はてなキーワード: 大学とは
マナークリエイターはともかく、真っ当まともなマナー講師はいてもいいと思う。
顔見知り程度だったり、挨拶したり、どこかで会えば話すような程度の知人~友達はたくさんいるのにGWに旅行に行ったりディズニーに一緒に行くような友達がいない。
昔からそうだ。
大学のサークルでも先輩後輩男女問わずみんなとなかよし!みたいな感じだったけど、少人数のお出かけとか旅行にはカウントされない。
同じタイミングで出会ったはずの人達も、いつの間にか「すごく仲良し」なグループが出来ていてそこに自分はいない。
個別の誘いはあったり、大人数の飲み会とかは必ず誘われるので嫌われているわけではないと思う。
なんというか、どの界隈でも「ほどほどに好かれてる」みたいな立ち位置にいる感覚。
増田のことNGって人誰もいないから平和でいいとすら言われる。
トラブルが苦手ゆえ上手く立ち回ろうとしすぎて距離感出てしまっているのだろうか。
自分としては仲良くなりたい。
連休とか来る度になんの予定もなくて寂しい。
この質問って難しいんだよね
文系に行くか理系に行くかとか、大学に行くか行かないかとか、そのレベル以上の選択
そういうのはいっそ、望む望まぬに関わらず起きてほしい
例えばパートナーが子供欲しいって言ったら俺は同調すると思うし
欲しくないって言っても同調すると思う
子供を幸せに育てる自信はある、あるけどそう上手くいかんのではという不安もある
昔は作らなきゃいけなかったし、それは普通に受け入れたが
どっちでも良いと言われればそれほどの勇気はない
子供を作ることで自分が幸せになるビジョンというのは、いいんだけど、なんか危険な思想にも思える
「男の人は、女の人に挿れたくて、それで中に出したいんですよね。」「はいはい」
「女の子は、って言うか私は、私が私とエッチなことしたい?って言うとそこから、
男の人は私のことを気になって、裸を見たら興奮して、私とえっちなことしたい気持ちになって、
おちんちんも大きくなって、私にエッチしてもいい?ってお願いして、いいよって言って、
私の身体の色んなところを舐めたり触ったりしてもっと興奮して、おちんちんはびんびんで、
もう私に挿れたいって言うからしょうがないなあって感じで「いいよ」って言って、
私のまんこは男の人に気持ち良すぎて、私の身体も揉んだり抱いたり触って、
私を犯ってることに頑張ってて、私がエロくてまんこが気持ちいいから私の中で射精しちゃうんです。
他に女の子はいっぱいいるけど、私に射精したいって。私も他の女の子で射精して欲しくない。」
「何歳だっけ?」「15」
「私、中に出されても妊娠しないんです」「病気で?」「はい。将来的に人工授精ならできるかもって。
それで私女の子なのに子供産めないんだ、結婚とかできないなって思ってて、
その時ネットの人にそうやって書いたら生で出し放題じゃんって。私は子供のこと言ってるのに悲しくなったけど、
私とやりたいって言うからその人と会って、」「何歳のどんな人?」「22歳の大学生。早稲田大学」
「続けて」「会って、ラブホテルでセックスして、中出しされて」「ふんふん」
「また会って、3回目からはその人の部屋に行って」「やりまくるの?」
「夜とか泊まりとかできないから、土日の朝10時に行って17時とか遅くても19時には帰って。
やるだけじゃなくてご飯食べたり映画見たりとしまえん行ったりもしました」
「付き合ってる感じ?」「私はそうなのかなって思ったときもあったけど」「ふんふん」
「部屋に入ったら服を全部脱いで、ずっと裸で二人で。煙草みたいなのを吸ったり」
「ん゛ん゛っ。まあいいや。色んなエッチなことしたの?」「しました。制服持って行ったり、
お母さんの洗濯前のパンツ持ってったり」「それをくんかくんかして?」「お母さんともやりたいって言ってました」
「お母さんの写真ある?」「あります。ちょっと待って。こんなの」「僕もやりたい」「けっこうもうおばさんですよ。
あ、最初の頃そのまま家帰って洗濯物出してたら、お母さんに「もしかして最近彼氏できたの?」って言われて、
ドキッとしたけど「うん、まあ」って答えたら「ちゃんと避妊してるの?って。
お母さん病気のこと知らないから。それでそんなことやってないよ。まだ処女だしって言って、
なんでそんなこと言うの?って聞いても言ってくれなくて、あとで考えたら中のがパンツに出て、
それでだと思う。いっぱいなのは拭いてたけど」「お母さんも大学生の精子の匂い、くんかくんかしたんだよきっと」「キモい」
「それで、夕方で帰ろうとしてたらピンポンが鳴って、今から彼女が来るから家庭教師の振りしてって。
女の人が入ってきて、この子の家庭教師のアルバイトしてて、あそうなんだー。こんにちはー。ってあいさつして。
じゃあ私帰りますって帰ろうとして、うんまた来週ねって彼はシャワーに入って、入った後に帰りの電車賃借りないと帰れないの忘れてて、
シャワー出るまで待ってて、どこ目指してるの?一応早稲田です。いい学校だから頑張ってね。文系?はい。
あの、。なに?彼女さんですか?まーそうかな、一応。もうセックスはしました?えっ。しましたよ。早くセックスしたいの?
どんなのかなーって。今は恋人はいるの?いません。いないならできてからかな。気持ちいいですか?きもちいいよぉーw
私はオナニーっでガマンします。大学入ったらやりまくりなよ。でびゅーでびゅー。って。」
「早稲田行くの?」「行けないですよ」「なるほど。。」「その彼女さんは女の子っぽくてお化粧してていい匂いで、
ファッションモデルみたいに女の子でかわいくて。私はこんなんだし」「みきちゃんも18歳になると自動的にかわいくなるの!
「それでお父さんにスマホ欲しいって言ったら、じゃあ今から買いに行くかって買いに連れてってくれて、
帰ったらお母さんは未だ要らないとか言って少し喧嘩してたけど、
それでネットで調べて出会い系で詳しく自分のこと書いたらいっぱいメールが来て、
お金くれる人もいて、その中でジンさんって今でも会う人と会って、5万円くれて優しくて。
「援交はひどい男と会うと、お金払わないとか、暴力的だとか、本当に嫌な目に会うけど、
普通以上の人ならお金もらえていい仕事って言ってて、私もジンさんと会うのは全然嫌じゃなくて、
会わないとなにしてるのかなって思うし、いま会ってる男の人はみんないい人」
「お金が欲しくて誰でもいいやだとひどいのに当たっちゃうよね」
「おちんちんむくむくしました?私とえっちなことしたいですか?」
「本当は何歳でしたっけ」「御年32歳になりました。にやにや。もしかして私とやりたいの?」「はい」
「私の方の準備はいいみたいだけど。駅のトイレでしちゃう?」「ホテルに行きたいです」
「ちゃんとしてるね!じゃあいこっか」「一瞬、駅のトイレも行きたいかも」「私もおしっこしたくて」
「はい、おしっこしてる間に舐めてあげるから出して出して。臭いとかちょっとくらい気にしないの」
じょーーーーろろろじょー。
アメリカとか欧米の会社にドル稼ぎに就職したいんだったら出身中学なんてヘッドハンターやリクルーターは一切気にしないよ
世界大学ランキングだと私立大はトップ500にすら入らないから、私立中からエスカレーターで私立大まで行ったらドル稼ぐ人生は厳しくなる
ドル稼ぎたいなら東大、京大、東工大、東北大、大阪大ここらへんがMUST。早慶上智ICUとかは世界大学ランキングが低すぎて何のアピールにもならない。
ちなみにシンガポールは卒業大学ごとにビザ取るための最低月給が違うんだよね
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、継続して物事を続けたり安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんとも家賃交渉で一悶着したり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。というか耐えれてないわ。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してになんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償を愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
大学も授業が始まって少しは落ち着いた頃だろうか
もう既に1限は無理だと切った人も居るだろうか。ドイツ人講師が日本語を喋ってくれなくてキツイ人も居るだろうか
良いバイトは見つかっただろうか
懐かしい
結婚したり出産したり子供の成長の節目節目とかがある人以外にとって
それ以外は、落ち着きすぎてるか落ち込みすぎてるかしか無い
落ち着きすぎている現在
何も楽しいことが無い。何もする気が起きない
あと、仕事辞めたい(というかもう働きたくない)
働くことに意義など見いだせない
眠いけど寝たくない
起きてても有意義な夜を過ごせないけど
だらだらしてて明け方近くになるだけ
学生時代だって夜じゅう起きてて何か有意義なことしてたわけじゃあないけど
素晴らしい時間ではあった
(でもいま現在誰かと夜じゅう過ごしてたら疲れるな。語り尽くす様な話も無いし。そんな話が出来る相手も身近に居ない。友人は遠くに居るし)
一人で引きこもって学校も行かずバイトも行かず…個人的な活動が思索が充実してるなら良いけれども…虚しいと思いながら貴重な学生時代を過ごすのは勿体ない
ほんと、一人でも楽しいことをしてください
まーでも東京でだって「大学はレジャーランド」世代が出来てる仕事をやるだけだから、大卒はほんとうはいらないんだよね。
単に大卒が当たり前になった時代の高卒を取りたがるところが少ないだけで。
学びの機会は多いほうが良いし、それ自体は一概に悪い変化とは言えないんだけど、こんな馬鹿らしい理由(の副作用)で東京に仕事が集中してるのはちょっとむなしいな。
6割は大学進学で都会に行ってそのまま都会で就職するんだから、こんなの田舎ではどうしようもないだろ。大学出たあと地元に戻ろうとしても、大卒がやるような仕事は役場くらいしかないんだから。
過疎化を止めたければ、田舎の高校生に「大学行くのやめろ、高卒で地元で就職しろ」「自分のやりたい仕事をやるな、親のやってる農業・林業・漁業を継げ」と指導するしかない。そんな田舎嫌だろ。
ガールクラッシュとかの「私は最強!どんなあなたでも世界に一人だけで尊重されるべき!逆風には負けない!私はいつも頑張るあなたの味方!」みたいなマインドは自己肯定感って個人的には思ってなくて。
失敗しても、一日中寝転がって何もできない日があっても、ご飯作る気力なくて冷蔵庫の中の鮭フレーク貪り食っても、まあそんな自分も自分だよな~って思う事が自己肯定だと思ってた。
多くを求めすぎない。他人と比べない。そこそこの大学を出てそこそこ名の通った企業に勤めてそこそこ給料貰えるなら別にこのまま特に目標とか夢なくても生きていけるだろう。そしてそんな凡庸な自分を受け入れる事こそ自己肯定感だって。
でも違った、とは今も思ってないけど、自分の思う自己肯定感ってのは諦めでもあるなと思ってしまった。
目標を決めなければ目標が達成できなかったことにはならない、みたいな。
夢を語らなければ夢が破れたことにはならない、みたいな。
けどある程度大きな事語って、何かしらもがいてみて、結果自分に何も残らなかったとしても、それでもなお自分は自分だと受け入れるみたいな過程があってもいいんじゃないか。
かのラップモンスターさんも「お前のBIGな夢は何?」ってガン飛ばしてきたわけだし。
夢だけ持ったっていいでしょ?ってかの嵐さんも言ってたな、そういえば。
失敗した時の想像ばかりして気持ちを慰めてた自分にはちょっと難しいけど、将来の夢を考えてみたいんだ!
と、今日だけの決意かもしれないけど、書いてみる。声に出す。
三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれた。
葉渡賢治が12,375票で1位、みつはきゅんが265票で2位、みっちゃんが76票で3位だった。みつはきゅんが三ツ葉市のゆるキャラに最もふさわしいと思ったので、葉渡賢治はみつはきゅんに投票したが、選ばれたのは圧倒的に葉渡賢治であった。そんな馬鹿なと思った。だいたい葉渡賢治は三ツ葉市のゆるキャラに立候補していない。しかし、それを言うならみつはきゅんもみっちゃんも、第4位の葉っぴぃも自らの意思で立候補したわけではないから、異議を申し立てる根拠としては不足しているだろう。第2位のみつはきゅんは緑色がイメージカラーのアニメのヒロインのようなキュートなキャラクターであった。第3位のみっちゃんは二頭身にデフォルメされた中性的なキャラクターで頭部に三箇所結った髪が三枚の葉っぱのように見える。第4位の葉っぴぃはギザギザの葉っぱが特徴の植物が地雷系ファッションに身を包むキャラクターであった。葉渡賢治は葉渡賢治だった。葉渡賢治38歳。三ツ葉市立三ツ葉第一小学校、三ツ葉市立第一中学校を卒業、三ツ葉市立三ツ葉高校入学・卒業、三ツ葉市立三ツ葉経済大学入学、大学卒業後は三ツ葉市の老舗和菓子屋・三ツ葉堂に就職、3年前に看板商品である三ツ葉大福製造ラインの責任者に就任、で今に至り、三ツ葉市のゆるキャラに就任。
市の命令で、葉渡賢治は市役所から徒歩10分の場所にある8畳1Kのアパートに引っ越しをすることとなった。他の自治体では大抵のゆるキャラは市役所の倉庫に押し込められているので、専用のアパートを与えられることはゆるキャラにとって異例の待遇である、と市の観光課の人間は言った。これまでは6畳1Kの部屋で生活をしていたので、わずかにグレードアップしたことになる。普通ゆるキャラはクルマを運転しないだろうし、ゆるキャラが交通事故で人を轢き殺すなどすればそれは前代未聞の事案で、どのように対処すればいいのか誰にもわからないので、リスク管理のためにクルマは売却が推奨され、それに従った。引っ越しとクルマの売却に伴って勤務先である三ツ葉堂への出勤が困難になったため、退職した。
就任式には何を着て行けばいいのかわからず、葉渡賢治はスーツで行った。市役所の3階。「それでは三ツ葉市の新キャラクター、葉渡賢治38歳さんです、拍手でお出迎えください」と女性の司会役が言い、俺が入室する手筈になっていた。葉渡賢治のゆるキャラとしての名前は、本名の他「38歳」まで含まれているのだと葉渡賢治はこの時に知った。つまり「葉渡賢治38歳」がキャラ名である。来年とかどうするんだろう、と思った。葉渡賢治は拍手で出迎えられ、ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿がみなさんにお披露目された。ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿というのは、この場合、スーツ姿の葉渡賢治のことである。昨日は髪を切り、家を出る前に入念に髭を剃り、ヘアオイルを付けて髪を乾かし、化粧水を顔に塗りたくるくらいのことはしたが、葉渡賢治が葉渡賢治であることには変わりなかった。
思ったよりも厚みのある会場の拍手の音で薄々気付いてはいたが、おびただしいカメラのフラッシュに意表を突かれた。葉渡賢治を見に来ている人がたくさんいた。マスコミとかだろうか。フラッシュの眩しさにしかめっ面になりそうになったが、そうだ、俺は三ツ葉市のゆるキャラなんだと思い出し、できるだけゆるキャラとしてふさわしい振る舞いをしようと心掛けた。少なくともゆるキャラはしかめっ面はしないだろう。そんなゆるキャラを葉渡賢治は見たことがなかった。三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれてからというもの、葉渡賢治はゆるキャラの勉強に余念がなく、大抵のゆるキャラの顔面にはうまく言語化できない愛嬌があることを発見していた。だから、葉渡賢治は笑顔とも微笑みとも無表情とも言えない、強いて言えば、いつも行っているラーメン屋でいつも通りの醤油ラーメンAセットをオーダーする時の表情(よく観察するとわかるが、殆どのゆるキャラはこの表情をしている)をして、大量のフラッシュをやり過ごした。
会場は大きな多目的室のような場所で、皆の衆目が集まる正面に、緑色背景に白抜きで三ツ葉市と書かれた市松模様の大きなボードが聳え立ち、その上に「三ツ葉市 ゆるキャラ就任式」と書かれた横断幕が設えられている。簡素な作りではあったが、今日の葉渡賢治のために用意してくれたかと思うと率直に感謝の念が溢れた。市長は既に市松模様の大きなボードの前面にいて、登場した葉渡賢治に手を差し伸べ、我々は握手をした。市長の手は大きくて温かく、焼き立てのパンのようだった。フラッシュが一層大きく焚かれる。醤油ラーメンAセット、醤油ラーメンAセットと葉渡賢治は念じて、パンのことはひとまず忘れた。マイクを持った市長が司会に促されて喋り始めた。
「えー、葉渡賢治38歳さん、今日からあなたは我が三ツ葉市をより一層盛り上げる存在として、大いに期待していますし、市一丸となってその活躍を後押しをしていきたいと考えています。よろしくお願いしますね。さて、三ツ葉市を躍進していく政策としては三枚の葉っぱがあります。昨日考えました。一枚目は教育。日本に誇る三ツ葉市立三ツ葉経済大学。ね。これがその大きな役割を担い、地域経済をますます活性化して行くでしょう。すごいですね。二枚目は産業。三ツ葉堂の三ツ葉大福がブランチで何回取り上げられたか知ってます? それはもうね、何回も取り上げられてるんですか? 三ツ葉市ってのは交通の要所ですから、お土産もたくさん売れるってもんですよ。ね。そして三枚目。それがこのゆるキャラですよ。これから、はま……、は……、はわ……、はわたり、けんたろう、だっけ? そうそう、あはは、ねぇ? ってーかビシッとスーツで決めちゃって、ゆるキャラなんだからゆるい格好でよかったのに。パーカーとか。あ、でもゆるキャラはパーカー着ないか。ね。誕生日いつ? いま何歳? あーね。そうそう、歳とったら名前の歳も一歳増やして、葉渡賢治39歳になるから。直木三十五みたいで格好いいだろ? あ、どうせなら漢数字にする?」
市長の演説が終わると、委嘱状が授与された。市長から確かに委嘱状を受け取った。酔っ払っているのかなと思ったが、その挙動は素面のそれで、特に酔っ払っているわけではなさそうだった。額縁に入っていて重みがあった。正面にそれを掲げるとたくさんのフラッシュが焚かれた。やがてマイクが手渡され、司会者が「葉渡賢治38歳さん、意気込みをお願いします」と言い、葉渡賢治が喋る番になった。何を言うべきか迷ったが、「大好きな三ツ葉市を盛り上げて行きたいと思いますので、よろしくお願いします」と言って礼をしたところ、隣の市長が「君、ゆるキャラってのは喋らないんだ。喋ってるゆるキャラを見たことがあるかい?」と耳打ちし、うっかりしていたと思った。「何かそれっぽいポーズでもしておきなさい」と市長は続け、俺はとっさに左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたそれっぽいポーズをした。会場からは笑い声が漏れた。俺のゆるキャラとしてのコミカルさが会場の笑いを唆したのであれば、ゆるキャラとしての初めての仕事としては上出来だろうと思われた。やがて葉渡賢治は音楽に合わせて「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を踊った。ワルツだった。式典の最後で披露するから覚えてきてくれと言われていたやつで、おそらくこれも上出来だった。キャラソンで三拍子の音楽はあまりないように思われ、攻めてるな、と思った。左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたポーズでダンスを終えた時、会場に迎えられた時と同じくらいの拍手の音が鳴った。
俺はこれからゆるキャラとしての自覚を持った暮らしをしていくことになる、と葉渡賢治は思った。給与は前職のものが引き継がれ、家賃は半額の補助が出る点も同様だったから、ひとまずは生活には困らないことになっていたのは幸運であった。おそらくゆるキャラはコンビニ弁当を買って食べないから、しっかりと自炊をすべきだろう。三ツ葉市を後押しするキャラなわけだから、肉よりも野菜多めの生活がいい。ゆるキャラにサプリメントを摂取するイメージはないが、活動を下支えする健康のためには取り入れるべきかもしれない。アルコールはこの際やめるべきだ。タバコはそもそも吸っていないが、タバコの原材料は葉っぱなわけで、敢えて喫煙を始めたほうがいいだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだ。タバコをスパスパ吸っているゆるキャラがどこにいる。夜は早めに寝て、朝は早めに起きたほうがいい。過度な筋トレはゆるキャラとしての外見を毀損するから、きっと避けた方がいいだろう。どちらかと言うと、ご飯をもりもり食べて丸々と太った方が愛嬌が出るだろうな。
初めての仕事は就任式から4日後の葉渡マラソン大会であった。パーカーを着て行った。一ノ葉町、二ノ葉市、三ツ葉市、四ツ葉町を合わせて葉渡地区と言い、一ノ葉町のいちかてゃ、二ノ葉市のにのの、三ツ葉市の葉渡賢治38歳、四ツ葉町のよもぎんが会場に来ていた。よもぎんを見るのは久しぶりだった。実は俺は小学生の頃、隣町である四ツ葉町のお祭りに行った際にたまたま会場に来ていたよもぎんを友人と共にふざけてボコボコにしたことがある。よもぎんはよもぎ団子を模した緑の丸いキャラクターで、そのふくよかな見た目は子供たちをして、体当たりをしてくれ、サンドバックにしてくれと言わんばかりのように思えた。よもぎんは複数の子供たちにもみくちゃにされながれも笑顔を保っていて、それが更に子供たちの加虐心を駆り立てた。子供のやることだったし、よもぎんは丸くて厚い「側」に覆われていたように思われたので、死活問題になるようなダメージはなかっただろうが、いま思えばむごたらしい仕打ちをしたものだと思える。
葉渡マラソン大会の会場にはキッチンカーなどが集まり、老若男女大勢の人で賑わいを見せた。マラソン大会という名のお祭りであり、我々ゆるキャラは集客のための賑やかしだろう。俺はランナーに手を振ったり、子供たちと触れ合ったりしながら、かつてのよもぎんのように四方八方からボコボコにされやしないか懸念していたが、杞憂であった。かねてより思っていたことであるが、最近の若い人は礼儀正しくて、思いやりがあり、優しい。「本当にリアル葉渡賢治だー」などと子供たちは言い、俺は求められるままに子供たちと握手をしたりした。
ひとしきりの子供たちが離散すると、大きな丸い物体が視界に入った。俺の記憶にある若々しい新緑のよもぎ色ではなく、数年に渡って浴び続けた太陽光線で色褪せ、汚れや黒ずみが目立つ、言われれば確かによもぎ餅かもしれない、という物体であった。側面にはわずかにへこみがあり、これはあの時に俺が蹴りを入れたへこみだろうか。よもぎんは俺の眼前に佇み、俺を見つめていた、気がした。実際のところは俺を見つめていたかどうかわからない。たいていのゆるキャラにはどこを見ているのかよくわからないようなところがある。何か言いたげなようにも思えたが、やはり実際に何か言いたいかどうかはわからなかったし、そもそもゆるキャラは喋るべきではなかった。やがてよもぎんは去っていった。俺の目は確かによもぎんの背を見つめていたが、何を思えばいいのかまではわからなかった。
葉渡賢治39歳は全日本ゆるキャラグランプリで審査員特別賞を受賞し、その名を全国に知られることとなった。同年、地上波テレビに初出演。つぶあん同盟という深夜番組で、芸人さんが1〜2分程度のネタをする番組だった。葉渡賢治には人を笑わせるようなネタがあったわけではないが、「おまかせで」というオファーを頂いていたので、三ツ葉市のPRをし、フル尺でオンエアされた。SNSや動画サイトでも切り抜かれて大いに拡散し、コアなお笑いファンを中心に話題になった。三ツ葉市は葉渡賢治のテレビへの出演オファーは全て受け入れ、それとは別にインターネット動画配信も精力的に行い、着実に人気を獲得していった。葉渡賢治39歳のグッズが制作され、三ツ葉駅で販売された。特にアクリルスタンドは好調な売れ行きのようで、葉渡賢治39歳を前面に押し出したパッケージデザインに刷新した三ツ葉堂の三ツ葉大福は前年に比べて売上が約25%向上したとのことである。
葉渡賢治40歳は全国を飛び回る多忙な日々を過ごした。市のPRのみならず、県や地方の宣伝にも駆り出された。グッズは39歳のものから40歳のものへ刷新され、商品数を増やしたこともあり、売上金額を更に伸ばした。アクリルスタンドの他、クリアファイル、Tシャツ、トートバッグは特に人気だった。終売となった葉渡賢治39歳のグッズはフリマアプリでプレミア価格で取引された。
葉渡賢治41歳は全13話で深夜アニメ化され、毎週のようにSNSでトレンドに浮上した。これは葉渡賢治の声優デビュー作でもある。実は葉渡賢治40歳10ヶ月あたりで極東経済という雑誌が「なぜ葉渡賢治は40歳でブームが終わるのか?」という挑戦的なタイトルで記事を出し、かなりページビューが回っていたようで、このまま葉渡賢治は終焉に向かうかと思われたが、アニメが起死回生の立役者となったというわけだ。
翌年には葉渡賢治42歳のマンホールが市内に5か所設置された。これは葉渡賢治の聖地巡礼をする観光者への秘策であった。さすがにマンホールは毎年デザインを刷新するわけにはいかないから、葉渡賢治アプリのカメラで撮影するとARで葉渡賢治の現状の歳が浮き出てくる仕様になった。就任時に動画サイトに投稿していた「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」は葉渡賢治43歳4ヶ月の時点で1000万回再生を記録した。
葉渡賢治は45歳になり、葉渡賢治45歳になった。葉渡賢治45歳はアニメの時ほど多忙でもなく、しかしイベントに呼ばれればそれなりに盛況という、ライフワークバランスの取れた時期であった。できるだけ丸々とした愛嬌のある体型を維持しようとしていた葉渡賢治であったが、ここ最近は太りやすさを感じており、愛嬌のある体型をオーバーしているようであることが気になっていた。愛嬌とは丸々としていることであり、腹がだらしなく出ていることではないだろう。以前よりも頭髪が劇的に薄くなっているような気もしていた。
平日昼の帯番組「ひるとん」で、リリースされたばかりの新曲「三ツ葉にあつまれ!」のプロモーションのために生放送でダンスを披露することとなっていた。良く言えば安定、悪く言えば停滞していた葉渡賢治の人気を今一度ブーストするための満を持してのリリースであった。楽曲制作、MV作成、振り付けなど、「三ツ葉にあつまれ!」には潤沢な予算を投入したと聞いている。気合いを入れなければならない。
「さーて、今日は、三ツ葉市から特別ゲスト、葉渡賢治45歳さんが新曲を披露してくださいます。それでは聴いてください、「三ツ葉にあつまれ」です、どうぞ!」とアナウンサーが言い、スタンバイしている葉渡賢治の姿がモニターに映し出されたのが見えた。モニターに葉渡賢治の姿が映し出されたということは、生放送で全国のお茶の間のテレビにも葉渡賢治が映し出されているということだ。音楽が鳴り、葉渡賢治45歳は周りに従えたちびっこダンサーと共に踊り始めた。やはり子供の人気は不可欠とのことで、ダンサーは10〜14歳の男子2人、女子2人の4人であった。葉渡賢治の両隣に男女2人、後方に並んで男女2人という体制であり、葉渡賢治を合わせた計5人がステージで新曲を披露した。新曲の振り付けはデビュー作よりもテクニカルで、葉渡賢治の加齢と体重では踊り切るのが難しく、MV撮影時にはNGを出しまくり、現場はピリピリしていたように思った。葉渡賢治は醤油ラーメンAセットのことを考えながら生放送を踊り切ろうと思ったが、最近ではにんにくたっぷり餃子付きの醤油ラーメンBセットも気に入っており、迷いが生じた。曲の終盤、メンバー全員が2回転スピンを披露する箇所がある。2回転スピンとは、2回くるくるとその場で高速で回ることである。葉渡賢治はこれを苦手としていて、これがこの日最大の山場だろうと考えていた。
事件は起きた。いざ2回転スピンの場面になると、加齢、肥満、緊張など様々な言い訳はできると思うが、葉渡賢治は2回転目によろよろと右にバランスを崩した。葉渡賢治の右にはダンサー最年少である10歳の女性(本名非公開)が配置されており、不覚にも葉渡賢治は彼女に激突、葉渡賢治は彼女に覆い被さるように倒れ込んだ。この場面はSNSや動画サイトで切り抜かれて大いに拡散し、ネット民による数々の自発的な検証が行われ、「葉渡賢治の右手が女児の胸を掴んでいる」「葉渡賢治の唇が女児の首すじに触れている」「葉渡賢治の右膝が女児の脚と脚の間に入り込み、女児は開脚を余儀なくされている」「葉渡賢治の汗とよだれが女児の衣装に付着している」「葉渡賢治の息はにんにく臭そうである」「それ以降の女児の泣きそうな顔は見ていられない」「それでも最後まで踊り切った女児はプロ」「人生で一番気分の悪いものを見させられた」「葉渡賢治とかいうセクハラ野郎」「犯罪者」「消えろ」などという書き込みがあった。
どのゆるキャラにも否定的な意見は最低一つはある。養老塚市のよろよろには「どんくさい」、木宮町のきのやんには「アドリブが効かない」、千脈市のちーおには「正面を向け」など。しかし、彼ら/彼女らゆるキャラがいちいちSNSをチェックしてそれらネガティブな意見を閲覧して真に受けているようには思えないし、何しろ彼ら/彼女らにはゆるキャラという「側」が鎧のように装着されているように思われ、その無機質な「側」がダメージを吸収あるいは反発して無効化しているように葉渡賢治には思われた。その点、葉渡賢治はそれら誹謗を生身で受けざるを得なかった。葉渡賢治は葉渡賢治それ自体がゆるキャラだったからである。葉渡賢治はSNSはもちろん、ニュースサイトのコメント欄、匿名掲示板への書き込みなど、自らへの誹謗中傷を全てチェックした。なくなった仕事の退屈を埋めるように、まるでそれが葉渡賢治の仕事 Permalink | 記事への反応(1) | 17:38
tyhe 俺は知っているぞ。名古屋の民は名古屋に来て矢場とん行きたいと言われた時に他の美味い味噌カツを案内したくてうずうずしていることを。なんなら矢場とんに行ったことが無いことを。
四十ウン年間名古屋民やってるけど、うずうずしてないしそもそも味噌カツなんて名古屋人にとってそんな特別な料理じゃないんだよなあ。ソースにするか、味噌にするかだけの違いでしかない。
そこらへんのとんかつ屋で食うことはあるけど、トンカツに味噌つけただけの料理なんてどこで食ってもそんな大差ないよ。
矢場とんも言ったことあるけど、あそこは味噌カツがどうこうより味噌汁が赤味噌じゃないのがおかしいと思う。
うなぎはひつまぶしよりうな丼の方が好き派だが、うなぎの良し悪しはあるんで下手な店では食わない方がいい。それなりの店なら好みでしかないね。
個人的に言わせてもらえば、名古屋で本当に食べてもらいたいものはあんかけスパゲティなのよ。ピリ辛いコショウのきいたトマトベースのソースに太麺が最高にあう。
私は大学に入るまで、スパゲティといえばあんかけスパゲティをさすものだと思ってた。少数派として弁当に入ってるナポリタンと、喫茶店にあるインディアン。
大学に入って初めて他のスパゲティが存在することを知ったが、それでもあんかけスパゲティ以上のスパゲティはないな、と思っている。
上に乗せるのは個人的にはソーセージ系かフライ系をおすすめしたい。ミラネーズとかバイキングとかね。たまねぎとかの野菜系のものもあるけど、野菜の水が出てソースが薄まってしまっていまいちだと思う。でもそちらも人気みたいなんであくまで個人の感想です。
で、できれば鉄板。あんかけスパはあつあつが最高にうまい。火傷するぐらい熱いんで、熱いのが得意な人以外にはおすすめしない。私は毎回やけどしながら食ってる。
あんかけスパゲティは店によって結構味が違うんで、自分の好みのあんかけスパに出会う楽しみもある。私がよく行くのはチャオとドンキカフェ(旧ドンキホーテ)。チャオは鉄板があり、ドンキカフェはコショウがよくきいてて好み。チャオもドンキカフェも一応チェーンで、以前はたくさんあったのだが今は大分数を減らしてしまった悲しい。チャオはイオンとかのSCに時々入っている。ドンキカフェはチェーンなのにいまいちソースや麺の温度と具材の調理が安定しないという欠点があるのが残念。
20年ほど前から某大手カレーチェーンがあんかけスパゲティの店をはじめたが、こちらは結構独特な味で、まあ全然好きなんだけどちょっといつものあんかけスパゲティとは違うな、と思ってしまう。初めて食べる人にこれをあんかけスパゲティのベースだと認識されるのはどうなんだろうと思って薦めるのは躊躇してしまう。
そんなあんかけスパゲティの代表といえばヨコイだろう。私も学生時代に何度もお世話になった名店だ。だけど、こないだ名駅店で観光客に混じって食べたらぬるいスパゲティ出されて幻滅したね。昼時で客も多かったからか知らんけど、観光客にあんなもの食べさせてヨコイはあんかけスパゲティの代表として恥ずかしくないのか?と憤りを感じた。
流石に服と体は洗って靴も消臭スプレーぐらいかけているだろと信じてる元増田くん、愚かだねえ。
今は見合いなんて風習なくなったんだろうか。婚活アプリとか会員制クラブとか使うのか。
それで、俺の場合の概略を述べる。
当時34歳
身長170cm、痩せ型
++ヨメさんのスペック++
当時29歳
俺と同じ県の某市内在住
長女で、両親の世話をする可能性あり
妹は既婚で遠方に在住(すでに子どもあり)
身長164cm、痩せ型
+++共通する点+++
どちらも同じ県の生まれ
どちらも食い物の好き嫌いは少なく、酒を飲む
これは後から判ったことだが、家族親族にはギャンブル依存、遺伝病、犯罪歴のある者はいない。
まあ、こんな感じだが、むこうが俺をかなり気に入ったようで、積極的に攻められて、見合いから3か月後ぐらいに結婚した。今から思うと、やっぱり女のほうからグイグイ攻めないと、話はまとまらないと思う。特に俺みたいな優柔不断な男の場合は。
ヨメのほうは、当時としては年齢的にはあせる時期で、将来的に親の面倒を見るのは、かなり不利な条件であると思っていたようだ。それに、当時の女としては学歴が高すぎて、釣り合う相手が少ないという事情もあったかもしれない。それにしても、こっちの収入が心配じゃなかったのか、今でも不思議だ。
結婚後のトラブルの9割は、双方の家族、具体的には親の問題なのだ。俺の父親は、説明不能なトラブル人間で、それを母親、兄、兄嫁が支えていた状態。スペックのところで書いたように、遺伝病もギャンブル依存も無いが、それと同じくらいのやっかいな人間だ。
ヨメのほうの両親も、いろいろ問題がある。これも犯罪歴とか詐欺とか新興宗教にからむ問題ではないのだが、やはり身内にしか判らないトラブルがあったわけ。
しかし、これ、現在の婚活クラブとか婚活アプリでは、判らない問題だと思う。勢いで結婚して、なんとか家庭を作った後で生じる問題なのだ。
今の若い衆が、結婚したくない、家庭を持ちたくない、ってのも実はこの家族の問題が大きいのじゃないだろうか。どうですか?
これも、事前には判らない。家族の病歴とか、血液検査の結果とか、健康診断の結果とかを、相手に出させるわけにはいかないでしょう。(あるいは、現在の習慣として、そういうデータを交換しているのか?)
俺たち夫婦も、けっして健康で体力抜群とは程遠い体質で(さらに運動音痴で)、今までいろいろ問題があった。しかし、これも事前には判らんよな。
今の若い衆が、やたらと顔やボディに注文つけるのも、実はこの体力と健康度を見ているのかもしれない。俺のまわりの連中でも、早く結婚したやつらは、心身ともに健康なやつらが多いもん。20歳前後のパートナー獲得合戦ってのは、実は健康なオス・メスを見つける行動なのかもしれない。俺とヨメの婚期が遅れたのも、実は、はっきりと表に出ない健康度の競争に敗れた結果かもしれない。
さて、現在、しみじみ思うのは、今のヨメと結婚してよかったってことだ。あの見合い後の1か月ぐらいの期間に、ぐいぐい攻められなかった、たぶん結婚していなかっただろう。だから、最初からすぐに結婚するという条件で付き合う見合いがよかったのだ。結婚してしまえば、多少の身体の不調や病気やケガは、なんとかなるもんだ。ちなみに、ヨメはなかなか妊娠せず、さらに一度流産している。その後やっと生まれ、すぐに二人目も生まれた(ぜんぜん避妊してなかった、アホですね)
だから若い衆も、収入がどうだとか、会社の規模がどうだとか、こまかいことにこだわらず、さっさと結婚しちゃえばいいんだよ。いやあ、結婚当時のヨメはかわいかったぞ。いっしょに、おそろいのパジャマ買いに行って、それを着て毎夜寝ていた。ミニスカのヨメといっしょに自転車に乗って鰻屋に行って、ビール飲みながらうな丼食ったりできるぞ。