はてなキーワード: 宇宙戦艦ヤマトとは
死ぬまでに1度は見た方が良いTVアニメ3選を教えてということですね。アニメの好みは人それぞれですが、ネット上でのランキングやアンケートなどを参考にしてみました。
一つ目は、鬼滅の刃です。2019年に放送された大ヒット作品で、日本の大正時代を舞台に、鬼になった妹を人間に戻すために戦う主人公の物語です。アニメーションや音楽、キャラクターの魅力などが高く評価されています12。
二つ目は、進撃の巨人です。2013年から2021年まで放送された長寿作品で、人類を食い尽くす巨人と戦う少年少女の物語です。ストーリーの展開や世界観、登場人物の成長などが話題を呼びました12。
三つ目は、鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMISTです。2009年から2010年まで放送されたリメイク作品で、錬金術を使って死んだ母親を蘇らせようとした兄弟の物語です。原作に忠実な内容や感動的なシーン、個性的なキャラクターなどが人気を集めました13。
以上が私が選んだ死ぬまでに1度は見た方が良いTVアニメ3選です。いかがでしょうか?😊
ちなみに岡田斗司夫は「ガンバの大冒険」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」だった
アニメが好きとか演出がどう作画がどうを語るなら最低限ココ見とけよっていうもの。確かにその通り
そして自分は「結城友奈は勇者である」「宇宙よりも遠い場所」「輪るピングドラム」
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。
まず「社会現象になったオリジナルアニメ」が何かを決めよう。Pixerとかの海外の作品は対象外。このあたりは文句なくはいるだろう。
「鉄腕アトム」「魔法使いサリー」「銀河鉄道999」「タッチ」「ちびまる子ちゃん」「セーラームーン」「ポケットモンスター」「鬼滅の刃」などは、社会現象化は文句ないのだが、原作つきのため除いた。で、次点でこのあたりが並ぶ感じか。上であげてないジブリ作品は、これらに匹敵する影響はあったのだが、きりがないので省いた。
追加があれば。
で、悪くなかった。
確かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。
自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。
というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。
2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである。
なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダルが波動砲で宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。
しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。
なんでお前らの反省で地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。
波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?
沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたからOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKしたかよ。沈むぞヤマト。
まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、
ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手に有効な攻撃が無い)
2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、
「波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球が木端微塵になりかねない波動砲を封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。
波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器の比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。
まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通の空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。
人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。
だいたい、あの姉妹はイスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、
この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである。
まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルとガミラスが二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、
そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。
旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである。
イスカンダルは自分を犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサのメッセージを他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったものも理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマトの犠牲という図式に収まるわけなのだが、
リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観を押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである。
というか、イスカンダルもガミラスも本来異星人であり、地球と理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラスと地球の戦いを、ガミラスが恒久平和を目指してるとか、地球側から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球的価値観を設定をぶち込んできたのだ。
このガミラスの地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。
旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないから大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。
あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔で軍歌を合唱しながら特攻である。戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意が理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答である。スタッフにバカめと言ってやれ。
あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。
テレサの位置づけが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲とかいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤も加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、
旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー(関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーのカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である。
旧作で存在した「アンドロメダを征服した帝国が首都星一個破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいうシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。
時間断層とかいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものはSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ。
2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。
ガミラス戦争でガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラスが地球側の戦力を読み切っていたからと、相手がヤマト1艦だけだったからであろう。
そもそも、地球もガトランティスもワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだ。どこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。
有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手を殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。
という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。
山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かに、あの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマトの諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ。
そのせいで、ヤマトの諸君の感覚と、一般的な地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記の発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
結局のところそういう熱心な人達はあんまりガンダム等々の富野作品を見ないのだというやらせなさを感じる。そもそもガンダムでは架空の人種間の軋轢をテーマに描いているので当然ではあるのだが。
機動戦士ガンダムの頃からそもそも日本人しか一つの人種しか活躍しない宇宙戦艦ヤマトのアンチテーゼとして多様な人種で構成されたアニメであったのだ、ちなみに黒人だけは当時の放送コードで出せなかったと当時を富野監督は述懐している、黒人をアニメに出せない時代があったのである。
人種だけでなく、戦う女性が描かれる、富野監督のガンダムでは女性は男の帰りを待つのではなく自ら戦闘機や戦闘ロボット(ロボットと書くと富野監督やガンオタからは怒られるだろうが)に乗り勇しく戦うのだ。これZガンダム以降の作品でも一貫して描かれていく。
平成初頭に放送された∀ガンダムでは黒人が主人公のガンダムすら描いた、主人公を務めた声優は在日朝鮮人の朴ロ美さんが演じており、この配役は劇中でのとある設定からメッセージ性のある役のわりふりであり、是非∀を見て確かめてほしい。
主要人物の中には男性の同性愛者だと示唆されるキャラも登場する。当時の他のアニメではコメディリリーフのようなオカマキャラは描かれることはあっても確立した立場のある男性として同性愛者が描かれるのはこのアニメが初めてだったのではないか。
Gのレコンギスタではチアガールに男性が実に自然と紛れており周囲の登場人物達も誰もそこに疑問を呈さない、マイノリティが受け入れられている世界観を描いているのだ。
今回出した例は一例に過ぎず日本のアニメや漫画がLGBTQや多様性への配慮がないと批判する人が今目立つが、きちんと多様性を昔から描いている人はいるのである。もちろん富野監督以外でも多様性に配慮してきた監督はいるので是非アニメをみて探してみてほしい。
個人的にそこまでではなかったので入れていないメジャー作品も結構あるけど、それ以外にも私が知らないだけで、隠れた名作ってのがまだまだあったりするんだろうか。
28 機動戦士ガンダムUC episode 6 宇宙と地球と
25 この世界の片隅に
22 ドラえもん のび太の日本誕生
21 宇宙戦艦ヤマト
19 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
14 時をかける少女
13 君の名は。
10 機動警察パトレイバー 2 the Movie
9 サマーウォーズ
8 紅の豚
7 君の名は。
5 耳をすませば
4 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
3 空の青さを知る人よ
2 逮捕しちゃうぞ the MOVIE
SYNODOSの、日経たわわ広告アンケート記事の感想にいくつか補足。
はてな記法は少しだけ使えるようになった。改行が足りなかったんだな。
ネット調査であることによる標本の偏りを指摘したトラバを見かけた気がしたけど、なくなってる?
確かに、インターネットでのアンケートに回答する人は、普段ネットを使わない人より広告に肯定的だろうと直感的には思う。田中氏の調査では10代以下の子供や60代以上の老齢者も対象じゃないから、日経新聞を購読してる層全体を見れば、実際はもう少し批判的になるのかもしれないね。
https://anond.hatelabo.jp/20220427084110
で、自分が気になったのは、9)性別役割分業志向と10)男性優先社会の認識だけどね。
本来ならこれは同じ方向をむく、というか合わせて「フェミニズム志向」と呼ぶべきものだろう。
でも実際は、10)男性優先社会の認識は明確に反対傾向があるけど、9)性別役割分業志向は有意じゃないけどどちらかといえば逆方向
ごめんこれ、何言ってるか分からない。9)性別役割分業意識は、「男性は仕事に専念してお金を稼ぎ、デートや食事のお金を負担すべきだ。女性は感情的で、女性らしい感性を持つ。仕事より育児に傾注するべきだ」に賛同するか否かの、保守的な男女観を持つかの傾向をみる質問だよね。
フェミニズムとは全くの反対だと思うが……。
この数字も有意ではないので、田中氏にはあっさり流されてるけど、どちらかといえば逆、つまり保守的な男女観を持つ方がたわわ広告に肯定的かもしれないのは興味深い。
SYNODOSの記事でたわわ広告を問題視しない人が着目されていない理由について、前の増田で「たぶん無関心」と書いたけど、違う理由も考えられる。可燃性がすごいんだ。
に並べて、
広告を問題視しない人が多いのは、未婚者、自分では絵やイラストや漫画を描かない非クリエイター、痴漢に厳罰を求めない人、フェミニズムに賛同しない人である。また、主に男性である。
と書けるか?自分なら恐ろしくてよう書かんわ。書いたけど。
記事で触れなかったのは何故か、何らかの配慮かもしれないが、本当のところは田中氏でないと分からない。ただ読者は、書かれてないことに気づき、その理由を考察できるはずだけど、増田の見た限りあまり言及している人はいなかった。
明示されない限り、何が伏せられてるのか気づく人が少ないのも、結構エグい、と思う。
透明性、無徴性の話にもつながるんだけどね。
前の増田では、「萌え絵」にカギカッコをつけて表記した。前提なしに使うにはふわっとしすぎてるんだよな。
田中氏は、
漫画やアニメ調の絵が電車や街角ポスターなどに大々的に出始めたのはおそらく2000年ごろ以降である。現在の20代の若年層にとって萌え絵は生まれたときから周りにある日常風景であり、抵抗が少ない。これに対し40代以上の人にとっては萌え絵の日常世界への大量進出は大人になってから体験した出来事であり、違和感がぬぐえないのではないかと考えられる。
と書いてるけど、漫画やアニメ調の絵=萌え絵 ってこと?それって自明かな?
40代・50代の男性も20代男性と傾向が全然違うなら分かる。慣れないから違和感があるんだなと解釈できる。けど、9%と12%~14%の差だよ。20代女性(18%)より50代男性(14%)のほうが「萌え絵」に抵抗が少ない要因を、電車や街角の日常風景の時代性だけで解釈するのは無理がないだろうか。
うる星やつらのラムちゃんや宇宙戦艦ヤマトの森雪は70年代のヒロインだし、少し前もはてぶは90年代のアニメで盛り上がっていた。
はいからさんが通る、ガラスの仮面、ときめきトゥナイト、ふしぎ遊戯、天使なんかじゃない、フルーツバスケットなど、女性たちに支持されてきた往年の少女漫画はないことになっているんだろうか?
同じ時代を生きてきた40~50代の男女でこれほど意見が違うならば、たわわ広告のような「萌え絵」とは、「漫画やアニメ調の絵」全般ではなく、「男性目線のいやらしさを含んだ漫画・アニメ調の絵」を言うんじゃないか?
田中氏の示した調査結果だけでは、年齢が意見に与える影響が「漫画・アニメ調の絵への慣れ」によるものとは言えないように思う。
男性全般の抵抗感の低さは、「萌え絵」(男のエロ目線を含んだ漫画・アニメ調の絵)への慣れに影響されているのかもしれない、とも思う。
男性には違いが分かりづらいらしい、一般の漫画・アニメ調の絵、例えば少女漫画の絵と「萌え絵」を、女性はどこで見分けているのか。
2000年代以降の漫画、たとえばハチミツとクローバーやカードキャプターさくらやとんがり帽子のアトリエはなぜ「萌え絵」扱いをされず、女性に受け入れられているのか。男性評論家か何かに萌え絵扱いされてるのは前に見たけどね。
これは増田の仮説に過ぎないが、肉体の生々しさの強調ではないかと思う。
顔や髪の毛の表現は似通っていても、衣服の布が体のラインをなぞり、皺や陰影で凹凸を強調する描写への念の入れ方が違う。
たとえばアツギの企画のメイン絵師なら、黒タイツから透ける脚や足の肉感の描写に並々ならぬこだわりがあった。
極端にいうと、リカちゃん人形の顔にリアルなセックスドールの身体がくっついているような感覚を、女性の45.6%と男性の22.5%は受けているのだと思う。
この仮説は田中氏の調査では検証できない。検証には、対象者にいろいろなタッチのイラストを見せて判定してもらうという方法などが考えられるけど、残念ながら増田には調査設計から実施、検証までやる余裕もスキルもない。興味のある誰か偉いひと頼んだ。
では、女性の43.9%、男性の68.2%はなぜ「萌え絵」に男のエロ目線を感じないのか?男の性欲が自分に与える効果のクリティカルさが大きいと思うし、クリエイターの反応が考察の参考にはなるけど、ひとまずおいておく。
なぜ女性は年齢が上がると、子供がいなくてもたわわ広告に批判的になり、男性は年齢が意見にそれほど影響しないのか?
これも増田の仮説に過ぎないのだけど、
女子高生の表象が、男性にとっては「性的なアイコン」であり、女性にとっては、子供だった頃の「かつての自分」だからではないかな。
田中氏の記事では統計的に有意ではない数字とされていたけど、中高生の娘がいると、全体で2.0%、女性のみでは-1.3%批判的に傾くことから、男性は中高生の娘がいる場合、広告にかなり批判的になるように見える。
おそらく女性は、自分に子供がいなくても、かつては自らも女子高生であったため、女子高生が10代の若い人間、子供に見えている。歳を取り、年齢が離れるほどますます女子高生が幼く見える。
男性は、自分に年頃の娘がいて初めて、女子高生が「性的なアイコン」ではなく、人間、子供に見え出す人が多いのかもしれない。
たわわ広告へのネットの反応を見ていたら、子供(未成年)に性的な視線を向けることを社会として許容しないでほしいという声が多く上がっていた。
増田も、新入社員や新入生がこの広告を見て、女子高生に向けられる性的な視線、男のエロ目線を感じ取り、いやな思いをしてほしくない、不安や怯えを味わってほしくない、と思ったのを、この増田を書いていて再認識した。
当の新入社員や新入生自身は、特に気にしていないのかもしれないけどね。
ただそれは田中氏の記事では分からないんだ。図2・図3には年齢別の詳細がないので、「広告として不適切とまでは言わないが、不快だ、いやらしいと思う」と感じる20代女性がどれだけいたかは、生データを見ないとなんとも言えない。
1.男性目線のいやらしさを感じる
4.はっきり言って不快
6.女の子が可愛くて素敵
については、1.思う、2.思う(日経新聞等、一般紙の広告として)、3.思う、4.思わない、5.思わない、6.思う(絵柄は好みの方)、7.「表現の自由」が出てくる意味がわからないので、どちらとも言えない。
たわわがヤンマガに連載されるのも、広告が日刊ゲンダイや週刊現代に載るのも、一般の書店で高校生が買えるのも、問題ないと考える。
月曜日のたわわというマンガ。ストーリーへの感想はともかく、性加害描写がないと評価する言説があった。いや、あるだろ。そこ否定してどうする。女から男への痴漢、同性間のセクハラと、かなり暴力的だと思った。
SYNODOS掲載の、田中辰雄氏による日経たわわ広告に対する調査の記事は、女性の反応しか見ず、男性の反応を無視してデータを解釈したことで、少し的を外した結論になっていると思う。
増田としては、
男性は(女子高生の表象を性的アイコンと捉えており、)「萌え絵」、つまり男のエロ目線を含んだ漫画・アニメ調の絵に慣れているため、違和感が少なく、「萌え絵」広告に容認的である。
女性は(女子高生の表象を「かつての自分」と捉えており、)男性ほど「萌え絵」に触れる機会が少ないため、違和感が強く、男性より批判的になる傾向がある。また、年齢が上がり、女子高生と年齢差が大きくなるほど批判的になる。
時間の経過とともに容認する人が増えるかはなんとも言えない。男性目線のいやらしさを含む「萌え絵」がより一般的になる(日常風景に溢れ、女性向けの作品にも肉体の強調表現が増える)場合は、男女とも慣れるので、現在よりは容認的になる。ただし、現在の若年層女性が将来、未成年を描く「萌え絵」に批判的になる可能性はある。と読むかな。
もちろん、追加の調査等で、田中氏の仮説と予想「若年層は漫画やアニメ調の絵に慣れているため萌え絵広告に容認的である。時間の経過とともに容認する人がしだいに増えていく」が正しかったと分かるかもしれない。田中氏は調査の生データを持っているので、記事には表れていない情報をもとにこう分析している可能性はある。
とにかく、これだけ面白い調査内容を無料で公開してくれたことを田中氏に感謝したい。萌え絵広告とその反応を考える上でとても貴重な記事だと思う。
日経は謝罪すべきか?というと、個人的には全く思わない。出してもどうせご不快メソッドだろ。
たわわと絡めず、「日経新聞社は未成年を性的に扱うことを認めない」というメッセージを何らかの形で出してもいいとは思う。社会の公器だかオピニオンリーダーを気取るなら、それくらいはね。