はてなキーワード: 大学への数学とは
つまり高校までのあらゆるレベルの参考書や大学受験の問題を解けるような状態にしておかなければならないとか思っている。
それはたとえば難関大の赤本をぱらぱらめくるだけでも、高校数学の範囲の中で可能な問題設定がこれでもかというほど無数に思えるバリエーションで存在することが分かるということだ。これら全てをマスターせずに専門数学を学んだところで、自分で問題設定したりそれを解いたりできるようになるのかという疑問がある。高校数学ですらそれができるようになってないわけですから。
また高校数学の教科書から一歩出た段階の典型問題や応用問題では、解の個数を求めるときは定数分離するといいことがあるとか、二次曲線同士が接する条件は重解条件とは限らないとか、そういう定理というほどでもないいろんな考え方を身につけさせられるものだ。
専門数学を学ぶ上での記述には、そういう頭のいい筆者が高校時代に身につけた考え方など明示的に表現されてなくて、高校数学を完璧にしておかないとそうした行間を補えず躓いてしまうだけなのではないかと思った。
あれ、でもそんなこと言ったらそもそも高校受験や中学受験も灘や開成で出るような問題は解ける保証ないかも?そこからやり直し?ってなってくる。そういえば算数の中学受験問題解いてみたが全然解けない。
そもそも大学への数学シリーズで得意げに解説してる筆者たちは参考書のレベルにおいて今の自分達が執筆してる位置付けのあらゆる本の内容を高校時代にマスターしていたのかすら疑問なのだが。
とはいえ、難関の中高一貫から東大数学科に入った子には中高の数学は自分では全く勉強した覚えがない(つまり中学受験時から塾に行かずに受かってるんだろうな)という人もいるらしいし、こういう人間はいまさら赤本だの中学受験の算数だの解けるか確認するまでもなく解けて当たり前なのかもしれない。そしてそういう人間の一部が次代の受験業界で難問奇問を自在に作る側に回ってるのかもしれない。
とはいえやはり、高校までのレベルのいろんな問題を解く上で必要な、身につけられる考え方というものが純粋数学の研究および証明に活きてくるという事例はないのだろうか。いやむしろ、その考え方を知っていたからこそひらめいたわけで、知っていなかったら証明に辿り着けなかったということが最先端の数学において無いのだろうか?
その考え方を知らないパラレルワールドの自分が証明できてるかどうか確認する術はないので、その考え方が証明に必要不可欠だったかどうかは証明しようがないんだけども。
とはいえ大学数学に臨むために中学の算数から受験問題の研究で徹底的に深掘りし直したなんて話聞いたこともないし、このあたりは「中高で数学は自主勉強しなかった」ような人間がその道に進むのが適切なのであって、いちいちしらみつぶしにあらゆる受験問題を解いたりしないと自分では考えが浮かばないような人は、そういうことを完璧にしようとした時点で人生の時間切れが迫るし、そもそもその程度の人間は大学数学向いてないと見切りをつけるのも必要かもしれないな
昭和58年生まれで、幼少時は勉強しなかったが、幼少時から東大や団藤重光を尊敬するなど、無類の善良であり、
高校で正体を現し、凄まじい勉強量で、当時、延岡西高校で英語主任をしていた井上(当時33)は、俺がどんだけやばかったかを知っている
平成10年当時、延岡のガキは勉強を全然しない中、一人で孤軍奮闘していたが、延岡みたいなクソ風俗では東大に受からず福岡の北予備に行った
予備校でも、色んな先生の授業を積極的に受けて、慶応レベルの難単語テストで一位をとって英語の先生から辞書をもらったり、東大模試で名前が出たりで当時の
東大受験生界隈では名が知られていた、凄まじい勉強やりまんびっちで全国に名をとどろかせていた結果、平成15年に東大文Ⅰに合格した、当時の合格者はそういう
在学中も、凄まじいやり手の女で、そこそこの成績をとって卒業したがその後に不幸があった
いずれにしても、九州から勝手に修行を積んで当時厳選採用していた東大文Ⅰに受かった凄まじい日本人だったが、誰も評価する者がいなくなった
平成10年頃の九州で誰も勉強しない時代に、自分から勝手に勉強し、凶悪犯罪者レベルに勉強して延岡の高校で凄い成績だった
当時の担任の井上修二(英語科、現在宮崎北高校勤務)が、33歳だったときに担当したが当然どんなものだったかは知っている
井上が勧めたZ会の教材も凄まじく解いていて、無類の勉強ビッチで、色々な教材を勝手に勉強していたが、田舎では勉強が続かず精神破綻して
福岡の予備校に担ぎ込まれた。2か月は廃人だったが、その後に福岡書店で勝手に本をあさって猛勉強し、東大模試でA、B判定をとり、平成15年に
当時、真夏の勉強やりまんびっちしか受け入れないで有名な東大文Ⅰに合格したとして凄まじい絶賛を受けた。在学中も凄まじい勉強ヤリマンで、
平成10年以降は、ママが決めていたわけではなく、大人はクソで何もなくて最悪だから、日本人の子供で犯罪能力が高い勉強のやりまんびっちの女の子に
インターネットの東大掲示板やなんかで、当時、若くて脂ぎっていた若者が、飛ぶ鳥を落とす勢いで勉強し、全国的にも競争が凄まじくて凄いものがあった
徹夜で勉強、昼夜逆転、なんでもあり、もうめちゃくちょのぐっちょぐちょの満天下のやりまんびっちどもによる勉強性乱交状態の真夏で、そこへもってきて
インターネットカフェや吉野家などそれまでになかったものが全国的に初開店し、多くの肝オタ勉強家どもが吉野家に突撃し牛丼をかっこむのは当たり前のあの
欲望の真夏、2ちゃんねるもクソ面白い書き込みばかりでそりゃもうこの島の勉強のやり手どもはやる気満々だった
そのような若いびっちどもによる性乱交パーティの結果に、昭和が終わって何もなかった今の東京や関西にこれだけの新しい文化ができた
平成11年までは延岡西高校にもまだ偉い校長がいたから1年生の時はかなり真面目に勉強してたが、2000年になり、21世紀開始の大ブームで
高校の方針も激変し、校長が3琉大卒になって学校崩壊起きて、2000年~2002年には、静岡県の増進会=Z会の添削が活躍し当時の多くの東大受験生は
必須のアイテムとして購読し当時、くそやばかった能力者の添削指導を受けてた、凄まじいものがあった、東大受験生のやりまんびっちのほとんどはZ会を購読
Z会の成績でやれいい成績をとったのどうのでインターネットの東大掲示板ですぐに話題になり、なにもかにもが原始時代のような普通の日本人の若い凶悪犯罪者シンガキ
勉強やりまんびっちの女の子の間でいろんなものが話題騒然となり凄まじかった、勉強をする子供には親もゴキブリの湧いている家で焼肉やトンカツなどを食わせる飲ませる
などの3せる作戦で子供に勉強させようと必死だった、平成15年の東大受験生は少なくとも雑誌「大学への数学」以外、現在東京の書店にもある青チャートレベルの問題
その他、Z会の難関数学問題など、凄まじい量の勉強をしている。
もちろんなぜあの真夏にそれが流行ったか、それだけ偉い先生や指導者がいたうえに、原始時代のような、やりまんびっちの若いやり女に性乱交を許可するほどの自然な
面白さがあったからだ。今はダメだ。もうやっていることが終わっている。バカとしか言いようがない。平成8年以降に爆発したあの素晴らしいやりまんびっちによる性乱交
今はもう平成23年10月に2ちゃんで関東ゴミ警察を中傷したとかで突然警部補が部屋に入ってきて越谷、群馬の留置、埼玉拘置所みたいな最悪なところを
ひきまわした上に、模様みたいな実刑判決をさいたま地裁越谷支部のクソ判事鈴木秀行から書かれ、平成25年に栃木の黒羽でやりたくもない受刑作業で
男子受刑者にされ、平成時代にやりまんびっちとして自然な性乱交の真夏に参加して活躍し、女として東大に採用されたのに、男にされているから
黒羽刑務所の刑務官に対する怒りしかなく、最悪すぎて何もする気はない。あくまで俺が平成時代に受験競争に参加したのは、あの素晴らしい真夏の原始時代の
なんか盛り上がってるので参加させてくれ。
[基本スペック]
ややADHD気味で人の話に集中できない。図形脳で言語スキル(特に会話)が弱い。
親は両方中卒で無口、兄貴は不登校引きこもり、弟は知恵遅れ気味。親に何かを教わったという経験があまりなく、親の無口が自分にも遺伝している。
家は全く裕福ではなく、父親は過去有名鉄鋼会社で工員勤務。俺が小さい頃に仕事中の事故で片足を失ったがそれでも家族を養うために働き続けてくれた。
[中学校]
大阪の西成に近い、低階層のクラスの家庭が沢山あるエリア。なのでヤンキーが沢山いる地域だった。周りの奴らと比べて頭の出来が良いかも?という自信はあったが、ある時進研模試を受けて自分の偏差値が55程度であることを知る。しかしその当時は偏差値の意味もよく知らず、周りは皆偏差値45ばかりの中55とってる俺は輝いて見えたし、学年一番の偏差値60の奴が天才に見えた。
勉強はあまりしなかったが図鑑などを読むのは大好きだったし特に数学が好きで他のやつが解けない難しい問題を解けるという自信があった。
周りの友達にはあまり行儀の良い子はおらず、いつも誰かの家に集まって夜中までワイワイゲームしたり、夜の公園に集まって時には朝まで駄弁ったり、楽しかったがあまり真面目に勉強はしなかった。授業中はほぼ教科書の落書きかパラパラ漫画を書いていた。
授業中騒ぐようなことはなかったが、もともとADHD気味で人の話を聞けないのと、夜まで遊んでいたり早朝新聞配達のバイトをしたりしていたので先生からの覚えは悪かった。受験の時に「お前は内申点悪いから公立いけんぞ」と言われた。金のない親には非常に申し訳ないことをした。
[高校]
高校に入って最初の構内統一試験みたいなものがあり、そこで自分は大して頭が良くないらしいということに気づいた。周りの友達と話をしていても、なんか自分の考え浅いし遅いな、と感じることが増えてきて、それまで自分はそこそこ頭いいと思っていたのが叩き潰されて結構なショックを受けた。この時に感じた自分は凡人以下であるという自己認識はその後の人生に大きな影響を与えた。それと同時に英語や国語は負けてもいいが数学だけは負けては行けないというプライドに火がついた。
高校の偏差値は高くなかったが担任の教師が偏執的に関関同立に執着しており、お前たちは人生に勝つために勉強しなければいけないという脅迫まがいのプレッシャーを毎日のようにかけてきた。もともと中高一貫の進学組は大学受験マインドが高く、関関同立目指して頑張るぞ、という空気があったので自分もだんだん感化されて勉強するようになっていった。
担任教師は人間性としてはそびえ立つクソだったが奴がいなければ今の自分はなかっただろうな。
だんだん勉強が楽しくなり、受験マニアの友達ができたこともあり、書店で参考書を眺めるという日課ができてきた。
当時家に金が無いことはわかっていたので小遣いはもらっておらず、どこかに遊びに行くとか美味しいものを食べるとかできる状態ではなかった。思い返せば高校の間友達とプールに行くとか遊園地に遊びに行くとかそういう経験は一度もなかったな。
しかし書店にある沢山の参考書を買いたい欲が日に日に強まってきた。そこで、小遣いはもらってはいなかったが毎日昼飯代として500円支給されていたので週の半分くらいは昼飯を食わずにお金を貯めることで月5,000円くらい貯めてこれで参考書を買ったり駿台夏期講習に申し込んだりできる仕組みを開発した。
参考書の数が増え真面目に勉強をするようになり、やはり自分の数学の能力は人より優れているという自信を再度取り戻すようになった。数学は本当に楽しくて熱中した。そのうち数学の先生から「大学への数学」の存在を紹介されて毎月購読するようになった。
と同時にやはり自分の頭の回転は良くないので自分が将来何かを成し遂げたいのであればただ一つのことに時間を集中しなければ他人には勝てないという確信を持つようになった。
だから毎日往復二時間に通学時間の間はずっと参考書を読むようになった。Z会の速読英単語など、最初は全く意味を取れなかったが何度も何度も読みまくることで次第に英語が読めるようになってきた。
高校3年になった頃にはもう勉強が非常に楽しくて生活の中心になっていた。特に大学への数学では毎月巻末に難問が出されて解答を編集部に送ると添削してくれるのだけどそれに本当に熱中していた。この問題は本当に難しく、自分の頭では数時間考えた程度では全く解けず、数日、時には数週間同じ問題をひたすら考え続けるという生活を送っていた。夜寝る前まで布団の上で考えて、眠りながら考えて、朝起きたら布団から出ずにまた考え始めるということをしていた。今考えると頭の使い方が稚拙というか同じところをぐるぐる周ってる感じだったのだけど、そうやって何日も考えると解答が思いつく瞬間が必ず訪れるのでそのカタルシスに当時は本当にハマっていた。毎月添削結果が送られて来るたびに模範解答のエレガントさと、自分の地をのたうち回るような回りくどい議論の差を見せつけられやはり自分は凡人であるということをつきつけられた。点数はいつも150満点中145程度で一度も満点を取ることが出きなかったのは悔いが残る。自分は過去の思い出とかにはあまり執着がなく、京大博士の卒業証書も使いみち無いのでゴミに出したのを友人に止められたくらいだがこの添削結果だけは今も大切に保管している。
自分は記憶力が異常に弱く国語や歴史は非常に苦手だったのだけど、物理や化学も覚えることが多くて困っていた。しかし駿台の著名な先生(山本義隆氏と石川正明氏)の書いた書籍を読み、覚える物理・化学から考える物理・化学へとパラダイムシフトを起こすことができた。ただ暗記するのではなく、なぜその式が成立するのか、なぜそのような化学反応が起きるのかというより深いところを理解できるようになった。同時に物事を深く認識するということが自分の性格に非常にマッチし、そして自分はそのために人の10倍の時間を捧げることができるということが自分の強みであると確信するようになった。この強みは40になった今でも活躍している。
この頃は駿台や河合塾の模試でも上の方に乗ることが多く、志望学科の中では上から2番目を取れるくらいにはなった。そうなると今度は予備校の方からただで授業を受けませんか、というお誘いが来るようになる。これは合格者一覧の名前を稼ぐマーケティングである。その中でも駿台の数学特別講義という非公開の授業にお誘い頂いた。数学がよくできる学生を数十人集めて難問の講義を行うというもので、これもなかなか楽しかった。周りは皆灘とか東大寺の中に偏差値55の学校が混ざっているのはむず痒い感じではあったが、すぐに自分はやはり彼らとはレベルが違うということがわかる(毎回試験があって採点される)。一人明らかな天才がいて、その人は今有名な数学者になっている。
後のことは上記の事の結果でしか無いので端折るがセンターは確か国語社会が6割くらいしか取れず志望学科はC判定、というのが送られてきて先生が「気を落とすなよ」慰めてくれたが自分としては全く想定通りの結果であり過去の模試の結果からこの差は二次で覆すことができるという強い自信が会った。
家の経済的事情から滑り止めを受けるということはできず、前記京大後期阪大のみを申し込んだ。これについては先生から怒られた。本当は阪大の後期にも申し込みたくなかった。
試験は数学は色々ケアレスミスをしてしまったが大筋では正しい解答ができ、物理化学はどちらも1問しか間違えなかったので合格を確信した。
しかし合格した当時自分は中二病を引きずっていたので一緒にいた親に笑顔も特に見せず「合格した」とだけ言った。これは人生の最も大きな後悔の一つ。
大学に入った当時は研究者になることを夢見ていたが大学に入ってからは本当の天才を目の当たりにし、また博士課程卒業間際になり研究というコミュニティもコミュ症では構造的に海外のリア充に勝てないということに気づき断念、IT企業に就職して今はスタートアップをしている。
こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。
・小学生
関西の田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。
「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。
自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。
父は会社勤め。ホームレス気質の天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的な独自の戦略のようなものを持っていたと思う。
小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。
「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。
秋からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。
私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分の感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である。
・中学生
強制的に勉強する時間が毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧な発音でテキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年でイギリス人の先生と普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会の模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分の立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。
音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である。音大かっていう。親友にピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調の譜面を初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキな伴奏を思いつく、など。理解不能である。ピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。
・高校生
下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。
授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。
こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。
自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自に勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。
授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間も勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの。毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田は勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。
高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金でアメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分の英語力はあんまり大したことないと気づいた。同級生にアラブの皇太子とかトルコの首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。
高3になって流石にクラスの空気も変わり、自分も放課後も勉強するようになった。小学生の時は夏休みからの半年でなんとかなったけど、さすがに東大は一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。
一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。
・高3夏休み
化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大の過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題をゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。
一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。
・数学
チャート式などは数冊終わっている状態。大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習。
・英語
TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年分定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話はビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルのリスニングやスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。
・国語
Z会の小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味。結果的に200字作文に多少役に立った。
・高3秋
9月に学校の最後のイベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンドは解散した。
・高3冬
英語198
数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い。東大理系はわりとこういう感覚だと思う。
国語167 古文漢文論説は150/150。小説でめっちゃ間違えた。こういうこともある。
化学100
倫理93 一応、山川の倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから、哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事かわからん。
合計
前記749/800
後期489/500
・センター試験後
ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単。
というわけで薄々気づいていた数学の不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語は最後の一ヶ月だけ、古文漢文を個人の先生に習った。
ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。
・本番
当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。
ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。
国語 60/80 ほぼできた。
数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。
生物 50/60 多分まあまあできた。
化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。
合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。
・発表当日
赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」
弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。
家賃が安いという理由で三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師のバイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である。
大学への数学の学力コンテストで何回か上位5人に入っていたと思います。
そんなオッサンがちょっと受験数学にハマって、3月からコツコツと勉強していました。
『1対1の演習』6冊と、『新数学スタンダード演習』2冊をやりました。
1対1は簡単で1冊1日とかで1周して復習も3周くらいサクサクと6冊仕上げました。
スタンダード演習の方は1周目は解けないことを察して、とりあえず答えを覚えていき、5周くらい繰り返してすべて解けるように(暗記数学って奴ですねw)しました。
そうして、じゃあ、次は。と目をつけたのが、『やさしい理系数学』という本。
これは、スタンダード演習並みだぞ。という触れ込みです。
実はおじさんは、『新数学演習』という受験数学で一番難しいレベルの本を全部解いた思い出があります。
なので、どんな問題集でも面食らうことはないと思ってました。
焦って、アマゾンのレビューを見てみると、
「偏差値65くらいの人が、70になるために解く」とのこと。
オッサンの知的能力は落ちまくってるのは事実ですが。これが簡単とは……
ちょっと、信じられない。
これは東大数学の標準レベルを超えていると思うんですよ、感覚的には。
家庭教師先の生徒さんへ
できない言い訳をして欲しくないのと,勉強をどうやってやればいいのか感じて欲しい.
http://b.log456.com/entry/20120110/p1
しのごの録
「僕は自分が思っているほどは頭がよくなかった」
これ以降の章は必要に応じて読んで下さい.
質を重視派(王道)
http://kosotatu.jp/study/【特別講義】数学が得意になる勉強法!/
量を重視派(全体像が速く掴める)
http://wankora.blog31.fc2.com/blog-entry-1295.html
もう少し具体的な日々の勉強法について.
基本的には授業にしっかりついていくこと.質を重視派で言っているやり方で理解していけば良いと思う.
予習はしてもいいし,しなくてもいいと思う.授業についていくこと(=復習)が大切.
これプラス,習った範囲で少し上のレベルの参考書を取り組めたら塾や通信教育と同じような効果が得られるだろう.
好きな参考書を買えば良いと思うが,
がおすすめ.
東大京大東工大以外はこの本を完璧にできたら(難易度的には)数学は満点とれるはず.
問題を解く時には
数学を極めにいくなら
基礎ができたら(1対1対応の演習がほぼ仕上がっている状態)これの学力コンテストを毎月提出してほしい.
難しめの良問が並んでいてかなり力がつくと思う.
上であげた月刊誌を毎月買うのはお金がかかるので,1対1対応の演習がほぼ仕上がったら大学への数学の代わりにこの本に取り組んでも良い.
その後は過去問へ.
ちゃんと習うだけでなく,かなり慣れが必要.たくさん文章を読むべし.
文法を知っていると,読みが速く正確になるからちゃんと取り組むべき.
高校で知るべきは,残りの文法事項(仮定法,過去完了とか?),
プラス,
(b)基本動詞の理解(自動詞か他動詞か.第何文型を取るか,前置詞をからめた”群動詞”っていう使い方)
日常の勉強で発音もチェックしながら勉強するべき.(リスニングは大学によって難易度異なる)
もし余裕があれば,微積を使った物理を勉強すると分かりやすい.
以下の二つは大学選びについて考え始めたら読んで欲しい.
大学の学部は自分の好きor得意なことで選ぶと後悔が少ない.得意で選んだ方がさらに失敗は少ないと思う.就職は就職する気があるなら何とかなる.
それでも,もし決めきれないなら,数学やプログラムに触れることのできるコースに行くと賢くなれるし以外と就職がある.数学ができる人材は重宝されるから.
・受験勉強を上手く使えば頭が良くなれる.
取り組み方を間違えなければ,数学,物理から抽象的な思考力・英語の基礎・現代文から読解力が身に付くと思う.後の科目は教養になる.
・もう一つ大事な点は,自分のポテンシャルを証明できるということ.それにより将来次の組織に入る時優遇されやすいから,将来自分のやりたいことが比較的やりやすい.もちろん他に自分の力を証明することができれば問題ないけどね.
・大学に設備が整っている.実験設備や広い図書館.予算をたくさんもらっているだけはある.
と,ここまではいい点を書いたけど,僕の通っていた学科では,良い授業は数えた方が速いくらいには少なかった.
http://anond.hatelabo.jp/20151115183959
話半分に読んだら内部事情がよく分かると思う.
講義はあれだけど.
学歴に関しては,(書いてて思ったけど)僕のアドバイスよりも尊敬する大学の先生にメールで聞いてみたらどうかな.
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将来,チャンスがあれば研究者になりたいと思っています.公的な機関か企業かも決まっていません.教員になるかもしれません.よく決まってはいません.
自分はエスカレーターでこの大学に行けます.大学のランクは関係ありますか.どの大学へ行くのが良いか正直分かりません.
お忙しいとは思いますが,何かアドバイスがあればよろしくお願いします.
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聞くだけ聞いておいても悪くないと思うけど.
意外と(?)優しい先生が多いから,いろいろ教えてくれるかもしれない.
忙しいから返事は来ないかもしれない.
そこそこ頭良いと思うから,たまにはがんばってね
俺は、毎年毎年勉強スタイル変わってる。もう20後半。いい年だけど、一生勉強といわれる分野なので、勉強し続ける。
毎年毎年勉強方法はレベルアップしているが。それは、俺の生まれ持った欠点を補うようなものを身に着ける過程なような気がする。
俺に必須だったものが、他人にはいらないものも多いし。他人に必須でも、俺にはいらないものも多い。
①納得と理解は違う
納得ってのは、読んで論理を追えるってこと。だけど、これは点数につながらない。
点数につながるのは、理解。
理解ってのは、「日本の総理大臣は、伊藤博文、黒田清隆~」という記述を読んだ後に、「黒田清隆ってだれ?」→「日本の総理大臣」みたいに、逆から出てくるってこと。
これが点数に結びつく場所で。マーカーで名前をマークしたら、逆に考えてみるのが超絶大事。これが出てくくるのが点に結びつく。
理解ってのは、抽象的なことを言われて具体を出せる、具体を言われて抽象を出せる。これのこと。
②問題で覚える
「ああ、あの問題文で、小学生の男の子が出てきたな、ってことは、小学生は絶対対象になるな」
こんな感じ。
そのためにも、問題文で、記憶の助けになりそうな記述をマーカーする。
アカぺんじゃダメ。アカぺんでも、確かに大事だと分かるが、マーカーをすることで、「この場所にマーカー引いてた」「この場所を思い出せば点数になる」という、得点のカウンターや、場所記憶(記憶の中でも、最強クラスなのが場所記憶)につながる。
どーも俺は、手帳の頃は予定管理が苦手だった。ADHDっていう障害があるから。
でも、スマホに大きな予定は書き込むと、それに対して、今やるべきことやだいたいの勉強計画たてられるようになった。
昔は、「あ!あれって明日だったけ!」で3徹とかよくあった。
昔の勉強法の本では、集中力を欠くということで、音楽聴くなといわれていた。
だから、多少集中力が落ちても、「気がそれる→音楽聞く→勉強してる状態にすぐ頭が切り替わる」こうやって、集中それても、スグ戻ってこれるから、音楽聴いたほうがいい。
あと、昔の勉強本は多くは歌詞の入った音楽はダメだというが、歌詞入っていても、別に変わらない。
ってか、周り高学歴ばっかだけど、相当なひとが音楽聴きながらが基本だよ。
⑤切り替える早さをトレーニングで上げた
やはり、切り替えの早さは武器だと思う。
やる気がでないとか、そういうのは、やる気がでないという『気分』なわけだ。
この『気分』を切り替えるトレーニング。
具体的には、「腹式呼吸でリズムとる→アゴを上げる→目を見開く→背筋伸ばす→深呼吸」こんな感じで、どこかで自分の気持ちがどこかで、少しでも変わったと意識できたら、その時点で『気分』は変わる。換わったことを意識できたら、切り替えができやすい。
つまり、
「切り替えるべきだと気づく」→「切り替える」までに、ステップを置く。
切り替えができるってのは、イコール爽やかだってこと。爽やかに生きてると、まあ、気分もいいし、多少自己肯定感も高まる。
俺は、やっぱ他にも障害あるから、全然自分のこと嫌いなんだけど、すぐヘラっちゃうし。でも、爽やかだと他人との付き合いも楽だよ。
⑥月1~2風俗に行く
やっぱり、性欲はためすぎるとよくない。
実際はしないだろうが、そういう予感を持つこと事態がストレス。
人とのふれあいは、オキシトシンっていうホルモンがでる。これが愛情形成するんだけど。
それは、やっぱりオナニーじゃ厳しい。
ピンサロで数千円でいいんだよ。
それに、別に抜き目的じゃなく、痴漢目的で。自分を安心させるためなんだから。
⑦5回繰り返せば、絶対に勝てる
人間が、1年覚えておける記憶に保つには、5回覚えるのが必要。
1回目は、まあざっくり、「納得」していく感じ。分からないところは、仕方ないから眺めるだけ。できるだけスピーディーに。本番は2回目からだから。
2回目は、一瞬で解ける奴とかは、「×」で問題文ごと塗りつぶす。『得点につながる部分で、理解できたもの』にマーカー。大事だからって、理解してないところにマーカーは点につながらない。あと、「大事なところで、ゴロあわせ作った奴」はマーカー。ゴロあわせは、超絶大事。意味が無くても、理解してなくても覚えられるのは強い。俺はクッソ記憶力悪いが、ゴロなら覚えられる。「思い出すときに、ゴロで作った1部分でも思い出せば、全部でなくてもある程度思い出せる」ってのがクッソ強い。
3回目は、解けた問題に×して行って、マーカーを増やしていく。完全に覚えたマーカーは×。そこはもう点数だから。ここでも理解できない奴は、書くべし。書いてゴロを作る。
4回目は、1週間は間をあけて、同じようにやる。
実際は、4回目までで、ほぼ完了してる。
5回目は、直前の詰め込み。
逆に言えば、直前までに、4回やってれば、勝ち確定。
頭のいい奴なんて、多分そこまでいないってか、いてもテストとかなら関係無い。
俺は、東大模試で、数学、国語、物理は1桁の順位マックスで取ったことある。でも、そんなの、ハッキリ言って、才能だけ。数学やは中学くらいから全国1位とか、大学への数学で満点とか、そんなん。努力関係無い。国語も異常に好きだったから、問題集20冊とかやっただけで、ちょっと異常に努力しただけ。
英語とか、化学やセンター試験、あと社会みたいな、暗記系はほぼ無理。日本平均をダイブ割ってる状態だった。
俺はたしかにIQは高いが、普通のなんも知らない資格の勉強で簡単に無双はできない。
納得するのは早いが、理解はゆっくり。まあ、ゆっくりなほうが深い理解に到達するとは思うよ。
5回やらないと、無理。3回とかじゃ、微妙な感じで、上位20~30%とか。
でも、5回やれば、絶対上位5%には入る自信ある。
この場合の努力とは、「受験勉強」を指します。しかも昔気質の。
友達とカラオケなんてもっての外、お洒落などにうつつを抜かさず
予備校に朝の8時から夜の10時まで詰め、朝から晩まで試験勉強のことを考え
センター試験本番で念願の9割超えその後の2次試験突破みたいな努力。
ここまでしなくても、実際「東大に合格するぞ!」と目標を決めて
それを完遂するには努力が必要だと思うし、その努力や意志貫徹力は賞賛に値すると思うけれども。
「進研ゼミやってたら受かっちゃいましたー」とか、
「高校の先生に「大学への数学」をすすめられて、独学で」みたいな人。
そんで、そういう人に東大に行って東大で日本最先端の研究をして欲しい。
そんでもって、そういう人に独創的で創造的な仕事をしてもらいたい。
「やっぱ東大にいくような人はちげーなー」と言っていたい。
この人すごいなぁ!と思えるような、すごい人が日本にいて欲しい。
推薦の条件が結構厳しくて
数学オリンピックの成績を加味するとか
そういう人は論文を書いてる時間や数学オリンピックに向けてる時間を試験勉強にすれば
センター試験9割超えすると思うので
内申点とかボランティアとか
一芸とかおにぎり握りとか
そういうのが加味される「普通の大学」の推薦とは違うわけで、私はいいと思います。
あ、でも実際「普通の人」が東大に入るなら、「普通の大学」に入って
研究室で実績をあげるなり、東大にゆかりのある教授に推薦してもらうなりして
やりたい研究を東大でやってることが前提になってしまうけれど。
これはもう何度も言われてることだけれど、
大学というのは「研究機関」なわけで、何がいいたいのかって言うと
「入るための努力」よりも
医者とか高学歴な人間にはとりあえず一目を置くことを作法としているはてな民は「暗記物が苦手だけど、理系科目が特別よく出来るかっこいい感じの天才肌が医学部を選んで苦労したストーリー」として読み取っているようだが、それは全く誤った見方であることを指摘しておきたい。
国公立や偏差値高めの私立の医学部っていうのは、むしろ突出した学力がなくてもコツコツ努力できる程度には真面目で、そこそこバランスが良くできる人には良い選択肢なんだ。
徳川家康を漢字で書けなかったり、全く勉強してなくても平気でいられるようなメンタリティーの人間は少ない。あいつらは小心者なんだ。常に何かに追われているような気がしている。勉強してなおかつそれが学力に反映されてないと落ち着かないんだ。数学は得意だったなんて自分を過大評価できるやつも少ない。全国模試でも受けようもんなら、バカみたいな点数を叩き出すモンスターが全国にゴロゴロいるし、所詮自分は井の中の蛙でしかないことを知っている。時間があれば「大学への数学」などにじっくり取り組んでみたいけど、センターで社会もある程度点数を出しとかないと勿体無いから、そっちにもリソースを仕方なく割くし、そういう葛藤とともにクソ面倒くさい受験の手続きを乗り越えていくんだよ。元増田には純粋に学問を楽しみたい気持ちも抑えつつ、時間的にテクニックで受験を乗り切らざるを得ない屈折した受験生の懊悩が感じられない。暗記ができないくらいで泣き言を言うなどとはどういうことだろうか。(器質的に暗記が苦手なのだったらハンディキャップをあげつらっているようで申し訳ない。)だいたい薬の名前とかどうすんだ。イソプロテレノールとプロプラノロールとか理屈なくただ覚えるしか道が無いことは猿にでもわかる。
増田の話は単に「勉強がそれほどできないのに、なんか知らんけど入れる医学部があってラッキー(どの程度の大学かは察してください)だったが案の定大学で苦労した」程度のものではないかと思っている。医学部にもいろいろある。国試さえ受かればそんなことは全くどうでもいいことだが。
故伊藤和夫の授業をyoutubeで見て、都会の受験生ってこんなスゲー授業受けてたんだと、15年後にカルチャー・ショックを受けたので、田舎の浪人生だった自分が使った大学受験参考書(東大理系96年入学、いまではなんとか研究職)。
内容はスタンダードでよい。
個人的にこれだけで必要十分だと思うし、これだけしかやらなかった。暗記科目とか非暗記科目とか言うけど、試験である以上、数学だろうが物理だろうが暗記科目だと思ってる(日本語の能力だけはどうにもならないけど)。これくらいはマルっと憶えられないと応用もなにもないと思う。浪人生は勉強だけしてればいいから、大学受験の範囲も泣きながらやれば3ヶ月で終わる。あとは、ひたすら復習。ペンだここさえて、ほとんど部活のノリだった。
昔は一冊ものだった気がするが、いまは全6冊になってるな。
日栄社のうっすいやつを適当に2, 3冊ずつくらい。おすすめすぎるシリーズ。
英文法標準問題精講
英文標準問題精講
和英標準問題精講
物理標準問題精講
化学標準問題精講
網羅すれば完璧。
旺文社の標準問題精講シリーズは、コンパクトで軽くて、本当にありがたかった。
ジョン・ロックの民主制とルソーの民主制の違い、という話が印象に残ってる。別に先生と仲はよくはなかったが、田舎の、文系理系分かれてないようなふつーの公立高校で、唯一信頼できた授業だった。そのプリントはいまでもとってある。
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。
じゃあかといって、バリバリのオタクか、といえば、コミケへ行くほどでもないし全然オタクとは言えない。でも、スイーツと称される人たちよりは明らかに漫画を読んでいることも確か。
んじゃ近頃流行りの理系女子ですか、といえば、たまたま大学は理系だけどそれは社会科目は暗記ばっかで面倒くさいと思ったから数学と理科に逃げただけのことで、大学への数学とかを毎月買ってバリバリ解くような理系っ子でもなかったし、プログラミングなんかやったこともないし(やったといえばHTMLをかじったくらいだっつうの…中学生でもやってるっつうの)パソコンはスイーツよりは使ってるだろうけど、別にたいしたことに使ってるわけでもなく。
なんだか私という人間は全てが中途半端だ。どっちつかず。「スイーツ(笑)」と言えるほど自分にスイーツ分が無いわけじゃないし、といって、スイーツたちの間に入れば浮いている。といって、オタクの輪に入れば所詮ライトオタ、いや、ライトライトオタゆえその知識量についていけず。私ができるのはせいぜい「寄生獣ってほんとに映画化されるのかな?ハリウッドでミギーのあの絶妙な可愛さって表現できるのか心配だね」というレベルの話題である。
ファッションは食費切り詰めてでも買うほどの情熱は無いけど、でも服に全く興味ありません、あんなのどこがいいわけ?ってわけでもなくそこそこ好きであるし
読書はそこそこする方だけど、変わった本を読んでいるわけでもなく、漫画も、結構読むけど、有名どころばっかりで、たいして言うべきことはない。
ハリウッド映画は割りと見に行くけど(近頃だとナルニア)、ハリソン・フォードが誰かを知らなかった半端さ。おかげでハリウッド嫌いのマイナー映画好きからは嘲笑され、スイーツたちからは「ハリソン・フォードも知らないって……w」と嘲笑される。中途半端。
音楽の趣味も中途半端すぎる。近頃はテレビというと夕食時にクイズ番組のはしごをしているだけのため最新の音楽など分からない。バレーボールの試合はずっと見ていたため、あのジャニーズの歌だけは半端に覚えてしまった(しかしグループ名が分からない。私の中のジャニーズは嵐で止まっている)。かといって、マイナーなミュージシャン知ってるぜ、って訳でも全然ない。「近頃の音楽知らなくって」と言うと、音楽好きの子から「ゆらゆら帝国って知ってる?私好きなんだ」って、「見つけた、私の同志!」みたいに話しかけられたが、「ご、ごめん……聞いたこと無い……」となっただけであった。「マイナー好きなあまり、メジャーなんて知らない」のじゃなく、「マイナーも、メジャーも、知りません」なのである。単なる無知だ。唯一聞いている音楽といえば、のだめカンタービレのクラシックCDという、マイナーでもない半端にメジャーどころ……
そもそも買っている雑誌がジャンプとsoup(ファッション雑誌)とSQという平凡さ。
これではオタクというには薄すぎ、といって、soupレベルではcancamにもついていけず、装苑系にもついていけず
アートはわからんし、モテに特に興味ないし、といってコミケ行くほどのオタでもなく、あぁ、一体私は何なのか。
こんな自分が嫌だ。何か一つ飛びぬけたものを持ちたい。
オタクも、スイーツも、どっちもなんだか羨ましい。スイーツはモテに特化して楽しそうだし、オタクはオタクで楽しそうだ。芸術系は独自の世界を持っている感じで言わずもがなだし、あぁ。
そんな私が近頃ようやく出来た趣味といえば高速道路のパーキングエリアめぐりである。といっても「全国制覇する!」というほど気力は入っていないためひたすらヌルい。
なんていうか、とがりたい。