はてなキーワード: 国谷裕子とは
参院選で赤松健などが「表現自由派」と「表現規制派」の対立が存在して、表現の自由を守れと主張している、これはそもそもが完全にデマであり間違いである。リベラルなフェミニストが「表現の自由を制限すべき」などと考えているわけがないし、むしろその逆である。
フェミニストが問題にしているのは、「表現・言論の自由が現実には男女で不均等に配分されているのではないか」ということである。それは国会議員の男女比に端的に示されているし、経済団体の会合で居並ぶ人たちは平均60歳以上の中高年男性である。一般の行政や企業の会議も、現状ほとんどは男性が仕切っているだろう。憲法や法律で女性の表現・言論の自由を規制しているものは全く何もない以上、こうした不平等は社会全体の中でつくられていると考えるほかない。
そこでフェミニストは、女性の実質的な表現・言論の自由を奪っているものとして、公共的な場面における表現物に着目する。つまり、女性は男性のサポート役であり、男性の「花=添え物」であり、男性の性的消費の対象であるかのような発言や広告である。フェミニストはこれらを問題にして、そうした言論・表現は(少なくとも公共性高い場面では)規制されなければならないと考える。
これを形式的な「表現の自由」で批判することは可能だが、それは表現・言論の自由の全てではない。むしろ形式的な表現・言論の自由を守るほど、男性マジョリティの発言権ばかりが強まって女性の言論・表現の自由が抑圧される、という日本社会全体の構造と向き合う必要がある。向き合う必要性を感じないとすれば、それは実のところ表現・言論の自由に関心がないと言うしかないだろうし、日本の自称「表現自由派」のこれまでの言動を見る限りは、そう言わざるを得ない。
(追記)
この問題をややこしくているのは、問題になっている広告の萌え絵を好むオタクの人たちが、マイノリティの被害感情を抱えていることが多いこと。フェミニストから見れば「女性を性的対象にしている広告」でしかないものでも、オタクの人たちにとってはそれを批判されるのは「マジョリティ社会からの抑圧」に見える。発信力のあるフェミニストの多くが弁護士や大学教授、新聞記者など、社会的な威信や地位の高い職業に就いているから、なおさらそう映る。「キモい」という、非モテ男子にとって破壊力の高いワードを無邪気に連呼する一部フェミニストが目立っていることも、オタクの人たちの被害感情を刺激している。
この点については、自分はオタクの人たちに同情的である。しかし、だとすれば掲げるべき旗は「表現の自由」ではなく、オタク系男子に対する自覚のない侮蔑的な発言や表現で自分たちがどれだけ傷ついているのか、ということへの抗議だろう。
(追記2)
まあまあ炎上してますね・・・。前にも似たようなことなんども書いているのに。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
何が問題になっているのかをわかりやすく例えて言えば、男性8:女性2という構成の会議や討論会で、その中で声の大きい饒舌な男性が軽い下ネタでその場の爆笑をとったとしよう。これだけで女性が発言することが圧倒的に困難になることは、容易に想像できる。吉野家の元常務は、まさにこうした話術で会議の場の空気を支配する名人だったのだろう。フェミニストは、こうした環境が日本の社会全体に薄く広く存在していると考えているのである。「下ネタは禁止」は、確かにそれ自体は言論の自由の規制であるが、それを放置すると言論の自由の行使が男性に圧倒的に偏ってしまう点で、言論の自由にとって必要なものである。
現在、テレビの情報番組から帯ラジオのMCまで、日本のメディアを支配していると言っても過言ではない「お笑い芸人」たちは、最近は女性も若干増えつつあるとは言え、圧倒的に男性中心である。特にお笑い芸人にとって、あけすけな下ネタトークは必須である。女性でも下ネタを嫌がらない人は確かにいるとは言え、平均的な女性にとっては明らかにハードルが高い。結果として、男性が仕切る、男性目線で構成された番組だらけになり、女性はそれに相づちをうったり、あるいは「天然ボケ」を男性MCに突っ込まれたりするだけの存在に成り下がる。
いま番組を文字通り仕切って自己主張を展開できている女性というと、和田アキコはまあ例外としても、ラジオのジェーン・スーぐらいしか見当たらない。国谷裕子や小島慶子は戻ってこないだろうか・・・。
ジェンダーネタが盛んだが、そろそろ女子アナの存在も槍玉にあげていいと思う。断っておくと、個々の女子アナを批判しているのではなく、民放テレビ局における女性アナウンサーの扱いを批判しているのである。
女子アナほどジェンダーバイアスが露骨に出ている職業はない。最近ニュースキャスターに女性は確かに増えているが、番組編成の現場は圧倒的に男性であり、そこで求められているのは明らかに広告塔としての役割である。かつての国谷裕子のように番組そのものを仕切っている女性は皆無に近い。
バラエティでは相変わらずひどい。多数の男子芸人と女子アナ一人という配置で、芸人のセクハラまがいの発言を女子アナに投げて笑いをとるという手法が、依然として多く見られる。クラスの優等生女子を下ネタでからかうという中学生男子の悪ふざけを、テレビ番組として公然とやっている。爆笑問題は好きだけど、太田が女子アナをセクハラでいじることを、いつまでも彼のキャラということで許容すべきではないと思う。
これも昔からだが、男子アナは年齢に比例して任される番組が大きくなるのに対して、女子アナの場合、入社2年目ぐらいの女子アナが、その局の看板番組に抜擢されるということが多い。結果、現場では中堅男子アナと入社2年目頃の女子アナという組み合わせが多くなり、必然的に女子アナのミスを男子アナが突っ込むという場面が定番になる。テレビ局もそれを狙ってやっているわけだが、これが「男子は普通に実力主義なのに、女子は見た目だけで評価されている」という偏見をまき散らしている。
番組で着ている服も、圧倒的にコンサバなファッションでゆるふわなスカート姿が多い。実際にそういうファッションをしている女性は、職場でも街中でも明らかに少数派であるが、女子アナにはそういう服しか許されていないかのようだ。過剰な笑顔や、元気印のポーズ、甲高い声なども、これを誰が喜んでいるのかを考えるとうんざりしてくる。
女子アナは高学歴で就活の勝ち組トップの女性である。就職先はそれこそいくらでも選べたはずである。社会の最先端で活躍すべき優秀な女性たちが、中高年男性を喜ばせるためだけに存在しているとしか思えない、旧来のジェンダー規範を全身に身にまとった職業を積極的に選択する(せざるを得ない)というのが、日本でジェンダー差別の解決の困難さを象徴している。
本当の意味で女性主導で、女性が仕切っている番組は、ラジオで恐縮だがジェーン・スーぐらいしか思いつかない。普通の番組では男性に対して受動的な役回りに徹している女子アナたちが、彼女の番組に出ると活き活きと発言しているのが象徴的だ。とくに「オーバーザサン」は、男性の性的視線や興味本位を一切排して女性の美容や生理の問題などを正面から扱っていて、掛け値なしにすごい番組だと思う。知名度が知る人ぞ知るレベルなのが残念だけど、こういう番組が普通に増えれば女性差別も減っていくのだろうと思う。
(追記)
「たまむすび」はどうなんだという意見にコメント。赤江さんは確かに「女子アナ」の枠からは外れた人だし、小さなことに悩まない安心感・安定感のあるキャラは決して嫌いじゃないけど、やはり男性芸人たちに天然ボケを突っ込まれる側の役割で、「意見」や「分析」という「男性的」なことには決して手を出さない(他方で優等生コメントは器用にできる)という意味では、ジェンダー平等という観点からはそこまで高い評価はできないかな。
スタートレックに出ていたアフリカ系女優が「こんなばかばかしいドラマで、しかも自分はミニスカートをはかされて面白くない、辞めたい」みたいなことをキング牧師に言ったら、「いやいや、黒人が普通の人間として扱われているドラマに出ているんだから」みたいなことを言われて(この回答もちょっとズレているような気はするけど)、辞めるのをやめた、とかいう話があったそうな(と思ってソースを探したんだけど、お色気要員として扱われていることに嫌気がさしたという話は見つからなかった。勘違いだったのかな? http://www.nhk.or.jp/kaigai-blog/100/9680.html)。で、今じゃいちおうアフリカ系大統領も誕生しているわけで。
今日の新聞を読んだら、TBS夕方枠ニュースの女子アナが取材されていた。彼女の妹も日本テレビでアナウンサーをやってるそうだ。へえ。
まだまだ「添え物」なのかなあ、とは思うけど、女子アナウンサーって、女性が就ける職業のなかではかなり待遇のいい仕事だよね。社会的影響力とかもあるし。イチローと結婚した人や松坂と結婚した人は早々と内助役になってしまったようで、もちろんそれは個人の自由だけど、国谷裕子とか田丸美寿々とか小谷真生子とか、あのへんの人たちは僕が子供のころからずっと現役で活躍している。まああの人たち人一倍優秀そうな感じだから、ロールアップモデルとかいうのはちょっと違うかな。
いま50、60の社会的影響力のある人が子供の頃って、まだ「女性は家庭に」みたいな観念の強かった時代だと思う。「優秀な女性」とか「男性と同等に働く女性」みたいなものを頭では理解できても、実感はできないんじゃないかな。少しずつ時代は巡って、女性も当たり前に働くようになってきたわけで、まだまだ男女格差があるとはいえ、個々人の意識は変わってきているんじゃないかなーと思うんだけどどうかな。