はてなキーワード: 国歌斉唱とは
基本的なことが何一つ分かってないブコメが多いので言及しておく
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180719/k10011540261000.html
国歌斉唱、国旗掲揚の際の起立命令は過去の最高裁判決で合憲判断が出ている。つまり起立は教職員の職務として正当なものであり、それを拒否するのは職務放棄とみなされる。
起立命令は思想信条の自由を侵害しているかどうか、という点は、過去の最高裁判決では「侵害していない」もしくは「侵害しているかもしれないけど、それでも起立はしなければならない」が大多数を占める。侵害を認定した最高裁判決が一つあった気がするが、それでも侵害を認定していない判例は10くらいあったはず。
よくよく考えてみれば分かるが、現職時代にサボタージュを繰り返していた者を定年後再雇用する義務が雇用側にあるのか?という観点から考えると、まあないよね、という判断になるのは仕方ないと思う。だって再雇用したらまたサボタージュ繰り返すの明白なんだもん。仕事をしないと分かりきってる人間を税金使って雇うと、それはそれで問題が起きるんじゃないかな。
あと「強制はしない」と言ってたのに!とプンスコしてる奴を見かけるけど、あれは「(生徒に)強制はしない」もしくは、「その場で実力でもって無理矢理起立させることをしない」だからね。
あたりまえだけど教職員は生徒を指導する義務があるし、自ら生徒の規範となって厳粛に起立する姿を生徒に示す義務がある。起立しなかったら後日ペナルティが下されるのも受け入れなければならないよ。
俺が通った田舎の公立小学校は入学式も卒業式も国歌斉唱しなかった。国旗も端っこに下がってただけだった。
ところが自分の卒業式に君が代を歌うことになって、そこで初めて練習したんだ。歌詞の意味を解説する時間もあったりして。子供ながらに何だか大変なことが起きているみたいだ、と感じた。
で、卒業式当日、いつもはそこにない日の丸が体育館のステージのど真ん中にデーンと掲揚されててビックリした。
いつもより心なしか厳粛に式が始まって、いよいよ君が代の斉唱。ところがここで体育館の後ろの方からハンターイ!とか叫んでるオッサンやらババアが湧いて出てきて、これまたどこから湧いてきたのか警察官がそれを静止していた。
騒ぎは一瞬の出来事だったので、そのまま式は時間通りに終わったんだけど、なんだか大変な卒業式だったと記憶している。
ま、そういう地域もあったんだぜ。
ワールドカップとかオリンピックとか、国家別にチームを組んで、君が代とか気色悪い歌を歌って、日の丸みたいなゴミみたいな旗を振り回して、「がんばれニッポン」とか「日の丸●●」とか、ほんと心の底から気色悪くて吐き気がする。
なんでこんな右翼的な祭典が許容されてるのか。
なんでこんなくだらないものを喜んで観てる馬鹿が大勢いるのか。
さっきもサッカーサッカー言ってやってたが、チームには女性も外国人もいない、かなり異常。
ゴールが決まれば日の丸や旭日旗みたいな、日本の馬鹿さを凝縮したような旗を振り回す馬鹿がたくさん観てる。
従軍慰安婦とか、731部隊とか、そもそも侵略戦争をやったことに対して、アジア諸国に未だに許されていないのに、その侵略の象徴みたいな歌を歌って旗を振って国籍で区切られたチームで玉蹴りをする欺瞞と愚かさと気色悪さを、なぜ誰も主張しないのか。
どうしても玉蹴りやりたいなら、まず国家別のチームや、男性だけのチームや、ましてや国旗や国歌斉唱は一切禁止して、たとえばイニシャルがA〜Zの人それぞれでチーム組んでやるとか、そういう風に変えるべきだ。
https://this.kiji.is/207438898890506241
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https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
noiehoie on tumblr • サヨクって本当にダメだなぁと思った件。
この件、是々非々を許さないカルト的怖さがあるんだが、分からん人には分からん。
教育勅語の件、「園児が教育勅語」ってバカにしてるが、この事件ってほっといたら 幼稚園→小学校→中学校〜と進む話だったんだぞ。
そうすると、カルトお墨付きの進学コースで人の上に立つ人材には、教育勅語を教義としてたたき込んでおかなければならないという意図が読み取れる。
【戦前教育を幼児に強制する塚本幼稚園】教育勅語の犯罪性について考える。 – お役立ち情報の杜(もり)
ちなみに御真影は、戦前の宗教弾圧では神道と毛ほども関係ないキリスト教会・仏寺に御真影が祀られ礼拝されていたわけだが、これは上の件と合わせると
それはそれとして、塚本幼稚園が
1. 紀元節(現在の建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長、教員、児童は学校に集まり、儀式を行わなければならない(以下、式次第)。
2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。
3. 国歌を歌う。
4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。
5. 校長が訓話を行う。
のような扱いをしていないから、たんなる戦後二次創作と嗤っていいものだろうか?ちょっと軽すぎない?
「皇室グラビア」と「御真影」 : 戦前期新聞雑誌における皇室写真の通時的分析 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192611/1/kjs_009_093.pdf
に目を通せば、そんな単純な物ではないと思うよ。
イギリスのタイムズより取材を受けました。|新着情報|塚本幼稚園幼児教育学園
笑顔で丁寧な先生、2~5歳の制服を来た子供達は、他の幼稚園と同様愛らしい。しばらくした後、園児たちの“おじぎ”をする光景に気付く。それはお互いにするのではなく、壁の写真に対してである。
なんでワッチュワネーム?(What your name?)じゃないの?かっこつけてんの?ワッチュワネーム?はダサいの?だったら日本語タイトルも「君の名」でいいだろ「君が代」みたいでウヨクっぽいじゃん「君の名」。「君の名は。」にしたければ英語もワッチュワネーム?(What your name?)にしとけよ!!かっこつけて【your name】とか、それじゃ「君の名」だよ。国歌斉唱!!君の名!!天皇陛下ばんざーい!!「君の名は。」が使いたければ正直に「君の名は?」にしてワッチュワネーム?(What your name?)使っとけばいいじゃねえか!!かっこつけんな!!
追記:「君の名は。」はyour name is だからワッチュワネームじゃない!みたいな意見を多く見かけるが、だったらなんでis取ってんだよって話なんだよ!!【your name IS】にしとけよ初めから!!【your name】だと「君の名」だろうが!!「君の名」だったら「君が代」みたいで天皇大満足みたいだから嫌だってか??だったらワッチュワネームでも「君の名は?」でも【your name IS】にでもしておけばよかったんだよ!!それなのに【your name】それ「君の名」じゃん!!今日からお前はきみのな!!キミノナ!!
追追記:「邦題と英語タイトルで言葉が違うなんて日常」みたいな意見を見かける。別にそれはかまわんよ、英題が【your name】でも邦題が「君の名は。」でも好きにしてくれたらいい。でも併記してるじゃん!!並べて書いてるじゃん!!【your name】を日本で見せなくて英語圏向けのタイトルとして発表してるなら好きにしてくれたらいいんだけど、明らかに日本人向けに【your name】って謳ってるじゃん!!日本人は「君の名は。」ってタイトル聞いてワッチュワネーム?かと思いきや横に書かれた【your name】ってそれ「君の名」じゃん!!「君の名は。」かと思いきや「君の名」国歌かよ!!国歌斉唱!!!天皇陛下万歳!!元旦の靖国神社かよ!!どっちかにしろよ【your name】=「君の名」もしくは【your name IS】=「君の名は。」でもなんでもいいんだけど統一してくれないかなーでも俺んなかで君の名は既に「君の名は。」でなくて「君の名」だからよろしくキミノナ!!
試合前に国歌斉唱があって君が代ききながら「日本がんばれ」と思った。
そして「日本がんばれ」と思う。自分の国を、自分達の代表を応援する。
でもこれ自然に立つから違和感ないけど、「貴様なぜ起立せんのか!」みたいな奴がスタンドに居たら、意地でも座ってたくなるだろうな。とも思った。
「自虐史観を教え込まれるから自分の国に誇りが持てないんだ!」って言う人いるけどさ、僕らの世代はそういう人が言う「自虐史観」で教わったけど、それで国に誇りを持てないってことはないよ。
自分が生まれる前の人達が何してたかより、今、日本が何してるかの方が重要。
ここがしっかりしてたら誇りを持つね。
経済政策の実績を強調して選挙戦をしてた人がさ、終わった瞬間に「党是でありますし、公約にも書いてあります」って言って、選挙期間中は触れもしなかった憲法改正をがんばったりね、
国の代表が「代表」であることの意味を知らないのか、自分の主張を国の主張としてしまったりね、
日本を変えるのに、先に米国議会で宣言して「いまだに外圧だよりかよ!」って感じになったりね、
こういう、だらしがないことをやってると、誇りを持てないね。
スポーツは平和なこの時代において闘争本能をあおり、必要のない暴力の起動スイッチを入れる行為であり、合法的な暴力行為である。
だから、スポーツ振興に加担するような奴は、ダーイッシュと同じ。
体育系部活の顧問を持たされた自分は、まるで「体育系部活の顧問が無理なら先生続けられないよ?」と言われているようで、
踏み絵を踏まされるキリシタンや、「国歌斉唱を強制される教員」や、ズボンを強制されるLGBTの男の子と同じである。辛い。
でも、良識あるプロとしては、教員間で「体育系の部活動を割り当てないでください」とか、
生徒に「剣道嫌い」とは言えない。はっきりいって、今月入ってから仕事が面白くない。生徒への表情も硬くて