はてなキーワード: 国民国家とは
思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月の初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分の世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。
思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、
古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会の特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授を和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合・本地垂迹説・卜部神道・中世日本紀等々…の奇妙奇天烈な世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義、評価軸じたいが古今伝授の支配圏内で形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体がナンセンス。)
古今伝授が古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い・民族文化の精髄のように認識されていくその過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたかも胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割を果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造を捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的な断罪とか文化的価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。
本来ウイルスのもつ能力を自己の一部として、機能として取り込む。生物は自己の維持に必要な機能の一部を外部環境に依存する。ポータブル外部環境としての細胞。生命と非生命の境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命の定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだものの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。
契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念を押し付けてるだけじゃないの?とも思う。
根拠がない、合理的でない、和歌の質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?
これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授を擁護する側)にもその立場から反論するやつがいるからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人の気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからん、しかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感。いかにも科学的合理性に偏っている。
しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。
本書の示唆する構造は、外来文化を自家薬籠中の物にする日本文化の性質(漢字・仏教等々)、中世の遺制としての近世的身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。
本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまうことなく、細胞に異変があれば細胞内生物が独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。
文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教の信者でないのか?わけが分からない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか。
韓国だと光復後もしばらくは日帝残滓で漢字語がたくさんあったけど、朴正煕大統領のころから国語醇化といって漢字語を固有語にいいかえる運動がすすんだ(感謝합니다→고맙습니다、みたいな)ので、日本人がおもってるより同音異義語はすくないです。
おなじようなはなしだと、トルコ共和国建国後のトルコ語醇化運動(オスマン帝国がずっとイスラム世界の盟主だったのでオスマン語にはアラビア語由来のことばがたくさんあったのけど、これをトルコ民族のことばにおきかえた)がとられたね。
ことばは民族をその民族たらしめる大切なものだから、どこの国でも国民国家をつくるときには国語政策というのはとてもおおきな意味をもつよ。(↑と逆むきだと、最近ではスペインにおけるカタルーニャ語の公的立場とか)
とりあえず原則的な話としては歴史が義務教育に入ってるのは将来国民国家の主権者の一員になるため。
歴史を全く知らずに政治的な判断(投票とか)はできないし、同じ国の国民としての意識涵養が無いと近代以前のアジアやアフリカの一部の国みたいに国の命運を私利私欲でズタズタにしたり※派閥争いですぐに殺し合ったりするから。いわば主権者が共同で国に責任持つための仕掛け。仕掛けの善し悪しは別にして。
次に、理科だってフロギストンが間違いだったり、個体発生が系統発生を繰り返すとかが消えたり研究の進展で「正しい科学知識」は結構変わる。さらに歴史は人間がその時代に合わせて作ったものだから、余計変わりやすい。
人間社会の経験の総体という意味での歴史は今まで生きてきた無数の人々の無限の相互作用の積み重ねだから、そんなもの簡単に整理してこれが正しい歴史ですなんて言えるわけがない。なので整理された歴史っていうのは、混沌の中から「重要なもの」をその時代の価値観から選び出し整理して(解釈して)作られた、人類の経験のジャングルの中で道に迷わないための見取り図でしかないわけで(年号とかは見取り図の記号みたいなもん)。
それでも見取り図がなければ、人類の経験を認識することもみんなで語り共有することもできない。言葉がなければ人と会話もできないけれど、言葉は時代によってどんどん変わってしまう。だからといって言葉なんて曖昧なものを覚えても仕方ないとはならないみたいなもの。
いや無理だろ。確かに『どこが濃いねん』ってトラバが↓に付いてたよ。
https://anond.hatelabo.jp/20190618093950
それは同感だけど、じゃあ本当に『内容の濃い記事』にしようと思ったら色々無理がある。
なんせ、理解の前提となる知識が絶望的に普及してない。ざっと考えても、
に入る前にまず、
で、だ。
1.はまあ、いわゆるムラ社会のことだから多少は説明をショートカットできるけど、
2.は地獄のように分量が増える。ちゃんとしようとすると、どんどん遡っていく必要がある。
ざっと考えても、
2-1-1.なぜそんな構造になったのか~スデイリ7と宗教と石油
2-1-1-1.スディリ7とは何かを説明するためのイブン・サウード(アブドゥル・アジーズ)王の来歴
2-1-1-2.宗教的傾向を説明するためのワッハーブ運動とサウジ建国前後からの略史
2-1-1-3.オイルマネーがもたらした西側との歪んだ関係を、冷戦期から現在まで軽く説明
ぐらいは用意して、その上で、
を書く必要がある。
3.も酷い。イラン革命以後の全史がほぼ必須。パーレビ王朝の説明はサウジの説明を流用して最小限に抑えたとしても、それ以降は、
このぐらいやれば多分、
を書けるようになるはず。あまりにも遠い。
政治面では「俺たちには自由に生きる権利があって国王や貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。
経済面では「俺たちが自由に商売すれば自然とバランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。
どちらにせよ、個人の権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。
「社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。
自由な市場のために規制緩和をし、法人税を下げたり、国営企業を民営化したりする。
資本主義は格差が激しくてついてけないからもっと平等を目指そうぜ、という感じ。
左翼。
資本主義の発展に伴い、土地や工場などの生産手段を私有する資本家が、
労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等な社会を目指す。
そのためには、労働者自身が生産手段を管理する体制(プロレタリア独裁)を、
暴力革命を志向するテロリスト、スターリンや毛沢東のような独裁者を生み出す。
マルクス主義を反省して、暴力革命やプロレタリア独裁を否定する。
民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。
何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。
それぞれの政治体制や歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、
現在のところ、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。
右翼。
もとは自由主義と連動していて、
誰かに支配されたりするのではなく「俺たち」が主体的に行動すべきなんだ、という感じだったが、
「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、
「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。
「俺たち」を結びつけるものは「民族」「家族」「宗教」「伝統文化」などである。
「個人の権利よりも国家の利益が優先される」までいくと「全体主義(ファシズム)」となる。
こうなると自由主義とは対極という感じ。
品田悦一「緊急寄稿「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」https://t.co/pJ5h6OzBpYhttps://t.co/alM7GI002L
すげぇ、品田先生ガチだな pic.twitter.com/CJ3ZW9tZvj— GEISTE (@J_geiste) April 5, 2019
品田 悦一(しなだ よしかず、1959年1月30日[1] - )は日本の日本文学研究者。東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻教授。専門は日本古代文学(歌謡・和歌特に『万葉集』の東歌)。
群馬県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。聖心女子大学文学部教授などを経て、2004東京大学准教授、2011年10月教授。初の単著『万葉集の発明』では、『万葉集』が近代国民国家の文化装置として「国民歌集」の地位を与えられるようになり、「創られた伝統」として成立していくことになった過程を研究。同著は中国語訳もなされた。斎藤茂吉の万葉集享受の研究でも知られる。
移民政策だのわけのわからんことを野党やらは言っているが、そんなことどうでもいいのだ。治安が悪化するって?日本を壊すのは将来の世代のためだ。渋谷の暴動を見ただろう。渋谷のスラムから破壊は始まる。ハイパーインフレ?貯蓄ゼロ世帯を増やしてくださる素晴らしい閣下に感謝だ。賃下げ政策だって?世界標準賃金になれば国民国家の正当性もなくなる。保育園落ちた日本死ねだって?世界的にポピュリストとやらが面白いことやってるが、国民国家こそが悪の根源なんだ。小泉進次郎だって必ず腐敗するって言ってるじゃないか。テロリズムの蔓延だってそうだ、暴力の私有化、おお、すばらしい。中世ジャップランド。中世に戻ろうぜ。国境なくして国家なしだ。政府なんかよりみんなに銃を配ったほうがいい。下克上の戦国時代のほうが社会流動性もあってすばらしい。革命を支持するなら、我らの同士安倍晋三閣下を。憲法なんかいらない。地方自治体が州軍をもって都市国家になればいい。法律なんていつの時代もなかったじゃないか。人間はただの動物だ。兵農分離こそ悪の根源!!返信する気はないからな。
教育勅語は、過去の歴史的においては、日本の近代化に一定の役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置づけが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ。
江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識は存在しなかった。しかし、欧米列強のアジア進出に直面し、明治国家は統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である。
江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民・商人・工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国が近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的な用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズムの精神を注入したものが教育勅語である。(米英独における近代資本主義の形成にプロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)
教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神が形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国は近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものであると位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米の植民地となっていたであろう)
ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。
欠点の第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治の元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相の権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題をはらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家が軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語も時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。
以上を踏まえると、教育勅語は日本の近代化を推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在であると評価できる。
なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見を最後に付け加えておく。