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2024-04-03

ブレーメン音楽隊は名作である

昔話というものは大抵人生において必要な教訓が込められている。

そしてブレーメン音楽隊は短い物語でありながら多くの貴重な教訓が無理のない散りばめられた傑作である最近気づいたので挙げていきたい

はみ出し者にも希望はある

ブレーメン音楽隊はみな人間から役立たずと見なされ処分されようとしていた動物たちである

そんな彼らが幸せを掴む姿は社会底辺に生きる人間、居場所のない人間希望を与えてくれる

おそらく作者はユダヤ人などの被差別階級だったのではないだろうかと推察する

力を合わせることの大切さ

彼らも一匹だけではおそらく泥棒に立ち向かうなど出来なかっただろう

しかし、そんな彼らも4人で協力した悪党勝利を収めたのだ。

日本のさるかに合戦など小さな物達が家で待ち伏せして悪者を退治する昔話は世界各地にある

協力することの必要性は世界共通ということだろうか

老いからでも人生に手遅れはない

音楽隊メンバーニワトリを除いて年老いたが故に人間に疎まれ動物たちである

そんな彼らの物語老いから始まるのである

しろ老いたが故に自由に生きるチャンスを掴んだのだ

彼らの老後は若かりし頃よりも生き生きした物であるに違いない

最近松田聖子が62歳で中央大学法学部卒業したと報じられたが何かを始めることに手遅れはないのだ

自分意志で行動を起こすことの大切さ

彼らがなぜ幸せになれたか

それは自ら行動し人間の元から脱出たかである

途中ロバが死ぬ前にひたすら鳴くニワトリに対し

「そんなことしてるくらいなら俺たちと来い!」

と渇を入れる場面があるが、これは同時に行動を起こせず環境を変えられない読者へのエールでもあるのだ

悪事を働けば報いがある

勧善懲悪は昔話の定番だが、教訓の宝庫であるブレーメン音楽隊がこれを逃すはずがない

人生は思い通りにならないからこそ素晴らしい

この物語の疑問点として音楽隊ブレーメンに到着していないというのが挙げられる

しかし、彼らは当初の目的を何一つ果てせていないにも関わらず物語ハッピーエンドで終わる

正に人生塞翁が馬ということだろう

この話はどちらかといえば短い部類に属する

にも関わらず教訓の数でこれに匹敵する説話は他にないだろう

そしてブレーメン音楽隊はよく「何が言いたいのか分からない」」」、「どこが面白いのか分からない」などと酷評されることもある

それこそがこの物語の魅力なのだ

前述した教訓が遠回しに押しつけがましくない形で語られている

それゆえに一度読んだだけでは分かりづらく、繰り返し読み直すことでその魅力に気づきより好きになっていく物語となっている

皆にももう一度ブレーメン音楽隊を読み直して欲しい

2024-03-30

新人時代トラウマを思い出したので吐く

この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会トラウマを思い出したので書く。


新卒就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人派遣を行う人材派遣会社だった。

当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社看板も、営業網も使えていた。

それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。

からか、当時入社するプロパー入社式はそれはそれは華々しく行われていた。


いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。

プロパー新人記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。

派遣会社事務所から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。

簡単事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である

課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。

周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。

15インチスクエア液晶DELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。

当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。


それから数日して、プロパー新入社員挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月お盆明けからだが、と聞かされた。

何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。

すごいね

グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって

すごいね

そうして彼らプロパー新人新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。

忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というもの存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。

このように同じ職場メンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである

いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。


さて、この内容を何故標記増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったかである


時は流れて8月プロパー社員新人正式職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である

今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。

私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。

そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。

なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事必要から」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである

偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。

今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。


ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットであるもっと具体的に言うとこの増田はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。

そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。

みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。


さて、その後だが、元グループ本社ブランドが使えなくなり、営業から外され、元グループ会社格安で担っていた間接機能自分でやらなければならなくなり赤字に転落。

グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれプロパー社員ボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件改悪、激変が続く事になる。

当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単ビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。

同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社系列グループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社からではなく、他の派遣会社から人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社機能依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。

さら賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外EMSに出されるようになっていった。

しかし、プロパー社員派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。


ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラ黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である

そのタイミングで、元グループ会社本社最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。

そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社グループ内向け派遣会社であるからである


最後に、その後私がどうなったかを書かせてほしい。

かつて敷地内にあった派遣会社事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。

そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。

もちろん、断った。


会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業工場地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。

から自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。

さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。

そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足タイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。

引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社グループ本社吸収合併される事が決まった。

本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社正社員になることができた。神風が吹いたと言える。


そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢新入社員一年目が、悪夢ホテルでの夜が頭をよぎるのである

からみなさん、相手所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから

また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである

頑張ってほしい。

2024-03-06

願書出し忘れ事件、52歳の感想

俺は団塊jr、人多すぎ世代

37年前、私立併願が常識だった

私立を先に受けて合格したら少し難易度上げて公立チャレンジするか、妥当レベルにするか。

そんな駆け引きがあった。

 

高受の時、我が家貧困だった。

父親脱サラがほぼ失敗確定状態

両親ともに必死で働いていた。

 

ともかく私立受験させてもらえなかった、受かっても学費が払えない。

普通の家庭はそれでも念のために受験するのだが、公立一本が親の方針

 

私立受験日、受験しない子は登校させられて教室で待機

48人クラスで2人しか居なかった

 

私立を受けていないので公立は確実に受かる下の下の受験しか認められなかった。

 

俺は頭が良かった、中学でやらされたIQテストは相当スコアが高かったらしい。

しかし、そう、頭が良いのが欠点だった、俺は猛烈に怠惰人間だった。

勉強をしなかった、親は忙しくて干渉もしなかった

一切勉強しないのにテストは中の下は取れていた。

授業をたまに聞けば概ね理解できてしまっていた。

 

それがアホ高校に入ったのだからさら勉強をしなくなった。

なんとかなっちゃうんだもん、そりゃ世の中ナメる

 

アホ街道まっしぐら大学受験にも失敗し専門学校しか進学出来なかった。

父親事業バブル乗って起死回生お金もちになっており、

大学はどこでもOKだと、おせーよファック死ね

 

ともかく、なんやかやで今でも生きてるが

 

不幸か?

 

いいえ、毎日チョー楽しく生きてます

能力よりも下のところで生きるの楽でいいんだわ

2,3時間労働すれば周りと同じアウトプットが出せちゃう、器用だから

のんびり仕事してても人並み以上の所得

かわいい嫁と子供

ストレスとかねぇ、仕事楽勝すぎ

 

高校時代からの友人とは今でも親交が続いている

あぁこれが塞翁が馬かと

 

願書出し忘れで結果アホ高校バカ人生が良いと言うのではない

高校やその後の人生でどんな出会い経験があるか

そんなもんわからんじゃん

思い通りの高校に入ってたら、悲惨出会い経験になってたかもしれない

 

逃した魚は大きい、入るはずだった高校に入れなかった事件中学生にとって大きな人生ターニングポイント、転落の序章に感じるのもわかる

 

が、人生に大した影響は無い

 

アホはアホなりの人生だし

利口なら高校がどこだろうがどうにかなる

大した問題ではない

 

マスコミ大騒ぎしてるが、アホかとw

2024-02-01

anond:20240201133238

一時の高配当からあれだけ減配した海運三社すら今アレなので

正直「塞翁が馬」としか言いようがない

2023-09-22

anond:20230922013750

この人の知的覚醒とその後の成長の速さが凄くて圧倒されるんだけど、読書に目を開かれたきっかけが御本人のパニック障害だったというのが、なんというか、人生を感じさせるなぁ。

そういう辛い状況があったゆえに必死になって調べ物をして読書に目覚めたようなので、災い転じてというか、人生万事塞翁が馬というか、なかなか深いですね。

なんか人生希望を感じさせてくれる話でした。ありがとうございます

2023-06-22

テレビ局就活でいったことある

1次面接で落ちたんだけどさ

1990年代も終り頃で、インターネットが出てきて、ADSLがでてくる前

1次面接インターネットのすごさを語ったのを覚えている

その面接の前に試験があるんだけど、内容が本当に簡単中学生でもできる内容で、こんなのやっても差がつかないと思ってた

でも次の面接に行けたのは、同じ部屋でテストを受けた約100人の中では自分だけだった(受験番号?が、前後100人ぐらい飛んでたこから推測)

「これが学歴フィルターか!」

と思って笑ってた

1次面接で落ちたんだけどさ

今となってはテレビ局いかなくてよかったと思ってる

人生って塞翁が馬だよね

2023-06-20

anond:20230620004424

他人と同じことするのならする意味ない」

「避けられないなら楽しめ」

人生塞翁が馬

(´;ω;`)ワイにもおしえて、ほかにまだあったら…

2023-06-09

anond:20230609173809

優生思想はよくないよ。

それに、何が優れていて何が劣っているかなんて、分からない。

例えば、壁に穴を開けたり物を投げたり、動く物全てを攻撃する遺伝子があったとする。

今の世の中は「凶暴」「迷惑」なんてレッテルを貼られがちだけど、ウクライナ戦国時代みたいな社会になったら、むしろそういう行動をためらわずに実行できる人の方が勇敢で有能な戦士と見なされるかもしれない。

人間より大きな生物に襲われそうになっても、逆に相手を威嚇して、その遺伝子を伝える家系けが生存できるかもしれない。

人生万事塞翁が馬なんて言うよね。

色んな意味で、劣った遺伝子なんて考え方は間違いなんだよ。

様々な未来があるから、それに備えて多様な遺伝子を確保する方向で考えて欲しい。

2023-05-04

何とも言えない理由ストリートピアノ撤去されてしまった。

娘がよく利用していたストリートピアノ

何とも言えない理由撤去されてしまった。

そのピアノが設置されているのは某駅ビルカフェスペースで

そこまでにぎわってる感じではなかったのだけれど。

数年前にそこのマスター突発性難聴になってしまったんだよ。

ほとんど聞こえないってことで、店内にそういう張り紙をするようになったんだ。

そしたら塞翁が馬ってやつなのかな。

つの間にかその店が耳の聞こえないひとたちの

まり場みたいになっていて「良かったねえ」なんて話てたんだよ。

で、こないだ娘と久々にピアノ弾きにいったら、

周りにけっこうひとが居たんだけどもう本当に、ほぼ全員手話してるの。

正直「あれ~?」って思ったよね。誰も悪くないんだけど、ストリートピアノ意味が……。

案の定、後日撤去されてしまったらしい。

誰か、この何とも言えない気持ち名前つけて~。

2023-03-21

anond:20230321111633

あんなんでも当初は真面目に教師になろうとしてたんだからマジ塞翁が馬だよなぁ

2023-03-14

anond:20230314152105

俺のショッキングピンクの脳細胞が言うにだな



経済的理由などで分かれる事になると、後になって後悔するタイプだと思うで、今は現状を受け入れるしか無いと思うぞ。改善は無理。惚れた弱み。
改善する努力はし続けるべきだが、離れるのは無理。

ただしある日突然スイッチが切れたように離れることができるかも知れないし、どう見ても彼氏さん食わず嫌いなので、パチッとはまって働くようになるかもしれない。

学業本業が上手くいっているなら、人生万事塞翁が馬。今はそれしかない。ただし駄目になった時のプランは考えておいてね。

2022-12-28

anond:20221228002500

報道されたおかげでギリギリ3.11の直撃を避けて生存できた子もいるよ。人生万事塞翁が馬

2022-11-18

anond:20140912032910

元増田ですけどあれから苦節4年で結婚しました。

結婚4年目です。

毎日幸せ歴代記録を更新してます

あの日ボロクソ言われた悔しさを糧に頑張ったで。

すべてのはてなーありがとう&ざまあみろ( ˘ ³˘)♥

こっから追記

いま元増田読むとどう思うのか知りたい

価値観変わった?

あんだけキモいキモいとブッ叩かれてたからむっちゃキモいやろなーと思って今読んでみたら価値観労働やら性差やら)は大きく変わってなかったわ。表現の仕方?修辞?は読んでて恥ずかしなったけど。

当時は本当に視野が狭くて「この人逃したらワイは孤独死!!!」くらいのテンション気合い入れてたから、ダメだったときはほんまに堪えてキモポエム書くことでしか精神を保てんかったんや…。

ブコメするとしたら「言いたいことは分かるが事前のすり合わせやら妥協点を探る努力怠ったらアカンで。極論やけど誰かとしか結婚できない人より誰とでも結婚出来る人の方が強いし人生豊かやで。」かなあ。もちろん当時の俺には絶対響かんと思うけどな。

もう一個追記

メール粘着質なところが4年も前の増田を今も引きずってるところと余りに印象一致してて、証拠は無いけど絶対に同一人物なんだろうなって思いました。

8年前な。あんだけキモいキモい言われたら向こう2兆年は覚えてるわ。キモいのは自覚しとるが人から言われたらそら腹立つやろ。言いたい放題したあげく都合悪なったら「引きずってる」とは恐れ入る。あと元記事にも追記書いてるから証拠は有るで。

もう一個!

人生塞翁が馬であることを知っている我々はまた4年後を期待するのだ

みとけよみとけよ~

毎日Mリーグ見ながらサーモンランやったりして夫婦共にご機嫌やで。ほなまた4*n年後~。

2022-11-14

諺は慣用句に過ぎず「人生TIPS集」ではない

って小学校で教わってない人って結構多いのかな。

俺は小学校の時に教員が3回変わったけど3人とも「まあこんなのは使いやす表現ってだけだ。これが正しいってわけじゃねえよ。馬鹿が休むに似たりだからって考えるの辞めたらそこでもう人生終わりだから最後まで頭使えよ」みたいな話をしていたように思う。

でもそうじゃない人って結構いるみたいなんだよな。

「こういう諺にもある通り、つまりはそういうことなのだよ」みたいな言い方をする人が。

まり彼らが言うには「諺にもなるぐらい昔からよく合ったこなのだから、今だってまずそうなんだ」ということらしい。

いやそうでもないだろ。

人生万事塞翁が馬と言えるような転がり方をすることなんて珍しいし、七転八倒はしなければいけないって意味じゃない。

転んでもただでは起きないってのは性格の話であって、無理して利益を得ようとする人間の方がかえって痛い目を見たりする。

そういう感覚を持たず、「こういう名言があるらしい。つまり正しいようだ」という短絡的な思考でずっと生きている人がいる。

これぞまさに「休むに似たりだからと割り切って考えることを辞めてしまった馬鹿」という奴なんだろうかなと思う。

実際どうなんでしょうね。

結構いるんですかねそういう歪んだ教育を受けた人が。

2022-11-09

人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじ」と読むか「じんかんばんじ」と読むか問題

人間万事塞翁が馬」は、普通だと「にんげんばんじさいおうがうま」と読むが、それは間違いであり、本来は「じんかんばんじ」と読むべきである、という人々が存在する。「人間万事塞翁が馬」における「人間」とは、「人」を表す「人間(にんげん)」ではなく、人と人の間、つまり「世の中」を意味する「人間(じんかん)」を意味しているからだ、という主張である

この「塞翁が馬(塞翁失馬)」の故事は『淮南子』を出典とする。ただし字句としては「人間万事」も「塞翁」も『淮南子』には出てこない。ではどこからきたのかというと、中国の禅僧・晦機元煕の詩の「人間萬事塞翁馬 推枕軒中听雨眠」という一節からである。あるいは中国本土では王士端の「人間万事塞翁馬 只生歓喜不生愁」のほうが有名らしいが。いずれにせよこれらの「人間」は確実に「世の中」という意味で使われている。なぜなら中国語の「人間」に「人」という意味はないかである

ではやっぱり「人間万事」は「じんかんばんじ」と読むべきなのか、というとそういうわけでもない。そもそも、「世の中」という意味の「人間」は「じんかん」と読むべし、というルールがないかである

人間」の語源は「人の世界」「世の中」という意味仏教用語人間である。これは漢音で読めば「じんかん」となるが、仏教用語呉音で読むことが多いので「にんげん」という読みで広まった。実際、いまでも辞書で「人間(にんげん)」を引けば、「人の住む界域。人間界。人界。人間道。」という説明が載っている。

しかし、やがて「にんげん」は「人」そのものを指すように変化していったが、あまり使われていなかった「じんかん」は「世の中」を指す意味のまま残った。そういう流れなので、「にんげん」は人を、「じんかん」は世の中を指す、というような使い分けがあるわけではなく、「世の中」を表すのに「にんげん」と読んでもいいのであるが、それだと「人」という意味と紛らわしいので、敢えて「じんかん」と読むことが多い、という程度の話なのである

よって「にんげんばんじ」は間違いではない。もちろん「じんかんばんじ」が間違いというわけでもないが、多数派の読み方をわざわざ否定してイキる必要はないと思う。

2022-10-31

anond:20221031173707

ネットが無い時代だったらどうなってたかディスコに嵌って麻薬で身を持ち崩してたかもしれん。

万事塞翁が馬

2022-07-03

anond:20220703122755

これには共感できる。先々どうなるかなんてわからないし、人生万事塞翁が馬。無理して嫌々生きていると周囲の人間をも不幸せしかねないんだよなぁ。

2022-05-19

anond:20191010010736

正しい感覚だと思います時効から書くけれど、あれは本当にただの内部抗争です。

 

元々、日本テコンドー(以下、WTテコンドーと呼ばれる五輪種目の韓国側テコンドーの話。北朝鮮側ITFテコンドーというのもあるがここでは無関係)は

【1】 在日本大韓民国民団民団。会員数33万人の在日韓国人韓国系日本人の為の団体)が韓国本国からテコンドー師範を連れてきて、テコンドー在日コリアンを中心に広めた道場現在では日本師範日本選手も多数居るが、トップ韓国師範である事が多い。

【2】 日本テコンドー協会日本人のヤ●ザとか風俗雑誌出版社スポンサーについて作られた全日本テコンドー協会団体)が韓国本国からテコンドー師範を連れてきて、テコンドー日本人を中心に広めた道場韓国から来たテコンドー師範は既に帰国済みで、指導者日本人中心。

【3】 その他。(ソウル五輪を契機に流入してきた別ルート・あるいは独自韓国から若い師範来日して直接流入した道場など)

の3つの種類の道場がありました。

 

クーデター前の全日本テコンドー協会は【2】やそれに近い【3】の日本人を中心とした道場出身者が理事の多数を占めており、明らかな日本師範優遇で【1】や【3】の韓国師範露骨冷遇する風潮がありました。また、【3】の系統道場にいる日本師範も【2】には良い感情を抱いていない師範が少なからず居ました。

トップ金原会長は元々は【3】に属する道場関係者最初タニマチとして外から連れてきた人物なので、テコンドーに関しては完全に素人です。【1】や【3】の韓国師範としては良い感情最初から持ちようがない状態でした。勿論、選手達も同じでした。

 

そういう常態なので、【1】や【3】の選手代表に選ばれた場合日本代表監督として【2】の指導者が選ばれている事が多々あり、選手たちや【1】や【3】の師範達は不満を抱えていました。

代表選手達は自分達を日頃指導してくれる【1】や【3】の師範指導をして欲しいと考えていました。

そんな危うい状態で分裂したり色々揉めたりを繰り返しながら、東京五輪というビッグイベント開催直前になり、不満が爆発したのが先の事態でした。

【1】や【3】の指導者たちは【2】をテコンドーから追放して自分たちがその後釜になる事を狙ったのですが、

結局はJOCの介入によって喧嘩両成敗。全員悪かったという事で、【1】【2】【3】全ての指導者たちが理事の座から追い出されて、テコンドー外部の人間達で理事会が作られることになります

 

現在協会では、その組織図を見るに適切な人物が適切な役職についていると言えますので、「雨降って地固まる」といいますか「塞翁が馬」といいますか、

あの抗争に関わった全員が成敗された事はテコンドー界にとっては本当に良かったと思います

2022-02-08

生きるのを延長し続けていたら結婚していた

 東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。

 この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。

 経緯を増田簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。

 

 僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。

 いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。

 元々、どこから湧き出てくるか不明死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体自傷行為」なのである

 学生時代挫折絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。

 俺には、生きるためのタイムライン必要だった。

 趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。

 私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定からも愛されることは無かった。

 誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。

 婚活出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。

 いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しか手帳申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。

 処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度計算しようと誓った。

 いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。

 サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。

 「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。

 

 元職場上司菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞連続で当ったことも、一度や二度ではない。

 そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。

 そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。

 もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタ飼育もはじめようと思い付いた。

 

 そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事親友だ。

 それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。

 

 私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と

 

 

 文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。

 私は友人にとって特別存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。

 ここから先にあるのは、更に苦しく孤独未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。

 もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。




 さら文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。

 文章推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。

 私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。

 彼女は、「あなたファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなた人生責任を負う覚悟があります」と言った。

 だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャコミュ障傾向にあるが自殺願望希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。

 しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。

 人生塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。

 私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。

 死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。

 そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。

 そして妻の人生もまた尋常ものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまりネットの海から掬い上げられた。

 自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。

 妻は、私がナルシストニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。

 

 私は、自殺願望を抱えて暮らして長い。

 だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。

 一度「死ぬルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことな他人人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。

 だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。

 あのYouTuber配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。

 その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。

 そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。

 人間人間を救うことは出来ないけれど、それでも人間を救えるのは、人間しかいないので。

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