はてなキーワード: 天命とは
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1751610092128997864
自分はハッキリ言ってこの近畿大学と大差無い、いや寧ろ低い偏差値の大学出身だ。
今でこそ年齢の平均以上の年収は得ているし、それで家族も養っている。
仕事もやり甲斐があり、世間的には恥じる事の無い人生を送っている…と思う。
しかし学歴だけを見ると「◯◯大の分際で!」と愚弄される様な立場なのだ。
恐らく増田は高学歴が多いだろうから、実際に言うかはさておき本音の部分では先のインフルエンサーの意見に同意する人間の方が多いだろう。
低学歴且つ地方出身は、それだけで「見下し馬鹿にして存在そのものを否定しても良い存在」に成り下がる。
スカウトされる様な形で入社したし、成果も出しており会社での立場にも恥じる様な事は無い…と思っている。
でも、出身の大学の話なんかをされる度に、いつ「◯◯さんはどこの大学を出ているのですか?」なんて聞かれるのが怖くて堪らない。
聞かれるだけならまだ良い。聞かれた上で、心の中で「ああ、こいつは所詮低学歴なんだな」と見下されるのが怖い。怖いというよりも悔しいのかもしれない。
申し訳無いけど勉強は出来た方だと思う。偏差値だけで言えば早慶辺りも難なく入れただろう。
けれど家庭の状況がそれを許さなかった。
家は裕福な方では無かったけど、父は真面目な働き者で、母は優しい人だった。
母は元からあまり心が強くないタイプではあったが、それでも父の医療費・介護費用を稼ぐ為に必死で働き、それでも生活はギリギリで、遂には心を病んでしまった。
大学に入学するのは両親の希望だったが、経済的には俺が高卒で就職した方が余程良かった事だろう。
しかし経済的な理由や男女差別的な理由で共に大学進学を断念した経験のある両親にとって、自分達(俺と弟)の進学は悲願だったに違いない。
自分達の事は何とかするから、お金の事は気にしなくて良いから、進学してくれと言われた。
しかし生活の窮状とそれに伴う両親のメンタルの悪化を見るに、そんなのは到底無理な話だった。
両親の実家(祖父母)らも亡くなっているか今で言う毒親な為縁遠く、頼れない。
経済的にも孤立した状況で父の介護をしながらパートを二つ掛け持ちしながら更に単発でのバイトも入れていた母の負担を少しでも楽にさせたかったのもあるし、
恐らく母は遠くない内に限界が来て働けなくなるだろうという予想があった。
(この予想は悲しい事に的中し、母は自分が大学三年の時に自立神経失調症から来る鬱病により完全に外では働けなくなってしまった)
結局、地方にある自宅から通えて、返済不要の奨学金が使えて、尚且つバイトもフルで入れる進学先となると
俗に言う地方F欄大学、世間的には「低学歴」とされる大学しか残っていなかった。
最初に就職した地方の中小企業ですら「大卒以上」が必須だったからだ。
母の不調を見続けた父も「自分のせいで申し訳無い、迷惑をかけ続けたく無いから死にたい」と希死念慮を口にする様になり
色々な意味で目を離せなかったから、結局両親が亡くなるまで子供部屋おじさんで居続けた選択肢も仕方ないと思っている。
自分が25歳の時に父が、後を追うかの様に28歳の時に母が亡くなるまで、ロクにデートも出来ない自分に長年付き合ってくれた
両親の事が落ち着くまで待たせてしまった妻(当時は恋人)には大変申し訳無かったけど、それでも彼女を両親にも紹介出来たのは数少ない救いだったと思いたい。
自分の人生に今更不満を言う気も無かったのだけれども、世間では今も昔も「低学歴」は被差別対象なんだな、と感じる時がある。
その方は以前にも学歴煽りをしており、法政レベルでもF欄扱いしている。
https://twitter.com/Hidetoshi_H_/status/1632700941651820546
恐らく増田は高学歴が多いだろうから、めいろまさんの様な立派な経歴を持つ方ですら「学歴」という一点で見下し愚弄する人の方が多いだろう。
実際は口にしないだけで内心見下しているだろうし、自分からすれば遥かに高い法政ですら「低学歴」となるのだから
自分の様な地方の聞いた事も無い学歴など最早学歴としての価値すら見出さないだろう。
そう思ってしまうぐらい被害者意識が強くなるのは、自分には学歴コンプレックスが今も強くあるし、それも自業自得では無い理由が原因だ、理不尽だ、という思いが強いからだろう。
だってさ、父が病に倒れて仕事を失ったのも、母が介護でメンタルを病んでしまったのも、頼れる身内がいなかったのも、もう本当に運が悪い、不運だったとしか言いようが無いじゃないか。
誰が悪いのかと言われたら天命だろう。そう思うしか無いだろうよ。
二人とも決して成功した社会人では無かったかも知れないけれど、それでも兄弟二人を真っ当に育て上げたのだから、何故こんな仕打ちをしたのかともし神がいるのなら恨みたい。
両親は地味ながらも真面目に生きてきたし、自分も特に悪さもせず勉強に勤しんでいたタイプだった。
弟は俺よりもっと成績が良く頭も良かったから、普通の家庭で、関東出身だったら、東大にすら行けただろう。
地方出身は差別されるべき属性なのか?「自業自得」と言われるべき恥ずべき産まれなのだろうか?
(増田やネットでの地方差別を見るに限り、そう思う人間は少なくないと痛感している)
京大出身だけど人生失敗した、高学歴だけど人生がうまくいかない、といった増田も度々見るが、そういった高学歴自虐風自慢的な話を見る度に
その学歴を、いやその学歴を得られた環境を当時の俺らにくれよ!と言いたくなる。
どうしようも無い不運が原因で望んだ学歴を得られなかったのに、自業自得では無い理由で低学歴になってしまったのに
せっかくの学歴とそれを得られる環境を無駄使いしている様にしか見えない連中を見ると、最早怒りすら湧いてくる。
(件のインフルエンサーも親が海外の大学進学費用まで全額負担しているらしく、それも自分が見ていて辛くなる理由の一つだろう)
昨日、母の13回忌を終えた。
元の実家を改装した、本来はもっと華やかな、一流と呼ばれる企業で働いていた筈の弟の家でこれを書いている。
結局弟も実家からは離れられる状況では無く、地方公務員になった。
世間的に見れば、高卒の両親から産まれた低学歴の、負け組の兄弟でしか無いだろう。
弟も弟であまり表には出せれないけれど、少しでも不運が無ければ、もっと良い人生を送れたかも知れないのに、という思いはあるそうだ。
現状がそこまで不満では無いだけに、尚更思うという。
弟の妻は法政よりは上の大学出身で、兄ながらよく結婚出来たと思うが、学歴の事は「話題にも出来ないよ、恥ずかしくて」と言う姿は俺に重なった。
良い大学を出たのにまともな正社員経歴が無く結婚するまでは非正規だった妻とその子を、一馬力で支えている人間ですら、その立場を誇れないのだ。
自分達の様な低学歴は、この先、どんな社会的地位を築き上げたとしても、家族を得て安定した生活を送っていたとしても
学歴が劣る者として「◯◯大学の分際で!」などと、人前ですら愚弄され、差別される存在なのだ。
学歴という、ただ一点において。
自業自得なら仕方ないのかも知れない。
頭が悪かったとか、成績が悪かったとか、勉強をサボっていたとか、そういう自業自得では無い理由で、低学歴に甘んじてしまった。
そのコンプレックスは一生ついて回るだろう。
私は何に祈ったんだ?
シンプルに、私は無神論者だと思い込んでいただけで実際は有神論者だったということなのだろうか
すなわち、神の存在無しに「祈る」という行為は可能なのかどうか
なるほど、確かにありえる
しかし神は信じないけれど祖先信仰はする無神論者って変な感じがする
無神論者が仏壇に向かって「おじいちゃん、あの子をどうか見守ってあげてください」と祈ることをよしとするか?
なんか変な気がするよなあ
神の存在を否定するなら霊の存在も否定しておけよって気分になる
「天に祈る、というのはどうか」
では「天」って何?という話になる
「運を天に任せる」とか「人事を尽くして天命を待つ」の「天」だよな……
やはりそれは「運命」とか「宿命」のような、何らかの超越者によって定められた物事を指しているのではないか
それは神と何が違うのか?
神と「天」が何か違っていたとしても、無神論が無いと判定するなんらかの概念なのではないか?
難しいな、もう少しパターンがある気もする
家族が入院した、と電話がかかってきて病院へ急いで向かう時とか……
腹痛の時とか……
「祈る」を言い換えると「人の手が及ばない領域の物事が私に都合がいいようになるように願う」と言ってもいいか?
だとすると、それをなんとかできるのは「人の手が及ばない領域の物事に関われる存在」だ
筋金入りの無神論者でも祈らずにはいられないというシーンでは祈ってしまうものなんだろうか
何かの漫画でそんなシーンがあった気がする
そういえば無神論者であることが有名なドーキンスは祈ることがあったのだろうか
彼の自伝を読んでみるか……
補記:日本語の「祈る」とキリスト教文化圏の「祈る」は意味が異なる可能性がある
日本語の「祈る」は「願いが叶いますように」と言うこともできる
しかしキリスト教信者がどんなことを考えているか?みたいな内容が書かれている本を読んでいると、どうも現世利益を期待せずに祈っていることもあるようだ
祈らずにはいられない、という場面はたいてい現実に起きている問題がなんとかなりますように、という願いだ
「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とも言うしな
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「神は存在しないと思っている。無駄な行為だとわかっている。それでも祈らずにはいられない」
これはありうる
ただ、これを言ってしまった無神論者はその後も無神論者であり続けることができるのかどうか
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あと、冒頭で「神は存在しないと思っている」と書いたが正確にはキリスト教的唯一神の存在を信じることが出来ていないだけだな
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神を信じるとはどういうことかを知りたくていろいろ本を読んでいるんだがな……
昔の人は神を信じて生きていたわけで
昔の人が何を信じて何を信じていなかったのか、を調べるのに神の話は避けて通れない
誰が見ても徳的な意味で立派な人はいるけど、必ずしも経済的に成功してないし、
健康・家族・友人に 事故・天災のトラブルが起きることはぜんぜんある
いい人(徳の高い人)になりてーなとはすごく思ってるし、それが人生の目的だけど、
善行をすることは "たまたま生きている" 我々のラッキーを補強してくれるものでは無いのだ
つか、
キャンプ行くだけで死ぬし (クマや異常者や悪天候ではなく、ナラ枯れした木が突然倒れてくる)
エレベーター乗るだけで死ぬし (ドアが開いたのでいつも通り乗ろうとしたら、ハコが来ていなくて転落)
道を歩くだけで死ぬし (車や異常者ではなく、空から何かが戦争以外で落ちてくる)
家で寝てるだけで死ぬ (火事・地震・異常者ではなく、平均的な住宅価格が1億を軽く超えている地域のコンドミニアムで床が抜けて死ぬ。例:米国のサーフサイドなど)
ワイは最低でも100歳以上は元気(自分で自由に歩き回る)に生きたいので、認めたく無いし、おそらく死ぬ瞬間まで認められないが、マジで "たまたま生きている"だけだ
それと同じで、ラッキーもアンラッキーもそうで、マジで "たまたまそうなっている"だけ
いいことをしたから、がんばったから、ラッキーな状態にあるわけじゃあないんだね
どんなに勤勉でめちゃくちゃいい奴でも理不尽な不幸に遭う時は遭う
ワイはおそらく自己認識の1億倍位はか弱いもやしメンタル&フィジカルなので、認めたく無いし、おそらく死ぬ瞬間まで認められないが、マジで "たまたまラッキー"なだけだ
ワイらに出来ることは、どう生きたいかを決め、神頼みするくらいです、マジで
それは辛い状況を受け入れろという意味ではなくて、
上級国民でもエリートでも善人でも、先進国の高級コンドミニアムで寝てるだけで死ぬ(戦争でも地震でも火事でも殺人でも老衰でもない)という現実を人力でどうにかすることは不可能だが、
絶対にハッピーになると決めることだけなら出来るということです、逆にいうとそれ以外に人間にできることないです、マジで
いうて、"たまたま生きてる"だけなんだから、出来ることをしたら、神頼みして、頭を切り替えて休むなり次のアクションを打とうとか、
そうそう簡単にできることじゃない。任天堂の社長さんもこう言ってる
運を天に任せる
人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています
なので、出来ることをしたら、サッと頭を切り替えて休むなり次のアクションを打つとか言う技術を健康を害さない方法で確立できたら、
家族、恋人、友達、生きがい、健康、それらはもちろんのこと、ペットすらそうだ
ペット自体は生体販売でお金で買えるけど、ペットとの絆はお金では買えない
でもいうて、成熟していないので、結局は些細な贅沢を辞めれず、ある程度はお金に奴隷になっちゃう部分はあるのかな・・・とは思いつつも、
これらについてぼんやり考えてる
まず、田舎で職業として農業やるとか猟師で自給自足するとかは、ツテも能力もまったくないので無理だ
東京生まれとは言いつつも周囲には住宅しかなかったので都会っ子の自認はまったくないのだが、
やっぱ、街灯がまばらで青年会が山道の整備とかしている地域とか、雪かきが必須の地域で生まれ育った人らと比べると、あらゆる面において貧弱だ
メンタルもやしでツテが無くても、器用でDIY得意だとか、人付き合い能力がめっちゃ高いとか、大柄で筋肉隆々だったら、またぜんぜん違ったんだろうけどな
宝くじとか当たって家庭菜園やレンタル畑をやれたらいいなとは思う
でも、薄ぼんやりとした食糧不安をずっと持っているので(農業従事者の平均年齢が70歳を超えてしまっている。あと円安)
宝くじ当たらなくても、農家サブスクとレンタル畑くらいはやってもいいかも知れない
円がゴミ屑にならない前提・食糧に困らない前提で、雑に月30万くらいあれば特別なことが無きゃ老後過ごせると思っている
60歳から40年で1億4400万必要で、所得もしくは売上げを全額貯金に回せば余裕でイケる額だけど、当然ながら全額貯金は出来ない
娯楽(ゲーム、マンガ、エロ)で一発当てるか、人を雇う規模感でのビジネスの成功か、投資で爆益が必要なわけなんだが、
なので基本的には一生INを確保する・・・つまり一生働ける方法を考えなきゃいけない
あれ?お金の奴隷にならないってのはどうしたんだって話だが、どうあってもお金の話はついて回る
家族、恋人、友達、生きがい、健康を買わない(買えない)のに、『お金でなにを買うつもりなんだ?』と言ったら、
"安全" と "快適" だよね
日本は今のところ先進国かつ銃でヒャッハーしている人はいないので "安全" は多少目は瞑ってもいいが(いうて、侵入窃盗とひったくりと放火・寝タバコが多い地域は避けた方がいい)
"快適" は、世界中どこでも価値のあるものだよね、もちろん日本においても
"快適" と "不要な贅沢" の線引きは難しいが、人間の幸福には下記のどちらかは必要だ(両方あるとより望ましい)
このどちらかを維持するのに必要な経費が "快適" だろう
しかし、任天堂の山内氏の経営哲学は、本当に "それはそう"感 あるな
面白いと思うものをつくれ
商品が売れるか売れないかは、正直いって誰もわからんよ。しかし、面白いか、面白くないかは誰にでもわかる。おもしろいものをつくれば会議で検討したり、市場調査をしたりする必要もないわけや。事実、ゲームソフトで370万本売って超ベストセラーになった「スーパーマリオブラザーズ」など、100人中90人までがおもしろいと評価していたよ。
実力だけではなく運も認める
運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。ところが、人間ですからついつい運の存在を無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。
世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。
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「世の中でうまくいっている人の言葉を金言のように聞いて、『なるほど』と言って真似をしたがる人がいるけれど、自分にはそれが理解できない」
「なぜなら、うまくいっているのは全て運だからだ」
運を天に任せる
人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています
経済的成功出来るかは知らんけど、少なくとも自分自身は面白いと思える作品や、自分自身は役に立つと思うシステムについて、もっと真剣に考えたいなって改めて思いました
あと、立派な人は経済的に成功していなくても誰の目から見ても立派なので、世間の評価がどうこうではなく、やはり引き続き、善行ができる人を目指したいと思いました
「6回接種!マスク厳守!PCR検査必須!」みたいな知恵遅れみたいな事未だに言ってるし、コロナって老人のわがままに付き合わされただけなんじゃねーの?
ちょっと調べりゃ付着と発熱の区別も出来ないPCRなんか何の参考にもならん事位判るのにな。発病のみ判明する抗原ならまだ判る。
なんかアレよな。戦争が終わって自分だけ鬼畜米英って1人で竹やり振り回してる変わり者の市民に付き合わされてる気分。
若者とかホント良い迷惑だわ。何人健康被害被ったと思ってんだよ。人間何やっても死ぬときゃ死ぬんだよ。それが運命・天命だろ。まゆりが何度も死ぬみたいに、決まってる事に逆らっちゃイカン
なんか寝れないから吐き出し。
本当は良くないの知ってたんだけど、元野良猫なのもあり好き勝手外に出れるようにしてた(避妊済み)
私のことを子供と思ってるのか、夜に学校から帰ってくると必ず家の前で待ってた。
何時だろうが必ず迎えにきた。
近づくと玄関まで誘導してくれるんだけど、止まったり隠れたりすると「ちゃんとついてこい」と言わんばかりに戻ってきて、私が動き出すまでじっとこちらを見てた。
名前を呼ぶと絶対返事をするし、離れていても様子を見にきてくれた。会話のできる猫だった。
尻尾が短くて不器用で、なぜか人のコップで水を飲むのが大好き。でも飲むの下手くそなのでまわりびしょびしょにした。ご飯食べるの遅くて、弟分の猫にとられてた。喧嘩弱いのに私が外にいると偉そうに野良猫の前を歩いた。なんなら自分から煽りに行くイキリ野郎だった。年をとってもなお紐で遊ぶのが好きだった。腹がいつも禿げてて、病院に行ったけど治らず原因不明だった。お腹が弱い子だったのかもしれない。
去年の今頃、すでに私は家を出ていたが、家の大掃除をするとのことで久しぶりに家に帰った。といっても隣の県でよく帰ってるので1ヶ月ぶりという感じ。
実家に着くと猫が風呂場の水を飲ませろとずっと大きな鳴くようになったと家族に言われた。本当にすごい大きな声だった。
もともと流水が好きで、お風呂場の蛇口の味を覚えたか…と思った。大きな声なのは祖父母が耳が遠くなっていて、普通にないても気づかれないからだろうと思った。それで、なき癖について調べたら要求に応えるとさらに悪化すると書いてあったので、大声で泣き出したらお風呂場に入れて水あげてたけどやめようと家族と話をした。いつもの飲み水あるし。その日は大型家具を一掃して家に帰った。
その次の日にご飯を食べなくなったらしく、その翌日に実家から電話が来た。様子を見てたが全然ご飯を食べないしずっと寝てて反応が薄いと。明日の朝病院に行くと。すでに16歳なので、無理に病院には行かないと言われた。天命に任せると言われた。
色々思うところはあったが確かに最近はよろよろで老衰と言われても不思議はなかった。明日の朝1番に連れて行ってくれると言われたので判断は任せた。そのまま明け方に亡くなった。「一瞬おかしくなっちゃって、その後動かなくなった」と言っていた。死ぬ前の痙攣のことだと思った。それでも朝病院に連れて行ってくれて、老衰だと診断された。
その日、私は朝から入院してる家族の病院で先生の話を聞かないといけなくて。始発で行くべきかなとおもったけど、朝病院連れて行ってくれるなら昼過ぎでも大丈夫かなと思ってて。病院の最寄りに着いた時に電話がきて、病院に着いた時はまだ暖かかったけどダメだったと言われた。
あの時、お風呂場の水を飲みたいと言ってたのは、ワガママじゃなくて本当に喉が乾いてたんだと思った。好きなだけ飲ませてあげればよかった。しかも大掃除で大きな環境の変化もあったから寿命を早めてしまったんだと思った。
次の日に火葬にすることになり、一晩一緒に過ごした。最後だからとお供え用のいい刺身を買ったらおばあちゃんがほぼ食べたのを見てマジで殴ろうかと思った。全部猫のやつに決まってんだろ。でも、おばあちゃんはその頃には愛猫を失った可哀想な私モードで、会話にならんかったので諦めた。ていうか、家に着いて猫を抱いて泣いてる私の横で「病院で火葬手配をしてくれた。この病院はいい病院で、私はこんな世話をした。私もピンピンコロリで死にたい、死に際を教えられた」という話を15回くらいはしてたし、最終的に火葬の手配なんて1ミリもされてないしで発狂しそうだった。猫の刺身も「いい刺身が食える」程度にしか思ってなさそうだった。家を出て猫の世話を一任してた身としてはあまり文句をつけないつもりだが、刺身の件だけは一生許さないと思ってる。
火葬用の段ボールに大好きな麻紐と手紙とご飯を入れて送り出した。入院中の家族が退院したときに何もないのは辛いかと思い、共同墓地に入れずに骨を返してもらった。ちなみに、入院中の家族を不安にさせないために猫の死は言うなと言ってたが速攻でおばあちゃんがバラした。速攻で私に言い訳電話してきたのでボケてんのかボケてないのかわからなかった。正直言っちゃうだろうと思ってたが1週間も持たなくて草だった。
今週で猫の一周忌を迎えるので、これを機に骨壷の片付けをしようと思う。ペット用共同墓地は行きづらいので、骨を少しだけもらって、亡くなったペットの骨を入れる用のペンダントとかに入れたいと思う。
天命に従って救済を待つだとかの信仰がある訳でも無いのに、親ガチャとかの決定論じみた諦念を抱いてる人ってマジで生きてて楽しいんですか?
そういう運命めいたものに対してニヒルな気持ちを抱いても、どうせ人生諦めて死ぬ勇気なんて無いだろうという事実を認めて自由意志を信じてみるだとか、あるいは神を信じてみるだとかに落ち着くものなんと違いますか?普通。と思いますね。
最近だとインターネットに触発されて自分の諦念に正当性を持たせてくれる反出生に目覚めて、それを使命に生きてる人もいるんでしょうけど、辛くないっすかそういう生き方。
そこそこ(親ガチャとかグチグチ言ってる人基準では恐らくかなり)恵まれた環境でダラダラ生きてきた人間のポジショントークですが……
数年前、退職時に後ろ足で砂をかけていった奴のその後の様子を偶然知った。
もし君があのまま会社に残り続けていたら、今頃は年収700~800万円くらいは貰えてたのにね~w
・・・と一瞬気持ちよくなったところで、人のふり見て我がふり直せ。
退職エントリで元の職場環境をdisる彼の正当性の有無は脇に置いておこう。
事実として、自分は会社に残ることを選択した上で運よく会社に居続けることができ、
彼は運悪く転職を繰り返すことになったに過ぎない。
自分もいつ閑職に回されるか、地方や子会社に飛ばされるか分かったものではない。
しかしそれらは景気や会社の業績の都合によるものであり、自分の力ではどうすることもできない。
人事を尽くして天命を待つ。