はてなキーワード: 国家間とは
友敵理論は主に日本国内という範囲で仲間割れをしているときに批判するために用いられることが多いと思う。
日本国内で思想が二分し、ある片方が友である片方が敵である、同じ日本人なのにそれはやめようという具合だ。
東浩紀がそういうようなことを言っていたと思うが、中山の件でツイートしていた内容で愕然とした。
いま話題の件だが、ことの是非以前に、深夜に速攻でサイモンヴィーゼンタールセンターに通報し、非難声明を出させたのが日本の防衛副大臣であることに大きな衝撃を受けている。政府の人間なら、国外の団体に通報するまえに、まず五輪組織委員会に調査と対応を指示するべきではないのか。
https://twitter.com/hazuma/status/1417996354681413636
愛国者っぽいことをつぶやくが、日本の政府よりも国外の機関を信用しているのなら、大臣はお辞めになったほうがよい。
https://twitter.com/hazuma/status/1417997050763898881
敵対国家というのを見つけることが出来なくなり、国内勢力を友と敵に分ける友敵理論ではあるが、
韓国による数々の「嫌がらせ」に対し、自分は嫌な気分になったり怒ったりとかはしないタイプだ。
むしろ、彼らの行動原理やメンタリティがずっと気になっていた。なぜ戦後数世代を経てもなお復讐心に支配され、子供じみた行動をとるのか。
これについて、最近になって自分なりに少し納得のいく仮説が浮かんだのでつらつらと書き記す。
結論からいうと、これは地政学的にかなり微妙なポジションに置かれている韓国の生存戦略だ。
「復讐は何も生まない」
精神的に成熟したキャラクターが、復讐に燃える若き主人公にかける言葉として、おそらくかなりの数の創作物に登場するであろうセリフだ。同時に創作物の中でのみ成立する概念でもある。
現実に目を向けてみると、古くは「目には目を…」のハンムラビ法典から、核兵器による相互確証破壊に至るまで、人類は「不利益を被るような行為に対しては、同程度以上の報復や制裁が発生する」ことを保証することで、身の安全をはかり安寧を得るという戦略を駆使してきた。
「復讐は何も生まない、されど手を出せば復讐されることを相手にわからせることはできる」
韓国の「嫌がらせ」の特徴として、対象が日本のはずなのに、おおよそ関係のない第三国を巻き込みがちなことが挙げられる。
これらの行為には通底する思惑がある。日本に対する嫌がらせが、世界に対してのパフォーマンスにもなっているのだ。
日本という不感症のサンドバッグに対してパンチを打ち込む行為が、そのまま「うちの国に手を出したら、面倒なことになるぞ」という世界に向けてのメッセージにもなっている。
その行為がいかに子供じみていて、非効率で、国家間の取り決めを逸脱するようなものであったとしても、長期的に見れば「他国に攻め込まれづらくなる」期待値がデメリットを上回ると判断しているのだろう。
もちろん、今までに述べたことを全く考えてない、無自覚な嫌がらせも多々あるのだと思う。
しかし、数千年もの間他国に攻め入られ続けてきた国に住む人々のDNAには、間違いなくこの生存戦略が刻み込まれているんだと思う。
それを考えると、なんだか少し悲しくなった。
デスティニープランとは、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場した社会構想である。
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルが提唱したものであり、
彼の「人は自分を知り、精一杯できることをして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう」という思想に基づく。
基本的には人間の遺伝子を解析することで個人の適性を見出し、それに合った職業に就くことで誰もが幸福に生きれる社会を作るシステム。
個人の適性に合わせることを最優先にすることで不満も生じず、争いも生まれないことを理想としている。
生まれ持った「性格」「知能」「才能」「重篤な疾病の有無」などを遺伝子解析によって解明し、
その情報に基づいて、その人の特性に適した役割を与えるというシステム。
例えば、音楽的な才能を持つ者には、その才能を開花させられる環境を与えよう、というような仕組みである。
能力がないにも関わらず、親のコネなどの不正な手段で職業や地位を得たものを蹴落とし、
現在の新型コロナの状況下、経済活動とかオリンピック開催とか色々議論されているけど
人が死んでるんだよね。
もちろん国家間政治の狭間、例えば紛争とか戦争で、沢山の人が死ぬし、
努力した結果、どうしても避けられなかった人の死は仕方が無い。だけど、人の命を尊厳をすこしでも救おうと、近代から現代、様々な思想や法律の是正がめぐらされて、少しづつ世界はまともになりつつある。
でもまだまだで、未だに経済的格差から失ってしまう命はあるのは確か
それを少しでも無くそうと、国際機関とか国家間援助とか民間募金とか皆が努力して、失ってしまう命を救おうと、富を持つ者の偽善があったとしても、みんな絵空事の世界の幸せを描いてきた。
人の命なんです。
子供でも、老人でも、死に際の救えない命でも、たった一つの命なんです。
私達はしっかりと考えなければならい。
でなければ、私たちにとって大切な命、家族や友人、子供や恋人、誰一人として今死ぬ必要が無い大切な人が死んで良くないんですよ。
たとえ、1ヶ月後、1年後、10年後に死に別れたとしても、今死ぬ必要は絶対にない。
ひとがしんでいるんです。
数日後には死んでるかもしれない
そんなひとがしんでいるんです。
私はそれを踏まえたい。
複雑で面倒だけど
それが本当に人の命と天秤にかけて今の選択が良いのか考えたい。
理屈はともかく安倍晋三がトップで中国と戦争になったとき勝てる気がしないので却下かなあ
歴史とは勝った国が書くもの、塗り替えるものなので、今度こそ戦勝国にならないとマズい
歴史の教科書を書き換えるのにご執心になる前に戦争に勝ってほしい
今度こそ世界大戦で日本が勝てば、戦勝国として好きなように教科書だって書き換えられるだろう
戦争で負けたから謝り続けなければいけなくなる、イチャモンをつけられ続けるのであって、
今度こそ戦争に勝たないと、また同じことの繰り返しになる
教科書の紙の文字を書き換えるのに熱心な老人たちは何の役にも立たない
中国であれロシアであれ北であれ、本来なら日米同盟下の韓国であれ、
ちょっと前に、暴力団員に虐めにどう対抗したらいいか質問したみたいな話がネットにあったが、
暴力団員が暴力に同じレベルの暴力で対抗する、つまり闇討ちするとか凶器を使うとか言っているのに対し、
組長は相手より更に強い力を持つものに相談しろ、だったらここに連れて来い、みたいに言っていて、
それはできるだけ非暴力的にやるなら弁護士とかに頼るべき案件だろう
虐めのレベルによるが、家庭内の虐待だって虐めのようなものであり、まずは警察、学校だったら教師、
無駄かもしれんがまずそこに相談するのは、敵より暴力的にも強い存在であるからだ
だったら、胸糞悪いと話題になっていたが、ウシジマくんの作者が最近描いている漫画のように弁護士に相談だろう
法治国家は決闘で白黒を付けるような野蛮な世界ではないのであって、非暴力で決闘するために法律は存在する
国際法だろうか?
たしかに国際法上日本側が正しい、中国側が間違っている、みたいに主張することは大事だ
何も解決していないのではないだろうか
結局、様々な条約や戦争をするにしても取り決めがあり、戦争にもルールは存在はするが、
国家レベルになったら、今度はこの世界や地球を取り締まる弁護士や法曹がいるとしても何の役にも立たないと思う
それは憲法の重箱の隅に拘って改正しなくても問題なくできるように思えるのだ
民生品と大きくかぶる部分もある
今の時代はMicrosoft Hololensみたいなものも軍に導入するのは重要なように思う
そもそも、安倍晋三氏は自衛隊が違憲なのを合憲にしたいだの言っているが、
違憲だと声高に主張してるのは日本共産党、それから公明などの一部なだけではないだろうか
そういった理想すぎる平和主義は単なるノイズであって、そんなノイズは無視すればいい
違憲だろうが何だろうが、自衛隊は他国の軍隊と同様に人命救助にも活躍している
毎日、中国やロシアからの領空侵犯、領海侵犯にスクランブル対応している
それで十分ではないだろうか
今の我々に必要なのは軍拡であり、それは英国のジョンソン氏が核を増やすようになったことも同様であって、
中国が新造する巨大空母や軍需も関係する宇宙開発への対抗である
そもそも、宇宙に電源をという発想は、私は子供の頃に万博でスペースコロニーなどと一緒に見たわけだが、
あの頃のスペースコロニーは棒状だった、つまりガンダムに登場するあれである
しかし、それからスペースコロニー構想の形状は変化していき、ガンダムとは異なり棒状ではなくなっていったように思う
アリゾナだのに建設された閉鎖環境で農業をしたり水を循環させたり閉鎖環境で人間が生きる実験ももう行っていない
宇宙で太陽光発電も頓挫していたが、比較的最近になってNASAは再開するようなことを言い出した
説明した人は実現するための要素技術が足りなかった、例えば、それは宇宙環境でメンテナンスするロボットであり、
当時は必要な要素技術がなかったが、今それがそろいつつあるという話だったと思う
しかし、宇宙で発電に関しても中国はかなり進めている可能性が出てきている
まあ、ハッタリかもしれないが、国家が世界中から天才を集め、全力で金を出して取り組んでいるのは確かだろう
宇宙で発電が成功すれば、原発は必要なくなる、エネルギー問題にかなり決着が付く可能性さえある
もちろん、今スペースXが実験したり爆発させたりで頑張ってるみたいに、
気楽に宇宙に物を運んで上がれる定期便みたいなものが必要だろう
中国がそういったものも並行して開発しているのか、すでに実現しているという可能性はかなり低いと思われるが、
しかし、とにかく中国は世界の下請け工場としてやってきただけあって、物や金が集まるのである
深センというエコシステムもそういう意図的な狙いがあったと考えられる
これに今回の香港なども加わり、金、物、ロジスティクスなどが主に沿岸都市に強化されて揃うことになる
つまり、なんとなくアイディアが浮かび、とりあえず3Dプリンターなどがそのへんでも売っているので買ってきて、
それで出力して、電子パーツも入手できるのでダクトテープなプロトタイピングができたとする
ここからちゃんと設計し直して、金型工場なども近隣に隣接しているため委託できる、
ホワイトカラーのハイテクビル群と量産化できる工場、それがセットになっていて投資家がうろちょろしている街、
アイディアから量産までが一気通貫できる街、そういった都市が日本にあるだろうか
今の中国は共産主義だの社会主義だのではない、血みどろの資本主義、新自由主義であり、
我々はこういった力に、暴力に、狂気に、更なる上の力で立ち向かわなければならない
そういう意味でも、安倍晋三なんてスケールの小さい、みみっちい話である
安倍晋三は戦後の間違った教育を煮詰めたような奴とか言ってた気がするが、本当にそう思う
まず、山田風太郎も言っているように、日本人は科学を軽視する傾向がある、だから負けた、というのがある
神道のように特攻を美化するなど以ての外であり、これから来たるべき世界大戦を負け戦にする思想である
くだらない精神論を捨て、科学を重視し、現実を数字やデータで真正面から受け止める
しかし、戦後から何年経っても日本はそれを理解できていないのである
負け犬根性が染み付いた民族だと揶揄されても仕方がないものである
それが悔しいのであれば、隣国に謝罪要求を繰り返されるのが腹立たしい、悔しいのであるならば、
それ以外にない
「まずは客観的に進んだ大学と遅れた大学をランキングで把握しましょうねって位置付けの指標なんじゃないの?」
という質問ですね。
まず、進んだ大学と遅れた大学を把握するのにランキング形式で発表する必要はありません。
後述しますが、センセーショナルに報じられてしまうのは、背景などが無視される傾向にあり、もはやデメリットの方が大きいのではないでしょうか。
そして、わざわざ日本版と世界版で調査内容に差をつけて調査する必要がありません。
タイムズ・ハイアー・エジュケーションが世界版と同じ調査を「客観的な第三者機関」に依頼すればよいだけです。
なぜ利害関係にあるベネッセと共同企画しかつ、実施させたのでしょうか。
投稿もとに示したように、ベネッセが客観的に大学を評価できる団体かどうかにまず疑問があります。
ここで問題になるのは、「何をもって・どういった団体が」「進んだ大学」とするのかという点でしょう。
実際、10年程前に日本は「世界の大学ランキング100位以内に10校」という目標を掲げていました。
世界の大学ランキングが日本の教育政策に影響を与えていたのです。
これについては、文科省の平成30年(2018年)5月の第18回「将来構想部会」で議論されています。
この会議での東北大学の米澤教授の意見が非常に多くのことを示唆しておりますので、抜粋して紹介します。
ここ15年ぐらいの間に我々にとってかなり深刻なのは,世界大学ランキングが普及してきたことです。
その中で特にトップ大学が大学の在り方というものを世界大学ランキングの中で考えるようになってきているということがあります。
また、この会議の米澤教授の資料3で大学ランキングについて以下の点について問題視しています。
これは投稿もとの日経SRが調査を22万で大学に販売しているという問題にも関連しているでしょう。
新興国・先進国の間での国家間競争 のKPIに→介入・資源競争の激化」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/042/gijiroku/1407457.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/042/siryo/1405128.htm
私が危惧しているのはまさにこの傾向です。
「大学ランキング」を通して民間企業が大学の運営方針に影響を与えることができるようになってしまっているのです。
そしてその方針の判断材料として、「大学ランキング」に関連する調査を販売しています。
こういった傾向は就活業界の企業と大学の関係でも起こっているように思います。
そうしてみると、メディアが報道するのは良いとして、「THE大学ランキング日本版」の結果を大学が公式サイトに載せるべきではないでしょう。
ランキング形式にするほどの調査をしているのか疑問のある「THE大学ランキング日本版」がデファクトスタンダードになる恐れに大学が加担しているのです。
https://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2021/3/20210326004
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2021/03/news20210325-02.html
繰り返しますが、大学の多様な在り方を画一的な指標によってランキング形式で発表するのは問題があります。
留学生が多い大学グループ、少ない大学グループなどを段階的に分けて発表すればいいだけです。
はてなではよく、「お前らはこの間はこう主張したのに、今回の件では矛盾しているじゃないか!」という指摘が発生している。
しかし、ある集団が頭の上から足の先まで統一した意見を持っているという前提が普通は成り立つものではない。
つまり、上記の指摘はそもそも指摘した側が何らかの幻影を見ているということになる。
たまたま、そうであるように生まれたというだけだ。意見を統一する必要など微塵もない。
「あの国の人間(※ここでは政府の話ではなくただの国民の意味。政府の話は後述)は前と言ってることが違う」という指摘を見たことがあるが、
おそらく日本人が多いであろう君たちは、この狭い日本の中ですら意見の分断があることを知っているのでは?
たまたま前の人が何か意見を発したら皆それに準じなければならないとしたら、これほどの理不尽はないだろう。
こういった属性は先程とは違い、少なくとも自分で選びとった属性ではあるし、特定の趣味嗜好に基づいているという点で共通性は見られるかもしれない。
しかし共通性が見られるということと、内部で意見を統一すべきということはイコールではない。
あくまであるサービスに魅力を感じて継続利用することに決めたというだけの関係であって、思想の全てを迎合させることに同意したわけではないし、そうすべきあらゆる理由もない。
よく「はてなーダブスタ論」が挙がるたびに疑問に思っているのだが、「自分もはてなユーザーである」という事実をどう処理しているのだろう?
「自分というはてなユーザー」と「自分以外のはてなー」という属性があって、「自分以外のはてなー」全員が「自分」のために意見を統一すべきと思っているのだろうか?(自分はそうしないのに?)
これはその人が会社の人間として発信しているのか、一人の人間として発信しているのかで事情が違う。
会社として発信しているのであれば、それはその人個人の思想とは完全に分離した「会社という法人の言葉」を単に代弁しているに過ぎないので、今論ずる対象ではない(後で論ずる)。
構成員個人の発信である場合は、会社と正反対の意見を述べようが責められる謂れはない。
法人と雇用契約を締結しただけの一人間がその思想まで同化させられたら、労働を遥かに越えた人権侵害だろう。
これは思想によって呼び分けられた集団だから、当然思想は同じであるべきと考える人もいるかもしれない。
ところがこれらの集団の人間も別に意見を統一する必要はないのだ。
各人の思想が便宜上近しいもので纏められているだけで、詳細まで同じであるとは限らない。
また、ある点(たとえばある政策の是非)でたまたま同じ意見を表明した人間同士が別の点でも同じ意見とは限らない。
同じものが好きな人同士でも、その好きになった理由は全然違うかもしれない。アニメだったら、ある人はシナリオ、ある人は絵、ある人は声優みたいに。
たまたま好きなアニメが被った見知らぬ誰かが犯罪者だからといって、自分まで犯罪者扱いされたら君たちも反論するだろう?極端だがそれと同じことだ。
ただ、それは国家間の条約や協定を覆さないという意味合いであり、ダブスタ云々というよりも「契約を守りましょう」という話に整理される。
その原則が守られている限り、たとえば政府の意見や見解といったものは、その国の中で過去から未来に渡って常に統一しておく必要というものはない。
なぜなら政権交代に伴って必然的に政府の意見は変わるものだし、変わるべきだからである。
それが許されないのであれば政権交代の意味も、ひいては選挙自体の意味もなくなってしまう。
アメリカの大統領がトランプになった後、米政府としての考え方は180度転換したが、これは当然のことであってそうでなければ変わった意味がない。
これは流石に統一した意見を持て、と言いたい人も多いだろうが、基本的には上記の議論が全てそのまま通じる。
一組織に属しているからといってあらゆる全ての見解を統一しなければならないまでの義務を負っているとは考えにくいし、組織トップが交代すれば見解も変わる。
逆に、組織と異なる意見は常に封殺され、どれだけトップが変わってもいつまでも見解が変わらないような自浄作用のない組織であれば、それこそ恐ろしい組織ではないだろうか?
組織としての契約や約束事をその設定期限まできちんと守りきれるのであれば、それ以外の意見や見解は変わりうるし、変わるべきなのだ。
ここまで考えていけば、究極的には一個人の意見や見解ですら、変わりうるし変わるべきだという結論にたどり着くだろう。
それは脳内で天使と悪魔なり自分会議なりマギシステムなりを開催しているところを思い浮かべてもいいし、単純に十年前の自分が今と同じ考えだったかと自問してもいい。
そもそものところ、主張の妥当性というものは、発言者に関係なく、主張そのものから判定すべきというのが大原則のはずだ。
発言者の過去の発言という外部変数を取り入れなければ成立しない「ダブルスタンダード」という概念自体がその原則に反している。
ダブルスタンダードであることが良くないのは、「一つの議論の中で同時に矛盾した主張を挙げ、その両方を論拠にした何らかの主張をした場合」に限られるのだ。
(そのような場合は、そもそも論理が矛盾を含んでいるのだから単にそう指摘すれば良いのだ)
ヒプアニというネタアニメ(ファンの皆さんゴメンナサイ)から始まりハマりつつあったヒプマイというコンテンツですが、調べれば調べるほど熱が冷めてしまいとても寂しい。
作りこめば作りこむほどコンテンツとして消費できないほどグロくなるから甘い設定にしたのかもしれないけどだったらそんな設定にしなければよかったのにとひたすら思う。
ていうか女尊男卑なのになんで領土の奪い合いという政治的な部分を『男なんか』に任せてるの?
個人的に一番ここが気になる。
これが別区画への渡航権をかけてラップバトルを行うとかの設定だったらまだわかるけど、結局政治的で一番大事なとこは男の争いで成立させてるじゃん。
結局女に政治は無理って言ってるの?
いやさあ、書いときながらアレだけど上記は考えすぎだとは思うよ?
正しいかわかんないけど女の投票?という形で主導権は女にあるようには一応見えてるから。
(でもアニメだと精神の殴り合いだったし男同士のファイトで結局決まってるのかも?)
領土だよ?
これが男性しかいない区画内での話なら分かるけど現代社会と遜色ない生活区域の領土でしょ多分?
女の皆さんはいいの?男は女の決定に従うしかないんだとしても女の皆さんはいいの?
色々裏の設定を考えることは出来るけど表面的に考察するならそうなるよね?
バトルのたびに区役所行かないといけないの?
あとバトルもさ、バトルを眺めつつ女性たちが賭け事をしたり男娼を侍らせながらバトルショーを楽しむとかだったら女尊男卑の設定の意味も出てくるけどアイドル化してちやほやしてるだけじゃん。
今はもうその辺の設定消えたくさいけどさ。
ただペットとして可愛がるみたいな、人として認識されていないような空気感も感じるからその辺は女尊男卑な気はするけど、そういう見方をするとキャラクターを応援しているつもりが性的に消費する立場になったみたいでちょっと悲しくなる。
そういう意味では元々設定が肌に合っていないのかもしれないからそこは言及しない。
各都市間の独立運動が加速し、日本という枠組みが崩壊して準独立国家という枠組みが形成されて、準国家間の武力を行使した争いを避けるために定期的に代理戦争としてラップバトルを開催とかでよかったじゃん。
優勝国家には次回開催までの間、国家間の関税を一定税率まで引き下げとかでよかったじゃん。
まだコンテンツ全部確認したわけじゃないから誤解とかあるかもしんないけどバックグラウンドが甘いコンテンツはなんかのめり込めないので頑張ってほしい。
https://twitter.com/kapibaku/status/1331586153577811970
だから、
というのが実態なんでないの?
と思うんだけど
(中国漁船に北斗端末配って日本に領海侵犯するように焚き付けてるのは中国の右派勢力、右翼団体です。
まあ、彼らを敢えて野放しにして、日本への牽制のために利用しているというのはあるでしょうけど。
政府公式の意思表示としてやるなら、もう物理的な紛争になって日本人はとっくに何人か死んでるはず。
ヤクザが暴走族を焚き付けて警察とか市民に威嚇させるのと似てるかも)
あと、「新自由主義・右翼」が社会的勝ち組かというとそうでもなくて、
もちろん、そのカテゴリーに含まれる社会的勝ち組は、自分の成功は自分の努力の賜物であって時代とか周囲とか環境じゃねーからw
という人が当然多い印象があるわけだけど、
「新自由主義・右翼」カテの貧困層、社会的負け組って意外と多くて、基本的に権威主義で服従していないと不安なタイプの人が多い
だから、貧すれば鈍するではないけど、他国で貧困層が自分の国の富裕層を恨んでいるかというと、そんなこともなく、
寧ろその貧困層が、なんでか外国の日本や米国の人種を恨んでいたり、
そんな感じで、不満の矛先を別に向けることが上手いんだろうなあと
だから、外国でもそういう人達が集まるところへ行けば、そういう攻撃的な人間が増えるし、それは日本も変わらなくて、
いちいち喧嘩を仕掛けるような言動をする、攻撃的な人間のエンカウント率が高くなる
それだけなんだなあ、と思う次第
しかし、自分の政治信条は自分でもよく分からんが、自分は何に含まれるんだろうな
マキャベリズム的に考えたって、福祉のない社会を作りたいとか暴力的な資本主義を国は放置しろは間違い
国家というシステムをどうコントロールするか考えてないからそんなこと言えるんでは?
ただ、国家間の話、外交、特に戦争は別にいつ起きてもおかしくない、単なる切り札のカードに過ぎないわけで、
派遣やアルバイトに任せて空洞化したり、本体が脆弱になってくのはもう失われた数十年で分かったのでは?
汚れ仕事を韓国や中国に丸投げしたことで、彼らは真似てパクって強くなった
そういう丸投げ、韓国中国にパクらせる切っ掛けを作ったのは資本主義の暴走であって、
結局、新自由主義者だの右翼だのは、自分で日本が没落する切っ掛けを作ったくせに、
まあ、こんなコロナだ何だでビビリ君になってる状況からどうやって核武装までたどり着くか、
自分にはまったく検討が付かなくなったが、バブルのときにやろうという話もあったけど、
国家として福祉もちゃんと機能している、太っ腹なところもなければならないし、
その一方でちゃんと戦争できる国にならないと、これも国家として意味がなくなってしまうわけで、
その両輪というかバランスというか、そもそも不足している欠けてるものが日本は未だに多いと思われるわけで、