はてなキーワード: 天元突破グレンラガンとは
■増田には悪口を言うヤツが多い気がする。
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自分を正義だと信じていちいち口つっこんできてテンション下げさせるオバハンってホントウザい。
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情報の受け取り手なんて、いつも勝手だ。要求ばっかりして自分達じゃ何もしない。
http://anond.hatelabo.jp/20070919010025
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■ほめるとかほめられるとか
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■はてな村民はなぜ人を褒めないのか
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実は格好のサンドバックなんだよな、相談者ってのは。
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はてなブックマーク - 嘲笑や罵倒は得意なのに、褒めるのは苦手なのね
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そうやってただ水を差して逃げを打ちながら非難する何の生産性も無い奴より、たとえ間違っているかもしれなくても、将来をよくしたいと動く奴の方がはるかに凄いだろうと思う。
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■ネットを開放する天元突破グレンラガン
ので、恐らく見続けるだろうアニメを、続きが気になる順に羅列アンド感想。
キャラ多すぎ、(今までが良かっただけに)絵がヤバすぎなどの問題を抱え、まだ話として特に何も始まっていない段階から賛否両論巻き起こっていた3期。最強クラスの先輩方が全員居残り、新主人公たちは結局最後に食われてしまうんじゃなかろうか、など不安要素は尽きないが、何とか上手いこと転がって『六課を描く』ということが達成できたならば、きっと俺にとって今期トップのアニメになってくれるだろう。よって期待度一位。現に8話では絵(対人戦闘は気合入ってる)、話(あの展開をこの回だけでどうこう言うのは筋違い)ともに先への希望を見せてくれた。
予想を全く裏切らない筋を展開した上で、それでもラスト5分ではキッチリ興奮させてくれるという、まさに王道を貫くアニメ。ただ余りにもそのまま進んでいくため、地下からの脱出をこれでもかというぐらい清清しく描いた一話がマックスだったのではないか…という心配がずっとあった(地下の描写が一話こっきりなので、シモンの戦う動機づけが弱すぎるのではないか)。しかしロシウの回でもう一度地下を描き、たくさんの仲間ができ、そしてついにアニキが…と、一話ごとの筋だけではなく大筋もこれまたキッチリとやってくれていて、とても安心して見れる。先が読めると言ってしまうとそれまでだが、それだけではない力がある。
話の続き自体は、始まったばかりでまだ何もわからない、ということもあって正直割とどうでもいいが、本気を出したNHKをなめていると後で損をするというのはもはや俺の中で定説だ。幸い話がつまらなかろうが設定と絵をぼーっと眺めているだけで30分は過ぎてしまう。後は物語が動き出すのを待つだけだ。
そろそろ世界観や各キャラの能力・背景などが把握できてきたし、前後編体制でスローペースだった分どうにかならないかなと思っていたら突然テコ入れ回が始まるというのんびりぶり。なら1クールで小奇麗にまとめろよと言いたくなるし、このままオムニバスっぽくやっていくなら完全にゴミアニメだが、まあそうはならないだろうという予想と期待を持ったまま見続ける。問題はそれよりもキャラに全く魅力が無いことか。それを考えるとテコ入れ回もなかなかどうして…と、安い罠にかかりつつ。
本当にシンプルな意味で続きが気になるという意味ではこれが一位かもしれない。が、キャラたちの等身大の浅さを抉り出そうとして結果アニメそのものが浅くなってしまっているという印象がどうしても拭えない。原作とは大分違っているという噂を聞いてちょっと納得したのもそのせいだろう。15人もいることだしどうにかなるのを願いつつ、単体で30分の価値を持つOPとドロドロエピソードをさっくり楽しもうと思う。
実はまだ一話しか放映されていない。これがアニメの地域格差か…!ということを実感するも、何故かほとんど感想を見かけない(見かけても目を逸らすけど)のが少し引っかかるし、CMに入るまでは何となく桃花月譚が思い出されるなあという感じの一話だったが、まあ斬るのは少しためらわれる出来だったので視聴続行。劇が原作だと聞いて、ならあの意味不明な獣は意味不明なオリジナル要素かと思いきや、原作にもいるらしい。意味不明だ。
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている
例えば「To Heart2」と言う作品がある。
この作品にはみつみ美里、甘露樹、なかむらたけし、カワタヒサシと言う四人の原画家がおり、それぞれの個性をもって
各キャラクターの原画を描き、一つの作品として纏められている。
その絵柄の違いに特に難色を示すファンはそう多くはいない。それは何故か。
絵柄の違いはあれど、To Heart2と言う世界の中から極端に逸脱してはいないからだ。
対して天元突破グレンラガン第4話。もう言うまでもなく逸脱している。
『逸脱し過ぎた個性』は個性でないのである。
オタクもそうバカではない。個性を認めないほど愚かではないのはTo Heart2が証明している。
では何故、グレンラガン4話はここまで大ブーイングに包まれてしまったのか。その答えがここにある。
今回の作画を担当したのはアニメ「BECK」の監督との事だが、彼の過ちは
「BECKで通用した事が、グレンラガンでも通用すると思ってしまった事」である。
普通のアニメファンからは存在すら目に留めてもらえないような「BECK」と、この春「らき☆すた」「ハヤテのごとく!」に次ぐ
人気を獲得している「天元突破グレンラガン」を同列に置いてしまった事なのである。
かつて「魔法少女リリカルなのは」でも同様な事が起こり、件の個性的な絵柄をベルカ式と称されてファンの間では
黒歴史にされている。
いっそグレンラガン4話の作画も「BECK式」とでも称してせせら笑う事でしか、一人の「見えなかった男による失敗」によって
裏切られたファンの傷ついた心を癒す事は出来ないのかもしれない。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。