はてなキーワード: 存在とは
仕事が忙しいときでも週末はよく映画を観に出かける。話題作は公開日の週末のレイトショーで観るし、観たい作品が重なったときは翌週、出直して、観たりする。本当に映画が好きな人に比べれば、まだまだ少ない方だけど、自分の周囲では結構、映画館に出かけている部類に入るようだ。
映画館に着き、チケットを買い、ポップコーンと飲み物を手にして、シアターに入ったら、次にやるべき作業は携帯電話のチェック。本編前に流れる鑑賞マナーのムービーでも触れられているけど、上映中の携帯電話の操作は周囲の人の迷惑になるので、携帯電話を操作しないのはもちろん、あらかじめ利用できない状態にしておくのが基本。
つい先日、映画館に出かけたとき、予告編が始まるや、前の席に座った2人組の女がスマートフォンを取り出し、端末をスクリーンに向けたときは「おいおい、それはダメだろ!」って思ったら、暗闇でツーショット自撮りをはじめて、ちょっと驚かされたなんてこともあった。予告編の間とは言え、ちょっとねぇ……。
じゃあ、何をもってして、「利用できない状態」というのか。普通に考えると、マナーモードか、電源OFFってことになるんだろうけど、以前、どこかで見かけたアンケートではマナーモードと電源OFFが半々くらいの比率だったと記憶している。「通常のマナーモードで十分じゃないの?」っていう人が多そうだけど、着信時にバイブが振動して、映画のシーンによっては周囲に振動音が響いてしまうかもしれないし、自分の席の前の荷物フック(前の席の背中側)にカバンをかけておいたら、カバンの中に入っている端末が着信時振動して、前の席に伝わってしまった……なんていうこともありそう。
最近、自身がNTTドコモの回線で使っているAQUOS ZETA SH-03Gは、本体側面にイルミネーションが備えられていて、メール着信などを光で知らせてくれるんだけど、これも胸ポケットなどに入れておくと、上映中に煌煌と光ったりして、目立ってしまう。映画館以外でも気になることがあるので、サイレントマナーなどと連動して、イルミネーションを一時的に光らないモードも用意しておいて欲しいところだ。
また、もうひとつ気になる存在なのが最近増えてきた腕時計型のウェアラブル端末。たとえば、Apple Watchは腕を傾けると、ディスプレイに文字盤などが表示される。普段はこれが便利なんだけど、映画館などではポップコーンに手を伸ばすたびにApple Watchが光ってしまうなんていうことも……。しかたないので、最近は上映開始前に腕から外して、ジーンズのポケットにしまってます。Apple Watchに限った話ではないけど、ディスプレイが光るウェアラブル端末は一定時間、表示を簡単にOFFにできるモードがあると、便利
さて、最終的に「利用できない状態」をどうするか。本編上映前の鑑賞マナーのムービーでは「電源をOFF!」なんてアナウンスされているし、映画館によっては鑑賞マナーのWebページを用意していて、TOHOシネマズのページでは「上映中は携帯電話の電源はお切りください」と明記されているので、やっぱり、電源OFFが基本なのかな。ただ、一度、電源を切っちゃうと、「次に起動に時間がかかるからイヤだ」なんていう人も居るだろうから、そういう人は飛行機に搭乗するときなどに使う「機内モード」にしてみるの手。
世界に可能性がまだ見つかってない未来のスターだと思ってたのね、俺は勝手に。
顔面、歌唱力、体力、根性、実績、どれも揃っている普通に優秀な人間だった。
まさか奴隷ヒロイン漫画とかロボットメイドヒロイン漫画とかを好んで読む異常者おらんよな?
それでいて法律に詳しいアピールをしている奴なんておらんよな?
異世界やフィクションやロボットなら許される?そんなわけないからな
異常者だからなお前は
10秒クリック、年収2年分チャージ。これが完璧に成功すればもう二度と労働に縛られない人生が待っている。手に入れた時間で好きなように人生を生きよう!「俺は実はいつでも辞められるが?」を精神の支えにして普通に働いてもいいし、趣味を仕事にするべく創作活動にのめり込んでもいい。不安から解放され、自由を手にしよう!(ただし勝利者に限る。) 「タイパ」の究極系は「注いだ時間以上の時間を得ること」であることに異論があるものがいるだろうか?(いや、いる。なぜならここは天邪鬼の集まりだから)。
成長型ゲームの根源、本懐、トロ、ミソ、核、爆を超高速で味わえる。数字をインフレさせるだけのゲームのガワを剥がした内側にあるもの、その楽しみ、成長曲線、苦行、カタルシス、味変、ルールチェンジャー、あらゆる要素を駆け抜けていける。そして訪れる静寂の如き、飽き。引き際の悟りと深みへの誘いが波のように交互に打ち寄せる。沼に飛び込みたい気持ちをグッと堪えてデータを削除したとき、きっと君は「何百日とプレイしてしまったソーシャルゲームを手放した直後」のような開放感を味わうだろう。そうだ!盆栽の最大の楽しみはそれを捨てた直後に訪れる!いくつものクローンがあるが、本質は本家が極めているので本家以外を遊ぶ意味はない。人生をドブに捨てたいなら別
この世界で一番楽しいのは可能性を空想することだ。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザの謎。現実世界において完全でないものこそが脳内において真に完全へと近づける。βテストや体験版で「このバグ強すぎるー!!」と暴れまわったり、他ゲーの経験を活かして初心者を狩ったり、ないしはそういうスマーフ野郎半チート野郎を囲んで叩く自警団を気取ったり、βの自由な世界にしかないモラトリアムな楽しみが確かに存在する。そしてなにより無料だから人口密度が高く、ネットで皆でワイワイするのも楽しい。「これって製品版ではさ~~~」「いやいやこれは~~~」で無限に語れるぜ!未完成!それは可能性!十で神童、十五で才子、二十過ぎればセンター試験の点数をいつまでも自慢げにSNSに書いてるちょっと可愛そうな人と古事記にも書いてある。
きっと きみたち は もう わすれれて いるだろう。 人差し指だけで 必死な顔をして 一文字ずつ丁寧に キーを叩いていたあの頃を。 タイピングゲームがなければ僕たちは今でも そんな状態で毎日インターネットをやっていたかも知れないんだ。 そしたらブクマで100文字打つのだって 余りにも大変で全く楽しめなかったんじゃないだろうか? コンピューターを使った仕事につくことなんて想像もできないぐらい ただキーをタイプするだけのことがしんどいまま人生を生きていたんじゃないか? マジでちゃんと感謝したほうがいい。タイピングゲームでひたすらキーを叩きまくった時間は決して無駄じゃなかったと俺は信じているぞ。
2画面にして映画やYoutubeを見ながらやれば、運動しつつ動画を見ているので実質時間消費0で運動が出来る。あまりにも圧倒的パフォーマンス。圧倒的すぎて蛇足にならない言葉が思いつかないほどだ。
やってしまえ。どんなゲームなのか気にしてる時間が無駄。やってみれば分かる。体験版でいい。とにかくやれ。脳のリソース管理的にも。
一作だけならガチってもいいっぽい空気があるので一作だけガチらせてくれ。このゲームは本当にタイパがいいんだ。名前の通りちょっと短いハイキングをゲームの中でするだけ。でもそこにはゲームというものの楽しみが詰まっている。箱庭の中で圧縮された個性豊かな人々の営みがあり、世界には相互作用が働いて、それぞれの人物に物語がある。小さな冒険を通して少しずつ成長する主人公。少しずつ操作が熟達するプレイヤー。軽やかで気持ちのよい成長曲線。少年時代を思い出させるスピードで次々に広がっていく世界。刺激される想像力が解法を閃かせ、世界の謎が次々と解き明かされる。挑戦する楽しみ、成長する喜び、小さな友情、時には挫折、そして再挑戦。人生という苦行の中から光り輝くものだけを集め直した生きる喜びの宝石箱。たった2時間程度でたどり着けるエンディングなのに、確かな満足感と高揚感を感じるのは、冒険に求めていたものがこの温かな箱庭の中に詰まっていたから。
生きていれば色々と出来る。何でもは出来ないけど何かは出来る。死んでしまうと何にも出来ない。死後0秒から人間はもう何もできなくなる。生きてさえいれば、空想を広げるぐらいのことは出来る。人生のあらゆる場面が時間消費型のコンテンツなわけだからして、とにかく生きていなければ何も始まらない。一見すれば生きることのタイパがどんなに低くても、死のタイパは0なので相対的には圧倒的に生きることが勝るのだ。生きろ。まずはそこから全てが始まる。
ワクチン3回接種した人は全員ターボ癌になるとおれは予想しています。 それは年齢に依らずです。 以前から60くらいの癌は目立っていましたし、 おれのおじさんも原発不明ターボ癌で死にましたが、 最近では年齢が少しずつ下がってきています。 今後、40代、30代、20代と、 著名人が死んでいくことでしょう。 そして著名人の死の裏にはたくさんの無名人の死が存在します。 最近も大阪環状線が乗務員の体調不良によって止まりましたね。 乗務員の体調不良で電車が止まることなんか今までにありましたか? おれの記憶にありませんよ。 俄然、面白くなってきました。
2回接種と3回接種の明確な違いは、知能です。 すなわち、3回目接種者は明確に知能が低い。 これはおれの知る中で2回目で止めることが出来た人と 3回まで行った人を比べても明らかです。 ですから、3回接種者が死ぬことは国益になります。 3回接種者は国益のためにさっさと自殺したらどうでしょうか。 なーにがboostedじゃ白痴が。
2回打った人もおれから見れば知的障害者ではあるのですが、 まだマシです。 ただ、子供は産まないでください。 それは、低い知能が遺伝するからではなく、 障害児が生まれる可能性が高いからです。 ワクチンを打った人は子供を作るべきではありません。 これは、断言出来ます。 それが国益のためです。 おれのように優れた人間だけがこの国には必要です。
しかも超絶かわいいこと。 かわいいことは大切なことです。 かわいい上にギフテッド。日本としてはこれを基本としていきたい。
WikipediaのCategory:いじめ自殺事件を参照すれば、地域どころか国レベルで無関係であることは証明されている
次のことをお試しください
少なくともお受験によるウォールによって荒れる可能性は低減できるものの、いじめのリスクを0にすることはできない
むしろこっちの方が更に凶悪な状況になるかもしれないし、第一頭が良くないとこの選択肢は使えない
ゆたぽんみたいなことをしなければ大抵忘れるので恥にもならない役立つ逃げが可能になる
言及で「不登校の奴らもロクな人生を歩んでいない」というのもあるが、ここでは中学で死なないという観点でその選択肢を挙げている
(そういう奴らを淘汰するためのろ過装置と揶揄されること多し)
ここに居る増田の回答を待つ
望み薄
次は採用していない
暗殺などによる自らが犯罪を犯す系の選択肢は全て除外した(よくそういう作品は見るような気はするけどね)
小学生の頃の友人を頼る(中学であっさりと裏切られるのもよくあるパターンでしかないため)
親に頼る(無駄になること多し)
負のネットミームとは、インターネット・ミームの中でも皮肉的に使われているものや、蔑称として使われているなどの負の要素、闇を持たせたネットミームである。
インターネット・ミームそのものはユーモアにあふれたもので広まりを見せることが多いものの、その一部は不謹慎なものだったり、或いは反面教師的な教訓として広まっているのも少なくない。
また対象のミームは当初そうした要素はなかったのにユーザによってその要素が強くなったり、或いは逆転して弱まってインターネットやめろな一般人間でも使用されてしまうケースもある。
この増田は以下のような要件を1つでも満たすものであれば負のネットミームと呼ばれるであろうとしている。 もちろん複数満たせば満たすほど負のネットミームと認められるとされている。
日本のインターネットがまだ2ちゃんねるも無かった頃の不謹慎ゲームはまさにオウム祭りだった。 しかし「オウム真理教」のやったことは調べたらすぐに分かるほどで、現在も「ハセカラ」に関係する「恒心教」でそのネタが継続的に使われている。
そうでなくとも9.11、3.11で不謹慎ゲームは作られるし、それに乗じたインターネットミームも非常に多く存在する。
いわゆる「チー牛」や「弱者男性」などのようにインターネット上に生み出されて蔑称的に現在も使われているものもそれにあたる。
「バキバキ童貞」のぐんぴぃもその一人であり、自身のチャンネルでネットミーム総選挙をした動画で「チー牛はチー牛に投票しないので上位に行かない」という鋭すぎる「ちくちく言葉」を共演者がぶっ刺している。
元々「もうだめぽ」が生まれた理由はWinny利用者の逮捕直前の「カキコ」(「死語」)から来たものだったが、そうした犯罪などの話も全て薄れた状態で広まりそのまま死語となっている。 加工・選択されて継承されるのは、遺伝子だけでなくミームも例外ではない。
また政治的な話は皮肉の要素も含まれており、「自己防衛おじさん」や「上級国民」などの「日本死ね」系のミームも負のネットミームと言えるだろう。
更に「江ノ電自転車ニキ」のようにその人自身が罪を犯したわけではないのに負のネットミームとなってしまったおもちゃも数多く存在している。(ただしニキが車両に近いという指摘もあり、それが賛否両論を加速させている事実も忘れてはならない)
その他
負のネットミーム一覧
匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊なルールを設けています。また、サービスの匿名性は、特定の対象を攻撃する目的に使われるべきでないと考えています。
このため負のネットミームを一覧で表示した場合、このルールに抵触する可能性が高いため、一覧ページについてはあなた方ご自身で作成してください。 「できるよね?」
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本作は弱者男性召喚士となり弱者男性に女をあてがうことで強くする。
基本は育成型シミュレーションゲームだが、イベントバトルでは美少女とのガチ戦闘が発生する。
本作の主人公。元社畜アラサー。ブラック企業を早期退職しニート生活を送っている。倒した美少女を洗脳する能力がある。
【美少女たち】
【弱者男性】
1.普通の男
2.負け犬男
ニートや引きこもりの負け組中年。能力は平均的だが社会復帰が難しい。
3.クソ雑魚男
メンタルが弱くすぐキレる劣等種。能力は低く、どんな環境でも適応できない。
この情報でみんなに差をつけよう!
【名前】
【種族】
【職業】
【身長】
169cm
【体重】
56.5kg
【誕生日】
【年齢】
38歳
【性格】
卑屈な性格で自信がない。自分に自信がないため女性と話すことができない。そのため童貞である。
【趣味】
【特技】
家事全般が得意。特に料理の腕には定評があり、プロ級の腕前を持つと本人は思いこんでいるが実際は出来合いのタレを使った料理しか作らない。
【好きなもの】
【嫌いなもの】
【備考】
顔立ちは悪くないのだが、不摂生な生活をしているため肌荒れが目立つ。
基本的に部屋に引きこもってばかりいるため体力もない。
作っては度々投稿している。
それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーターの作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。
そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。
こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。
だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。
疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題の根本的な原因があるように感じたんだ。
結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。
そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質なものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。
だからこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。
このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。
そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。
だって、差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから。
しかし現状、そうはなっていない。
安易なAIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定のクオリティで満足してしまう。
なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々と投稿し続ける。
そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。
この負のスパイラルを止めるには安易なAIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。
結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラストの存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。
ならわざわざ田舎に行かなきゃいいのに、なんで田舎に行くんだろうか。
例えば田舎に転勤が決まった時点で仕事やめて、都会で別の仕事探せばいいんじゃね? って思うんだけどなんでそうしないんだろ?
「田舎に住むくらいなら東京でホームレスやった方がマシ!」とか言ってるやつは東京のホームレスになればいいじゃん。
「田舎は教育がー、文化資産がー、人間関係がー」とか言うなら、なおさら東京にしがみつけよ。
田舎にお前が求めてやまないものは存在しないんだから、どんな手を使ってでも東京に住み続けろよ。
一昔前なら田舎を勘違いして移住する人もいたけど、今はネットで田舎の事が散々話題になってる訳じゃん。
田舎無理! ってわかってるのになんで田舎に転勤したり移住したりしちゃうの?
仕事の都合? それは東京に住み続けることよりお前の中で大事なものなの?
家族の事情? お前にとって家族は東京に住み続ける事よりも大事な存在なの?
東京に住み続ける事よりも他の事を優先したのなら、東京に住む事で得られたメリットは諦めるしかないだろ。
マンパワーは足りないし、インフラ整備も滞ってるし、仕事の選択肢は少なくて給料は安く、子供不足で学校はどんどん閉鎖されて、娯楽といえるのは山か海に行くくらいしかないのが田舎なんだ。
どこが本末転倒なんだ?おれは本気で言ってるし実践してるんだが
だからどんな集団にも必ずネガティブ面が存在する、その現実から目を背けることはできない
だから市場原理を選択に利用して、優れたプロダクトを作る企業は優れた内部マネジメントも持っているだろうと「信じられる」ようにし、
さらにその「信念」を揺るがすノイズ情報がそもそも入ってこない(言語や地理的に)疎遠なメーカーを選抜する
人間の心理は文化に影響を受けるから、地域差が存在する。文化が異なる地域で追試をしたならば、結果が再現できないこともあろう。
この記事は再現性の危機を訴えた論文自体に疑わしさがある、というようなことも述べているのだが
異なる地域の人々で追試を行ったから再現性に負の影響を与えたってあるんだけど、それなら同じ国で育った人間でも異なるバックグラウンドを持つわけで、つまりは一般化可能な知識を心理学は抽出出来ないってことじゃないのか?
と思った。
これはバカがムキになってこの場でひねり出した寝言じゃなくて、受け売りのネタ元があるんだよね。
と左翼は言うわけだが、これは憲法が天与のものでないと成り立たない。
憲法だってしょせん道具であり主権者が自ら作り上げるものだという前提に立てば、憲法はあくまでガイドラインであって一方的に「政府を縛るもの」であるはずがない。
憲法も法であり広義の立法権の対象である。国民主権より上の存在はないので自分で自分を律するためにプロセスを二段階にするひと工夫がつまり憲法の本質なのだが
まあ増田で言ってもな
日本はともかく世界では憲法の書き換えって行われてるし、日本でも憲法改正のルールってのが設定されてるだろ、書き換え不能の天与のものだったら改正のためのルールなんて存在するわけ無いだろ。
どこをどう勘違いしたら「書き換え不能」って言葉が出てくるんだよ笑
「バカがムキになってこの場でひねり出した寝言」って感じするわ笑
※追記
見下しってのは相手を認識しているから発生するのであって、東京人は関東から外の地域の存在を観光の時くらいしか認識しないので、見下しは発生しないが正解。認識していない相手を見下す方法がない。
まずこの元増田は女で既婚。
ここで一生を終えるのかと思うと本当に辛い。
首都圏で生まれたというなら、親の介護で田舎へ移住しそのせいでその土地から離れられない、ということは考え辛い。
よって、結婚し旦那氏の実家か実家近くまたは職場近くに住み始めた、故に(旦那氏の職場または実家環境に変化が無い限りは)そこから移住できない、という事情が推測できる。
過去形で書いているということは、住み始める前の時点でその都市の概要は知っていたし、何なら行ったこともあったということが読み取れる。旦那氏の地元に遊びに行ったことがある、ということなら整合性が取れる。
発達障害っぽいと自称するということは、注意力散漫、空気が読めない・コミュ力に難がある、無能あたりのなんかそれっぽい自覚があるんだろうが、どうしてそういう自分なのに「他人の悪口」は理解できて覚えていられるのだろうか。
そこが本当に思い込みっぽくてむしろガチっぽさが増すのである。
都会ではいまや町内会は存続の危機に瀕しており、私は町内会の存在すら知らなかった。隣に誰が住んでいるのかわからない、それが当たり前だと思っていた。
これまで実家に住んでいたなら町内会の行事とか全部親がやっていただろうし、自分から興味を持たない限り何やってるかも知らないだろうからこういう認識でも不思議はない。
こちらでは町内会は強制で、地域のお祭りなどを開催しているようだ。ゴミ袋に住所を書けと言われたり、町内会で使うからと言って、名前や職業、電話番号などを聞き取りにきたこともある。情報の使用目的を聞いても教えてもらえなかったため、必要最低限の情報を伝えたが、個人情報保護の概念はないのだろうか。
栃木県では6市町(例えば益子や茂木)で「ゴミ袋への記名が必須」である。住所ではなく記名だが、自称発達障害っぽい元増田ならその辺の間違いは許容範囲ということだろう(ガチローカルルールで住所まで書かせられている可能性もあるしな)。
また、元増田の言う「首都圏」が狭義の場合(=東京、埼玉、神奈川、千葉)であれば、栃木の、例えば栃木市あたりを首都圏外の田舎地方都市と認識していても矛盾しない。
仮に栃木市であればちょうどイオン栃木があるし「都内へのアクセスが良い」という点においても90分くらいで移動できるし、整合性が取れる。
主に職場がクソだが、田舎というコミュニティの狭さに加え、働き先がないので転職が難しいこと、遊ぶ場所もないことが田舎のクソさに拍車をかけている。
都内で働けばええやんけという感じではあるが、基本的に家の近くで働いて欲しいと旦那氏が要望していたり、そもそも元増田が「都会民」を自称する以上はこれまで長時間通勤とかしたことなくて嫌なんだろう。