はてなキーワード: 奇談とは
宝暦14年(1764年)の怪談集『奇談漫録』に妖怪まんこ嗅ぎに関する描写がある。
ある夜、若い娘が寝床の中で目を覚ますと、布団の中に妖怪まんこ嗅ぎが潜り込んでいて、娘の下半身は露わになっていた。
驚いた娘は必死に抵抗しようとするが身体は動かず、妖怪まんこ嗅ぎは娘の股間に顔を近づけ、匂いを嗅ぎ始めた。すると不思議なことに、それまで感じていた恐怖が消えていき、代わりに快楽が訪れたという。やがて、娘の性器からは大量の愛液が流れ出し、それを見た妖怪まんこ嗅ぎは、満足そうに笑いながら姿を消したそうだ。
また、明和7年(1770年)の怪談集『古今百物語』では、幸福をもたらす妖怪として妖怪まんこ嗅ぎが描かれている。
ある夜に、ある遊女屋の娘が目を覚ましたところ、妖怪まんこ嗅ぎが現れ、彼女の性器に顔を近付けた。すると妖怪まんこ嗅ぎは激しく興奮し、激しく呼吸をしながら匂いを嗅いだ後、やがて性器から溢れ出る愛液を見て喜んだと言う。
遊女屋の娘は陰部の臭いに悩んでいたが、翌日になると陰部から悪臭が消え、雅なお香を思わせる良い香りがするようになったという。しかし、遊女屋の娘は妖怪まんこ嗅ぎに夢中になっていき、ついには妖怪まんこ嗅ぎに抱かれることを夢見るようになった。
そのため、彼女は客を取ることができず、遊郭を辞めざるを得なくなってしまう。しかし、その後すぐに彼女の陰部の香りに惹かれた江戸の大富豪・中村喜兵衛に見初められることとなり、彼の妻となると妖怪まんこ嗅ぎは現れなくなったという。
初期の妖怪まんこ嗅ぎは単純に股間の匂いを嗅ぐだけの妖怪であったが、後に妖怪まんこ嗅ぎは幸運をもたらす存在として描かれるようになり、妖怪まんこ嗅ぎに憑かれた女性はその後幸せになるという伝承が生まれた。
妖怪まんこ嗅ぎに取り憑かれた女性は「おまんこさん」と呼ばれ、吉原では「妖怪まんこ嗅ぎのお守り」というものまで売り出されるほどであった。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
彼の独特な作風は間違いなく評価されるべき才能であると思うのだが、ものすごい不遇。圧倒的に不遇。
地味な作家ならいろいろ打ち切られても当然だと思わなくはないのだが、彼に関しては間違いなく光る何かを持っている。それでいて埋もれている。
まずデビュー作の「少女奇談まこら」という作品があるのだが、これは未だ完結していない。
この作品は原作付きで、原作は平野俊貴(魔法騎士レイアースなどの監督)植竹須美男(アニメ脚本家)の2人。
「ゲゲゲの鬼太郎」をオマージュした妖怪漫画で、妖怪皇の血を引く少女まこらが、お供の妖怪と共に父母を探す旅に出るお話。
2006年にリイド社の月刊少年ファングで連載を開始したのだが、1年後にその雑誌は休刊。
作品自体は好評だったようで、その後、講談社のピテカントロプスというウェブコミック誌で「まこら〜ひひひ怪々伝」に改題して連載再開したのだが、これも08年の終わりあたりに突然の更新終了。無念。
その間に、講談社の別冊少年マガジンで「バニラスパイダー」が連載開始(2009年)。
別冊少年マガジンの創刊号の連載陣としてラインナップされ、そのおどろおどろしい世界観とSF的なストーリーでそこそこ注目された。
原作無しの完全オリジナルの連載は初めてだが、きちんとストーリーも書けることを証明してみせたわけだ。
だが、別マガには他に同じようなおどろおどろしい雰囲気を持った怪物的な作品があった。
こちらの作品は瞬く間に注目され、あっという間に人気作に。
一方バニラスパイダーの方は一部で話題に出るものの特にブレイクはせず、地道に連載を続けていたのだが、結局3巻で打ち切られることになった。
別に「巨人」に何の罪もないのだが、完全に陰に隠れてしまった感がある。
実はこの作品、3巻でものすごくきれいにまとまった傑作なので、最初から3巻の予定だったのでは?という疑問も浮かぶのだが、
序盤に出された伏線が回収できていないことと、3巻での作者のコメントを見る限り「打ち切り」だったのは間違いないと見ていい。
とまあここまでならありきたりな話だが、阿部洋一の不遇はまだ続く。
バニラスパイダー終了後、2010年末に今度はアスキー・メディアワークスの電子コミック誌・電撃コミックジャパンで「血潜り林檎と金魚鉢男」を連載開始。
コミックジャパンという名が付いてる時点で嫌な予感がするのだが(過去に短命に終わった同名の雑誌が2つある)、先に言ってしまおう。これも休刊する。
しかも、こともあろうに阿部洋一はこの雑誌で2つの連載をしていたのだ。
1つは前述の「血潜り~」、そしてもう1つはなんと連載を休止していた「少女奇談まこら」だったのである。
「まこら」連載再開時には大きく「復活」と取り上げられ、それまで発表された話数に加筆修正を加えた「完全版」の刊行、そして最後まで連載するという宣言もあり、ファンを歓喜させた。
そして「血潜り」と並行して連載されることになったのだが、結果は御存知の通り休刊で連載中断である。ひどい。
「血潜り~」は奇抜な設定の漫画で、第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品に選ばれたりとなかなかの高評価を得ていた。
「まこら」も連載再開後のエピソード「夢華族」が傑作中の傑作で、この作品はもう名作になること間違いなしだな、と勝手に思っていた。
それが休刊で2つ同時に中断である。「まこら」に関してはぬか喜びもいいところである。
休刊時の発表では、打ち切りではなく今後の動向は追ってお知らせするとなっていたが、いつまで経っても発表はされず、ついにはサイトまで消滅してしまった。
1つの連載作品で3つも休刊を経験するなんてなかなか無いことで、よくわからない称号を得たような感じすらある。
その後はまた別マガで2013年に「橙は、半透明に二度寝する」を連載開始したり(2015年中に完結予定、打ち切りかは定かでない。既刊1巻)、
集英社のウルトラジャンプで短期連載の「オニクジョ」を含め読切が複数回掲載され、短編集が発売されたり、
デジタル版に完全移行したコミック・アーススターで「新・血潜り林檎と金魚鉢男」として連載が復活したり(これまた新装版が発売されるようだ)(雑誌が雑誌なだけにまた休刊するんじゃないかとの声もある)
と、なんとか漫画家を続けてこられている。(しかし「まこら」は音沙汰なし)
ネット上でオススメの漫画とか紹介するのが流行ってたりするみたいだが、そこにもほとんど顔を出さない。
「少女奇談まこら」はマジで傑作。「橙は、半透明に二度寝する」もとてつもない怪作。オムニバスなんでとりあえず1話だけでも。(http://www.shonenmagazine.com/bmaga/daidaiha)
というわけで、皆さん是非読んでみてね。(わざわざ言わなくてもいいと思うけど、本人じゃないよ)
(追記)
ブコメに「総合マンガ誌キッチュの話はしないのかい?」とありましたが、はい。
「キッチュ」は同人誌に近いマンガ誌で、編集長が阿部洋一氏と同じく京都精華大学マンガ学科ストーリーマンガコースの一期生であるという繋がりからか、作品がよく掲載されています。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
…
まあ、どのくらいの数のミスオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「ミスオタではまったくないんだが、しかし自分の探偵小説趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない日本の古典探偵小説の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、戦前と戦後の日本の探偵小説のことを紹介するために読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う三大奇書は避けたい。
できれば短編、長くても中編程度の分量にとどめたい。
あと、いくら戦後を含むといっても高度経済成長期の雰囲気を醸し出す作品は避けたい。
古典SF好きが筒井康隆は外せないと言っても、それはちょっと現役だし、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる「少年探偵団」的なものを除けば、シャーロック・ホームズ程度は読んでいる。犯人当ては苦手だが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「本陣以前」を濃縮しきっていて、「本陣以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも丁度いいし。ただ、ここで探偵小説批評トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このプロットの複雑な作品について、どれだけさらりと、ネタバレにならず単調すぎず、それでいて必要最小限の宣伝惹句を彼女に伝えられるかということは、ミスオタの「編者解説&訳者あとがき能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ミスオタが考える一般人に受け入れられそうな探偵小説(そうミスオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「ミスオタとしてはこの二つは“文学”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFオタが持ってる科学への憧憬と、新青年監修のミスオタ的な本格トリックへのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも海野的な
を中心として、昭和の香りのするとぼけた世界観を作り上げているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「八○屋○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。大阪圭吉が戦死したこと、彼の作品が戦前の推理小説としては破格の完成度を持っていること。戦後なら実写テレビドラマになって、それがお茶の間を賑わしてもおかしくはなさそうなのに、死んでからはその存在すら忘れられてしまったこと、なんかを非ミスオタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり本格探偵小説は男性読者のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『牧師館の殺人』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける水谷準の思いが好きだから。
断腸の思いで女流探偵キャラを作って、彼女が車椅子の障害者、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「社会的弱者」への視線がいかにも新青年的な左翼だなあと思えてしまうから。
カナカナ姫の性格を俺自身は詮索好きとは思わないし、限りなく魅力的とは思うけれど、一方でこれが乱歩や正史だったらきっちり狂人にしてしまうだろうとも思う。
今の若年層で岡本綺堂を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。乱歩よりも前の段階で、探偵小説の技法とかは捕物帳で基礎を築いていたとも言えて、こういうクオリティの作品が雑誌連載でこの時代に載っていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく探偵小説好きとしては不思議に誇らしいし、岡っぴきといえば銭形平次くらいしか知らない彼女には読ませてあげたいなと思う。
夢野の「近代の文学は総て探偵小説である」という思想をミスオタとして伝えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「狂気と近親相姦」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ最近の妹萌えブームは『瓶詰地獄』以外ではあり得なかったとも思う。
「社会から逸脱して虚構的性愛を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は『瓶詰地獄』にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。こういうゴシック風味の殺人事件をこういうかたちで密室化して、それが非ミスオタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に神津恭介を選んだ。
密室から始まって密室で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、戦後の社会派ミステリの先駆けとなった作家の処女作でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの幻影城は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
「西岸良平って、あの『変な絵』で『昭和臭い』漫画の人だよね?」
その認識は、間違っていない。全くもって問題ない。確かになんの差し支えもないんだが、多くの人はビッグコミックオリジナルに掲載の「三丁目の夕日」しか彼の作品を知らない。映画で知ったり、コンビニ本で見たり。他に知っていても「鎌倉ものがたり」くらいだろう。
そして、彼の作品の対象年齢層は、主に50代以降。「古き良き昭和の時代」を少年時代/思春期として過ごして、思い出の1ページとして色濃く脳裏に焼き付いた世代。
要は、若い奴はまず「あの絵」で敬遠してしまう。「なんかきもい」「とにかくへん」「口がデカい」「あんな人間いない」「デフォルメされすぎ」「みんな似たような顔」「スターシステム使いすぎ」「古くさい」「進歩がない」「何よりダサイ」など(全て俺の偏見的「考えられる意見」だが)。
それは、あなたが「三丁目の夕日」しか知らないからだ、とここに断言する。そして力説しよう。
と。
リストとしては、
など。そしてこれらに「ある程度」共通する特徴を列挙しておく。
これらの要素の他に「SF」「超能力」「変身」「受験生」なども。そして、ここで注目すべきなのはなんと言っても「後味の悪さ」だろう。これこそが彼の短編集を薦める理由でもある。
ここで一例として「魔術師」収録の「ジキル博士とホンダ氏」のあらすじを記しておく。
二重人格の研究を続けている痔切(←ジキル。彼のネーミングセンスは好きだ)博士は、ある日「学業優秀・スポーツ万能・明るく温厚で正義感強く・やや協調性に欠ける」という「典型的な正義の味方」である本田氏に「もう一人の自分」を呼び覚ます効果のある薬を投与する。
気が付くと彼は「スーパーマン」の格好をして街を破壊している自分に気付く。実は、彼は元々クリプトン星で生まれたクリプトン星人だったが、かれらの星の滅亡の際に地球に彼を「最新の技術」で送っていたのだった。着陸時のショックで記憶を失っていたのが、その「薬」によって記憶を取り戻した。
そして彼は恐ろしい新聞記事を目にする。
「狂ったスーパーマンの恐るべき破壊により人類の危機迫る・・・」
最後に彼はこう泣き叫ぶ。
「ばっばかな!
これはみんな夢だ!
あの薬で見ている
悪夢なんだーっ!」
この話も含めて、全体的に読んだあと「うわあ・・・すげえ空しい・・・」「読むんじゃなかった」「かわいそうすぎる」「あまりにあんまりだ」「なんだこの虚無感・絶望感は・・・」などと非常にしんみりとした気分になる。あからさまなハッピーエンドもあるにはあるが、個人的には「力を入れずに」描いているように思える。
短編集で多く見られる「後味の悪い」作品には、「人間なんてしょせん」という彼のニヒリストとしての一面が垣間見られる。「美しい昭和」「なんとなく全てうまくいく」「しあわせな日常を送る人々」という、おそらく多くの「ライト西岸読者」の持つ彼への印象を、ことごとく打ち破る力が、短編集にはある。
ちなみにそれらは、1970年代後半に描かれたもので、初期の三丁目の夕日(プロフェッショナル列伝)よりも読みやすい絵、かつ「深い」「考えさせられる」話が多い。しかし残念なことに、それらは古本・オークション・マーケットプレイスでしか入手できない。絶版なのだ。
俺は、何らかの手段で購入することを強く勧めたい。特に「孤独」「非モテ」の層に対して。彼の作品に時折見られる残酷なまでの「現実感」は、月並みな言い方だが「ある種のカタルシス」を味あわせてくれる。そして時折見られる「ギャグとすれすれの不条理」もそれと合わせて、彼の魅力を引き立てている。
不条理と言えば「可愛い悪魔」に出てくる「自称」イエスキリスト2世だろう。虫歯が突然痛み始めた主人公の前に現れる彼(ちなみに彼、「その後のストーリーのなんの伏線にもなっていない」ところが逆に不気味さ出している)は自分を「イエスキリスト2世」と名乗り、彼が「アーメン」と唱えた瞬間痛みがスッと消えた。
そして彼は自分の人生について語り始める。彼は昔から、「人の痛みが自分に移ってしまう」人間であるという。病気の人間を見ると「相手はケロっとして自分の苦しみがドンと増す」ようになり、ある日「5人乗りの車が事故を起こした瞬間を目撃」した彼は「気が付くと宇宙を飛び回って」おり、降り立った星には砂漠が広がっていた。
ふと見ると十字架にイエスキリストがはりつけられており、「俺の代わりに神をやってくれ」と言われ、それから自分が「イエスキリスト2世」であることを自覚したと話す彼に、急に痛みが押し寄せる。彼は注射器を取り出し、自分の腕に注射。そこを警官に取り押さえられ「麻薬取締法違反」で逮捕され、唖然とする主人公一行、の図。
特筆すべきは、このシーンはこの後の展開に「なんの影響も与えない」点である。私の読解力では、そのシーンが一体何を意味するのかは分かりかねた。「彼なりの不条理」を「きまぐれ」に「遊び心」ではさんだ程度にしか考えていない。