はてなキーワード: 地上波テレビとは
三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれた。
葉渡賢治が12,375票で1位、みつはきゅんが265票で2位、みっちゃんが76票で3位だった。みつはきゅんが三ツ葉市のゆるキャラに最もふさわしいと思ったので、葉渡賢治はみつはきゅんに投票したが、選ばれたのは圧倒的に葉渡賢治であった。そんな馬鹿なと思った。だいたい葉渡賢治は三ツ葉市のゆるキャラに立候補していない。しかし、それを言うならみつはきゅんもみっちゃんも、第4位の葉っぴぃも自らの意思で立候補したわけではないから、異議を申し立てる根拠としては不足しているだろう。第2位のみつはきゅんは緑色がイメージカラーのアニメのヒロインのようなキュートなキャラクターであった。第3位のみっちゃんは二頭身にデフォルメされた中性的なキャラクターで頭部に三箇所結った髪が三枚の葉っぱのように見える。第4位の葉っぴぃはギザギザの葉っぱが特徴の植物が地雷系ファッションに身を包むキャラクターであった。葉渡賢治は葉渡賢治だった。葉渡賢治38歳。三ツ葉市立三ツ葉第一小学校、三ツ葉市立第一中学校を卒業、三ツ葉市立三ツ葉高校入学・卒業、三ツ葉市立三ツ葉経済大学入学、大学卒業後は三ツ葉市の老舗和菓子屋・三ツ葉堂に就職、3年前に看板商品である三ツ葉大福製造ラインの責任者に就任、で今に至り、三ツ葉市のゆるキャラに就任。
市の命令で、葉渡賢治は市役所から徒歩10分の場所にある8畳1Kのアパートに引っ越しをすることとなった。他の自治体では大抵のゆるキャラは市役所の倉庫に押し込められているので、専用のアパートを与えられることはゆるキャラにとって異例の待遇である、と市の観光課の人間は言った。これまでは6畳1Kの部屋で生活をしていたので、わずかにグレードアップしたことになる。普通ゆるキャラはクルマを運転しないだろうし、ゆるキャラが交通事故で人を轢き殺すなどすればそれは前代未聞の事案で、どのように対処すればいいのか誰にもわからないので、リスク管理のためにクルマは売却が推奨され、それに従った。引っ越しとクルマの売却に伴って勤務先である三ツ葉堂への出勤が困難になったため、退職した。
就任式には何を着て行けばいいのかわからず、葉渡賢治はスーツで行った。市役所の3階。「それでは三ツ葉市の新キャラクター、葉渡賢治38歳さんです、拍手でお出迎えください」と女性の司会役が言い、俺が入室する手筈になっていた。葉渡賢治のゆるキャラとしての名前は、本名の他「38歳」まで含まれているのだと葉渡賢治はこの時に知った。つまり「葉渡賢治38歳」がキャラ名である。来年とかどうするんだろう、と思った。葉渡賢治は拍手で出迎えられ、ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿がみなさんにお披露目された。ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿というのは、この場合、スーツ姿の葉渡賢治のことである。昨日は髪を切り、家を出る前に入念に髭を剃り、ヘアオイルを付けて髪を乾かし、化粧水を顔に塗りたくるくらいのことはしたが、葉渡賢治が葉渡賢治であることには変わりなかった。
思ったよりも厚みのある会場の拍手の音で薄々気付いてはいたが、おびただしいカメラのフラッシュに意表を突かれた。葉渡賢治を見に来ている人がたくさんいた。マスコミとかだろうか。フラッシュの眩しさにしかめっ面になりそうになったが、そうだ、俺は三ツ葉市のゆるキャラなんだと思い出し、できるだけゆるキャラとしてふさわしい振る舞いをしようと心掛けた。少なくともゆるキャラはしかめっ面はしないだろう。そんなゆるキャラを葉渡賢治は見たことがなかった。三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれてからというもの、葉渡賢治はゆるキャラの勉強に余念がなく、大抵のゆるキャラの顔面にはうまく言語化できない愛嬌があることを発見していた。だから、葉渡賢治は笑顔とも微笑みとも無表情とも言えない、強いて言えば、いつも行っているラーメン屋でいつも通りの醤油ラーメンAセットをオーダーする時の表情(よく観察するとわかるが、殆どのゆるキャラはこの表情をしている)をして、大量のフラッシュをやり過ごした。
会場は大きな多目的室のような場所で、皆の衆目が集まる正面に、緑色背景に白抜きで三ツ葉市と書かれた市松模様の大きなボードが聳え立ち、その上に「三ツ葉市 ゆるキャラ就任式」と書かれた横断幕が設えられている。簡素な作りではあったが、今日の葉渡賢治のために用意してくれたかと思うと率直に感謝の念が溢れた。市長は既に市松模様の大きなボードの前面にいて、登場した葉渡賢治に手を差し伸べ、我々は握手をした。市長の手は大きくて温かく、焼き立てのパンのようだった。フラッシュが一層大きく焚かれる。醤油ラーメンAセット、醤油ラーメンAセットと葉渡賢治は念じて、パンのことはひとまず忘れた。マイクを持った市長が司会に促されて喋り始めた。
「えー、葉渡賢治38歳さん、今日からあなたは我が三ツ葉市をより一層盛り上げる存在として、大いに期待していますし、市一丸となってその活躍を後押しをしていきたいと考えています。よろしくお願いしますね。さて、三ツ葉市を躍進していく政策としては三枚の葉っぱがあります。昨日考えました。一枚目は教育。日本に誇る三ツ葉市立三ツ葉経済大学。ね。これがその大きな役割を担い、地域経済をますます活性化して行くでしょう。すごいですね。二枚目は産業。三ツ葉堂の三ツ葉大福がブランチで何回取り上げられたか知ってます? それはもうね、何回も取り上げられてるんですか? 三ツ葉市ってのは交通の要所ですから、お土産もたくさん売れるってもんですよ。ね。そして三枚目。それがこのゆるキャラですよ。これから、はま……、は……、はわ……、はわたり、けんたろう、だっけ? そうそう、あはは、ねぇ? ってーかビシッとスーツで決めちゃって、ゆるキャラなんだからゆるい格好でよかったのに。パーカーとか。あ、でもゆるキャラはパーカー着ないか。ね。誕生日いつ? いま何歳? あーね。そうそう、歳とったら名前の歳も一歳増やして、葉渡賢治39歳になるから。直木三十五みたいで格好いいだろ? あ、どうせなら漢数字にする?」
市長の演説が終わると、委嘱状が授与された。市長から確かに委嘱状を受け取った。酔っ払っているのかなと思ったが、その挙動は素面のそれで、特に酔っ払っているわけではなさそうだった。額縁に入っていて重みがあった。正面にそれを掲げるとたくさんのフラッシュが焚かれた。やがてマイクが手渡され、司会者が「葉渡賢治38歳さん、意気込みをお願いします」と言い、葉渡賢治が喋る番になった。何を言うべきか迷ったが、「大好きな三ツ葉市を盛り上げて行きたいと思いますので、よろしくお願いします」と言って礼をしたところ、隣の市長が「君、ゆるキャラってのは喋らないんだ。喋ってるゆるキャラを見たことがあるかい?」と耳打ちし、うっかりしていたと思った。「何かそれっぽいポーズでもしておきなさい」と市長は続け、俺はとっさに左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたそれっぽいポーズをした。会場からは笑い声が漏れた。俺のゆるキャラとしてのコミカルさが会場の笑いを唆したのであれば、ゆるキャラとしての初めての仕事としては上出来だろうと思われた。やがて葉渡賢治は音楽に合わせて「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を踊った。ワルツだった。式典の最後で披露するから覚えてきてくれと言われていたやつで、おそらくこれも上出来だった。キャラソンで三拍子の音楽はあまりないように思われ、攻めてるな、と思った。左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたポーズでダンスを終えた時、会場に迎えられた時と同じくらいの拍手の音が鳴った。
俺はこれからゆるキャラとしての自覚を持った暮らしをしていくことになる、と葉渡賢治は思った。給与は前職のものが引き継がれ、家賃は半額の補助が出る点も同様だったから、ひとまずは生活には困らないことになっていたのは幸運であった。おそらくゆるキャラはコンビニ弁当を買って食べないから、しっかりと自炊をすべきだろう。三ツ葉市を後押しするキャラなわけだから、肉よりも野菜多めの生活がいい。ゆるキャラにサプリメントを摂取するイメージはないが、活動を下支えする健康のためには取り入れるべきかもしれない。アルコールはこの際やめるべきだ。タバコはそもそも吸っていないが、タバコの原材料は葉っぱなわけで、敢えて喫煙を始めたほうがいいだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだ。タバコをスパスパ吸っているゆるキャラがどこにいる。夜は早めに寝て、朝は早めに起きたほうがいい。過度な筋トレはゆるキャラとしての外見を毀損するから、きっと避けた方がいいだろう。どちらかと言うと、ご飯をもりもり食べて丸々と太った方が愛嬌が出るだろうな。
初めての仕事は就任式から4日後の葉渡マラソン大会であった。パーカーを着て行った。一ノ葉町、二ノ葉市、三ツ葉市、四ツ葉町を合わせて葉渡地区と言い、一ノ葉町のいちかてゃ、二ノ葉市のにのの、三ツ葉市の葉渡賢治38歳、四ツ葉町のよもぎんが会場に来ていた。よもぎんを見るのは久しぶりだった。実は俺は小学生の頃、隣町である四ツ葉町のお祭りに行った際にたまたま会場に来ていたよもぎんを友人と共にふざけてボコボコにしたことがある。よもぎんはよもぎ団子を模した緑の丸いキャラクターで、そのふくよかな見た目は子供たちをして、体当たりをしてくれ、サンドバックにしてくれと言わんばかりのように思えた。よもぎんは複数の子供たちにもみくちゃにされながれも笑顔を保っていて、それが更に子供たちの加虐心を駆り立てた。子供のやることだったし、よもぎんは丸くて厚い「側」に覆われていたように思われたので、死活問題になるようなダメージはなかっただろうが、いま思えばむごたらしい仕打ちをしたものだと思える。
葉渡マラソン大会の会場にはキッチンカーなどが集まり、老若男女大勢の人で賑わいを見せた。マラソン大会という名のお祭りであり、我々ゆるキャラは集客のための賑やかしだろう。俺はランナーに手を振ったり、子供たちと触れ合ったりしながら、かつてのよもぎんのように四方八方からボコボコにされやしないか懸念していたが、杞憂であった。かねてより思っていたことであるが、最近の若い人は礼儀正しくて、思いやりがあり、優しい。「本当にリアル葉渡賢治だー」などと子供たちは言い、俺は求められるままに子供たちと握手をしたりした。
ひとしきりの子供たちが離散すると、大きな丸い物体が視界に入った。俺の記憶にある若々しい新緑のよもぎ色ではなく、数年に渡って浴び続けた太陽光線で色褪せ、汚れや黒ずみが目立つ、言われれば確かによもぎ餅かもしれない、という物体であった。側面にはわずかにへこみがあり、これはあの時に俺が蹴りを入れたへこみだろうか。よもぎんは俺の眼前に佇み、俺を見つめていた、気がした。実際のところは俺を見つめていたかどうかわからない。たいていのゆるキャラにはどこを見ているのかよくわからないようなところがある。何か言いたげなようにも思えたが、やはり実際に何か言いたいかどうかはわからなかったし、そもそもゆるキャラは喋るべきではなかった。やがてよもぎんは去っていった。俺の目は確かによもぎんの背を見つめていたが、何を思えばいいのかまではわからなかった。
葉渡賢治39歳は全日本ゆるキャラグランプリで審査員特別賞を受賞し、その名を全国に知られることとなった。同年、地上波テレビに初出演。つぶあん同盟という深夜番組で、芸人さんが1〜2分程度のネタをする番組だった。葉渡賢治には人を笑わせるようなネタがあったわけではないが、「おまかせで」というオファーを頂いていたので、三ツ葉市のPRをし、フル尺でオンエアされた。SNSや動画サイトでも切り抜かれて大いに拡散し、コアなお笑いファンを中心に話題になった。三ツ葉市は葉渡賢治のテレビへの出演オファーは全て受け入れ、それとは別にインターネット動画配信も精力的に行い、着実に人気を獲得していった。葉渡賢治39歳のグッズが制作され、三ツ葉駅で販売された。特にアクリルスタンドは好調な売れ行きのようで、葉渡賢治39歳を前面に押し出したパッケージデザインに刷新した三ツ葉堂の三ツ葉大福は前年に比べて売上が約25%向上したとのことである。
葉渡賢治40歳は全国を飛び回る多忙な日々を過ごした。市のPRのみならず、県や地方の宣伝にも駆り出された。グッズは39歳のものから40歳のものへ刷新され、商品数を増やしたこともあり、売上金額を更に伸ばした。アクリルスタンドの他、クリアファイル、Tシャツ、トートバッグは特に人気だった。終売となった葉渡賢治39歳のグッズはフリマアプリでプレミア価格で取引された。
葉渡賢治41歳は全13話で深夜アニメ化され、毎週のようにSNSでトレンドに浮上した。これは葉渡賢治の声優デビュー作でもある。実は葉渡賢治40歳10ヶ月あたりで極東経済という雑誌が「なぜ葉渡賢治は40歳でブームが終わるのか?」という挑戦的なタイトルで記事を出し、かなりページビューが回っていたようで、このまま葉渡賢治は終焉に向かうかと思われたが、アニメが起死回生の立役者となったというわけだ。
翌年には葉渡賢治42歳のマンホールが市内に5か所設置された。これは葉渡賢治の聖地巡礼をする観光者への秘策であった。さすがにマンホールは毎年デザインを刷新するわけにはいかないから、葉渡賢治アプリのカメラで撮影するとARで葉渡賢治の現状の歳が浮き出てくる仕様になった。就任時に動画サイトに投稿していた「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」は葉渡賢治43歳4ヶ月の時点で1000万回再生を記録した。
葉渡賢治は45歳になり、葉渡賢治45歳になった。葉渡賢治45歳はアニメの時ほど多忙でもなく、しかしイベントに呼ばれればそれなりに盛況という、ライフワークバランスの取れた時期であった。できるだけ丸々とした愛嬌のある体型を維持しようとしていた葉渡賢治であったが、ここ最近は太りやすさを感じており、愛嬌のある体型をオーバーしているようであることが気になっていた。愛嬌とは丸々としていることであり、腹がだらしなく出ていることではないだろう。以前よりも頭髪が劇的に薄くなっているような気もしていた。
平日昼の帯番組「ひるとん」で、リリースされたばかりの新曲「三ツ葉にあつまれ!」のプロモーションのために生放送でダンスを披露することとなっていた。良く言えば安定、悪く言えば停滞していた葉渡賢治の人気を今一度ブーストするための満を持してのリリースであった。楽曲制作、MV作成、振り付けなど、「三ツ葉にあつまれ!」には潤沢な予算を投入したと聞いている。気合いを入れなければならない。
「さーて、今日は、三ツ葉市から特別ゲスト、葉渡賢治45歳さんが新曲を披露してくださいます。それでは聴いてください、「三ツ葉にあつまれ」です、どうぞ!」とアナウンサーが言い、スタンバイしている葉渡賢治の姿がモニターに映し出されたのが見えた。モニターに葉渡賢治の姿が映し出されたということは、生放送で全国のお茶の間のテレビにも葉渡賢治が映し出されているということだ。音楽が鳴り、葉渡賢治45歳は周りに従えたちびっこダンサーと共に踊り始めた。やはり子供の人気は不可欠とのことで、ダンサーは10〜14歳の男子2人、女子2人の4人であった。葉渡賢治の両隣に男女2人、後方に並んで男女2人という体制であり、葉渡賢治を合わせた計5人がステージで新曲を披露した。新曲の振り付けはデビュー作よりもテクニカルで、葉渡賢治の加齢と体重では踊り切るのが難しく、MV撮影時にはNGを出しまくり、現場はピリピリしていたように思った。葉渡賢治は醤油ラーメンAセットのことを考えながら生放送を踊り切ろうと思ったが、最近ではにんにくたっぷり餃子付きの醤油ラーメンBセットも気に入っており、迷いが生じた。曲の終盤、メンバー全員が2回転スピンを披露する箇所がある。2回転スピンとは、2回くるくるとその場で高速で回ることである。葉渡賢治はこれを苦手としていて、これがこの日最大の山場だろうと考えていた。
事件は起きた。いざ2回転スピンの場面になると、加齢、肥満、緊張など様々な言い訳はできると思うが、葉渡賢治は2回転目によろよろと右にバランスを崩した。葉渡賢治の右にはダンサー最年少である10歳の女性(本名非公開)が配置されており、不覚にも葉渡賢治は彼女に激突、葉渡賢治は彼女に覆い被さるように倒れ込んだ。この場面はSNSや動画サイトで切り抜かれて大いに拡散し、ネット民による数々の自発的な検証が行われ、「葉渡賢治の右手が女児の胸を掴んでいる」「葉渡賢治の唇が女児の首すじに触れている」「葉渡賢治の右膝が女児の脚と脚の間に入り込み、女児は開脚を余儀なくされている」「葉渡賢治の汗とよだれが女児の衣装に付着している」「葉渡賢治の息はにんにく臭そうである」「それ以降の女児の泣きそうな顔は見ていられない」「それでも最後まで踊り切った女児はプロ」「人生で一番気分の悪いものを見させられた」「葉渡賢治とかいうセクハラ野郎」「犯罪者」「消えろ」などという書き込みがあった。
どのゆるキャラにも否定的な意見は最低一つはある。養老塚市のよろよろには「どんくさい」、木宮町のきのやんには「アドリブが効かない」、千脈市のちーおには「正面を向け」など。しかし、彼ら/彼女らゆるキャラがいちいちSNSをチェックしてそれらネガティブな意見を閲覧して真に受けているようには思えないし、何しろ彼ら/彼女らにはゆるキャラという「側」が鎧のように装着されているように思われ、その無機質な「側」がダメージを吸収あるいは反発して無効化しているように葉渡賢治には思われた。その点、葉渡賢治はそれら誹謗を生身で受けざるを得なかった。葉渡賢治は葉渡賢治それ自体がゆるキャラだったからである。葉渡賢治はSNSはもちろん、ニュースサイトのコメント欄、匿名掲示板への書き込みなど、自らへの誹謗中傷を全てチェックした。なくなった仕事の退屈を埋めるように、まるでそれが葉渡賢治の仕事 Permalink | 記事への反応(1) | 17:38
どちらも芸能人でもないし、
上だろ。なんでそこまで芸能人にこだわるのか。
地上波テレビに出てないって話なら他に例は
知ってるけど。
素朴な疑問なんだけど、何でその枠組みに
オタサーの姫が入っとんねん。
地上波テレビ、しかも紅白の内容が気になっているおっさんなんて、意識高いはてな村においては最下層の人間として軽蔑されるのだろうが、気になるものは仕方ない。
何が気になっているがといえば、今年の紅白で朝ドラをどう扱うかということだ。
地上波など愚民の見るものと見下して知らない人のために説明すると、紅白では毎年、朝ドラは重要なコンテンツで、主題歌は優先的に選ばれるし、朝ドラの登場人物が応援に駆けつけたり、以前は『あまちゃん』の特別編的なものを展開してみたり、まあいろいろな取り組みをしてきたわけである。
で、今年の下期の朝ドラ『ブギウギ』であるが、笠置シヅ子の生涯を下敷きにしたこのドラマ(ドラマでは福来スズ子)、わりと評判がいいらしい。
なにしろ歌手の生涯の話だから、舞台の歌唱シーンに力が入ってる。そして主役のスズ子を演じる趣里が、なかなかに好演している。
この人は水谷豊と伊藤蘭の娘というバリバリの2世なのだが、もともとバレリーナ目指して挫折した過去があるそうで、女優に転身してからも親のゴリ押しを使った印象が希薄なところが、好感を呼んでもいるようだ。
映画に出てもないうちから映画賞もらったり、なぜかブランドアドバイザーを歴任してたりするどこぞの誰かとちがって、ご両親もしっかりしているのであろう。
ドラマではいい感じに10代から演じていて、とても33歳には見えない。母親役の水川あさみとは実年齢が7歳しか違わないのに親子に見えている。
で、ドラマでは初回で『東京ブギウギ』の公演を再現してみせ、歌唱力もあるところを見せつけて、これはそのまま紅白の企画として使えそうなクオリティであった。
で、今週は、育ての親である服部良一(ドラマでは羽鳥善一)とであって、服部良一・笠置シヅ子としての最初の曲である『ラッパと娘』が大好評になる、というくだりだったが、これもなかなか良かった。
5分の朝ドラで全曲フルコーラスのステージをそのまま流すのは、わりと思い切った演出だと思うが、制作側も趣里の歌手としての実力に信頼をおいているからこそ、だろう。
この『ラッパと娘』という曲、昭和14年(1939年)の日本の曲とは思えないおしゃれな曲なので、知らない方はぜひ聴いてみてほしい。笠置シヅ子のオリジナルも含めてYouTubeにいくつも上がっている。作詞も服部良一だそうだが、変に抒情的な意味などなく、“みんなこの歌歌えば楽しい”くらいの内容であとはスキャット主体なのもかっこいい。日本がアメリカと戦争始める数年前は、まだまだこんな“敵性音楽”が普通に劇場でやれてたんだなあという軽い驚きもある。
で、これを紅白でどう盛り込むのかと考えると、気になるのは羽鳥善一(服部良一)役が、草彅剛ということなのだ。
なにしろ笠置シヅ子の育ての親であり、今週のドラマでも羽鳥善一がノリノリで指揮するバンドをバックに歌うステージが展開されていた。
紅白に趣里を出して企画やるなら、やはり羽鳥善一(草彅剛)も一緒に出ないとすごい不自然なことになるだろう。
おそらく今、NHK内部でいろんな駆け引きやら調整なら行われているのだろうが、堂々と草彅剛を紅白のステージに出したら、ちょっとNHKを褒めたい(←謎の上から目線)
いまどき地上波テレビなんか見てるひといないでしょ。
あざーす!
あとついでというかこれは本当に勧める側がもうしわけないんだけど。
今だけだからおすすめするね、プロメアと同じスタッフがつくった「天元突破グレンラガン」の映画版の15周年上映会。
https://gurren-lagann15th.com/
足を運ぶのが遠い映画館、上映が平日15時の一回だけ……。(映画館によっては20時~とか)
えっ……。ハードルが高すぎて俺もいけてない。(今日きづいたら15時すぎてて行きそびれた)
(テレビ版でさえすごい話が早いのね。
だけど映画版は前後編たして6時間だから16話くらいにきりすててて残り9話分がかなりもったいないのだ)。
前編19日まで。後編11/2まで。
https://anond.hatelabo.jp/20230613103158
俺は表現の自由戦士として、刑法175条は廃止するべきであると考えている。理由は次の2つだ
A.チャタレー裁判への疑問
チャタレー裁判の最高裁判決が出たのは1957年でまだ戦前からの司法が色濃く残っている頃であり、その判決を現代まで続けることに疑問がある。とりわけ、チャタレー事件ではわいせつ図画を規制する理由として『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない』としているが、私は少なくともこの点について十分に疑問があると考える。
もしくはチャタレー裁判で示された『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること』が守るべき利益(保護法益)だとして、『それを守るため、男性器と女性器にはモザイク等の修正をしなければならない』が保護法益を守ることに繋がるのか疑問だからだ。インターネットで海外の無修正性器画像や動画をいくらでも見られる時代に合った規制であるとは同意し難い。
まず前提として、表現の自由に限らず自由権の本質には『他者に我慢させる権利』が含まれる。ユダヤ人の居住移転の自由は『ネオナチに我慢させる権利』が含まれ、街中でロックを流す権利は『KKKに我慢させる権利』が含まれ、地上波テレビで『弟の夫』などの同性愛コンテンツを流す権利は『“同性愛は神の作った自然に反する罪である”と考えるアブラハムの一神教徒に我慢させる権利』が当然に含まれる。
その上で、ある程度人権が制限されているのは未成年だ。参政権などは代表的だが、ポルノを見る権利、ポルノに出演する権利、性行為をする権利などの性に関する自己決定権もある程度制限されている。
その意味で言うならば、ゾーニングは表現の方法そのものに制限を加えるド直球の表現規制であると同時に、表現を見たい側の権利も侵害する。だから俺は『未成年に見せないため』の最低限のゾーニングについては支持する。一方で『見たくない人のためのゾーニング』は表現する側が行うのは自由であるが、行うことを義務にすることには一切賛成しない。見ると不快になるものからは目を逸らせばいいだけだ。
もちろんある程度は制限されるが、未成年にも性に関する自己決定権はある。『中学三年生の息子の自慰行為を止めさせたいです。未成年に性的自己決定権は無いのだから、親の監督権として止めさせても問題ないはずです。私が統一教会の信者であることは無関係です』という主張には元増田もそれ以外の読者も同意しないだろう。
その意味で、未成年が『性器·肛門·胸などを出すポルノに出演する性的自己決定権』は制約されてもやむを得ないだろう。だが『水着撮影会もダメ』という制約も妥当だろうか。あるいは、今回の性交同意年齢の引き上げはつまるところ13〜15歳から性行為をする自己決定権を奪うことになるが、本当にそれが妥当なのか。パターナリズム的に“保護”するということは自己決定権を奪うことだ。そのことをもっと自覚して慎重になるべきではないか?
なぜ「お笑い」は右へ行くのか
https://anond.hatelabo.jp/20230408014727
これに関しては自分にも「たぶんこうなんじゃないかな」という予想はあるが、この増田とはわりと根本的と言っていいところから認識に違いがありブコメに収め切るのはしんどいので増田に書く。
まず第一に、お笑いが右に行っているという認識自体に疑問符が付く。実際、吉本と維新は距離がかなり近い(元増田では吉本が自民党とべったりと書かれているが、これは自民党内でも特に維新に近しい安倍晋三や菅義偉がトップだったゆえにそう見えただけで、直接距離が近いのは自民ではなく維新だろう)ものの、これに関しては右と左で語るよりも大阪と東京で語ったほうがいいように思える。要するに、維新は「大阪」というアイデンティティに訴えることで大阪において盤石の支持基盤を獲得しているし、大阪の吉本芸人たちもこの大阪アイデンティティに呼応している。
対して、この大阪アイデンティティを離れてもお笑い界全体が右傾化しているのかというと、自分の感覚としては別にそんなことはないんじゃないかと感じている。そもそも大半の芸人は炎上リスクのある政治的話題に首を突っ込みたがらないし、元増田のブコメでいくつも指摘があったように左派的立場を表明している芸人も複数存在する。ほんこんが積極的に右派的発言を繰り返すのが他の芸人から強く支持されているという様子もあまり見られない(むしろ、白眼視されている感すらある)。
ではなぜお笑いが右に行っているという認識が発生するのか。ひとつには前述した吉本と維新の距離の近さがあると考えられる。別の理由としては自分と全く違う意見は印象に残りやすいというのも挙げられる。なぜお笑いは右へ行くのかという疑問を呈したのは坂本龍一だが、左派である坂本龍一からすると芸人が左派的発言をしていてもまるで気にならないが、芸人の右派的発言は強く印象に残ったのではないか。右派的発言をしたのが松本人志のようなお笑い界の代表的人物の場合、実際のお笑い界全体の傾向とは関係なく全体が右に寄っているように見えてしまうというのもあるかもしれない。
ただ、ここまで書いておいてなんだが、お笑いが全く右に行っていないかというとそうでもないかもなとは思っている。正確には、お笑いが抱える本質的特徴ゆえに特別にお笑いが右に行っているということはないだろうとは思っているものの、世間並みに右に行ってはいるだろうなとは思っている。
元々ノンポリや無関心層だったのにあっという間に右に行ってしまうことが近年多く観察されるケースが存在する。それは、定年退職等で時間に余裕ができた結果インターネットに触れる時間が増えた高齢者である。Youtubeでオススメされる中から興味を引く動画を辿っていくと、やがて虎ノ門ニュースやその他ネトウヨ向け動画に行き着く。そして、免疫のない高齢者はどっぷりとハマってしまう。
当然お笑い界にも同じようにネトウヨにハマる人物は出てくる。その代表例がほんこんなのだろう。
ここで疑問として浮上するのが、なぜネットで政治にハマると決まってネトウヨになりがちなのかということだ。なぜYoutubeの政治動画やまとめブログの政治エントリはネトウヨ向けばかりなのかに言い換えてもいい。
自分はこれを面白さの差だと考えている。左の言説はつまらない。対して右の言説は面白い。
元増田に「文化や価値観や道徳の面では左派が強くなっており権力者側である」とあるが、権力という言葉の使い方が比喩的すぎるという点を除けばそう外した認識ではないだろう。現代の(国際)社会は平和、自由、平等、人権、といった普遍的価値を尊重する方向性へと進歩を遂げてきた。だから今では奴隷制は否定されるし、女性や貧乏人にも当然に選挙権があるのである。我々が部外者であるにも関わらずロシアのウクライナ侵攻や中国のウイグルやチベットといった少数民族への迫害を非難できるのも現代社会は普遍的価値を尊重するからだ。もしもその前提がなければ、中国の少数民族迫害の件であれこれ言うのは内政干渉ということになってしまう。
一時的な揺り戻しこそあれど一貫して普遍的価値を尊重する方向へと進歩を遂げてきたのが人類の歴史であり、そして普遍的価値の尊重を中核的価値観とするのが左派である。そうなるとどうなるか。左派の言説はただの常識的なお説教になってしまうのだ。
社会的立場の高いところ、つまり大新聞や地上波テレビなどの既存マスコミであれば常識的であることはむしろ好ましい。しかし、とにかくネットで再生数や閲覧数を稼ぐということを目指す上では、つまらないものはゴミだ。
よく小説の宣伝文句に「最後にすべてがひっくり返る」だのなんだのといったものがあるが、ネトウヨ言説にはコペルニクス的転回というかパラダイムシフトというか、そういった類の面白さに満ちている。
例えば、「これまでの常識:日本は太平洋戦争で朝鮮半島を侵略した加害者である」に対して「真実:韓国は捏造された被害や解決済みの問題を蒸し返し続けて日本にたかっている」が提示されるというのは、従来の加害ー被害の関係性が正反対に逆転するものであり、目が覚めるような面白さがある。自分も子どもの頃オカルト番組の「実はアポロは月に行っていない!」という内容を見てワクワク心躍らせていたが、それに通ずるものがあると言っていいだろう。
しかもこれは単に面白いだけではない。ネトウヨ言説においてほぼ必ず語られるのが既存マスコミや教科書、教師への批判だ。ネトウヨにハマれば、「世間の連中はマスコミや教科書に洗脳されて間違った常識を信じ込んでいるが、自分は真実を知っている」という圧倒的情報強者感覚を得ることができるのだ。これは実に気持ちがいい。専門家のアカウントに突撃して「もっと勉強してください」とか言ってしまえるほどのものすごい自己肯定感を得られる。
左派言説だと「マイノリティは困っていてマジョリティは配慮すべき」というマジョリティとしてはいささか居心地の悪い認識が語られるのに対し、ネトウヨ言説なら上記のひっくり返しを発動して「マイノリティがマイノリティ特権をゴリ押ししてくるのでマジョリティである我々はそれに抵抗しなければならない」という具合にむしろマジョリティこそが被害者であると言ってくれるというのもいい。自分が加害者側にいるように言われるよりも被害者側にいるように言われた方が誰だって気分がいい。
以上のように、ネトウヨ言説は面白いし気持ちいい。対して左派言説はつまらないし自分が責められてるような居心地の悪さすらある。
インターネットという、正しさや妥当さという基準がまともに機能せず、どれだけ多くの人間に受け入れられたかという数字こそが重要な真に「民主的」な空間において、どちらがより良いものなのかは火を見るより明らかであろう。
なので、インターネットが大衆化した現代において世間はいくらか右に行くし、お笑い界の芸人たちも特別な人間ではなく世間のひとりひとりである以上、お笑いもいくらか右に行くことになる。
「お笑いとはこういうものだからお笑いは右に行くんだ!」というふうに考えるよりも、このように考えた方が実態に近いのではないかなと自分は考えている。
今年買ってよかったもの・微妙だったもののスレッドはあるが、今年捨ててよかったもののスレッドはない。
買うことよりも捨てることのほうが難しいからかもしれない。
皆さんが今年捨ててよかったもの・早まったもの・年末年始の休みに捨てる予定のものは何かあるだろうか。