はてなキーワード: 妊娠3ヶ月とは
これは酷い。
横浜市本牧町の医学博士大野禧一(当時49歳)は、同市に住む小倉鎮之助(群馬電力社長)六女の哲子(18歳、女学生)に1922年8月から気管支疾患の治療を施していたが、性に関する哲子の無知につけ込み、「陰部が糜爛しており、胸部の疾患に影響するおそれがあるのでこれを治し、また月経を順調にするため陰部に座薬を挿入する必要がある」と虚偽の説明をおこない、同年12月下旬まで3回にわたり小倉家の治療室で密かに強姦を繰り返した。この結果、1923年1月、哲子は妊娠3ヶ月の身重となっていることが判明した。
これを隠蔽しようとした大野は、哲子の母親に「哲子さんに月経がないのはポリープのためなので治療を施す」と虚偽の説明をおこない、同年2月21日、2寸5分の針金を二重に折り曲げたものを哲子の陰部に挿入し堕胎を図ったがその夜、哲子は局部に激しい痛みを訴えそのまま寝込んでしまった。不審に思った両親が問い詰めると彼女は告白し一連の犯行が小倉家に露見。翌日、医師に診察され産婦人科で器具が取り出された。胎児や母体に影響はなかったが激怒した両親は弁護士に依頼し横浜地裁に告発した。事件が明るみに出ると新聞各紙は大野を非難し人々は激怒して自宅へ罵倒に押し掛け投石もした。大野は強姦ならびに堕胎未遂の容疑で逮捕され、横浜地裁で懲役6年の判決を受け二審、三審でも有罪。懲役3年の実刑が確定し服役した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
とは言え、吐いたのは数える程度であとはずっとうっすら酔い続けてる感覚。すっきりせず胃液が込み上げそうになる。
私はいわゆる食べづわりというやつらしくて、食べてる間だけは気持ち悪さが軽減される。
食べられる量は普段の半分程度まで落ちてしまったが、美味しいもんはちゃんと美味しく食べてる。
ここ数日の話だと、夫が自分用に作ったポトフをつまみ食いさせてもらったのが1番美味しく沁みた…。(食欲無いから私の分はいらないと言ったくせに)
なのにだ、なのにだ。
あんなに大好きで週2日は食べてたラーメンへの興味がまるで無くなった。
美味しく食べてたはずの人気店とかも、ごく普通のラーメン食べさせられてる感覚。あれ?こんな味でしたっけ?みたいな。
その上、美味しく食べてたラーメンに匹敵するほどの好物が今のところ無い。
チョコレートも1口で十分。揚げ物は論外。ナマモノはNGだし(この間うっかりポキ丼食べちゃったけど)
おひとりさま時代はひとりで食べ歩きしてたくらい食べることが大好きだっただけに、今の状態は結構ツライ。
だからせめて、私が出産して味覚が元に戻ったときにまたラーメンが食べられるよう楽しみにしたいので、はてなの人たちオススメのラーメン屋さんを教えてください。都内23区がいいです。
自分のオススメ貼りまくろうと思ったけどかなり地域に偏りがあるのでヤメました。
好きなスープ:出汁が効いた透明な醤油、とんこつ醤油、白鶏、魚介系のこってり、油そばも好き
好きな麺:太麺、中太麺
アラサーで結婚して1年が経ち、そろそろ子供欲しいと思っていたが生理不順でいつ子作りを考えた性生活を持てばいいかわからなかった。
最寄りの産婦人科にかかると卵巣に異常があって自然妊娠が難しいかもと言われる。
その後不妊治療の病院を紹介され、なんとか保険適用内のタイミング法で妊娠した。
もしかすると妊娠すらできないのではと思っていたので、妊娠検査薬が陽性になったときは嬉しいより安堵したって感じだった。
そして胎嚢確認し、その後もすくすく育ち心拍も確認。胎児のサイズも問題なく、母子手帳も交付。ここまでくれば流産の確率も5%くらいで大丈夫でしょうと医師が言うので安心しきっていた。
しかし妊娠3ヶ月目で急に出血があり、病院に連絡するがこの時期の出血はよくあることだから、様子見と言われる。その後1週間毎日出血が続き、量も増えているので不安になり病院でエコーを見てもらったら、赤ちゃんの心拍は止まっていた。
その前の妊婦検診ではしっかり動いていて目視でもわかった心臓の位置も、止まっていてはどこにあったのかわからず、コロンとした胎児の形をした置物が子宮内に映っているだけだった。
医師からは残念だけど…と言われて、ああ、ダメだったのか…とじわじわ実感してきた。
旦那も付き添ってきてくれていたので診察室を出たあと結果を伝えると、マジで…とそのまま無言。その後また自分だけ診察室に呼ばれ、稽留流産との診断を受けた。自然流産を待つのはリスクが高いほど成長していたから、翌日に除去手術受けることに。
会計を済ませて旦那と無言で涙を流しながら帰宅。帰宅後はもう訳が分からんぐらい喚きながら泣いた。旦那は夜勤なので泣きながら仕事へ。
自分も少し落ち着いた後、職場の本部長に経緯を話し、手術をするため数日休みを貰うことにした。妊娠は直属の部署の人には報告していたので、本部長から経緯を説明してもらうようにした。いちいち1人ずつ説明するの辛いし…。その後経緯を聞いた先輩から、来週は元気に出社してねとLINE。まあそんなもんだよね…。
翌日朝9時に再度来院し、個室に案内されて11時から手術になった。旦那はずっと個室で待機。
前処置が辛いと先人のブログ等で拝見しビビっていたけれど、点滴打って麻酔が効きやすくなる注射を尻に打たれただけで、そのまま手術室へ。全身麻酔で即寝しているうちに手術は終わっており、前後ともに痛みも何も無くて安心した。ただ、麻酔からなかなか覚めず、車椅子で個室まで運ばれたらしく、その間ひたすらウーウーと唸っていたらしい。怖…。
目が覚めると個室のベッドの上で、麻酔がまだ残っていて目眩と吐き気が強いので、3時間ゆっくりさせてもらった後、もう一度子宮のエコー見せてもらい、中が空っぽになったのを確認して退院。16時には病院を出た。
病院内にはたくさんの妊婦と、産まれたての赤ちゃんがいて、幸せそうな空気でいっぱいだった。
手術方法は掻把法(そうは)と言って匙で書き出す方法か、機械か真空の筒で吸引する吸引法が主流みたいで、私は吸引法だった。翌日から出血すら無く、痛みもなくてびっくりしているんだけど先生の腕が良かったのかな。
金額は4万ちょっとだった。手術なので保険がおりるらしく不幸中の幸い。親からは美味しい物を食べるように言われ、妊娠中食べれなかった寿司を食べた。美味しかった。辛くても食欲はあったんだよね。手術絶飲食だったし、、、
帰宅し、マタニティウェアや母子手帳、お腹に赤ちゃんがいますのストラップを見てまた泣いた。でも、妊娠すらできないと思っていたので、妊娠できることがわかっただけ良かったと思うしかなかった。
もし、また妊娠して、また流産になったらと思うと、あまりにも怖すぎるけれど、旦那と話し合ってもう一度不妊治療の病院に通院し、1から頑張ることにした。もしかすると次は妊娠すらできないかもしれないし、すぐ妊娠して何事もなく産むかもしれないし、やってみなくてはわからない。
新人:3年前に新卒。入社して12月に産休、今年3月から復帰。新卒扱いで新人研修中
3年前、研修を終えてうちの部署に来て、色々と頑張ってくれてたが、急に産休という事で居なくなるも、まあ部内は頑張ってな〜程度の軽い気持ちだったと記憶している。
生まれた後も、度々子供見せに来たり、差し入れ?持ってきたりと復帰する感あったので、復帰後はブランク取り戻すのと、時短勤務と言う事で研修やってもらう事になり、私が担当となる。
が、どうも覚えが悪いというか、細かいミス、検討が足りないのが目につく。穿った見方をするとやる気を感じない。(この時点で気が付くべきだった)
まあ子育てあるし大変なんやろな〜、出来る感じでええよーと、良く言えば放任、悪く言えば期待しない対応してきた。
でも質問やら提出物チェックは自身の作業を止めて、出来る限り注力してきた。とは言え自分の仕事が減るわけでもなく、、この2ヶ月終電間際でヘロヘロな毎日。GWなければリカバリー出来なかったと思う。
で、先週金曜日に突然産休届が私はもちろん部長すら通り越して総務へ提出される。
んんん?妊娠3ヶ月て事は、この3,4月は何だったの??研修しなくて良かったんじゃない??
そして、何故か部長とセットで呼び出されて、新人研修コストの話やら、教育方法に問題があったのではないか?と1時間も詰められる。(かなり怒ってる空気)
どうやら、研修が嫌でつい妊娠してしまった、計画的ではない、仕事はしたいといった内容の報告があったとの事。
幸い、適当な仕事が無くてブランク取り戻してもらう、そもそも前の産休でほとんど仕事していなかったので、現場ですぐに受け入れられないと総務含めてネゴってあった部長が庇ってくれたのと、もう一人の新人の子が優秀過ぎて問題無かったのと、指摘内容を全てOneNoteに残っていたから、復帰新人の個人的な都合という結論で終わったが、、、
下手したら私のパワハラやらマタハラ辺りが疑われてたって事??
もし、何もなかくて、1体1だったら勝ち目無かったかもと思うと身震いが…
新人担当の人は、指摘事項とかは極力残すように、指摘も会議室の密室では無く、周りに人が居る自席でやろう。
そして、中の上の男以外の担当にはならない方がイイ。なった場合は最悪を想定しておく事。
優秀過ぎるのは大抵3年で消えていく。色々と教えて戦力になった辺りで。
ポンコツなのは、苦労するだけで成長なんてしない、もう遅い。無理だ。あいつを新人教育したのはあの人だと、要らぬレッテルが貼られる。
普通の女は、産休で消えていく、下手したらマタハラとかの危険ある
私のGW返して…