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2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2023-12-05

多摩地域複数のPFAS汚染源か 市民団体井戸水を調査

立川市の浅い部分の汚染東側地域汚染に影響しているとした。このほか、国立市西東京市の浅い井戸でも比較的高い濃度のPFOSが検出された。

ベイグンノセイダから一歩後退したな

党派性を超えて、横田基地以外の工場産廃処分場フルボッコされるかどうか見もの

2023-09-29

anond:20230929014129

都下やで

まあ多摩地域なんて埼玉群馬と大して変わらんし東京とは言いづらいが…

2022-09-16

地方勤務の忌避感って何由来なんだろう?

俺はライブ行くから都内にいたいっていう理由がるから都内にいたい。

ただ、これは逆に言うとライブに飽きたり、好きなアイドル解散したりしたら、都内固執する意味は無いことになるし、実際にそうなったら地方配属になっても全然構わないと思ってる。強いて言えばペーパードライバーからそこだけは懸案事項だけど、車の運転なんてsyamuでもできるし少し復習すればすぐにできるようになると思う。

都内に限らず、特定地域にいないとできない趣味を持っていない人が配属先にこだわる理由はなんだろう?

いくつか考えてみたか意見がほしい

①見栄

これだとしたらそれなりに収入がないと配属先こそ都内でも23区内に住むのは難しいと思うんだよね。多摩地域埼玉千葉では見栄を張るには弱いと思う。念の為に言っておくとこれらの土地悪い場所だとは思わない。俺も多摩地域に住んでたことあるし。

都内しかないファッションブランドや珍しい飲食店に行きたい

これは俺も何となく分かる。ファッション飲食店に限らず、東京は何でも集まるしそれにこだわるのもわかる。俺がライブのために都内にいたいと思ってるのもある意味これの一種だしな。

ただこの基準だと大阪より甲府の方が東京に近いか甲府の方が配属先として好ましいことになるんだけど、本当にそうなのか?俺は甲府大阪なら甲府を選ぶけど、ここで甲府と即答するのは少数派だと思う。

2022-09-14

anond:20220912164713

俺も詳しくないけど

そりゃウクライナ側は細かく戦線を押してるから報道するとき地名が細かくなるよ。

関西軍が関東に侵攻。実効支配を強める』という過去ニュースに対して、今回は『東日本軍は多摩地域解放さら都市川崎を奪還した』みたいなもんよ。

2022-04-06

anond:20220406064256

多摩地域とかなら3万円台でもまあ住めるし事故物件で日当たりも悪いとかだと私鉄から徒歩5分で3万円とかあるけど

2万円はちょっと無理だよね

外国人に倣って8万円の部屋を4人で住むとかそういう方向が良さそう

2021-11-28

教え子の女子高生と「真剣に」交際していた男性教師が“クビ”になるまで 東京都懲戒処分がスゴい

https://www.fnn.jp/articles/-/276823

…って、「スゴい」のは東京都懲戒処分ではなく、こんな記事を上げてしまFNN社会部の方だと思うが。

しか記事を読むと、百歩譲ってその女子生徒が教え子だった時点で高校生だったならともかく、

「教え子」だった時点ではまだ義務教育中の中学生らしいし。

学校先生が、教え子と結婚する例は、決して珍しくない。卒業後、憧れの先生と再会し、恋愛に発展するのは、自然な成り行きとも言える。記者の周りにも、そういう夫婦存在する。」

って言われて連想するのは、高校の教え子が大学生社会人になってから再会するって場合だろうね。

この教師中学の教え子が高校に上がった途端に手を出してるから問題外

2016年、A子は中学校を卒業し、4月から高校に進学。その翌月ごろから、2人は交際スタートさせ、肉体関係を持つようになった。東京都教育委員会によると、2人は「相思相愛」だったそうだ。


多摩地域中学校に勤務する32歳の男性教師は、教え子の女子生徒A子と、私的LINEで連絡を取り合う関係だった。A子は、男性教師クラスの生徒ではない。教科担任をしている授業の“先生と生徒”に過ぎなかった。ただ、気になる“存在”だったのだろう。」

肉体関係以前にこの時点でアウトだろうとしか思えないが。特定の生徒を依怙贔屓して私的に連絡を取り合うとか教師失格でしょ。免職までするかはともかく、何らかの処分を下して当該行為をやめさせるべきだっただろう。

2021-11-21

anond:20211120163138

バブルとき大金かけて更地にしたのに、今でも空き地が目立つ多摩地域はやっぱりバカだなぁと思った

そういえば、平成合戦○んぽこをテレビでもちゃん最初から最後まで観てなかった

時間を作ろう

2021-10-05

無差別殺傷事件川崎市

なんでこんなにも川崎周辺で多いんや。

事件現場のもの川崎でなくても、犯人川崎とか。

いや、伝統的に治安素行よろしくない地域なのは重々承知してるけどさ。

いざ行ってみると想像より都心から近いし、何処にでもあるような郊外で拍子抜けする。

多摩地域神奈川の他の街、東京に隣接する埼玉千葉の街と何も変わらないのに。

狂人を生み出す特殊磁場か何かが発生してるとしか思えない。

2021-08-23

多摩格差是正するどころか格差を広げる小池都政

23区ばっか優遇してどうする気(特に渋谷

もう多摩地域だけ新しく県にしたほうがいいでしょ

これまでもこれから多摩23区格差は広がるだけ

2021-07-17

ぶっちゃけ地方都市」と「地方地方都市ではない地域」の格差も相当だし、

地方都市」と「首都圏」の格差も相当なのに、

東京実家がある」だけに焦点を置くのもすごくずれた言い方に感じるんだよな。

神奈川上流階級向け郊外住宅地実家がある層なんて、確かに都心育ちと比べたらいろいろあるのかもしれないけど、

それでも「地方民」からみたら実質都民みたいなものなんだけどなと。

千葉のうまれから文化に触れられなかったと主張する「首都県民」にも遭遇したことがあるけど、

一応千葉県内だけど下手すれば多摩地域のハズレよりも都心へは便利な地域に生まれ育ってそれを言われると、

地方民としてはなんだかなあと感じてしまう。

2021-06-12

anond:20210612174349

はじめまして

私は東急REIホテル吉祥寺に入っている保育園子どもを預けている保護者です。

6月4日に、東京都福祉保健局から東急REIホテル吉祥寺コロナ感染者の宿泊療養施設となる旨通知がありました。

コロナ感染から「家の近くにいたい」という希望があり、多摩地域宿泊療養施設を開設することになったこと、ゾーニングをすること、宿泊療養者には「ホテルの外には脱走しません」という同意書を書いてもらうことを理由に、保育園では安全安心運営可能判断した、とのことです。

私たち保護者は都の説明を受け、そもそも宿泊療養施設の利用率は低く 余裕があること、専門家の知見なしに「ゾーニング問題はない」としていること、同意書があっても脱走が現実に起きていること等を挙げて 反対しましたが、東京都福祉保健局の花本由紀担当部長から

「今まで地元住民から反対が上がっても宿泊療養施設を開設してきた」「開設にご理解いただきたい」と言われただけで、全く聞き入れられませんでした。

今回の説明会で不十分だった点、説明される旨事前に約束していたのに果たされなかった点を再度聞きたいため、

再度説明会を開いていただけないかと依頼しましたが、「今月下旬から受け入れを行う予定」「これは武蔵野市から要請でもある」「返答はペーパーを保育園に渡す」と言われました。

大事子どもクラスターの発生危険が眼前にある状態です。

ゾーニングは不十分で、(都の説明によれば)感染症の専門家および施設設備専門家図面を見たわけでもないのに、「安全安心」と断言されています

しかも、受け入れ開始は通知の2週間後です。

私たち保護者説明会でいくら声を上げても、東京都福祉保健局は聞き入れてくれてませんでした。株式会社東急ホテルズの運営担当部長は終始無言、吉祥寺東急REIホテル総支配人も「決定事項である」と言っただけです。

武蔵野市松下市長と面会したところ、松下市長が選定を承認した事実はありませんでした。

なお東京都事業であるため、武蔵野市承認必要ないそうです。説明会等で経緯を確認する限り、事業東急ホテルズ は武蔵野市へもテナントへも事前相談なく進めているんですよね。

とにかく時間がありません。

どうか、皆さまのお力を貸して頂けませんでしょうか。

2021-06-08

インターネットはもう町田の超絶雑語りをやるのをやめろ

以下雑語りです

https://bunshun.jp/articles/-/45917

市民として悲憤慷慨を隠し得ない

駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?

だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾ激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?

それに自由民権運動の話するならちゃん自由民権資料館に行って話聞いて来いよ

自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動テーマにした資料館はここと高知県自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場保護改装したものだ。

文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…

後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国相模国国境線境川だったってところまでやるべきやろ

あとは

・河口に日本一有名な陸繋島江の島がある

(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧河川国境線になった)

(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)

までの情報があった方が良かった

ラブホ街があるのは昔赤線だったから(市民内では割と有名)

小田急線はもともと南町田長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った

・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある

・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)

・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています

あと民権運動や水源問題町田神奈川になった理由本質じゃないだろ

多摩郡であったことだろ!!!!!!!!!

町田市は他の多摩地域と決定的に違う地域的特徴があります

多摩川荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子青梅三鷹等)か荒川流域(東村山清瀬武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系境川鶴見川の2系で、多摩川水系河川ほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ

多摩川欲しさに東京府三多摩合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ

なんで多摩郡になった理由をつつかないんですか?カス

町田神奈川扱いされるようになったプロセス

①なんか現町田市のあたりが多摩郡になってしまった

武蔵国である横浜川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった

③なんか多摩郡東京都移管された

インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け

解説

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府権力が及ばなかったのもなんか不思議

https://togetter.com/li/1285652https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由マジでちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨

町田揶揄される地位にあるのも一種奇跡だよ

中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題都心神奈川が大モメかまし挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された

絶対必然なんかじゃない

もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリー江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体包摂されていたかもしれないのだ

そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか

から答えるよ

「どうして町田東京都なのか」

未だに何もわからない

俺たちは雰囲気町田語りをやっている

市民は「町田神奈川ネタにマジになってるわけじゃないよ

飽きたんだよ

お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだって

それにステレオタイプ地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ

(前に町田関連のネタツイを自称リベラル共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)

本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田ちゃんと向き合え

ネタ町田神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測物事を語るな

あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅鶴川駅もそうです

にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いすバスを見たか町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか谷底美術館収蔵品を調べたか?ジョルナエレベーターボタンを押したのか?何もしてない

これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる

からどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい

限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境テーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている

町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館改装した建物から木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町地名の由来は一般通過木曽義仲

とにかく春先にあの戸場谷戸尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。

お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから







あとがき

https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手

注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城上谷戸は有名。

追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います

2021-05-29

anond:20210529033452

今数えたら違ってるやんw

東京都(とうきょうと、英: Tokyo Metropolis)は、区部(23区)、多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)および島嶼部(2町7村)からなる。

2021-01-06

GoogleAI予測から算出すると東京では1/29頃から死体袋が積みあがる

東京都全体の死因別の死亡数・死亡率(平成14年~令和元年)>

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/smph/kiban/chosa_tokei/jinkodotaitokei/tokyotozentai.html

令和元年の総死亡数:120,870

内(インフルエンザ:851)

 (肺炎:8,158)

これを365で割って、1日当たりの平均死亡数とする。

令和元年の総死亡数:331.2/日

内(インフルエンザ:2.3/日)

 (肺炎:22.4/日)

仮にインフルエンザと通常の肺炎コロナ対策で今年は0であるとすると、コロナ以外の死亡数は 306.5/日 となる。

東京都火葬場の稼働率だが、以下を参考に算出するとおおよそ平均60%程度と思われる。

<第4章 近隣火葬場の現状と新設・改修計画及び外部受入れの状況について>

https://www.tama-100.or.jp/cmsfiles/contents/0000000/470/4.pdf

※7ページ目に稼働率表あり

多摩地域近隣かつ平成25年データ

総死亡数331.2人/日で稼働率60%とすると、552人/日で稼働率100%=パンクとなる。

コロナ以外の死亡数を前述の通り306.5人/日とすると、コロナでの死亡が「245.5人/日」を超えると火葬場がパンクする。

GoogleAI予測東京都の死亡者予測は以下の通りとなる。(※1月6日現在の数値を転記)

<COVID-19 感染予測(日本版)>

https://datastudio.google.com/reporting/8224d512-a76e-4d38-91c1-935ba119eb8f/page/ncZpB

1月28日 236人

1月29日 292人

1月30日 360

1月31日 438人

まり1月29日から火葬できない死体が積みあがる

2020-08-10

anond:20200809073838

自分イオンしかない地方絶望して東京にやってきたクチなので、やっぱり東京の方がいいな。イオンに無くて困るものって相当あるし(自分料理趣味から特に)。

あと、東京的な店と地方的な店が両方ある多摩地域地方出身者にマジおすすめ

2020-07-07

多摩地区で生まれ都心生活してる人間だが、東京都心部と多摩地区経済格差がそんなにあるとは思わない(一部の富裕層が住んでるのは都心だけど、ぶっちゃけマジョリティである中間層生活レベルはどっこいどっこいであるという感触)

経済格差都知事戦に影響をあたえたという理論にしがみつくのはたぶん都心部にしか住んだことのない人間だろう

しろ私が思ったのは、都心部の人間はやはり東京=都心部という言葉の使い方の意識生活してるっていうことにこの認識ギャップ存在するんじゃないかということ

都心部の暮らし23日の外では、微妙生活スタイルが異なってることは都政においてかなりクリティカルポイントだと思う

たとえば東京に住んでたら車は要らないよという言説があったとして、都心部の人間は当たり前のように肯いてなんとも思わないだろうけど、吉祥寺以西に住んでる人間都心の奴らが東京主語適当言ってんな〜と思うだろう

小池百合子都知事になったときマニフェスト多摩地域格差ゼロというのがあった

それが達成されてるかといわれるとハッキリ言って実感も何もないのだが、都心以外にも目を向けているというアピールをしっかりしていたと記憶に残ってる候補者は前回からずっと百合しかいない

から23区外の層の百合子支持が高いのは別に不思議なことじゃないかなと思う

2020-04-11

都心に比べて多摩地域感染者が少ないのは街の集密度が低くて人と人の距離が取りやすいか

2020-02-23

東京都出身の人もかなり訛っているのではないか

東京都多摩地域で生まれ育った自分長野県引っ越して感じたこである

例えば

「しない」→「しねー(よ)」

「言わない」→「言わねー(よ)」

「くさい」→「くせー(よ)」

などの「あい」が「えー」という崩れ方をする人が東京都では非常に多かったのに対し、長野県では少ない気がする。 

「するから」→「すっから

「知らない」→「しんねー」

「〜でしょ」→「〜じゃん(ね・か・よ)」

「やるので(から)」→「やるんで」

「やったので」→「やったんで」

これらの話し方も、長野県ではあまり聞かないように思う。

私が全国共通若者言葉だったと思っていたのは、東京方言(というより多摩方言?)だったのだろうか。意見キボンヌ

追記

非常に東京的な話し方を思い出した。

「すんじゃねーよ」

「すりゃ(ー)いいよ」

「来んじゃねーよ」

2020-01-09

anond:20200109224748

多摩アニメ制作が盛んなので、アニメ会社の多い武蔵境とか東小金井とかはどうだろう。県予算アニメ制作に補助をつけ代わりに多摩地域舞台にしてもらい、アニメを視聴した人に聖地巡礼をしてもらったら地域も儲かる。

2019-02-04

多摩地域の杉人工林

60,000ヘクタール

少量花粉杉への植え替え事業

年間30ヘクタール


植え替えではなく火を点けろ

燃えろ燃えろ

2019-01-07

冬休み自由研究として増田についてまとめてみた

増田はてな匿名ダイアリー俗称。また、文脈によってはサービス利用者投稿された記事意味する場合もある。特定人物名前ではない。

曽田増田から土部を除いたもの。土部が取り除かれることで、増田から土臭さがなくなり、垢抜けた存在となる。逆説的に増田は土臭い存在であることになる。

増太:「ますぶとり」と読み、増田の見すぎによる運動不足を原因とする肥満。増太が疑われる場合は、今すぐLANケーブルを引っこ抜くかWifiをOFFにすることをおすすめする。

増犬:増太の誤字。

増多:増田が増加している状態増田単細胞生物なので刺激を与えると分裂、増殖し、この状態に至る。刺激を与えず放置することで減少するという研究結果が報告されている。

増唾:「ますつば」と読み、信憑性に乏しい内容の増田を指す。

増打:「ますうち」と読む。増田名物キャラクター総出演のタイピングソフトウェア

増墮:「ますおち」と読み、別のSNS匿名掲示板などから増田移住してくることを指す。匿名であるが故に客観的に増墮を観測できることは稀であり、インターネット上での増墮の自己申告は増唾である

益田:「えきだ」と読み、稀に投稿されるためになる内容の増田を指す。「増田」の誤字であるという説もあるが、近年の研究ではこの説は誤りであるとされている。

横田東京都多摩地域中部にある軍用飛行場である

減田:増田の反対の存在、つまり増田でない人を指す言葉で「へるだ」と読む。ちょっとかっこいい。

2018-06-07

「負のバブル化する東京圏」に未来はあるのか

狂気ゲリラバブル住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。

都市部地方格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。

東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然文化もあるような、勝ち組豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。

ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都だって2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。

東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗交通網の多い郊外下町地域の方が住むにはい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線西側治安リスクインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情無視するのである

私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである

地域性がハッキリしているのが日本都市とは言われている。阿佐ヶ谷亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである

私は東海道線横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎横浜でさえも、既視感のある風景特別理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。

たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである

こういう場所で、このような社会問題連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである昭和裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。

大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。

しかし、2010年代くらいになると、地方しかなかったファスト風土光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困高齢化多文化共生などのあおりを受け、都市部繁栄の広がりは陰りをみせてきた。

オタクだったら池袋秋葉原関係池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化歴史多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。

じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定インフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉都市部もっとオーラを悪くした感じなのである昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。

限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。

2000年代の大阪と何も変わらないような環境なのである

しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップ葛藤するのである不都合現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。

でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷セクハラ常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性叫びネット上に飛び交う。

この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所オーラ改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たち放棄してはいけない。

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