はてなキーワード: 地の文とは
・すっごく色々勉強になった
・エロ小説では、基本地の文が重要だと思っていて、地の文でいかにエロさを出すかが勝負だと思っている
・けれど、エロゲーだと「ゲーム上でどう表現するか」「それをどう実装するか」というのを常に考慮しなくてはいけない
・例えば、地の文で「〇〇は××を突き飛ばした」みたいな表現があったとして、実際のゲーム画面上のキャラクターが棒立ちをしていると違和感しかない
・けれど、そこでいちいち地の文と合わせた動きをキャラクターにとらせていると、実装の手間がとんでもないことになってしまう
・つまり、「実装の手間をなるべく低減しつつ、画面上の動きと比較して違和感がない、かつエロい台詞回し」を考えないといけない
・メインライターの人がノクターンノベルズでも大先輩なんだけど、その辺丁寧に教えてくれて大変ありがたかった
・あと、エロ小説以上に地の文は読み飛ばされる。基本「声」が勝負で、ヒロインの声がついていない文章はガシガシスキップされることを認識しなくてはいけない
(まあ、エロ小説でも地の文を読み飛ばす人はいるけど、それでも小説という表現媒体である強みはあると思う)
・そこから考えると、「地の文ではなく、いかに台詞で状況とエロを描写するか、しかもなるべく自然に」ということがとても大事で、それについては今まであまり意識していなかったところなので滅茶苦茶面白かった
・あと、普通に同じ世界観内で他の人が書いたエロシチュやエロ文章を読むのもすごく面白かった
・なんだかんだ、書き続けていると活動の場が広がって嬉しい。エロ小説書き始めて3年くらい経ったけど、書いててよかったなーとつくづく思った
・昔これを書いたものです。
https://anond.hatelabo.jp/20201126163559
・あれ以降も、主にノクターンノベルズでいろいろ元気にやっています。今も短編エロ小説書いてます。3万字くらいになりそうだけど
・出た同人エロゲーム、初日で1万本とか売れててものすごい。他ライターの人たちの功績であって私のシナリオはごく一部だけど、ゲームはとても面白いので嗜好に合いそうな人は遊んでみてください
・女性だとバれると大変な目にあう村に、少年と男装少女が迷い込む、というシナリオ。ハードな表現もあるけれど、見た目より純愛です
・5段階評価:4
・あらすじ
料理大会が開催され、ヒノモトの家族のために頑張るミツバ、卑怯者のピカロなどをくだし、流浪の天才料理人ヴァレリオが優勝する。
・印象に残ったセリフ
ピカロ「正々堂々戦って勝てるキミたちとは違う。」
・印象に残ったキャラ
ピカロ。
金を使って卑怯なことなら何でもするヤバいやつ、何だけど料理の腕前が無いから卑怯しかないと卑怯に自覚的なのが面白い。
・感想
まーた大会かよ。というところはさておいて、卑怯者ピカロのキャラが面白すぎた。
料理が下手だけど家族と代々受け継いできた店の看板を守るために卑怯なことをすると自分で自分の卑怯さに自覚的なキャラ。
名悪役としてグラブルとかプリコネやワーフリに出張してくれないかなあ。
「咎人は巡る、竜眼の軌跡」
・5段階評価:5
・あらすじ
結社にドラゴンと融合させられたアデルペインと、彼を支えるドラゴンのアンドロメダ。
アデルペインは家族を殺され、身体をこうされた原因である結社の博士を追っていた。
博士はユーディルの竜化能力を使い世界中すら飲み込むドラゴンを制御しようとするが、ユーディルとアデルペイン二人の竜化能力によってそれを打ち破るのだった。
・印象に残ったセリフ
博士「『悪』とは覚悟! 犠牲を払って進む覚悟のことだ! それが、たとえ自分の命だとしてもな!」
世界中の人間を不滅の書物にするという壮大な計画実行のためには自分の命すら平然とかける博士のセリフ。
悪を自認してるのが格好いい。
・印象に残ったキャラ
復讐鬼でありながら、アンドロメダとのイチャイチャや、冗談を言うシーン、きちんと謝るシーンなど、復讐以外のセリフも多くて好きになれた。
・感想
面白かった!
目的のためなら自分の命すら惜しまない悪を自認する敵の博士と、家族を殺された恨みと自らの身体を改造されたことへの復讐に燃えるアデルペインの熱いぶつかり合うの話。
そこに改造無しに血の力でドラゴンのなれるユーディルが絡むことで話が展開していくのだけど、竜化改造人間って設計がまず面白い。
そこの加えて、魅力的な悪役の博士に、今回の主人公のアデルペイン君も良い奴で、気を衒った展開はないものの王道で良き。
「仙光、暗晦に閃きて」
・5段階評価:2
・あらすじ
ゴクウイベント第二弾。前回封印したキンコジの封印が弱まり、ビコウオウが復活する。
しかしビコウオウは元々心優しい魔物だったが、自身の魔物を生み出す能力のせいで他人と暮らせない悲しい過去があった。
・印象に残ったセリフ
ゴクウ「ーービコウオウ…… 見ろよ。真っ暗じゃない。空っぽじゃない。光に満ちた、この世界を。」
ビコウオウと友達になり旅を続けることを選んだゴクウの優しいセリフ。
・印象に残ったキャラ
ビコウオウ。
優しさの表現でリスを守るっていう古典的なのが逆に新鮮で良い。
・感想
ストーリー自体は簡潔にまとまってるし、ビコウオウとゴクウの交流も端的に書きたいことをかけてて面白かった。
サンゾウやハッカイやゴジョウも半人前のゴクウを導くという点で目的がわかりやすいので、文量が少なさの割にちゃんとキャラ立ちもしてて好きになれた。
これでゴクウイベントが完結なのが惜しいなあ、旅を続けてゴクウとビコウオウの融合とか見たかった。
「あーしと私の共同戦線」
・5段階評価:5
・あらすじ
ヒューマンに育てられ先立たれた両親のことを忘れられないフォレスティアのリナーシュと、カメラで写真を撮るのが大好きなナディーンが、集落を守るために奮闘する。
・印象に残ったセリフ
養母「だからお別れの日がくるまで、愛された証を…… たくさんの思い出を残してあげたいの」
モブキャラながらリナーシュの母親と同じくフォレスティアを育てるヒューマンという立場から、思い出の尊さをナディーンと同じようとくところ。
・印象に残ったキャラ
ナディーンとリナーシュ。
正反対な二人が出会って反発しあって同じところが見つかって、大好きになる。
こういうのが好きなんだ。
・感想
最高だった。
今までドラガリアロストイベントシナリオでダントツで大好きなシナリオになった。
思い出を残すために写真を撮るナディーンと、思い出が苦痛なリナーシュたち二人のすれ違いから始まり、
それでもナディーンが思い出を残すことの尊さを実感を込めて語るところ、
モブキャラながらリナーシュと同様にフォレスティアを育てるヒューマンの家族もまた、思い出を残すことの素晴らしさをとき、
最終的にリナーシュもまた新しい思い出を作るためにナディーンに寄り添うところ。
最高の最高だった、大好き。
特にナディーンの「ひとり? ……ちがうょ。これゎ、あーしとリナちんの共同戦線。」
というセリフがタイトル回収感もありつつ格好いいきまってるすごく良いシーンだった、良き。
・5段階評価:4
・あらすじ
盆踊り大会の準備に燃える田舎町の領主の娘カトリーヌ、隠キャの少年ユージンはそれを冷ややかな目で見ていた。
人手不足を補うため仕方なくユージンを誘うカトリーヌだが、仲違いしてしまう。
ユージンが飼っていたドラゴンの幼生スゥはそんな二人の喧嘩から人を許せなくなり分身を街で大暴れさせる。
スゥのために盆踊りを通じて仲直りをするユージンとカトリーヌだった。
・印象に残ったセリフ
カトリーヌ「王子サマだって、お仲間から無条件に認められたわけではないのでしょう?」
メインで第七王子としての血筋を怪しまれているところなので、カトリーヌ本人に意図はないのに意味深なセリフになっている。
・印象に残ったキャラ
・感想
傲慢お嬢様と隠キャ少年の恋愛一歩手前ぐらいの後押しを盆踊りでする中々にインパクトのあるシナリオ。
ドラゴンが人の喧嘩によって暴走する設定からして、恋愛ストーリーをやりたいからの逆算なんだけど、その先にあるのが盆踊りなのがすごい。
そしてその盆踊りで歌うマーベラスナオトなる謎の人物のインパクト。
なんかドラガリアロストと関係のない話を無理矢理当てはめた感すらあるけど、面白かったし、メインや過去のイベントストーリーとも繋がりがあって(マーベラスナオトはセイメイの部下)、納得は納得、けど盆踊りはすごいなあ。
・5段階評価:3
・あらすじ
彼らの任務を実行しつつバカンスも楽しむため、遊びを任務に混ぜ込みパティアは帝国兵と遊ぶ。
帝国兵は任務の目的であるヌシを呼び出してしまい、今度はそのヌシを楽しませるためにバカンスを満喫するのだった。
・印象に残ったセリフ
カルい帝国兵「ヌシを怒らせちまったのは、俺ら人間っす。だからそれを武力で正すのはなんか違うと思い……!」
そうなんだけど帝国兵に言われても感が。
・印象に残ったキャラ
・感想
帝国兵やドラゴンのためにバカンスの色々な遊びをするという、なんか若干の支離滅裂さを感じる考えるな感じろなお話だった。
絵で楽しめる漫画とかならまた違うのかもだけど、基本的に立ち絵とセリフしかないこのゲームのシナリオにこういうのは向いてない感じ。
・5段階評価:2
・あらすじ
最初はデスゲームに付き合う気はなかったが、次々と仲間が死んでいくに連れ面々はお互いを疑い出してしまう。しかし、ミコトとアマネの会話をキッカケにこのデスゲームのルールを推理し始めるノーストン。
猜疑の島では信じることが禁則とされるため、互いを信じることを口にすると死んでしまうルールだった。一向はそれを逆手に取り進行役のカルティをそのルールに巻き込み、黒幕であるスキュラを戦いの場に引き摺り出し勝利するのだった。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「そうだな…… 「信じる」ことが禁止されたこの島で、おれたちは最後まで仲間を信じることをやめなかった」
・印象に残ったキャラ
・感想
デスゲームものでドラガリのイベストの中でも面白いと評判だったのでハードルを上げてプレしたのだけど、思いの外期待値は違った話だった。
悪くいうとデスゲームものの上部だけを真似てて、良くいうとデスゲームの面白そうな部分だけを抽出してる。
ちょっと流石に文量に制約がある上に地の文がない形式でデスゲームものは無理があったんじゃないかなあ。
とはいえ、いざとなれば自らを犠牲にしてでも最後の一人はユーディルがふさわしいとするエルフィリスとランザーヴの振る舞いは、王が作品の中で深い意味を持つドラガリアロストらしい展開でそこは面白かった。
「暮れる夏夜の灯篭流し」
・5段階評価:2
・あらすじ
カサンドラに助けられたお礼に彼女を祭りにエスコートするクーガー。
しかし祭りを勘違いした帝国兵の襲撃により祭りを中止しなければならなくなる。
クーガーの勘違いしやすい帝国兵に祭りを見せるという機転により無事祭りは開催でき、帝国兵も追い返すことができた。
カサンドラは灯籠流しでもう会えない彼へ想いを馳せるのだった。
・印象に残ったセリフ
クーガー「あんたも…… ひとりで回るよりはマシだろう?」
一人になりたがるカサンドラを慮っての一言。決め台詞じゃない時の方がクーガーは格好いい。
・印象に残ったキャラ
息子や娘たちが王族として覚悟決まりまくってるせいで誰も言及してないけど、アローラスが死んだことを悲しむ人は一人でもいることが嬉しい、
・感想
カサンドラとクーガーのイチャイチャお祭りデート、と思いきや、カサンドラがアローラスへの追悼の気持ちのお話しだった。
間抜けな勘違い帝国兵というコメディ要素はあるものの、都合八人もいる子供たちが特に葬式らしい葬式もしないなか、カサンドラだけが追悼のために四苦八苦するのは寂しいような嬉しいような。
王って孤独で寂しいんだなあとしみじみした。
・5段階評価:2
・あらすじ
封印が解かれた悪魔を使徒と協力して倒すも、使徒の中に裏切り者が……
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
味がしねえ……
所謂使徒イベントってやつでメインシナリオとも密接な関係にある重要なお話のはずが、設定の開示と顔の良い男子の絡みで精一杯なのか、内容が薄かった。
所謂昼行灯キャラは大好物なんだけど、ネヴィンはちょっとこうナヨっとしてる感があまり好みじゃないかなあ。
「天炎照らす幻砂のランウェイ」
・5段階評価:4
・あらすじ
死から復活したネファリエは自身の亡くなった国の血を継いでいるナディーンたちの祭りに参加する。
その祭りを妨害する帝国兵と戦う中で、自身が戦争で自らを犠牲にして民を守ったことを思い出す。
もう一度砂の国を起こすことを決意するが、ナディーンたちの自由に生きてほしいという先祖代々伝わる言葉を聞いて、自身が生きる新しい旅路を考えるのだった。
・印象に残ったセリフ
砂の民の女性「祈りが通じて、女王の復活が叶ったならば…… 二度目の生は、自由に生きてほしいと。」
ネファリエのことが大好きだった普通の人たちの気持ちがよく伝わる良いシーンだった。
・印象に残ったキャラ
ナディーン。
・感想
面白かった。
砂の国の民が女王に自由に生きてほしいと言う言葉を伝えてきたところは、本当に愛の強さを感じて、とても好き。
短い文章ながらきちんと伝えたいことが伝わってくる良いシナリオだった。こういうのをたくさん読みたい。
ただ、とはいえ、お祭りを妨害する話多くないか? キャラも祭りの趣旨も違うから別にいいんだけど、ゲームのシステム部分に縛られてる感じがしてそこがなんだかなあ。
・5段階評価:2
・あらすじ
そこでイリア、イリアの育ての母メーネ、イリアによって召喚された異界の生き物モルティスと出会い、ゼシアはイリア教誕生の歴史を知ることになる。
ゼシアの知る歴史とは違い、人を支配管理することが目的だったエリュシオンはイリアに攻撃を加え、モルティスは絶望しモルトメサイアへとなる。
なんとかモルトメサイアを封印するもののイリアも一緒に封印されてしまい、メーネがイリアを名乗りイリア教を広めることとなるのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
イリア。
錬金術で色々発明するのが好きな活発な女の子で、教祖という前情報からの違いに驚いた。
・感想
イリア教の真実が明らかになり、モルトメサイアの目的も判明、要するにドラゴンへの復讐だったわけですね。
う、うーん、こう言ったらなんだけど、急になんか人間関係の中でぐるぐるしだしたなあ。
エリュシオンがイリアを攻撃したのも若干支離滅裂だし、なんか物語の大枠のために無理矢理感がいなめない。
・5段階評価:2
・あらすじ
アカーシャとメルサの二人で元締めの魔術師を倒し、ゾンビ達の無念も晴らすのだった。
・印象に残ったセリフ
アカーシャ「仲良き事は美しい哉。おふたりが戯れる様は、見ていて癒されますわね。」
確かに。
・印象に残ったキャラ
ゾンビを大量に召喚する技術力の高さなのに、モブだし、セリフが小物くさいの、敵だけのキャラの立ち絵を書き下ろせない事情を若干感じてしまった。
・感想
ほぼほぼメルサとアカーシャしか名前付きのキャラが出てこないが、掘り下げが深いわけではなく、やたらとモブキャラが敵味方問わず出てきた。
せっかくの掘り下げの機会なのにこれは少し勿体なく思ったなあ。
ドイツ代表を称賛する人たちも、この視点がないまま西欧側の正義や価値観で正しいから称賛しているだけで
聞こえてくるのは日本や西欧の「意識高い人」の声ばかり。現地のLGBTの声って全然聞こえてこないんだが。
禁止されているのは試合中のパフォーマンスだけなんだから、代表が現地のLGBTと対面したりシェルターに寄付するのは禁止されていない。
アピール程度で動くような問題ではないから、短期的には現地当事者にはマイナスの影響がある可能性も高いのに。
大会が終われば帰ってしまい、その後なんの手助けもしてくれない人たちの自己満足に見えてしかたない。
日本でもよくあるから。この手の政治的得点稼ぎの、当事者が望まない過剰なアピール(レインボートイレとか)。
おそらくだが、現地のLGBTとして必要なのは、西欧と現地の文明の衝突の最前線に立たされることではなく
判定が明確ではないからと、小説のネタパクは流されがちだよなあ。
読み専の立場ではありますが、一次創作や二次創作を読みながら「Aさんのこの作品、タイムラインで流れてきたエロ漫画の広告と同じ展開だな」「Aさんのこの作品、流行り漫画と全く同じ設定だな」「Aさんのこの作品、エロシーンの展開がBさんの前回の新刊と全く同じだな」と思うことが度々あり、最近ではAさんが今後の執筆の予定を呟く度に元ネタがどれなのかを当てるのを楽しみにしています。
ご本人は「インプットを増やそう!」と言ってよく映画の感想や漫画の感想をツイートされているのですが、彼女の言う「インプット」はシコれる設定・展開を探すことなのだろうなという印象です。当然、キャラクターの掘り下げから生まれる作品では無いため、展開やキャラクターの言動に違和感が残ります。
一次創作・二次創作、あくまで趣味の世界なので気になるなら読まなければいい話ですが、前述の通り元ネタを探して読み合わせる遊びをしているためついつい読んでしまいます。
私は一読者なのでまあダメージは無いし笑い話なのですが、これ、ぱくられている側のBさんは気づいていないのか?と気になるところ。とはいえ揉め事の元凶を作る気もないのでこうして増田に書きに来ています。
そして恐ろしいのは、このAさんと読んだ方、1人ではないのです。同じような方が散見される。そして総じてそういった方達は
を自負しており、度々そういった事を匂わせるツイートをしています。
私はこのとおり、増田にいる腐女子なので高校生の頃漱石や川端にハマり読み込んだ黒歴史持ちなので、彼女達の小説が、小説と呼ぶにはあまりにお粗末である事に気づいています。
例えば、主語の入れ替わりなどの文法的な問題、熟語の誤用……自分が取引先なら絶対に嫌だなと思う間違いが多いのですが、彼女達は気づきません。
そして、新作が発表される度にその人の周囲にいる人のネタパクだと、ラレ元さんは読んだ時にきっと気付くのに、どう気持ちを整理しているのだろうと思います。読者側ももちろん気付くとは思いますが、冒頭の通りトレパクのような明確な判定が難しいため、「〇〇さんのその作品を私は読んでいません」「よくあるネタなので被ることはあると思います」「気分を害してしまい申し訳ありません」と言われてしまえばこれで収束してしまう。
こういう人に限って自分のネタが先、後から同じネタ(展開は全く違う)で近しい人が本を書くとモヤモヤツイートをするので始末が悪い。
一部例外は絵に書いたような悪人とか、カフェのウェイターとかNPC的な端役だけ。
その他の主要登場人物は「短気で怒りっぽい」とかいう性格を地の文で説明するから
ああこの人は短気で怒りっぽいという設定なんだなとはわかるんだけど
実際のキャラの言動では短気で怒りっぽい人を演じているすごく冷静な人が
喋ってるよこれ、ってやつ。
激しく議論したり戦ったりするんだけど
なんか妙にみんな物わかりがいいんだよな。
心の底で通じ合っているというか。
人間特有の愚かな憎しみとか怒りが全然なくて妙にさっぱりしてて
要は同じ人がそれぞれのキャラを演じているだけで
思想信条みたいなものは全部同じなんだよなあ、って感じるやつ。
ああいうのは、なんでそんなふうに感じるんだろと少し不思議に感じる。
同じ人が別のキャラを演じているだけだから同一人物だ、って感じるのは
でも、そういうふうに感じたり感じなかったりっていうのはどういうことなんだろ?
最近DALL・E2やmidjourneyなどの高性能お絵描きAIが一般公開されて「AIと創作」というトピックがかなりTLを賑わせている。
一方ニコニコでは、去年の暮れ頃から「AI拓也」という淫夢派生のコンテンツが安定した人気を得ている。
扱っている題材がガチで倫理的に終わっているので気になる人は勝手に調べてくれって感じだが、簡単に言うとAIのべりすとを活用して、拓也というAV男優のブログの特徴的な文体を模倣しつつ様々な短編を生成するコンテンツだ。
この最悪なコンテンツは「AIと創作」というトピックに関してそこそこの知見を与えてくれるような気がするので、現在AI拓也界隈で使われている手法について簡単にだがまとめてみる。
なお、俺はAI技術に関しては完全に門外漢なので技術のところは信用しないで欲しい。
AIが参照する学習データを偏らせることで、文体を模倣することが出来る。
これはAIのべりすとではMOD機能として実装されており、太宰治や村上春樹などがプリセットとして用意されている。
お絵描きAIでも「油画風」とすればそれっぽいのが出てくる。AI拓也ではブログを大量に学習させたMODを使用することが半ばデファクトスタンダードになっている。
AIの文章生成は、多分人間が理解している意味内容からの推論ではないのだと思う。そのため、突飛な表現が頻出する。これは多分緊張と緩和みたいな話?(よく知らん)
文章の意味は理解できるが内容の意味がわからんという齟齬が面白いんだと思う。
AIのべりすとは数字が本当に苦手らしい。そのため、〜なもの3選!とか言って平気で4とか5とか続けてくる。
これと突飛な表現を掛け合わせることで意味は分かるが脈絡のない項目が無限に生成できる。これはAI拓也界隈では「松本人志現象」という謎の名称が当てられていてかなりウケている。
AIが望み通りの結果を出力してくれることは稀である。そのために数をこなすことで望みの結果を得ようとしている。恐らくAI拓也もバズってるAIイラストもそれなりの試行回数を重ねた上でのものだと思う。
また、リセマラの過程自体が突飛で面白いものもある。何度やっても主人公が死ぬ結末になる天丼ネタなど、不謹慎ではあるが面白い。
そこで、より望みの結果を出力するためにAIに与える情報を上手くコントロールすることでより望みの結果に近づける確率が上がる。
AI拓也界隈では、語尾の設定を霧雨魔理沙にすることで元ブログに特有の〜だぜ口調を導入するとか、「Wikipediaより」と記入することで地の文を真面目にしつつ内容を突飛なものにすることでより面白い文章を生成している。
また、適宜人力による修正を加えることで方向性を調整することもある。(更には、人力による修正をAIのボケに対するツッコミと捉えて1つのウケに昇華しているものもある。こういう発想できる人がAIを使うのが上手い人だと思う)
先日「AAAゲームのスクショの方が母数が多いからそっち指定した方がより雰囲気似るよね」という趣旨のツイートがバズってたが、多分仕組みとしては同じ。
AI生成コンテンツはここが1番作者のセンスによる部分が大きい。黎明期である現在では、小技は知見として広く共有されているが、時代が下るにつれ属人性が高まったり、小技の価値が高まって情報商材としてやりとりされたりするんじゃないかなと思ってる。
ここも作者の手による部分がかなり大きい。
AI拓也は画面には基本的に文字しか表示されない。そのため、視聴者は読み上げボイスを無視して先を読むことが出来る。
適当な作者は生成した文章をそのまま貼り付けて音声をあてて投稿していることが多いが、再生数の多い動画では笑いどころとなる部分を意図的に表示させなかったり、読み上げ直前で文章を変えるなど、見せ方に創意工夫が見られる。
お絵描き界隈にはまだ見られないが、展示とかインスタレーションみたいなより規模がでかい話になるとこの辺の話も大事になってきそう。
未だにニコニコで淫夢動画を見ているやつなんて本当にひと握りなので、コミュニティがかなりクローズドなものになっている。
そして投稿される動画はさらに少ないので、伸びてる動画はみんな見ているのが前提になっている。
そのため、動画Aでの面白要素が別の投稿者による動画Bでも参照されることが多々ある。「松本人志現象」のような語録の形成はまさにコミュニティの形成によるものだ。
コンテンツの多様化みたいな話があるが、AIは無限にコンテンツを作ってくれるのでさらに多様化が進むと思う。例えばマイナーCPのBL創作界隈とかで、界隈の小説を参照させることで理論上は無限の供給が可能になる。お絵描きAIでも、特定のモチーフによるコミュニティが形成されたりするかもしれない。
以上簡単に述べた。多分もうちょっと丁寧に検討したらよりAI創作一般に拡張できる理論みたいなものが見えてくるのかもしれないが、俺にその能力は無いので誰かに任せる。
厳密に言うと女キャラの絵は好き。
アニメから入ったから、アニメで既に登場しているキャラは、そういうもんだという刷り込み入っているけど、小説で追うようになって新キャラが地の文で出てきて、挿絵ェ!となる。
お前……そんなに線細いの?女なの?それで剣持つの???ってなる。
男キャラ=線の太いキャラであれ、と主張したいわけじゃないけど、あまりにも身体付きが細くて……それで騎士って言われても……あっハイ顔はイケメンですけど……なんか、作者のイメージもこうだったのかなと思うと、読解力なかったんかなあって悲しくなる。
アニメから入った身だから原作の絵をとやかく言える身じゃないのは分かるけどさ、原作の話も楽しく読んでるからさ……。
でも設定画出たってことは公式なんだよなあ。
未完が約束されてる上に、編集がまともに修正できなくなってるから読みにくくて仕方ない。
冨樫が描くから売れるけど、ハッキリ言って週刊誌にプロが出していいレベルじゃないよ。
面白いって言ってる奴は自分の力で評価できないって自己紹介してるだけの無能。風向きが変わったら急に叩き始めるタイプの風見鶏バカ。
原稿受け取って誤字脱字チェックするだけで終わらせる、編集もプロでも何でもない。
キメラアント編や選挙編でも目立ってたけど、暗黒大陸編は設定を説明しつづける地の文と、キャラクターのだらだらとしたモノローグが多すぎる。
「設定は矛盾してません!」ってアピールって別にいらないんだよね。読んでてストレスにならなければ良い。
アピールしたいなら普通に連載して、連載が終わってから資料集でも出せば良い。
賭けても良いけど、HUNTER×HUNTER打ち切って、続編として船の中の攻防を描いたら売り上げは一割以下になってるよ。それくらい出来が悪い。
ほんとーに出来が悪い。
漫画家としてはチャレンジしたいんだろうとは思う。描き切るのが難しいしね。
HUNTER×HUNTERは能力バトル物でもあるから、ステータスあげて殴るだけのスッキリファイトじゃなくて、既存のルールや既出の条件からアッと言わせるのがカタルシスなわけじゃん。そのカタルシスの演出のために設定を読者に周知したいのはわかるが、冗長すぎる。
しかもキャラクターが多すぎていっぺんに説明できないから、能力解説にコマを割きすぎる。
なにより出し方がゴミ。無言の護衛兵が汗かきながら自分の能力の使い所について考えるって最悪だろ。編集はネームの時点で止めろ。
これ絶対完結しないじゃん。
船が新大陸に到着すると思ってるやついる?
設定に凝って書き上げられないのも腰痛で書けないのも、もう作家として死んでるんだわ。
体調が回復して書き上げる能力が復活したら改めて始めれば良いだろ。
https://anond.hatelabo.jp/20220412020152
この件、なぜか「ジェンダー広告のリスク専門家」という謎の肩書のせいでジブレンゲさんだけが注目されているが
覇封捕棲屠の例の記事は、インタビュワーもインタビューされる教授も両方ともが元日経新聞記者だ。
https://www.huffingtonpost.jp/author/chuni-kim
https://twitter.com/chu_ni_kim
https://researchmap.jp/chunikim/education
この記者は経歴から見てもジブレンゲさんよりはるかにこの問題についてガチ勢だ。
今までは発達障害関連の話ばかりしていたようだが、この人の興味のあるトピックは「まなざし」である。
https://twitter.com/chu_ni_kim/status/1512951662138183680
今回の件でもこのように書いている。
https://twitter.com/chu_ni_kim/status/1512650983188271106
明らかに今回の文章は、インタビュー内容よりも記者の主観が色濃く反映されている。
ジブレンゲさんも言い訳はしていないからそれに類することは発言したのだろうが地の文について金春喜さんの誇張がたぶんに含まれているとみるべきだ。
小説家志望の駿は、沖縄の離島で親戚のおばさんの営む宿に間借りして住み三年になる。彼は、毎日独りで海を見つめている男子高校生が気になって仕方がない。男子高校生の実央(みお)は孤児で、いまはよその家に世話になっているというが、その家には帰りたくなくて海を眺めて時間を潰しているらしい。
駿は実央に一目で惹かれてしまったのだが、実央は駿が自分を憐れみの目でみないところに惹かれていた。
だが、実央は本島の施設に移り、そのままほぼ音信が途絶えてしまった。ところが三年後、大人になった実央は駿のもとに帰ってきたのだった。
以前、続編の『春風のエトランゼ』を前提がよくわからないままなんのこっちゃと思いつつ読んだけど、こういう話だったのか。なるほどねー。
『春風の―』を読んだ時にも思ったが実央が攻めで駿が受けなのが意外だ。でも、商業BLでは年下攻めというのは案外多いらしい。攻めが未成年の場合はとくに。
絵が隅々まで綺麗でいいけど、絵に誤魔化されている感があるというか、素敵なシーンばかり見せられている感があるというか。ゲイの苦悩葛藤がなんか取って着けたように見えて仕方がない……。実央の「ノンケだけど駿のこと好きになっちゃったから大丈夫!」っていう能天気さが、ファンタスティック過ぎて私は着いていけないのかもしれない。
それに、北海道出身という設定の駿が家の為にゴリゴリに古風な祝言上げるところだったとか、元婚約者の桜子さんの大正浪漫と昭和レトロの中間的なお嬢様ぶりなところとかなー。北海道ってそんな旧態依然としたお土地柄なの? そうとは聞いたこと全くないのだが。結婚式は会費制くらいのことしか知らんけれども(そのさばさばした印象がつよいのか)。
個人的にはあまりハマれないなこれ。絵は綺麗でかわいいけど。(だがむしろ作者は百合の方が描きたいのでは? というくらいに脇役がめたくそ百合百合していた。メインのBLが霞むくらいに。そこもハマれない原因のひとつかもしれない)
今ならシーモアで丸々0円で読めるよ!
短編集。男子中学生たちを主人公にした、耽美でレトロな物語。ちなみに、『紺碧』と『紺一点』は単行本『紺極まる』に続いている。
長野まゆみ先生の持ちネタが詰まっている。水琴窟とかバードベルとか義兄に恋しちゃう義弟とか。同じネタを使って毎度似ているようで違う話を作り出すのすごい。ストーリーの内容がどうとかいうよりも、物語のバリエーションと文章構成の素晴しさに感動してしまった。
瓜はめば子等思ほゆ栗はめば況して偲はゆ
と、山上憶良の長歌の出だし部分が引用されているのを見て、『左近の桜』の『瓜喰めば』の章を思い出したので、再読してみた。↓
主人公の桜蔵(さくら)は、男と男の忍び逢う宿〈左近〉の長男で高校2年生。彼はゴシックな体質を持っている。というのは、彼はこの世ならざる者を拾い、交わることで相手を成仏させてしまうようなのだ。そんな彼のことを、父の柾(まさき)や〈左近〉の常連客の浜尾は〈女〉と呼んでからかう。桜蔵は年上の女ともだちがいて男には一切興味がないので、〈女〉呼ばわりは不本意だと憤るのだった。
これは桜蔵がこの世ならざる者達に引かれ、此岸と彼岸の境目を彷徨う、妖しくで耽美な短編連作集。
夏休み、父の柾に連れられて弟の千菊(ちあき)と共に池畔の別荘地にやって来た桜蔵。父との夏休みを満喫する千菊。一方、桜蔵は柾に雇われ高額のバイト代目当てに雑用をこなす。
柾と千菊が出かけている間、バンガローの掃除に勤しむ桜蔵。彼の前に不器用に西瓜を売り歩く男が現れて……。
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
章のタイトルにこの歌を冠した通りに、柾が息子を可愛がる話なのだが、ただし柾がかまう相手は実子の千菊ばかりだ。柾の実子ではない桜蔵は柾から息子を息子とも思わぬような扱いをされているが、桜蔵も柾とは血縁関係のないことをわきまえ雑用アルバイトに徹している。……という、そのわきまえっぷりが地の文に長々~と書かれているんだけど、これだけわきまえてますから! とばかりに書かれると、負け惜しみに読めるw 桜蔵が実際に弟にやきもちを焼いて当たったり父に文句を言うような場面は、シリーズ中に一度も出てこないのだが。
桜蔵にとっては柾は単なる父親というよりは父性あるいは大人の男という概念が具現化したような存在であって、血の繋りがない事なんて大した問題ではないらしい。だが、血の繋りがないだけに、父性への憧れがなんかこう、恋心めいているように見える。
この章でもまた、桜蔵はこの世ならざる者に魂を抜かれて危うく死にかけたが、彼は窮地を柾によって救われたのか、桜蔵の欲求がそんな幻覚を見せただけのかは曖昧だ。
「(死人に)喰われたくなかったら、蛙のふりでもしてろ」
と桜蔵に言う柾。これは、
人来たら蛙となれよ冷やし瓜
という、小林一茶の俳句からの引用。これを私は、さすが風流なことを言いますなぁ、くらいにしかずっと思っていなかったのだが、今回再読して思った。瓜にそんな事を言い聞かせるのって何故? →自分が食いたいからに決まってるじゃん。
誰かが来たら蛙のふりでもしてろ。あとで私が食ってやるからさ(^_-)
激しく萌え散らかした。(だが、送られた当の桜蔵がそういう意味で受け取りときめいたかキモがったか、あるいは意味わからんと首を傾げたかは謎のまま、物語は終わってしまった)
後に、何章だったかで柾は選ぶ権利は〈男〉ではなく〈女〉にある(柾ほどの男でも〈女〉から選ばれなかったこともある)と言う場面が確かあった。選ぶ権利は〈女〉である桜蔵にあるからといって、俳句なぞ送ってアッピールしたろというのが柾の魂胆なのか、単に桜蔵をからかっただけなのかは不明だが、個人的には前者に賭けたい。
次はついでに読んだ第4章『骨箱』。
第3章にて謎の男の手により背中一面に蝶を転写されてしまった桜蔵だが、いまだに蝶を消すことが出来ないでいる。学期末となり秋の修学旅行の費用を支払わなくてはならないので、桜蔵は背中の診察もかねて柾の診療所を訪れる。旅費を出すことを二つ返事で了承した柾が桜蔵に手渡したのは、現金ではなく〈骨箱〉という銘の徳利と手書きの地図。柾は桜蔵に、〈骨箱〉を質屋〈八疋〉に売って金を工面しろと命じる。桜蔵は地図を頼りに〈八疋〉を探すが、たどり着いたのは「望月」と表札のある民家で……。
この章に登場するチャラ男の幽霊は桜生(さくらお)じゃないか。桜生かもしれないと思ってはいたが、かもしれないじゃなくて明らかに桜生だった。なんでそんな事も読み取れなかったの過去の私……。
桜生とは、桜蔵の戸籍上の伯父であり、過去に柾と付き合っていた人でもある。『左近の桜』の続編『咲くや、この花 左近の桜』で初めて名前が登場する(その時は高校生時代の容姿で桜蔵の目の前に現れる)。柾がちょっとひねくれた男を好んで愛人にしがちだということが他の章で書かれていたが、桜生もまたちょっと、いやかなり癖のある人物だ。後に、桜生に男を寝とられた〈女〉(生物学的には男性)が、桜生への報復として柾を寝とり返すというエピソードがあったりするくらい。
桜生のもとへ桜蔵は柾から預かった「桜生の形見の品」を持って訪ねて行くことになったので、桜蔵は柾の差金で桜生と出会わされたと読んでもいいのだろうか。
なんの為に桜生に会わなければならないのか? 単に修学旅行費を稼ぐためばかりじゃなくて、桜蔵の背中に転写された蝶を消してもらうためだろう。
桜蔵が桜生のもとを訪ねたとき、望月家の界隈では水神祭が催されていた。また、望月家の庭には水神の井戸がある。『左近の桜』シリーズに登場する〈男〉と〈女〉が水神に関する何かだというのは『その花の名を知らず 左近の桜』で書かれていたので、水神祭の日に桜生が現れるのは偶々ではなさそう。
ということに気づかず読み流していた私の読解力やばすぎ。もっと落ち着いて丁寧に本を読もう、と反省。これまでの人生で読んで来たその他の本も大いに誤読してたり理解してなかったりしそうだから、あとで再読してみようと思った。
桜蔵は桜生と出会い言葉を交わしてそれ以上のこともするが、桜生のほんとうの相手である柾は桜生を見ることも出来ないらしいというのが、切なくていい。
浮気者の若旦那とその新妻の両方を狐が美女・美少年に化けてだます話。
泉鏡花の文章って私にとっては古文の範疇なのだが、古文というほどに現代語とかけ離れてはいないせいで現代語訳がないので、調べながら読むのが難しい。だからとても苦手。それで、『長野まゆみの偏愛耽美作品集』のページをめくる手は『狐』のとこで数週間止まっていたのだが、せっかく買ったものを積んでおくのもなんだから、頑張って読んださ。七ページしかなくてよかった。『海神別荘』みたいにくっそ長かったら辛かったから短くてよかった。
ちなみに、『海神別荘』を辛い辛いおめきながら読んだのは、『シャングリラの鳥』(座裏屋蘭丸)のなかで語られるおとぎ話の元ネタがそれだったから。あーなるほどと思った。
『狐』に話を戻すけど、耽美だからすごいというよりはオチが面白い話だった。
その他に『僕らの地球の歩き方』(ソライモネ)も読んだけど、これはあとで気が向いたら感想を書こう。Kindleでプライム0円で読めるよ!
言いたいことはわかるんだけど、声が変わるのはテレビを音だけで見ている人(ながら見の人や視覚障害者とか)に対して「発言している人が変わった」ことを理解させる意味もあるんだよね
ゼレンスキーが話しているときもプーチンが話しているときも同じ声だと、今話しているのは誰なのかがわかりにくくなってしまうんだ
映像を見ている人にとっては問題にならないことだけれど、映像を見ていない人や見ることができない人からすると同じ声で吹き替えられることは大きな障害になりかねないんだね
そういった事情で意図的に声を変えているわけで、これは演出ではなくてアクセシビリティの観点からの工夫と言えるだろう
ついでに言うと、これは多くの人が誤解していることなんだけど、実はニュースの吹き替えで声が変わるときに声優が変わっていることはほとんどない
ニュースの地の文を読んでいる一人のナレーターが声色を変えて全ての吹き替えを行っていることがほとんどだ
一つのニュース映像に何人もナレーターを起用するのは手間も時間もかかるから(特に、速報性の重視されるニュースだと複数人から収録するのは時間が惜しい)、一人のナレーターに演じ分けてもらうことになるわけだ
だからナレーターは子供から老人、優男から強面まで全部一人で演じ分けてるんだよね
元増田の見たニュースも、たぶん同じナレーターが声色を変えてゼレンスキーとプーチンの吹き替えをやっていたんじゃないかと思う
まあ流石に性別の違いは超えられないから男性と女性が一人ずつの2人体制にはなるんだけど、男性の声は男性一人、女性の声は女性一人が担当するのが基本と言っていいだろう
そんな事情を踏まえつつ、一人二役で視聴者に別人が話しているように聞かせるにはどうしたらいいかって考えてみよう
すると、一方はいわゆる善人的な声色に、もう一方はいわゆる悪人的な声色に葺き替えるのが違いを出しやすいし聞いている人からしてもわかりやすい
意図的に善人や悪人を演じようとはしないまでも、なるべく別系統の声色を意識すれば結果的に善人的悪人的な声色になりやすい、となる
……という事情があってのあの声色の使い分けをするに至っているんだよね
ちなみに、吹き替えの話になると「不自然な役割語を使うのをやめろ」という指摘もよく出てくるけど、これも同じ様な話なんだ
一人の演じ分けだけでは今話しているのは老人なのか中年なのか若者なのか子供なのかを表現するのには限界があって、だから役割語に助けてもらっている
吹き替えのしやすさと耳だけで見ている人に対するアクセシビリティを考えているというわけだ
で、話を戻しつつさらに踏み込んだことまで考えるなら、その善人的な声色と悪人的な声色をゼレンスキーとプーチン、どちらにあてがうかの判断が作為的ではないかって指摘が出るだろう
でも、残念ながらそれについては「ディレクターや音声担当がそう判断した」としか言えないんだ
ゼレンスキーとプーチンの声を逆にしてもそれはそれで作為的だって言われるだろうからこれは押し問答にしかならないだろう
声を使い分ける以上は、残念ながらこの指摘についてはこれ以上言えることはないと思う
長くなったけど、吹き替えの声を変えるという行為は決して余計なことじゃないし、邪魔をすることが目的なわけではないってことを理解してもらえると、末端ながら報道に関わる身としては嬉しい
思ってたより難易度が高い
地の文書くのクッソ難しいし自分自身が大興奮しちゃって冷静になれなくて全然書けない
書きたい内容というかプレイ自体はあるんだけどそれをどうやったら表現できるのかわからない
喘ぎ声書くのも意外と難しい
勢いでとりあえずセリフだけちょっと書き並べてみることはできるけどそれが限界
自分で自分の書いてる内容に興奮してめちゃくちゃオナニーしてしまう
オナニー後ならいけるかと思ったけど、賢者タイム的なのが到来してなんでこんな恥ずかしいもん書こうとしてるんだよ…って嫌悪感で何もできないか、もしくはまた激しく興奮しだしてふりだしに戻るかのどっちかだった
エロ漫画とかエロ小説書いてる人って一体みんなどうしてるんだろう
「アンソロジー」っていうけど同人誌ではなく、商業BL雑誌。雑誌の雰囲気は少年漫画・青年漫画風味でストーリー重視・エロ少なめ……らしい。BLにしては、ということかも。ちなみに出版社はフランス書院。だからといってハーレクイン的なラブロマンス色があるわけではないけど。
古代中国のような世界観。「鴆」という鳥の獣人みたいな生物を飼育するのが一種の金持ちの道楽となっている。鴆は食べ物によって羽根の色が変わる。鴆のオーナー達は鴆の羽根色を競わせるのだ。鴆を飼育する人のことを「鴆飼(ジェンスー)」と呼ぶ。
本作のカップリングは、ティェンラン(鴆であり鴆飼でもある)×リュイ(人間の若者で盗賊)。
私は途中から読んだので全体のストーリーをいまいちわかっていないんだけど、今回のお話は、なんかリュイが昔の盗賊仲間を売って逆襲されそうになってるとこらしい。
手練のプロ作家の作品! って感じですごく読みやすい。絵も綺麗。ストーリーはたぶん感動とか衝撃というよりは「無難な感じ」だ。アートだ。熱烈に惹かれるというよりはコレクション欲をかきたてられるというか。単行本出たら買おうかなぁー。
大人気BL小説家・凪良ゆう先生の同名小説が原作。主人公はゲイ男性を専門に狙う詐欺師。パパ活のようなことをしては男から金を巻き上げている。
そもそも凪良先生は物語で読ませる作家というよりは文体で読ませる作家。そういう作家さんの作品を原作としても、やっぱり最大の魅力「地の文」が消えてしまうので、なんだかなぁーと。
漫画を描いた人は人気のBL漫画家らしいけど、別に……うん。繊細な画面とかなんとか宣伝されているのを見たけど、私は画面が白いなとしか思わない。でも面白そうではある、原作小説が。まあ、小説のメディアミックスっていうのは、大体引き算だよなぁ。
高校生主人公の学園もの。特に秀でた所のない佑征が、幼なじみで何でも小器用にこなしてしまう天才肌の樹を好きだけど好きと言えずに悶々としたりツンツンしたりする。少女漫画風味隠れゲイの苦悩話。カプの左右不明。今回は子供時代の回想メイン。
よくある話だなと。でも月並少女漫画みたいな作風の漫画は意外と求められているもだろうか。去年は『コントラスト』(itz)がヒットしていたことだし。たぶん、好きな人は好きなんだろう。
獣医師が知り合いの親切なおばちゃんに頼まれて、町外れに蟄居している少年を診察しに行く。少年は全身の皮膚が鱗化して角まで生えるという奇病に罹っている。獣医師はなんとか少年を診察しようとするが、少年は人間不審を拗らせており、患部を見せることすらしたがらない。診察するのしないので揉めている最中。
自称宇宙からの侵略者で人語を操る猫が、穂堤(ほづつみ)と今市(いまぢ)と犬のチャヅケの住む家に転がり込んでくる。その日常。今回はほづつみといまぢが致している所を宇宙猫のサンが覗き見して、なんだかんだ揉める。なお、サンは宇宙猫だけれど、虚を衝かれたかのような顔つきをしている訳ではない。
ああ、オチはやっぱりそうなるんだ……w
オメガバース設定作品。αだったはずの主人公・悠生は何故かバース性がΩに転換してしまう。成績優秀で親の期待に添えていたはずが、一転して無能の産むだけが取り柄の人扱いに。そして悠生は彼を見初めた男・恭悟に金で買われてしまう。以来、悠生は恭悟に服従状態。恭悟は悠生の心からの笑顔が見たくて、有名進学高校への転入を勧めるが……。
ちょっと昔の男女格差をごりごりに風刺したような内容で、精神にかなりクる。『82年生まれ キム・ジヨン』みたいに、細かいところで心をポキポキ折ってくるような。そしてレディコミみたいにねちねちドロドロしてる。
攻めでαの恭悟が無自覚に強者の傲慢から悠生に復学を勧めておきつつ、嫉妬に駆られてあっさりと梯子を外す、その態度の豹変がとてもリアルだ。もうやめて、それはただのDVよ!
はぁ、つらい……。つい読んじゃったけど、私はこういう類の悲愴感をBLには求めていないかなとも思う。
もはや男女カップリングではここまで時代錯誤なネタは迂闊に描けないから、オメガバース設定が表現の駆け込み寺みたいな役を果たしているのかなという気もする。
戦闘用サイボーグのイーサンが生身の人間のミハイルに恋をしちゃう話。
普通に恋愛してるなぁ……。連載開始当初は、なんかもっとこうシビアでストーリー重視のハードボイルドが始まるのかなと思ったら全然。かわいいミハイルにイーサンが惚れてしまい油液が飛ぶ(←言葉通りの意味)BLだった。
一回ミハイルが死にそうになったくらいで、特別な事件が起こる訳でもない。もっぱらイーサンが「これが恋……?」と動揺しているだけである。だが正直、あまり萌えはないかな。そういえば、ミハイルってイーサンのこと好きなの?
サイコパス過ぎて人の世には居場所のないマコトちゃんが、悪魔Jを召喚して魔界に行き、悪魔に生まれ変わって無双する話?
悪魔は人に名前を忘れられると消えてしまうらしく、マコトはJが孤立するよう根回しをし、彼を弱体化させる。今回は久しぶりにマコトがJのもとを訪問するところ。
連載の半分も読んでいないせいでストーリーや登場人物の関係性をいまいち把握出来ていないという私の個人的事情を差っ引いても、何を言っているのかよくわからない台詞がいくつかあるような?
とにかく、マコトとJによる激しい心理戦が繰り広げられていることだけはわかった。愛憎が入り交じるというよりかは愛情表現がおかしい二人なのか。
旅人のオルは城塞都市ペルオテに着くやいなや荷物を盗まれ、無一文の身元不明人なってしまう。そんな彼は娼館の下働きとなり、娼夫・アコニとなんかあれな感じになる。
ストーリーがよく分からないので、1話の試し読み数ページを読んでやっとオルの境遇を理解した。この人が主人公だったのか……。てっきりアコニさんが主人公なのかと。今回もまあよく分からないけど、ねこみみ獣人達は娼館にいる方がマシみたいな設定なのだろうか?
主人公でアルバイトの子が勤め先のオーナーに惚れて、そのオーナーって人が胡散臭いレベルのスパダリなのだが、主人公と付き合っているのかいないのか微妙なセフレ関係っぽい付き合いをするから主人公が病んじゃって、でもスパダリはスパダリパワー全開で主人公をよしよしいい子いい子してくれるって話。
ありがとうベルガモット&サニーデイありがとう! タイトルだけはなんか好きだった!!
高校教師の佐田は見た目性格ともに非の打ち所のないイケメンで、同僚や生徒からの人気が高い。そんな彼はある夜、不慮の事故に遭う。次に目を覚ました時には手術台の上で、科学者の間宮が側についていた。間宮によれば、佐田は一度死んだところを間宮の手によって蘇生させられたが、ゾンビのようなものとして生まれ変わったのだという。
間宮家で始まる、ゾンビと猿のような人間とリアル猿の、二人と一匹暮らし。
思いがけず萌えとラブに全力投球な本作。第1話のシリアスでダークな雰囲気から行き着いたのがここなの? たのしい大人の修学旅行なの!? 唐突なようでいて自然な流れで旅行して、ちょっと揉めたり仲直りしたりお互いに理解を深め合ったり、でも片想いは片想いのままだったり、心理描写がすごい。リアル。
これまでの朝田ねむい先生の作品は恋愛色の薄い作品が多かったのだけれども、まさかゾンビ物で究極のラブストーリーを描いてしまうとは。
https://anond.hatelabo.jp/20220113151632
すまんけど、私は表紙見ただけで回れ右だな。エロ売り作家は基本読まない。いうてBLなんかエロばっかりじゃないかいと言われるかもしれないし、実際エロばっかりなのだが、表紙であからさまに「ある種のエロしかないです」と主張してるような作品は、読んでも気分悪くなるので読まないです。
今日、本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった
日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議な小説だ
数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの
一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする
夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地裏から訪ねてくるルートを幾何学的に説明していたのを覚えている
小説の地の文で風景描写や位置関係を説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題の説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う
「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった
昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ
だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った
夭折したドナルド・エヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった
既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的な書簡まとめみたいな感じ
僕はドナルド・エヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている
ドナルド・エヴァンズは架空の国の気候や政治を想像しながら切手を水彩画で描いて作品にしてた人なんだってさ
著者は実際にドナルド・エヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前親しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身のドナルド・エヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ
こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい
小出しにされるドナルド・エヴァンズという人物の肖像と人生、旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルド・エヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしまう
こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルド・エヴァンズが好きになっていくんよ
少年時代に切手収集が共通の趣味だった親友の切手が誰かに盗まれてしまって、ドナルド・エヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手を作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった
皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手に想像していいな、うらやましいなとか思った
こういうのを洒脱な文って言うんだろうか
なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった