はてなキーワード: 宅配業とは
亡くなられた方や失業した方がいらっしゃり、人生が一変した方も多い中不謹慎だと思うが
リモートワークの浸透が進んでいる。会議はネット上で行うようになった。出勤が不要になった。オフィスさえ無くなった人もいる
配達サービスも機能している。郵便局だって宅配業者だって生協だって、食料や娯楽を運んでくれる。日本で住んでいる限り、生命を維持するハードルは限りなく低い(それこそ生活保護制度だって依然機能している。むしろ生活保護に落とさないために、急造の穴だらけの社会制度が賄われてすらいる)
在宅での娯楽の密度が増えた。動画配信サービスや無観客ライブのネット配信。以前と同じだけの熱量を感じられるかと言われればそうではないが、出先に行くための移動や宿泊にかかる費用・疲労感を考えると、まるっきり悪いということはない。
仕事は早く終わらせて家に帰りたい。ごく一部の親しい友人以外との飲み会は楽しくない。
そういった性質が肯定される世の中になったことは、自分にとってよかったことだと思う
誰にも言わないけど
つらい
真面目だと酒飲みながらなんとかがんばるとかあるけど自分はつらいと頑張れない、酒とか飲んでもすぐ気持ち悪くなって、その気持ち悪さが我慢できないので飲まなくなったのでアル中にはなかなかなりそうにない。
かといってタバコの煙は嫌いだし、薬もやったことはないし、売人とかと関わるとか心底嫌。
売人を求めて遠出とか無理。一人で外出は生活必需品を買いに出るので精一杯。
むろん人付き合いもないし、宅配業者とのやり取りも最小限に、宅配BOXに取りにでて箱を取り出すところを度々目撃もされたくない位。
そもそもベランダにも気軽には出られないし、玄関からの普通の出入りも隣人に見張られててストレスだし、掃除機や電話も周りに聞こえるからあんまり気軽に出来ない。戸建てに住んでいるのに。
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。
ここにきて、オリンピックが観客ありで行われることが決まった。
そのうえ、無観客の判断基準が非常事態宣言らしいので、オリンピック期間中は宣言が出なさそうということも。
専門家による予想では、オリンピック前後に第5波が来ることになっている。
非常事態宣言が遅れた第3波では自主的な自粛が功を奏したが、第4波では結局非常事態宣言まで患者数が減らなかった。
悲観的に考えると8月いっぱいはコロナが猖獗を極めるものと思う。
ここで注意が必要なのは、引きこもり生活の味方である宅配業者がオリンピックにやられる可能性があるということだ。
もう1年以上前かもしれないが、期間中はなるべく宅配業者の利用を控えるよう要請があったはずだ。
そうすると、遅くても7月前半には日持ちのする食糧、生活必需品を備蓄する必要がある。
どうしたものか…
今までははいくらになります、言っていわれたあとで店員さんにお金を手渡しするプロセスがあった。
だけど今はレジ打ち後に駅前のきっぷのようにお金を入れて店員は突っ立っている。
結局ゆくゆくは全自動化してゆく流れだという話なんだけど、そこにあった目線を合わせる行為がない。
例えば店員さんにお金を渡すときちらとでも顔は目に入るし、そうでないときでも手はみてしまう。
このときになんとなくこの店員さんはこんなひとなのか、がさつなのか丁寧なのかという感覚がある程度想起される。
ところが、自動支払は商品をレジに提示して向こうが適当に機械をいじったらもううつむいてる。
本来商行為は値切りであったり、娘さん元気にしてるなんて会話が発生したり、今日は新鮮な魚が入ったよという呼び声があって、それ自体がコミュニティだった。
今の商行為殆どがコミュニティではないことは約一世紀過ぎてるから仕方ないにしても、商から人間を切り離す行為なんじゃないかと思ってしまった。
その行く突き先は資産管理、つまりビットコインなんかの仮想通貨。
みんながめんどくさくなるので、むしろ宅配業者と話すなんてこともない。
実際自分も宅配業者とは話さない。自分が気持ち悪く感じるし、宅配のひとも迷惑だろうから。
この世界観はカードを使ってるひとからしたら当たり前だったんだろう。
しかしカードとはまた別次元の、ひとを介さない世界が出来上がろうとしている。
大衆が大衆のためのコミュニティスペースを持つ場はどんどんなくなってる。
個人的に、全ての人間がテレワーカーになればいい、程度に考えていたものの、そうした光景が消えること自体にはもの寂しさがある。
1.Youtubeに「集団ストーカーの証拠」と題して、自宅に来た宅配業者や道路を走る業務車両、あと工事現場を撮影(盗撮)して「拡散希望!!」と題して毎日投稿してる統失患者。誰とは言わんが。
2.フェイスブックの「チェックインスポット」機能を悪用して、某施設(名は伏す)にチェックインスポットページを作ってしまい、そこにリストカットの画像とか陰謀論満載の恨みつらみを連続投稿する統失患者。業務妨害で訴えられないか?
3.「●●不動産は、中国に土地を売り渡している売国企業だ!」とYoutubeで熱弁するネトウヨ。多くのネトウヨがその動画に「いいね!」している。これこそ業務妨害以外の何物でもない。
4.「●●ビル喫煙所で、クラスターが発生した!」とデマを飛ばすツイッタラー。日の丸アカウント背負っているので、多分ネトウヨで、先述の「●●不動産は中国に不動産売り渡してる」を妄信しているのだろう。
メジャーな名字と見せかけて読み方だけ変わってるので日常生活が地味にめんどい。
例えば私の名字の字面が「増田」だとしたら大体の人は疑いなくマスダと読むと思うが
自分の名前の読みはゾウデン(仮)とかそういう感じなのである。
いやもうマジで何でこうなったん?
難しそうな字が書いてあれば前もって読みを調べておくと思うが(該当の氏名の方々、例に出してごめんなさい)
「増田」と書いてあって読みがマスダ以外の可能性を疑う人はそうそういない。
間違ってマスダさんって呼ばれた時に「あっゾウデンです」って訂正すると
まるで読み間違えられたはずのこっちが悪者かのような空気が流れる時がある。
どこへ行っても間違われるのでそのうち面倒くさくなって訂正するのもやめる。
そんな知り合い程度の人々は当たり前にマスダさんだと思って話しかけてくる。
何かの拍子に「本当はこの人ゾウデンさんだったらしい」と知るとすごい謝り倒してくれてまた変な空気が流れる。
というかコレ今さっき起こった。
ハァーめんどくさい。
私と同じ名字を付けて長年生きてきた父も「役職付きの気を遣われるオッサンになるまでは本当に面倒だった」と言っている。
メリットはインパクト強いから名乗れば初対面で覚えてもらうのが早い程度。
私もいっそ普通のマスダさんになりたい。
幸いにも下の名前は普通なのでそこは助かっている(お父さんありがとう)
ちょっと話がズレるけど
こういうの「自身が普通の名前だから我が子にはオンリーワンの名前を!」みたいな考えの人には
想像しにくい部分があると思うので一歩踏み止まってよく考えて欲しいと思う。
佐川急便が住宅の電力使用状況を利用して、住人の在宅率を予測することで
これを見て常識的な人間であれば、見ず知らずの宅配員に在宅状況を把握される不安を感じて当然だろう
宅配業者はその業務の性質から、配達先の経済状況や家族構成なども非常に推測がしやすい立場である
例えば独身の資産家女性が一人で暮らしており、平日昼間は仕事でいない。などということもわかってしまうだろう
一方で最近ではネット通販の発達により宅配便の運送員が不足していて、身元が怪しい人間でも積極的に雇い入れているガバガバセキュリティぶりである
悪意のある人間が忍び込んでこうしたデータを盗み出すことは非常に容易だ
これを業務改善だなどと得意げに広報できる佐川急便の頭の悪さに頭痛がしてくるが、
思えば失われた20年でジャップがやってきた業務改善なんていうものは、多くがこれと似たり寄ったりなのだ
別に再配達など減らさなくても良い。その分、従業員に再配達手当を多く出したり、基本給のベースアップで満足してもらうという方法もあるはずだ
その原資は配送料金の値上げで賄っても良かろう
なぜそれが選択肢にならないかと言えば、失われた20年により日本人全体の可処分所得が下がって貧乏になってるからだ。
ジャップランドでは、改善しろ。ただし金は出さない。この原則が徹底される事により、改善という名のあっちを立てればこっちが立たず現象が繰り返されているだけなのである。
テレコってのはこの件で初めて知った言葉だけど、品物を入れ違えて(発送)してしまうことで歌舞伎が語源なのらしい。物流業界や関西地方ではよく使われる言葉なのかな。
で、今回それをやらかしてしまったのだけどメルカリの対応とネットやり取りでも感じた人の優しさに感銘を受けたので記録がてら経緯を残す。
○発端
持て余している日用品があったので、数点を何の気なしにメルカリに出品してみたらすぐ全てに買い手がついた。
こんなにすぐに買ってもらえると思わずのんびり構えていたので、梱包資材を買いに走りなんとか全てを当日に発送。
○発覚
翌日購入者の一人から届いた旨の連絡がきたが、どうやら中身が違うとのこと。血の気が引く。
同じような大きさのものだったため全て同じ見た目の梱包にはなったが、間違えないようにちゃんと印をつけていたのに…なんてこと…。
入れ違っていると思われるもう一方の購入者にも受取報告をもらう前にこちらから連絡をとったところ、数時間後、別物の到着を確認した旨の返信がくる。
分かってはいたけどショック。仕事も手につかないほど動転する。
○対応1
先人の知識に助けを借りようとこのような場合のベスト対応について検索したところ、テレコという言葉を知る。
ひとまずお二方とも正しい品物との交換を希望されていることを確認したので最大限謝罪の言葉を伝えた上、着払いでの返品をお願いすると同時に何かアドバイスがもらえるかもと思いメルカリ事務局へ入れ違い発送をしてしまった旨の報告をしてみる。
○対応2
購入者のお二方とも大変親切にしてくださった。入れ違い発送をしてしまったことに対する狼狽や、買った品物の大きさや金額に対して着払い送料が大きいことなどを大変慮ってくださり、なんとか最小限の送料で済まないかと色々知恵を貸してくださった。
その頃メルカリ事務局からも問い合わせへ返答があり、このようなケースが起こった場合についての公式ガイドページの案内と、返品、再発送に係る送料はメルカリが補償しますのでご安心くださいとの心強いお返事だった。
そのため双方にも気にせず着払い発送してくださいと案内ができた。
というかガイドページがあったことに気づかなかった。灯台もと暗し。
○対応3
ここまでの時点で発覚から数日経過しており、普通の取引の倍以上の長文メッセージのやり取りが発生している。
ただ発送し直すだけでは申し訳ない気持ちが爆発しそうだったので、補填してもらえることも考え、同封しても送料が変わらない範囲でお詫びの品を調達する。
元は匿名配送でのやり取りだったが、返品のやり取りの際はこれは利用できないので取引メッセージ内でお互いの住所を公開しあうことになる。
勤めに出てる方、ご家庭がある方のようだったので余計な時間を使わせて申し訳なかった。
○対応4
ちょうど休みの日に返品を受け取れたので即発送手続き。今度も間違えてしまったらどうしようという謎の不安に襲われる。
土日もやっている郵便局へ出向き、補償を受ける際に必要とのことだったので窓口に預けたあとに領収書の写真を撮っておく(返品物を受け取った際も同様)。
○完結
翌日には各購入者の元に正しく届いたようでひとまず安堵。二件とも取引完了となる。
メルカリ事務局にも顛末の報告と送料の補償申請を送信。その日のうちに売上金に上乗せされていた。現金では戻らない。
○学び
以上が今回の対処の成り行きだけど、検索した感じ、同じようなことをしでかした人はちらほらいるらしい。
最初の連絡をもらった瞬間は思考停止すると同時に、せっかくすぐに届いたのに開けて別物が入ってることを確認した買ってくれた方の落胆を考えると本当に申し訳なくて、ボキャブラリーの限り何度も謝った。
自分が奔走すれば良いという話ではなく、登場人物が複数になるかつ迷惑をかけた相手の助けを借りないと解決しないという点が精神的にキツかった。
今回は両購入者とも誠実で素早く行動してくださる方だったから良かったけど、これがつけこむようなタイプだったり、怠惰な人だったりしたら更に日数がかかったり、もっと最悪な状況もあり得たはず。
やらかしてしまったこと自体に凹みっぱなしだったので、本来なら怒られて当然の不手際なのにお二方ともこちらの心配をしてくれるなど優しく対応してくれて、それが心底ありがたかった(その分申し訳なさも倍増するわけだが)。
びっくりしたのは今回はこちらの落ち度にも関わらずメルカリが着払い、再発送の送料を負担してくれたこと。
ただし追跡できる発送方法に限るが、合計四件の送料となるとそれなりになるので、最初の時点で報告してこの案内を聞いていて良かった。
ヤフオクやラクマでも同じような対応なのか?分からなかったけど、もしかしたら宅配業者のミスでないと断言できない事由に面倒くさがって放り出してしまう人も出てくる可能性を考えると、このサービスはよく考えられてるなと思った。出品手数料の意義がよく分かった。
ただ間違えられた購入者としては再発送に際して手間もかかるし住所を開示する必要もあるしでなんの落ち度もないのに割を食ってる感じがあるので、もう少しフォローがあっても良いかもと思った。そもそも間違えなければ済んだ話なんですが。
ということで以後気を付けつつメルカリライフに復帰しますので、はてなー諸兄におかれましてはご縁がありましたらよろしくお願いいたします。