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はてなキーワード: 女衆とは

2024-04-29

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

2023-12-31

anond:20231231012353

日本に生まれて良かった女性を見たことないんだが、そんなにここ生きづらい国なのか女衆にとっては

2023-11-30

anond:20231129151302

やっぱり男からすると「女はイージーモード」じゃないと納得いかないんだろうな

料理できるのは当たり前、化粧やスキンケアで身だしなみを整えるのは当たり前、わずかなムダ毛でガサツ扱い、家族の集まりでは女衆だけは歩き回って男のお世話、そういうの全部女というだけでやって当たり前、努力レベルじゃない扱いなんだよな。

2023-11-20

anond:20231120224526

旦那の親の葬式旦那以外にも男兄弟複数いるけど義姉が事実上仕切ってたな

喪主」は長男だけど、実際に仕切ったり色々やるのは女衆じゃない?

2022-12-22

鍋を待ちながら

和歌山県に浮かぶ孤島

入り江に浮かんだイカダがある風景

秋の終わりが近くなると島の人が総出で収穫をして

浜辺に干す姿は壮観である

乾燥して真っ白になったそれを

女衆が長さを整え袋に詰めて冬になる前に町に出荷する

産業のないこの島では貴重な現金収入

幼馴染の訃報を聞き、葬儀に参列するために2年ぶりに生まれ育った故郷に戻る。

海の事故で亡くなったと聞いていたが、居合わせ親友の話では不可解な点があり、他殺の可能性が。

その背後に見え隠れするのは、この島に昔から伝わる「マロニー」の存在

って感じで作られてたら、ちょっといいなと思った。

しかマロニーって一体なんなん?

2021-06-10

anond:20210610191450

少なくともウチの田舎漁師村じゃ昭和天皇が巡幸に来るって言うんで誰の魚を献上するのかで揉めに揉め、殴り合いの喧嘩に発展するものの、女衆による「喧嘩の腕より漁の腕を競えよ」って言葉で巡幸の早朝に昭和天皇が口にするのに相応しい立派な魚を揚げたヤツが献上すると決まったというエピソードはあるので、安い100均とか「相応しくない」ので使わせて貰えないんじゃね?

これ村の寄合での鉄板エピソード、この話が出るたびに皆笑う

2020-11-04

anond:20201104222927

お母ちゃんや姉ちゃん妹にも近所のエロガキやおっさんエロイ目ぇ向けてくるからダメ

父ちゃん亡き後、女衆を守るのは長男のぼくの役目や('ω')

2019-06-19

母親メシマズ

から両親ふたりとも退職した後は父親料理してる

父親料理うまいほう

たまに失敗もするけど

こどものときはそこまで気にしてなかったけど、めちゃくちゃおいしいと思ったこともなかった

とりあえず食えるって感じ

高校生ときとか弁当が冷食ばっかで逆にうれしかったし

友達の家におじゃましてお昼をごちそうになったとき

普通の袋ラーメンに肉野菜いためをのせただけのものに感動しておいしいおいしい言いながら食べたら、

友人がちょっと引いてたし

今でもそわそわして心配になるのは親戚の家で女衆料理に駆り出されて母親もなんか一品作らされるようなとき

2018-08-01

anond:20180801095939

居住地を選ぶ自由職業選択の自由婚姻自由もなく、

そのかわり外で労働する義務もある程度免除されてたし、

家事もほかの女衆と分担して行えた。

第一、それ以外の自由自由のままだろうが。

2017-07-04

どこからパラサイトシングルなのか

大家族、拡大家族三世帯同居が当たり前の時代から核家族時代を経て、パラサイトシングルという集団が見いだされたわけだが…

大家族時代のような独身の子が同居している状態と、パラサイトシングルの線引きはどこになるんだろうなあ。

家にお金を入れているかどうかで言ったら、大家族時代独身の子世代お金入れてなかっただろう。

まあ、その頃は農家が多かっただろうから、家の田んぼを耕したりで家の労働力になるか、

作男として近所の田んぼをやるとか、女性なら女衆として、炊事洗濯とか

そんな時代に家に金を入れるというと、身売りや丁稚奉公とか、なんだかツライ方法しかないぞ。

協力して生活運営することと、依存境界線はどこにあるのだろうか…と考えた場合に、

やはり、自立心があるかどうかなのかなあ。

その上で、できることは自分でやる。

協力するところは協力する。

なんと、山田昌弘氏の「パラサイトシングル時代」は私は未読である

読んでから問題提起しろや、とは自分でも思う。

2017-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20170521144313

「もう日本女尊男卑」ってよく聞くけれど、東京みたいな大都会に住んでる人や、

実力主義世界で生きてるエリートけがそう感じてるんじゃないかと思うよ。

自分鹿児島に住んでいる普通OLだけれど

男女の賃金差、昇進スピードの差はすごく大きい。

女は総合職で5年勤めても平社員のままだけれど

男はたった1年で役職がついちゃう

とくにこの男性が優秀というわけではなくて、

取引先の偉い人はほぼ男性から男じゃないと交渉がうまくいかない、という理由らしい。

から女へのセクハラ

日常のこととして笑って受け流さないとやってられないくらい多い。

家庭に入ったら飯炊き女やりながら働かないといけない。

母親子供のころは女衆男衆食卓が違った、というような地域なので

(男はテーブルでご飯を食べて、女は台所の床に簡易テーブルを置いてご飯を食べる)

だいぶマシになってきたとは思うけれどね

2014-07-08

果て無村の、きみょうな、じけん



村の自称青年運動家斎藤蔵太(32歳、仮名)が村の南西の端を流れる果て無川で、水死体となって発見された。

死体には目立った外傷はなく、入水自殺の可能性も考えられる、と警察は発表した。村の者たちに対する聞き込みなども行われたが、詳しい者はおらず、またどうも皆口を閉ざしている様子で、真相は闇の中であった。唯一、村の事情通自称する猫ババが、斎藤は村の若い女たちに、ハレエ彗星の欠片と称するものをばらまき、その見返りに何かを求めていた、という曖昧証言をしたが、この村はずれに住む猫ババは、普段から揉め事ばかり起こす人物であり、その信憑性についてはやや疑問が残るものとして扱われた。実際、村の女たちは誰一人として、斎藤蔵太との関係を認めなかった。こうして事件はうやむやなまま自殺ということで片付けられそうになったが、ある一人の若い警官斎藤の生誕地である隣村に聞き込みに行ったところ、次のような事実が判明した。

斎藤蔵太は、隣村(大東村)の小さな農家の倅だったが、かねてから大根育てて一生を終えるようなタマじゃない、と周りに吹聴していた。どうも、家の手伝いをせずに左翼活動に熱中していたらしい。30歳をこえ、そろそろ家を継ぎ、身を固めた方がいいと周りが説得しだしたのは最近だが、それがきっかけで隣村を飛び出し、今の果て無村に居着いたようだ。

果て無村では、山奥にポツンと建っている、ある変わり者の未亡人の家に居着いていたということも同時に判明したが、その未亡人も、いつの間にかいなくなっており、行方はわかっていない。

家には何も残っていなかったが、家の二階の奥に異様な雰囲気の部屋が見つかった。人のものと思われる糞尿が、辺り一面にこびりつき、天井までも汚れていた。また、解体された、林業用の電動の伐採機が見つかった。これも非常に汚れていたが、歯の部分だけは、綺麗に拭き取った跡があった。

その後、大きな発見はなく、事件は忘れられていったが、一年を過ぎた頃、果て無村から十里ほど離れた場所にある憑い堕町にて、件の未亡人が、餓死しているのが発見された。果て無村まで伝わってきた情報では、数人の若い女衆と共に断食を含む宗教的儀式を行っていたようだ。真偽は不明だが、流れ星信仰し、祈祷の一環として、自分の身から出たものだけで生きる、という奇っ怪な修行を行っていたとの噂もあるようだ。

以上が、この事件に関する世に知られた情報である

その年の暮れ、非常に大きな流れ星が見られ、村じゅうの話題となったが、事件との関連性を取り沙汰するものは少なかった。

(この物語フィクションであり、実在の人物、団体等とは一切関係はありません。)

 
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