はてなキーワード: 天啓とは
※はじめに※
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逃げ口上で申し訳ないですが、性格が良いわけでも、論理的なわけでもない私が、甘ったれた考えを述べている記事です。
炎上したら傷つくだろうけど、もしかしたら参考になるコメントがきて、病状改善に繋がるかもしれないと、
一縷の望みをかけてネットに公開しています。どうぞお手柔らかにお願いします...
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現在、休職してしばらく経ち、目立った病状はなく、日々を過ごしてはいる。
とはいえ、回復のため、意図的に傷つくことを避けているだけで、
ふとしたきっかけで、辛い気持ちや考えに向き合うと、胸が重苦しくなり、涙が止まらなくなる。
前に進むために、傷つきを頭の隅に追いやり行動していくこと、自分自身を認めて幸せにしようと努めることが大切だと、重々承知している。
しかし、今は、些細なことにすら傷ついてしまうので、立ち止まることしか出来ないと思ってしまう。
そして、そんな自分自身を、正しいと思うことができないのだ。
「都合の良い選択ができるよう、思考を捻じ曲げているのではないか」とも思うし、
「少なくとも、幸せに生きるために必要なことをしているのだ」と、自分を肯定することもできない。
幸い、贅沢はできないが、しばらくは金銭的困窮には陥らないし、家族や友人の愛情を感じながら過ごしている。
前よりも熱中できなくなってはいるが、気分転換になるような趣味もある。
それでも、生きていたいと思えない。
社会に適応できない苦しみを重ねながら生きていくぐらいなら、今すぐ死んでしまいたい。
今すぐに死なないと耐えられないわけじゃない。でも、生きていたくない。だから、死ねるなら死にたい。
甘えだということは、重々承知している。
しかし、甘えだという自覚が、死にたいと思う気持ちを止めてくれはしない。
自殺を止めてほしい、誰かに優しくされたい、というかまってちゃんに思われるだろうか。
信じられないかもしれないが、私はかまってほしいがために自己主張をするタイプではない。
読み手が私の構ってほしいという意図を感じて、耳ざわりの良い言葉を投げかけてくれているのではないかと疑ってしまうので、
かまってもらいたいという欲求を満たすために行動することも、
向けられた言葉や行動を深く疑わずに自分の安心につなげることも、私はできないのだ。
かまちょは一長一短ではあるが、私に関しては、かまちょになれない、こういった疑い深さが、精神的健康を害する一因なのだろうな。
ここ数日、薄暗い考えがぐるぐる頭の中を巡って、どうしようもなく苦しくなり、落ち着いていた病状も少し悪化してきてしまった。
誰かから思いがけない意見を貰えないだろうか、と思い、行き詰っている気持ちの発散も兼ねて、文章を書き連ねてみた。
傷ついた人は、人との関わりの中で、救われるのだというメッセージが込められているものが多いことに気づいた。
私も、人との関わりを避けるのは安全だが、病状改善を目指すためには、人とのコミュニケーションをとっていくことが重要だと思う。
実際、自己啓発本や病気の本を読んで、慰めを得たり、論理的な解決策を学ぶよりも、
人とのコミュニケーションをとる中で、気分が満たされたり、自分に自信を持ったり、考えが変わることの方が、影響が大きかった。
だから、この記事でも、あわよくばコメントを貰って、病状改善のきっかけにしたい、という淡い期待を抱いている。
昨今の、自分らしく生きよう、自分を肯定して、自分で自分を幸せにしよう、という世の風潮は、大変素晴らしいと思う。
自分が深く傷ついたからこそ、自分を責めずに、無理をせずに、最大限幸せに生きることを目指す大切さは、普通の人よりも身に染みている自負すらある。
そういった考えを発信する著名人が増え、若い世代を中心に浸透していっているのも、本当に喜ばしいことだ。
この風潮がもっともっと広まって、世界中の人が傷つきから解放され、幸せだと思いながら生きていければ良いなと、心の底から願っている。
こんなにも、自己肯定の重要性を感じているのに、どうして私は自分を肯定できないのだろう。
自分を肯定しないことで、傷つきを盾に、現実と向き合うことを避けているのだろうか。
そうだったとして、それはどうすればやめられるのだろうか。
特に根拠のない考えなのだが、個人を尊重する、優しい世界が構築されていく中で、
家族にのびのびと育てられ、友人とも大きないさかいがないまま成長していった結果、
傷つくことにも、それを乗り越えていくことにも慣れていない人が増えているのではないだろうか。
もしかしたら、今後私のような悩みを抱える人が出てくるかもしれない。
その人たちが、この記事に対するコメントなどで、解決策を得られたらとても嬉しいし、
そうでなかったとしても、同じような人がいるよ、ということだけでも、伝えられたら良いのだが...
自己肯定が上手くできない人々が、経験や考えを共有しながら、解決策を見つけていく事で、
少しでも多くの人が、生きていることを楽しめるようになってほしい。
どなたかからのコメントか、天啓的な閃きか、ささやかな気づきか、何か解決への糸口が見つけられたら、またブログを書いてみようと思う。
性的に興奮するわけではないんだけど、たまらないセクシーさを感じて頭のてっぺんから爪先まで痺れたようになるモノってないか?
説明が難しいが、見た瞬間にカッと身体の中で高まった熱が下半身に収束せず、全身をぐるぐると回って全てを火照らせるような感覚。自分のこころの奥深くまで一瞬で暴かれて、今この瞬間自分が生きているという実感がどばどばと脳を満たすような感覚。
自分はこういうモノを、魂を惹き付けて離さないという意味で魔眼と形容している。魔眼に魅入られる、という表現がいちばん近いように思う。
自分にとっての魔眼は、いわゆるメカバレ(メカニカルな身体が欠損する光景)。
きっかけは某有名カードゲームアニメにて、敵のアンドロイドがバイクと合体した上に爆破されて胴体を切断されるというシーンを視聴したことだった。
かなりインパクトがあるのでネット上ではネタとして扱われることが殆どなのだけど、自分にとっては天地を揺さぶるような映像である。
まず、バイクと合体するというのがいい。
元々そのアンドロイドはモノトーンで結構スタイリッシュなビジュアルをしているんだけど、バイクと合体したことによってかなりアンバランスな見た目になる。
大きなバイクに上半身だけがくっついたみたいな状態になって、大きな車輪で公道を走り回る。
人間の上半身と機械の下半身のアシンメトリー、鉄のセクシーな輝き、しっかりと結合された胴体が、大きなマフラーが、いやもうこんなの言うだけ野暮だ。人間の言葉ではこの美しさを到底言い表せない。
なんでこんなに興奮するのか全く謎なのだが、かれこれ5年以上は興奮し続けている。冗談抜きで1日中彼が走っている姿を見ていられるだろう。
主人公に攻撃されてライフポイントがゼロになり盛大に爆殺されるのだが、その際に胴体がぶちぶちとちぎれ、内部の鉄パイプやコードが顕になり、派手な音をたてて道路に吹っ飛ばされて転がり、機能停止して動かなくなる。
もうヤバい。今思い出しただけでも脈が速くなるのがわかる。
脳の神経が焼ききれるくらい両目が画面に吸い寄せられて、腹の中から現れた鉄パイプに、ちぎれた吹っ飛んだ腕にどうしようもなく興奮するんだ。
前述した通り性的興奮には結びつかないから、状態としては天啓を受けた信者とか宇宙との一体化とかそういうのが近いのかもしれない。
無理やり説明すると、人間よりもずっと完璧な存在である機械の身体が、その瞬間に内部をさらけ出してただの鉄の塊であることを暴露するというのが堕天を連想させて背徳感がある……いや、嘘だ!そんな単純な言葉で説明できるわけがない。
あんなの見ればわかるエロさだろう、美術品のように崇高で、それでいてどうしようもなくエロくて、エロくて、エロい……………。
ずっと見続けていると次第に自分の意識が引っ張られてどこか知らない深いところに連れていかれる気がする。あんな美しいものと同じになれるならそれも良いと思う。
そのシーンが全てを歪めたのか、はたまた自分のなかにそういう性癖があってトリガーをたまたま引いたのがそのシーンだったのかはわからないが、とにかくずっとメカバレから目が離せない人生を送っている。
そのキャラクター以外にも機械の身体を持つ推しは多く、その誰もに心の底から惹き付けられる。
好きが高じて自分で絵も描いている。
数年かけて、誰に見せるわけでもなくメカバレの絵を1000は描いたと思う。
メカバレを見ているときはもうめちゃくちゃ興奮するんだけど描いているときはまた違って、自分がこの行為に荷担するという奇妙な責任感が生まれる。
それは神に儀式を捧げる司祭の気持ちに近いんじゃないかと思う。司祭なんてやったことないが、なぜかそんな確信があるんだ。
素晴らしくセクシーだと感じる気持ちと、全てのものの中で最も神聖なものに仕える気持ち。
その2つが同居して、極限に静かで穏やかな心で、切断面から覗いた部品だけを見つめながら筆を動かす。
この瞬間自分は世界でいちばん幸せだと感じる。全身が満たされている。
なんでこの増田を書いたかというと、人生の早い段階でこのような悟りに至れたのは物凄く恵まれていることなんじゃないかと思ったからだ。
人間はいつだって自己実現や恋愛や名声欲や達成感、誰かとの繋がり、自分だけの特別な存在というのを求めて色々なことを模索する。宗教もそんな迷える人間に対する解決策として発展してきたものだろう。
この疲弊した社会で、自分だけの宗教に出会えたというのは本当に幸せなことで、それを考えるとますます機械の身体が愛しくなって、身の全てを捧げたくなるんだ。
PART1に戻る : anond:20211105031842
部屋の壁にほぼ完全に音を消す加工が施されていて部屋全体が消音室のようになっており、
その部屋の真ん中には訪れた人が弾いていいグランドピアノが置いてありました。たしか海外の話です。
実際に見に行った訳ではなくネットの記事かなにかで読んだ気がするのですが、
心当たりのある方はいらっしゃいませんでしょうか?
芸術には明るくないが、ここまで情報強度が強いと分かりやすい。
どうやら空間を基にしたアート作品をインスタレーションアートと呼ぶ、らしい。
Joseph Beuys - Plight
いつも通り、Google検索を行う。
Twitter 吸血鬼 マンガ プログラマー 辺りで検索。が、ヒットせず。
なので、他の検索サイトを使う。今回はツイコミ。
コレでどうだ!
https://twicomi.com/manga/nmnoy/1166667622626156544
すぐ解けたと思ったら、1時間以上もかかるやつもある。
まずシュールギャグというのが分かる。それでいて、リスが主人公の漫画をピックアップ。
どれも内容を知らないので、合わせて検索。出ない。
ダメだ...出ないから諦めよう。そう思って布団に入りかけた時、天啓が下りたので検索。
『子リスのリッキー』9/20発売
カバーのリッキーの尻穴はデザイナーさんに描いていただきました。
人類撲滅を目論み世界を旅するかわいい子リスのおはなしです pic.twitter.com/kCQtgmqf3D— 九州男児 /松山花子 (@kyusyu_danzi) September 17, 2016
シンポゥイズザベスト
これこそ集合知案件。が、アーティストが分かっていて、その内の曲なので検索で出やすいしやろう。
ちょっと情報過多な気もするが、有名アーティストなので母数も多いと判断してこのまま。
タイトルを呟いている人がヒット。
一応変換して検索。歌詞系はヒットしなくてもGoogle先生がどうにかしてくれる。
とりあえず思いついた断片で検索。
吹奏楽の曲で、最初はフルートソロで木管たちの連符がエグくて、
イングリッシュホルンとオーボエのソロ、トランペットのソリがある曲ってご存知ですか...?
こういう印象に残った系はTwitter。ただ、印象的な個所が有識者にしか分からない類の表現なので、
min_retweets:30などの情報付与はしない。シンプルに
シンフォニエッタ第3番「響きの森」。
http://www.cafua.com/products/detail3190.html
・薬を作る小説
・主人公は鉱山で労働させられていて何かがあり彼以外死んだ(自信なし)
・現代ではない
・でかめの賞を取ってた気がする
・ハードカバーで2~3巻くらい
・表紙に狼がいた
薬 感染 鉱山 労働 "小説" でGoogle検索。条件は画像。
鉱山で労働という点に着目し、連想で単語をひねり出す。奴隷かな?
うろおぼえ情報から、シリアス寄りの作品かと思い、それっぽい画像を探した。
鹿の王 - 上橋菜穂子
現代ではない、という点に着目してファンタジーを足しても良かった気がする。
こういう明後日の方向にぶん投げた球でも、当たるときは当たる。
・多分アプリアイコンがぶさかわネコ(白黒で服を着ていた気がする)だった気がする
・サ終してたはず
サ終しているソシャゲを探すのは困難なケースが多い。とりあえずやってみる。
会社によっては使いまわし等で、ガワだけ変わったバージョン違いのゲームも見るのでコワヒ。
ジュジュと悪夢の迷宮 : https://www.appbank.net/2013/03/29/iphone-application/569878.php
街づくりはソシャゲの初期から聞く単語で、これはシミュレーションに置き換えても良いかもしれない。
また「怖い」はダーク、ホラーに置き換えが可。
とりあえずここまでカオスな内容だと、流石にニコニコ関連だろう...と推測。
ニコニコで中居正広を検索。デレステの情報が出るが、さほど突飛なものは無い。
が、モーレスターというジャンルを発見。当たりをつける。内容はちょっと無法地帯なので上の情報を検索するには無理。
全てを見るしかない。(←大間違い)正直うろおぼえに当たるまで無駄な時間を過ごしそうなので、
ソシャゲを周回しながら関連動画を自動再生。時々顔を上げてみる程度に。
...30分程掛かってこの方法では発見できそうにないと理解。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31302920
内容はよくわかんないけど、見つかったのでヨシ!
ちなみに、マイリス登録してたけど削除された~みたいな動画の情報を探したい場合は、動画IDでGoogle検索やTwitter検索すると引っ掛かることが多い。これはニコニコに限った話じゃないけど、
動画自体は消せても痕跡は若干残るので、そこから足跡を辿ることができる。あまり褒められた技でもないので自己責任で。
名前が思い出せません。
男性 体操座り アイコン アプリでGoogle検索、条件は画像。
フリー素材の画像がたくさんヒット。これは情報過多なのかもしれない。
窮屈な人生 - GooglePlay
フリー素材が邪魔なら適宜「-素材」や「-フリー素材」で除外検索しても精度は上がりそう。
かなり前(少なくともここ3年くらい)にブラウザで遊べたゲームを探しています。
・海外で作られたゲームで名前は英語のものでしたが、文字などは全く出てきませんでした。
・内容はゲームというよりかは操作するだけの強制縦スクロールアクションのドット絵(置いてかれるとたしか死ぬ)で、男の主人公が人生を生きて、最後にお墓まで行くというものです。
・途中、学校のシーンがあって勉強をしっかりするか不良になるか、みたいな分岐があった事が印象に残ってます。
・ホラーゲームゆっくり実況投稿主さんか、検索してはいけない言葉などを投稿してるゆっくり実況投稿主さんの動画で見て、プレイしたのは覚えています(結構有名な人でしたが名前が思い出せません)(多分ニコニコ動画です)
・BGMがピアノだけの曲で、サティのジムノペディっぽい感じだったと思います…
実況者の特定は、調査しようとすると時間が掛かりすぎるので外す。
人生を追体験する部分と、縦スクロールは大きな情報。確定はしてないが、とりあえずFlashを入れてみる。
and everything started to fall
出なかった場合、期間指定で2018年以前や、ピアノなどワードを付加するかもしれない。
現在Flashは終了しているので、Twitterで口伝を検索した方が当たり易かったかも。
『Twitter3(偽りの安寧は存在せず、暴力によって全てが決定する最高のSNS)』という趣旨のツイートを探しています。
・昨年~今年にかけて見かけたもの。
Twitter3のパワーが強すぎる...
Twitter3(だれもが口汚く社会と政治について罵り合う、暴力や不道徳を称賛する“本物の男達”だけの荒野)— ALISON (@ALISON_airlines) March 26, 2021
補足 : anond:20211105041538
この前プライベートでも不幸なことが起き、仕事でも理不尽にキレられてしまい凄い機嫌が悪かった。
何か気分転換にと思い配信サイトでコメディ系のアニメを見たが思ったがどうも乗り切れない。
すると、無性にオッドタクシーというアニメが見たくなった。前に3話まで観ていたのだが、登場人物が若干のクズばかりで雰囲気も暗くてやめてしまっていた。観たタイミングがワクチンの副反応で高熱が出て弱っていた時だったのも大きいかもしれない。
実際見始めると、コミュ症偏屈で病院通いのキャラが主人公なところから、ソシャゲ中毒の復讐者、年収200万なのに見栄を張って年収一千万で婚活サイトに登録し、美人局に遭うおじさん、売れないアイドル、新しい笑いを否定ばかりする売れない芸人、承認欲求の塊な大学生、ヤクザに借金して良いように利用される女、ヤクザに加担する汚職警官、ヤクザ本体、殺人犯……などどこかしら欠陥があるキャラが目白押しの作品だった。
しかし、彼等が欠陥人間たるにいたった経緯や幸せになろうと足掻く様、主人公とヤクザの一心一体の対決、至る所に張り巡られた巧みな伏線などに惹きつけられた。作品を纏う重苦しく、乾いた雰囲気はささくれた心に何故だか深く刺さった。
気付けば一気見してしまった。
そして、心がささくれている時はギャグやコメディのようなものではなく、こういう陰鬱な雰囲気の作品が波長が合うのかもしれないと実感した。
というわけで前置きが長くなったがそういう作品をよければ教えて欲しい。
それが今日の朝9時のはなし。その感動の勢いに任せてキーボード叩いてる。
優勝した人の名前は高橋優太さんといい、大会の正式名称は世界選手権という。
この大会は現時点での世界最高峰プレイヤーを16人だけ選抜して競う、競技マジックの頂点。
いわゆる「MTG地球代表」を決めるトーナメントと考えてもよい。
高橋氏はそこで開幕3連敗して、あと1敗でもしたらその場でトーナメント敗退が決まる崖っぷちにいきなり追い込まれる。
そんな土俵際に片足ついた状態から、なんと以降負けなしの11連勝でまさかの逆転優勝。
こんな大記録、27年続く世界大会の歴史の中で一度もない。ほんとにすごいことなんよ。
マジック興味ない人には長文であーだこーだ伝えるよりも実際の動画を見てもらったほうがいいよな。
https://youtu.be/NWd2FgWGHrw?t=22353
優勝の瞬間
https://youtu.be/3Ve9Hk3k5X8?t=28417
いい年したおっさんが画面の前でひとり声を抑えることも忘れて泣いている。
それぐらいすごい偉業だったんだよ。世界一のタイトルは彼にとって悲願だったしね。
その姿みていい年こいたおっさんの俺もすこし泣いちゃったわ。
コロナの影響で去年の世界選手権は開催中止、そして今年は初のオンライン開催。
また2019年から公式の運営下で始動したプロリーグ(麻雀でいうMリーグみたいなの)が来年には廃止されることが通告済み。
MTGに生涯を捧げてきたプロプレイヤーたちにとって2021年はまさに激動と困惑の年だった。
日本人による世界一のタイトル獲得は2012年以来じつに9年ぶり。
そもそもこの大会、アジア人には時差のハンデがめちゃくちゃあった。
現地アメリカの時刻に合わせてるから日本だと深夜24時からスタートして朝9時に終わる超過酷なスケジュール。それをぶっとおしで三日間。
例年のオフライン開催だと数日前から現地に飛んで(開催地はパリとか千葉とかラスベガスとか毎年ちがう)時差順応するわけだけど、オンラインではそうはいかない。
カードゲームはマインドスポーツとよばれたりするけど、今回アジア人プレイヤーにとってはそもそも身体的にハードなトーナメントだったことをまず伝えておきたい。
はてな民はネットコミュニティのなかでもマジック履修率が謎に高いイメージ(偏見)があるが、
それでも昨今のマジックの競技シーンについて熱心に追いかけてる人はすくないだろう。
日本はもともと競技マジック強豪国で、市場規模も本国アメリカに次いで二番手の大きさ(たしか)。
前述のプロリーグにも、2020年度の上位リーグ全24名のうち日本人は3名参加しているし、
2005-2006年および2011-2012年には日本人が世界選手権のタイトルを連年で獲得している。
過去にいちどだけ開催されたチームシリーズも、優勝したのは日本人率いるチーム「武蔵」だった。
競技プレイヤーの平均値が高い=プレイヤーコミュニティ一つ一つの練度が高く、チームプレイが得意。
また0から1を生む発明家より70点のアイディアを洗練させて100点にするような職人的なプレイヤーが多いのが日本の特徴といえる。
だけど日本勢はいつも勝者のスポットライトのあたる位置にいたわけじゃなく、
30年近いMTGの競技シーンの中で、日本勢だけがまったく勝てなくなってしまった暗黒期があった。
「日本勢は上位にいて当たりまえ」なんて過去の栄光を知っている者たちからすれば、
そのときの日本の一人負けっぷりは衝撃的で、公式からこんな考察記事を書かれるほどだった。
日本勢は、なぜ勝てなかったのか。 (Internet Archive)
https://web.archive.org/web/20121107070840/http://archive.mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/
いくつか抽出するならそれはリーダーや発明家の不在だったり、語学のハンディキャップによる情報戦の遅れだったり、コミュニティの高齢化や硬直化だったり……
日本社会全体の問題として挙げられるような要因が、実はカードゲームの勝敗の世界にもそのまま通じる課題だったりする。
それから10年の月日が流れ、日本のマジック競技シーンがどうなったかといえば……
高橋氏の優勝からわかるように、いまふたたび最盛の季節を迎えている。
実は全世界で16人しか加わることのできない世界選手権の参加枠に、今年はなんと日本勢が5名も入っていたんだよ。
ちなみに2018年の日本人参加者は1人、2019年にいたっては0人。
すごくないかこれ。
日本勢はもう終わった、なんて言われてた時代を通ってきた人間からすれば、今ほんとうにちょっとした奇跡を目にしてる気分なんだよ。
先述の日本コミュニティの問題をどのようにして解決していったかはわからない。
危機感を原動力に率先して改善していった部分もあるだろうし、技術やインターネットインフラの発展によって自然と乗り越えられていった障壁もあるだろう。
今や日本勢が世界に一歩先んじた発明家的なアイディアを生みだすことも珍しくなくなった(ホロウワンや原根グルール、ジェスカイ変容)。
ひょっとしたら発明家が乏しいとされた日本人は環境の激変期には出遅れるものの、
けっきょく最終的にはその職人肌によって最適解へとみずからを研磨して適合させていくのかもしれない。
彼は競技マジックにコミットして20年近いストイックな古豪プレイヤーで、
国内外で実力は認められていたものの、肩書になるようなタイトルだけは手に入らないような状態がずっとつづいていた。
彼はまさにひとつの道を究める職人タイプで、今回使っていたデッキも最先端から半歩引いたようなイゼット・ドラゴンだ。
このデッキを使っていたのは16人の参加者の中でただひとり彼だけ。
海外勢が持ち込んだ最先端のデッキ(リーア入りのグリクシス天啓)が発明家による最先端の発想だとすると、イゼット・ドラゴンはむしろその対極。
一世代前から職人たちの手によって100点に磨き上げられた、既知のアイディアの結晶のようなデッキだった。
対戦相手とテクニカルで繊細な応酬を好む高橋氏らしい選択だと思ったけれど、正直言って下馬評ではほとんど話題にあがることのないようなデッキだったと思う。
それがまさか構築ラウンド無敗での優勝。
職人型の日本人プレイヤーが、既知の技術の到達点で、20年かけて、世界の頂点を獲った。
プロシーンに終止符が打たれた最後の年に、崖っぷちの3連敗から歴史に名を残す11連勝で。
こんなんさ……もうさ……ドラマやん!
そして悲願だった世界一の称号を手に入れて、次の目標はありますか、と優勝者インタビューで訊かれたときの
彼の回答もまたすごく印象に残ってる。
世界一のタイトル獲った直後なのに、ほんとうに穏やかな口調でこう言ったのよ。
前に増田で見かけたLoR大会の解説記事(https://anond.hatelabo.jp/20210919095507)がすげー面白かったから自分も書いてみた。
この際二次元でもラーメンでも宗教でも何でも良いから何かにハマって一喜一憂したい。
なあ、何かくれよ。
「これに沼ると良いですよ」みたいな天啓。
今、まじで人生が苦行。
朝は全然寝足りないのにアラームに叩き起こされ、半ばオートマチックに朝食、着替え、歯磨きと出社のためのルーティーンをこなす。
会社では中々進まない時計を何回もチラ見しながらひたすら定時までのカウントダウン。
帰ったら冷蔵庫の中身で寿命がやばそうなやつをどう食うか頭を抱えながら適当に加熱してその辺の調味料でそれらしい味にしてレンチンした白米と一緒に胃に押し込む。
仮にそのあとの食器片付けたり風呂入ったりの雑務をテキパキこなせたとして(だいたいはどっかのタイミングで放心してかなりの時間ロスする)、次の日に響かないレベルの時間に寝ようと思ったらまあ30分〜1時間くらいは「何か」に当てられるはずなんだけど、人生のこの部分に充てるべき「心の支え」が特にないせいで、ただ毎日生きてるだけの状態。
そんで土日は溜まった洗濯とスーパーの買い出しと平日の間に荒み切った部屋の片付け。
元気があれば料理の作り置き。
それで気がついたら夜。
仮に仕事終わりに何かする趣味じゃなくても、何か熱中するものがある人って「次の休みにはアレをこうして…」とか考える事でそれなりにハッピーを充電してるんでしょ?
そういう要素がマジで何もない。
昔はそれなりに好きな事があったはずなんだよな。
小説読むとか、芝居観に行くとか、そういうの。
まとまった時間が取れなくなって、食指が伸びなくなっちゃった。
ものを作る系とか興味あるから、なんか粘土みたいなのでフィギュア作ってる人を見るとやってみたいなあ、って思うけど、あれも時間がある人のための楽しみだよね。
何か良いのない?
https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2021/10/02/193604
これ不味くないですか?
そこに「偏見がある」としている
でも大事なことはそこじゃない
仮に、そんなこと作者が露とも思ってない場合でも、あそこに「これは統合失調症とは無関係です」と、何かの天啓を得て書くべきなの?
それとも、「そういうことを知らないのも罪」とか被差別者ムーブになっちゃうの?
言われてみれば、確かに、「絵から罵倒が聞こえた」というのは、統合失調症のことを知らない人が思い浮かべがちな統合失調症者像ではありそうだ。
の方が不味そうだな
副業系の情報商材は誰でも成功できるアイテムじゃなくて、成功する機会の提供である。
そこから実際に成功できるかは、本人の行動力とパーソナリティと運しだいなのだ。
つまるところ、商材なんて買わずともそれなりに上手くいきそうな成功できる素質のある人間にしか商材たり得ないのだ。
副業とは要するにビジネス。他者との競争であるが故、成功し続けるのには差別化は必須である。
ただ、差別化なんてそう簡単にできるなら誰も苦労はしないし、当然差別化できなければ埋もれるしかないのも自明。
とはいえ差別化するには、専門的で高水準かつ大衆にうける趣味、特技でもなければ困難だろう。
しかしながら、大多数のなにも積み重ねてこなかった人間が一朝一夕でどうにかなるレベルの問題ではない。
天啓の如きアイデアをひらめくのを待つのもいいが、その間にも自由に動ける時間は刻一刻と減っていく。
そもそも、成功できる人間は「商材を買ってから」なんて悠長なことは考えず、既に行動を始めていることが殆どだろう。
その金で宝くじでも買ったほうがまだ夢を見られるのではないだろうか。
わたし増田!どこにでもいるごく普通の港区OL。いままでディルドなんてこれっぽっちも興味なかったのに、ある日突然人外ドラゴン極太ディルドを購入するハメに!?
なぜエログッズ処女が突如規格外のクソデカ模造ちんぽを買うに至ったのか。その理由は半年前に遡る。
ケモナーになったのだ。
四半世紀ぼーっと生きてきてそれまでケモノ系はマジで興味なかったのだがある日突然
「FURRY、イイじゃん…」
となりそれまでの性癖が180度変わった。
いうなればちんぽのエウレカが発生したのであり、人類の性に対する貪欲さがうかがえる。
とりあえず購入したはいいもののどうしたらいいかわからず3日くらい封も切らずに放置していた。
エログッズは使うまでが一番恥ずかしい。オナニーでもパンツを脱ぐあたりが一番萎える。
しかし今日2回連続でめちゃくちゃな淫夢を見てこれはきっとドラゴンのお告げに違いないな…と天啓を得たため、いよいよ使用することに決めた。
ベッドの下にあったダンボールを開封する。中身もろくに見ずに洗面所に持っていく。途中ウォッカを飲んだ。通常、人間が極太ディルドを挿入しようとするとき、素面では耐えられないとされているためだ。
さて。いよいよご対面するわけだが、焦りは禁物だ。まず全身をくまなく洗う。ついでに歯も磨いた。ドラゴンは神聖な生き物なので汚れた身体で向き合うのは失礼にあたる。
この時点でかなりめちゃくちゃ緊張していた。ディルド。ちんぽ。自らの業ともいうべき性癖について。アルコールに撹拌された思考が雑然と巡り、ついにシャワーを止めるその時が来た。
炎龍。
パッケージにはそう書かれている。
そそり立つフルブラックのちんぽ。デカい。太い。超かっこいい。
ヤバいな…と思った。しかし何がどうヤバいのかはよくわかっていない。ディルド自体な初めてなのでこれが大きいのかそうでないか判断できないのだ。ただなんとなくこれは人体に入れるにはちょっと無理があるんじゃないかとは思った。なんかトゲとかあるし…
ようは穴に棒を入れる、ただそれだけのこと。小学生だってわかる単純な仕組みだ。こんなクソデカ人造ドラゴンおちんちんになんて絶対負けないんだから!
結論を言うと、勝てなかったのだ。
とりあえず一切慣らさずに突っ込んだ。
入り口が広がる痛みを想定していたが予想に反して中が痛い。抉られるような痛みに耐えつつ徐々に押し込んでいくのは真性のマゾ的にはかなり嬉しいシチュエーションだったものの、途中でマジこれ入らん無理、タンマ、てなってちょっと抜こうとしたらズルルルルッ‼︎て全部抜けて悲しかった。情緒とかないんか?ないよね、ゴムだから。
本当にヤバいものをナカにぶち込まれたとき、人は濁点喘ぎするんだなってわかりました。
まぁ押したり引いたりしてたら最終的には全部挿入った。すごいキツいけど。ここまでで気持ちいいとかではなくひたすら達成感があった。ひとまずディルドを挿入するという目的は達せられたのでほっとした。
が、まだ達していない。イくまでがオナニーです。
一旦入れてしまえばあとは普通のオナニーと変わらないので所定の手順に従い普段通りに自慰行為を進めればいい。姿勢に多少無理はあったが、不可能とまではいかない。
それは楽な仕事だった。そのはずだった。
人生で生きてきて一度も感じたことのないレベルの強烈な刺激が脳髄を破壊する。痺れるような快感とはまさしくこのようなものを指すのだろう。オナニーってなんだ、セックスってなんだ。これは一体なんなんだ。言語化できない快楽が頭の中を突き抜け、あらゆる思考を停止させる。
きもちいい。
それだけ。
終わった後もしばらくぼーっとしていた。今こうして文章を書いているときでさえ、未だに余韻を引きずっている。
すごい。あれはほんとうにすごいものだ。
おすすめです。
「新自由主義」を熱く語る君との会話は2021の夏を忘れさせないものにしてくれるだろう。僕の周りには、ハイエクやフリードマンを語れる人がいないので、とても嬉しい。
君は「新自由主義だから日本は没落した」と思っているかもしれないが、「新自由主義」という巨悪は存在しないということを、君に知ってほしいのだ。もう先進国には、国を引っ張るエリートには居場所がないという事実を知るべき時期なのだ。
「新自由主義」というものは、残酷だ。なんと言っても、成功者はめちゃくちゃに富む。だからと言って、共産主義や社会主義という「誰でも努力したら作れるモノ」に依存した経済状況は、昭和の中頃には日本国は終えたのだ。アマゾンやオラクル、マイクロソフトにグーグルなんて天啓があったとしか思えない会社には、日本に生まれなかったのだ。アーメン。
君が「(新)自由主義」と揶揄するが、彼ら自体も好きで(新)というプレフィックスを獲得したのじゃないのだ。この(新)という自由は、彼ら自身の「諦念」を含んでいるのはフリードマンやハイエクの書を読んでくれ。君なら読めるだろう。
そうだとも、我々は諦めを持って「自由という刑」に処せられ、その罰の対価として「インターネットや半導体」を努力せずに手に入れられる時代に生きているのだ。それは消して、悪くはない現実だと思うがね。どうかな?
タイトルの通りなんだけど。
さっきシャワー浴びながら考え事してたら、唐突に愛されていた(いる)実感が湧いてきた。
ちょっと自分の話をさせてもらうと、自分は中学校に入ったころから
中学校の先生との関係がうまくいかず、まあメンタル荒れたり親と喧嘩したり色々していた。
人より秀でているとしたら、ちょっとパソコンが出来て本を読むのが早いくらいだった。
女性と付き合いはすれど、まあ俗に言う理解あるなんちゃら〜みたいな感じで、
メンタルやられてる子と付き合うことが多く、そういう子に心身削って付き合って、
他の男に乗り換えられてさよなら〜みたいなのがままあった。
自分自身もメンタル崩したり、人間は信じられねーみたいなスタンスで、
人前に出たり誰かと交流したりすることはほぼ無かった。
んで、現在に戻って。
今日、仕事が暇だったから、理解あるなんちゃら〜のやつをネットで見たりしてて、
それを思い出しながらシャワーを浴びていた。
そういや前に付き合った子も、ボーダー気味でやばかったよな、
眠れないときにマッサージ(性的ではない)とかしてあげたけど、
あんまり満足してもらえてなかったなーみたいなことを考えていた。
その時ふと、そのマッサージのことを思い返しつつ、俺は俺なりに愛していたけど、
そのときふっと、あ、完璧な愛情はないけど、俺は親や色んな人に愛されていた(いる)んだなと思った。
うまく説明できないし、頭も悪いから上手にかけないけど、天啓のようにそれが降りてきた。
そして、親が俺にしてくれたこと、友達や親戚の振る舞いとか色々思い出して、
ああ、この世に完璧な愛情はないけれど、親や友達、親戚の人は俺のことを、その人達なりに
大事にして愛してくれていた、いるんだと気づいた。
33年生きてきて初めての感情だった。世界が俺の存在を受け入れてくれていて、
俺が他の人を意図的に傷つけたりなんだりしなければ、俺のことを受け入れてくれる世界や人たちが
なぜなら、この環状がもしかして一時の魔法で、明日起きたとき消え去ってしまうかもしれないから。
変なこと考えてるな、と思われるかもしれないけど、それくらい俺の中では大きな変化だった。
それと同時に、みんなこの気持ちを胸に抱えて生きてたなんてずるいとも思った。
心の中に、自分だけの無敵スターを隠し持っているような感じだからだ。
この気持ちがあるから、自分から世界に問いかけたりアクションをしたり、
前向きに...といっても、俺の世界は小さいから、旅行にいったり趣味を楽しんだり、
完璧でなければ世界からぶちのめされる、そんな感情があったからだ。
完璧でない自分がそうしたことを楽しむ資格はない...と言ったら言い過ぎだけど、
今こうしてこの文章を書けて、そして公開できるのは、
一つに勢いと言うものがあるのかもしれないが、
愛されている実感が自分の背中を押しているからに他ならないと思う。
長くなってしまった。なんか自分の人生、最近いいこと無かったけど、
唐突になんか心の底からうわーってなったので、話せる人もいなかったので
ここに書かせてもらいました。乱文ごめんなさい、読んでくれてありがとう。
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
「女性だけでなく、男性も乳首を開発すると愛情ホルモンオキシトシンが分泌される」とある記事を読みました。
やはり授乳の過程で赤ちゃん👶に愛情が湧くような仕組みになってるのかな〜と思って彼に話したところ
「俺にそういうこと言われても困る」と取り合ってもらえませんでした。
困るってどういうこと?
楽しい会話のキャッチボールのきっかけになると思ったんだけど、なんで彼が困ったのかわからない。
お風呂上がりは家の中を全裸で彷徨く彼なので恥ずかしがってる説も薄い。
先週からずっと考えているけど全然答えが出ず、彼もなんで困るのか教えてくれない。
だれか授けてくれ、天啓を。
コメントの人へ
しつこく食い下がって聞いたりしてないよ
つら・・・・くなかった。
オープンワールド歴はPS3のオブリビオンから、スカイリム、TESO。フォールアウト4も。
オブリビオンはハマりにハマって色んな要素を集めるためにWikiや有志マップと睨めってしながらやってたが、スカイリム以降は「自分は気ままな冒険者」と言い聞かせて出会ったイベントでも特に興味があるもの以外こなさないというプレイをしていた。
原神はゼルダの伝説BotW(積んでる…)のぱk…リスペクト作品として生まれたような感じで、美麗なグラフィックに穏やかな雰囲気は鮮やかすぎるTES、殺風景するぎるFOを比べると新鮮ではあった。
私が原神を初めたのは甘雨というキャラが実装されてから。Twitter眺めてたらかなりの勢いで流れてきて見た目も好みだったので甘雨目当てで始めて…手に入れることは…できませんでした…。
その代わり刻星というキャラで始めることができたので自分はこのキャラが主力。
このゲームはオープンワールド(実際はベゼスダゲーだけど)には珍しくキャラ交代で進んでいくギミックが多数だった。
各キャラがグラブルみたいに属性が決まっており、基本はみな自分に割り振られた属性の攻撃をする。
敵と闘う時は属性を組み合わせた効果を相手に押し付けて闘う(相手を水浸しにしてから電気攻撃するとしばらく相手に継続ダメージを与えるなど)。
ギミックもシンプルで、属性攻撃を当てると動くしかけという形。
自分は結構ダンジョン攻略とかフリークエストで街から街に移りそこで住民と交流するのがすきなので、正直原神はあってなかった。
「まぁ今受け持ってるクエスト全部終わらせたらやめるか」という気持ちで原神終活を初めた。
溜まったクエストを終わらせていく俺。
新しく仲間になったジンと胡桃、そして実質配布でもらえるバーバラの4人でどんどんすすめていく。
「靖世の九柱」と名付けられたクエストは「9つの柱をアイテムで機動」という簡単なクエストだった。
手持ちを見るとなぜか4つはもっている。
Wikiで調べる。どうやた各地に散らばってる「岩神の瞳」を全部集めなきゃいけないらしい。その数なんと130個(+あまりで1個)。
折れかけた。
「クエストは終わらせる」と「自分はただの冒険者」がぶつかり合う。
あらかたフリークエストは終わらせていたようでその岩神の瞳をサーチするアイテム(の生成レシピ)をもらっていたのだ。
その地域の特産品の石と草とクリスタルを組み合わせるとできる。しかし気がついた段階では12個しか作れなかった(しかも石は刻星の限界突破用に溜めていた素材)
刻星に必要な分だけ残しひたすら集める。
それから多分一ヶ月ぐらいたった。ようやく昨日、集め終わった。
もうしばらくは原神のプレイはつづきそうだ。
よろしいですか。マクダーナルはチキンナゲット屋です。分かりましたね。
なんですって。ハンバーガーが食べたい。
マクダーナルのハンバーガーを食べるのなら、自分でブレッドでも焼いた方がよろしいでしょう。
それから《みなさまのお墨付き とろけるチーズ》です。スライスではないシュレッドチーズの方です。
すべて購入したら帰宅して施錠して靴を揃えて手を洗ってキッチンへ向かいなさい。
キッチンペーパーの上に食パン、いえロイヤルブレッドを一切れ、ぶち置いてみなさい。
いい光景でしょう。
そしたらその上にチーズを好きなだけ、ぶち撒きなさい。
いい光景でしょう。
さらにその上に半分にカットされたベーコンを2枚、ぶち敷きなさい。
いい光景ですわね。
あとはオーブントースターで煮るなり焼くなりすればいいのです。
裏面を焼きすぎないよう気をつけなさい。
途中で上火だけに切り替えて、チーズが泡立ってきたらもう十分でしょう。
蓋をあけ、爪先でパンもとい完成した【ロイヤルベーコンチーズ】を皿代わりのキッチンペーパーの上へ引きずりだすのです。
いい気分でしょう。
忘れずに上火にしたつまみを両面へ戻しておきなさい。
満を持して、キッチンペーパーの上でお食べなさい。屑ごとポイです。
むしろこの【ロイヤルベーコンチーズ】こそがハンバーガーの原型――
いえ、真バーガーと呼ぶべき――という天啓が得られたことでしょう。
いい気分ですわ。
死人には口がないし
死にゆく者を憂い悲しみ不幸と思う人間がその一つ一つに感情をあらわにしていたら悲しみなんぞ記録できないので
記録にはそういうものだと記録をすることに専念せざるをえず幸福か不幸かをいちいち書き記してられないやろ
そしたら生きた人間が残った情報をみても不幸やらなにが幸せやらは過去の事例からは掘りだせないし
昔が不幸だったかどうかとか今からみて過去の人間は今を比べることができないのに何と比べて幸福を望んで
どんな不幸を天啓の幸と比べて足らぬと考えて不幸といっていたのかわからんよね
だったらその当時はそれなりに幸せだったんじゃないの?
野生動物もいつ襲われ死ぬかもしれないなにも予定も計画も保証もない世界で幸福なのか不幸なのかと考えたら
そんなものはないんじゃないの