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2007-12-24

あんまり関係ないけど

受験勉強してたとき、やっぱ不安だから色々勉強法の本とかこっそり読んでたんだけどさ。

勉強が得意になるにはまず、勉強を好きになることだ!」的な主張が書いてある本達、

勉強なんて本来好きじゃなくて当たり前。そこに罪悪感を持たなくていい。勉強が好きであるはずがないのだ!好きな奴なんているはずない!だから割り切ってやるのだ!」的主張が書いてある本達、二つのグループがあったことを思い出した。

別にどっちの本もいいこと言ってるんだけどこの主張だけ食い違ってて、まあそりゃ人間それぞれ意見は違うんだから違ってて当たり前なんだけど、こうもパッキリ二つに分かれてるのは何なのだろう……一度この人たちを対話させてみたいものだ……と思ってた

自分はどっちかっつーと好きな方だったから、おそらく受験生を安心させるために書かれた「勉強なんて嫌いでいい、てか、嫌いなのが当然!好きであるわけがない!」という文句は寧ろ「あれ?俺ってダメなの?勉強好きとか思っちゃってるってことは、ダメな奴ってことなのか?成績上がらないのか?」とか微妙に悩んだりもした。でも別にとりあえず成功した

まあ多分、好きでも嫌いでも、どっちでもいいんだろうけど

嫌いな人は、無理して好きにならなくても、別に成績が上がる道はあるし

好きな人は好きゆえに受験目的から外れがちにならず(たとえば古文が手付かずなのに大学への数学とかやり出しちゃうとか、あまりに完璧主義になりすぎるとか)というところに気をつければいいんじゃないかなあ

その辺が俺的には真実かなと言う気がする

2007-12-14

何かを言われたその直後には

いい言い返しが思いつかなくて、

仕方なく反論としては弱いけど思いついたものを言った直後に、

いい言い返しが思いついたりして、あぁ……チクショー!となることが多いのだが

これが早くできる人がやっぱ頭の回転が早いってやつなのかな

そう考えると俺は頭の回転がつくづく遅いなあ

こういうのどうやって早めればいいのか。

言い返しがうまくなりてー!

話は変わるけど、俺はその割りに周りからは「頭いいやつ」って勘違いされてて、そのギャップがまたね…キツい

「いや、本当、俺はたいしたことない人間なんで」って言っても信じてくれない

またまたーw」とか「逆にイヤミだよ」とか言われたりしてまともに取り合ってもらえない。

期待されるのはそりゃ嬉しいけど、その期待にこたえられないので寂しい、まあ皆もそこまで本気で言ってるわけじゃないってのは分かってるんだけどさ。でもなんかね。大学受験はさ…上みたいな、うまい言い返しを早くできるような頭の良さは求められてなかったから。東大生だからって何か色々凄いんだろみたいに思われても困る、マジで。だって他の大学生との違いなんてほとんどないんだよ。単にあの二日間だけのペーパーテストを通過した(まあセンターもあるけど)というだけなんだよ。単にそれだけの違いでしかないのに。しかもなんかぶっちゃけたまたまっぽいし。絶対落ちてると思ったのに。だからそりゃ正直期待されれば嬉しいっちゃ嬉しい気持ちもあるけど、「や、マジで俺そんなんじゃないんで……すんません」みたいな気持ちもあるわけ。別に東大出だから暗算早いわけじゃないから……バイトが一緒の女の子に「じゃあ計算凄く早いんですかー!?」みたいなこと言われたけど多分この子の方が早いもん。とても見せらんない。高校生に「じゃあこの問題集全部解けるんですね!」的なこと言われたけど解けるわけがないから。バカじゃねえの、青チャートだってぶっちゃけ完璧じゃなかったよ、俺は。大学への数学なんて解けるわけねーだろ氏ね畜生脳トレ40代だったんだぞ俺は。

2007-02-26

コンプレックスエリートコミュニティと「排他的

学歴コンプレックスについての議論が「学コン」とのあやしげな略語(俺は大学への数学を思い出して苦笑いしかできない)まで飛び出すほど盛りあがってるが。http://anond.hatelabo.jp/20070223011440が源泉?

コンプレックスというのは非常に厄介だ。突き抜けた有名人になればコンプレックスを抱く対象にはならないが、同じコミュニティで対等に接している限り、劣等感を感じている者は、劣等感を呼び起こす対象に対して心穏やかにいられない。小学校地元リーグで活躍する野球少年は、イチローに対して劣等感を覚えることはないが、年下の仲間に数値的な成績で負けているとしたら、これは劣等感になるだろう。コンプレックスとは少し違ってくるかもしれないが、すこし感覚はわかっていただけただろうか。

俺は大学卒業してはいないので、社会の中で学歴コンプレックスを引き起こす存在ではないが、一流私大卒の新人が先輩社員に飲みの場で理不尽な皮肉などを言われている光景はよく目にする(ここではコンプレックスを抱く側とされているが、明治や中央は世間一般の大半の無名企業において一流大学であることを忘れてほしくはない)。

ところで、いわゆる超一流の企業においては、今度は学歴は全く問題でなくなっている。俺の経験では、高い成績を日常的に産み出している連中は、自信というような概念自体を忘れてしまっているように見える。学歴という感覚は無く、せいぜい初対面の話題として利用しているくらいではないだろうか。そこには林業関連の高校卒業?なんていうのも居たが、大学名を聞かれて「当然、東大ですよ。ウソです。チェーンソーの使い方を高校で習って大学は行ってないです」などと答えていた。特に面白い冗談だとは思わないが(毎度同じことを言うので身内の中ではオヤジギャグ扱いだった。まだ30歳に達していないが。)、そのような冗談の中でしか学歴の感覚が登場してこない。関心の対象は、いかに新しいものを生み出すかにしかなかった。ちなみに彼は、そのあと営業代理店業務を行う会社を立ち上げて独立し、しかしゆっくりと過ごしている。

高学歴であったり、高い能力を誇る人間は、コンプレックスによるやっかみや嫌がらせを避けるためにはこのようなコミュニティを選ぶしかないのだろうか。ある種の対人テクニックを身に着ければ(このような対人テクニックを総称して世間ではよく「謙虚さ」と呼ぶようである)コンプレックスの対象にもならずに過ごせるかもしれないが、そんなものを社会に出る前に得られる保障は無いだろう。大学サークルなどに入れば先輩が教えてくれるものだろうか?会社内ですら、同じ学閥の先輩が後輩にそのようなスキルを伝授している風景は目にしないのだが。まぁ俺には最近大学内での「意識の高い学生」同士の交流の様子はよく理解できていないので、多くは語れないが。

上に書いたような「コンプレックス存在希薄コミュニティ」は、多くの場合特殊な場ではないかと思う。実力主義の中小ベンチャー企業でも学歴コンプレックスは明確に存在することが少なくない。職人業的な、極めて少人数の家族的なコミュニティか、もしくは突き抜けた実力を持つ人間が集まった企業のようなエリート集団にでも居ない限り、コンプレックスの意識を避けるのは難しいんじゃなかろうか。

ただ、後者エリート集団に所属すると、今度はエリート集団自体が回りの他のコミュニティから「排他的」だとか「エリート」だとか言って揶揄されてしまう。確かに、コンプレックスを抱きうる常人があんなところ(俺が経験したのはせいぜい2社だが)に居たら、いくらか経験を重ねてしまっている場合は特に、一緒にやっていくことは難しいだろう。呼吸をするように物凄い仕事量をこなしていることを当然のように求められるから、普通はついていけない。俺も到底無理だったので「癒し系キャラ」役に逃げることでどうにか居場所をつくっていたような。なんであんなとこで働こうと思ったのか、いまではぜんぜんわからんw

コンビニで表紙につられて立ち読みする雑誌で「また外資系か」とか「ワーカホリック人生楽しいの?」とか書いてるのを読むと、どちらもいろいろ大変だなぁと、余計なお世話だし「お前が言うな」なんだが、変な同情をしてしまうよ。

ちなみに俺自身は特別優秀でないし成果も全然出してないし、自分が落ちこぼれなのが当たり前だと思って生きてきたからコンプレックスは感じない。傲慢になろうにももともと何も誇れないので、そもそも「謙虚になる」かどうかという選択肢など無いような状態w

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