はてなキーワード: 子供の日とは
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これらを受けて増田が思っていることや増田の実体験をちょっとだけ書くね。ちなみに増田は富山(富山市ではない)出身30代未婚子なし女です。現在は都会で一人暮らしをしています。将来めっちゃ不安だけど自分で蒔いた種だし、なるべく迷惑かけずに死ねるように頑張りたいなと思いながら生きています。
ちなみに雪かきは男女ともにやっていたよ!何なら男性の方が屋根の雪かきとかタイヤ交換とかやらされがちな傾向があって大変だったのではって増田は思うよ。そんな感じの性別による役割分担がはっきりしている傾向はあったんじゃないかな。それが富山県ならではなのか、そうでないのかは増田には判断つかないですが。
社会科の授業で、「持ち家率上位!」「共働き率上位!」「貯蓄率上位!」という話は聞かされた。実際に教師やそれ以外の大人の富山県民も、こうした点で他の県より優れている!(だから富山は住みやすい!)という気持ちを持っている人が多数だったと感じている。
増田が思うに持ち家率が高いのは土地が安いから、貯蓄率が高いのはただ単に県内にお金を投じて遊んだり買い物したりしたいと思える場がないからで、それらが合わさってじゃあ広い家を買って住もうとなるんじゃないかな。そもそも増田の周りは三世代同居のお家が多かったから、祖父母が先祖代々の土地を持っているのが前提なのかなとも思ったり。
共働き率が高いのは、今はどうかは分からないけれど、増田が子供の頃は父が正社員、お家の大黒柱で母がパートという家庭ばかりだった。増田は必ずしもこれが『女性にとっての働きやすさ』には繋がらないと思っていたし、富山で就職しなかった理由の一つもこれだった。
冬の富山県では雪が降る。めっちゃ積もる。だからこそ水不足とは縁がないので、悪いことばかりでもないんだけど。
増田が通っていた小学校は、増田の家から子供の足で歩いて20分くらい。小学生、特に低学年にはまあまあ厳しい道のりだ。雪が積もっていればもっと時間がかかる。時には吹雪いて目の前に来ている車すら見えない日だってある。
そうなるとどうなるか?親が車で送迎をすることになる。そしてその親の9割は母親だ。幼稚園・保育園を卒業したからといってお迎えがなくなるわけじゃない。
中学校になると小学校より更に校区が広がる。自転車で片道30分近くかかる道を登下校することになる学生もいる。自転車で30分かかるような距離を雪の日に毎日徒歩で登下校するのは、出来なくはないがまあまあ厳しい。スクールバスなんてものはない。だから結局、中学でも親の送迎がある。もちろんこれも母親と思しき軽自動車ばかりが校門前に並ぶ。
高校になると送迎から解放されるか?そんなことはない。自転車で通える範囲の高校に通う学生は多い。中学と同様、自転車で片道30分もかかるような人だと、雪の日の送迎はほぼ確実になる。
電車で通う学生はと言うと、大半の学生は自宅から駅までの距離がやっぱり遠い。中学から家の比ではない学生も沢山いる。そんな学生達の行き帰りの足になるようなバスはない。結局、駅から自宅までの送迎の車が駅前に並ぶ。…やっぱり軽自動車が多め。
こんな感じで冬の間、ずっと子供の送迎問題が出てきてしまう。子供が免許を取れる18歳になるまで。…そんな環境で、送迎を主に担う人間に重い仕事を投げられるか?管理職になれるか?…無理じゃね?はい、綺麗なマミートラックの出来上がり!
実際増田が中学生や高校生くらいの頃は、母がパートを中断して送迎して、その後また働きに行く姿を見て、あっこれ増田の存在が母のキャリアの妨げになっているな…ってめちゃめちゃ思ってた。ごめんよお母さん。
雪でも歩いて帰れって?毎日1時間以上かけて?部活の後に?その後たっぷり課題と予習復習もやらなきゃいけないことを考えると学生的にもマジで無理ゲーなんですよ。特に増田は体力ないのできつかった…富山の雪って水分含んでるからめちゃめちゃ体に張り付いて体力奪うんだ。それで寒いからってスカートの中にジャージ履いたら先生に怒られるしさー。
父親は父親で責任のある仕事に就いて毎日がっつり残業していたので、こういう急な送迎とかは無理でした。そのこと自体もかなり問題だとは思ってるよ!男性ばっかり長時間労働させられてたってことだし。
雪国で田舎で公共交通機関とかがしっかりしてないとこうなっちゃうんですよね。車がないと生活できないってことは、車を持てない子供の日常にも、子を持つ親の日常にも、それぞれ支障が出るってことだと増田は思います。
こういう状況を何とか出来ない限り、あの環境で家庭持って子供作ろうとは思えないなー。東京でも家庭持ってないけどな!ガハハ!!
子どもの送迎で時間が奪われがち、送迎を担う者の働き方が限られがち、以外にも車がないと生活できない土地について思うことがある。
まず信号機が少ない!!横断歩道も少ない!!これによって何が起こるかと言うと、大人も子供もおじいさんもおばあさんも、みんな等しく信号機や横断歩道のない場所で急に飛び出してくる。
車の数も少ないし田んぼばっかりなので見晴らし自体はいいんだけど、それにしたってあんなに急に人が出てきたんじゃ避けられないよー!みたいなシチュエーション、親の車に乗っていた時にも何度か遭遇した。今はドライブレコーダーとかあるからましになっていたりするのかな。
そんな感じの道が大半な一方、ここは交通量多いでしょ!とかここは見晴らしよくないでしょ!みたいな道路も信号機がついてなくて、対向車やバイクや人が急に出てこないか怖くなっちゃう道も沢山ある。
車がないと生活できないのなら、車で普通に走っているだけでも加害者になりかねないような危険な道路には対策を打って欲しいよ。予算がないから無理なんだろうけど。
○説明員(山川菊榮君) 今勞働組合の婦人團體が請願運動を起す用意をしておるのですが、婦人の日と、母の日と一緒にして最初に日本婦人に参政權を行使をいたしました四月十日を記念してそうしていろいろの運動を記念にして、外の母の日でも、婦人の日でも同時にそういうものを二つ合せて一昨年の四月十日に、婦人参政權というものを行使いたしまして、選擧のときに婦人解放だけを大變賑やかにやれて、あとすつかり忘れられてしもうので、一年に二囘ぐらいそういう日を設けて、男も女も一緒に本當にそれを實現するためにそれを努力したい、これはぜひ設けて頂きたいと思います。
○説明員(谷川徹三君) 私は子供の日、母の日という名前で以てこの二つは贊成です。婦人の日というのは私は贊成しませんが、母の日というのは贊成します。
○説明員(谷川徹三君) 婦人に參政權を與えられたということに大きな意義がありますが、そういうことを國家的に祝祭日とする必要はないと思います。併し子供というものは未來の日本を背負つて立つものであり、未來の希望であるという意味で、私は子供の日というようなものを特に設けたいと思います。同じように人間の姿の中で最も美しい姿は、私は母の姿だと思います。その意味で、又こういう祝祭日というものは勿論大人たちに取つても意味があるのでありますけれども、私共のことを振り返つて見ると、特にこの祝祭日は、子供にとつて深い印象を與えると思います。そういう子供に深い印象を與えるものとして、母の日というものを作るところに大いに意味がある。私はこういう祝祭日というようものは餘りに理窟に囚われちやいけない。理窟は分らないけれども、何か美しい感じを與えるものと思います。それから理窟では否定的でも、私共民族の歴史、國の歴史というものと何か結びついたものとか、そういうものを私は祝祭日としてすべきものだと思う。そういう意味で母の日というものを私はぜひ入れて頂きたいと思います。
○説明員(山川菊榮君) 母は勿論大きな貢献をしておりますけれども、母でない婦人も(笑聲)國家の生産に非常に貢献しております。母も随分虐げられておりますが、婦人一般が決して平等の人權を認められておりませんので、いろいろ問題が毎日山積しておりますから、そういう問題について、特に母を讃美すると言わないでも、自分々々の母親は皆讃美しておりますから、一般の婦人を本當にもつと實質的に解放する意味で、そのために記念日を作つて、實質的に解放することに協力して頂きたいと思うのでございます。これは理窟と感情と一致しておりますし、歴史的に意味のあるものというお話でございますけれども、日本が大變古い國だというお話でございますけれども、何萬年ぐらいか知りませんけれども、とにかく歴史あつてこの方、初めて投票を許された日でございますから、これは特に歴史的にも意味のあることだと思うのです。
○委員長(山本勇造君) 御婦人以外の方の御意見を伺つてみたいですね。婦人デー或いは母の日というのは如何でございますか。
○説明員(岡本禮一君) 山本先生、意味が違うんじやないですか、母の日と婦人の日は。ママーズ・デーは感謝の日ということになつておるのじやないですか、婦人というとその點は離れておる。
○説明員(山川菊榮君) 私もそう思います。併し婦人の中に母が入つてもよろしいのですが、母だけ取立てて申しますと、女の中で母の日だけが美しいというのは、矢張り軍國主義時代の澤山子供を産むのを讃美する、(笑聲)それでなければ非常にセンチメンタルなものが多いように思います。婦人が人間として解放されて、本當に母としての機能も十分果すことができるのでございますし、婦人解放の中に母の日を込めるということを婦人團體は主張しておりますが、それでよろしくないかと思います。
○説明員(長谷部言人君) 私はいろいろの日を言い立てて、これを祭日にするということは贊成致さない。これは限りのない話で、たびたび繰返して申すようでありますけれども、年に四囘ぐらい、月にすれば四月、六月、八月、十月ぐらいとか、それをそこにお話のように、できるだけ集めて、その話後でやるというので十分ではないか、大體その日がぜひ共それでなければならんというのではない、仕事が主なんでありますから、そのくらいの融通は十分取り得るじやないかと思います。
○委員長(山本勇造君) 山川さん、ある人が婦人の日はいいけれども、特に婦人の日というのは、憲法で男女同權が認められておるのに、特に婦人を區別するように見える、という説が出て居るんですが、如何ですか。
○説明員(山川菊榮君) 特に言わなければ、平等は形式だけでございますからね。職場でもどこでも犠牲になつておる。四月頃からのお花見でもそうでございます。皆醉つ拂いの男が犠牲にしましてね、(笑聲)あらゆる場合そういう事實を眼の前にあるのを忘れておりますから、こういう機會に反省して頂きたい。どこで認められたかというと、憲法で認められておるだけですから……。
○金子洋文君 そこがむずかしい所で、やはりセンチメントが相当勝つてもいいじやないかと、それで母の日の中に婦人デーを、解放した行事をというと、却つて効果が百パーセントになる、その意味で私は母の日にしたいのですがね。
○説明員(山川菊榮君) ついこの間まで男女同權ということをみな嫌いましたが、それだけは耳なれたのでありますが、まだいろいろの點で平等ということを嫌がるのですから、やはりその點を強く言う必要があると思うのです。
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100215072X00219480219/124
漠然と子供に興味のない人生だったが、いつからか「恐怖」になったので気持ちを書き留めておく。
長いので暇な人だけ読んで欲しい。
思い出せる限り、私には(運の悪さによる事故以外で)死にかけたと思っている経験が二つある。
自転車を停めていると、近くに若めの成人男性が立っており、隣の駐車場の方に手招きされた。
陰鬱な雰囲気で声が小さい人で、なんと言って呼ばれているのかわからなかった。
何か用があるのかと途中までついて行ったが、変だと思ったか、予約を思い出したかで歯科医院に戻った。
あの時車までついて行ったら、良くてその場での性犯罪被害、悪くて殺されていたと思う。
実家はマンションの中層だったが、ある日鍵を忘れて、学校からの帰宅後、親が帰るまで待つしかなかった。
そういうことはたまにあり、慣れていたが、その日はどうしても家に入りたかった。
実家は角部屋だったので、玄関脇に非常階段があり、その塀がそのまま連続して、実家のベランダに続いていた。
(その間に、両腕を広げたより大きい幅の、薄い衝立が塀の上に沿って設置してある)
当時の私は、塀に立って衝立を辿りベランダに侵入できないだろうかと考えた。
実行直前まで行ったが、ベランダに入っても窓の鍵が開いてなかったら意味ないじゃんと気づき、やめた。
実行していれば、階数的に甘く見ても7割くらいの確率で死んでいた。2割は大怪我。
衝立はどう考えても脆弱だったし、太め中学生の体重の大半を支えられるつくりのはずがなかったからだ。
前置きが長くなったが、この二つは大人になった今でも怖い。
だが、本当に恐ろしいのは、この裏にもたくさん死にかけた経験があるだろうと容易に確信できることだ。
一体どのくらいの確率をすり抜けてここまで成長できたのか。
そしてきっと私が特別というわけではない。
私は頭のいい子供だった。
勉強は飛び抜けてできたし、同級生の軽率な行動も「そんなことしたらどうなるかわかるのに」と比較的大人の目線を持っていた。
そんな子が、中学受験を総なめにし希望の中学に入った子がその先で大真面目に考えることが、「5階の塀をつたってベランダに入れないだろうか?」である。
1件の重大事故には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常があるというハインリッヒの法則は、子供の日常にもある。
判断力に欠け、好奇心が強いことを考えると、もっと異常の裾野は大きいだろう。
私も特別怖いのがあの二件というだけで、ボールを追って車道に飛び出したこともあるし、携帯を持っていなかった小学生の頃、塾帰りに迎えの親との連絡がうまく取れず、21時過ぎに暗い神社裏で1人ずっと待っていたこともある。
覚えていない危険もきっと無数にあったと思う。
子を持ってしまうと、親としてこれらの危険を18年回避し続けなければならない。
その責任の重さが、命が傷付けられ失われる可能性の高さが恐ろしい。
確かに良くない結果を招くと私も思う。
でも子供の遭遇しうるものを考えると、気持ちはわかってしまう。
ある程度自由にさせつつ、これらを予測して全回避なんて絶対不可能だよ、って思っちゃう。
再婚は考えていないけど、もし機会があっても、この恐怖がある限り、子供は持てないかもしれない。
子供が引きこもりになるかもだの発達障害かもだのの怖さ以前にこれがある。
みなさんは怖くないのですか?
専業主夫をしている。
いまはもう何も描けない。
物語が描きたい。
41歳になった。
この15年、何もできなかった。
25年前、賞を取ってデビューをした、それまで勤めてる仕事場に勤めながら連載もした。仕事場がブラックだったので、そこの事情でひどい鬱になって倒れた。そのころ、結婚もした。
最初の7年は、仕事で鬱になったのの後遺症で心身ボロボロでほとんど寝たきりだった。
後半の4年は、子育てで。子供が睡眠障害があって、一日4時間しか寝なくて、全くほとんどといっていいほど仕事ができなかった。
下の子が生まれて、下の子に障害があることが分かった、たぶん一生世話が必要。
妻が一人で家の事ができないので、ご飯を作るのと、子供の面倒以外の家事は自分がやっていた。集中するために、送り迎えをお願いした日も、妻が送り迎えがしんどくてできないというので、集中してる最中に無理やり集中を切って子どもを迎えに行くことが頻繁にあった。
漫画の描き方には、人それぞれがあると思うけれども、自分の場合、集中するまでに時間がかかって、ただ、集中してからはかなりのペースで描くことができる。連続で8時間以降から。途中で集中を切られるととてもつらい。吐きそうになる。これは、比喩ではなくて、集中してる状態のときに別のことに急に切り替えると、頭痛がして吐きそうになる。
毎日、吐きそうになりながら、子供を迎えに行って、家事をして、でも、仕事の締め切りに間に合わない。妻が家のことを全部できない。
睡眠不足の中、全然仕事をすることができなくて、ようやくもらった仕事もいくらも飛ばした、信頼がなくなって本当に仕事がなくなった。
3年前から妻が外で働くようになった。、そして自分が家のことを全部している。本当に全部。本当に全部。本当に全部。ゴミ捨てからお風呂の掃除からご飯の支度から洗濯から食器洗いから子供の送り迎えから土日の子供の面倒からなんでも。土日も妻は何もしてくれない。仕事が大変なのもあるけれどもずっと寝ていたり、パソコンで仕事をしている。
自分のための時間が取れない。漫画が描きたい。自分の仕事がしたい。
家の仕事は誰かがしないといけない。できる人が全部しないといけなくて、妻はそれができないのでそれを自分がしないといけない。でも、そうすると自分の仕事ができない。漫画が描きたい。
いまは月に頑張って細切れの時間が頑張って40時間取れるかどうか。一日1時間、2時間という時間で、とりあえず手を動かして、頭を動かして、でも、自分の中の物語と物語を作る力がどんどん劣化していくのがわかる、感覚が日常の中で摩耗していくのがわかる。でもどうしようもない。時間が取れない。
何もできない15年の間に、アンテナも、センスも感覚も、何もかもなくなってしまった。絵も大分描けなくなった。
朝起きて、子供を起こして、怒って着替えさせて、ご飯を食べさせて、学校に送りだして、下の子を送り出して、食器を洗って、買い物に行って、洗濯物をして、部屋の掃除をして、ご飯を作って、子供たちを迎えに行って、子どもたちにご飯を食べさせて、宿題をさせて、昼間片付けた下手を下の子にぐちゃぐちゃにされて、お風呂に入れて、寝かしつけて、子供が相変わらず睡眠が少ないので、寝かしつけた段階で、大体11時。体中くたくたになって寝て、そして次の朝また、起きて、子供を起こしての毎日を繰り返す。下の子の障害もあり、これを一生繰り返すのがもう確定している。考えると気が狂いそうになるので考えないようにしている。一切の思考をやめて、ただ、目の前のことを片付けることだけを考えるようにしている。思考に膜を作っている。
スポットのように、わずかの、文章を書ける時間ができる。でも思考を初めて膜がとれると、まず考えてしまうのが、この生活を一生続けるということだ、気が狂いそうになる。それを押しのけて、集中できるように、物語と綴る脳に切り替えられた時には、もう、子供を迎えに行く時間になっている。何もできないまま、ほんのわずかな時間が終わる。
自分と同じころデビューした人間が、賞をとったりしているのを見ると本当に、自分はこの15年間何をしていたのだろうと思う、感性も摩耗して、むしろ、日常を生きるために積極的に摩耗させて、何も感じなくさせて行っている、日常に楽しいことが何もない。希望がどこにもない。気を紛らわすことが何もない。普通の人は、映画をみたり、漫画をみたり、物語を消費して、その日常をやり過ごしていくのだろうけれども、物語に触れるのがつらい。自分が手に入らなかったものがそこにあるから、いくら頑張ろうとしても頑張れる環境が手に入らない、これから死ぬまで。
物語が書きたい。自分の中に、ずっと前からあったいろんな物語が、結局外に出ることなく、砂になっていく。
高校生の時から、作家になりたいと思って、自分の中にある物語を出していきたいと思って、大学の時からあちこちに投稿して、インターネットでも書いて、そしてデビューした。いろんな人間がいるけれども、自分は日常を楽しめない人間で、学生生活を送っているときも、友達と遊びに行ってるときも、どこか、斜め上から自分を眺めている自分がいた。物語を書いて、お話を考えて、それを文章に落としていくときだけが、生きてるって感じがした、楽しかった。
あの頃は楽しかった。会社勤めは忙しかったけれども、仕事から帰ったら、自分の時間を自由に使えた。自分以外の誰かの事を考えないでよかったから。仕事が終わったら仕事のことを考えずに物語の事を考えていられた。夜の9時まで大体残業があったけれども、仕事が終わった瞬間から、お話の事を考えることができた。家に帰って作業して、1時頃寝て、ずっと書き続けてられた。
今は、常に家族のことを考えてないといけない。晩御飯の事とか、毎日子供が話してくるゲームや友達の話に耳を傾けないといけないし、園や学校での行事について準備をしないといけない。物語の事だけを考える時間というのが一切取れない。自分がさびていくのがわかる、わかるけどどうしようもない。だれも助けてくれない。だれも助けてくれない。
今、自分がとてもつらいのは、いつか、どこかで、また文章を書いて、物語をかいて、発表できる、そういう希望が、胸の中のどこかにあるからだ。
希望がつらい。
それでも、日常を自分が管理しないといけない。妻は家のことが全部できないから。死ぬまで、自分は日常をしないといけない。
全部諦めたい。諦められない。辛い。
妻と子供がいっぺんに死んでくれたら、と思うこともある。自分が死にたいと思うこともあるけれども、それよりも妻と子供が死んでくれたら、と思うことの方が多い。でもその理由は、自分が物語を描きたいからではなくて、自分が死んでいなくなったら、妻と子供の日常を守る人間がいなくなるからだ、そういう風に考える自分も辛い。
このまま誰にも見つからず、だれもに褒められず、誰にも気づかれないまま、日常を送って死んでいくんだと思う。
気が狂いそうになる。
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いっぱいいっぱいになりすぎやで
奥様に正直に伝えてみてもええんちゃうか
伝えてるがどうにもならない。
時間をとるって言っても結局まともに見れない。
https://anond.hatelabo.jp/20200307135550
どちらかの親に頼らないか?
脳の発達的に見て、叩いたことによって生まれる教育効果が、叩いたことによって生じるストレスによる負の効果で帳消しになるって話から言われているんだよ。ぶん殴ってむりやり勉強させても意味ねぇ!ってこと。
要はストレスを生じさせるなって話なんだけど、子供の日常からストレスを排するなんて増田も言ってるように無理だろ。
なんならちょっと外に出ただけで車が危ない公園で遊んでいるのがもうストレス原だわ。
殴って子供が安全になるなら、そりゃあ殴れ。脳の発達なんぞ、命には代えられん。
ただ、何よりストレス原になるのは、なんだかんだルールを押し付けてくる親の存在だったりするわな。
ちょっと気になったんだけどさ、その公園の外の道路ってのは、常にビュンビュン車が走っていてガチで危険なわけ?
実は住宅地中で大して車いないけど、公園の外に出るなってルールを守らせたい増田が怒ってるだけなわけ?
母親ってそういう気分になるらしい。うちの奥さんもそう。川原に行ったときに転ぶから走るなとか言ってさ、いや転べばいいし、なんなら転ぶぐらい思い切り走るのもいいじゃん? 危険から遠ざけようとする余り無意味なことをしがちな気がする。
どうやって「ベビーシッターをもっと簡単に使えるようにする」の?
「安い金で重労働をしてくれる都合の良い人間が需要を満たせるくらい存在するようにして欲しい」という事だし、
(具体的には、海外から育児奴隷でも輸入しろというんだろうか?)
シッターの賃金を上げてシッターになりたがる人が増えるようにする、というのなら
「上がったシッターの料金を親ではない誰か他人が負担して欲しい」と言う事だし
(その金誰が出すの?)
これをやる場合のネックは保育施設がそんな時刻から空いていないことだけれど、二交代制にしたりして何とかできないものなんだろうか。
で、保育士は早朝出勤強いられるの?
もっとも、育児奴隷輸入したらしたで「子供をガイジンになんて預けたくない」「子供の日本語が遅れる」とか言い出すんだろうけど。
ラジオとかでさ
「いつもどおりもらってないですよ」って心の中で思うじゃん?
ダメージとしては1くらいなんだけど
これ来年も再来年もあるんだなと思うと、なんか、何このイベントってならない?
例えば無職の人が居るとするじゃん
その人に「今日は勤労感謝の日です。あなたは職がありますか?」って聞いてきたら
なんか、何このイベント?ってならない?
うーんなんて言うんだろ
「今日は敬老の日です。老人を敬いましょう」ならわかるんだよ。能動的だから
毛根死滅したハゲに「今年は髪は生えましたか?」って毎年言ったらうざいだろ?
そういう「ウッザ」っていうのを、世の何割かの男性はバレンタインで思ってるんだよ
これなんだろうね
今更だから別にいいんだけど、これ毎年繰り返してることに違和感を覚えてきた
怒りではないんだけど
ハゲにハゲって言ってる人見たら「あ、この人やべーやつだ」って思うだろ、あんな感じがする
話通じないやべーやつ感
人生の攻略が順調な人にとっては、そこに何ら疑問も浮かばないのだろうけども、順調じゃない人にとっては馬鹿馬鹿しくてバトンをへし折りたいことは多い。
誰かが言ってたけど、俺らの世代って「シーソーを端から端まで歩いていくような人生だよね」って。最初のほうは先が上ってて希望が見えるけど、真ん中らへんで急にバタンってなって未来の先行きが下がったよね。
→いや俺は結婚とか無理だから祝儀を受け取る機会が無いし、払うばっかりで損するばかりじゃん。仮に結婚したとしても式とか挙げるカネないし。祝儀だけ集金するの?
→いや俺が末代だし。俺が祝う子とか設けられないし。年金制度は崩壊するから、俺が老いぼれたその時代の子供から社会的に支えられるとは限らないよね。現代それが重すぎてひどいことになっているのだから、それが是正される未来では、老いぼれの俺が若者から搾取できるリソースは減るだろう。
搾取・カモ・としての目線抜きで、大人は社会的に子供の存在に対し希望が見いだせるかどうか。それが問われている。
→感謝できるような父を持つことのできた幸運な人生に感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。
→感謝できるような母を持つことのできた幸運な人生に感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。
本質的に感謝すべきは父母に対してではなく、幸運に対してだよね。
→いや既に現代ですら老害と呼ばれ敬いリティ(リスペクティビティ?)がとても低くなってるのに、今後はどんどんそれが低くなっていくわけで、俺が老いぼれたとき敬われないことが確定してるのになんで敬わなきゃならないの?
→これも結婚式と被るけど、自分は式をやらない、やってくれるような親類もカネもないのに、なんでそんなに包まなきゃならないんだ・・。
ナウなヤングはみんな東京いってそのまま田舎へ戻らないし。お坊さんを呼べば檀家に入るとか墓を守るとかあるけどそんなん無理な人が増えていて、守られなくなる家、墓、檀家、増える一方でしょ。
「墓じまい」が増えて集合墓地が増えてる。ワイのパッパも樹木葬いう集合墓地の枠を確保済み、実家はリバースモーゲージやで。
→タバコ臭いから行きたくない・・。メリットが薄い。功労賞でチームに対して出たお金とか、なんで飲み会にしか使わないの。高級なオフィスチェアを買うとか、空気清浄機買うとか、ドクターペッパー箱買いして飲み放題にするとか他にもあるでしょ。
→若いころ苦労すればトシとってからラクできる。だから辛酸舐めて生きてきた。年金は払った以上に貰えるし、敬われるし、無能でも出世できる。
そう信じて生きてきて「実際ラクできた」逃げ切り世代はうらやましいよね。
「ラクできそう」が揺らいできた、老害扱いされる「逃げ遅れ世代」。
未来は続かない。