はてなキーワード: 大腸がんとは
ネタにするにしても気分悪いわ。
幸い良い病院にあたったよ。信じる人は居ないだろうけど、増田みたいな病院あるんかな???
いいか、病院が嫌いなみんな、下血した時は病院いってくれ。痔って言われるかもしれんがそれでもいいじゃないか。それを確かめるために行ってくれ。
保険は入院1日につきの費用じゃなくて、一時金を重視のものがよいかもしれない。重いのは複数回の入院が必要になるので、保険金が出た後半年でないとか制限がないもの。最近は最低限の入院しかさせてもらえない。あと健康診断の再検査を忙しいからってちぎらないでくれ。
増田は標準医療が信用出来ないみたいなので、低分子コンダインだかをすすめようかな。(ほとんどの確率でこういうのはまじもんの詐欺。徴発もされてる。副作用がなくていいんじゃないかな?????金も無くなるし効き目は無いだろうけど????)
死にたいのは本人の自由だから、そのまま死んだらいいんじゃない。大腸がん自体に痛みは無いみたいだけど、転移した時はその限りじゃないっすよ。
あと重い(閉塞するレベルで腫瘍が大きい(閉塞は激痛)とか腫瘍が沢山あるとか)と大腸を摘出して人口肛門(普通の事のように接してるけど本人の確実にQOLは下がる)になるけど、軽ければポリープ取って終わりなのに阿呆なんじゃねぇの。悪いんだけど、増田には激痛でのたうち回って欲しい。
ストレスじゃないですか?
メンタル系・消化器系の両方のお医者さんに掛かられることをお薦めします。
私(男)も、あなたの年代と同じ頃、肛門からポタポタと血が滴るようになって「血便?ガン!?」と心配になったこともあったけれど、
いざ消化器系のお医者さんに掛かったら「ただの痔です」と診断されて、ガックシきたことがあります。
よくよく聞いてみたら、本当の血便やガンによる内臓出血は、潜血(大便の中に黒くなった血が混じる)のであって、鮮血(明らかに真っ赤な血)が出てくるわけではないのですね。
ところで、がんには遺伝性のものがあり、大腸がんにも遺伝性のものがあります。
https://www.coloproctology.gr.jp/modules/citizen/index.php?content_id=38
かくいう私も、遺伝性の大腸がんを抱えた家系で、先祖代々と大腸がんを経験しており、私自身もそのリスクを背負っています。
がんは手術適応かどうかが生死の別れ道だぞ
大腸がん(自称)増田を見て思い出したけど、自分も3月にがん検診行ったら便潜血あるから大腸の内視鏡検査した方が良いぞ!って結果に書かれちゃったんだよな。
便秘持ちだし、明らかに大物出産の時にペーパーに血が付くので痔だとは思うんだけど…。
結果見てすぐ善は急げと内視鏡検査できる胃腸系の病院を探した(不安になったからがん検診をわざわざ受けたのだし)んだけど、「痛みのない内視鏡検査」みたいな病院があってへぇ~って見てたら内視鏡検査の方法を書いてくれていた。
そこで初めて知ったんだが、大腸の内視鏡検査って後ろの穴から入れるの?!?!?! けつあな確定ってマジ??? ああいうのって口から入れるんだとばかり思ってた(胃カメラ未経験)
いやあ、大腸がんは怖いけどけつあな確定も怖いよ。そこは出し入れする穴じゃなくて出す専用の穴だよ!こうもんであそんではいけません!
対話できるAIを作ったり宇宙へ進出しようとする人類の叡智を以てしても、直接ぶっ込んで内臓を肉眼で観察する超古典的な手法でないと診断できないなんて人類の敗北を感じるわ。
痔だったケースも異常あったケースもやっぱりあるんだなー。
あまり深く考えてなかったけど下剤飲みまくって大腸を空にするって冷静に考えたら無茶すぎるし無理矢理下剤で出される苦しみも洒落ならんわな(便秘持ちだけど下剤は基本使わない優しいと言われるマグネシウムタイプでも苦しかった)
あと今更検査結果をよくよく読み直したら、大腸の内視鏡検査しろよの他に「超音波検査で肝臓に異常所見(肝血管腫疑い)あり、消化器内科で検査しろよ」ともあった。初めてのがん検診、なんやかんやで実は健康なんじゃねとかいう謎の自信があったけどちっとも健康じゃない。
これがまあ機械なら40年以上使ってりゃそら壊れるわ交換しろよって思うし、人間の身体もメンテナンスしなきゃならんのだよなあ。勢いでしか行動できないビビり人間には辛い。
3ヶ月前のある日、職場のエレベーターに乗っている最中ひどい貧血と立ちくらみ、吐き気に襲われた。昼休みだったためしばらくオフィスの椅子で休んでいると20分ほどして回復した。
その日の帰りに、2ヶ月前にも一度仕事帰りに貧血と立ちくらみ、吐き気に襲われたことに気がついた。
色々ネットで調べていたところ、大腸がんの症状が自分に当てはまった。
自分の症状
・二週間に一度のペースで下痢気味になることがある。特に週末。
・体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいた。
・お腹のはり。
・頻繁なゲップや屁。
そして先述の貧血と立ちくらみである。血便はないが全ての患者に現れるわけではないそうだ。
年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなどから最初は信じられなかったが、大腸ガンについて色々調べていると日本を含む世界中で二十代や三十代の大腸ガンが脅威的なほど急増していることを知った。
しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、腹を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤(抗がん剤を毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ。担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子を口説き始めるんだろう。
仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。
また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母に見せたくない。
そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。
「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」
その方が母の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。
大腸ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女ができて、結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しかし現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ。
例えば IT リテラシーの場合は、IT リテラシーの低い親が子に与える情報のコントロールをすることができない。よって全面的に禁止するか野放しのどちらかになる。
同時に、倫理リテラシーと教育リテラシーも無いと何を制限して何を放念していいかの分別がつかない。また情操リテラシーが低い親は「全てコントロールすれば解決」というブス親ムーブに行き着く。
国語能力が低い親(片方だけ低いなんてことはだいたいなくて、親同士の知能レベルは大体一緒になっているもの。これも仮説だが。)は、その人達の会話が論理的な情報交換で成り立っているのではなくて、感情表現の応酬で成り立っている可能性がたかい。
あくまで可能性といっているのは、理解度を外から解釈しづらいから。論理的な表現が双方でなされている場合は第三者から観察可能だが、そこから外れていくと観察不可能になっていく。客観的に判定できない非言語のコミュニケーションによっていくのだから当然である。
そのコミュニケーションを正とみなして、その両親の子は育つ。最も身近な手本が両親なのだから当然である。
手本をもとに、手本より良い結果を出すことは難しい。学校での国語の成績はどうだろうか。母親が感情表現のみでコミュニケーションしていないだろうか。論理的なコミュニケーションを見せているだろうか。
論理的に通じる国語表現がなされた口述で、コミュニケーションがなされているのであれば、子もそれに沿った表現がなされるものである。
ある親子がいた。母親、娘(5)、息子 (4) という構成で娘は言葉が達者だった。息子もしゃべれはするがいくらか問題があるように思えた。
というのも、息子は「ん〜!!」とか唸り声と怒りの表情でコミュニケーションをしていたからだ。
そして母親は察しがよくやってほしいことを汲み取り、行動してフィードバックを与えていた。
当然のように息子は誰に対しても「ん〜!!」という唸り声で他人に迫り、動いてくれない相手が大半なのだからより一層鬱陶しい行動である「泣く」に進化させる。だいたいの大人は息子を疎ましい印象を持つ。
親のコミュニケーション能力が子のコミュニケーション能力を最低限に止めた良い事例だと思う。
ある家族がいた。父親は田舎出身で言語能力が低く表現が稚拙なうえ、暴言が多い。母親は東京出身だが事なかれ主義でわかってないことでも「はいはいわかったわかった」と話を終わらせがち。
この二人は端から見ていると会話が成立していない。が日々の営みにコミュニケーションを必要としない。共働きで経済的には独立しているし、兼業農家なので食料の備蓄や買い出しも雑で構わない。ミスコミュニケーションが起こっても問題が顕在化しにくく、修正もなされないためずっとその調子なのである。
この家庭で育った3人は当然のようにコミュニケーション能力が低かったが、進学先や受験勉強で常人並のコミュニケーション能力を獲得するに至った。
どちらの視点の方が楽しいだろうか。どちらの視点のほうがよりチャレンジするだろうか。
怒られてばかりいる子は当然チャレンジしなくなる。怒られて終わったイベントは二度とそのイベントを行いたくなくなる。学習とはそういうもので、どういう「結末」だったかで記憶は締められる。
良い結末ばかりで構成された世界はやさしく映るだろう。嫌な結末ばかりの世界は絶望にあふれるだろう。
ある親子が居た。母親が娘に対してよく叱っているシーンに出くわす。黙って涙をながし立ちつくす。感情的な母親は怒りがおさまるまで立たせておき、そして無視する。
母親は謝ってくるのを待っているのである。娘が「察する」まで何もフィードバックしない。
原因は、料理のお手伝いをすべく生卵をボールでわろうとしが、手を滑らせて生卵をラグの上に落とし、黄身でシミを作ってしまったことだった。4歳の子供なのだから手を滑らせることくらいするだろう。子育て環境でシミを作らないほうが無茶だ。子育て帰還中は可能な限り洗濯して良い製品で揃えておくものだ。
そうでないなら、ただのエゴだ。ノーヘルで自転車に乗せるようなもの。10cm ヒールを履いて子を抱えるようなもの。エゴを満たすだけのリターンを天秤にかけてリスクを取りに行ってるのだから覚悟して然るべきである。
話を戻す。娘にとっては生卵を割って叱られて終わったイベントだ。この調子で様々なイベントが怒られて終わっていく。かんたんなことさえビクビクしてやりたがらない、何でも避ける子の出来上がりだ。
生卵を落とし泣いてる娘に声をかけ、何が起こったかを聞いている。生卵を落として怒られたと言っている。これではまずいともう一度卵を割らせる。失敗して卵の殻の大半をボールに入れてしまう。
殻が入ってしまったことでグズりだすが、殻を除けば良いことを教える。
さらにもう一個の卵を割らせる。今度は小さな殻だけが入った程度だ。上手くいったねと伝える。
よくできたね、成功だねと伝える。
これについては成功エンドに寄せて終わらせることができたが、彼女にとってのイベントは大半失敗エンドだろう。この積み重ねで世界はどう見えるのか。
もっと色々あったけどなんか長文書いてスッキリしたかったんです。読んでくれてありがとう。
言うて俺の親は低スペックでかなりしんどい思いしてきたし、心肺機能系の一部に問題あるし大腸がんと緑内障の家系だけど、まぁ五体満足だしいいかなって思っている。子供の当時はクズ親だって思ってたし当時は恨んでたし、今でもそう思うところあるけど、おとなになって触れたもっとやばい家や親に比べたらまだマシだったなって。
もうほんとこれに尽きる。
自分は妹に身体障害あって、自分も子供の時に怪我で一時期車いすや松葉杖の世話になったし、友だちに性的マイノリティーがいるし、突発性難聴からの補聴器ユーザーの同級生もいるし、職場には外国籍の子や海外にルーツ持ってる人たちがいるからいろんな属性の人のことを当事者目線とまでは言えないだろうけど、かなり自分ごとに近い感じで考えることがある。
いつも行く美容院で担当してくれる人は大腸がんからの人工肛門ユーザーだったし。
バリアフリーとかユニバーサルデザインかどうかとか施設や設備、制度を「利用できない人」の存在を考えないことが難しいんだけど、
「親になってから気づきました」みたいな意見を見るたびにいままでそんなことも気にせず、無視して生きてこられた人なんだなあと思ってしまう。