はてなキーワード: 大暮維人とは
どうしても大暮維人とごっちゃになる
あと大暮維人はあげてもいいところだった
2022-07-22
■フィールド変えても2発目当てる漫画家ってやっぱすごいなと思う
もちろん同じフィールドで延々と当て続けてる先生もすごいけども
あの〇〇先生みたいなネームバリューが通用しない場所でもちゃんと当てる漫画家はすごい
少女漫画の赤ちゃんと僕で一世を風靡し、しゃにむにGO!はカスり当たりだったけど
日本の青年誌でサンケンロックのヒットで日本でのポジションを確保し
少女漫画でハチミツとクローバーを大ヒットさせて
青年誌で3月のライオンもちゃんと大ヒットさせた羽海野チカとか
(ハチクロと3月のライオンは他よりも大分読者被ってる気もするけど)
【追記】
あああああ、天才
忘れてたわ
追記で入れとく
言い訳させてもらうと
なんかこう、ずっとアウトサイダーものだからあんま新鮮味がないっていうか
大暮維人が下の方にいるのも、芸風変わった感じがしないので
文章が書けるかといえば書けないのだけど、今から絵の練習をするぐらいなら文章の練習をしたほうがマシな気がする。
文章の練習というと「気に入った作家のいいと思った文章を真似してみろ」なんてのが有名だけど、問題になるのは私が文章を読むのがあまり好きじゃないってことだ。
自分が件の練習法を聞いて思いつくのは梶井基次郎の「桜の樹の下には 屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。」ぐらいのものだ。
梶井基次郎も教科書に乗っていたから知っているだけで全文読んだことがあるのは教科書に全文載っていた檸檬ぐらいだ。
好きな作家といわれても恒川光太郎ぐらいしか思いつかないが、彼の世界観は好きだが文章が好きかと言われるとそうでもない。
練習のための資料探しに大して好きでもない本を必死に読むというのもなんだか阿呆らしい。
基本的に娯楽で本を読むときは漫画を読むし、勉強のための本は挿絵が多いものを選ぶ。
文字だけの本は苦手なのだが、文字による表現を学びたいなら文字だけの本を読んで気に入った文章を探す必要がある気がする。
私は趣味として創作がしたいので、出来ることならその行程の大部分は楽しい時間を過ごす形にしていきたい。
漫画を読むなら漫画を描けばいいという発想もあるのだが、前にそれをやって絵の練習で完全に躓いた。
とにかく手先が器用ではないので線がまともに引けなかったし、モノの輪郭や特徴の捉え方がよく分からない。
自分の美術の成績は概ね「2」だったことから才能がないのは知っていたが、まさか本当にモノを見るという機能自体がここまで劣っていると思わなかった。
そもそも絵を見ていいと思ったこと自体が実はあまりなく、自分の中で絵の美味い漫画家は大暮維人と荒木飛呂彦なのだが、それがどう上手いと感じるのか分析しようとしても「綺麗な線が沢山描かれてるから」ぐらいしか分からない。
美術や芸術を見てもピンとくることはなく、せいぜいがミュシャを見て「アニメの絵みたいで可愛い」と感じるのが精一杯なのは流石にどうかと思うがそうなのだからしょうがない。
眼高手低とはよくいったもので、こんな自分が「漫画を描いてみたい」と考えると脳裏に浮かぶのは藤本タツキのようなとんでもない作品だ。
藤本タツキがその昔新都社で描いていたよく分からない漫画ではなく、今現在描いているルックバックのような作品だ。
でも自分がアレを作ろうとするなら一生かかっても無理だろう。
もし突然神様が同じレベルの技術をくれても、背景を描くのがしんどくて無理だろうし、フリー素材の張り合わせで背景を代替しようとしても選ぶのが面倒で投げ出すだろう。
自分のやる気の範囲で出来るのはせいぜい背景が真っ白で棒人間が何かを喋っているような漫画でしかない。
そういったいわゆる「白ハゲ」とされるような漫画を描く場合は、たいてい世の中に訴えたい事がなければいけないと思うのだが、それがあるわけでもない。
何か作りたいものがあるのではなく「創るということをやってみたい」という気持ちだけがあるのだ。
行き詰まっている。
消費するという行為に飽きが来ているので創作を始めたいというただそれだけの動機から次はどこに行けば良いのかが分からない。
キャンプや釣りなんかは試したが、あれも結局は消費活動の一種であることに気づいてしまうとなんだか虚しくなって今は退屈さしか感じない。
そもそこれは鬱なのではないだろうかという気さえある。
行き詰まっている。
初期からずっと上手いけど連載中ずっと上手くなってく。
アイマスにはまったり死んだり色々あったけど画力はずっと上昇してく。
大暮維人なんかも初期の頃から画力で勝負す漫画家で段々と画力の割に中身がショボすぎるからストーリーを鍛えろという批判が増えていった。
そして最後には画力が凄いから中身はどうでもいいと読者に言わせる所にまで上り詰める。
そういう漫画家がいる一方で、下手になっていく漫画家もかなりの数がいる。
アナログの手法にいつまでも拘っていたせいでアシスタントと足並みが揃わなくなった漫画家。
一通り稼いだ後は漫画をロクに描かず久しぶりに書いたら素人未満になっていた漫画家。
その差が残酷過ぎる。
ちゃんとやればいつまでだって成長できるという事実が、ちゃんとやらなかったから下手になり続けた側の怠慢の深さ、漫画に対する愛情のなさを色濃く浮き上がらせる。
大暮維人とかやべえやつもいるけど
全体とおしてみると構成とか考えてんだなと思う
でもそれ踏まえても面白かったのは序盤、というか、最初の男の子、次のマーチ、ギリギリでマスクかぶったグーグーの話までだった
次のトーナメント?監獄島?の話から長くなってきたのとあんまりおもしろくなくなってきた
おぼっちゃん王子がでてきてから第一部の最終決戦あたりまではほんとしんどかった
長さとつまらなさで
もーそっからはgdgdでひどすぎる
一部みたいに章もわかれてなくてずっとだらだら続くから読むのがしんどい
一部でおわらせといてよかったと思う
「女湯覗き」をどう描くかって話なんだけど、数年前に大暮維人が、女湯覗きを提案したキャラを主人公がボコって「もうそういうのネタになる時代じゃねーんだよ」って、ギャグ調ではあるけどやったシーンがあって、あっ週刊マガジンはもうそういうネーム通すんだと思ってびっくりしたんだよね。— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2019年3月10日
まあ、今のジャンプの作家でその辺見えてる人はそもそも女湯覗きを入れてこないだろうから読んでるこっちも引っかからなくなってくるのかもだけど……。迅さんのセクハラも出なくなったしなあ。— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2019年3月10日