はてなキーワード: 安息日とは
リンディ栄養学 (Lindy nutrition) とは、「リンディ効果」と呼ばれる法則に端を発した栄養学。リンディダイエットとも呼ばれる。
古くから受け入れられてきた知識や習慣はそう簡単には途切れないということは、誰しもが経験的に知っている。そこには、長く使われれば使われるほど、つまり長生きすればするほど寿命が伸びていくという一種のパラドックスが生じているわけだが、これを科学的に説明したものがリンディ効果である。
リンディという名称はニューヨークにあるリンディーズという飲食店が元になっている。そこでは、毎晩コメディアンたちが集まり公演したステージの反省会を行っていたのだが、その会話の中でリンディ効果の原型とも言える仮説が生み出されたという。その後、大学教授によって現在の形に洗練されたこの法則は、リンディダイエットの提唱者であるPaul Skallas氏の手によって食事、健康、運動などあらゆる分野に応用され、一種のライフスタイルへと昇華された。
リンディダイエットの根幹にあるのは「時間こそが最も優れた判断基準」という思想であり、時間という試練に耐え、古来から生き延びてきた食生活ほど健康上の利点が保証されるとしている。リンディ効果に照らせば、そのような伝統的な食生活は今後も長きに渡って存続することが予想される。これはSkallas氏によれば、人間の消化器官は昔ながらの食生活に適応しているためであり、人間が慣れ親しんでいない加工食品が消費の中心となった西洋社会では、心臓病や糖尿病の罹患率が高まっているという。そのような訳でSkallas氏は、過去500年以内に発明された食べ物や飲み物を口にしないよう勧めている。
Skallas氏によれば、最もリンディな飲み物の一つには「紅茶」があるという。数千年の起源を持つ紅茶は、「ディープ・リンディ」な飲み物なのだ。一方で、コーヒーについては、「比較的新しいが、400年という時間のふるいにかけられたものであり、恐らく身体にも悪くないでしょう」と語っている。
また、20世紀に発明された紙巻きタバコはリンディではないため、リンディな形で喫煙したい人にはパイプタバコが勧められている。運動についても、現代的なエクササイズマシンではなく、ギリシャ神話に描かれたようなシンプルなウェイトリフティングこそがリンディな運動の仕方である。Skallas氏によれば、「ボディビルカルチャーは近代によって生み出されたグロテスクなサブカルチャー」であり、「運動の目的は筋肉増強ではなく、体の中で関わり合っている様々な仕組みの調整にある」のだという。
Skallas氏は、ヨガについても懐疑的な目を向けている。というのも、現代のアメリカ人が行っているヨガは20世紀に発明されたものだからだ。「ヨガは体に良いのか悪いのか、それはわかりません」「リンディは『それをするな』とは言わない。『何が起こるかわからない』と言うのです」
「ビデオゲームは?」
「リンディではないですね」
「大人のおもちゃは?」
「あちこちで犯罪を犯したり虐待する金持ち?とてもリンディです!」
エプスタインの例が示すように、リンディは道徳的な基準を内包しない。それが良いものであれ悪いものであれ、古来から連綿と続いてきたという事実には重要な本質が隠されているということをリンディは教えてくれるのだ。「人間の本質は変わりません」「古代の人々は人間の身体や行動について深く研究していましたが、それらは今でも有用です」
リンディ・ドリンクやリンディ・エクササイズなど様々な造語を作ってきたSkallas氏だが、隔離生活の閉塞感から逃れるために考案した「リンディ・ウォーク」は、中でも最も注目を集めていると言えるかもしれない。
「基本的にはただ散歩するという意味です」とSkallas氏は語る。「でも、多くの古代文化でも散歩は重要な伝統として扱われているでしょう。例えばキリスト教には『安息日の道のり』があります。ギリシャではヴォルタと呼ばれていて、イタリアにも同様の文化がある。これはただ歩くという目的のために歩いているだけなんです」
リンディ・ウォークでは、A地点からB地点へ真っ直ぐ向かうのではなく、目的地を決めず、手当たり次第に曲がることで心を刺激することが推奨されている。「歩いていたら面白いことが起きました。アイデアの波が次々と押し寄せてきたんです。考えようとしたわけでも何かを思いつこうとしたでもないのに、ただ現れてきた。魔法みたいにね」
現在ではSNSを中心にカルトな人気を集めており、大勢の人がリンディ・ウォークの最中に撮った写真をシェアしている。また、Skallas氏のツイッターアカウントも5万人を超えるフォロワーを擁しており、リンディの人気の高さが窺える。
Skallas氏は、リンディが人気を博した一因にはパンデミックの影響があったと推察している。氏によれば、これまで私たちは、人間を「不可侵の存在」だと捉えて楽観視していたところがあったのではないかという。しかし、パンデミックによって歴史上の出来事に過ぎなかった古代の大規模な危機が生じたことで、世界に対する人々の認識が一変。隔離生活の中で「欠乏」について考えるようになり、「人生において本当に必要なものはなにか」と自問するようになったことから、リンディに関心が集まったのではないかとしている。(ちなみに、500年前にも人々はマスクを付けていたことから、パンデミックも「ディープ・リンディ」なんだとか)
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
子供のころからずっと「週の始まりは月曜日」が当たり前だっただろ。
キン肉マンだって「月火水木キン肉マ〜ン金土日はあ〜そびたい」って歌ってたぞ。
そう言ってる人たちはどこでそんなこと教わったんだ?
俺はそれを「月曜日から世界を作りはじめて日曜日に休んだ」と思い込んでいたんだが
本来は「日曜日から世界を作りはじめて土曜日に休んだ」ということだったらしい。
ともあれユダヤ教では
これはわかりやすいよな。
しかしキリスト教では「キリストの復活」が起きたのが日曜日だったので、日曜日に仕事を休んで礼拝を行うことが定着してしまった。
古代ローマ帝国の時点で「安息日が土曜日ってのは取り消し!礼拝は日曜日に行えよ!」という法律が発布されていたらしい。
それなのに「週の始まりは日曜日」という慣習だけは残ってしまったから大変だ。
アメリカでは今でも「週の始まりは日曜日」なのに「休みも日曜日」という混乱した状況になっている。
ややこしすぎるよな。
「どっちが宗教的に正しいか」じゃなくて「どっちのほうが現実的か」で割り切れるじゃん。
そんで普通に考えて「一週間の始まりだから休もう」みたいな発想にはならんじゃん。
やっぱり働いたあとに休むのが自然の摂理じゃん。
だから現実に即せば「月曜始まり」のほうが正しいことになるじゃん。
異論ある?
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
1:里帰り出産のススメ
そもそもにススメと言ってるので、出きる人がやればいいという前提です。
一部だろうがなんだろうが条件満たせばやった方が良いのでは?
うん、来てもらうパターンもありですね。要はその状況が作れればOKなので。賛成です。
あと、どうせとある一時期だけだから完全にいらない人扱いになっても一向にかまいません。
というか、この時期変にでしゃばる方がうざいとか言われるパターンもある。
2:ミルク併用のススメ
知ってますよw乳腺炎。少なくとも8時間もあけたら乳腺炎になるとか、人によって違います。
そんなこともご存じないですかw?
辛いなら辛くない時間までゆっくり寝ればいいだけの話で、8時間開けても平気で全然大丈夫な人もいます。
何の断定か知りませんけど。
3:子育て中寝室分離のススメ
これは皆やってて当たり前では。->ですよね。でもご家庭によっては一緒というところありますよ。
少なくとも夫だけでなく、育児中は奥さん側も家事はあまりできないです。
5:安息日のススメ
上記の通り、乳腺炎とか知ってるし、それがだめならできる範囲で出かければいいだけの話。
できないと決めつけてるの一体なんです?
後、人見知りとか普通に出るけど、たまに夫がやるならそれくらい頑張れや。
1日泣いたって死にはしないよ。
6:それ以外は夫の好きにさせるススメ
男はいくらでも遊べていいですねー。
→はいそうですねーごめんなさいw
まぁ、マシなら御の字ですよw
少なくとも、あれはダメ、これもできない、あれもできない
とのたまう奥さんだとほんと大変ですねw
うちは理解のある奥さんでほんとよかったですw
1:里帰り出産のススメ
これをやるには妻実家が「近所かつ妻親が暇で健康で介護等もしていない」と言う条件を満たさないと無理。
でも世の大多数の実家は遠方だったり両親がまだ現役で働いてたり祖父母介護してたり仕事してないなら年食ってるから体調崩してたりするわけで、
田舎だと既に親が兄弟と同居してるから無理、ってケースもあるし。
そしてその条件を満たせるなら、家に来て手伝って貰う方がついでに掃除なんかもして貰えて都合いい。
(まあ妻が夜だけでも夫がいたら邪魔、実家の方が気楽でいいわと考えてたら里帰りの方がいいだろうけど。
でもそれって完全に夫要らない人扱いになるけどいいの?)
2:ミルク併用のススメ
乳出やすい人なら8時間も間隔開けたら乳パンパンに腫れて乳腺炎になる事も知らんのか。
8時間間隔空けても平気なくらい乳の出が悪い人なら、そもそも「ミルク併用しないといけない人」だろ。
3:子育て中寝室分離のススメ
これは皆やってて当たり前では。
これはこれでいいけど、「最新家電がなければ夫は家事をしない」と言う前提はどうなんだ。
5:安息日のススメ
上記の通り、赤ん坊と長時間離れると乳パンパン以下略だから無理。
離乳食始まって授乳量減れば大丈夫だろうけど、その頃になると人見知り始まってママでないと駄目、となる子も多い。
6:それ以外は夫の好きにさせるススメ
男はいくらでも遊べていいよねー。
出産後はとても大変なので、夫婦双方で話し合って色々と決めておくとよいと思うが、
自分が経験して、これは良かったとかもっとこうしてあげたらよかったとかあるので、
それを共有しておく。私は夫。
1:里帰り出産のススメ
頼れる実家があるというのは素晴らしいことだ。
そうすると、奥さんは子供だけに集中できるし、育児のリズムも作っていける。
週末に実家へ夫が会いに行けばいい。
親しき中にも礼儀あり。
2:ミルク併用のススメ
まだまだ気の抜けない状態が続き、そしていわゆる家での生活が始まる。
ここで思うのは夫にも子供への愛情を持ってほしいならミルクを併用しよう。
この時期の夫は完全母乳の場合、下手するとお風呂くらいしか子育てに参加できない。
それで十分だと思うだろう?違うんだよ。経験上絶対に赤ちゃんの食事をちゃんと経験できて
げっぷまでさせてあげられるとほんとに、いろんな実感がわくんだよ。(経験談)
あ、俺父ちゃんになったんだな。って思うのですよ。
そして、ミルク併用の一番のメリットは「母親が8時間寝れる日が作れること」
これに尽きる。3時間おきに母乳は本当に大変だ。ずっと寝不足なんだよ。
肌もあれ、髪もボロボロになり、寝不足は家事のやる気も奪っていく。
だから月に2回できれば週に1回、週末に夜の赤ちゃん担当を夫が変わるんだ。
ミルクを併用してるとこれができる。すると奥さんは8時間寝れるんだよ。
そうすれば、奥さんのやる気メーターも回復するし、家事もはかどってくる。
3:子育て中寝室分離のススメ
夫だって、夜赤ちゃんが泣けば普通に起きる。平日だとこれはこれで夫側もかなりつらい。
だから、2のススメとも関連するが、寝室を別にしておくと平日は夫は普通に寝れるので、
仕事に影響が出にくい。かつ終末は奥さんと変わることで今度は奥さんが安眠できる。
我が家はこれで、かなり助けられた。
だが、これは2のススメが前提になる。週末に赤ちゃん担当を変わらないと、
それはただ夫が安眠むさぼってるだけで怨嗟がとぐろをまくから気を付けて。
自分としてはもう少し、週末変わってあげる回数が多くても良かったなと後悔してる。
これがあるだけで夫は食事後の後片付けをするようになるし、
洗濯を回すこともできるようになる。
子供への時間を作るためにも家事はできるだけサボるというより、
楽にできる方法を取り入れるべきだ。
5:安息日のススメ
そしてできれば2か月に1回できれば月に1回。奥さん1人で外出させよう。
これも2のミルク併用が前提だが、まぁ母乳でも冷凍とかで行けなくもない。
まぁ10時~17時か18時くらいまで夫が1人で面倒見る。
この時期は夫側もミルクあげて、げっぷさせて寝かして、必要ならおむつ替えておけば後はTV見れる。
6:それ以外は夫の好きにさせるススメ
これが実は一番大事なんですが、ここまでのことができたなら、
それ以外のことは大抵は夫の好きにさせてあげてくださいな。浮気以外は。
奥さん側も「常に早く帰ってこいや!ごるぁ!」オーラが出てると、
夫さんもつらいんです。
以上。
まぁそれなりに育児に対するポリシーも各々おありになるでしょうから、
あくまでおススメです。あとは双方話し合って、それぞれの夫婦なりの「型」が
作れたら、きっとそれが正解だと思います。