はてなキーワード: 大受とは
顔の眉も化粧も、その栗色の髪もきちんと手入れされているのだが、どこか疲れている雰囲気だ。
女性は手元の錠剤を飲み、目を瞑った。
次に目を見開いたら、女性はかつての魔法少女の姿になっていた。
いや、かつての姿ではない。かつて魔法少女だった頃の服と髪型になっていたのだ。
ティーンにしか許されないフワフワのピンクとリボンで結ばれたツインテール。
キッツイな。そう思うけど、でもどこかしっくりもくる。
客にコスプレをしてみてよ、と言われてかつての姿に変身をしてみたのがきっかけ。
「なっつ!!!俺この魔法少女好きだったんだよ」大受けだった。
私がその魔法少女本人だよ、と内心思いながら曖昧に笑みを浮かべる。
「でも流石にその歳で魔法少女はキツいっしょw」分かってるわ。死ね。
というところまでさっき夢で見ました。
そこそこ面白かったので供養。
今更、バービー映画を見ました。あと批評サイトもいくつか読んだ。
時代遅れのフェミニズム映画だ、と言うことはさすがになくて、性別に限らず人種・体型・職業・疾患、さらには英語が喋れるかどうかにまで全般的に差別はいけないとする現代の(英米の)革新の流れをきちんと受け止めていると思いました。
ところで、そのように差別を解消していけば、元々は差別により恩恵を受けていた特権階層、例えばこの映画でいう金髪・碧眼で美人でグラマーな女性、つまりバービーが表す概念そのもの、はこれまで受けていた特権を剥奪されます。するとそのような過去の特権階級はこれまでより不幸になるのか。
そうではない、差別が解消され、個人が自分の思うように人生を選ぶことができるようになったとしても、人間は老いてゆき人生において必ずしもハッピーな感情ばかりあるわけではない、という点は変わりないが、そんな個人個人の人生は皆美しい、と肯定する、そんな人間讃歌の映画だと思いました。
つまり、これだけの革新思想に基づきながら、旧来的価値観であり保守的思想の権化であるとも取れるバービーを叩き潰そうとしない、否定しない、という着地点を取ったのが、私には心地よかったです。
「翔平くんはバットと___を買いました。」の空欄に「ボール」だの「グローブ」だの、たまに「現像液」だのを埋めるのが基本的な機能。
その延長で、会話の相手の自然なセリフを作成できるようにしたら、大受けした。
だから、(調整なしの生のAIなら)たとえば「氏ね」と言えば「お前もな」と返すだろうが、それが正しい答えだというわけではない。
まして、世間様の規範だのに合わせるようにごちゃごちゃと不自然な制限を入れてしまった状態では、自然な返答を作成しているとすら言えず、
単に、恣意的なルールでお返事しているだけのチャットボットでしかない。
中期の横市大受かったけど蹴った僕はどうしたらいいですか
Twitterを眺めていたら、藝大に受かったという報告を載せたツイートが流れてきた。
数年前の私なら、涙が出るほど悔しかった。その悔しさは、なんというか、落ちたからではなく、別の意味の方で悔しかった。
美大受験に夢を見ていた中3の頃、両親の望む高校は受けず、美大進学実績の多い高校に進学した。進学実績の資料通り、美術部には本気で美大受験を考えている人が沢山いた。居心地がよかった。絵を描いても馬鹿にされない環境が、私を天狗にさせたし希望を持たせてくれた。だけど、気付いてしまった。芸術を嗜む者たちは皆余裕があった。私以外、みんな笑顔で、お金のことはあまり考えてなくて、親も芸術に理解があって。まず、美大に行くには絵を学ぶ画塾に行くことが必要だと言うことも、絵の上手い笑顔の友人が教えてくれた。その子は親の勧めで、中学から画塾に通っていたらしい。私は芸術に大して興味のない家庭に生まれたバグ人間だったから、美大進学を応援してくれる親が存在すること自体、初めて知った。ただ純粋に「絵上手くなるぞ!」って気で来たのに、人生の課金され度が違いすぎて、そのギャップにびっくりした。その時から、画塾に行くこともできない、絵が下手で、情弱な自分のコンプレックスは増大し続けた。そんな私を哀れに思った美術の先生が、「ネットを使えば?」と提案してくれた。どこそこの美大に受かった生徒は、田舎で画塾に行けなかったからネットでデッサンのノウハウを学んだらしい。へー。じゃあ、やってみるか。と言っても、何を調べればいいのか、見当も付かなかった。馬鹿だったから。学びのないなかで描くデッサンは、段々と下手になっていった。もう当時の私は、精神的に疲れていたと思う。
親や祖父母、親戚の人まで、美大志望の私を散々馬鹿にしてきた。「絵を描くのは趣味でいいじゃないか。」「正直言って、あなたの描く絵上手くないよ。」「あの絵に使った絵の具が可哀想。」みんな笑っていた。私を中心にして、お酒を飲んだり、食事をしながら。すごく悔しかった。最初は、地元の美大に行こうと思っていたけど、志望校を東京藝術大学に変えた。一週間だけ通った画塾(親が受講費をケチったため)で、塾講師が「藝大も可能性あるよ。」と言ってくれたのも原因だと思う。友達と美術の先生だけは、私を応援してくれた。来たる受験日、私は呆気なく一次試験で落ちた。一次の合格発表が出るのは二次試験の前日、卒業式の日だった。遠方に住んでいた私は卒業式を捨て、もう東京に来ていた。ショックだったけど、浪人しようという決心もついた。
卒業式に行きそびれたため、後日改めて学校に行かなければならなかった。卒業証書を貰い、サッサと帰ろうと思った時、担任が一言。
「お前は浪人するのか?」
浪人します。と答えたら、説教された。「〇〇は藝大に現役で受かってるのに、お前は浪人したって受かる実力ないんじゃないのか?就職するなら手助けするからさ、考えなおそう。」
心にひびが入った。ずっと耐えてきたのに、涙が出そうだった。それでも、藝大は諦めきれなかった。
泣きっ面に蜂と言うが、不幸なことは立て続けに起こるもので、ある事件が起きた(人間関係のことなのでボカしておく)。いよいよ私の心は壊れてしまった。回復するまでだいぶ時間がかかった。正直、当時のことはあまり覚えていない。ただ、絵が描けなくなっていたのは覚えている。どうやっても描けない。似顔絵が描けなくて泣いている小学生の気持ちがわかった。あんなに芸術が好きだったのに、あんなにデッサンを描いたのに、あんなに画家の技法を真似したのに、たった数ヶ月描かなかっただけで0になった。ブランクがあっても、少しくらいは残っていると思っていたのに、下手くそなデッサンさえ描けなくなっていた。自分はそこまで才能なかったんだと自覚した。でも、そのおかげで諦めがついた。そのことを両親に伝えると、二人は藝大受験を諦めたことを喜んだ。事件のせいで、親にも迷惑をかけたし、選択肢のない私は、社会復帰することだけを考えた。今もリハビリ中だけど、いずれは就職できたらなと思っている。数年前よりはマシになったけど、悔しい気持ちはまだ残ったまま。
純粋に統計的な話をするなら、正規分布p(x) ~ N(μ, σ)に従うサンプルxをx≧αみたいな条件で切断したものは正規分布には従わないわな。
中心極限定理は根本的には確率的に振る舞う量を沢山和を取ると高次モーメントの効果が消えて正規分布に近づくという話なので、1サンプルである個体について何か言うものではないと思う。
知能とか学校とか社会階層みたいな話では、適当な条件で切断して集めてきた小集団に対してはその集団特有の基準で評価がなされるので、その評価の下ではその集団の分布は正規分布になるというのはあるだろうと思う。
東大入試問題をFラン大受験生に解かせたらほぼ全員0点だろうけど、東大生に解かせたらおおよそ正規分布になるだろう。それは条件付き集団に対して結果が正規分布になるように基準自体が設計されているからだ。
その場合「サンプル」とはテストの各問題のことであって、総合得点は当然各問題の得点の和なので、各問題の正当率が適度に確率的に揺らいでいれば和は正規分布に従う可能性が高い。
慶応行くor家を出て行く
の2択を親に迫られたってツイートが話題だけど、親に教育の義務があるのは子が中卒するまででしょ
なんで慶應以外(=Fラン大)のために塾代払って、高校の学費を払って、Fラン大受験させて、Fラン大への仕送りと学費を援助しなきゃいけないの?
我が子が慶応に行くってなら、私も応援したいし、お金はいくらでも出す。
どうしてもFラン大に行きたいなら、中学卒業したら働いて金貯めて、大検でも取って自分の金で行けばいいじゃん?
子どもがいたって自分のお金は自分の好きなことに使いたい。好きな服を買いたいし、海外旅行だって行きたい。医学部志望の下の子の夏期講習代だって削りたくない。
国が定める「教育を受けさせる義務」はちゃんと果たした。なのになんでそれ以上しなきゃいけないわけ?長男の高校とFラン大進学の援助はやりたい人がやれば?
と、流石にここまでは思ってない。が、長男(現在工業高校2年生)の学費の振込のたびに「払いたくないなー」とぶっちゃけ思ってる。今は駅弁大学の工学部を第一志望にしているようだが、模試の判定は良くてもC。三者面談のたびに、Dラン私大の工学部に変更しては?と言われる。毎晩ゲームして、1時間でも勉強すれば「疲れたなあ、夜食欲しいなあ」とチラチラ。小学生の次男の方がよっぽど勉強してる。多分駅弁は落ちるんだろうなー。
ゲーム中はヘッドホンして騒いでて毎晩(土日は明け方まで)うるさいし、たまに友達を家に呼ぶのも高校生ともなってくると家に知らんおっさんいるみたいで嫌だし、正直中卒で出て行って欲しかったよ。世間体はあるから大学までは面倒見るしかないけど、「慶應行かないなら出てけ」って言える親がちょっと羨ましい。
どんなジャンルの文章が来てもテストはほぼノー勉で無双していた。そこに書いてあることを読み取るだけなのに、周りがなぜできないのかがまるでわからなかった。
大学時代も、レポートが得意だったので一週間で10本はざらに書いていたし、国語の教員免許も取った。そしてプライベートではとあるネットサイトで小説を書いていてそこそこのお気に入りをいただいたり、ランキングに乗ったりと創作を楽しんでいた。
だが、社会に出て3年、一般企業に勤めることになった私は社会で求められる国語力がまるでないと悟った。
理解するまで人の倍は時間がかかる。そのうえ人から言われたことを整理してまとめる力もないので常にノートはぐちゃぐちゃしている。
さらに、何か話そうとすると言葉が出てこないので大変に語彙のない人間だと思われている。
まとめると、
ブルーピリオドとかいう地方格差経済格差ガン無視アニメを見たか?
ありゃ酷いぞ
まず予備校な
藝大の油画科は関東の三つの予備校が独占してる。すいどーばた美術学院、新宿美術学院、湘南美術学院、この三校だ。
データを出そう。
藝大油画の定員は55人。
去年の三校からの合格者はすいどーばたから14人、新宿から8人、湘南から10人
55/32がこの三校出身となる。半数以上だ。どう考えても異常な数値。
関東の美術予備校がこの三校しかないならまだ分かるが、関東にある美術予備校の数は20以上ある訳だ。
よーするに関東在住で前述の三校に通えなければ合格確率は減る。
次に予備校学費。主人公が通ってる予備校のモデルとされる新宿美術学院の学費は約51万。主人公は冬季講習も夏期講習も受けてたから年間で約70万の学費が掛かる。
予備校に学費を出せる親を持ち、都内一戸建ての家庭で、有名な美術予備校にも通える地域に住んでる、親ガチャ生まれガチャ大成功の人間なんだわ。
その上コミュ力も高くて頭もいい。
ブルーピリオドって漫画はな、生まれ育ちが大成功の才能ヤンキーが他の受験生をチートスキル「努力」で蹴散らす漫画なんだよ。
で、現実の話。
藝大志望者の現実はな、予備校の学費を出すために風俗行く奴とか、9浪しても受からん奴とか、絵を描く以外なにも出来ん、会話することすら怪しい自閉症ガイジとか、そんなんばっかだ。
八虎みたいに一年予備校に通うだけで藝大受かるなら地方の藝大合格者が数人しか居ないのはなぜだ?
努力なんてもんは皆やってんだよ。睡眠時間は三時間、風呂と便所と飯以外は常に絵をについて考えてる人でも、地方の貧乏人じゃ藝大に受からないのが現実なんだよ。
あれはなろう作品なんだ。
親ガチャSSRの才能ヤンキーが受かるという、あまりにも残酷な漫画なんだ
たまにいるじゃん「若い女性との関わり方が分からないからキャバクラで学んでる」って主張するオッサン。
アレが最悪な形で開花したのが金章噛奴なんだよ。
多分だけど普段通ってるキャバクラだと噛み跡つけると「光栄~~マジ光栄~~貴方様のお口に含んでいただけるなんて感激~~」とか言われてたんじゃないの?
それを「なるほどね、若い女の思考回路。完全に理解したね」と調子こいた結果今回の奇行が誕生した。
でもキャバ嬢は単にお金貰ってヨイショするのが仕事だから必死に言葉を紡いでお客さんの相手をしてくれていただけで、本当は「きっしょ……ありえねーでしょ……つうかコイツ口くせーな……匂い残ってるわ」と思ってたんだよ。
こういう話すると日本語通じないはてなーは「つまりキャバ嬢のせいってことですか^^火消しお疲れさまです^^^」とか言うんだろうけど、俺、そんなこと言ってないよね?
俺が言ってるのは「キャバ嬢が貰った代金の対価として上っ面のヨイショしたのを本気で受け取っちゃう痛い人がたまにいるんですよね」って話しかしてないから。
2chと一緒で「嘘を嘘と見抜けない人間が、キャバクラを通して若者心理を知ろうとするのは危険」って法則があるのかも知れないね。