鮮へのアプローチ曖昧、投げやりとなった。アメリカはこの問題から逃げた。

拉致問題に積極的ではなくなり、「それは日本の主権の問題であり」、北朝鮮核武装は容認し、中国の出方をひたすら待つ。

これがオバマ米国、衰退途次の米国の姿である。(http://anond.hatelabo.jp/20090615232944に続く)

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090504235626

親父がほぼその年代だけど(安田講堂事件で東大受験できず一橋大に行ったとか)、ありゃ一部が熱を上げてただけだよと言ってたな。

同年代は完全に無関心か迷惑がってる連中が大多数なんだけど、かかわってた連中が半端に有名になったり権威になったりしてるもんだから神聖化が著しくてうっとうしいとか何とかぼやいてた。

今で言うなら、「涼宮ハルヒ」とか「らきすた」ブームみたいな位置づけかな・・・いや違うか(笑)。

2008-12-19

大学教育の場だよね。

デモ起こしたり暴動起こしたりする場ではないよね。

1960年代に荒れてたのは異常事態だったよね。

だから警察安田講堂にまで突撃したわけで。

東工大東工大学生が学ぶ場だよね。

部外者が乱入してわぁわぁやる場ではないよね。

乱入して来いって言った先生もバカだけど、

真に受けて乱入しに行ったのもバカだ。

そんなくだらん事やってるヒマがあったら

街に出てゴミでも拾ってろ。

そのほうがよっぽど人の役に立つ。

2008-08-02

希望を持つことを強要しない

新聞テレビから個人ブログに至るまで、「最近若者は」論は掃いて捨てるほどあるわけだが、「最近若者には覇気がない」系の論調を金輪際口に出さない事を宣言したい。殆どの(働いている)若者ってのは、今はとにかく今はじっと耐える時期だという事を肌で感じていて、現状に不満を感じたり、未来希望も持てないなりに社会人としての責任を果たしながら生きているんだな。そういう人達をつかまえて「もっと希望を持て!」と説教垂れてくる無責任さ&醜悪さを最近になってようやく自覚した。終わりの見えない暗い現状を受け入れて耐え続けるなんて俺の世代には到底無理。昔なら、安田講堂立てこもったり火炎瓶投げたりしてたわけだが、社会に混乱をもたらす事そのものを嫌悪してる分だけ、彼らの方がよっぽどマシだと思う。

若者は年長者を敬えとよく言われるが、俺たち年長者も、次の世代を背負ってくれる彼らに敬意と感謝の念を持つべきなのかも知れない。というか持つべきだ。彼らから「俺たちに尻ぬぐいを押しつけやがって…」と疎まれながら去るような生き方だけはしたくない。

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