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はてなキーワード: 土佐日記とは

2015-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20151221210136

ここで生半可に知識がある連中なら、

ネカマしてるけど質問ある?」とか書きそうだけど、

紀貫之文学史上においてもっと評価されていいと思う。

彼の業績は、『古今和歌集』や『土佐日記』といった作品で、

「唐歌」に対する「大和歌」の意識を鮮明に打ち出し、

源氏物語』を頂点とする仮名文学への先鞭をつけた点は、

国文学の礎を築いたという意味で、あまりにも偉大な人物だからだ。

「女もしてみむとてするなり」という言葉に込められた、

貫之のぎりぎりの想い、あなたにはわかりますか?

2015-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20150804121911

意図的じゃないの?校正はもちろん通ってるんだろうし。

紀貫之さんが書いた『土佐日記』って作品あるけど、

あれだって出た当初は日本語としてダメだろってさんざんこき下ろされたけど

模倣いっぱい出て最終的には名作扱いされたしな。

正しいかどうかなんて小説としては些末事。

2014-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20140319104909

長くなったので、一行で結論。相手を認めて、決して近づかない関わらない言及しない、敬遠するのが「正しい」振る舞い。

元増田が、うっかりツイッターはてダとかで書かなかったことを幸運に思うよ。危うく吊るしあげられるところだったよ。増田ならもし炎上してもダメージは少ないし。

ネットには、言葉を「正字正かな」で記す「正字正かなクラスタ」と呼ばれる人たちがいるのです。あのクラスタ20年近い重鎮のnozakitakehideなんかはたしか40歳くらいだし、むしろ戦後世代ほど多いんじゃないかな。あと、彼らに言わせると、あれは「正字正かな」であって、戦前に使われていた「旧字旧仮名」と同じではないらしいよ。旧字旧仮名規則性がなかったり、正しさには欠けるみたいなので。うっかり「旧字」「旧かな」「文語体」なんて表現したら、彼らは罵倒されたと思うみたい。

「旧仮名遣いは読みにくい」→「これは正字正かなといって〜むしろ現代かなのほうが〜(だいぶ中略)(だいぶ後略)」→「返事がないただの屍のようだ」→やりとりを自サイトに残して永遠に死体蹴り、までが一般人正字正かなクラスタの会話のテンプレ。まあ、最後の方は一般人は死んでるので、会話といえるかどうかわからんが。この流れは20世紀末のテキストサイト界隈(懐)にはすでにあった。最近では、全部twittertogetterで完結してて、確認・糾弾から死体蹴りまでが正字正かなクラスタ総出で24時間体制で行われるので、より進化してる。正字正かなクラスタには地雷ワードだらけなのに、知らずに踏みに行くバカが悪いんだが。正字正かなググると、正統性を認めない連中とのバトルの記録がたくさん見れるよ。

正字正かなへのこだわりに考えられる理由は、「正字正かな」の「正」すなわち正当か正統とか正しさを追求してるからだと思う。メガテンのロウみたいな。そんでもって、「世の中の無知蒙昧な愚民どもはそんなことも知らずに、漫然と現代かなを使っている中で、俺は日本語として正統な歴史のある、正しい仮名遣いをしてるんだ!」なんて、想像するだけでも脳汁バドバ出てきそうじゃん。大乗仏教上座部仏教みたいなもので、自分たちが「正」ってのは、とても気分がいいことだしね。

他には、世の中が間違っていて、俺は正しい真実に気づいている!みたいな側面もあるかもね。何かしら「自分」の置かれている立場に不満・不安があって、その原因を「現実」とか「社会」にあると考えて、それらを否定することで自分価値見出してるんじゃないのかな。そこでは、正字正かなはあくまでツールなんだけど、正しいものが世に認められてないことは、そういう人にとって強くこだわる理由になるよね。

ところで、正字正かな使って書いているのがアニメ評論だったりして、現代文化の象徴アニメをあえて正字正かな記述したり、ブコメ日常つぶやき正字正かなで書くという、なんともいえないマリアージュには、そこはかとない前衛的な芸術性を感じるよね。土佐日記の逆バージョン的な。まあ、仮名遣いなんて趣味芸術の問題なので、理解ができないならスルーするのがいいと思うよ。正字正かなを見たら、彼らは凡人のわたくしどもには理解の及ばぬ高みにいる方々なんですね、という判断基準にすればいい。

2013-11-14

女には「創造」が出来ない(追記)

http://anond.hatelabo.jp/20131112234910

たくさんのトラバコメントありがとうございます

実を言うと、前記の会話にはかなり端折ったところが有って、

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私「いや、そもそも与えられた条件が違うし……平安文学とかは女性主体で書かれてたんでは?」

某「いや、『竹取物語』とか、初期の方の物語の作者はみな男性だったし、そうやって男の作者が書いて女子供に読ませてた物語を、女が真似して書き始めたのが広まったの。日記だって最初の『土佐日記』に『男が書く日記を女も真似して書いた』ってあるじゃん。そういうことだよ。『源氏物語だって道長バックアップで評価されたってのが大きいし、後になって、藤原定家とか本居宣長とか男の学者が評価して研究たから。でなきゃ多分今まで残ってないよ。女が内輪で盛り上がってるだけじゃ同人と変わらないからねえ。樋口一葉は鴎外や漱石が評価したからで、でなきゃ今の綿矢りさみたいな扱いでしょ。それに女に特に人気があったわけじゃないしね。……いや、どれも作品自体は凄いんだけどね。女にしか書けない内容だし」

某「第一、どのジャンルでも男の作家から影響を受けた女性作家ってのはいるけど、その逆ってほとんどないじゃん? コミケ参加者は女の方が多いけど、その割りにプロは少ないよね。まあ、俺はコミケは嫌いだけど」

私「(それってやっぱ「条件」の問題なんじゃ…)」

某「いや、確かに凄い人は凄いんだけどね。本質的には女は創作には向いてないね例外的には才能ある人いるけど、そういうのに限って人としては酷いのばかりだし、素じゃ近寄りたくないよな」

私「それは女に限らないでしょ? 男だって創作は出来ない人が大半だし……」

某「いや、一般的な傾向を言ってんだよ。男が最初から出産できないのと同じ。……ついでにきついこと言うけど、君自身には創作的な才能は残念ながら無いよね。いや、俺にもあんまり無いけど。まあ、女にしては頭は良いというか、まだまともなんじゃない? 出産方面ダメそうというか、あんまりいい子供は出来なさそうだけど……それはそれとして、俺が言ってるのはあくまで全体の話だし、事実から

私「……」

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結局は、女性というよりは私自身が見下げられていただけ、という気がします。

ついでに付け加えると、彼は別にクリスチャンではなくて、宗教全般に興味が有った感じです。アマテラスの話題はあまり出ませんでしたが。

2007-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20071204201913

残念。

ディスコミュというか、どうも言葉がねじまげられて伝わっているような感覚

最後に勘違いして怒って終わらせてしまうあたり、特に。

で、核心をついてるつもりっていうのはコレ?

なにより、インターネットでの「日記」という言葉は「ノンフィクションの身辺雑記」というよりは「文章」のほうが意味は近い気がする。

いや、ナイ。

日記」=「文章」はないわ。

自分の感覚を信じるのはいいけれど、ちょっと突拍子もないのが多いよ。

辞書に載ってる言葉の定義まで変えちゃうのは行き過ぎでしょ。

で、

ノンフィクションであるかのように他の増田の中に紛れ込んだ。

(これが日記文学と違うところ。)

日記文学は明らかにノンフィクションであるかのように存在していると思うのだけど(『土佐日記』『和泉式部日記』とか昔のでもいいけど、武田百合子富士日記』とか『断腸亭日乗』とか風太郎とか、要はその辺。この辺は、どれが真実でどれが嘘か。まさか、日記がすべて本当であるとお思いか。日記こそ、ノンフィクションであるかのように、ところどころに嘘が、他の日記の中に紛れ込んでいく。あなたは乙一『小生日記』がフィクションであると知って激怒する読者であるはず)。

いやいや、大事なのそっちじゃないから。

増田の中に紛れ込んだ」の方だから。

そして『小生日記』にキレるなんてありえないから。

一番最初のレスはまだ書き直す余裕を持っていたみたいだけど、あまりにも理解しようとする姿勢に欠けてるんじゃないかな。

(とてももう一方の流れを読んでくれたとは思えない。)

もう一人の方とはお互いの意見を確認できたけど、あなたには正直疲れました。

まあでも、こちらにも落ち度はあったろうし、自分の思考を見つめ直すきっかけをくれたことは確かだ。

感謝するよ。

じゃあ、またいつか。

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