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はてなキーワード: 失恋とは

2024-05-30

酷い失恋を何度もして、恋愛に後ろ向きだった。

いろいろネットアドバイスを受けて、前向きに捉えられるようになってきた。

異性の気持ちは相変わらずよくわからないが、チーなりに誠実にトライしてみるよ!

2024-05-27

そろそろ男性自殺数の内訳を見てくれよ

雑に「男性自殺数が多い」男性の方が辛いんだーって便利に使うやつ多すぎる

原因別のデータを見ればわかるけど、ジェンダーロール関係なく基本的男性女性より自殺している

家庭問題(DV)でも男性の方が多い。男性加害者になる率の方が高いのにである

浮気でも男性が多い。男性の方が浮気率高いのに

家族の死亡が理由場合男性が多い。男性は基本か弱い

恋愛問題も同じ感じで、失恋でも浮気でも男性自殺する数が多い

健康問題うつ病などの精神病自殺数は男女で差がないのに対して

身体的な病気だと男性女性の2倍以上になる

ここでも男性はか弱い

ジェンダーロールに関係しそうな経済問題では男女の差が増えるので

男性は辛い」と短絡的に判断されてしまう項目かもしれない

しかしこれも男性のか弱さが出ている

生活苦で無くなる人は男性の方が多いが、日本では2,000万人が貧困というデータがある

そのうち貧困な家庭の多くは母子家庭と単身女性

まり女性の方が生活苦なのに男性の方が自殺数が多い

自殺の多さが男性仕事押し付けられているとするには既婚でなければいけない

しかしどの年代でも未婚の方が自殺率が高いし、男性の方が既婚と未婚の差が激しい

男性の既婚者は自殺しないということだ

もう一つ男性特有の特徴がある

それは離別した人の自殺数が多いということだ

死別ではない。離別である

離婚後に自殺するということだ

ジェンダーロールから解放されたのに自殺する

これは「配偶者だけに依存するからでは」と分析されている


まり男性は総じてか弱く、どんな理由であれ女性より自殺やす

でも配偶者を得ることで自殺率は下がる

ということだ

anond:20240527163821

穴があればモテる性別失恋なんて大したこといからなあ。

データを都合よく見すぎてるお前に言われても

anond:20240527160407

例えば平均寿命

男性の方がメタボ率が高いのはどう考えてる?

例えば自殺者数

自殺理由失恋であっても男性の方が倍高いのはどう考える?

データの一部分しか見てないかレッテルを貼られるんでは

データっていうのは因果関係まで調べて始めて意味を成す

2024-05-19

女と激辛料理って似てるよな

今まで関わって結局ろくなことがなかったのに、それでもしばらく経つとまた興味を持ってしま

前にも3回目のデート恋愛話されて「今〇〇からアタックされてるけどどう思う?」的な話されて終わったし、今回も「気になってる人がいるけどどう思う?」で終了

俺は男女の友情欺瞞だと思ってるのでノーチャンだと判断した時点でもう二度と関わらない

次の日から会社で会っても敬語さん付け雑談にも反応しない

人間関係が1人失われる

失恋して嫌な思いして、それでも懲りずにしばらくすると気になる女性ができて同じことを繰り返す

次の日後悔するのに一月経つと食べたくなる北極ラーメンと同じ

2024-05-16

男性自殺率高いんだからコミュニティ作っておいた方がいいぞ

増田では女叩き棒としてしか使われない自殺率だが

ちゃんと調べて見ればわかるけど、男性孤独感が原因で自殺する人は女性の倍だし

増田では責任ある立場から自殺率高いことになっているけど

年金受給者でも女性の倍の自殺率

病気になっただけでも女性の1.3倍の自殺率だし

ギャンブル負債が原因となると女性の40倍だ

男性マジで1人でいると碌なことはないぞ

ギャンブル止めてくれたり、孤独を紛らわしてくれたり、病気の時に寄り添ってくれる仲間が必要

ちなみに失恋しての自殺女性の1.8倍

マジでか弱いからな男性

寄り添って生きろ

anond:20240516080701

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-10

anond:20240509105701

自分がどれだけ相手必要としても、叶わない場合もあること

●フラれたとしても、自分価値が無いわけじゃないこと

失恋はたいへんツラいが、必ず立ち直って

何なら相手が頭から消え去ることもあること

これを身をもって知るの、生きていく上でかなり重要だと思う。

2024-05-09

anond:20240509105701

tribird 人を好きになるのは一般的ことなので、気持ちを伝えること、両思いになること、あるいは念願叶わず失恋することが必要やらかしの部分が大事なのは同感。挫折が最も大事

人を好きになる経験がないと何がいけないのか

追記ブコメに『(恋愛経験ではなく)「人を好きになる経験」の話に言い換えられる』とあり、しっくりきたのでタイトルを変更しました。

色々あると思うけど、一番は「恋をしている時、どれだけ自分がアホになるのか」を身を以て経験していないこと、これが良くない

人間恋愛状態に陥ると本当にアホになる。相手の行動の全部が気になり、些細な動作の一つ一つに自分へのメッセージが込められていると思い込み言葉や行動一つ一つに過剰に振り回され、そして「自分がこんなに好きだから相手自分のことを特別に思ってくれているに違いない」と勘違いする

これはハッキリ言って避けられない。人間に、引いては生物全体にプログラムされた思考回路

なのでその状態になるのは仕方ないが、肝心なのはいか自分がアホになるか」を身を以て体験することだ

人の恋愛話を聞くと「どうしてそんな滑稽になれるのか」と思う、けれども恋愛自分ごとになった時、自らもまたとんでもないアホになっている。アホになるまいとしてもこれは防げない。気付けばアホになっている

お酒を飲みすぎた人が「まだ酔っていない」と言うのと一緒で、あるいは低体温に陥った人が矛盾脱衣をするのと同じで、状態異常によって判断力思考回路が捻じ曲げられた結果、冷静だったら絶対にやらないことをするのだ

中学校同級生が恋をし、舞い上がり、そして振られるという痛々しい出来事を目の当たりにしなかった人はいるだろうか。人によっては、その時に「自分絶対恋愛なんてしないぞ」と誓った人もいるだろう

しかし人は初めて恋をしたら必ずそうなる。本能的な高揚感とバラ色の未来の前払いに酔いしれて、世界一気持ち悪い存在に成り果てる。だからその洗礼を受けるのは若い時の方が良い。20歳を過ぎる頃には笑い話にしてもらえる

そして恋心に振り回された人だけが、恋心の厄介さと手に負えなさを知り、少しだけ自分客観視できるようになる

本気の恋をすると人はアホになることを知り、恋をしている自分おかしくなっているということを自覚し、そこでようやく恋を乗りこなす準備ができる

段々恋心を手なづけながら、相手自分を好きになってもらう技術距離を詰める技術を学び、自分の魅力や立ち位置自覚し、失恋した時の自分はどうなってしまうのかを体験し……これでようやく「恋愛事故らない人間」になれる

一朝一夕はいかず、そして非常にダサいこの修練の時間を、できれば学生時代に修了させておくのがその後の人生を楽にしてくれる

中学で笑われたものは、成人式の頃にはやらかしを笑い話にできる

高校で笑われたものは、大学卒業する頃には笑い話にできる

大学で笑われたとて、就職先でそれを笑い話にできる

ある程度人生を進めた人にとって、恋に向き合うことは通過儀礼であり、やらかしを笑いこそすれ、向き合った本人を笑うことはない

なのでどんなにみっともなくても、成人するまでに一度はガチ恋しておいた方が良いし、もちろんそこで失恋しても闇のストーカーにならずに上手く切り替える方法も学び、火傷をしない恋愛方法を覚えておくことが推奨される

恋愛自動車学校は働き出したら難しい。思春期の頃のプライドの前に恋を諦めることなく、果敢に挑戦する若者が一人でも多くなることを祈るばかりである

2024-05-06

30歳前後男と女に聞きたいんだけど

この辺りの年代になってから人を好きになったことある人って、相手のどんなところ(行動や性格)を見て好きになったの?

俺は今30代前半なんだけど、7年前に失恋してから全く人を好きになれてないんだよね。

恋人いらないとは思ってなくて、アプリや紹介とかも一通り経験してる。

でも誰にもピンとこなくてこんな状況。

GWも最終日だし、好きな人を好きになった理由を共有してよ!

2024-04-27

失恋して色々やってみたけど疲れてしまった

振られました。

振られた原因は「合わなかった」ということだった。

なぜ「合わなかった」になったかを考えてみると、その原因は自分がこれまでも克服したいと思っていたことであった。

克服しようと、色々足掻いてみたし、心の持ちようも変えてみようと新しいことも初めてみた。

いろんな人にも話をしてみた。

一日の終わりあたりにはそこそこメンタル的には元気になるし、明日も頑張ろうという気持ちで床に就く。

でも、朝起きたら全てがリセットされてどんよりとした一日が始まる。

毎朝、目が覚めると虚無感に襲われる。

それでも、なんとかポジティブに持っていこうと努力はしているけれども、徒労感だけが残ってしまってもうそろそろ限界を感じそうな気がしている。

2024-04-26

anond:20240426182224

うゆが好きなのは悪魔の手鞠唄(1977)』

市川金田一耕助シリーズ第二作目…

手鞠唄に沿って殺される田舎殺人劇映画にして究極の失恋映画

ロケーション完璧さも相まって独特な雰囲気が満ち溢れてるミステリー映画となりました…

anond:20240426193341

「予め愛を失うことが確定していることを受け入れる」話だと思ったから、広い意味では失恋かなって

エターナルサンシャインと近い、運命と愛

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