はてなキーワード: 子どもとは
そこまで注意深いなら、きっと良い姑になれるかと。
最近結婚して義理の親に子どもを催促された夫婦ですが、夜に親の顔がちらついて、意気消沈してしまう、と言われました。世間では子無し家庭にデリカシーが全然ないの問題だと思う。
今の時代は、子どもを催促するような言葉はハラスメントになるみたい。
実際親に言われて傷ついた若い方もいるかな? いるかも知れません。
私は、そんなシュウトメは嫌です。
考え過ぎとも思いますが、もし失言したら後で言い訳しても分かってもらえないかも。
最近体調どう?
・・・これも、子どもを持てるくらいに健康? って誤解を招く恐れがある。
難しくて壊れそう。
ため息です。
ふっっっっっっっざけんな
言い訳な訳あるか
わたしは父親似だ 生まれ持ってしまったASDの性質を必死にかき集めた常識と知識でカバーしてなんとか人間のフリしてるんだ
まだ母親がマトモだったらマシだっただろうな
でもそうじゃなかったんだよ
きっとあなた友達にハンカチ借りたら洗って返すとか当たり前に知ってただろ?
わたしは知らなかったよ 母親に聞いても知らないって言われたよ そのまま貰っちゃえばって
わかるか この絶望が 大人になって知識を得てトライアンドエラーを経てからあの時母親に言われた言葉を思い出した時の絶望が 分からねえだろうな
こういう無数の異常をわたしは受け継いでるんだよ
嬉しいことがあったら一緒に飛び上がって喜んで
悲しいことがあったら膝の上に乗せて話を聞いて
いいことしたら笑顔で頭を撫でて
いけない事したら叱って諭して抱きしめたかった
ブスだから結婚できない〜とか言って行動しない幸せな家庭で育った自信がないだけの人見ると心から腹が立つ
ブスだろうが何だろうがお前は人間だろうが
常識とか愛とか接し方とかあらゆる無数の判断を迫られる中 正解を教えてあげられるじゃないか
ブスとか言って逃げるな
どんな人にも必ず特有の美しさがある
つまりブスなんて教養がなく美的感覚に乏しいと自ら暴露しているに等しい奴が勝手に作っただけの言葉だ
お前とお前を取り巻くやつらにその美しさを理解する経験と知識がないだけ
美術を学べ 美術館へいけ チビのおっさんも 女の裸を覗き見するおっさんも カウンターで疲れ切った女も 眉毛が繋がった女も みんなみんな美しい
お前は美しい それを理解してくれる教養ある人間を探せ 望むのなら子どもを産め 産みたくないならそれでいい でも産みたいなら産んでくれ お前は人間なんだから 生まれてくる子どもも人間になれるんだから
でもな わたしは違う 人でなしなんだよ
人でなしが人間の集団の中でどれだけ惨めな思いをするか知ってるか? 知らないだろう いいんだ知らなくていい お前は人間なんだから
ムカつくんだよ 人に生まれたくせに
美しいくせに 子ども欲しいとか言ってるくせにブスだから無理とか言い訳してるやつ
無理じゃねえんだよ
出来るんだよ
ふざけんな
社会貢献のつもりで子どもを設けた人っているの? いないよね?
子どもを作る際の目的意識の中に、社会貢献は含まれてない訳で。
「子持ちになる決断をして偉い」なんて言われてもねぇ。
もし将来成長した子どもに聞かれたら、どう答えればいいだろう。
先祖から続く血を絶やさないため?………………いや、血筋が重要な意味が分からない。王朝とか世襲を批判できなくなる。未来を受け継ぐのが養子とか他人の子どもじゃダメなのかな。
昨日夜横断歩道の信号待ちしてたら、ひょろひょろで常に奇声を発して今にも走り出しそうな障害児とその子の脇を固く抑えつけてじっと耐えている母親が隣に来た。
信号が青になった途端、子が走り出しそれを必死で抑えてスピードダウンさせようとする親。
言ったところで理解できないんだろうな。
母親の表情は疲れ切っていて、見ていて辛かった。
ここのところ、X(旧Twitter)のおすすめに障害児者関連のポストが上がってくるんだが、
・毎日癇癪が酷くて●したくなる
・育児じゃなくて一生介護、親の介護ならいつか終わると思えるが、子どもは自分が死ぬまで続く
・小さい頃から病院受診、療育、学校(支援級か支援学校か)、卒後の就職先、自立先(入所施設、GH)と、健常児であれば考えなくていいことばかり
とかとか、しんどすぎるんよ。
しかも、ポストしてる同じ障害児親でも障害の程度によってマウント取り合ったり、言い争ったりして醜い。
障害児育ててたら皆性格歪んでいくのか?ってくらいきつい物の言い方してる人が多い。
現代の技術では出生前診断で障害児かどうか分かるのって染色体異常くらいだよね?
出生前診断は今は自費で任意だけど、保険適用にして基本全員受けて、障害児だと分かってても産みたい人だけ産めばいい。そうすれば障害児産んで不幸になる人は少しは減らせる。
後ははやく他の障害も産前に分かるようになればいいのにね。
ガロ系の影響を強く受けていて内容もわりとグロめでアニメも最初は深夜でひっそり放送されていた鬼滅
青年誌のヤングジャンプ連載で推し活や芸能界の暗部を描き、子どもに向けて描かれていない推しの子
アプリ版は16歳以下閲覧禁止の制限がかかっているジャンププラス連載の殺し屋漫画のスパイファミリーが
ちびっ子に人気が出ている逆転現象が起きてるね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240427031516
gryphon 面白く読んだが2点。「…付託されたが、その後本格的な審査…ない」は議会が駆引と日程で動く以上あり得る話で「付託」時点で一定水準の議論と推定可能か/米上院(各州2議席)等「平等選挙原則」は前提にせずとも可
平等選挙原則の話はあとに回す。議会が駆け引きと日程で動くのであれば、付託は政治的取引の結果と解することもできるような気がするというのはともかくとして、確かに議会の駆け引きの結果たなざらしにされているという可能性はある。そこで、先の2008年提案をもう少し細かく読んで見た。
https://dserver.bundestag.de/btd/16/098/1609868.pdf
よく読むと、この提案は、基本法や関連法規の改正を連邦政府に促すべきだという「決議」の提案であり、基本法改正の条文を並び立てる案ではない。条文も具体的な制度設計も伴わない提案を一定水準の議論と言って良いのか。だから賛否も問われずにたなざらしにされたのではないだろうか。以下の文章以外は、提案の理由(いわゆる「世代間正義」の実現が主のようだ)が長々述べられているに過ぎない。
II. Der Deutsche Bundestag fordert die Bundesregierung auf, einen Gesetzentwurf zur Einführung eines Wahlrechts von Geburt an durch Än- derung des Artikels 38 des Grundgesetzes und erforderliche weitere gesetzliche Änderungen, insbesondere im Bundeswahlgesetz, vorzulegen. Für den Fall, dass die Eltern sich in der Ausübung ihrer Stellvertreterposition in Bezug auf das Kindeswahlrecht nicht einigen können, wird die Bundesregierung aufgefor- dert, eine einfache und beide Eltern möglichst gleichberechtigende Regelung zu schaffen.
連邦議会は、連邦政府に対して、基本法第38条と他の必要な法律の改正、特に連邦選挙法の改正を通じて出生時からの選挙権を導入する法案を提出するよう求める。両親が子の選挙権についての代理権行使[の方法]について一致できない場合のために、連邦政府には、簡単かつ両親双方に可能な限り同権的な規則を作成することを求める。
ちなみに、Wikipediaドイツ語版(https://de.wikipedia.org/wiki/Familienwahlrecht)を見て知ったのだが、2003年にもほぼ同じ提案がされている(https://dserver.bundestag.de/btd/15/015/1501544.pdf)。
こうして経緯を調べてみると、議会の妥協ゆえにたなざらしにされているというよりも、5年経って具体的な案も詰められなかったというのが現実であるように思われる。
「国会で」とか「政府で」という枠を外して学界に目を転じると、確かにドイツ人らしく(?)真面目に議論されているみたいだ。前回の調査局の報告書には、数は少ないながらこの問題を直接的に取り扱った論文がいくつか引用されていた。彼らが議論しているのは基本法の定める民主国家原理に反するのか、それを促進できるのかという点である。問題は、そうした真面目な議論をきちんと踏まえた上でドイツ人ができなかった(ように見える)平等選挙の原則に反しない提案を考案するどころか、子が3人だから私は4票(吉村氏)などと賛成派のドイツ人も避けようとしている発言をしてしまっていることだ。
さて、平等選挙の話に戻る。アメリカの上院は人口にかかわらず一州に2議席である。しかし、このような例があるから平等選挙は必ずしも民主主義の前提ではないというのに私は強い疑問がある。
第一に、合衆国憲法の上院の議席分配については、アメリカ連邦制特有のものである。アメリカのような連邦制をとらない日本でこの例を出すことは不適切だろう。
第二に、アメリカの上院の議席分配が不平等であることは、当のアメリカ人も不満を持っている。たとえば有名な政治学者ロバート・ダールの『アメリカ憲法は民主的か』(邦訳が岩波書店からある)は、上院議員が人口に比例していない「顕著な不平等代表」であると述べる(邦訳58頁以下)。この仕組みは合衆国憲法制定時に諸州の妥協(いわゆるコネティカット妥協)で作られたわけであるが、そもそも、合衆国憲法は民主主義が大事にされる時代に制定されたわけではないというのが時代背景としてある。合衆国憲法が制定された時代には、不平等な選挙制度は普通に見られた。ダールは一例として、19世紀に存在した悪名高いプロイセンの三級選挙法を引き合いに出している。三級選挙法は、平等選挙を求める激しい非難を浴びながらもしぶとく生き残っていたが、第一次大戦の敗北と共に消え去ったのである。選挙権は与えるが露骨にユンカーと資本家の票を優遇するこの仕組みは極めて有名であり、今でも平等選挙の反対概念である差等選挙の一例として三級選挙法はよく言及される。今さら民主主義が大事にされていたわけではない時代にできた妥協として生き残っているものを引き合いに出すのは、民主主義者の行動としてはおかしなものだと思う。ちなみに、ドイツの連邦参議院(上院)は、ある程度の人口比例的に各州に議席が割り振られることになっている(また、そもそも連邦参議院はアメリカの上院ほどの権限はない)。
ケルゼンも言っているが、民主主義は人々の平等をもって本旨とする(古代のギリシアの民主政も突き詰めれば平等に行き着くだろう。民主政を表すもう一つの言葉はイソノミア(平等の法)である)。選挙権の平等は民主主義と切っても切れないのであり、ドイツ人が平等選挙に反しないように「代理」と言っているのは、ドイツ基本法(憲法)20条に抵触するのを避けるためだけではないだろう。もし平等選挙の理念を取っ払うのだとすれば、金持ちが結託して再び三級選挙法のような仕組みを導入されても文句は言えない。むしろ今般の眠たい提案よりも金持ちを守るための露骨な提案の方が議会を通りやすいだろう。平等選挙を引っ込めてはならない。
選挙権の平等に歪みを加えるような制度改正をしても、政治的影響力を増すのは「代理」する大人であり、子どもではないという現実を見るべきだ。若年者の「世代間平等」とやらを図りたいのであれば、方法は一つである。「代理」などという回りくどいことなどせず、選挙権の年齢を下げることだ。16歳、(オーストリアで検討されている)14歳、あるいはその下でもいいが、子どもが投票の意思表示をすることができるギリギリまで下げてみることを提案されたい(ちなみに私は、14歳くらいまでなら割とすぐにでも引き下げて良いのではないかと思う)。
(ついでに)
意思表示の能力がない子どもは排除されるのになぜ意思表示の能力のない人(たとえば重度な認知症の老人)が選挙権から排除されないのかという疑問を持つ人もいるらしい。理論的にいえば、確かに意思表示の能力のない人は選挙、つまり国家意思の形成に参与する資格はない(実は理論的にいえば子どもか老人かは選挙権の決定に直接関係するわけではない)。そうすると、なぜ2013年の法改正で成年後見人の選挙権が回復されたかという疑問がわきそうだが、後見はあくまで財産管理上の能力があるか否かの問題であり、政治的な意思表示の能力があるかとは厳密にいえば関係ない※。要は、現状、意思表示の能力のない大人を選挙権から排除する仕組みはないと考えなければならない(もっとも、実際には政治的な意思表示が一切できないなら投票所に来られまいし、投票所に来ても何もできないだろうが)。
憲法が成年(ここでいう成年とは民法上の成年をいう)に選挙権を保障するのは、成年であれば政治的意思表示の能力があるだろうという線引きを採用しているからである。こうした年齢によって能力の有無の線引きにするのは、一見すると確かに問題がある。子どもでも賢い子はいるし、大人でも愚鈍な人はいる。思考実験としては、年齢にかかわらずすべて政治的な意思表示の能力がある人をテストで判定し、テストに合格した人にみに選挙権を与えるということも考えられる。ただ、どのような方法でテストを組めば公正に政治的意思表示の能力があると見なせるかという問題が生じる。このようなテストを実際に恣意的に活用して実質的に黒人の投票権を奪っていたのがかつてのアメリカ南部諸州であったことを忘れてはならない。
結局、年齢によって形式的に線引きする方が、ヨリ問題はすくないように思う(年齢よりも問題を起こしにくい線引きの方法があったら教えてくれ)。あとはどこまで下げられるかを真剣に考えることだ。
なお、日本国憲法15条3項は、成年者には選挙権を与えなければならないとだけ言っており(公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する)、未成年者に選挙権を与えることを禁じていない。これは、ドイツ基本法38条2項が、「満18歳の者は、選挙権を有する」と定めていることと対照的である。年齢の引き下げなら日本では憲法改正など必要なくすぐさまやれることなのに、わざわざ憲法改正どころか民主主義の根本原理を改変するような提案をしてくるのは、何かおかしな底意があるのだろう。
※これは思いつきだが、禁治産者が選挙権から排除されていたのは、財産を持つ有徳の者にだけ選挙権は与えられるべきであるという制限選挙時代のBesitz und Bildungの観念に由来するのかな。いずれ調べてみたい。
女性と女児に対する暴力に関する国連特別報告者リーム・アルサレムは本日、英国の保健・社会ケア担当国務長官が最近、子どもと若者のための性同一性サービスに関する独立レビュー(キャス・レビュー)に含まれる勧告を実施すると約束したこと、またNHSスコットランドとウェールズ政府が、報告書の結果を受けて子どもへの思春期阻害剤の処方を停止すると発のニーズを強調し、彼らを支援する専門サービスの設立を提言したレビューも高く評価した。あまりにも長い間、このグループの子どもや大人の苦しみは無視されたり、軽視されてきた。報告書の発見と勧告は、彼らの声が聞かれ、彼らの姿が見られ、彼らの特別なニーズが認識されたことを示すものである。
キャス・レビューは、ジェンダー移行に関する政策が、女児を含む子どもたちの人権に壊滅的な結果をもたらしたことを、非常に明確に示している。
またそのような意見を表明する個人が、"単にそのような意見を持ち、明確にすることで、沈黙させられたり、脅されたり、脅迫されたりすることがない "ようにする必要性を強調した。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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約7年くらい前、インターネットのとあるところに、ASDスペクトラム他の発達障害者や理解者、関係者のための、掲示板がありました。
リアルの現実では『軽度発達障害グレーゾーン』と呼ばれる人たちなどが、何千人も、ネットの海に潜伏していました。そして掲示板にたどり着いていました。
その、発達障害当事者・関係者向けのコミュ場所、掲示板も、もう終了してしまいました。
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小さな小さな、一参加者だったレモンむしぱん(旧ハンドルネーム)はブログを作りました。
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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受動当事者なのに頭の中だけ、言語化が止まらない。生活を浸食する言語化。自分を許せない感情の分析で言語化。
苦しんでいるはずなのに救済をあきらめ続けることが止まらないこの国の軽度当事者たちの不可解さを言語化。
とり憑かれると生活を浸食される妖怪、それは妖怪ゲンゴカー。野良レモンに取り憑いて、今日も薄いペラッペラの言論を危なっかしく書き走る。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●ひっそりと趣味を続けて、ストレス溜まっても趣味を続けて、発散されて、安らげる。ここが羨ましい話。いいねぇ。
この場合は、私も一時期えんえん見てたけど、ソロキャンプがバズってしまって、承認されて、収入としても花開いてしまったけれども、近い世代の野良としては、羨ましいのはそこじゃなくて。もうかったところじゃなくて。
心のオアシスが、今でもいつまでもオアシスであり続けるところ。
私は、身体に限界がきて制限している趣味が発生している。私たち当事者たちは、限界が早めに来やすい。旅行とかの趣味はなるべく早く、気が済むところまで極めておいたほうがいいかもですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=3P8zMqCMYxs&t=211s (リゲイントリプルうんちゃらの宣伝も入っていましたが、野良はそんなの視界に入ってません。興味は無いでもない…)
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●子どもの支援の場合についての動画ですが、4つにまとめられていて、とても ❝とっつきやすい❞ ので揚げました。
大人の私たちも、悩みは多肢にわたって抱えます。あれがうまくいかない、これが満たされない、この相手にこれが通じないetcetcで、まず自分に原因を探すさいに、私たちは自分の生育の中でなにが足りなかったんだろう? と振り返ります。よね?
野良のように、医療からは検査診断以外のなんの分析もご指導ももらえない境遇の当事者は、自分で自給自足しようと孤軍奮闘して人生がほぼ終わるわけです。自分で調べても、ネットで聞いても、振り回されるばかりなのですが、私たちに不足している栄養分(お勉強)にはだいたいこういうものがありますよ、と可視化されるだけでも不安感は違うものなのです。
それでもね、私たちに必要なのに、無い栄養分が4つもあるなんて、多過ぎるかもしれませんね。日々の日常を回すときに、念頭に置いておける限界は、せいぜい1つか2つでしょ。世の理不尽は底知れませんね。
ちなみにこの4つがそろうまでも、1つ1つがブームになりながらそろってきた歴史があります。発達障害が世に知られてくる20年以上前からメンヘラさんたちの治療に応用行動分析、次に自閉の療育にティーチ、そのさいコミュニケーションするためのツールとしてぺクス、今はSSTが流行………? 書店に本がいっぱいある感じですね。
(動画URL、取っといて無かった)
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ふーん。野良は ❝いやいや過激な実験ですねぇ……❞ と感じて苦笑いするだけで済みますが、済まないかたは、動画再生は無理しないで。
少なくとも、野良の生活圏内で、この治療に近づく手段は無い。それに想像力の獲得が短時間だけ、でも考えようによっては命懸けの治療を一般化することは、今はまだ現実的に考えづらいですよ。
ASD傾向の人は、ASD持ちの家系にも生まれるんでしょうが、一般の普通の家系にも普通に生まれます。それが、こんなお幾ら掛かるか分からない治療が必要であることも現実的に考えづらい。保険適用にするとしても、日本人たちは同調圧力という気質も強い。治療をするように社会が強いることにならないように、成人してから標準以上の知能指数で考えて自己決定でする法整備も必要。成人するまでに、養育者が療育する自信が無いとか、難しいとか、そういう事情は別問題として、横に置いておいて議論されなくてはならないという意見を私は持つよ。
「治療に出資してやるからここに署名捺印しろ」とか、犯罪しろとか、利益を貢げとか、服役しろとか、加害者の加害を受け入れて従えとか、そういう悲劇も問答無用で制裁されて欲しいけど、問答しないと法整備されないのよね~。
私は『永遠の『宿題』の提出』(ブログ参照してね。)問題の自説を持っている。治療していざ、張り切って思考した結果が、必ず『永遠の『宿題』』の正解を出せるものでなければ、脳をリスクにさらしただけで、本人の人生はなにも変わらない現実にしかならない。
大人の当事者たち自身も自己努力をするけれど、多様性を社会が受け入れてくれる気があるなら、たとえば貧困や二次障害のメンヘラを傍観する見守りするだけじゃなく、今の社会の『永遠の『宿題』』の内容をどーにか議論することから始めていただきたい。
(動画URL、取っといて無かった)
日本の女性参政権を戸主投票権を増やすことによってすり替えようとした政治家がいたよね
米英人のグイド・フルベッキと武者小路実世だっけ
当時最先端だったドイツのブルンチュリの偽翻訳書をばらまいた
イシンとレイワはネーミングからしても外国人がつけた名前だろうな
なお現代日本では、子どもの多い家庭は、ほぼほぼ上級国民なんで
誰かと一緒に、特に家族や恋人や親しい友人など一緒に食べるとおいしいというが、そんなことはない。
王将のにんにく激増し餃子、サイゼリヤの目玉焼きハンバーグ、KFCのオリジナルチキン(リブ)、サーティワンのロッキーロード、マクドナルドの三角チョコパイ、好きのものをあげればきりがない。
お手頃な価格でおいしいものにあふれている。それが現代。贅沢な時代である。
ありがたいことに愛する妻と子どもたちがいる。
家族でご飯を食べると、子どもたちの世話をしてしまう。自分がチョイスしたものでも誰かが欲しがればシェアしてしまう。自分の食事は二の次になる。
ありがたいことに親しい友人がいる。友人が話をしていれば聞いてしまう。私も何か話をしたくなってしまう。そこで食事の話題もあるが、それも含めてやはり食事に全集中することは到底できない。
家族にも、親しい友人にも、知人にも一緒に食事をする可能性がある人には誰にも言えない。
それが極めてないような人にも、わざわざそのことを言うようなシチュエーションはこれまでなかった。
そう、このことを話すことができる最も適切なシチュエーションは誰かとの食事中なのだ。しかし、その内容は最も適切ではない。
私は、酒もたばこもギャンブルも、ポルノもゲームもショート動画も、例え合法であってもおよそ依存性のあると言われるものに強い警戒心をもっている。過度にドーパミンを放出するような物質の摂取や行為には、過度な警戒心がある。そのせいか、どれも楽しめない。
しかも、大概、得た快楽以上の苦痛や深い落ち込みが後からやってくる。全く割に合わないのだ。
でも、食事は生きるために必要な行為なので避けることができない。食事の場合、過度に量と内容を間違わなければ、食べた後は元気になるだけである。
だから純粋に楽しめる(最近は排尿、排便も密かな楽しみになってきている)。
食事も依存性に関してはジャンクフード、砂糖や脂質、カフェインに対するツッコミもあるだろう。油断はできないが、他の依存性の物質や行為と比較するとまだ何とか扱える範囲だと思う。
スゲー平凡な名字から、全国に百人もいないらしい超珍しい漢字の名字になって一年目だけど、私自身は毎日ものすごく楽しいわ。
一応、渡邉⇒渡辺みたいな、常用漢字もある系の名字だから、職場ではそれで通ってる。
夫の親戚に聞いたら入籍のタイミングで常用の漢字に変えた人も多いっぽいけど、そんな制度があるの知らなくてこうなった。
夫は名前間違えられたり漢字ワープロで出ないのが苦痛っていうけど、私はそれも勲章って思ってる。
まじで字面珍しすぎてお役所関係の手続きが遅延する上に99%カタカナになる(正式な名前で書かれる書類はマイナンバーと免許証と戸籍謄本くらい)弊害はあるから、誰彼に勧めようとは思わんし、もうすぐ生まれてくる子どもに、
生まれたときからこの名字で生きていくしんどさを強制してしまうのは、申し訳ないなとは思う。
維新の会共同代表の吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子の投票は親が代理して行う)を提案し、維新のマニフェストに加えたいという意向だという。
(https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html)
これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートをリツイート(リポスト?)していた。
吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベルが心配になる
海外の議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本のSNS界隈の反応はそのレベルに達してない
吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが
ドイツの連邦議会で議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分の議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。
第一に、このPDFはドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである。調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本の国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会で議論されたことになるのだろうか。
第二に、調査局の報告書(タイトル:生まれた時からの選挙権[構想]の諸問題)という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人の意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典(日本国憲法のような)にあたる法である。
要約すると、
・親に子どもの数分の選挙権を付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙の原則に反するし、平等原則の原則は20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法(憲法)改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)
・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察が必要になる。(同)
・基本法38条2項(選挙権年齢)の改正が必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正の限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれる平等選挙の原則にこのようなモデルが適合するか否かである。
・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身の投票権行使と子の投票権行使は区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度は普通選挙原則(選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)
・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義の正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実の問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的である。そもそも代理投票という仕組み自体、子どもは成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論と矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家の意思形成に責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11)
ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能性自治体」があるからとかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由が提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由の馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的な政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義は平等選挙原則も同様に要請するから、ドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。
平等選挙原則に反しないというためには、親自身の投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツの連邦議会と調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツの議論は話の枕に使われているだけで、ドイツの議論を真面目に受け止めて、そのような制度が可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人の意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票の秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票の秘密を守ろうとすると、親の投票意向をコントロールすることはできない。それでは子から投票を付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つのは母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事は制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。
そもそも、ここから分かるように一口に子どもといっても投票が可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから、投票が可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権が議論されていると聞いた覚えがある。このような議論は真剣な考慮に値すると思う。
繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度が平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツの議論を踏まえて、この制度の賛同者は、この制度が平等選挙原則に反しないようになる制度の可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義にコミットしていないと思われても仕方がない。上記の議論では、平等選挙原則は基本法(=憲法)改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。
※興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正の提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会のHPで確認する限り、提案は委員会に付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。
https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939
※※
これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正の限界という純法律的な論点を脇に措いたとしても選挙権の平等を真面目に考えないことが民主主義者であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差が問題にされることはない)が、平等選挙原則の排除が憲法改正の限界に引っかかる理論的可能性はあるだろう。
(追記)
それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理」モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言を自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能性自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義の根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。
(再追記)
(再々追記)