はてなキーワード: 安易とは
作っては度々投稿している。
それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーターの作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。
そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。
こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。
だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。
疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題の根本的な原因があるように感じたんだ。
結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。
そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質なものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。
だからこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。
このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。
そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。
だって、差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから。
しかし現状、そうはなっていない。
安易なAIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定のクオリティで満足してしまう。
なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々と投稿し続ける。
そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。
この負のスパイラルを止めるには安易なAIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。
結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラストの存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。
全文読ませていただいて、とても腑に落ちました。
一人のオリジナリティ溢れる思想の強い人はキチガイだと扱われるけれど、
強固な確信を持たない人が、「徒党の一員になること」を渇望する。
集団に属すことで不安を解消したいのは人間の性なのかもしれません。
"自分の手の届く確かなもの・ことを大切にしてできることをしていくという姿勢こそが真の抵抗"
安易な扇動には惑わされず(きっと自分も安易な偏見に乗ってしまっていることもあるのだと常に疑いの目を持ちながら)
自分の大切なものを守り、できる範囲のことをやっていこうと思います。
流されるか抗うのか決断しなければならない、確かにそうですね。
文革、クメール・ルージュへの道が繋がっているように感じてしまって、強烈な悲しさや危機感を覚えました。
(九州の土人は九州外へ出すな、通行手形を作れというツイートが万バズしていましたし)
九州の話だけではなく、過激な言説が支持を得てSNSで大きなムーブメントが起きる事に対する功罪を考えて悲観してしまっていたので、とても助かりました。ありがとうございます。
Xにおける批判が自浄作用に働いているなら良いのですが、実際のところ無知と偏見に満ちたエンタメとして消費されてるだけな気がしてなりません。
"そっち側"の意見として聞いていただけないかもしれませんが、自分の周りではXで告発されるような女性は土間でご飯、残飯、等の事は行われてないです。
n=1を全てと言いたいわけではないですが、"女性"という属性で括り差別を反対すると同時に
"九州"と大きな括りで括り差別を行うことの矛盾を感じています。
(九州といっても広さはオランダと同程度、人口は1300万人います、これらを全て属性で括ることは難しいのでは無いでしょうか。)
全ての差別に反対すると表明していた人が、九州は平気で侮辱する。
男女差別にNOを掲げることと、九州を括って差別することは並行して良いものなのだろうか。
地域や属性で括って蔑むことはヘイトスピーチになるんじゃないのかな。
一つ一つの事象に向き合って解決すべきで、安易なラベリングは新たな差別を助長するんじゃないのかな。
みんな、九州にアイデンティティがないから攻撃したっていいと思ってるんだろう。
ヘイトスピーチに反対していた在日コリアンの方が、九州人が女性差別への指摘に九州差別だと反対意見を表明するのは話が通じてなさすぎて頭を抱える、と言っていた。
なんで九州だけ槍玉を上げる?→なんか知らんけどそういう話が多いから。と。
みんな、気軽に九州のやばいエピソードを消費して、楽しいんだろうな。
海外でアジアン差別を感じるより、日本国内で強烈に出身地差別を感じるようになるとは思ってなかったな。生まれ持った属性なんて選べないのにね。
九州の文化を肯定したいわけでもないし、女性差別は無くなってほしいと思ってる。
九州人には男尊女卑テストを受けさせて合格できなかったら九州から出さないように通行手形を出せ、というツイートが万バズしていた。
私は弱者女性だけど、ここで書かれた「弱者男性」を「障害者」に置き換えたとき、なかなか酷い内容が書かれていると思ったのでこの元増田の主張に同意できない。
性欲を抑える薬の使用は、性依存症や小児性愛障害など、明らかに病気と診断された人のみを対象にするべきだ。外科的治療に至っては性依存症や小児性愛障害を対象とした治療でも推奨されていない方法なので、元増田個人の攻撃性が表れてるようにしか思えない。
また、女性に協力することで幸福を感じられるよう促すとあるが、人との関わりや繋がり合いや社会参加を促すといったやり方ではなく、特定の性別のみを対象にする理由がいまいち分からない。男性は女性の奴隷ではないだろう。逆もまたしかり。
誰かを安易に悪だと決めつけたりしないのは間違いなく日本の言論の良いところなんだけど、それを悪用した奴らがネットで増えすぎた気がする
具体的にはフェミや夜職、昨日バズった車道逆走自転車おばさんとかの被害者仕草をした加害者
マウント取りたい、言葉の暴力で殴りたい、自分の既得権益を守りたいだけなのにあたかも全ての他人の人権のためを思ってるかのように装っている卑しい共同親権反対派
俺はおっさんの半分くらいはが全く好きではないというかむしろ関わりたくないけど、少なくとも「客観的な」善悪の話ができるのもまたおっさんが多いと感じてる
ちなみにツイッターによくいるいかにもdvしてそうな共同親権賛成派おじさんに対しては別に今は何もしなくてもいいと思っている
https://anond.hatelabo.jp/20240411140010
上記の増田の追記で、私(id:hazlitt)のブコメに反応されたようなのでお返事を書いておく。(記載されたはてなブログによると増田は id:hotelsekininsya)
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
→ 誰でもタダで読めることは勝手に翻訳を配信していい根拠にはなりませんよね。インターネット上にはたくさんの無料公開されているコンテンツがありますが、誰でも好き勝手に翻訳公開してもいいんですか?
→ 機械翻訳サービスを提供することと翻訳したコンテンツを配信することは、コピー機を置くこととコピー本を配布することくらいの違いがあります。貴殿の主張は「図書館に行けば誰でもタダで閲覧できる本を備えつけのコピー機で複製して配布することは問題ない」と言っているのと同じです。
→ たとえば米国におけるフェアユースでは通常「著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性」という要素が勘案されます。貴殿の掲載している「翻訳」は本当にフェアユースに該当しますか?
→ 「単なる情報の提供」のために事細かな翻訳が必要ですか? たとえば議論に必要な部分の要約や抜粋ではダメですか?
→ 当方の曲解かもしれませんが、善意のボランティアだから多少は他者の権利を侵害してもよい、という態度は危険だと思いませんか? それから、 誰がどう「利用」するかとは関係なく、翻訳を提供することにはそれ自体価値があります。その価値を提供する対価は、通常であれば翻訳に関する契約などを介して原著者や翻訳者に還元されるものです。貴殿がボランティアで無料の翻訳を公開することは、本当にその還元されるべき対価を損なっていない(将来もその可能性がない)といえますか?
→ 許諾を得てないなら、たとえば全文そのままの転載ではなく要約にすればいいだけです。その方がよほど日本語読者には有益なのではないでしょうか。
蛇足ですが、世の中の研究者や記者やその他の文筆家は言論のプラットフォームを毀損しないためにいろいろルールを守りながらやっています。匿名だろうがボランティアだろうが、ネット上に何かを書くことは立派な言論活動ですので、「勝手翻訳がダメならネットから去って絶望する」などという認識はちょっと安易に過ぎる気がしなくもないです。(なお「ネットから去る」場合は権利侵害の疑いのあるコンテンツをきちんと削除してからにしてください。そうでないと未来永劫、有害なコンテンツとして残ってしまいますので)
たとえば三国志の「劉備が来たので妻を殺して肉を振る舞った」という話を当時の価値観でそのまま受け取るのは現代人には不可能なはず。
時代と共に変化する価値観を逆算して、なんとなくで意味を感じ取ることは出来ても、その物語が出来た当時の感覚でもって受け取ることが出来るわけじゃない。
たとえば昭和の青春ドラマでは「俺は今からお前たちを殴る!このバカチンがー!」みたいなことをやっていて、これに昭和オヤジ昭和オババは「愛情やなあ……」と目をウルウルさせたというが、令和の価値観においては「は?暴力を振るうことで必死さアピール痛すぎでは?やるべきことは頑張って言葉を紡いで思いを表現することでは?」としかならない。
外国文化もこれと同じで、日本においてはイスラム的な価値観やキリスト的な価値観は全く根付いてないからそういった事柄を背景にした物語はどう翻訳しても刺さりきらないし、それを無理に仏教や神道に当てはめた所でどこかに限界は生じるものだ。
翻訳が完璧じゃないとか、翻訳された国ごとに意味が変わってしまっているシーンがあるとか、そういったことを過剰に気にする人達はこのへんが分かってない。
もちろん翻訳家が自分の爪痕を残そうとして余計な要素を追加して台無しにしてしまうことも多いし、単に仕事が雑すぎること、元の雰囲気を残しすぎてローカライズ出来てないことだってある。
だけども素人が安易に翻訳のクオリティを批判するのはどうかと思うんだよな。
既にその国の翻訳版で定着したキャラクターの口調が突然変わっているとか、男言葉女言葉がチグハグになっているとかはどうかと思いはするんだが。
「はいはいどうぜいつものなろうノベルでしょ」と思って観たら、思いのほか面白い。
その理由はあまりのテンポの良さと、無駄を一切省いたノンストレスさにあるのだと思う。
主人公がレベル99で最強、なんていう擦られ過多のテンプレを厭味ったらしく見せつけないのも良い。
なろうものの「こういうのでいいんだよ」を詰め込んだ作品で、それ故に希薄な感じも否めないものの万人受けしそうな感はある。
あとEDが秀逸で、EDに関していえば今季一かもしれない。モンキーダンス!!
展開もジャンプらしい王道かと思いきや、色々と捻りを利かせている。
原作を読んだことがないので意外な展開に「おっ」となることも多く、意外と凝った作品。
ただ難点は前回の振り返りの長さと引き伸ばし。
作画は悪くないでテンポが良ければバスったのでは?という印象。
それも納得というか、90年~00年に見られた懐かしいノリを繰り広げる作品。
暴力系ヒロインに謎のギャグが節々に挟まれ、シュールとシリアスがごっちゃになっているような。
人によって好みが非常に分かれそうではあるが、個人的には結構好き。
ただ全体的には馴染みのある設定と展開ばかりで目新しさには欠け、そこまでインパクトは感じず。
まったりした雰囲気の作品で、ほろ酔い加減に観るのがちょうど良い。
戦隊モノの悪役の休日を描く作品で。物語としては起伏に乏しく、だからこそ安心して観れる感も。
今期の癒し枠。
自分は男なのでBLには一切興味がないものの、それでも楽しめた作品。
なんだろう…この作品を一言で形容するなら「懐かしさ」かもしれない。
一昔にあった少女漫画の純愛系といった感じで、今ではテンプレ化し過ぎていて普通の男女物ではあまり見られなくなったような。
だからこそ形が”男×男”になっても楽しめたというか、変な技巧もなく、ここまで真っ直ぐな好意をアニメでは久々に見た気もする。
恋愛ものしては昨今、「素直に好きになったら負け」みたいな風潮が多い中、ストレートに愛情を示すシーンの多さが逆に新鮮に思えたりも。
作画も丁寧で、評判通りに面白い。膨大な設定が売りの作品でもある。
安定した面白さで、主人公と共にゲームを進めている感覚も味わえる。
独特な悪ノリが特徴的で人によっては大いに嵌りそうではあるけど、自分の場合はそれほどでもなかった。
ネットでは色々言われていたようだけど、普通に面白かった印象。
原作は少し読んだことがあり、比べると確かに間延びしている感はある。
ただ原作の緩急を抑えていることで逆にリアリティを感じられ、ハマれば場末スナックの退廃感が心地よくなってくる。
今季では1,2位を争う傑作。
作画は美しく、動く所ではぬるぬる動き、カット割りも素晴らしい。
動く鎧を調理して食べる、といった一見して「無理だろ」というものを合理的に描く想像力!
往年のファンタジー好きにこそ観てほしい作品で、目から鱗が剥がれ落ちるであろう作品。
世界観も秀逸。もしダンジョンが存在したら?といったことを社会的・経済的にシステムとして描いている点もシニカルで良い。
おすすめ。
拷問と銘打つもののグロテスクさは皆無で、こんな世界観だったらグリフィスも蝕しなかっただろうなという世界観。
基本的にはくっころ姫と可愛い拷問官ちゃんとのイチャイチャを観るような作品。
あと魔王様が今季一の聖人で、魔王軍は絵に描いたようなホワイト企業。うらやましい。
今の日本に足りないものを描いているような作品で、ただただ癒される。
・ぶっちぎり?!
オリジナルアニメ、ということで注目があまり高くなかったように思える作品。
しかし個人的には思わぬ掘り出し物。というか普通に面白かった。
確かに主人公のダメダメっぷりは鼻につくものの、その分周りのキャラクターが魅力的。
幽白好きとしては佐々木望さんのヤンキー声が聞けるだけでも楽しめた。
ギャグとシリアスのバランス、テンポも良くて、個人的にはもっと話題になってもいいんじゃないかなぁと思ったアニメ。
・魔法少女にあこがれて
えっど。
正直馬鹿にしていた感はある。
「安易なエロで客引きとか下品」、そう思っていた時期が俺にもありました。
ただストーリーは思いのほか作り込まれて、後半になるにつれエロがおまけに感じられるような展開は素晴らしい。
うーん…でもなぁ…。キャラ同士の掛け合いも悪くないし、個性も立ってる。こりすちゃん可愛いし。
それでも同人誌をアニメ化したような、二次創作感を払拭し切れなかった印象も。
けどアニメは綺麗に終わったのでヨシ!
熱い。熱すぎる作品。
王道かつ傾いているという、一つの作品内で矛盾を体現するようなアニメ。
ネットでも大いに話題となり、気持ち悪い巨大ロボということで評判になったほど。
ストーリーとしては主人公が巨大ロボと邂逅して、それに乗り、敵を倒してヒーローになるというまさに王道中の王道。
それに同性愛の要素をひと加えwみたいなノリの作品。ほんとそんな感じ。
でもこれは現代の性の多様性について語った作品でもあると思うんだ。
「本当の性の多様性とは?」そう自らに問いかけ、これが日本が世界に誇るアニメ文化の答えだ!と言わんばかりに突っ切った愛の多様性に、視聴者は驚愕し、感動すること間違いなし。
“語源として、夫の所有する人の意である” という誤解がある[1]。フェミニズム論者には好まれない側面もあるというが、安易な言葉狩りであるとも言われている。
律令制における天皇の后妃の身位及び称号。皇后・妃に次ぐ地位にあり、定員は3名。位階は最低でも従三位・正三位を与えられる。
平安時代以降、妃・嬪(ひん)の号とともに次第に用いられなくなり淳和天皇期に事実上廃止され、夫人の地位は中宮・女御・更衣へと移行する。
后妃位の1つ。 秦から唐までの後宮における高位の妃嬪の汎称。特定の称号として
すずめの戸締りを金ローでみた。
終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。
以下、ネタバレ注意。
見てて気になったところ。
震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。
人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災を操作できるものにすることで、個人の責任に帰結してしまう。あまりに自然災害の本質とかけ離れている。
・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ
じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしまう
・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ
「あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。
いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォーの独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリのキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?
そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。
「ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?
つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。
叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女の意志でなければ前に進める訳ないだろ。
・ダイジンが震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ
ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛の自己犠牲の選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリーを安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?
・結局世界は何も変わらない
すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジンが解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。
世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去の自分を抱きしめられた」だけだ。
あの配信を見ながら、そういえばこの事務所は、極端な男嫌い、ショタ好き、リアル超美人、母子家庭、父子家庭、女子校育ち、箱入り娘、極貧、大金持ち、海外暮らしと、一般人からはかけ離れた異常な育ちからくるナチュラルなコーン営業できる異常人材の宝庫だったと再確認していた。
事務所内のリアルの顔合わせでは「てぇてぇ」など存在せず、異常キャラを演じる人よりも異常で育ちが悪い人が距離を置かれている地獄のような人間関係があるのではないか。事務所を首になった人はその一端でしかないのではないか。この異常事務所から距離を置き、コミュ障を演じたり、長居せずミーティング後すぐ帰ったり、安易なコラボをしない人のほうが、親きょうだい共に関係性が良く、育ちが良く、現実社会に対する社会性が高いのではないかと思ったりした。
b:id:dmekaricompositeです。遅れましたがまた返信です。
ブコメは元々誰からも読まれる可能性があるものですが、今回は石黒さんがエゴサなどで悩んでいる様子なので余計に読まれる可能性高いと思うんですよね。
それなのに例えばこれhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240402192834
なんか「いいねしてた責任はもちろん問われるに決まってる」というのがトップブコメで、暗然としてしまいます。杉田水脈は単に「いいね」しただけでなくこれまでの言動と合わせてアウトだという判定なのに……。それに、いいねした責任というのは一年も誹謗中傷されてもまだ果たされないほど重いのか、仮にいいねした責任があるとするならどれほどの重さが妥当なのかと問い正したくなります。
それで自分のブコメが言及先に読まれることをもっと意識すべきではないかと思いました。それは別に批判するなということではなく、批判するにしても本人の前でも恥ずかしくないくらい正々堂々とした批判をすべきだろうという意味です。
その上で「一番賢い分一番タチが悪い」についてですが、私の第一の誤りはブコメのひどさのグラデーションを吟味しなかったことです。ib:id:muchonovさんのあのブコメは今でもちょっとどうかと思います。ただ「なんか感じ悪い」にすぎず、誹謗中傷だとは言えない。私はそれを「頭おかしい」等の完全に誹謗中傷なブコメと一緒にして「こいつらは敵だな」と雑に判定しb:id:muchonovさんについては「こいつは賢いから誹謗中傷にならないラインを見極めて遠回しに嫌味を言ったのだろう」と邪推してしまったわけです。なので「一番賢い分一番タチが悪い」という表現になりました。
そして──重ね重ねの失礼になりますが、私は以前からb:id:muchonov さんに対して「博識だけど時々無神経なことを言う人だな」という印象を持っていました。
自分のブコメを振り返ってみると、NewJeans紅白出場決定のニュースでb:id:muchonovさんに言及していました。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sanspo.com/article/20231229-AL75GW6KPVIBVOE3OQZE75GYZM/
b:id:muchonovさんが「よく大晦日に日本ローカルのイベントに引っ張ってこれたなと本気で驚いた」とコメントしていたのに呆れて
「紅白にはシンディ・ローパーもエンヤも少女時代も出演してるのに「よく大晦日に日本ローカルのイベントに引っ張ってこれたな」と驚いてみせるid:muchonovに違和感。頭宇野維正なんじゃないの?」
と書きました。私はこの時「b:id:muchonovさんって過剰な自虐をリベラルだと勘違いしてる人なのかな?それともかなり変な人?こういうへりくだりって対等な関係を築くのにむしろ有害なのよね……」とモヤモヤしていた記憶があります。
更に遡ると、新語・流行語大賞「ジェンダー平等」のブコメでもb:id:muchonovさんに言及していました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1810889
この賞の解説の「議員や管理職級の女性の割合を増やしてあげることがジェンダー平等だと勘違いしている人もまだ多いようだ」という文章を竹下郁子や北原みのりがとんでもない誤読をして「増やしてあげるとはなんという上から目線!」と罵倒していた件です。この時b:id:muchonovさんは
「単に「増やす」と書けばいいとこで、書き手自身の認識とも読める文脈で「増やしてあげる」表現を使ったことによる不幸」
「 id:muchonov書き手自身の認識だと読める文脈ではないでしょ…増やしてあげればいいというのは勘違いだとはっきり書いてるのだから。竹下郁子が読解力なさすぎるだけです」
と批判しています。今読み返してみても竹下郁子の誤読はひどすぎると思います。
ただし私は元の文章の書き手を芳野友子連合会長だと誤解して「ちゃんとした文章を書いている芳野さんに失礼」と書いてしまいましたが、b:id:muchonovさんは「あと、賛否両方にこれが芳野氏のコメントだと勘違いしてる人がいるような」とちゃんとツッコんでいました。私も人のことは言えません。
このような経験から私は「b:id:muchonovさんは党派性で認識がゆがんじゃう人なのかな。しかしためになることも言うし、b:id:zyzyのように完全に一線越えてる奴とは違うんだよね……」とモヤモヤした気持ちでいました。
前置きが長くなりましたが、今回の私の第二の誤りはモヤモヤをモヤモヤのままで留めておかなかったことです。答え合わせ云々のブコメを読んだ私は「ああ、やっぱりb:id:muchonovってb:id:zyzyやb:id:white_roseとかと同類なんだ。石黒さんを中傷する敵なんだ!」と安易な正解にとびついてしまいました。このように敵認定すると、モヤモヤは消えます。いみじくもb:id:muchonovさんが仰っている「陣営脳」に染まると0か100かしかないので、人間の複雑さに悩まなくてすむから楽なんですよね,この楽さが危険なのですが。これからはb:id:muchonovさんに対してもっとモヤモヤした認識のままで留まろうと自戒しています。
最後にもう一度「答え合わせ」について。石黒さんの動画を確認しましたが、石黒さんは「いいね」の晒しは好きにすればいい、しかし答え合わせと称して勝手なレッテルを貼るのはやめてくれという主張だと私は感じました。
長くなりましたが釈明は以上です。