はてなキーワード: 大道芸とは
日本死ねまでは正直思ってないです…
余りに怒りでイライラしているので文がぐちゃぐちゃかも知れませんが、読んでいただけると嬉しいです。
予想されている衆議院の投開票は22日で、私の学校の学校祭と重なっているんです。
もちろん、展示物などで体育館を使う予定で…
みんな、22日に展示する、という意識で頑張って制作したり考えたりしています。
正直、私達だけの展示だったらどうにでもなりますし
ですが、体育館で講師の方を招いて講演を聞いたり、プロの方に大道芸を披露していただいたり…というのが今のところの予定で
日にちをズラしてしまうと、依頼をキャンセルしなくてはならなくなります
もう、1ヶ月を切ってしまっているので恐らく代役の方を探すのも無理だろうとのこと
更に、日にちをずらすと3年生はオープンキャンパスなどに行けなくなります
…正直、すごく辛くて
仮に運動場だけ使ったとしても、車の誘導などで使えない場所も出てくるし
そっちに付かなくてはならない先生も出てくるはずです
本当に日本の為になるんですか??
たまったもんじゃねぇよ
どうにかしろよ
頼むから
私は政治に口出すことはできません。
行ってみて思ったことを書いていく
各施設の障害者の作ったストラップや椅子、クッション、お手玉、積み木、などなど色々なものが売られていた。
いわゆる手作りのバザーのような形。
100円ショップに売ってある材料を使って作ったんだなーってものも多かった。
特に高くもなく、材料費だけというような価格かなと思えるほどの価格。
私が目を引いたのは焼き物だった。
他にも猫の形の箸置きやマグネットもあった。
なかなか可愛くていいなと思ったがそちらは少し高かったので買わなかった。
そういう目を引く物もあるけれど、
売り上げはいいのか?
バザーならいいのかもしれないけれど、
もし可能なら入所者が作るもので売り上げがあるならいいんじゃないかなと思って考えてみた。
私が思い浮かんだのは
入所者がその商品を作るとか。
アニメやおもちゃ会社も自然と社会福祉に貢献できてwinwinかなと思った。
実際はそんな簡単じゃないんだろうけど。版権とか分からないし。
例えばブレスレットを作ったとして、
そこにキャラの絵よついたものを追加するだけで価値はぐんと上がるんじゃないだろうか?
またはキャラを作る
デザインでもいい。
それならばオーダーメイド制にして、
欲しい人の為の商品を作るとか。
前向きさとか、多いのかなとか思ったので、
前向きな言葉の本とか?
あるあるだけど。
だから本人たちに頑張ってこちらに働きかけて欲しい。
何よりまぁ、一番簡単で確実だと思うのは、
これはやはりいい売り上げになるんじゃないかな?
ね、ここ大事ですよ?
あのね、イベントでね、
それは残ってて、
そういうのが売り切れてたんです。
食べたかったんです!←
障害者の方が直接物を売るのは
でもそこは裏方で良いのではないでしょうか?
表に出たい人も居ると思いますけど、
売れなきゃ意味がない。
ステージも見ていってください。
ってあったけど、
ちょっと歌が、下手でその、、。
でも、その前に付加価値をつけたら?
「ほとんど話すことのできない人が、
猛特訓をして今日、皆様に歌声を届けることが出来るようになりました!
などなど。
そんなの言われたら、
多分どんなに下手でも涙流すよ。
頑張ったんだなって。
でもそれは逆差別になりかねないな。
感動ポルノだっけ、前にどこかで聞いた。
それで無く、普通に
「俺の歌を聴けー!」
ならそこそこ聴けるくらい上手い人出してください。
そんな事ないよ。
身内でカラオケするなら良いよ好きにすれば。
運営する人も何も思わないのか?
または私がただの身内のお祭りに迷い込んでしまっただけなのか。
関係ないけど、
サービス?があって、
それは手紙のやり取りができたりする。
やってるかな?
何かできるんじゃないかな?
全部試してうまくいかなくて今の形なのかもしれないけど。。
そんなつぶやき。
長々と読んでくださった人いたらありがとね。
キチ女「朱印帳持ってきて無いので」
神主様「貼り付ける紙の御朱印ですね。ご用意します(日付サラサラ)」
キチ女「日付薄くないですか? もっとちゃんと書いて下さい」
神主様「は?(長い事朱印書いてるがそんな事初めて言われたんだが)…、数日前にあらかじめ書いた朱印部分と、今記入した日付では、どうしても濃さに違いが出ますので」
キチ女「(人の筆をつつく)この筆古くなってしまっているんじゃないですか、薄くてお葬式みたいじゃないですか」
神主様「(同じ墨使ってんだが)乾くまで少し待って頂ければ、色が定着して同じように見えますが」
キチ女「書き直してください」
神主様「…(使ってない筆を取り出す)」
キチ女「なんでそれ使うんですか、書き直すなんて失礼じゃないですか」
神主様「(書き直せって言ったのはお前だろうが)…(新しい朱印用紙を取り出す)」
キチ女「もういいです(退出)」
一同呆然。
あー、キチ女。たぶん後で旅行サイトあたりで悪口書きまくったりするんだろうし、期待してるとこ悪いんだけど、アレだよ?
参拝者に失礼な態度取ったからアイツは後で怒られるに違いない!とか考えてそうだけど、
お前が言った言葉やつけた注文は、お前からしてみれば珍しくもない当たり前の事を言ったつもりなのかも知れないけど、
長 年 神 主 や っ て て 初 め て 耳 に し た レ ベ ル の 異 国 語 だ か ら 。
御朱印は、お金を払ったら神主野郎が見せる大道芸などではありません。
注文つけたり文句つけたりするものではなく、感謝をしておし頂くべきものです。
有難く受け取れ。
「はあ、またゲームばかり」
ウイニングイレブンをプレイしながら合間に携帯でツイッターを覗いた僕の手は止まった。またこれか。
彼女は言いたいことを直接言わない。なぜか遠まわしにツイッターを経由して言うのだ。
ゲームばかりで私に構ってくれない、どうして?そう言いたいのだろう。けれども、直接は言ってこない。
こういった発言の一番卑怯なところは、どうにも返答しようがないという点だ。
「返事が遅くてごめんね。やっぱ会議中とか携帯見れないからね」
と返答すれば済む話だが、それも変な話なのだ。彼女のツイッターの発言に返信したり、あるいは直接返答をしてはいけないのだ。
この種の彼女の発言は、あくまで僕が見ていない、見れていない、という前提で成り立っているのだ。見ているのは知っている。けれどもその建前なのだ。僕に言ってるんじゃない、中空に言ってる体裁に近い。それに返答するのはおかしい話、そんな暗黙の了解が成り立っている。
別に返答したところで彼女が拒否するわけではないだろう。ただ、自分の満足する返答でなかった場合、「そういうつもりではなかった」という逃げ道を準備しているのだ。
そう言えば、彼女は
とでも理解ある彼女を演出するだろう。「いつも返事が遅いのは私のことなんてどうでもいいから?」なんて発言は、別に構って欲しがりの面倒な彼女みたいな発言ではない、別のものに向けた発言だという顔をするだろう。
ありえないが、烈火の如く怒ったらだどうだろう。決定的に破綻するまで怒ったとしたら、彼女も開き直って。
というだろう。大道芸を見るときに自然と形成される人垣。その少し離れた場所にできる人垣的な距離感の立ち位置でいくつもの逃げ道を用意しているのだ。なんにせよ彼女の発言は卑怯だ。
それに、矛盾しているかもしれないが、本質的にはこれらの発言は僕に向けているわけではないのだ。
「はあ、今日もドタキャンです。仕事だから仕方ないけどね。夜景が見えるレストランはおあずけ」
あのときは本当に申し訳ないことをした。でも、この彼女のツイッターからは様々な物が見え隠れしている。
まず、彼女はツイッターで「彼氏がいる」とは宣言していない。どうやらわざわざそんな宣言をするのは恥ずかしいようだ。けれども、周囲にはそうアピールしたいようで、こういった思わせぶりな発言が多い。
この発言だって、まず彼氏の存在を彼女の231人いるフォロワーに仄めかす意図が介在している。
そしてその彼氏は仕事が忙しいほどのエリートである可能性を匂わせ、夜景が見えるレストランでデートする充実っぷりを香り立たせ、それでも仕方ないと納得する理解ある慎ましい一途な彼女としての立場もアピールするのだ。
僕はこういった彼女のツイートを「露出狂ツイート」と呼んでいる。とにかくアピールしたくて仕方がないのだ。とにかく231人に勘ぐって欲しいのだ。彼女のことは好きだが、これら露出狂ツイートにはイライラして仕方がない。
一度そう思ってしまうと、彼女のツイート全てが露出狂ツイートに思えてくる。
文学的で可憐な少女であるとアピールしている。実際には何も借りてない、本も読まない。村上春樹だって1/3くらいよんで本棚に投げっぱなしだ。
小さなものが好きなカワイイ女アピール。そんな小物の癒しがマッチするオシャレな部屋アピール。実際には散らかっていることが多い。鏡の後ろに落としたツケマが見つからないくらい乱雑なことも。
仲の良い女友達もいるアピール。同性にもちゃんと好かれているアピール。実際には別の友達にはハナちゃんの悪口を言っている。
「今日はママから手紙着てた。懐かしくて涙出ちゃったよ。実家にもずいぶん帰ってないなあ」
親思いアピール。そんな郵便物は届いてない。親との仲もそんなに良くない。
「最近ストーカーに狙われて困ってます。怖いよ。警察とかに相談したほうがいいのかな」
「怖いよう、どうしよう」
か弱き女アピール。怪しいやつはブロックすれば済む話、そう言ってるのにアピールは止まらない。
「うん、マサトに相談したら変な人はブロックしたほうがいいっていわれた。怖いもんね。マサトありがとー」
頼れる彼氏、的確なアドバイス、こんなにも周りに恵まれてるんです、私。
ネット上の理想の自分と現実とのギャップを無視し、極度に理想の部分をアピールする。それは普段はトレンチコートを着てて、すれ違いざまにババッとやる露出狂とそんなに変わらない。
けれども彼女の気持ちも分かるんだ。インターネットやSNSをやる目的なんて、アピールでしかない。アピールしてなんぼだろ。偽りの理想の自分をアピールするだけだ。直接的にやると下品だから遠まわしにやる。それだけだよ。
「大丈夫かなあ。心配だな。ストーカーとかまじ心配。仕事が忙しくてなかなか会えないけど、なんとか時間作って会えるようにしないとね」
そうツイートする。彼女に向けて、僕のフォロワーに向けて。僕だって露出狂だ。
でもきっと、彼女には届かないんだろうな。仕方ないからツイッターのアカウントをログアウトして、また今日も彼女のツイートを見に行くんだ。今日はどんな露出をしてるのだろうかと。
──書いている端からそういうことが起きていくんですよね。
@marmalade_macro
と、状況補足だけしてみた。主観はなるべく抜いたけど、入ってるかも。割り引いて下さい。まぁ、屋台料理なんです、要するに。はい。大道芸の類です。
両方とも橙乃ままれの発言より
といっても例のSSではなく(つーか読んでない)、SSスレッドという媒体についての考察だけども。
まず、個人ブログや小説投稿サイトで発表される「SS」や「ケータイ小説」と、
2chの主にニュー速VIP板に投下される「SSスレッド」は別物である。
前者と比べてVIPのSSスレは劣る、という論旨ではない。
質がどうこう文章力がどうこうといった比較じゃなくて、
そもそもハナから別の表現媒体だと捉えた方がわかりやすいということだ。
両者の比較は映画と落語を比べるようなもので、どこかズレている(と思う)。
では、他のネット小説とSSスレッドはなにが違うのか。
まとめブログでSSスレをいくつか読んでネット小説と比べると、次のような特徴がわかる。
このうち特に重要なのは2と3だ。
「文章による創作物」を発表する媒体は書籍や投稿サイトなどいくつもあるが、
作者が書いてるそばから読者の反応が“同じ画面上に”書き込まれる媒体はSSスレッドぐらいだろう。
つまりSSスレを読む者は、
「作者が見せる登場人物の声」と、「読者の反応の声」という、二者の声を同時に聞くことになる。
また、作品自体も他の媒体と違って一度に全文を発表することができない。
2chの掲示板システムには行数と投稿間隔に制限があるからだ。
たとえばニュー速VIP板なら、3~5分おきに30行以内で書き込まなくてはならない。
この「量と時間の制約」が、作品に“間”を与える。
強制される時間的な制約と、その間にも挟まれる読者の声というノイズ。
この二つがSSスレッドを仮想上の演劇空間として成り立たせている。
ようするに、VIPのSSスレッドは「小説」ではなく「演劇」なのだ。
ここでなにかライブ映像を思い出してみてほしい。
演劇でもお笑いでもバンド演奏でもなんでもいい。
ライブでは、上演の時間やペースは作り手が決めるものであり、
受け手は同じ立場の観客たちとともに声をあげて反応を返す。
演者はあらかじめ予定していた作品を披露するが、
ときに観客の声に反応して、上演中にアドリブを差し込むこともある。
これは「完成品を一方的に送って、受け手も自分のペースで楽しむ」媒体、
たとえば小説の文庫本、CD音源、映画のDVDなどとは全く違う。
(記事のはじめで通常の「SS」を映画に、「SSスレッド」を落語にそれぞれたとえたのもこの違いからだ)
つまり、SSが投下されるスレッドは仮想的な“ライブハウス”として機能するのだ。
となると、まとめサイトはそれを事後的・俯瞰的に楽しむ“公演DVD”に当たるだろう。
仮に他の媒体で発表される小説作品を映画とたとえるなら、
読者との双方向性や共時性が備わったSSスレッドは紛れもなく演劇である。
(ちなみに、このようなスレッドという媒体の演劇性は「ゲーセン少女」などの擬似体験談スレでも発生する)
残った特徴4、5もまた、基本的にはSSスレッドの演劇性に由来するものである。
「VIPPERは3行以上読めない」といった言葉があるように、2chで長文は避けられる。
それはSSについても同じで、空行の少ない長文はまず読まれない。
だがSSスレについていうなら、長文が読まれない理由もスレッドが舞台に似ているからだと思っている。
SSスレッドは一期一会の軽いもので、イメージとしては道ばたの大道芸を見るようなものだ。
では、舞台上にだれ一人立たず、長ったるいナレーションだけが延々と続くさまを想像してほしい。
話のつかみから無駄な風景描写を重ねる語り方は、スレッドという舞台上ではこのように映るのだ。
これがSSスレで地の文が避けられる理由だと考えている。
そんなわけでワナビだったりときどきSS書き手だったりする観点から私感をまとめてみた。
まおゆうはよく分からないけど、いい機会だと思ったので。わかりづらくてすまん。
媒体の演劇性はSSスレだけでなく、擬似体験談スレの解釈に関しても応用できる気がする。
特徴4や5で触れたSSスレッド特有の演出法(と、できれば具体例)については、気が向いたらそのうち。
http://anond.hatelabo.jp/20120814124306
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120814124306
『ロマ(ジプシー)の害虫ぶりを教えてやる』を書いた増田ですよ。賛否共々サンキュ。
当人としても意図的に過激に書いたので自分の同意する人間よりも否定的な意見が多くなるだろうなってのは承知のうえだったけど、思ったよりも「これはひどい」タグが少なくて意外でしたよ笑
ただはてぶの批判コメントを見回しても、まともな批判コメントが少ない。つかあきらかに俺のエントリをまともに読んでもないくせに他の人のはてぶコメントだけ読んでコメントしている連中が多すぎる。あのさ、「もう民族粛清とか強制収容キャンプとかが社会正義的に不可能なヨーロッパのなかで社会のルールを無視して好き放題やっている害虫のような連中に対してどう対処するか」って話してんのになんで未だにファシズムとかナチスの話になるんだよ?俺がいつああいう害虫には暴力を使っても問題ないみたいな話したよ?「黒とも白ともつかない感覚」っていってんに何勝手に白黒つけて一刀両断しようとしてんだよ?おまえらまともに人のエントリを読まずにコメントしてるのバレバレなんだよ。批判するならもっとまともな批判をしてみろよ。俺がぐうの音も出ないほどになって元エントリを消したくなるようなコメント残してみろよ。今回の件で有名ブロガーが次々とはてぶ非公開にしたがる気持ちがよくわかったわ。
最初にちゃんといっておくよ。今更「俺のいっているのは綺麗な区別で、差別なんかじゃない」なんてサムいことを言うつもりはないよ。俺はヨーロッパに巣くうジプシー連中がダイッキライだよ。6,7年前に初めて出張でパリに行って空き時間にちょっと観光しようとしたらジプシーの売り子数人に目をつけられて、なんか汚いけど子供相手だし安いみやげ品なら買ってもいいかなって財布だしてモタモタしているうちに俺の財布の中身をかっぱらってダッシュで逃げていったあのガキどもの後ろ姿を見た時からあいつらには絶対に心を許すまいと誓ったよ。いまでもヨーロッパの町中であいつらを見かけても、俺自身はスルー技術を身につけて完全シカトしている最中でも、まだそういった対処も知らない若い観光客の周りにハイエナのように群がるあいつらをみると顔面を蹴飛ばしたくなるよ。この黒い気持を差別やらレイシストやらと言うんなら勝手にするがいいさ。
でもな、自分の保身も兼ねていっているが、過去に酷い経験をした人間が相手にこういった黒い気持ちを持ってしまうことは仕方ないことなんだよ。こんな俺や周りの知り合いが散々酷い目にあっても「あの子たちも貧しい生活を生き抜くために必死でやってるんだ」なんて清い心で見守れるほど高尚な人間じゃないんだよ俺は。
ただ決して超えてはいけない一線ってのがある。それが個人・国家レベルの暴力であいつらを虐げようとすることだ。この一線を超えた瞬間に俺らはあいつら以下の存在になっちまう。過去に世界中で犯してきた過ちをまた繰り返してしまう。俺や他の大半のヨーロッパ人もそういうのをわかっているから、害虫対策&スルー能力を鍛えてトラブル回避に勤めてるんだよ。地元のヨーロッパの旅行者がああいった連中に絡まれているところを見ると、あしらい方が本当に慣れすぎてて感心しちまうぜw
ヨーロッパ諸国(特に北欧・西ヨーロッパ)ってのは今では世界でもっとも人権やら社会正義に厳しい国々で知られているけど、あいつらだって第2次世界大戦が終わってからは民族紛争や虐殺を防ぐためにもジプシーみたいな連中を自分たちの社会に取り入れて安定を図ろうと努力はしてきたんだよ。でもいくらヨーロッパの連中が人と金を費やしても肝心のジプシーの連中にヨーロッパ社会に溶け込む意思がなかったらどうしようもない。せめて子供だけでもちゃんとした学校に通わせて教育を受けさせたら次世代からは希望がもてるだろうが、肝心のジプシーの親どもが教育の重要さをまったく理解せず、代わりに旅行者から金を巻きあえげる知恵とか大道芸とかそんなのばっかしか教えてない(子供のほうが稼げるから)。そんなこんなで問題を先送りにしてたときにリーマン・ショックで一気に景気がガタガタになって、どの国もジプシーや北アフリカ移民の面倒を見切れなくなってフランス初め各国で負債の押し付け合いの始まりですよ。
こんなヨーロッパ人を批判する連中は、だったらどうしたらよかったと思う???いっそのことジプシーのガキどもを強制的に親から引き離して人里離れた収容キャンプでヨーロッパ社会に溶け込めるように「再教育」してやったほうがよかったのか???でもそういった暴力的な手段を放棄するって俺ら先進国の人間は第2次世界大戦の後に決めたんだろ。
そういやはてぶ批判のなかで「個人の問題と社会の問題を混合するのは危険」ってコメント残してくれた人いたけどさ、それって違うでしょ。たしかに議論している際に個人と社会の問題をごちゃまぜにしたら話が進まないけど、こういった問題を現実的に解決しようとしたらやっぱ個人の意見はコミュニティの意見となって、そしてコミュニティの意見は社会全体の意見になっていくから最終的には全部つながっていくんだよ。ジプシー問題についてだって個人や各コミュニティに聞いたらやっぱ「自分たちの近所は勘弁」って意見になるし、そういった意見を吸い上げていって政府が取れる対応といったら税金つかって収容キャンプみたいなの作るか、それでも収まらなくなったら国外退去させるか、みたいな現実に行われている対応しかできないだろ。
ここまで読んだら、俺がなぜ前のエントリで「害虫対策しながら基本スルー」「自分たちの周りからは極力追い払う」という対処法に落ち着いたか理解できただろ?
それともまだファシストやらレイシストやら叫びたい奴はもう俺にはどうしようもないから、代わりに近所のTSUTAYAにいって『第9地区」っていうSF映画でも借りてこい。事前にわかりやすく解説してやるとだな、あの映画にでてくる臭くて粗暴で話も通じなくて危険でどうしようもないエビ宇宙人ってのは、ここで語られてたジプシーやら南アフリカの黒人奴隷やら世界各国の被差別人間のメタファーだから。あの映画内では強制収容キャンプに閉じ込めてたけど、実際にはああいうけっしてわかりあえない・わかりあいたくない連中が自分たちの住み慣れた街にやってきて好き勝手しているのが現実だからな。あの映画見ながらあのキャンプ近くの住人に感情移入して、それでも「エビ星人可哀想。あんなキャンプに閉じ込めるなんて政府マジ許せねぇ」とか心底思えるんだったら、もう俺から言えることはないわ。。。。
『良い子の諸君!徹夜で頑張ったと言うのは、上司が進捗管理できない無能だと表明したい時だけにするんだぞ!でなければ無能なのはキミだ!』(四次元殺法コンビの口調で)
StudyGiftには、問題があった。
また、悪影響があった。
徹夜でなんか作ったこと。というとミもフタもないので、それぞれ解説する。
最初に言っておくと「かの女性」の為にお金を集めるサービスとしては成功しているし、ゴールも手法も明確だ。
卒業のために大学に払う金が欲しい→いくらいる?→クラウドならPayPalで集めるか→PayPal寄付駄目だから対価作ろう→個人だけじゃなくて企業窓口も
そして成功している。目標金額以上に集まったし、企業応募も多数、炎上マーケティングとして大成功。
当たり前だが、嘘をついて金を集めたらたいてい詐欺になる。
(詐欺罪の要件は結構面倒で「詐欺→錯誤→財物処分→財物移転」が必要になる)
そして、寄付する側にとって「間違ってました」や「誤りがありました」は結構致命的な事だ。
内縁の夫婦が、ITファウンダを騙してWebサービスからまんまと集金する。
その心の内は誰にも判らないから、行動で判断するしかない。どう判断されるだろうか?
じゃ、なにがいかんのか。
普通に考えたら、集めたお金をどうするかは検討されててしかるべきだ。
学費が足りない。じゃあいくら?
余った金は誰が管理する?誰が取り出せるようにする?どのタイミングで?
奨学対象者が逃げたらどうする?返金要求されたらどうやって返す?返さない?
学費支援をするにあたって、考えておくことはそこそこはあるがそこまで多くない。
大学に授業料の払い込みも終わった後に、何のリターンもせずに奨学対象者が逃げたとする。
で、その個人が50万円の返金を求めたときに、拒めるのか?その根拠があるのか?
利用規約では『支援者と起案者との間で解決』することになっている。
金を集めたその責は、起案者=奨学対象者が負うことになっている。
負いきれるのか?
さて、情報があいまいで、金の流れも不透明(というか考えてなかった)、ではさらに何が不味かったか。
学費支援プラットフォームを謳うのであれば、最低でも「プラットフォーム」の体裁だけは整えておくべきだった。
indexに直接書くのではなくて、/woman1/に書くだけでも違ったはずだ。
『今後、かの女性以外のたくさんの学生を支援出来る。』と思っているはずなのに、
その学生をどうやって支援するのか考えていない、もしくは、考えているように見えなかった。
どうやって学生を集め、どうやって寄付を募り、寄付者側はどうやって選ぶのか。
そのプラットフォームは学生をどう守り、どう学業を支援するのか、どうやって卒業までフォローするのか。
何も見えてこない。何の仕組みもそこにはあるように見えない。
CGMサービスを作りました!と言って、HTML1枚だけが納品されたら、たぶん怒ったり呆れるんじゃなくてミスを疑うだろう。
まあ、諸々のことが徹夜の頭で朦朧としていたから気がつかなかった、という事にしておこう。
じゃあ、プラットフォームが無いこと以上に悪いこととは?
どうやって選んだ?どうやって選ぶ?
選考対象者は他の支援を受けられないのか?奨学金をもらっていないと証明した?
今流行の三親等以内の支援は、不問とするのか?
学業が出来なくても良い?
『個性を全面に出し、全力でアピールする事で支援を集める。』という理念は示された。
誰に対してどうアピールすれば良いのか。
どうやら、全力でアピールするとは、Livertyスタッフに対してらしい。
個性を前面に出すというのは、SNSで注目されることだったりするようだ。
そして、次に採用されなかった誰かは『Livertyスタッフへの付け届けが少なかった』と思うんじゃないか?
ま、それは私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れないが。
さて、先ほどの『私設のあしながおじさんでは良くある話かも知れない』というのは嘘だ。
非常に問題のある言いぐさだ。謝罪しよう。ごめんなさい。本当に申し訳ありません。
なぜならば、それは既存の奨学金制度にツバを吐きかける行為だからだ。
それと同じ事をStudyGiftはした。
JASSOのような奨学金は、申し込み資格も、学力水準も、家計水準も詳らかにされている。
もちろん既存の奨学金には問題点も多い。単なる学生ローンだとか、踏み倒すヤツがいるとか。
でも、それで学校に行けている人が大勢いることも確かだ。
明確な基準で。
JASSOは1兆円規模の予算を誇る。つまり、知り合いに奨学金利用者が居る可能性はとても高い。
だからまあ、奨学金利用に関して誤った情報は、すぐに正されるだろう。
でも、今後クラウドで似たようなことをするときには、最初から色眼鏡で見られる。
もっともっと隙無く、もっともっと完璧を求められ、多くの制限が付けられる。
当たり前に出来ていなければならないことだけではなく、さらに多く。
でも、それぐらいで良いのかも知れない。
そう。
親族が居るだろう。知り合いが居るだろう。
過去、悪評は消えた。人の噂も七十五日、同窓会に出なければ悪行はバレない。
人は80年から生きる。後、60年近く残っているのだ。今までの時間の3倍だ。
誰もがその名前と、その顔と、やったことを探せる。
経歴とは、誇りであり、呪いでもある。
今回の「炎上」は、どうだ?
かの女性の誇りか?
本当に?
でも、お金は常に足りない。1兆円でも足りない。
誰もが納得する使い方などきっと無い。
でも、そうあろうとすることは出来る。
5月17日にリリースしたのはなぜだろう。それが6月17日でいけなかった理由は?
徹夜をせずに、一ヶ月リリース日を延ばす決断が、なぜ出来なかったのか。
JASSOにヒアリングに行き、大学に相談をしただろうか?なぜ出来なかったのか。
周りの「大人達」は、理念に共感しお金を出す前に、ほんの少しでも考えられなかっただろうか。
これはもしかして、必死に大道芸を披露する学童の目の前の道路に、コインを投げる行為じゃないのか?
欲しいんだろ。もっと面白くアピールしてくれよ。おお、良くできたな。ほら、拾えよ。
なんだよ、ほしがってるガキが居て俺が金を出すのがいけないってことか?
子供が思慮深くないのは、愚かだからじゃない。経験が無く、若いからだ。
でも、その若さが今後の一生を毀損すると思ったら、止めるのが「大人」じゃないのか?
なんだかテレビに随分な逆風が吹きつけているように見受けられる。無理やり推し進めたデジタル化に世論は割合反発を強めているし、ネット世論ではフジテレビ騒動から業界が抱える根幹の問題としての電波利用のモラルハザードが周知されることになってしまった。そしてこの度の島田紳助の引退である。この件は政治的側面から語られることも多く、そこらの事情通はこの引退はまだ端緒に過ぎず、ここから続く一連の出来事を見守る気構えでいるようだ。そのあたりは情報の真偽を確かめる術を持たないので知らない、けれど彼の引退(ここでは敢えて「勇退」とでも言うべきか)は少なくとも「テレビに関わっている人達」に大きな影響を与えたし、そして今後与えていくことになるんだろうと思う。庇護のもとにあった芸能人は勿論、視聴率の稼ぎ頭として頼っていたテレビ局、そしてなにより様々な背後関係になど感心も向けずに、ただテレビのスタートして彼をモニターの向こうから見守っていた何千万の無辜の市民は芸能界の一時代を築いた彼の引き際をどう見守ったのだろう。
テレビを慈しむ人々というのはそれはもう絶対的になっていて、少しインターネットに触れるようになり物知り顔になってしまうと見落としがちな側面なのだけど、やはり依然として社会において支配的な行動様式というのは朝新聞を読んで、ご飯を食べながらテレビを観て、そして学校や会社で話題の中心を占めるのは「昨日テレビで見たあの話」なんだ。これはWEBの業界にいたり、ネットを主要な情報源にする仲間たちと群れ合うようになると薄れがちになる感覚なのだけれど、人々の中でそのような旧態依然とした行動様式を採る人々というのは未だ支配的なのは明らかなんだよね。
娯楽としてのテレビがこれまでかくも人々の関心の総量において支配的であった理由というのはそこまで明確ではない。戦後豊かになって時間ができはじめて、生得的に「惰性」という性質を持ち合わせたがゆえのに、ただ受動的に、そして非常に楽な形で情報を受け取ることができるメディアとして非常に便利な箱は家庭に頒布され、今日までアタリマエかのように人々の話題の中心で在り続けた。そしてテレビのCMなんていう綺麗な俳優女優の顔でしか認識しないような広告に莫大な広告費がぶら下がることになってきた。
インターネットがこれらの流れを崩すことになるかもしれないよね、なんて話は梅田氏以来、ネット牧歌論的な肯定派の中で何度も云われ続けてきたことではある。しかしこれまではそれはただの業界人のポジショントークであり、楽観的すぎる夢物語として終始してきた。しかしいよいよ本当に人々の眼がひらかれる時が来ようとしているのかもしれないね。テレビを「面白く」してきた、有能な大道芸人が辞世し、その箱を通して見る風景が相対的な魅力を失う、同時にスマートフォンはじめとするより開放的な情報体系としてのインターネットへのアクセシビリティが拡充されたときに人々は情報の扱い方を緩やかにでも変えていくのだろう。
大袈裟なのかもしれないよ。でも人々の考え方において大きな影響を与えてきたのは教育とマスメディアの中で、そのうちの後者がいま大きく音を立てて崩れようとしているように少なくとも自分には見える。能動的に情報を得ることを覚えた人々は、ネットで調べたあの面白そうなお店に行ってみようということになるかもしれないし、新しい趣味を始めることになるかもしれない。結局これまでのテレビというものが多様な人間の余暇生活の中で過大なシェアを占めていたのが、「その中の一部」へと収斂していく過程を僕らは見ているのだと思う。それは明らかに始まっているし、鼻息を荒げるには実はまだ早すぎるのかもしれない。でも僕はその崩壊の彼岸にある景色は今より少し綺麗なものが見れるんじゃないかなあと、少しだけ期待をしているんだ。
そこで、男は一計を案じました。
男は大通りに出てふらふらとしています。すると、通りがかった女に肩がぶつかりました。いえ、ぶつけたのです。
「おうおう、どこ見て歩いてんだ!」男はわめきたてます。
腕がないとはいえ、大道芸人。声も通れば見世物の作法も心得ておりますから、あたりにはたちまち、人だかりができました。
女も女で必死に言い返しますが、人さえ集まれば女に用はありません。肩がぶつかったことなど、どうでもよかったのです。
男は女を怒鳴りつけると、あとは無視してしまい、今度は集まった人々に芸を披露しはじめました。
たいした芸ではありませんが、なにしろ見る人の数が数ですから、おひねりなどもそれなりに飛んできます。
男はほくほく顔で、女は歯噛みするばかりなのでした。
「決して炎上に近づいてはいけないって、おじいさまが言ってたわ。」
隣の人スッゲー臭いんですけど、そいつウゼエと思っても問題ないですよね
的なブコメを見て思うんですが、やっぱりそうだと思うんですよね。
やっぱり勉強してればまだニートだの無職にはならないような国だし(無職やニートになった人は例外なく「勉強」不足でしょ)
そういう意味でバカなんだろうなーって思うし(文字通り勉強しかしなかったとかね。一途ってのは褒め言葉じゃありませんよ)
やっぱりバカって見下されて当然だし(偏差値の低い高校生の喋り方って猿みたいですよね。知性が備わっていない。カラスよか学習できなさそう)
ああいう人間やめた人ってふつうに気持ち悪いし(大道芸にしてもなんにしても規範から外れてるってのは気持ち悪いよね。わざと冒険とか言ってる人いるけど痛々しいだけだし気持ち悪さも加味されるからやめてほしいんだホント)
まあそんなわけで、内心から湧き上がる差別感情を押し込めるってのは無理があるんですよね。
で、それを飼い慣らして無差別気取る俺カッコイイってのは僕が中学二年生に通った道なんだけど、
上のブコメ周りはそういう人たちがおとなになってもそれを引きずっているような感じでやっぱり気持ち悪いよね。
実態はそうでもなかったんよ。
武士階級はさておき、人口の大半を占める農工商身分の女性は今の女性より奔放だった。
商家や旅館の女将なんて、旦那の遠出を良い事に歌舞伎役者を真っ昼間から別宅(旦那に内緒で買った家)に引っ張り込んだりとか普通にあって、それを嘆く瓦版や読売とかある。その結果愛人の子供を身ごもってしまって夫婦で大げんかするんだけれど、「今更ガキの一人くらい増えた所で屁でもねえや!」と旦那が大見得切って、結局我が子として育てた、なんて話が美談として残ってたり、「うちのカカアなんか家事もろくにしやがらねえ!」と笑いを取る大道芸みたいな物もあった。
「出会いがないなぁ」という声をよく聞く。「出会っても関係が続かないんだよなぁ」という声も聞く。素敵な女の子と出会い、そしてその出会いを一度きりにせず、ずっと付き合っていくためにはどうすればいいのだろうか。出会ったその瞬間からすべきことを順に書いていこうと思う。
相手と出会って、まず必要なのは「ツカミ」である。ツカミとは、簡単に言えば「この人の話をもっと聞いてみたいな」と相手に思わせることである。そのためには「あ、この人面白い!」とか、「この人、楽しい人だな!」と思わせればいいのである。
ツカミにはいろんな種類がある。初対面だとまずは自己紹介をするんだろうけれど、それに絡めて「すべらない話」をする人も多いだろう。でも、トークがどうも苦手で…という人もいる。
トークというものは二つに分類できる。自分が話すことと、自分が聞くことだ。基本的に、「うまく聞くこと」が会話を盛り上げるコツなのだが、初対面の相手と話すときには、まず自分が話す割合の方を多くして、つまり自己開示を先に行い、相手の自己開示を促すという作業が必要になる。
そこでは、自分はこういう人間ですよ、というプレゼンの能力が求められる。そのプレゼンはわかりやすく、しかも面白く楽しいものであったほうがいい。でも、これがなかなか難しいのでみんな困っているのである。
そこで、ここでは自己プレゼンをツールを使って行う方法を提案したい。そのツールとは、マジック(手品)だ。マジックにももちろん練習が必要で、マジック中のトークにも練習が必要なのだけれど、トークオンリーによる自己プレゼンのよりは定式化されている分、練習も容易であると言える。
マジックは、デパートのおもちゃ売場などで買うことができる。インターネットでも購入できる。Amazonでも販売されているので探してみて欲しい。練習がそれほど必要でなく、インパクトの大きいものをうまく見つけたい。私のお勧めは「サムチップ」と呼ばれるものだ。シルクのハンカチを消すという単純なマジックなのだが、うまく使えば効果は大きい。
マジックを演じるときに頭に入れておいて欲しいことは、相手を楽しませようという姿勢が大事なのだということ。マジックを完璧に演じること、相手に「不思議!」と思わせることが大事なのではなく、「この人は楽しい人だな」と思わせることが大事だと心得て欲しい。プロのマジシャンをイメージするとしたら、マギー審司のような人をイメージして欲しい。不思議かどうかよりも、楽しいことが大事だ。
ちなみに、マジックよりももっと練習が必要だが、大道芸のようなことをするという方法もある。メジャーなのは、ジャグリング。駅前広場なんかでジャグリングを披露していると女子高生が寄ってきて、楽しくお話ができたりする。私の知人にFという男がいるが、彼の特技は大道芸とマジックだった。別に彼は女の子と話がしたくてやっているわけではなく、純粋に好きでやっていたのだが、横で見ていた私は、これは女の子を惹きつける素晴らしい技術だと感動した。
さて、以上がツカミについてであった。ツカミに成功すれば、女の子は「この人ともっと話がしたいな」と感じるモードに入っている。だが気を抜いてはいけない。ここからが本番だ。出会いをその日一度きりにしないためにはどうすればいいのか。
女の子が求めているのは「理解」だ。女の子のの話をじっくりと聞き、その子のことをしっかり理解しようとする男は少ない。だから女の子は理解に飢えている。
つまり、女の子と信頼関係を築くためには「この人なら私のことをわかってくれるかも」と相手に思わせることが重要なのだ。その日のうちに相手を完全に理解するのは不可能だが、その可能性を感じさせることができればいい。
そのためにはどうすればいいのだろうか。それには、相手の悩みを聞き出せばいいのだ。その人の個性は、悩みに最も現れるからである。
では、どうすれば女の子の悩みを聞き出せるのだろうか。「ところで、君って悩みある?」なんていきなり聞くわけにもいかないし…。
その答えとしては、例えば占いがある。相手の運勢を占ってあげる。あなたはこういう運命ですと。これからこんなことがあるよと。では、占いの結果を踏まえ、どのように会話をすればいいのか。
占いというのは、「このままでいるとこういう運命になる」ということである。なので、占いの結果がいいものならば、今まで通りの努力を続けるといいよと告げる。あるいは自分の生き方の正しさに気づけばいいんだよということをアドバイスする。今どんな努力をしているのか、今どんな生き方をしているのか、ということについて尋ね、それを肯定するという形で話を進めればいい。
占いの結果が悪いものであれば、「じゃあどういう風に変えていけばいいのか考えようか。運命は自分で変えていけるんだよ」と言って、一緒に考えてあげればいい。
占いにもいろいろある。有名なのは手相やタロットや四柱推命だろう。何でもいい。自分が興味を抱けそうなものにしよう。私が好きなのは手相。手相を見てあげるときには、距離的にかなり近づかないといけないし、手を触るというスキンシップもとれるので個人的にはお勧めだ。
なお、「こういう手相ならこういう運命」「タロットでこのカードが出たらこういう運命」といったことを覚えるのは意外と大変。だから、基本だけ頭に入れ、あとは本を持ち歩いてそれを一緒に見ながら占いをするというのもアリだと思う。別に得意げに知識を披露する必要なんて無いのだ。女の子は占いが好きだから、一緒に本を見ながらでも楽しんでくれるはず。「今、占いの勉強してるんだよ」って言いながらカバンから占いの本を出すのは何ら不自然なことではない。
占いよりももうちょっと科学的なものの方が話しやすいという人なら、心理テストがいい。心理テストも女の子の大好物。大学でも心理学科なんて女の子ばかり。。大学で心理学を学んだような人なら、こちらの方がいいかもしれない。交流分析・エゴグラムなどというものは、女の子との会話に使いやすいと思われる。興味のある方はインターネットや書籍で調べてみて欲しい。
心理テストの種類もいろいろあるが、どれを使うにしても「あなたはこういうタイプだよね。当たってる?そうか。じゃあ、こういう苦労があったりするんじゃない?」っていうふうに話を進めていけばよいのだ。
占いを使うにしろ、心理テストを使うにしろ、一番大事なことは、相手の悩み、相手の話をじっくり聞いてあげることだ。そしてここで意識すべきなのは、相手の考えや行動を否定するアドバイスはしないこと。相手が「○○で困ってるんだ」と言ってきたら「それは君が○○だから悪いんだ」とか、「それなら、こうすべきだよ」というアドバイスをするのは基本的にはNG。「そっかぁ、それはつらいよね」と同調する。これが一番大切。僕は君の味方だよ、ということをアピールするのが正しい。そうすれば、相手は「この人は私のことをわかってくれている」と感じることになる。そう感じてもらうことを目標にして会話をしよう。
以上で、だいたいの流れは見えただろうか。具体的にイメージしてみて欲しい。目の前に現れた初対面のきれいな女の子。簡単な自己紹介を終えたあなたは、カバンからマジックグッズを取り出す。マジックを披露し、女の子に楽しんでもらう。「ところで、今、占いの勉強してるんだけど」とあなたは切り出す。そして彼女の運命について二人で熱く語る。最後に彼女は言う。
「また話、聞いてね!」
ここに書いたことは、そんなに難しいことには思えないはずだ。やる気になれば誰にだってできる。さあ、君も今日から占いの本とマジックグッズをカバンに入れて持ち歩こう!そこからすべてが始まる。あなたに素敵な出会いがありますように。
くだらないことから、……やはりくだらないことまで増田にいろいろ記事を書いてきたが、そうだ、苦手なジャンルの記事も書いてみよう、ということで、音楽の記事を軽く書く。
とは言え、私はほとんどアニソンしか聞かないので、さて何を書こうと思ったとき、前々から思っていた疑問である「駅前で演奏している生の音楽に(音楽のセンスのない私が)たまに異常にインパクトを受けるのはなぜか?」をちょっとだけ言及したい。
もちろん、音楽にはちゃんと音楽理論があるらしいので、的外れかも知れないが書いていきたい。
まず、やはり私がインパクトを受けるのは、「演奏が(ある程度)うまい奏者」だと思う。別の楽器から紡ぎ出される……別の場所から空気の振動として、自分の体それ自体にも伝わってくる音色やリズムがアセンブルされて一つの調和になってしまうという驚き、インパクトというのはあると思う。ヘッドホンやスピーカーでは、あまりその辺が分からない。もっとも、私の使っているオーディオがしょぼいから、という面は大いにあるだろうが、音響の良い映画館で音楽を聴いても、やはり、何か違うなあ、と思ってしまうのも確かだ。
それでもう一つ思ったのは、月並みだが、ライブかどうか、という面が大きいのではないかという点だ。
なぜ、ライブかどうかが重要かというと、観客の心の一部に「演奏者の失敗を期待している自分」という面があるからではないかとと思う。それを別に責めている訳ではなくて、スリルの裏返しでもある訳だから、それも含めて観客は楽しんでいるし、演奏者もそれも含めて楽しませようとしているのではないか。
だから、そういう意味……ストリートパフォーマーという意味で、大道芸人とミュージシャンは一緒くたにされるのだろうと思う。
そして、題名の件に話が移る訳だが、「良いコンサートは眠くなる」らしい。私もネットで見た発言なので、そうらしい、としか言えないが。おそらく高級なクラシックコンサートやハイソな現代音楽のようなコンサートの話をしていると思うので、ふーん。そうですか。おにぎりおいしいです。としか言えない面はあるが、何となく理由は想像できるような気がしてきた。
要するに、無茶苦茶設備が整ったホールで、マナーの良い観客の前で、一流の演奏者が演奏する訳だから、もはや「精密すぎて」もはや人間が演奏しているのか、機械が音を出しているのかよく分からない境地に達しているのではないだろうか。……いや、そう書くと語弊があるか。「安心感」が異常にありすぎるということだと思う。
だから、街の雑踏の中では、「それなりにうまい奏者がうまく弾ききれるか」という面で、スリルを感じた衆目の目を惹きつける、という様な意味では、なかなか良くできたシステムだと思うし、「良いコンサートは眠くなる」という話は、なかなか贅沢な時間の使い方で大変結構なことではないか、などと思う。
今日は7時過ぎに起床。
7時半過ぎに朝ごはんを頂く。
毎度のこと東京へは観光に来たわけでは無かったので、とてもブルー。
さすがに今のままお世話になるのはごめんだ。
家に居るのも気まずい。
せっかく田舎から来たのだからいろいろ見て回らねば。
おじさんに、秋葉原に行ってくるといったら
そっちの方に行くなら上野とかアメ横とか雷門とか見てきなさいといわれたのでとりあえず見に行くことにした。
秋葉原は一度入ってみたかったところだったが、やはり一人で行ってもなんか虚しい。
とりあえずヨドバシカメラと近くのファミリーマートと楽器屋とかに行って見た。
楽器屋のドラムとかあるフロアで、小出シンバルの特集がされてたニュース番組かなんかの映像に見入った。
自分はドラムを叩くのだが日本にシンバル職人が居るなんて知らなかった。
DTMのフロアでナノコルグに触って遊んだりした後上野へ向かう。
上野へ行って適当に歩いてたらアメ横についた。すごい賑わいぶりだ。
気持ちの切り替えができていたら何かいろいろ買っていたとこだろうが
すぐに歩いて通り過ぎた。
そして、上野公園へ。
すごい広いかった。とりあえず適当に座ってファミマで買ったタピオカミルクティーとパンを食べたかったので
適当に歩いていたらアコーディオンの音が聞こえたのでそこへ向かうと大道芸人がアコーディオンを弾いていた。
座って聞きながら昼食を食べた。
その後浅草へ向かうものの東京メトロがどこから乗ればいいのか分からず
改札口を通ってしまったのでいったん一駅のって上野に戻ってから浅草へ。
駅から出たら金のうんこみたいなのが見えた。あれってなんなんだっけ?
まぁ、いいや雷門へ向かうもののたどり着くまでちょっと時間がかかった。
雷門をくぐって店が並んでるとおりをまっすぐ行って次の提灯あるところまで突き当たった。
お賽銭を入れて拝んだ、あとおみくじを引いた。なんてこった「凶」だった。
途中で電車を降りるの忘れて焦ったけど、気付いたところで降りたら目的地行きの電車あったのでそれに乗ったら帰れた。
戻ってきたのが17時くらいかな・・・
晩御飯を19時過ぎに頂く。
後は話をいろいろした。明日は下北沢に行ってみようと思うとか。
そのあと、親戚宅の近くを散歩した。
東京で仕事探すとかでかいこといったけど、親戚に迷惑かけるし帰るとか
家出して住み込みで働こうと思ったけどそれこそ心配かけるし迷惑だとか。
友人が、じゃあバンド組もうぜとか。専門学校なのに独学でやってきた自分より下手の人しかいないとか信じられなかったけど。
自分はもうちょっと思ったことを遠慮なしにいったほうがいいとガチで思う。
思ったことを言えない、それなのに裏ではぐちぐちいうめちゃくちゃたちの悪いタイプ
事なかれ主義なんだよなぁ・・・安定を求めるが上に言われるがままって言うか・・・
自己開発セミナーとか行ったら変わるもんなのか?とか考えたりする。
どうすれば誰にも迷惑や心配をかけずにうまく社会的に復帰できるのだろうか
4ヵ月で会社を辞めてしまって次の仕事探すにしても何も無いから資格を取ろうとかバイトしながら音楽やるとか
都合のいいことばかり考えてしまう。
だいたいこういうことは昨日にも増田に投稿していて
なんだ、まだ何もして無いじゃん。
自分の甘さがわかってるなら4択。
1)慰めて欲しい
2)甘さを克服したい
4)EASYモードでお願いします
1か3か4→せっかく生まれてきたけど運が無かったと思え。
というのを見つけた。自分は18歳でこの先まだ長いので覚悟を決めればやり直せる
もともと音楽をやって生きたい。
まだその覚悟ができてない。そこがだめなんだろうな。ちくしょう。
この記事の中でも何回も「とりあえず」がいっぱい出てきてお分かりのことだと思う。
100人ほどは観客がいたであろうか、かなりの人が大道芸人を囲むようにしていた。
見物客は前の方の人たちは座って見物をしており、
私は座っている人ゾーンの後ろで立って見物をすることにした。彼女は私の前で座って見物。
そして、私のちょうど左前には高校生ぐらいと思われる女の子が立っていたのだが、
夏ということもあったのだろうか、なかなか際どいスカートを履いており、
紳士である私としては、チラ見で満足していた。
大道芸はかなりすばらしいもので、観客をグイグイ引き付ける魅力があった。
観客の視線は大道芸人に集中していたと思う。
しばらくすると、後ろの方から男がやってきた。
その男はグイグイと前の方に体を滑り込ませるように、無理矢理入り込んできた。
「お?なんだこいつ?」という多少違和感のある入り込み方だった。
私は最初、このおっさんはよほど大道芸人がみたいのだなあ と思っていたのだが、
手に持っていたトートバッグを前に突き出すような格好をしていた。
私の視線はトートバッグの中に吸い込まれ、赤色の光を目撃する。
バッグの中にはよくカメラについているような幅広?のストラップのようなものも確認できた。
最初は盗撮だとは気づかなかった。
その男はすぐに離脱し、後ろのほうに下がっていった。
トートバッグの中身が気になった私は、後ろを振り向いてその男を目で追った。
その男は、観客の最後尾でトートバッグの中に手を入れて、何か操作をしていた。
そこで私は気づく。
その男は撮影したもののチェックを行っていたのだ。
私は前に座っている私の彼女にかがみこんで「盗撮しているやつがいた」と報告。
彼女は「ええっ?」と狼狽していたのだが、
残念ながら盗撮されていたのはあなたではなくピチピチギャルだ。
この時点で私は盗撮は終わったのだと思っていたので、大道芸の見物を続行した。
その間、観客のポジショニング争いというか、上手く説明できないのだけれど、
立ち見の観客の移動が少しあり、ピチピチギャルはちょうど私の前の位置に来ていた。
その時彼女は座っての見物は止め、私の右横に立って見物していた。
そして性懲りもなく再びやつがやってきた。
私の前に無理矢理割り込んできたのだ。
恐らく満足のいく画が撮れていなかったのだろう。
今回はしっかりとバッグの中身を確認できた。
盗撮犯の存在を彼女に報告していたので、ここで何もしなければ男が廃る的な、
彼女の前でいい格好をしなければ、という考えが浮かんでは消え浮かんでは消え。
数秒考えた後、撮影を邪魔することを決意した。
とりあえずトートバッグを軽く蹴り、ブレブレの画にしてやろう作戦を決行。
これで、ピチピチギャルの下着は撮影は出来ても、ろくに見れたものでは無くなるはずだ。
この作戦により、男が撮影を諦めてくれる事を期待したのだが、男はその場を動かなかった。
盗撮がばれているのは気づかなかったのであろうか。
そこで私は非常に困った。
男がそれでいなくなってくれれば、最小限の努力で盗撮から女の子を守り、彼女にもいい格好を見せれたのだが、
男はまだ動かない。
私ははっきり言ってひ弱で、争いは好まず、事なかれ主事で、見た目は草食系でベッドの中だけ肉食系を自負しているのだ。
しかし、横には彼女がいる。これで何もしなければ幻滅されてしまうという恐怖があった。
私は再び決意する。
男の肩を2度叩く。
男は「前を遮るな」と後ろの観客に注意されたのでも思ったのか、ほんの少しだけ横に移動しただけで、撮影は続けていた。
仕方がないので、もう一度男の肩を叩く。
ここで、やっと男がきょどり始めた。首をグルングルン動かし、周りを確認し始める。
とりあえず私は「盗撮を見ていたぞ」と念を送りながら男をじっと見つめる。
私と目が合った男は、その場を離脱。
男は数メートル離れた所で大道芸の見物を続ける振りをしているが、まだ周りを気にして首をキョロキョロ。
私はまだ男から視線をそらさず、男を監視し続けたのだが、その時点で私の頭は真っ白。
捕まえたほうがよいのかとも考えたが、足がすくんで動ける自信がない。
というか私は足が悪いので、追いかける事が出来ない。
そして、周りの観客が大道芸を楽しんでいる空気を壊したらまずいなあ等ということも思ってしまう。
結局、再び私と目が合った盗撮男は、盗撮がばれていたのを悟ったのか、
そそくさと移動し、人ごみに消えていった。
私はもう大道芸を見る気は失せ、一部始終を見ていた彼女とその場を後にした。
彼女からは「あんたは良くやった」と慰めの言葉を頂き、彼氏としての面子は保てたようだが・・・
後から、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔の念がどんどん沸いてきた。
盗撮中にその男の耳元で「いい画がとれたら後で見せてくださいよ」とか言える余裕があればよかったのだけれど、
チキンな私は肩を叩いた後は完全に真っ白だった。
彼女からは、「もしあいつがナイフでも持ってたら刺されてたかもしれないぞ!」と言われ、
確かにそうだなあと思ったが、当時は全くそんな事を考える余裕はなかった。
今思えば、2回目の盗撮をしに来た時点で交番からお巡りさんを連れてくるのがベストだったのかなあとは思う。
そういえば盗撮されていた女の子には盗撮を知らせなかったなあ。
頭が働かなかった。
盗撮を目撃という時点でかなり動揺していたのです。
しかし、一番腹立たしいのは盗撮犯である。
私みたいな者にわかる様な盗撮をするんじゃない!と言ってやりたい。
賛否両論あると思うが。
http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
元増田さんがまだ残ってるかどうかわからないけど、もし居たらぜひこの記事について意見を聞かせて欲しいんだ。
http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116
ちなみにMEIKOというのは初音ミクと同じクリプトンから、初音ミクよりずっと前に売り出されていたボーカロイド。
平沢進氏が自分の楽曲にボーカロイドを使っていたなんて、本人が発言するまではほとんど誰も気付いていなかった。
この事実についてどう思う?
あと、個人的な意見を言うとryoさん(Supercell)はあんまりボーカロイドの調整が美味い方ではないと思う。
(楽曲自体は素晴らしいところがいっぱいあるし、いっそのことこれをキッカケに生身の歌手のための作品を作るプロになってくれたらいいんじゃないかと思ってるけど)
だからryoさんの作品だけでボーカロイドすべての「実力」を見切ったつもりになられると、いちボカロFANとしてはちょっと悔しい。
平沢氏のように、生身の人間とまがうばかりの調整をさせる人もいれば、ボーカロイドならではの特徴を生かして、ボーカロイドでなければ歌い得ない作品を作ってる人もたくさんいる。
(ここで迂闊に紹介するとその作者に迷惑がかかるかもしれないので控えますが)
ボーカロイドというのはまだまだいろんな可能性を秘めた新しい「楽器」なんじゃないか、少なくともその可能性は大きいはずだと思ってる。
まず否定ありき、で入ってきてる人には、その可能性はなかなか気付けないのかもしれないけど……。
もしかして、50年、100年後になってふり返ったら、実は今の私たちは音楽の歴史の大きな転換点に立ってたんだと気付くかもしれないよ?
ただ単にボーカロイドという技術の話じゃなく、プロ、アマチュア、という区別や、著作権というものの在り方そのものもどんどん変わってゆくのかもしれない。
(ニコ動におけるボーカロイドのもう一つの魅力は、ひとつの楽曲があらゆる人にどんどん引用、改変され、名作にはあっというまにアンサーソングが作られたり、たくさんのPVや「歌ってみた」動画が作られてゆくこと。こんなことは今の著作権にがんじがらめに縛られたプロの世界ではなかなかできない。作品レベル云々ではなく、そういった生々しい”躍動感”に惹かれている人も多いはず。本来、「生きた文化」というのはそういうものであったんじゃないか、河原で演じられる大道芸に投げ銭を投じるような、即席で吟じられた和歌に返歌するような、そんな時代がネットによってもう一度復活しようとしてるんじゃないか、とさえ個人的には思っているのですが)
せっかくこんな面白い時代に生まれ合わせたのに、元増田さんみたいに凝り固まってるのは、なんとなく勿体ない気がします、よ?
http://anond.hatelabo.jp/20090215141559
これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。
ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、
さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。
総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。
こういうクレームあるよね~。
「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。
だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。
いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。
学習指導要領を元に見てみよう。
小学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科-文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm
…文字多い?読みたくない?
全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。
(1) 生物の体のつくりと働き及び生物と環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物と環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。
(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。
(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。
さあ、キーワードは何だろう?
そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。
「自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」
知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、
その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。
一輪車だって同じだ。
体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。
このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。
調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)
に分けられる。
もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子どもを大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。
じつは平衡性強化訓練だったわけだ。
体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。
研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。
あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?
勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。
だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。
「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。
だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。