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2024-05-18

[]外国人日本の高額医療を低額で受ける方法を塞いでくれ!

日本人税金保険料を頂く、頂き外国人をつくるな!生活保護(医療費無料)と国民健康保険日本人限定にしよう!外国人医療福祉ハックを防ごう!

高額のがん最新治療薬 実際に患者が払うのはいくら?

続々認可の特効薬

約3300万円のキムリア

約1000万円のオプジーボ

friday.kodansha.co.jp/article/49500

日本保険証が狙われる ~外国人急増の陰で~

外国人日本医療保険タダ乗りしている

https://twitter.com/Catsuzuchan_01/status/1747572319869182459

来日中国人が日本の医療制度に“タダ乗り”しようとしている!?

問題彼女が支払う費用だ。

医療費業者への費用滞在費をあわせて200万円ほどです」

 国が定めるハーボニーの薬価は5万5000円で投薬期間は12週間。完治までには薬代だけで最低465万円がかかる計算となる。

国民健康保険のおかげです。薬代は月に1万円までしか取られないですから」(同)

海を渡って日本に治療を受けに来る 「タダ乗り患者」が増殖中

留学ビザ」で国保に加入

最近日本語がまったく話せない70代の患者が、日本に住んでいるという息子と一緒に来院し、脳動脈瘤の手術をしました。

本来なら100万~200万円の治療費がかかりますが、健康保険証を持っていたので、高額療養費制度を使って自己負担は8万円ほど。

400万円の高度医療をたった8万円で! 悪質な外国人に食い物にされる日本の医療保険制度

今年(2018年1月、60代の中国人女性来日、約200万円かかる大腸がん治療を本人負担約2万円で受けた。

中国で話題「日本で会社作れば、医療タダ乗り」、保険診療天国ニッポンの落とし穴

経営管理ビザを取得すれば、日本医療が受け放題?

中国人の間で注目されている経営管理ビザとはどんなビザなのだろうか。

 これは、外国人日本事業を起こし、経営管理従事する場合に発給される在留資格で、簡単に言えば「500万円を投資して事務所を設ければ日本社長になれる」といわれているビザ

意図がある申請者は、『病気の時だけ日本に来ることもできるのではないか』と悪知恵を働かせる可能性があります。また、当人役員報酬により保険料が決まるため、納付する保険料を月額数千円程度と最低限の金額にすることも不可能ではありません

中国人の医療ツーリズム「健康保険制度で日本の病院を利用」がトレンドに?中国SNSやブログに解説記事も

経営ビザを取得する」

留学生として入国する」といった方法

日本医療機関を利用する中国人存在がさまざまな媒体報道されてきましたが、

今回新たにネットで紹介されているのが

家族扶養に入る」形式です。

【外国人に狙われる日本の皆保険制度】

留学ビザは年齢問わずに出ます

日本語学校も出ます

70歳の透析患者

80歳のガン患者

難病患者

なんだろうが、出てしましいます

年齢制限がないのです。

健康保険証を手に入れたらあとは使い放題です。

人工透析:年間500万

ガンの高度治療:オプシーボ1450万

白血病遺伝子治療:キムリアは1回3349万

支払いですが、どれだけ高価な治療をしても支払いには上限があります

保険料:5000円

自己負担額:35,400円(住民税課税世帯

留学ビザ就労不可ですから、当然に住民税課税世帯になりますので、この値段になります

また、75歳以上の後期高齢者場合は、さらに安くなる可能性があります

治療がおわったら国に帰りましょう。

もしくはそもそも語学学校にも真面目に通う必要はありませんので、住民票をいれて保険証をゲットした時点で、日本に律儀に滞在する必要はありません。

一旦帰国し、治療の際にだけ日本に赴くのでも問題ないです。



自由移民福祉国家と両立しない」フリードマン

www.wsj.com/articles/SB10001424127887323728204578513151809466978

www.heritage.org/immigration/commentary/look-milton-open-borders-and-the-welfare-state

オーストラリア、皆保険オーストラリア人と永住者のみ、留学ビザ給前健康診断で慢性疾患を把握して、慢性疾患は留学保険対象外にする仕組みを構築(一方、日本の仕組みはゴミ)

留学生の高額治療と感染症の対策を急げ 日本に来て割安な価格で治療を受けられる「抜け穴」

オーストラリアでは留学ビザ希望者に対して、政府指定した医療機関での健康診断義務付けている。

検査結果は、クラウド上に置かれ、オーストラリア担当医師もチェックするという体制になっている。

そのうえで、留学生には「留学保険」への加入が義務付けられている。

この保険は急な体調不良等の医療カバーするが、

美容治療出産、そして出国から把握されている高額な医療費のかかる慢性疾患(がんやHIV感染症)等については適用されない。

慢性の病気を患った人であっても留学可能であるが、治療薬は母国から持参する仕組みになっている。

オーストラリアの医療費・医療制度を保険のプロが徹底解説

救急車の料金 公営:35,800円+走行加算150円/Km

国民健康保険メディケア」の加入対象者

オーストラリア市民権保有している方

オーストラリア永住権保持者

保険料課税所得の2%



イギリス

留学ビザ悪用もめちゃくちゃ多いから、

とうとう学部修士留学生は

家族連れてくるの禁止になった。

イギリス修士が1年間だから

家族連れてきて出産したり病気治療するから

x.com/May_Roma/status/1662380238288855040

富山脱出した

長いです。 

コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。

スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。

以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。

是非誰か、これは違うと私の富山嫌いを払拭してほしい。

閉鎖的で噂好き 

私のような県外出身独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。

全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。

〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。

〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。

そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである

基本的自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。

男尊女卑

本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代共働きで支え合っているという話もきく。

ただつい最近まで、中小企業では女の給料フルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔からいからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。

さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園学童保育は充実しており、子育てやす地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。

男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。

これだけやるべきことを女に押し付け自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。

天気が悪い

本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。

自虐的積極性がない

富山の人はすごく自虐的積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?

石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。

それ以外の県はよそもので嫌い。

コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?

米や魚が美味く富山特有産業もあるのだから、比べずに自分自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。

間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから経済的発展ができなく田舎化するのではないか

富山の良さ

よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。

そのため、一人暮らし物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。

また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。

この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラかいものそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。

地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。

非難する権利はよそものにはないので、棲み分け必要なのだとわかった。

最後ひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快

   

富山脱出した

長いです。 

コロナ禍初期で、業績悪化や県をまたぐ移動の制限により内定取り消しあおりを食らったのだが、受け入れてくれる会社富山にあった。友達には閉鎖的だと心配されたが、そうも言っていられないし、今は令和だし同じ日本だし、大したことはなかろうと思っていた。

スキルを積ませてもらったことは感謝すべきだが、私は二度と富山に住みたくないし観光で行くこともない。友達が住むと言ったら止める。

以下の理由は、あくまで私が関わった地域のみであると思いたいが、外から来た人は本当に馴染みにくく噂されること前提なのを事前に知っていたら来なかったのに。

是非誰か、これは違うと私の富山嫌いを払拭してほしい。

閉鎖的で噂好き 

私のような県外出身独身女は本当に珍しい。とにかくジロジロ見られるし、日中歩いていたらバイクでつけられたことが何度かある。そして噂好きで詮索好き。どこで生まれたのか何歳なのかどこに住んでいるのかどこの高校を出たのか結婚しているのか子供は何人か何歳かどこの学校に通っているのか親はどういう人か同居かどうか。

全く関わりのない人があれこれ聞きまわりつつも私本人には聞かないのもどうかと思うし、聞いた話を広めるのもどうかと思うし、そういう人ばかりなのもどうかと思う。こんな文化だと思わなかったため、話したらまあ広まる。

〜さんって〜なんやってー。えーそうなん?こんな田舎来るぐらいだからよっぽどおかしい人なんやねー。

〜らしいよ。えー休みの日とかずっと家におるんやろうね〜怖いねー。

そしてその尾ひれのつきまくった噂が〜さんって〜なんやろ?と帰ってくるというオチである

基本的自分と違う価値観で生きていることは間違っている、だから噂するし、目障りならいじめて追い出す。それが当たり前の環境であった。

男尊女卑

本当に地域によると思いたいし、30代以下の世代共働きで支え合っているという話もきく。

ただつい最近まで、中小企業では女の給料フルタイムでも男より低く、手取り10万を割っていた会社もあったらしい。共働きが昔からいからこそなのだと思う。男は家計を支えるために稼ぐ、女は家計を助けるため家事育児の片手間に働く程度だから、それほど払わなくてもいい。

さすがに最近は減っていると思いたいが、今でも家事育児は女がやる。働きながらだから保育園学童保育は充実しており、子育てやす地域だと謳われている。昔は仕事をして家事をするために一旦抜け、また仕事に戻って残業、帰って残りの家事をやり、ということもあったらしい。

男は、うん。畑持ってればその世話はしているんじゃないでしょうか。さすがに。

これだけやるべきことを女に押し付け自由にしていれば、男の幸福度(県の幸福度)も上がると思う。

天気が悪い

本当に最悪。これだけでも脱出できて嬉しい。とにかく曇りが多く、その雲が分厚すぎて空が低く、光が届かない。冬は大雪だし夏は灼熱。雪国なのに公的除雪が入らないところもある。夏はフェーン現象により、9月まで蒸す暑さが続く。富山立山連峰が自慢らしくよく宣伝しているが、あの晴れた景色を撮るには大分スケジュール調整を要すると思う。

自虐的積極性がない

富山の人はすごく自虐的積極性がないと感じる。一部の話なんだろうか?

石川は格上、福井は格下、新潟は仲間じゃない。新潟北陸に含めたり含めなかったりする説があるらしい。

それ以外の県はよそもので嫌い。

コンプレックスが強く、なにもない田舎だと卑下する。別に上だか下だかどうでも良いが、卑屈も身内ネタの一つなのだろうか?

米や魚が美味く富山特有産業もあるのだから、比べずに自分自分だと思えば良い。また、不満があるなら相談するなり、調べて折り合いをつけるなりすれば良いし、知らない人に興味があるなら、噂を聞こうとせず本人に聞けば良い。こうなんだろう、こうらしい、と話しやすい人と憶測で話すのは楽しいようだが不毛だし、反感を買う。

間違っている、こうすればよいのではと指摘する人を排除するから経済的発展ができなく田舎化するのではないか

富山の良さ

よく富山の良さとしてあげられるが、持ち家率は日本一だったと思う。土地を持っている人が多いらしい。結婚したら親の近くに家を建てるのが当たり前のため、TVをつけると「お家を建てるなら〜」のCMがとても多い。近くの親が親か義親かはさておき。

そのため、一人暮らし物件を探そうとすると選択肢が少ない。が、首都圏などに比べたら圧倒的に安いのは事実であり、場所を選ばなければ5万以下で、人目を気にしなければ一人暮らしはできる。

また、世帯年収も高いらしい。3世代同居だと自動的に稼いでいる人数が増えるのだから、平均が上がるのは当たり前だと思う。貯蓄額が多いのもそれはそう。お金を使わない妻が理想的な妻なので。

この数年は、人の目を気にし陰口を恐れ、非の打ち所がない人間として振る舞うことに力を尽くしすぎた。関わってわかったのだが、彼らに明確な悪意はない。ただ自分と違うことはおかしくて、モラルとかコンプラかいものそもそも学ぶ機会が少ないのだろう。

地元のひとなら、そういう面もあるからと流せるかもしれないが、外から来た人間はどうしてその土地を愛せるだろう。

非難する権利はよそものにはないので、棲み分け必要なのだとわかった。

最後ひとつだけ。電車で向かい合わせの座席に足のせるのやめろ。靴を脱げばいいという問題ではない。見るのも、座るのも不愉快

   

メモ

品川くらいの町商業ビル入り口が2階にあり、車も2階から中に入る)で、なんか涼しい掛け布団を買う

お気に入りなので学校会社?に布団を持っていって見せると、知り合いがちょっとバカにしてくる

必死に布団を擁護しているところで目が覚める

2024-05-17

偏差値40Fランから大手に逆転内定したけど

偏差値40の私文から業界大手 就活からの人気ランキング10位に入ったり入らなかったりする企業にいわゆる逆転内定した

なぜ逆転内定たか書くけど、たぶんあんまり参考にならないと思う 再現性はあるけどタイコスパ最悪

自分スペック 偏差値40文学部ギリFラン 女 身だしなみに気を使うが可愛くはない 157センチ58キロなので痩せてもいない オタク  部活漫研

同期はどいつもこいつもいわゆる陽キャ 早慶上智みたいな私大トップばっかり 体感8割は運動部(全員の前で自己紹介する機会があって運動部ばっかだった)

そんな自分がなぜ内定できたかというと、大学時代交換留学に行ったか

一応コロナ禍の留学からその点をゴリ押しした。 それでも他の企業かなり落とされたけど(ES比較的通る)

自分の中で、なぜ内定が取れたのかと考えた時、留学したことが一番の理由だとは思う。 でも就活だけを考えた時コスパタイパも悪すぎる。

留学たからって就活無双できるわけじゃなかった。

それでも留学に行ったおかげでESガクチカで何か話すことに困ったことはなかった。

他にも文化系サークル部長やってたけど留学のほうが圧倒的にウケが良い

 何も考えなくてもとりあえず半年いけば必ず何らかしらの苦労はするので、手段は選ばない、ガクチカで話すことが欲しい人にはおすすめかもしれない。

余談だが、交換留学を考えた時Fラン進学のメリット存在する。

選考競争が激しくない

上昇志向の人があんまりいないので、留学に行きたい人が少なくて応募すればいける確率が高い。他の有名大学だと競争が激しいけど、自分のとこは三人の枠に一人もいないとかザラだった

語学などの条件が緩い

トイック何点からとかの縛りがない。 マイナー言語になるとほぼ無条件 一言も喋れなくても可だった

デメリット

・いける学校選択肢が少ない。

名門の交換先は名門だけど、Fランだと現地のよくわからない僻地大学にとばされたりする。

ただ交換留学学費日本学費料でいいし、公式大学から留学からまあまあ手厚いサポートが受けられる。

円安だけどアジア交換留学先行けばまだ出費は抑えられる。

体感だけど留学解像度が高い企業では語学留学交換留学か聞いてくるところもあった(交換留学の方が評価高い)

さっきコスパタイパ最悪言ったけど、手段は選ばない人はおすすめ

わたし一浪して全落しかけてなんとか今の大学に拾ってもらって、大学時代は失敗を取り戻そうとして奮起した。

就活では何とか逆転したかたか留学に行けてよかったと思ってる

あと女子就活だけ考えるなら女子大がおすすめ 終活関連のサポートがかなり手厚いし、偏差値の割には名前の通っている大学が多い。 (東京限定かもしれないが)


なんかFラン留学するメリットを多く語ってしまったが、結局大手内定欲しいなら大学で無理やり運動系サークルに入るのがコスパ良いと思う。それでES適当に盛って、面接練習してそのいっときだけでもアクティブ明るい人間だと人事に思わせる。

そして3年生から就活を順当に努力してたらどっかの大手には内定出る


最後背伸びして逆転内定したけど同期とは気が合わなくて、誰とも連絡先を交換しない研修という名の地獄を過ごしたので就活生は内定先はきちんと考えた方が良いよ

















 

偏差値40Fランから大手に逆転内定したけど

偏差値40の私文から業界大手 就活からの人気ランキング10位に入ったり入らなかったりする企業にいわゆる逆転内定した

なぜ逆転内定たか書くけど、たぶんあんまり参考にならないと思う 再現性はあるけどタイコスパ最悪

自分スペック 偏差値40文学部ギリFラン 女 身だしなみに気を使うが可愛くはない 157センチ58キロなので痩せてもいない オタク  部活漫研

同期はどいつもこいつもいわゆる陽キャ 早慶上智みたいな私大トップばっかり 体感8割は運動部(全員の前で自己紹介する機会があって運動部ばっかだった)

そんな自分がなぜ内定できたかというと、大学時代交換留学に行ったか

一応コロナ禍の留学からその点をゴリ押しした。 それでも他の企業かなり落とされたけど(ES比較的通る)

自分の中で、なぜ内定が取れたのかと考えた時、留学したことが一番の理由だとは思う。 でも就活だけを考えた時コスパタイパも悪すぎる。

留学たからって就活無双できるわけじゃなかった。

それでも留学に行ったおかげでESガクチカで何か話すことに困ったことはなかった。

他にも文化系サークル部長やってたけど留学のほうが圧倒的にウケが良い

 何も考えなくてもとりあえず半年いけば必ず何らかしらの苦労はするので、手段は選ばない、ガクチカで話すことが欲しい人にはおすすめかもしれない。

余談だが、交換留学を考えた時Fラン進学のメリット存在する。

選考競争が激しくない

上昇志向の人があんまりいないので、留学に行きたい人が少なくて応募すればいける確率が高い。他の有名大学だと競争が激しいけど、自分のとこは三人の枠に一人もいないとかザラだった

語学などの条件が緩い

トイック何点からとかの縛りがない。 マイナー言語になるとほぼ無条件 一言も喋れなくても可だった

デメリット

・いける学校選択肢が少ない。

名門の交換先は名門だけど、Fランだと現地のよくわからない僻地大学にとばされたりする。

ただ交換留学学費日本学費料でいいし、公式大学から留学からまあまあ手厚いサポートが受けられる。

円安だけどアジア交換留学先行けばまだ出費は抑えられる。

体感だけど留学解像度が高い企業では語学留学交換留学か聞いてくるところもあった(交換留学の方が評価高い)

さっきコスパタイパ最悪言ったけど、手段は選ばない人はおすすめ

わたし一浪して全落しかけてなんとか今の大学に拾ってもらって、大学時代は失敗を取り戻そうとして奮起した。

就活では何とか逆転したかたか留学に行けてよかったと思ってる

あと女子就活だけ考えるなら女子大がおすすめ 終活関連のサポートがかなり手厚いし、偏差値の割には名前の通っている大学が多い。 (東京限定かもしれないが)


なんかFラン留学するメリットを多く語ってしまったが、結局大手内定欲しいなら大学で無理やり運動系サークルに入るのがコスパ良いと思う。それでES適当に盛って、面接練習してそのいっときだけでもアクティブ明るい人間だと人事に思わせる。

そして3年生から就活を順当に努力してたらどっかの大手には内定出る


最後背伸びして逆転内定したけど同期とは気が合わなくて、誰とも連絡先を交換しない研修という名の地獄を過ごしたので就活生は内定先はきちんと考えた方が良いよ

















 

小学生の時、夏に暑くて「先生暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室ダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった

それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。

トイレタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。

中高は私立に進学したので綺麗だった。

国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備トイレ水道大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉脳裏によぎった。

世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかそもそもそういうガチャ要素が国や自治体施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。

子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。

善意好意

僕は南の島で生まれた。僕がまだ母のお腹にいた時に、父が軽はずみな悪戯をした。母は気を失い、倒れた。それは僕の運命を狂わせ、家族運命も変える重大な結果をもたらした。僕は脚に障害を持って生まれ、その障害を治せる医療機関は島にも近隣にもなく、関東関西の子供専門病院での長期にわたる入院治療必要とされた。両親は治療費と移住費を捻出するため、先祖伝来の家屋土地田畑ほとんどすべて売り払い、僕が2歳の冬、家族揃って島を出て、関西のある県に移住した。僕はその県の県庁所在地ある子供専門病院入院することになった。


僕が入院した日、窓の外の山々が人生で初めて見る雪で真っ白になっていたことを今でも鮮明に覚えている。両親は家に帰りたいと泣く僕を残して帰っていった。僕はそれから4歳になるまで約2年間入院し、5回の手術を受けた。僕の脚は完治はしなかったけれど、障害者と判定されないくらいまでには改善した。島を出た時は、僕はまともに立つことすらできなかった。退院した時は自分の足で歩いて病院を出た。担当先生看護師さんたちが涙を流して見送ってくれたことを覚えている。


入院により僕の障害改善したが、同時に子どもの成長に必要とされる多くの大切なものを得られなかった。両親から愛情家族他人との人間関係を築くための社会性を身につける機会、病院食ばかりで食べ物好き嫌いを克服する機会、成長に必要な体力と運動能力を得る機会などだ。このため、僕の後の人生で苦しむことになる。前回の日記では、特定の幾つかの出来事だけを挙げ、それが対人恐怖症や人間不信に繋がったように書いたが、実際にはそうではない。


退院したばかりの頃の僕は、体力がないため、同世代男の子たちとは遊べず、妹の後ばかりをついて回った。そして彼女彼女友達と一緒に遊んだ。それは主に、体力を必要としないままごと人形遊びだった。ある時、駄菓子屋さんで妹たちが紙製の着せ替え人形を買った。僕も買おうとしたら店の人に「あなた男の子でしょ!」と叱られた。よく女の子みたいだと言われた。そして、それからもずっとそう言われ続けることになる。


5歳の春、僕は幼稚園に入った。入園日の翌日から、午前中は親から離れて園で過ごす日々が始まったが、その初日で躓いた。僕は園に着いて僕を置いて帰る母を見てパニックになり、大号泣した。僕は病院で育った影響か、感情表現が下手で滅多に感情を表に表さないが、入院した日のようにまた家族と引き離されると思い、その時は全力で抵抗した。それは単に僕の勘違いだったけれど。入園日や卒園日のことは一切覚えていないが、この大泣きした時のことだけは記憶に残っている。

その後、僕は順調に幼稚園に通うことになる、はずだった。


近所に山川君という同級生男の子がいた。同じ幼稚園に通い、小中学校も同じだった。幼稚園に入った4月の末、彼は、突然、僕の首を締めた。息ができなくなり、眼の前が真っ暗になり、意識がどんどん遠のいていった。僕が意識を失う寸前に彼は手を放した。その後、僕の登園手帳5月6月カレンダーは、登園をしたこと示す判子が押されず殆どが空欄になっている。僕は首を締められたことにより、様々な感染症にかかり、ずっと寝込むことになった。

その出来事があってからは僕の母は彼を見ると、手を上げて打(ぶ)つ真似をして、「あんたのせいで」と怒った。その度に彼は彼の母の後に逃げ込んだ。母は彼のことをずっと後まで憎んでいたが、僕は彼のことをそんなに憎んではいなかった。小中学校で、彼は僕がいじめられているのを知ると、時には相手鉄拳制裁を加え、僕を二度といじめるなと言ってくれた。その方法善悪は別として、実際にそれは効果があったし、僕はそれに感謝している。

自身は、なぜ僕の首を締めたのか、それがどんな結果をもたらすのか分かっていなかったと思う。僕は、後に、同級生から他の人の見ていない所でよく抓(つね)られたりしたが、彼は同じような軽い気持ちだったのかもしれない。10代後半の彼が自ら語ったところでは、彼は先天的(おそらく遺伝性の)精神疾患を患い、その治療を受けていた。先天的という意味では僕と彼は同じ境遇で、それは僕ら自身の力ではどうしようもないことだった。僕の物理的に変形した脚では、いくら頑張っても障害のない人のように歩いたり走ったりすることはできない。物理法則を、意思の力や努力で変えることは不可能だ。脳も物理法則支配されているのだから精神疾患だって本人の意思の力や努力だけではどうしようもない。


結局、僕は幼稚園を1ヶ月半以上も休むことになり、十分な体力も付けられずに小学校に上がった。入学式初日に、隣りに座った立花君に抓られた。その後に何度も経験することになる、隠れた場所でのイジメだった。僕は他の誰も見ていない2人だけの場所で、抓られたり蹴られたり嫌味を言われたりよくした。また、3年生の時に、近所の年上の男の子プロレスごっこをしていて、抱きつかれたこともある。抱きつかれたというより抱きしめられたような感じで、その後、凄く気まずくなった。だから、僕はできるだけ他人と二人きりにならないように気をつけた。後から考えると、これは僕が適切な人間関係を築いていく上での弊害になったと思う。

ちなみに、僕を最初に抓った立花君は高校まで同じだったが、後には友だちになった。当時、僕の住んでいたのは某ラノベ舞台と言われる市で、公立高校入試にいわゆる学区割というシステムを導入しており、成績上位者の一部を除いて、住んでいる学区で通う高校指定された。だから小学校から高校まで、多くの同級生たちと同じ学校に通った。小中のしがらみを抱えたまま高校まで進学するのは、ある意味きつかった。


小1の時は、いろんな子にいじめられた。抓ってくる子が多かった。クラス学力1、2位を争っていた男子女子によく悪口を言われた。彼らは進学塾に通っていたけれど、塾にも通わないのに教科書をスラスラ読める僕に嫉妬したのだと思う。僕は、入院中の毎晩の看護師さんたちによる絵本読み聞かせで、3歳になる頃には平仮名を全て覚え、絵本も一人で読めるようになっていた。僕のテキストは「くまのプーさん」だった。だから今でもくまのプーさんを見ると、特別感情を抱く。入院で失ったものも多かったが、得たものも大きかった。

いつからかは覚えていないが、僕がイジメられるのを見かねた新池さんという女子が僕を守ってくれるようになった。彼女は本当に心が真っすぐな子だった。彼女は僕より背が低くかったが、人一倍勝ち気で男子相手喧嘩でも一歩も引かなかった。だから彼女は学年中の男子から、新池ゴリラと呼ばれていた。新池さんは授業が終わり、帰宅する時もずっと僕の側にいてくれた。

新池さんとは中学まで一緒だったが、同じクラスになったのは小1の時だけだった。彼女彼女の妹の面倒をよくみていた。彼女はいつも妹と一緒にいた印象がある。彼女は僕のことも彼女の妹と同じように庇護すべき対象と思ったのかもしれない。彼女は僕にとっては同級生というより、姉のような存在だった。

僕は前の日記で新池さんをゴリラ女子と書いてしまったが、それは仮名かめい)を使わなかったから読み易いようにそうしただけで、僕が実際に彼女ゴリラと呼んだことは一度もない。そんなことしたら罰が当たる。彼女は僕の守護神だった。彼女は本当にかわいい子だった。だけど、僕には彼女を慕う気持ちはあったが、恋愛感情は一切なかった。そこははっきりさせておきたい。


小2になると別の守護神が現れた。担任田口先生だった。田口先生女性で優しかったが、弱い者イジメ絶対に許さなかった。先生最初の授業で、僕には障害があるからクラスみんなで守ってあげて下さいと言ってくれた。僕はクラスで一番最後逆上がりができるようになったが、先生がそれを母に報告すると母は泣いたらしい。先生はその話をクラス全員の前で話し、みんなも一緒に喜んで欲しいと言った。当時は、逆上がりくらいでと僕は恥ずかしかったが、今思うと本当にいい先生だったと心から感謝している。

そんな先生の下でもイジメをする子はいた。僕は病院食を食べて育ったため、好き嫌いが多く、食べられない給食が多かった。ある日、給食チキンクリームスープが出た。僕は鶏肉が食べられなかった。無理して食べ、最後は戻してしまった。それを見たクラス安田君という男子が「汚ねっ!」と言って、嘔吐物に唾を吐いた。別の誰かに呼ばれて駆けつけた担任田口先生がそれを見ていた。先生クラス全員が縮み上がるほどの鬼の形相で、烈火のごとく怒った。安田君はわんわん泣きながら、僕と一緒に嘔吐物の片付けをさせられた。僕はそれ以来、毎朝給食メニューをチェックし、ビニール袋を給食袋に忍ばせ、食べられない給食をこっそり持ち帰るようにした。まだ給食は残さず食べるというのが当たり前の時代で、おそらく田口先生は僕の行動に気付いていたと思うが、何も言われなかった。同級生の中には、精神的な理由から肉類を食べられないことを公言し、それを許容されていた子もいた。本来は、学校に僕が好き嫌いが多い理由をきちんと説明しておけばよかったのかもしれないが、僕は親にそういうことを相談できなかった。僕は、いじめのことも親に相談できなかった。


小2の2学期に徳田君という転校生が来た。ある日、体育の時間が終わった後、彼は僕を抓った。それをクラスの別の子が見ていた。僕はジャングルジムの上に避難させられ、徳田君はみんなに引きづられてギャンギャン泣きながら田口先生のところへ連行された。徳田君は転校してきたばかりで田口先生方針を知らなかった。彼は僕をいじめたことで、クラスの大半を的に回してしまった。

徳田君は相当に困ったようで、苦肉の策だったのか僕に接近してきた。自分の家に遊びに来いとしつこく僕を誘った。僕は彼が怖かったから何かと理由をつけて断った。彼の最後の手は「うちにはお金が倍になるゲームがある」だった。家が貧乏だった僕は、その言葉簡単に転んだ。彼の家は僕の家から100メートルも離れていなかった。当時、僕たち家族は、両親が市役所転入届けを出しに行った際、役所の人が「市内一の貧乏アパートから早めに出た方がいい」と助言したくらいの貧乏長屋に住んでいた。2階建てで庭に木まで植えてある彼の家は、実際はそう大きくはなかったが、僕には豪邸に思えた。彼の家の中に入れてもらうと、転校して初めて来た友達からだと思うが、彼の母と祖父母が僕を歓待してくれた。そして、いろんなゲームを二人でした。当然のことだが、最後までお金が倍になるゲームなど出て来なかった。彼が家の外まで一緒に出て見送りしてくれた時に、僕は思い切ってそのゲームのことを聞いてみた。彼は「そんなのあるわけ無いじゃん」とけろっとした顔でいった。そんなにも平然と嘘を付く人がいるという現実に僕は戸惑った。そんな僕に、彼は全く屈託のない笑顔で、「また、必ず遊びに来てね」と言い、手を振った。その後、彼には多くの友だちができ、彼が僕を家に招待することは二度と無かった。それどころか、僕のことなど一切相手にもしなくなった。僕がその後の人生で、悪徳商法詐欺などの被害にあわないで済んだのは、間違いなくこの時の教訓があったからだと思う。それは人を簡単に信用してはいけないという僕の人間不信を強固にする出来事でもあったと思う。

徳田君の名誉のために補足すると、彼は詐欺師などにはならず真っ当な人生を歩み、今では小さいながら自らの事業を立ち上げ、一人で切り盛りしている。彼とは社会人になってから何度か会っているが、苦労が顔に滲み出ていて、気配りのできる本当にいい大人になっている。


小3から中3の話は別の日記や別の媒体でも書いているので省略する。


僕は脚の障害のため、短距離走は誰よりも遅かったが、心肺能力人一倍優れていたと思う。僕の体は、例えるなら、パンクしたタイヤを装着した高性能エンジン車のようなものだった。脚の悪さを心肺機能で補うことで、持久走はかなり速く走れた。学校マラソン大会中学で200人中5位、高校では700人中10位だった。これは自慢しているのではない。僕は高校では陸上部所属し、中長距離走選手として成果を出したかったが、競技者レベルには全く達していなかったというのが現実だ。そのため、僕は高2になるまで試合には一度も出して貰えなかった。

高2で初めて800メートル走に出場した時のことは鮮明に記憶している。それは県の全高校陸上選手が集う競技会だった。観客席には選手監督コーチマネージャーなど数千人がいた。

スタートピストルの音とともに出場者全員が出走すると、会場全体がざわつき、どっと笑いに包まれた。僕の走り方がとてもヘンテコリンだったからだ。それまでにも走り方を笑われることはよくあったが、数千人いる会場であんなに大勢に笑われるとは思いもしなかった。走り方一つで何千人もの人たちを笑わせられるなんて、僕はお笑い芸人より凄いかもしれない。

僕の高校陸上部員の僕に対する声援は会場全体を包む笑い声にかき消されてしまった。どんなに笑われても、監督が苦労して僕を試合に出させてくれた以上、途中で棄権することは絶対にできないので、僕は死にものぐるいで走った。僕が最後尾で第4コーナーを回り、正面スタンド前に来た時に、その奇跡のような出来事は起きた。もの凄い声援が湧き起こった。走りながら、僕がスタンドの方へ目をやると、よく合同練習していた隣の高校陸上部キャプテンが身を乗り出し、両手を口に当て「〇〇、ファイトー!」と僕の名を絶叫し、それに続いて他の部員たち全員が大声で声援してくれた。走りながら僕は体中に鳥肌が立った。その声援は僕の高校部員たちの声援を遥かに上回っていた。そして、その声援は会場全体に響きわたった。一瞬にして会場が静まっり返った。水を打ったようというのはああいう状況を言うのだと思う。たった30人ほどの人たちの声援が、何千人もの人たちの笑い声とざわめきを一瞬にして吹き飛ばししまった。気まずい空気が会場全体を覆った。急に静かになった競技場の残り400メートルを僕は力の限り走った。

結局、成績は最下位だったけれど、あん奇跡のような体験をできただけでも、僕は競技会に出場した甲斐があったと思う。隣の高校陸上部キャプテン水野君、そして、彼に続いてくれた部員たちには、今でも本当に感謝している。当然、僕の高校の部の人たちにも。


大学時代のことは別の媒体でも書いているので省略する。

社会一年目に関することは別の日記に書いたので省略する。


社会人2年目の4月本社異動になった僕は、地元に戻ってきた。地元には戻ったが実家には戻らず、会社の寮に入った。ゴールデンウィーク実家に戻ると、高校時代に同じ陸上部にいた津木と岡崎から飲みに誘われた。焼き肉屋で空腹を満たした後、津木がおもしろ場所に連れて行ってやると言った。

それは岡崎の家の近くの小さなスナックだった。津木がドアを開けると、2人の女性が明るく迎えてくれた。僕は本当に驚いた。そこにいたのは小1の頃、僕のことをずっと守ってくれた新池さんだった。彼女は小1の頃と全く変わらない笑顔で、僕たちを迎えてくれた。僕がいることに気づき彼女も驚いていた。新池さんは全然変わっていなかった。彼女の隣にいたのは彼女の母だった。彼女の妹も一緒に働いている三人の店だということだった。もう彼女と何を話たのかは忘れてしまったけれど、津木ばかりが話していて、僕はあまり彼女と話せなかったように思う。僕は、小1の時の感謝彼女に伝えたかったが、うまくタイミングが掴めず、結局は伝えられなかった。地元からいつでもまた会えるという思いもあった。

しかし翌年、僕は今の妻となる人出会い、翌々年に結婚し、地方へ転勤となってしまった。4年後、僕が転職して地元に戻って来た時には、もうその店は無くなり、彼女行方もわからなくなってしまっていた。彼女は小1の同じクラス同級生で僕がフルネーム漢字でも書ける唯一の人だが、SNS友達繋がりでも彼女名前は見当たらない。その後、僕はまた別の会社転職し、関東へ住居を移した。あの社会人2年目以降、僕は彼女とは一度も会えていない。感謝気持ちは伝えられる時にきちんと伝えるべきだったと、本当に後悔している。



補足

  • 僕は書くことを、つい1ヶ月くらい前から始めた。書くことはリハビリという人がいるが、それを実感している。
  • 書くことで不幸自慢したいのでない。そういうことは思い出すだけでも辛くなるし、腹も立つし、ネガティブ気持ちになる。
  • そうではなく、僕の周りにたくさんの敵意や悪意があったけれど、それを上回る善意好意に僕は救われてきたということを伝えたい。
  • 書くことで、僕は自身ネガティブで屈折した思考を整理し、僕を助けてくれたり応援してくれた人たちを思い出し、それと同時にそういう人たちへの感謝気持ち再確認できた。妻への感謝気持ちもそうだ。
  • 文章を公開するのは、そういう人たちが大勢いたことを、多くの人に知って貰いたいからだ。



ライオスはファリンを置いて村を飛び出したし、ファリンはマルシルを置いて魔法学校を飛び出した。

あの兄妹は、自分が長く続けていた生活をある日突然捨てるようことがためわらずにできるタイプらしい。

そしてその気性はファリンのほうが強いようにも見える

ファリンはラオイスに置いて行かれたことをさほど苦にも思ってなかった様子もないし、自分自身もマルシルを置いて突然魔法学校中退することも平気でやったから。

結局二人とももともと、一人で勝手にどこかに行って、そこで適当暮らして、そしてまた勝手に飛び出すような生き方をするタイプ人間なのだろう。

それが変わったのは島でマルシルも加わって三人で過ごすようになってから

そこでライオスは、自分が妹を放っていたことを悔いるようになり、ファリンは二人の安寧が最優先になり、価値観が急速に変わっていった。

セブンイレブンの「ゼロサイダートリプル」は甘くておいしいけどカロリーカフェインゼロなので寝る前の風呂上がりに遠慮なく飲めるのがいい。

カロリーカフェインも両方ともゼロ炭酸ドリンクは本当に少ない。

自分に正直な人が羨ましい


ちょっと前のことだけど、夜8時前に近所の道路自転車で走っていた。和歌山県某所で、当方会社帰り社会人であるスーパーに寄って帰ろうと思っていた。

其処は車1.5台分程度の細い道路だった。一応はアスファルト。それで、自分の前には1台の自転車の姿があった。スイスイと走っている。

でも、「なんかおかしいな」と思っていた。距離が近づくとわかった。その自転車乗りは無灯火運転だった。

そしたら、正面の方から3台くらいかな、家族連れの人がチャリを漕いでいた。親御さんと、子どもが2人いた。

それで、そのうちの1人、お父さんかな。いきなりだった。

ちょっと待て、ライトライト!!」

って言うと、自分の前を走っている無灯火の人を止めた。

ライト点けないとだめでしょ」

とお父さん?は言ったのだ。

自分も、狭い道路だったので、なし崩し的に止まることになった。

そしたら、その無灯火の人がさ、

「あ? なんでテメエ、コラ」

と、その無灯火の人は言った。ルックスを見た感じは……夜目だったけど、自分と同じ30くらいだった。

グリーン作業着だった。傍目で見ると柔道着みたいな感じがした。背丈は普通くらいかな。

そこからのやり取りは、当方人生で見たことがない感じだった。

なんや、兄さん。その口の利き方は。常識がないんか」

「それ、お前の常識やんけ」

社会常識やろ!」

「お前が思っとるだけや。はよどけ」

「無灯火! ケガしたらどうするんや」

「ワシの自己責任よ。じゃあ行くわ。スーパーが閉まるけ」

「待て、こら、おい」

「あ!!!!??」

ここで、彼が自転車を降りた。

おっさん自転車まで歩いていくと、それを蹴飛ばしたのだ。

「お前、俺が今、どういう気持ちかわかっとんか!」

「……」

「何をさっきからグチグチ言うとんじゃ。ワシはのう、お前に手を出すんを、精いっぱい我慢しとるんやぞ!!」

警察警察、呼ぶぞ」

「呼べっ!!」

自分は退散しようと思った。

それで、自転車に乗って、彼らを追い越してスーパーマーケットに向かった。

買い物を済ませた後、やじ馬根性で帰り道にあそこに寄ってみると……現場警察が到着していた。

一応は地元である。すぐ近くにあるブロック塀の陰で、聞き耳を立てることにした。

案の定、無灯火の人がお巡りさんから詰問を受けていた……ここで、pixel8の録音をオンにした。最新のアンドロイド自動文字起こしは高性能だった。

以下に記録を書いてみたい。

巡「あなた、こうやってパトカーが来るの何回目?」

無「四回目くらいやな」

巡「自分おかしいことしとると思わへん?」

無「周りから見たらおかしいかもしれん」

巡「あなたは? どう思う自分のこと」

無「別に思わん」

巡「悪いことしてる認識は?」

無「ある。悪いことをしてる。でも、俺は偽善者じゃない。ごまかしてなんかない。悪いことしてるとわかってて、正面からやっとる。罪の意識と向き合って、それを乗り越えとる」

巡「それ、開き直り言うんやで」

無「あ、そう。で、どうするの」

巡「○○さん。いい加減に捕まえるよ」※近所のすごく大きい家の苗字だった。この一世しかない。

無「そういうの、俺の親父と、じいさんが悲しむからやめようやwwwお巡りさんも知ってんやろ」

巡「……あなた、市の職員やろ。うちらとおんなじ。常識守って、しっかりせんと」

無「関係ないやろ。別に職場通報したってええで。ワシは本気よ。じゃあ、行くわ」

※ここで、あのおっさんが何か怒ってたけど、レコーダーでは文字起こしできなかった。距離が遠かったのだろう。

「なんで逮捕せんのですか、それで済ますんですか」だったら聞こえた。

花の金曜日にこんな話をしてすまない。でも、この光景ちょっと自分には来るものがあった。

学校で習った常識に従って生きてきた。ずっと。

中学高校も、学校先生の言うことをちゃんと聞いて、それなりの成績で、世間バカにされない程度の大学を出て、今はしがない化学工場勤めである

そんな中で、彼のようなヤツに出くわしてしまった。

正直、ちょっとだけ羨ましかった。自分は、年上には敬語だし、同僚にも敬語だし、年下にもできれば敬語である

目上の人間には絶対的敬語を使う。それと、法律にはちゃんと従う。自転車に乗ってても、赤信号無視とか絶対しない。停止線では一時停止する。それが社会ルールだと思っている。

あの彼は、ちょっと生きづらいのかもしれない。でもさ、あんなに破天荒でも地方公務員として採用されるんだし、実際に働けてもいるんだろう。

そういうことを考えると、コツコツと工場作業員として頑張っている自分と比べて、あっちの方が人として優れてるのかも、とか思ったりする。

愚痴みたいになってしまった。ちょっと思ってみただけだ。早めに忘れてほしい。

増田はいいよな。匿名から。約一年からほぼ毎週、読んでいる。アタリを引いた時の感激がすごい。

小心者のブログには、とてもこんなことは書けない。

親は案外子供のことをよく見ている

昔、博士って言葉に憧れがあって博士になりたいって言ってたんだけど、親に「お前は頭が悪いんだから無理」って言われてた。

それに反発するように中高は友達も作らずひたすら勉強に費やした結果、3浪から三流私立文系学科に進学し、

学費を稼ぐ為にはじめたバイトの方が楽しくなって、学校にろくに通わなくなり2留から中退

今春から23高卒として18歳の若者と一緒にプレス作業をしている。

そんな人間就職できる程度の職場なので、相当にあれで、既に上長の指示を無視して作業して指を挟んで病院に運ばれた高卒がでている。

親ってのは本人以上に子供能力を正しく把握しているもんだなと思う。

素直に高卒から公務員でも目指しておけばよかったよ。

anond:20240517114153

女子が数人でトイレ行ったらおしっこ、一人で行ったらうんこ、と気づいたら学校ちょっと楽しくなった

anond:20240517124441

私は下校時の通学路や学校トイレに出没しストローを刺して全身の血を抜き取る怪異の類を連想する

ブルアカアニメなんか面白くなくなってきたな…

なんかこう、陸八魔アルが登場した次あたりから加速度的に詰まらなくなってる気がする。

まらない要因は色々あると思うが、一番目につくのが陸八魔アルの性格のような気がする

 

何故か無法者(アウトロー)に憧れて学校辞めて便利屋をやってる(なんで?)

銀行強盗はしないが、銀行強盗やってる奴らには憧れる

アウトロー名乗る癖して拾った金は使わない

アウトロー名乗ってる癖して変な正義感を出す

社長名乗ってるくせに部下のコントロールすらまともに出来ずに、恩のある店を結果的破壊する

バカなのかこいつ。

いや、バカなんだろう。描かれ方からするとそう。

そのバカっぽさ、バカさ加減が面白いんだろうけど、本物の無法者だらけのキヴォトスでわざわざアウトロー名乗るってのがまず意味不明人間だらけの中でわざわざ人間名乗るバカぐらい意味不明

アウトローやってる奴は自分からアウトロー名乗ったりしないだろそもそも

後巨悪はふつう存在するチンピラ存在する。

そんな中にアウトロー(笑)名乗ってやることが便利屋なこいつは何なの?ヤンキー漫画ヤンキーにあこがれる小学生か?

アビドス高校も、風紀委員自分の信念の為結果的アウトローなコトしてるだけなのに、こいつは何の信念もなくガワだけ見て憧れてまねごとしてるんだよね。本当に薄っぺらい。

何でこんなのが人気なのか分からないよほんと。

 

let's go!!!!!で知名度だけ上がって実際は誰も本編の陸八魔アル見てなかったのかね

これからも校外学習修学旅行継続する方法

バス運転手さんの確保ができず校外学習修学旅行に支障をきたしてるらしい

個人的には修学旅行はそろそろ廃止を含めて見直しても良いのでは?と思うが、なんとか継続できる方法を考えてみたいと思う

①各県が学校活動用に運転手を雇う

→これは必須になるんじゃないかと思う

 修学旅行廃止でもいいと思うが、社会科見学や校外学習などを廃止にするのは子供活動にあまりにも大きなマイナスになると思う(個人的に)

なので最低でもそういう活動継続できるように教育委員会採用枠に運転手を作るべきじゃないか?と思う

おそらく下手に外注するよりこれからは直接雇った方が安くなってくるのではないかと思う

インバウンド招致が難しかったり、バス運転手に余裕がある県いくつかを国が修学旅行先として設定し、公立学校はそこへ向かうようにする

→国の旗振りが必要だがこれはアリではないかと思う

シーズンをずらしながら学校を呼ぶことができれば観光業界としても1年中収益が安定して得られるので悪くない話と思う

幸いにしていろんな県に空港があるので、各県でまとめて飛行機に載せて移動すれば不可能ではないと思う

問題インバウンドに目をつけられた時だが、毎年見直しをするしかないだろう

③全て公共交通機関移動にする

→これも考えられる一つかなと思う

ただ子供迷子にならないようにガイドをたくさんつける必要がある

なんか他にいい方法あるかね

anond:20240515222924

感震ブレーカー ってやつね。

貸家だとそうか…

入ってるとは思うが火災保険と、最悪ショートしたら洗剤ぶっ掛けよう。

大事もの会社の鍵かけられるところに入れちゃうとかもあり。

うちは従業員会社に保管できるようにしてあげてる。

土地登記記録や、金地金時計とか。

当然だけど、非常時は特に健康安全が命より重いところはある。

まずは自分家族安全第一で。物はあと。命あっての物種。

学校会社避難訓練するときに真面目にやらないやつもいるが、

家庭を持ったら同じように想定してやった方がいい。

周辺を散歩するついでに避難場所確認するとか。BCPならぬ、FCP対策大事

避難のその先の備えのおススメは

様々な災害の事例、当事者体験談を見るのがいい。

ビル火災地震噴火津波暴風雨竜巻…挙げればキリがないけど。

よくドキュメンタリーとかでもやっているけど、

NHKオンデマンドYoutubeにもいくらでも転がってる。

そういうのを見ると、本当に必要もの、も見えてきてリュックも多少削れるかも。

安全に!

GPU重要性を理解できない人には、いくつかの特徴が考えられます

技術に疎い人: コンピュータテクノロジーにあまり詳しくない人は、GPU役割やその重要性を理解しにくいことがあります

古い情報に基づいている人: 古い情報過去経験に基づいて、GPU進化現在役割を把握していない人もいます特に、昔はCPUが主流だった時代知識しか持っていない場合です。

専門外の人: ITコンピュータサイエンス以外の分野の専門家で、普段業務GPUを使う必要がない人。例えば、文系研究者アーティストなど。

特定用途しか関心がない人: GPU重要性が特定用途しか関係しないと考えている人。例えば、ゲームグラフィックデザインしか関係ないと思っている場合データ解析や機械学習にも重要であることを理解しないかもしれません。

教育や啓発の機会が少ない人: 学校職場での教育トレーニングGPU重要性について学ぶ機会が少なかった人。

これらの理由により、GPU重要性を理解できない人がいるかもしれません。教育情報提供を通じて、理解を深めることができるでしょう。

童貞最初リードされてセックスに辿り着く

学校職場の年上女性に憧れて好きですって言ったらあれよあれよとホテルに入ってセックスする

そういう経験を元にホテル入れそうな雰囲気、無理そうな雰囲気を読めるようになって恋人を探す

若いうちの特権は男にもあるのにそれを使わずゲーム楽しいアニメ面白れぇで女を求めなかった男がアラサーになって彼女欲しいなって行動したところで文書化できない雰囲気機微がわからずに失敗するのは当然の事

アラサーが失敗するのが嫌とか恋愛めんどくさいって言ってるのはとても正しくて失敗たくさんするしめんどくさいものから黙って風俗行ってシステマティック射精してなさい

俺は今夜ホテルデートなのでセックスしまくってきます

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-16

次回の華大さんと千鳥くんで取り上げられるテーマに「学校で新しい教科の授業を作るなら何がベスト」っていうのがあるけど

自分

生涯スポーツ

だと思う

とにかく一生続けられるスポーツのとっかかりが小学校の授業

子供さんから大人まで、ずっとやれるスポーツ

体育の授業に於ける、技巧や忍苦を強いられるスポーツではなく

「好きなスポーツを選んでやっていきましょう」っていうスタンス

(※「eSPORT」は含まない)

まあ、基本的に「一人でやれる」やつが良いだろうけど。ずっと続けるんだから仲間が居ないと出来ないスポーツは難しい。そうすっと自ずと種目が限られてくるだろうけど

(でも生涯スポーツを行うことが当然になればチーム制のスポーツもみんな延々とやるだろうから、仲間に困らないとかあるかもしれないな)

健康維持・成人病予防・メンタルの安定・頭脳活性化・その他諸々の為、生涯スポーツ義務化するべき

現在自分全然運動してないんだけども。そして並外れた運動音痴だけども。それでも継続的に走ってる時とか筋トレしてる時とかって「真人間」になった感じがして良かった

義務にでもならないと誰も運動しない。自分の様に「仕事で疲れ切ってるから」とか言ってさ

それじゃだめなんだ

みんな運動して健全精神と肉体を手に入れれば、このショボクレて老いぼれた国もどうにかなるかもしれない

中学の時、人殺しと呼ばれた

中学の時、俺に嘘告白する罰ゲーム女子の間ではやっていた。

俺は他のクラスや学年から見学が来るキモい男子として学校中に知れ渡っており、

ほぼ毎週のように誰かしらの嘘告白を受けていた。で、次はうちのクラスのAの番になったらしく

休み時間に寝たふりしながら会話を聞いているとAは

「嘘でもあいつに告白するなんて嫌。そんなことするくらいなら死ぬ」と叫んでいて

リーダーのBとかが「一言言うだけなんだからいいじゃん。あたしもやらされたんだから」などと説得?していた。

数日後にAに呼び出され嘘告白をされた。なんと返事したかは正直覚えていない。

毎週のように嘘告白されてさすがにもうまともに相手にする気にもならなかったので

はいはい罰ゲームお疲れ」みたいな返答をしたんだと思う。Aは見たことがない憤怒の顔をして

屋上への階段を駆け上がり、校舎から転落して数日後に死んだ(学校事故として処理)。

亡くなった次の日に学校に行ったらBが「お前のせいでAは死んだ、この人殺し!」と言いながら俺を殴った。

何で俺のせいなんだと抵抗したが周囲もBに同調し、結局俺は学校の大半の女子と一部男子から

卒業まで人殺しと呼ばれ続けることになる。まぁ罵声BGM毎日学校に行った俺も今考えると正気ではないが、

あの時はこれで行くのをやめたら自分人殺しだと認めたことになると思っていた。

卒業式も出るつもりだったが、学年の中で式の後に俺を屋上から落としてAの敵を討つ計画が発覚し、

担任が家に来て「あいつらを犯罪者にしたくないので式に来ないでくれ」と懇願された。

俺は無視するつもりだったが、結局仕事を休んだ親に監禁されて式には行けなかった。

あれから時間がたち、今はAの気持ちも少し分かる。自分よりはるかに格下と思っていた存在に軽く扱われ、

怒りと屈辱のあまり発作的に死を選んだのだろう。じゃあ俺はどうすればよかったのだろうか。

まり考えないようにしてきたが、思い出してしまったのでここで呪いを振りまくことにした

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俺なら絶対やらない。今考えれば子供相手に威張りたいだけの素人になんて教わりたくないよなー。

そういや学校部活教師だったし、一番大事学生時代にマトモな指導受けた事って本当に無い。

なんでこんな素人ばかりないんだろうね。学校教師部活動で指導するなら指導基礎くらいは学んで欲しいよな

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