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はてなキーワード: 国立大学とは

2024-04-23

おい、若い衆、見合い結婚はいいぞ

今は見合いなんて風習なくなったんだろうか。婚活アプリとか会員制クラブとか使うのか。

今つくづく思うんだが、俺の場合はかなり幸運だったのだろう。

それで、俺の場合の概略を述べる。

俺のスペック(という言葉自体よろしくないが)

当時34歳

東北地方県庁所在地在住

大卒無名関東地方大学

収入不安定(ただし、当時の平均以上)

兄が結婚して両親と同居、すでに子どもたちは小学生

身長170cm、痩せ型

++ヨメさんのスペック++

当時29歳

俺と同じ県の某市内在住

大卒地元の人しか知らない国立大学理系だぞ)

当時は収入ほぼゼロ

長女で、両親の世話をする可能性あり

妹は既婚で遠方に在住(すでに子どもあり)

身長164cm、痩せ型

+++共通する点+++

どちらも同じ県の生まれ

どちらも先祖代々日本人

どちらもサラリーマン被雇用者の家庭ではない

どちらも家は昔から仏教宗派は異なる)

どちらも食い物の好き嫌いは少なく、酒を飲む

これは後から判ったことだが、家族親族にはギャンブル依存遺伝病、犯罪歴のある者はいない。

どちらも、ほぼ、童貞処女

まあ、こんな感じだが、むこうが俺をかなり気に入ったようで、積極的に攻められて、見合いから3か月後ぐらいに結婚した。今から思うと、やっぱり女のほうからグイグイ攻めないと、話はまとまらないと思う。特に俺みたいな優柔不断な男の場合は。

当時、俺は相手スペックなんて、ほとんど気にしなかった。

ヨメのほうは、当時としては年齢的にはあせる時期で、将来的に親の面倒を見るのは、かなり不利な条件であると思っていたようだ。それに、当時の女としては学歴が高すぎて、釣り合う相手が少ないという事情もあったかもしれない。それにしても、こっちの収入心配じゃなかったのか、今でも不思議だ。

さて、これからがこの匿名ダイアリーポイント

結婚後のトラブルの9割は、双方の家族、具体的には親の問題なのだ。俺の父親は、説明不能トラブル人間で、それを母親、兄、兄嫁が支えていた状態スペックのところで書いたように、遺伝病もギャンブル依存も無いが、それと同じくらいのやっかい人間だ。

ヨメのほうの両親も、いろいろ問題がある。これも犯罪歴とか詐欺とか新興宗教から問題ではないのだが、やはり身内にしか判らないトラブルがあったわけ。

しかし、これ、現在婚活クラブとか婚活アプリでは、判らない問題だと思う。勢いで結婚して、なんとか家庭を作った後で生じる問題なのだ

今の若い衆が、結婚したくない、家庭を持ちたくない、ってのも実はこの家族問題が大きいのじゃないだろうか。どうですか?

もう一つの問題健康問題

これも、事前には判らない。家族の病歴とか、血液検査の結果とか、健康診断の結果とかを、相手に出させるわけにはいかないでしょう。(あるいは、現在の習慣として、そういうデータを交換しているのか?)

俺たち夫婦も、けっして健康で体力抜群とは程遠い体質で(さら運動音痴で)、今までいろいろ問題があった。しかし、これも事前には判らんよな。

今の若い衆が、やたらと顔やボディに注文つけるのも、実はこの体力と健康度を見ているのかもしれない。俺のまわりの連中でも、早く結婚したやつらは、心身ともに健康なやつらが多いもん。20歳前後パートナー獲得合戦ってのは、実は健康なオス・メスを見つける行動なのかもしれない。俺とヨメの婚期が遅れたのも、実は、はっきりと表に出ない健康度の競争に敗れた結果かもしれない。

さて、現在、しみじみ思うのは、今のヨメと結婚してよかったってことだ。あの見合い後の1か月ぐらいの期間に、ぐいぐい攻められなかった、たぶん結婚していなかっただろう。だから最初からすぐに結婚するという条件で付き合う見合いがよかったのだ。結婚してしまえば、多少の身体の不調や病気やケガは、なんとかなるもんだ。ちなみに、ヨメはなかなか妊娠せず、さらに一度流産している。その後やっと生まれ、すぐに二人目も生まれた(ぜんぜん避妊してなかった、アホですね)

から若い衆も、収入がどうだとか、会社の規模がどうだとか、こまかいことにこだわらず、さっさと結婚しちゃえばいいんだよ。いやあ、結婚当時のヨメはかわいかったぞ。いっしょに、おそろいのパジャマ買いに行って、それを着て毎夜寝ていた。ミニスカのヨメといっしょに自転車に乗って鰻屋に行って、ビール飲みながらうな丼食ったりできるぞ。

国立大学専門学校化すればいい

先端研究は金があるところに任せればいいんだよ。

アメリカ州立大学もそういうノリじゃん。

つーか、東大官僚専門学校医者専門学校だったわけじゃん。

北大農業技術専門学校東北大がエンジニア専門学校地方駅弁教員養成専門学校、それでいいじゃん。

日本はもう金がないんだよ。

2024-04-19

ジェンダー人権平等と、女性エンパワーメント。この2つのどちらが正しいのだろう

12の県立高校が「男女別学」埼玉県で“共学化”の流れ「早期に実現されるべき」 卒業生からは反対の声も

https://news.yahoo.co.jp/articles/5cc95134a2603a403af04aea2b70f9c65d45995d

共学化に賛成 共学化を求める市民団体(今月10日)

「やっぱり人権問題ジェンダー平等問題、そういったことを含めて考えたら、共学化をした方がいい」

男女別学高校同窓会 共学化「反対」訴え/埼玉県

https://news.yahoo.co.jp/articles/772fac6d7abf67e97f3040d8725e600d1393b1e4

さら浦和一女同窓会栗原美恵子会長は、異性に関するネガティブ経験から女子校を選ぶ生徒は少なくないとし、別学校には性的安心して過ごせる「シェルター」としての機能があると指摘しました。

 (浦和一女同窓会 栗原美恵子会長

中学時代に大なり小なり傷つく。傷ついた人の中で何とか自由になりたいと思う人が、中には女子校に駆け込んだと表現する人もいるが安寧の場を得ている。安心できる場で力を蓄えて社会にでるための準備をする」

 また「長い時間をかけて作り上げた歴史伝統文化を壊してまで共学化する必要性がない」、「学校選択多様性がある」と述べ、女子校卒業したあと、リーダーとして活躍している人も多いと強調しました。

市民団体が求める人権ジェンダー平等と、性的安心して女性が過ごせるシェルター機能とが、正面から衝突した今回の出来事

最終的な選択によって、2つのうちどちらかに正義の軍配が上がる。

利害関係者だけでなく、今後は近隣の国立大学などに所属するリベラル有識者見解も仰ぐことになろう。

果たしてどちらが正しく、どちらが誤っているのだろうか。

2024-04-18

anond:20240418110000

ゲーム禁止されて育った中古の子どもだけど、子ども勉強嫌い、は放置してあげてほしい。

ゲームがない分、勉強するしかなくて国立大学には入れたしお陰で働けてるけど、

だけど同年代の仲間と思い出を共有できないのは辛かった。

いま持ってる全ての豊かさを犠牲にしても、友達がほしかったし恋愛もしたかった。

anond:20240418072231

大学教員職階について、ちょっとだけ解説してみる。

大学教員で、専任の(常勤の)職階は、以下の順序になる。

・(助手)→助教専任講師准教授教授

助手()付きなのは単独では授業や研究室をもてず、特定研究室のお手伝いをすることが多い役職から場合によっては、単年契約だったり年限付きのパートタイムだったりする場合もある。大学院生がアルバイトでやっていることも多いね

なお2007年ごろまでは、以下のような順序だった。

助手専任講師助教授→教授

助教授」だと教授下働きのように思われるので、そうでないことを強調するために、「助教授」→「准教授」という名称2007年ごろ国の方針で変わった。

現在助教授」はほとんど存在しないのではないかな。たいてい准教授だと思う。

なお、「助教」という役職が新しく増えたのは、人手不足の中、助手に授業をやらせるためという説を聞いたことあるけれど本当かどうかは知らない。

さてここから大学の闇なんだけど、大学専任ポストは非常に限られていて、そのため非常勤であったり年限付きの役職が増えている。

まず、毎年の契約更新という最も弱い立場なのが非常勤講師特定の授業を受け持つために契約するのだけど、授業の人気がなかったりカリキュラムの変更があったりするとあっさり来年契約更新ありませんのでと言われる悲しい職階です。

そして、大学が5年間計画などを立てて、独自予算を確保したり、国からお金をもらって作る年限付きのポストが特任ほげほげという職階です。

特任助教、特任准教授、特任教授。こういう名称は、5年間などの期限のあるプロジェクトのために作られた臨時ポストですから、そのプロジェクトが終わったら職を失うことになる。

その意味で、数年たったら職を失う特任准教授よりも、専任講師助教の方が安定感と安心感が上みたいな逆転現象も起きてしまう。

から、色々な大学非常勤・特任職を渡り歩きながら、なんとか常勤専任)のポストに潜り込むことが大学系の定番キャリアパスとなります

レアケースだけど、私立大学の特任准教授(30代後半)から国立大学専任助教になる人もいます。そのような人はたいてい優秀なので助教准教授教授とすぐに昇進するけどね。

ちなみに、私立大学教授国立大学旧帝大)の准教授はどちらが・・・みたいなお話もあるけれど今回は省略しましょう。

こういうのって、たとえ大学生だったとしてもわからないよね。間違いがあったら有識者ツッコミよろしく

2024-04-06

国立大学群 千横東埼 (ちょことうさい)

2024-03-23

年収300万と3000万の差がわからない

人口50万以上100万未満の地方都市住まい増田です。

社会人になり年収250万から3000万まで稼いでみたが、300万あたりでQOLが止まったままだ。

年収250万の派遣社員から謎の独立をカマして、5年くらい細々とやった後にアタリを引いた。

今はパート5人と正社員1人で売上2億粗利7000~8000役員報酬2000~3000万が10年近く続いている。

パート主婦’sで控除の範囲内でしか働かない。

社員には年収650出してる(近隣では破格)最近住宅ローン組んだらしい。めでたい。

ボッタクリ経営者4ねを回避したつもりで話を進める。

年収300万くらいまでは、吉野家で季節限定を気にせず頼めるとか、コンビニ弁当1個じゃなくサラダチキンおにぎり別に買えて嬉しいとかあった。

500万超えた辺りから、これ金が余るだけじゃないかと思い出した。

毎月数十万単位個人口座の金が増えていく。(今は100万単位で増えてる)

贅沢といえば、年収600万くらいで一瞬イキリ散らして肉と寿司を週3で食って仕事上がりに毎日パチンコしたくらい。

それでも金が減らない。そして3ヶ月で飽きた。

飽きなかったら体を壊す所だった危ない。

服はユニクロ、高くてもモンベルまで。

スーツ、靴、時計は全く必要の無い仕事

時計アップルウォッチをノーガードで使って傷が目立ったら買い替える。

田舎土木飲食オーナーによくいる、小太り酒焼けで珍妙ブランド物を身に着けレクサスアルファードに乗る生活には一切興味がない。

社用車プリウスの新型にオプションモリモリ。償却食って保証が終わったら買い替えるサイクル。

私用車は持ってない。手入れ管理が面倒くさいでしょ。

住宅は社宅だが家賃7万程度の普通マンション。(自己負担1万)

高級賃貸でも家賃20万もいかない地方都市の為、住まいに金をかける選択肢はあまり無い。

地方に有る謎の高級住宅街の一画も買おうと思えば買えるが、不便すぎてやる気無い(周囲に病院学校しかない。国立大学付近地価が謎に高い現象なんなの)

旅行は年2回くらいするが、飛行機ホテルクレカポイントでタダ。(毎年百万ポイント以上貯まる)

レンタカーもタダ、海外旅行もタダ。

ありがとうマリオットヴォンヴォイ。

知人や親戚の子にはお盆年末年始に遭遇したら無差別に1万円のポチ袋を配布するが、普段の金遣いがほぼないので家計に影響無し。

子供めっちゃ好き。幼児から中高生までモテモテ

中高生はたぶん金目当てだがそれも良し。進学やスポーツで金に困ったら言ってこい。おっさん相談に乗ったる。

全く節制はしていないが、使い切れないレベルで金が増えていく。世間の皆さんは一体何に金を使っているのだろう?

俺は法人メリットは有るが全部個人負担しても年500万も使えない。

子供は居ないが、子育て中の経営者仲間に聞いても保育所高校までは月10万もかからんらしい。(お前の飲み代の方が高いじゃないかとツッコんだ)

みんな金が欲しい欲しいと言うが、一体何に使っているんだ?シングルなら年収300万、共働き世帯600万程度なら誰でも取れると思うが、それ以上って何か必要になるのか?

まぁ田舎者のボヤきと言われたらそれまでだが全くわからん

会社関係のつきあいが無ければ年収300万でも俺は全く困らない(計算した)

東京大阪にはそんなに金の使い道があるのか?

追記

資産はどうよみたいなブコメに反応する。

個人資産は3億近い。橘玲に触発されてVTに放り込んでいたら円安株高でここまで膨らんでしまった。

法人にも1.5億くらい貯まってるよ。

クレカ法人広告費他経費を払っているかむちゃくちゃ使ってる。アメックスは上限高くて使いやすいね

小規模法人から一部個人クレカ&口座で運用してるよ。税理士確認取って、税務調査の時も何も言われなかった。

今期の法人は売上2.2億、当期純利益1300万くらいで着地しそう。役員報酬は3000万。

1年で使った金はエクセル管理しているがざっくり240万。

食費が約140万。ほぼコンビニスーパーで買って事務所で食ってるからこうなる。

家賃12万、光熱費15万、保険12万、服6万、生活雑貨4万、子供に配った小遣い21万、残りは雑費。

雑費はクレカ電子マネーで決済出来ない食費その他だね。

法人に本やゲームは全部負担させているが、法人新聞図書費は年30万も使っていない。仕事関係しているか税務署にも何も言われない。

というか今まで税務署に2回入られて1回目は100万くらい持っていかれたが、2回目はちゃんとやってますねと言い残して以降は来なくなった。

まぁ接待交際費30万雑費4000円役員貸付ゼロ法人に来ても取るもの無いよね。

趣味は本を読んでゲームするくらい。つい最近までティアキンを永遠に遊ぶつもりだったが、今はユニコーンオーバーロード楽しい

旅行仕事を兼ねているか趣味というわけではない。

本読んでゲームしてたまに旅行して働く。子供に遭遇したら小遣いをあげる。今のところこれで人生退屈はしていない。

わりと伸びてる。

デカい家、車、高いご飯、服その他

ぜんぶ管理が面倒くさくない?

家はもちろんの事、車だって高級車はピカピカにしておかないとダサいだけ。

泥だらけのレクサスアルファードに乗って小金持ち風吹かせてるおっさん本当に嫌いなのよ。

金で解決できるけど、手配までは俺がやらないといけない。

あと手入れに出している間は使えない。地味にダルい

プリウスくんは洗車機突っ込みOKの良い子。

高いご飯は予約が面倒くさい。食いたい時にジャケットデニムでフラっと寄って腹八分で帰るのがいい。

あと1食1000kcal超え多すぎ。洋食のディナーまじで無理。食えるけど太るし、続けたら体壊す。

だって高い物は手入れや保管に気を使う。

一々クリーニングに持ち込んで取りに行くとか無理すぎる。取りに来てもらっても時間帯拘束されるのがダルすぎる。

ユニクロならドラム洗濯機に放り込んで傷んだら捨てれば良い。

寄付

やらん。欲しい人が自分で稼げば良い。

関わりのある子供が金のかかる進路を選んだ時は相談に乗る。

2024-03-21

在野研究者として納得できている

在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ

「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代おっさん自分語り。

地方私立大学理系入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学文系学部に転学し、言語学を学んだ。

良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学就職は壊滅的に悪かった。同じ学部卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。

これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区マスコミ二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業から内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区企業を受けるという発想が無かったり、都市部学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。

就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。

閑話休題大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。

そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。

別の教員からは「国立大学学生私立大学学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値あなた研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。

ある日、大学院の師から研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。

大学院時代就職活動の結果、インフラ関係会社からと、その旧帝大事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料月並みでも図書館等の設備があって都市部アクセスやす後者を選んだ。学部時代経験で、地方より都市部の方が学問やすそうな気がしていた。

アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベル大学教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運からだ。私には、そこまでの熱意はなかった。

大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。

仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。

anond:20240321121038

特に国立大学は、身内に対する処分アマアマから

私学だと、学生でも教授でも、世間で後ろ指指されるようなことするとすぐクビなるイメージ

特に慶應とかだと、学生が何か慶應の名を汚す真似するとすぐ除籍なる

そんな慶應でも、職員教員学生に比べると特権階級だったりするけど

anond:20240321101222

ペニスケースだけ付けておけば万全?だよな

金玉わいせつ物に当たらない)


https://courrier.jp/news/archives/170410/

「コラン・テンポ」よると、チェンドラワシ国立大学に通うエカリ族の学生デフィオ・バステン・テケゲは、最近コテカだけを身につけて通学することを決めたという。


その格好は、キャンパスでは斬新に映るようだ。デフィオは言う。

教師にいっしょに写真を撮ってくれと頼まれました。でも僕はその申し出を断って、こう言ったんです。

──申し訳ありませんが、僕は勉強するために来ているのであって、ファッションショーをするためではありません」

anond:20240321101217

ペニスケースだけ付けておけば万全?だよな


金玉わいせつ物に当たらない)



https://courrier.jp/news/archives/170410/

「コラン・テンポ」よると、チェンドラワシ国立大学に通うエカリ族の学生デフィオ・バステン・テケゲは、最近コテカだけを身につけて通学することを決めたという。



その格好は、キャンパスでは斬新に映るようだ。デフィオは言う。


教師にいっしょに写真を撮ってくれと頼まれました。でも僕はその申し出を断って、こう言ったんです。

──申し訳ありませんが、僕は勉強するために来ているのであって、ファッションショーをするためではありません」

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-18

字の汚い医者が多いのに、

地方国立大学だろうが、医学部出てるだけで普通の凡人よりよっぽど頭いいぞ

あ、でも私立歯学部、あれはクソだ、Fラン偏差値でもなれるのが歯医者

2024-02-29

30歳無職だけどどうせお前らには不可能方法ハイスぺ婚活余裕だっ

なんか婚活談義が人気なのでお前らにはどうせ不可能方法で30歳無職でも年収1000万オーバーの女とハイスぺ婚活余裕だったから教えてやる

どれだけ終わってる奴でもどうせお前らにはムリだけどこういう方法もあるぞって教えてやる

結論から書く

「才能があって人気でイケてたので勝手相手が寄ってくる」

まあ婚活余裕だったっていっても正直そういうのどうでもいいか複数人と付き合って結局結婚してないし辞めたけど。

結婚は安定で安寧で俺らみたいな天才からしたらそういう「幸福の沼」が一番怖いからな。沼がハチミツだったら俺らみたいな天才でも這い上がろうとと思わないからな。

スペック首都圏有名国立大学理系院卒 年収1000万企業入社、ダサくてキショイから1年で止める

ずっと一軍。

正社員を1年やってクソだったので辞めてフラフラして24から音楽と絵を開始、自殺未遂で2回精神病院ぶちこまれてるけど基本明るいIQ120

要するに天才

ネットにアップ人気出る勝手モテる 以上

ジャンルオタクじゃなくて全部イケてる感じの奴な、勝手に色んな女や才能を見つけて支援したい奴らが色々来るのでそれで何とか。

以上終了

斜めに構えたお前らみたいな奴にはどうせ無理。誰が気取ったメガネ文字書くだけの奴を好きにもならん。ダセェから

クソダサい眼鏡のお前らはnote文章を上げてダサい身内で「エモいンゴwww」とか言って身内でキショイことしてるだけ

そんなキショイ事おれはしない。そんなキショイやつダサい奴以外誰も好きにならない。

女子高生放課後スマホで見てるモンを作る奴が一番イケてるし偉いから。

終わってんならイケてろ。つーかスペックじゃないだろ。本来人を好きになるって、

それぞれの欠けた心の形をぴったりとはめ込んで結婚するものだろ。イケてるからそれの表現が出来るからみつけてもらえるだけ。

お前らみたいなスペック云々でやってるから誰もお前の事を好きにならねぇ事に気づけ

以上 終わり、 




以下余談のエッセイから読まなくていい。

俺は天才なので勝手に人が寄ってきて、それで見つけられてモテてるが色々と思う所ある。

つくづく「才能というのは人に見つけて貰えるためにあるのだな」と思った。

仕事辞めてから俺には何もない。何の肩書も無い。ただ才能だけがあった。

ネットにアップし続ければ才能で見つけて貰えて勝手に人が寄ってきて見つけて貰える。

から現代において才能というのはきっと「人に見つけて貰えるための光なんだな」と思うようになった。

誰も見つけて貰えないくらい部屋で、蛾みてぇに部屋でずっと液晶に群がって音と絵を作る。おもしれぇモンを作る。

何もねぇけど確かに俺は輝いている。wifiにがんじがらめにされてる俺たちは身を寄せ合って光を見つけあうんだろうな。

婚活相談所で肩書しかないお前らと違って、俺は何も書く必要が無い。

ツイッター必死スラッシュで区切って「外銀だとかで人を集めてるダサい奴と違って俺は何も書く必要が無い」

俺は俺自身で俺であって俺であればいいだけだから

ツイッターで何かラベル貼ってる「港区コンサル丸の内OL」みたいなクソキモイ奴らも俺を見つけて来てしてきてキショイからシカトこいてるけど

なんでそいつらに「そんなにペタペタとラベル貼ってんの?」って思ったけどさ、俺も元エリートからやっとわかったは

お前らって才能無いから才能がない奴らってラベルを貼るしか無いんだなw

俺は才能があるからあいうのと違ってラベルを貼る必要が無いんだよね。

だってパッケージングしなくても勝手に才能で光ってるから見つけて貰えるもん。

お前らみたいなダサい奴はラベルを貼らないと人に見つけてもらえないんだなってやっとわかった。

さて、人を集めるための煽りもこれくらいにしといてさ。

ハイスペから天才になった気づきの事でも書くわ


スタンド使いスタンド使いが惹かれあるようにイケてる物とイケてる物は惹かれ合うだなって思うんだよね。

センス感じないな」って思う人たちって使う言葉もどこかで借りてきた言葉で、お手本の模倣表現で、幸せそうで、やたらと勉強になったとか、

制作の事を大げさに実況中継してて、なんつーかポジティブ押し売りしてて丸いんだよな。

人間的に丸い奴にセンスを感じないというか、心という球体が何かを喪った経験があって欠けているからこそ他人の心に刺さる事が出来て、それを才能と感じる。みたいな。

あとセンス無い奴ってずっとネットでも他人の話をしてるよな。自分人生なんだから自分の話をツイッターでしてほしい。俺はそういう人たちが好きです。

ロシアがだとか、男がなんちゃらだとか、そういう一生他人の話をしてるダサい奴ってセンスないよな。

なんだろう、なんていうか俺たちみたいな見えている天才喜劇悲劇のその両面が好きなのだ

コインの表裏のように世間はそれを分断したがって語りたがるが、

本質は一つ。表裏ではなく、コインは回転すれば球体となる。それが真実。みたいな。わかる???

まぁぐちゃぐちゃいったんだけどさー、別に才能無くていいんだよね。俺は才能あるけど才能がない奴らの事を見下してるわけじゃなくてさ

才能とか婚活とラベルとか正しいとか正しくないとかフェミとか色々あるけど「お前自身じゃん?」みたいな事がいいたいワケよ。そこに気づいてよ。みたいなね。

そこに気づかずに婚活しようとしてたり、他人の話ばっかしてるとさー、なんか病気になるから辞めろよなってっつーそういう話。

まー別に好きにすればいいけどな。ガチで。お前の好きなようすすればいいんだけどさ、お前自身じゃん、それを忘れんなよってことな

色々さー、焦るとか云々あると思うんだけどまあ何を言ってもしゃーないし

とりあえず最後に俺が自殺未遂して退院した後に作った作品でも貼っておくわ

https://youtu.be/EeU4jiKJXdM?si=dvmezfYxIm5dMp5v

以上よろしく

2024-02-26

女性結婚して子供を作っているトランス女性記事燃えている

この人個人価値観ではなく、世間一般の考えだと思うけどな

結局男は上昇婚嫌なんだよ

学歴年収身長と年齢が全部自分より上の女に魅力感じないようになってんだよ

男に生まれたからそういう男社会価値観をよく知っているだけ

https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20230905-OYT8T50083/

40歳、未婚、国立大学大学院を出て、日本テレビに勤務。給料はこれくらい……、色々な条件を婚活市場にあてはめてみます

そうすると、女性だと「バリキャリ」で「負け犬」と称されてしまうことに気づきました。同じ「スペック」でも、男性だったら「超優良物件」と言われるのに、です。まして、それがトランスジェンダー女性だとすると、客観的に見てめちゃくちゃ難しいと思わざるを得ませんでした。

女性になって男性パートナーを探すとなると、無理だなって。とはいえ女性とも結婚はしないだろうから、私は一生一人で生きていくんだろうな、と思っていました。

2024-02-22

田舎小学校中学校と県立高校卒業し、地元の期待を背負い東京大学教養学部文科一類に進学。

しかし、同じく(旧)司法試験国家公務員I種(当時)の合格を目指して伊藤塾にやってきた都会の中高一貫校卒の同級生や先輩の俗物さ(お坊ちゃんのくせに明らかに作り話のいじめ喧嘩飲酒喫煙などの中高時代犯罪自慢や学歴を引き合いに出さなければ同年代女子に強く出られない)に嫌気がさして法学部進学前に中退

地元国立大学医学部医学科を再受験して卒業し、日本医科大学附属の大病院にて研修研鑽を積んで再び地元に帰還。

今日も呼吸器内科医として地元の人々に医療提供する僕であった。

2024-02-14

anond:20240214184126

知識豊富(何の知識?)でネットリテラシーが高いとなんで田舎の小売のパートが合わなくなるのか分からないので本気で教えてほしい。

自分は一時期田舎に住んでコンビニバイトしてたことあるけど、国立大学に通う大学生とか理系大学院生とか普通に働いてたので…。

奥さん労働経済学でいう「低スキル労働者」に該当するので、何らかの専門性業務独占資格を取るとか)を身につけたほうがいいんじゃないかな。

資格がなくても働ける分野だと医療事務とか歯科助手とかはダメなのかしら。

anond:20240213214245

国立大学いけるくらい頭いいのにめちゃくちゃ例外サンプルあげて「これが反証だ!」って意味不明なことしてる自覚ないのが面白い

お前自身も書いてる通りそんな世の中の「1%」も存在しない人間のためにリソース割くならその他の有象無象に刺さるムーブしたほうが効率的って話なンだわ

そもそも増田の話ではお前の嫁のような人間最初からターゲット外なわけ

というか婚活アプリ相談所)の話してるのに全く無関係大学出会った女の話して何がしたいの?

2024-02-13

ボーっと生きている

定年が見えてきた会社員だが特に何も成さずボーっと生きている

中流家庭に生まれて三食食べることはしてもらい屋根のある家でダラダラ過ごした

勉強は全く好きではなかったし幸い塾に行くほどのお金も無かったので家で漫画読んだり気合いでねだって買ってもらったパソコン雑誌ゲームを打ち込んで遊んでた

夏休みなどはじいちゃんばあちゃんの家に預けられて朝から晩まで山や海や川や草むらで遊んで過ごして当然宿題できずに終わるというのを繰り返した

学校勉強は嫌いだったけど教科書を読んだら分かる内容なのでダラダラと近所の公立高校へ進学

コンピュータが楽しくなったので大学へ行ってコンピュータで遊ぼうと思うが受験勉強をしなかったので大学不合格

近所の予備校がタダで通わせてくれるというのでダラダラ浪人

浪人中暇なのでバイトして自動車免許も取得

年末くらいからは観念してちゃん勉強して国立大学情報滑り込み

しか勉強できないので教養留年

家庭が貧しくなっていたので授業料をまけてもらってたのに留年でパー

たまたま収入だった父が職につけて払ってもらえた

生活費奨学金

専門に上がったら大変楽しくなったけど研究はできないし就職活動もしてなかったので教授先生にお願いして地元企業に放り込んでもらう

当時学生はそんなに就職に苦しんで無かった

学生の間力を入れていた同人誌作りを続けていたらコミケで今の妻と出会いすぐ結婚

一年くらいで子供ができてローンで一戸建て建てて引っ越し

計画なので子供も増える

奨学金もすぐに完済して子供健康に育ち長男特に勉強せずに国立大学入って留年

そこは似るのかよ

あとはこのままずっとヒラ社員で社内システム管理仕事して引退の予定

最近趣味はぶくま

意識が著しく低い

2024-02-09

実家太い細い問題

実家から離れた地方国立大学学費四年分と毎月15万の仕送りを貰っていたから、奨学金返済もなくバイトもせず社会人になったけど、家族海外とかもなかったし実家祖父母の代からある家で同居してるし、太いかと言われたら違う気がするな

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