はてなキーワード: 土葬とは
おかげさまで幸いな事にまだ頭も体も元気だが、そう長く一緒に居られるわけでもないと思うにつけ、せめて盆や正月には一緒に過ごそうと時間を作っているわけである。
そんな両親に昔の話を聞くのが好きなわけだが、
神奈川のそれなりに拓けた場所に住んでた割に、水汲みが井戸だったり、風呂は薪を燃やしていたりと、現代から見ると江戸時代と何が違うのか疑問な部分も多かったようだ。
実際、既に他界されている祖父母の家は、私が子供のころまでボットン便所であったのが記憶に残っている。
してみると、今の70代80代というのは、江戸時代から現代まで一生の間に経験したようなものであり、
今もスマホをいじっている父母は、スマホをいじれるだけでも凄いものだなあと感心しきりである。
この間聞いた話では、父母が子供のころ、埋葬が火葬ではなくお棺に入れて土葬だったとの事で、
法律的に火葬が義務になったのが戦後であるのは知識として知っていたものの、
実際に関東首都圏で土葬してた経験談というのは初めて聞いたわけで、現代における当たり前なものは、案外歴史が浅かったりするのだなあと思う次第。
当然ながら、当時有用だった技術も、時代が変わって廃れるのは世の習いなわけで、
父親は釜に薪をくべる時に如何に空気が通りやすいようにくべるかの技術を持っているそうだが、そんな技術は今となってはキャンプファイヤーか焼き芋でも作る時にでも役に立てば良い方だろう。
台風の時には、窓を破られたら、反対側の窓を開けないと屋根が飛ぶなどという話を聞くにつけ、
ファンタジー小説などは、下手に便利な魔法なんて出すより、そういう「時代が違うがゆえの異なる風習」のようなものを描いてくれた方が面白くなるだろうにと惜しまれる。
木でできたお棺はそのうち土中で腐って崩れ、中に空間がある分、上の土がドサッと落ちて地面が凹んでしまうのだそうである。
それを避けるために、あらかじめ墓の上には土を盛り上げておいたそうで、
昔話に出て来るお墓が土まんじゅうでこんもりしているのは、何とそういう知恵によるものだったのかと、思わぬ気付きを得たりもしている。
私が子供だった頃は、白黒テレビもまだ現役で、電話はダイヤル式、クーラーは無く、暖房と言えばコタツか石油ストーブだったわけだが、
いつか甥っ子らにそういった昔の話をしてびっくりされる時もあるのだろうかと思う次第である。
なお結婚の予定はないので、我が子に昔話をする機会は訪れないだろう。
ツッコミどころが多すぎて困ったがせっかくなので書くわ。
勘違いしてるだろうから言っておくと、ネアンデルタール人は人類の祖先ではない。同じ時代を生きた人類以外のヒト属である知的生命体です、知識のアップデートを行いましょう、昔は旧人から新人に進化して、それが人類になったみたいに教えていましたが、それは間違いだったと最近の調査でわかっています
この図もちょっと古いが、ネアンデルタール人は一番左、ホモ・サピエンスは一番上な。
20万年前に不幸の概念があったかどうかは知らんが、シャニダール洞窟 っていう中東にある洞窟にはネアンデルタール人の「墓」があります。
彼らは死者を埋葬していたんだ、土葬だね、いやまあ火葬したって説もあるし、実は治療痕があるとか、
これだけの傷を追って、それから長期間生きて、そして埋葬されたってことは
障碍者でもちゃんと社会の中で生かそうとしたとかそんな学説もあるくらいだよ。
この埋葬されたネアンデルタール人の墓の土を調べたところノコギリソウの花粉がたくさん見つかった。
死者に花を手向けたんだね、今でもシャニダール洞窟の近くでは今くらいの時期になるとノコギリソウがあたり一面に咲くそうだよ
つまりそのネアンデルタール人はいまぐらいの時期に死んだんだな。
話それたが、不幸について、だったっけか。「不幸の概念」そのものがあったかどうかってのはわからんが
死は不幸なことだから、埋葬したんだと俺は思うが、君はどう思う?
まあ、これについても研究がずっと継続しているから、またアップデートされて否定されたり、さらに強化されたりしていくと思うんで、
もし君なりの答えが思いつかないなら、君もこれを機会に興味をもって注視してくれると嬉しいなと思う
もう去年からボケのせいか自分でご飯を食べられなくなっていた。
母が必死に、柔らかく煮た肉や野菜、水を飲ませたからここまで生きてられたのだと思う。
正直年を越せるとは思っていなかった。
あの日は母がずっと看病していた。
痛くて起き上がれず、寝ることで痛みから逃げていた時、父が体調が悪いと仕事から帰ってきた物音を聞いたのを覚えている。
また眠気に負けてうとうとしていたら、次は母がすすり泣く声が聞こえた。
それで亡くなったんだなと気づいた。
しばらく身の置き方が分からず寝たふりをしていたが、父が起こしに来たのでリビングへ向かう。
すぐにペットの火葬専門の人を呼ぶというので、ひとまず撫でる。
痩せてガリガリなのは覚えていた感触と違ったが、毛並みや暖かさや、耳のふわふわ、足の折りたたみ方、首の座り方がいつもの愛犬だった。
ほんとに死んでいるのかと思った。
母が落ち着いたので、変わらずまっすぐを向けない首を治しに整体へ向かうことにした。
火葬の人は深夜近くにならないと忙しくて来れないという。
火葬の時、痛みで外に出れないのは嫌だったので、今のうちに少しでも治しておこうと思った。
棺のような仮の箱は、少しでも冷えている玄関近くの廊下に置いた。
整体から帰ってきて、深夜に火葬の人が来て、棺から母が愛犬を出した。
見た目はいつもの愛犬でも、母に取り出された様子からさすがに死んでるなと思った。
艶のある頭を撫でて、耳のふわふわをふわふわして、背中を撫でた。
まだ暖かかった。
毛皮とはすごいものだと思った。
火葬の機械に入れられるとき、あったかかった感触を思い出して、なんだかまだ何かは生きてる気がしたので、可哀想だなと思ってしまった。
自分の頭の中では間違いで生きたまま土葬されたよその国の人の怖い話が思い出されていた。
正直、去年からは自分で歩くこともできず椅子の隅で丸くなっていた愛犬の存在は、日中家にいない自分の中で薄くなっていた。
と、思っていた。
しかし最近、スーパーで買い物をした帰り道に、尻尾を振りながら寄ってくる愛犬を荷物で塞がった両手で撫でるのは大変だなと考えながら帰宅したり、
母に言い訳をしたときに、ねーそう思うもんねと同意を求めそうになったり、
そういうことが多くて、存在は十分にあったのだと思う。
もう一回会えるなら、ぎゅっとした後に一緒の布団で寝たいなぁと思う。
森の中だった。スコップで腐臭のする死体を穴に埋めていた。死体は少なくとも2つあった。まだ肉が残っており、腐臭を放っている。顔をしかめながら土を被せ続けた。
並走していた旅客機が、浮力を失って黒煙をたなびかせながら墜落していった。追っていた数機の飛行機もまた謎の墜落を遂げた。
通信機器の異常があった。そのロットで製造された通信機器全てがダメだった。私たち歩兵は混乱した。しかし、作戦の進行はもはや止めることができない。
そう思うや否や味方の戦闘機から榴弾を食らった。敵もろとも掃討されることになったらしかった。
狐の嫁入りの参列した。そこでは、河童の肉の刺身が振る舞われた。人間が食べて良いものと悪いものがあるらしく、河童の刺身は食べることができた。
http://anond.hatelabo.jp/20160917091613
これ読んで、そういや聖書は葬式について何を言ってるんだろうと思った(俺はクリスチャン)が、とりあえず葬式はしないといけないみたいだな。
人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら、流産の子の方が好運だとわたしは言おう(コレヘトの言葉6-3)
葬式しなきゃいけないっていうか、葬式をされるような(愛された)人間になりなさいってことかもしれんが。
んで、そのやり方を土葬でやるべきか火葬でやるべきか争いがあって、
戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し[た](サムエル記上31-12)
大学に勤める僕は大学という密閉された世界で、比較民俗学というさらに密閉された研究に打ち込んでいた。
その国の夏は日本以上に蒸す。粘つく汗をTシャツに纏わせ、僕は目的の村を村長に案内されていた。
朝から歩き通しだった。そろそろ疲れの色が見え始めたとき、共同墓地が目に入った。
頭蓋骨が埋められもせず土の上に山積みになっている。
何より目を引いたのがその色だった。真っ黒に塗りつぶされた骸骨は表情を失い、ただそこにあるだけといった趣だった。
村長に尋ねるとこれが国の風習らしい。近年、欧米の葬儀の様式が伝わってきているとは言え、小さな村ではまだこの方法で死を弔っていた。
肉と繊維を焼かれた骸骨は一部土葬される。そして頭蓋骨だけには炭を塗り、埋められずに墓地へ供えられるという。
死にまつわる全て、悲しみや虚脱、混乱などを黒く塗り込めてやって天国へ送る。
やがてその魂は精霊へと昇華し国の発展と恩恵を与えてくれるという。
やはり現地に来てよかった。僕は満足しながら論文の構成を頭で計算していると、少し離れた脇に白い頭蓋骨があることに気づいた。
その周りを三体の黒い頭蓋骨が囲っている。まだ火葬したばかりの骸骨なのかもしれないと思いつつ村長に訊ねると
「あいつは塗りつぶせないんだよ」
と一言返ってきた。村長の口は重かった。しつこく訊ねると、あの頭蓋骨は生前、人を殺したのだという。
「罪を犯した人間は塗りつぶせない。精霊にもなれない。太陽の光で何百年、何千年かかって自然と黒く焼き尽くされるのを待つんだ」
いわゆる愛国ポルノと言われている書籍群というかコンテンツ群がある。ネトウヨ本とか嫌韓本ともいうあれと、日本は実はすごいところがある!っていうやつだ。
そういうのを売り買いするべきでない読むべきでないという主張をする人たちもいる。ここ何十年か主流だった日本的左な知識人ってやつ。
でもね、「日本すごい」本と「日本人はこんなにひどい」って本は私は同じものの表裏で、まったく変わらないものだと思う。
だって、残虐な大日本帝国の軍隊、っていうのはポルノだからだ。
軍隊があった時の日本はすごいひどい国だった、今は軍隊がない!うわあ、しあわせ、でも僕たちはひどい人の子孫だから永遠に謝って暮らしていこう。これポルノです。
わたしそっくりなアダルトビデオ知ってる。コンビニで万引きした女の子が店員につかまって警察に行く代わりにレイプされちゃうやつだ、これ。悪いことちょっとした人はいくらでもひどい目に合わせていいっていう筋書きはとてもきもちいい。
ここ70年ぐらいブームだったそういう勧善懲悪残虐ポルノですが、時代が過ぎるにつれ現実味がなくなって顧客が離れてきました。コンテンツの改良を怠ったからです。
昔なら食うに困って売り飛ばされた子供がおっさんに買われてめかけ、っていうのが筋として成り立ってたとして、そういうのばっかり繰り返すと飽きてくる。どんどんマニア向けに過激になっていって、コンビニ万引きレイプを経て駅ですれ違う時に肩がぶつかった時謝らなかった女がムカつくので追いかけてって誘拐監禁レイプ後バラバラ死体で土葬みたいなのばっかりになっちゃってついてこないわけ。
そこで新機軸です。今はバカで金がなくて汗臭くて気持ち悪いありのままのあなたの前にあなたをだいすきっていう相手が現れてらぶえっちしてくれる都合のいいポルノが流行しているわけですよ。すなわちそれが最近の愛国ポルノ。
それに「リアリティがない!男女が衝突したら絶対最後レイプになんないとAVじゃない!」みたいなこと言っても「現実見ろよご老体、どっちが売れてんの?」ってなるわけ。