はてなキーワード: 大家とは
半年前くらいから全く根拠のない騒音クレームを入れられて、大家から電話が来たり、なんとか訴訟を企てていると読み取れる怪文書が投函されてたりしたけど、ついに今朝、朝2時に警察を呼ばれた。
「アパート全体に響き渡る重低音を流された」らしいが、私は眠剤6種飲んでなんとかうつらうつらしてた時間帯だよ。ふざけんな。糖質の幻聴か被害妄想なんだろうけど、ここまで執拗にやるってことは多分、病識がないか、あってもどうにもならない程度の重症なのかも知れない。
引っ越したいけど、私もほとんど毎日寝たきりの重度メンヘラナマポだし、騒音クレームは役所基準では正当な引っ越し理由にもならないそうなので、私の人生の終わりは被害妄想に取り憑かれた糖質患者にめった刺しにされることになるあろう。
メンヘラナマポ同士が勝手に殺し合って2人社会から消えるんだから、これはきっといいことだよね。健常者のみなさまの健やかな老後の為に犠牲になれるなら至上の幸福です。ありがとう、さようなら。
>勉強はきっとウチらに平等だ! https://ynjn.jp/title/14812
>生活保護世帯から東大で博士号を取るまで① https://note.com/rshimada/n/n058fbbff18c9
教育格差の物語について、ちょっとだけ思うところがあるので書かせてほしい。
1つは「やる気も意思もあるのに、手段がない。リソースにアクセスできない」というもの。
環境が不遇で、優秀で志もあるのに時代や環境の逆風があって夢を叶えられない、というような、物語になりやすいタイプ。
昨今ネットで話題になるような教育格差の物語は、このタイプが多いんじゃないかなと思う。
ただ、私の考えでは教育格差の物語にはもう1つタイプがあって、それは
「そもそもやる気も意思もないし勉強なんて好きじゃない」という人の物語。
「意思のない個人」として、流れ流れて現代社会で生きづらくなっている人の教育格差の物語。
さっきの立志伝を潜在的上位層の物語とするなら、こっちは『C層の子の物語』と言えると思う。
こちらは当人が別にこうなりたいと思っていないからそもそも物語にならない。語られないから苦しみの構造が知られない。
まれに世に出ても「意思を持つかどうか」は社会構造の問題だと見なされがたい。
ただ、このタイプも、よく見ていくと家庭環境や生まれが要因で「意思を持つ機会がなかった」側面があることに気づく。
私は「意思が持てる」って運に左右される側面があると思う。
「意思が持てる」という幸運に見放された人というのは存在する。そういう格差も十分苦しい。
後者は本人が問題に無自覚で、問題の構造に気づけてないこともままある。勉強や教育によって状況を改善しようという発想自体がない。
なんだったら勉強を苦手なもの・押し付けがましいものとして疎んでいることも少なくない。むしろ教育的なものから距離を置こうとする。
(このあたりは教育社会学の大家苅谷剛彦氏が「"勉強しないこと"がアイデンティティになる環境」」みたいな話で書いてる)
実際の公教育の現場で見られる教育格差は「意思があるが武器がない」タイプは少数で、多くはこの「意思も武器もない」タイプだと思う。物語性も希少性も薄いから話題にならない。
結婚の法的効果は相互扶助義務と相続権と日常家事代理。あとついでに貞操義務とか。嫡出推定は子を産めない夫婦には関係無いな。
ホモがよく気にするのは医療同意。本来、医療同意権は法律上の夫婦どころか後見人にも無いので法的な要請では無いものではある。ただ、医療機関等の「キーパーソン」システム(キーパーソンの同意を得ておけば本人の同意が無くても事後的に問題になりにくい、という脱法的な事業上の知恵)は、法的親族関係を他の親族への説得材料に使ってるので、法律婚していてくれればキーパーソン扱いが通りやすくなって好都合ではある。
ただ相続はわりと重要で、共同生活者の一方が急死したときに特に居住不動産まわりの処理をスムーズに回すには相続権があった方が良い。
仮にエロ漫画やエロゲーの作品のなかで絵の描き方として芸術史として客観的に(=プロの芸術批評家たちの忌憚ない評価として多数が)革新的なものがあったとしても、大友克洋みたく世間が大手を振って評価してくれることにはならず、内輪レベルのコミュニティの中ですごいと言われるだけなんだろうなーと。
ロリ神レクイエムの躍進さえマスコミがガン無視を決め込んでいることからもそれは明らか。
深夜の番組でたまーに井出智香恵が公共の電波に乗せられるけど、まあそれは女性向けエロの背徳度は男性向けエロのそれに比べれば限度があるからかなと思ってる。
一般的なサラリーマン家庭育ち、姉と妹に挟まれた長男。職場は名古屋の中小企業。一人暮らし。
過去に大学を中退し祖母の家に世話になった期間あり。今の企業にコロナ禍直前に拾ってもらい5年目。
父が勤務医で母は薬剤師、独身の姉(32)がいる。職場は関西。実家の相続税対策で父名義と祖母名義の小規模マンションが計6-7軒。
SNSを通じて知り合い、付き合ってからは月に1-2回のペースで会って現在3年目。
そろそろ結婚と言わずともはやく同棲をしたいと彼女が言っており、私も同意見ですが遠距離なので拠点をどちらに置くかが問題に。
大学中退からやっと経済基盤が落ち着いたところであり、学歴も高卒で資格もないため転職もスムーズに行くとは考えにくい。名古屋に来てほしいと言うのが当初の私の意見。
若いうちは名古屋拠点でも良いが祖母や父が死ねばマンションを継ぐことになる。その管理を考えると結局関西に戻ることになり、それならば今から関西に住んだ方が良いのではないかというのが彼女の意見。
であるならば10-20年後に転職するよりも、30歳手前の今の方が転職しやすいのではないか?と考え、話し合いの結果私が関西に行った方が合理的だという結論に。
しかしこれをまず母に伝えたところ、以下の懸念事項を挙げて「反対ではないがかなり心配」と難色を示された。
・彼女と上手くいけば良いが、病気や事故、破局など上手くいかなかった時に失うものがあまりにも大きい選択ではないか?
・その条件では私の立場は婿養子に等しくとても弱い、彼女や義実家に対しモノが言えなくならないか?
・結婚するにあたり私ばかりが譲歩しているように見えるが関係は対等か?大丈夫か?
・大学を中退したときに祖母に助けてもらって持ち直した人生の重みをわかっているか?
・親の老後の面倒を見ろとかは言わないし継ぐものもあまりないが、とにかく上記のことが心配
親の言うこともわかるし、今まで心配をかけてきた自覚もあるが私ももう28。心は関西に行くと既に決めている。気持ちよく送り出してもらうにはどうすれば良いのか……。
早速コメントがついていて少し驚いている。
マンションは数棟あるものの、修繕や建て替え費用を考えると大家業だけで暮らしていける収入には意外と(?)ならないようだ。
同棲のタイミングについては私の転職のタイミングにもなるが来年4月がキリが良いのでは?という話で、結婚すること自体はお互い決めている。同棲後にいい日付で籍を入れようかと話している。
相手の親は姉も独身のまま放任しているし、彼女に関しても基本的に放任主義のようだ。
ちなみに私の父はリスクの提示はするがそれでもいいなら好きにしろという方針。まあ今どき許可を得なきゃいけないものでもないと思うが実家との円滑な関係は維持しておきたい……。
「ロカ」というタイトルの小説にも同じことを書いているみたいだけど。
ちなみにX(旧Twitter)には一人だけ「筒井康隆が初期のエッセイで衛生の大家の言葉としてよく引用していた」と書いている人がいたけど、誰一人として「大家」の名前を書いている人はいなかった。
つまり「衛生の大家が言った」と「筒井康隆が言った」という伝聞形式でしか情報が存在しない。筒井康隆が本当にエッセイに書いていたのかどうかすら定かではない。これをそのまま信じるのって権威主義と何が違うんだろう。
衛生とは希釈なり、公衆衛生の大家の言葉らしいが名前が思い出せない
教養のあるキミなら知っているかもしれん教えてくれ、強要はしないが。
大昔、テレビで渋谷だか新宿のバカっぽい若者にインタビューをしていた
「キミたちはなんでそんなに自信満々なんだ?根拠は?」
ヤング達は「自信に根拠なんて必要ないっすよ」と明瞭に答えていた。
俺はハタと膝を打った。
なるほどその通りだ
バカ者の若者達もいずれ自信喪失する解決困難な壁に遭遇するだろう
池袋でナンパする彼らをそこだけを切り取れば幸福かもしれない。
しかし人生のリスクを希釈するのが経験であり知識や教養ではないのか
向学心やハピネスパワーで幸福になる人間性を養う原動力はやはり教養なのだ
教養がなければ向学心も湧かない
教養があっても狂う奴、教養がなくても向上心を持って幸福になる奴
いくらでもいるが、
病原体とのエンカウント率を下げるには手洗いして希釈するのが手っ取り早い
それが教養ではないのかね
教養が幸福の必須条件ではない、それに傾注しすぎるのも問題だが
適度なバランス