はてなキーワード: 国会議事堂前とは
現在の人数が全員組織人数とは言わないけどさ、初めは意図的に連合が絡んでいたでしょ、という話。
労働組合の集合体である連合のあるビル、1~2週間前から連日、いつもと違って、大学生やフリーターみたいな格好した人間がやたら連合のビルに入っていく光景があった。自分が通りがかった時だけで数十人、今まで見ないような服装の20代くらいが、延々と連合のビルに入っていくのを見た。朝から毎日連続で見るようになったもんだから、こういう人達が出勤するようになったのかと思ったけれど、1週間もたたないうちに見なくなった。
そして、いつから学生運動も指揮するようになったのかと思っていたら、戦争?反対デモが国会議事堂前で始まった。
ちなみに、今年の5月、そのすぐ近くの靖国通りを、
9条保守・戦争反対のデモ行進を白髪まじりの老人達8人がデモ行進していたけれど、
なーーんも、誰も参加しなかったよ。
今回、裏でどういう動きがあったのか、解る人はこっそり教えてください。
戦争法案に賛成の人も反対の人も、原発再稼働に賛成の人も反対の人も、みんな脊髄反射でリツイートしたりシェアしたりイイネしたりするのは止めないか。
クリックする前に冷静な頭で考えようよ。
『本官も再稼働に反対です』ってプラカードと一緒に写った警官たちの写真がフェイスブックでまわってきた。
何年か前から出回っている写真らしいので、見た人も多いんじゃないかな。
僕は今回、初めて見た。
警官の中にも再稼働に反対してる人たちがいる? でも、国会議事堂前で制服着てそんなプラカードかかげる?
でも、よくよく見れば、プラカードの上に自撮り棒のようなものが写っていて、撮影者が自分で撮ったものだと気付いた。
シェアされた記事には、賛否のコメントがたくさんつけられている。
驚いたことに、元の投稿をシェアした人は、自撮り棒の存在に気付いていなかった。
気付かずに、とりあえずシェアしたのだ。
本人だけでない。コメント欄には「シェアします」の文言がたくさん。
みんな大丈夫か。わかってシェアしてるならそれでててけど、とりあえずシェアしてないか?
自分は、戦争法案には反対だし、原発の再稼働も必要ないと思っている。
こういう奴らがいるから、右の人たちに叩かれる。
右の人たちも同じだ。真面目に考え主張している人もいれば、思い込みや脊髄反射で左を叩く記事をシェアしたりリツイートしたり。
ちょっと前、SEALSsの女の子のtwitterの偽アカウントを、まるで鬼の首でもとったかのように、シェアしてる右の奴がいた。
よくよく見れば、最初のツイートが数日前。ツイート数も少ない。つぶやきの内容から考えても、なりすましだと気付きそうなものなのに。
バカだ。
右も左もバカばっかりだ。大衆はバカだ。世間は多くのバカによって成り立っている。
わかってる。僕もバカだ。けど、自分の信条とは関係なく、上にあげた記事を吟味するくらいの冷静さは持ち合わせてる。
みんな本当に脊髄反射はやめようよ。切に願う。
自分はもともと安倍政権を支持していたけれど、今回の法案可決には正直急ぎすぎ感じがしていてあまり好感を持てなかった。
とはいえ民主党などの野党は15日のプラカードで正直呆れたし(Twitterで#クソコラグランプリってハッシュタグが付けられてクソコラ画像祭りが起きてたのはさもありなんって思った)、相変わらず共産党は法案を「戦争法案」なんて的外れな呼び方をしていてダメだこりゃって思ったし。
…と長い前置きですが、これに関連して、最近の政治家以上にデモ活動に本当に呆れている。
理由は色々あるけど、いくつかちょっとここで吐き出させて欲しい。
まず1つは、よく言われている参加人数にまつわるところ。
国会議事堂前とか日比谷公園に法案反対のデモ隊が集まって、毎回毎回主催側は5万人とか10万人とかが集まったって発表して、
そして警察は6~7000人が集まったと発表して、Twitterで「水増ししすぎにもほどがあるわ」ってツッコミが来るやつ。
◯万人が集まったって言うことで「これだけの人数が反対してるんだぞ!」っていうアピールをしたいんだろうけど、
正直そんなアピールされたところで、こちらとしてはほんの一部の声のデカい人たちの集まりでしかないっていう認識は変わらないし騙されないよって思う。
なぜなら先日の週末(7/4か7/5だったかな)に、新宿駅東口のアルタ前のあたりで安保法案に反対する活動家らしき人たちがビラを配ってるのを見かけたとき、
道行く人は見事にその人達に近づかないように歩いてましたから。自分も若干遠回りしてそこを通るのを避けてました。
結局、デカい声を張り上げてもそんなものです。道行く大多数の人から興味を持たれていない。
2つ目は内輪で盛り上がってる人達のイタさ。
たぶんデモで同じ考えをしている仲間がいると盛り上がるし仲間意識も芽生えてさぞ楽しくなるんだと思うけど、Twitterでそういう人の発言を見るとまあ痛々しいというかなんというか…
安部総理に不満を持つのもわからんでもないけど、平気で人をバカ呼ばわりしたり、それは違うんじゃないの?ってことまで安倍政権のせいにしたり、「それはないわー」っていう発言が多すぎる。
そんな人には関わりたくないです。
3つ目。ここからは安保法案というより別のデモの話になるんだけど、デモ活動が風評被害やデマの温床になっている件。
福島の原発事故のとき、福島の農作物が危険だとか、子供の健康被害がどうとかっていう話が盛り上がったけど、反原発デモがデマの温床になっていたという事実がある。
このcakesの記事(https://cakes.mu/posts/9339)で、原発事故後の福島のことを研究してきた開沼博氏が発言しています(要会員登録)
以下抜粋。
上野 開沼さんは本書のなかで、福島のために何かしたいと言う人に対して、「買う、行く、働く」この三つをすすめてます。私は、ほかにもあると思うんですが。
~中略~
上野 福島のために、「自分の今いる持ち場でできること」。たとえば、脱原発のデモに行く、はどうですか?
開沼 なるほど。それはやりたい人がやればいい。ただ、デマ・差別の温床になってきた側面は確実にあり、強い嫌悪感を持っている当事者も多くいます。直接的に地元の人が喜ぶのは「買う、行く、働く」に集約するかな、と思いますね。
具体的に知りたい方は、開沼博氏の「俗流フクシマ論批判」(https://cakes.mu/series/3229)やその連載をまとめた書籍「はじめての福島学」、開沼氏と糸井重里氏との対談記事「福島を知ろうとすること。」(https://cakes.mu/series/3391)を読むことをおすすめします。
つまり、反原発デモの参加者が結果的に福島の風評被害を与え、福島県民や福島出身者のことを傷つけていたということです。
これは沖縄の反基地デモの話なのですが、先日発売されたニューズウィーク日本版6/30号(http://www.fujisan.co.jp/product/5766/b/1263891/)の記事を読んで知ったものです。
沖縄の反基地デモも色々と穏やかでない話を聞きますが、沖縄県民から反基地運動に対して次のような不満があるとのこと。
辺野古地区で青年会長を務めるT氏は「基地ではなく反対運動に迷惑している」と嘆く。朝からの連日の騒音だけでなく、道路での封鎖活動や路上駐車による渋滞など、地元にとって反基地活動は降って湧いたような災難でしかない。徳田はあるとき、仲間と話し合い。日常取り戻すためにゲートのフェンスに運動家が貼ったテープのごみを剥がす美化活動を行うことにした。「米軍の回し者」と罵られ、「体をぶつけられたりすることもある」というが、黙々と剥がす。地元住民からの反発は辺野古に限らず、普天間飛行場(基地)周辺でもたびたび耳にする。
反基地運動に対する沖縄県民の不満には主に2つの要素が含まれていることが多い。1つは徳田が述べるような具体的な生活被害に対するもの。もう1つは、こうした被害をもたらすものが県民の見るところの「よそ者」であるということだ。「日本人」「ヤマトナンチュー(大和人)」「ナイチャー(内地人)」…本土出身者を指す言葉が基地反対運動対しては嫌悪をもって語られる。「あれは寄留民の運動じゃ」と吐き捨てる人もいる。
沖縄県民でも基地をこれ以上作らないでほしいという声が多いのも承知してるけど、反基地運動にもまた不満があるのが事実だそうです。
なにより「体をぶつけられたりすることもある」っていうのは傷害罪になりうる行為だし、他にも米軍に罵声を浴びさせる活動家がいるなど色んな悪評を耳にした。
これが本土の人間がやっている、あるいは本土の人間が現地の人を煽ってやらせていることだとしたら、本土で暮らしてる身としては面汚し以外の何者でもない。読んでて怒りがこみ上げるレベルですよ。
とにかく言論の自由っていう大義名分を掲げて人に迷惑をかけている集団でしかないし、頭の中がバブル前から変わっていない政治家と同じで何も進歩していない。
デモ活動に対するイメージはそんな感じです。それを支持している芸能人やジャーナリストに対しても不信感が募るばかりです。某津田大介氏とかね。
結構いると思いますよ。安倍政権のやることすべては支持できないけど、デモ活動してる人たちの仲間なんて死んでもゴメンだって人は。
この間鶴橋でいわゆるヘイトスピーチのデモに出くわしたが、あれほど日本的でない風景があるだろうか。
きわめて不快な画に思われた。
場所に合っていないというべきか。
やってる事はヤクザが自分の気に入らない人間の家の前に喧しい騒音と派手な街宣車で近所迷惑な抗議をやっているのと全く同じ。
なんていうか、ああいうのを見ると非日本人が日本人ぶってクソみたいな事やってるんだなと思う。
ゴミクズはゴミ箱に捨てられないかなと感じるのは多分自分だけではないはずだ。
ヘイトスピーチのそれは正しく日本人が今まで背けてきた現実に対するアンチテーゼなのだ、と解せば何てことはない。
しかし、今は戦時中ではないのだから、もう少しスマートにやれと思う。
ビラ配りと駅前でのスピーチだけで効果あるとは言えないし、ましてヘイトスピーチなんてものをのさばらせた所で一体誰が何の目的で
どうせお前らお国のために戦争行った事ないくせに、嘘っぱちの愛国主義を見せびらかすなよ。
本当に愛国主義なら、国はもとより地域住民との間にいざこざ起こしたり煙の無い所に火を起こすような真似はすべきでない。
国会議事堂前で抗議するとかさ、公人に対してやるもんだろ、普通はな。
鶴橋とか新大久保とかでやっても意味はないし、むしろそこに住んでる住民に同情的になったり、あるいはこのようなデモを行っている人間に懐疑的になったりする。
たぶん技術じゃなくて、リスクをどこまで許容するかの話なんだよな
※なお、初稿はエレベーターとか結構書いてた模様。全部エスカレーターに直した。指摘thx
勿論解決できることもある。
例えば、全員がみっちり並んで載っても余裕の耐荷重設計とか、点検整備体制とかな。
でもな、エスカレーター上で歩いて登っても大丈夫なようにしろよってのは、無理な話だ。
だってさ、コケたり滑ったり、落ちた時に被害が甚大ですってのが本質なんだもの
しかもよ、動くエスカレーター上で更に登っちゃう人ってのは、基本急いでる人だろ?
国会議事堂前でずっとエスカレーター載ってる人と、歩いてる人に差があるのはわかるが、
普通の駅なら、1分は違わないだろ。
1分を惜しむ人ってのは、急いでる人だ。
で、急いでる人が動くエスカレーターの上で「コケないようにしろ」ってのが、要求になるわけだ。
そりゃ無理だろ。
あと、急いでる人が動くエスカレーターの上で「他人にぶつかって迷惑をかけないようにしろ」とかな。
これは技術で解決する話じゃないのよ。
あくまでもマナーやルールや法律じゃなくて、エンジニアリングの話にするなら、
明日から日本中で一律エスカレーターの稼働を止めるしか無い。これなら単なる階段になる。
登れるようにみえるのが悪い、というのであれば登れないユーザーインターフェースにするというのもひとつの手だろう。
登りたい、それでいて登りたくない相手に迷惑をかけないようにしてほしいというのであれば、
完全に区切る、1人用のエスカレーターが2つ出来るってのも簡易な解決策だろう。
でもな、結局のところ、
「やるなと言われているし、急いでる時コケたり他人にぶつかったりするリスクも理解しているが、
急いでるし、登れるように見えるし、ルールで縛らずにエンジニアリングで解決しないメーカーが怠慢だ」
って言い方をする奴には、きっと付ける薬は無い。
一人用でも走って登りたがるだろうし、登れないのを無理に解決したりするだろう。
痛ましい事故があって、その結果施設側が全面的に使用を禁止、他の施設でも撤去に向かうパターンだ。
「メーカー側は以前から歩かないようにとの啓蒙を進めていたが、今回の将棋倒しの事故での死傷者数を鑑みると何らかの社会的な」
急いでて足を踏み外した人が怪我をするのはある程度自業自得なんだろうが、
ルールに従ってエスカレーターに止まって載っていた人が巻き込まれるのはやり切れないな。
いくら啓蒙してもベンチで寝るなら、そもそも寝られないように区切るってやりかただな。
電車のベンチシートの凹んでる座席とか、途中にある手すりとかも同じ系統だな。
エスカレーターで区切りができて、登れないようにする。
荷物持った人は不便になるだろうが、まあ世の中そういうもんかもしれない。
歩いて登ったら危ないから、片側を開けると荷重が偏って危険だから、詰めて乗ると危険だから
と言われてていうことを聞かずに歩く奴は、残念な人ってことだ。
韓米FTA反対デモ、道路占拠し警官隊を暴行
韓米自由貿易協定(FTA)の批准に反対するデモ隊が10日午後、ソウル市永登浦区汝矣島の国会議事堂近くの産業銀行前で道路を不法占拠しデモを行った。
同日午後2時半ごろ、警察の推定で1200人(デモ隊は5000人と主張)のデモ隊が「韓米FTA反対」というスローガンを叫び、集会を行った。参加したのは、アゴラ(インターネット掲示板)、金属労組、全国民主労働組合総連盟 (民主労総)、建設労組、公共運輸労組、進歩新党、民主労働党などの旗を持ったデモ隊で「ハンナラ党が強行採決すれば、現政権とハンナラ党に審判を下す総力闘争に突入する」などと訴えた。
午後3時35分ごろ、集会を終えたデモ隊は、国会議事堂前の道路の片側3車線を占拠し、ハンナラ党本部に向かって行進しようとしたが、約5800人の警官隊に阻まれ、にらみ合いとなった。
警察は午後3時45分ごろ、放水を開始。逮捕に乗り出した戦闘警察官1人がデモ隊に倒され、足で蹴られる暴行を受けた。この騒動で、戦闘警察官を暴行したデモ参加者とイ・ヘソン民主労働党最高委員ら11人が警察に連行された。デモ隊は午後5時ごろに自主的に解散した。
しかし、デモ隊約800人(警察推定)は、午後7時ごろに産業銀行前に再び集結し、韓米FTAに反対するろうそく集会を開いた。
東京から来たという労働運動家は「韓進重工業の闘争とFTA反対闘争は日本でも伝えられている。これからは共に闘争しよう」と話した。大学修学能力試験を受験し、京畿道富川市で服を着替えて駆け付けたという浪人生(20)は「ツイッターを見て、試験が終わってすぐに来た。2008年の米国産牛肉輸入反対集会には参加したが、FTA反対集会は今回が初めてだ」と語った。
集会にはインターネット放送で活動する鄭鳳株(チョン・ボンジュ)元国会議員、鄭東泳(チョン・ドンヨン)国会議員(民主党)、姜基甲(カン・ギガプ)国会議員(民主労働党)らも参加した。鄭東泳議員は「朴元淳(パク・ウォンスン)氏が(ソウル市長選で)勝ち、韓進重工業(の闘争)も勝利し、FTAでも勝つことができる」と気勢を上げた。デモ隊は午後10時10分ごろに自主的に解散した。
一方、午後2時ごろにはソウル駅前広場で在郷軍人会など10の保守系団体で組織する「愛国団体総連合会」の2000人(警察推定)が、韓米FTAの早期批准を求める集会を開いた。参加者は「国会は北朝鮮追従・反米勢力に振り回されず、韓米FTAを即刻批准し、国益を守れ」などと主張した。
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。
平等な社会、などと最初に言ったのは誰だったか。
社会という存在は生まれながらにしてある種の差別を抱えている。
つまり、「社会に参加できる者」による、「社会に参加できない者」への差別のことだ。
一万年と二千年前。
人類の中に“コミュニケーション”という能力を持つ者たちが現れた。
それは1+1を100にも200にもする力。
彼らは“社会”という集団を結成し、勢力を拡大していった。
敵などいるはずもない。
世界は社会に覆い尽くされた。
彼らは、自らを“コミュ”と称した。
一方で、コミュニケーション能力を持たない者たちは、
いつまでも1のまま、力を持たないまま、コミュたちの社会に押しつぶされた。
「コミュに非ずんば人に非ず」
彼らは“非コミュ”と呼ばれた。
生きていくためには働く必要がある。
そして、働くためには社会に参加せねばならない。
なんという差別だろうか。
考えてもみろ。
だが我々は、役所に電話のひとつも掛けられないのだぞ。
――インターネット。
それがあれば、非コミュたちもコミュニケーション能力を持つことができた。
非コミュたちは、有史以来はじめて互いの存在を確認しあい、そして泣いた。
非コミュの夜明けがついにやってくるかと思われた。
コミュに攻撃され、火をつけられて、いくつもの非コミュサイトが閉鎖していった。
非コミュは、非コミュ相手にさえ、トラックバックを送ることができなかった。
インターネット上ですら、非コミュたちはまともなコミュニケーションを取れなかった。
ましてやオフ会など。
そう、先日のオフ会は惨々たる有様だった。
オンラインではそこそこ盛り上がっていたものの、結局、集合場所には誰一人として現れなかった。
実は、かく言う私も行かなかったので、本当に誰も来なかったのかはわからない。
しかし少なくとも「第一回・政府に非コミュ支援を訴えるオフ」が失敗に終わったことは確かなのだろう。
調子に乗って「第一回」とか付けるんじゃなかった。恥ずかしい。死にたい。
…失礼。
今日はこの増田の場を借りて、「第二回・政府に非コミュ支援を訴えるオフ」の告知をしたいと思う
諸君、今回は顔を合わせなくてもいい。
声を掛ける必要も、あの忌々しい自己紹介も必要ない。
ただそこに立っていてくれるだけでいい。
それが我々の“団結”だ。
それこそが、団結する力を持たない、我ら非コミュなりの“団結”となるのだ。
我々の力を、コミュのやつらに見せ付けてやろうではないか。
決行は次の日曜。
集合場所は国会議事堂前。
万国の非コミュよ、“団結”せよ。