はてなキーワード: 固形とは
メンタルって不思議なもので心がしんどい時ってほんとに食べられなくなる。
時代によって選ぶものは変わっていくんだけど、固形がだるくなっていってゼリー状のものとかをなんとか飲んで、みたいな感じが多い。
他にはうどんはけっこう入りやすいけど少し食べただけでああもういいやってなってしまう。
しかし当然体はエネルギーを必要としているのでちゃんと食べないと心もよりしんどくなるのだ。そもそも正常な思考ができなくなっていく。
自分は幸いなことにというか、生死に関わるような悩みを抱えたことはない。
借金が何百万もあるとか、仕事が見つからなくてやばいとか、大変な事件に巻き込まれるとか、そこまでのは経験がない。
ほんとによくある感じの、仕事のことか恋愛のこと、主にこのふたつがせいぜいなのでかわいいものなんだけど、それでもいわゆる「食事も喉を通らない」という時期を過ごしたことが何度かある。
仕事については過去に、数ヶ月ほぼ軟禁状態で会社に寝泊まりして、地獄かよみたいな状況に追い込まれたことがあり、
その時は生きてる意味を見失ってるという感覚が強く、自然と食べる行為にも消極的になっていた。
ただこの時は食べようと思えば食べられる、というくらいでなんやかんや少しずつ食事は取れていたと思う。
なんとなく食べてはいるけどなんの味もしないなって感じ。あとこんな自分が飯を食って申し訳ありませんという感じの自虐も強かった。
さっさとその状況から抜け出すべきだったけど、ほとんど思考停止になっていたので能動的に動くというのが難しかった。
しかし仕事は仕事でしかない。その職場にそこまでしてこだわる理由などないわけで、
プロジェクトそのものが終わりを迎えた時、よし辞めるぞと心に決めて「家に帰ります」と宣言した時は開放感がすごかった。
久しぶりに家に帰り、ベッドに倒れ込んでこれも久しぶりの爆睡をして、起きた時に「腹減ってるわ」と気づいた時は「これで助かった」と思った。
そしてスーパーで卵や塩辛を買ってきてご飯を炊き、お味噌汁と一緒に食べた時千と千尋のおにぎりほどではないが、涙がじわっと溢れた。
一番キツかったのは30代を目前にしたころの片想いの時だった。
元々友達関係にあった女性をふとしたきっかけで好きなのかもと思い始め、そこから一気に爆発的に好きになってしまった。
寝ても覚めてもその人のことを考えてしまい、なにか食べようとしてもまったく喉を通らない。
その代わりコーヒーを飲む量が異常に増えていく。
ウィダーインゼリーとかでなんとか誤魔化しつつ、会社で同僚達と飯を食う時は残しまくり、1~2ヶ月で10kg以上体重が落ちたと思う。
まあその頃は少し肉がつきはじめてたので、10kg落ちても50kg台だったので病的なほど痩せたわけではないけど。
けっこう怖いのが自分では痩せていってることに気づかず、スーツがなんかぶかぶかしてきたとぼんやり思ってた程度だった。
ある時上司に「なんかめちゃくちゃ痩せたな」と言われてああそうなのかと思った。
とにかくずっと相手の女性の事ばかり考えて心ここにあらずだったので、どうやって過ごしてたのかほとんど覚えてない。
ただ2回くらい貧血を起こしてしまい、ああこれは食べてないからかと思ったことは覚えてる。
休みの日はずっとその人に宛てた手紙を書いたりしてた。何度も何度も書き直して結局一度も渡さない手紙。
ほとんど徹夜で書いてその間はずっとコーヒーだけ飲んでる。睡眠も取りにくくなっていた。
翌日読み返すと短編小説かくらいの長さで、こんなの渡されたら重みで両手もげるわみたいなクソ重な内容だった。
このままでは死ぬと思ったので告白した。告白した時も思い出したくもないくらいかっこ悪くて恥ずかしいみっともない告白をしてしまったんだけど、
そこは元々友達だったというのもあり、相手も大人だったのでうまく対応してもらえた。
相手は俺のことは完全に恋愛対象としては見てなかったけど、年齢的なことや周りの意見などを取り入れ、付き合ってみてもいいという話になった。
ただ結果的にはよくある展開ではあるけど、やはり自分を男として見るのが難しかったんだと思う。こちらはこちらで勝手に想いが強すぎてギクシャクしてしまいうまくいかなかった。
やっぱうちら無理だねとちゃんと話し合って、円満にお別れすることになる。
そうすると不思議なもので互いに張り詰めていた緊張が一気にほぐれた空気が生まれた。
最後に二人きりで食べた焼肉屋では、どちらもたくさん食べた。この空気が最初から作れていたらと思わずにはいられなかったけど、久しぶりに自然に笑う彼女を見た気がして嬉しかった。
彼女は彼女で、こちらの想いに応えようとしてくれて無理をしてくれていたのだ。「君があまり食べないから実は私も抑えてたw」といった時の彼女は本当にかわいかった。
それから俺はどんどん体重を戻し、ちょっと戻しすぎて小太りになった。久しぶりに会った時に彼女からは「今のほうが私好きよ」とからかわれたりした。
大変だったなあとは思い出すし、仕事で大変な思いをするのは二度とごめんだなと思う。
でも恋愛に関しては、というか恋愛に限らず人に対してそこまで思ったりするというのはそうそうあることではない、良い経験だったなと思う。
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
___
とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
なんか黄身の濃厚さが薄まって味がぼやける気がするしドロッとしてて食感もちょっと。
泡立てるのが一時期流行ったけど、確かにドロっと感は低減されるが味という点では手間がかかる割にそこまで劇的な向上は無い。
ということで自分の解決法は、白身だけ焼いてしまうというもの。
白身だけフライパンに落として黄身をごはんに乗せる。軽く塩味を付けてもいい。
焼き方は、そのままだと目玉焼きの黄身なしみたいになるがそのままでもいいし箸でポロポロにしてもいい。
で、これをTKGに混ぜる。
こうすることによって白身が個としてまとまると、黄身の味を薄めないどころか熱変性したタンパク質によりうまみが向上する気がする。
半熟の目玉焼きでも良さそうだが、
それだと黄身もすこし焼いてしまうのでどうしてもパサっとなるが、このやり方だと完全に生の純度の高い黄身を食すことが出来る。
街を歩いていたら、
ちょっとボルドー色のスカートの裾に和菓子の桜餅やイチゴ大福の柄をあしらったスカートの人を見かけて、
春だなぁ~って思いました。
思わず可愛いですねってスカートが!って声かけそうになっちゃったけどいきなり知らない人から声かけられてもビックリするだろうからそっとしておきました。
私の中の心に留めておいたわ。
自分で縫ったのかしら?ソーイングビー流行ってたから自分でやったのかも説濃厚かしら?
と言うか、
そもそもとしてお菓子類の類いの食べ物はそんなに買わないんだけど、
まああったら食べるというか、
違うかー。
でも釣られて和菓子を買いに行くとしても、
イチゴ大福こそまあ街中でよく見かけるけど
桜餅ってどこで買うの?
まあ手っ取り早く調達できるってなると
百貨店になるのかしら?
日頃さー時間帯もあんまり合わないから百貨店オープンしている時間帯に行くことはないんだけど、
たまーに百貨店に行くといまもう人で賑わいまくりまくりすてぃーよね。
地下のいわゆるデパ地下も、
百貨店のはキラキラショーケースの中で輝いて超絶美味しそうに見えるマジックが発動で
まあ食のパラダイスだわー。
でね、
お弁当をいかに水平に保って持ち帰るかって常に神経を張り巡らせないといけないじゃない?
お弁当の入った袋を車内で持ち歩いている様をよその人が見たら
この人そんなに大事にしてまでお弁当持ち抱えて持って帰って食べるんだなぁーって
すごくお弁当を水平に保つのに神経を張り巡らせていることを悟られて恥ずかしくない?
もうちょっと
心の中では大事にしているけど、
多少傾いても私気にしてないからって体裁オーラを放ちたいものよ。
なんか電車でスーパーマーケットのあの袋を持ち歩いて車内に乗るのは私勇気が100パーセントあってもやりきれないわ!
かといって、
中身が何が入っているか分かりにくいよくある流行のエコバッグだと
袋にマチがないから完璧にお弁当100パーセントの勇気で傾くのよ!
確実に!
ルーシーのあるお弁当だと袋内にそのルーシーが被弾するのよね。
帰ってエコバッグ洗わなくちゃいけないこれなんて二度手間なのかしら山脈に向かってヤッホー!って叫ぶのよ!
うーん
電車で持ち帰りとなるとあのスーパーの袋でお弁当は長時間長距離のはハードルが高すぎるわ。
車なら気にしないんだけどね。
って!
いざ出陣本舗したわけなんだけど、
いってる矢先キラキラに光るショーケースの中のから揚げ100グラム閉店間際80パーセントオフに釣られて
そしてお魚屋さんのハマチのお刺身の柵もリーズナブルだったので、
それら買ってしまったわ。
そんでワーイ!って文字通り両手を挙げて喜んでいたら
思わずまた令和入ってから一番のテヘペロな事態を起こしてしまったわ。
あのショーケースの中でキラキラに光っているグラム幾らかのから揚げにいつも釣られてしまうのよね!
うふふ。
なんか朝からお腹珍しくいたくっていつもより早い時間に目が覚めてしまってトイレに。
なので
ブラックコーヒーのヒーコーに自分の好みの牛乳の割合で牛乳多めのをよ。
刺激はそんなにしないだろうと思いつつ刺激物は辞めておこうという作戦で
結構温めよ。
昨日飲み過ぎでお腹痛くなったんじゃないの?って
昨日はだから飲んでないのよねー。
それだけに朝まで引きずっていて、
まあ忘れた頃に直るわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2021/9/29投稿
炊飯器ロカボについて、説明が理解出来ないので、 何方か解りやすい解説をお願いします。
(※公式ページより)
LOCABOの一番の特徴である糖質カットを実現したのは、その構造です。 一般的な炊飯器では、お米を炊いた際にお米から発生する糖質(でんぷん)が水と一緒にお米に付着しています。 そこでLOCABOはお米から発生した糖質(でんぷん)がお米に付着しないように、蒸し器のような構造にしています。 これによって、炊飯時に発生した糖質(でんぷん)を落とすことが可能になりました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10250185180
知恵袋の勝ちだ、お前らの負け
飲み会の帰り道。駅から家まで徒歩10分少々。ヤツは突然やってくる。そう、便意である。便は小さいやつと、大きいやつがあるが、もちろん、大きいやつだ。お前を呼んだつもりはないが、ヤツは突然、嵐のように出てくる。困ったことに、周囲に公衆便所や、コンビニは無い。
ヤツは、外に出たがってる。お前も春を味わいたいのか?そうか、俺にお前を止める権利なんてないな。そう思ってると、少し、ヤツが出てきた。ヤツは、花粉を浴びたいらしい。ヤツが少し、出たところでタイプもわかった。ヤツのタイプは以下の通り
・水タイプ
今回のヤツは、カレー型だった。カレー型だから、粘りがあり、ボクサーパンツにとどまった。出たものは仕方ない。ロケットの発射に失敗したようなもんだ。失敗は受け入れるしかない。
大股で歩いてると、さらにヤツが出てきそうになる。ペンギンのような歩き方でごまかす。しかし、ヤツはさらに、出てきた。固形タイプなら、ケツの筋肉でガードできそうだが、今回のカレータイプの場合は、我慢してもニュルニュル出てくる。筋肉は無駄だった。抵抗してもヤツは外の空気を吸いたいようだ。ボクサーパンツがさらに重くなった。
家までペンギンのようなよちよち歩きで進んでいるが、歩くたびにカレーが出てくる。そのたびにボクサーパンツが重たくなる。
そしてそのうち、私は「則天去私」という言葉を思い出した。
自我を捨て、天に則る。夏目漱石が好きな言葉だ。今、私のこの、ボクサーパンツが重たい状態は、天に則る行為ではなかろうか。
ヤツが出てくることは、天なのだ。そう思うと、気分が軽くなった。ボクサーパンツはやたら重たいが。
ようやく自宅に到着し、パンツを見ると、ヤツらはお行儀よく、ボクサーパンツに収まってた。
則天去私の境地に達した気分だった。
おやすみなさい。
【追記】
こんな駄文にとても多い反応があって凄くびっくりした。
励まし・慰めの言葉をくれた人、後輩を悼む言葉をくれた人、本当にありがとうございます。正直、時間が経った今でもあの日のことは夢だったんじゃないかって思うことがあって、でも現実を突きつけられて。の繰り返しだった。けど、これを書いたことで、少し気持ちが楽になった。今まで誰にも相談できなくて鬱屈としてたんだけど、誰かに聴いてほしかったんだな。
書いてると感情が凄く乗ってしまって、嫌に創作臭くなってしまった。
事故に関する記事については「高速道路名 事故 後輩の名字」で調べないともう出てこなくなってしまっていて、これはさすがに晒せないから事実ということを証明するのは少し難しいんだ。
けど、それじゃ「嘘松だ」っていう人を納得させるのは難しいし、自分としても後輩の死を嘘松って言われながら消費されるのは絶対に嫌なので、事故にあった後の車の写真を置いときます。これを見て事実かどうか判断してもらえたらと思う。
ちなみに、今までにインターネット上に公開したことは無いから、画像検索しても出てくることは無いと思う。
また、この画像を見て交通事故の恐ろしさを改めて認識していただけると救われます。
https://gyazo.com/0b58ed31e1a84df6198a377d71c0b94f
https://gyazo.com/5390deb73e4458ef787743ac240fe85f
【追記終わり】
大学の部活で仲が良かった男4人組で日帰り旅行に出かけた帰り道での出来事だった。
片道250kmくらいの道のりで、あと50kmくらいで無事に家に帰れるはずだった。高速が事故で渋滞していて、渋滞の最後尾に追いついたんだ。
トラックの後ろに停車してハザードを焚いてバックミラーを覗いた。それから数分間の記憶はない。
目を覚ますと、運転席の中だった。目の前に巨大な鉄の塊があって、本来それと自分たちを隔てる、あるべきものがなかった。
状況が理解できなかった。けど目に飛び込んでくる夥しい量の情報がその事実を残酷に突きつけていた。
助手席の友人に大丈夫か聞くと返事が帰ってきた。彼に一旦外に出ることを伝えて、ドアを開けて外に出ると前のトラックの運転手が携帯電話でどこかに電話していた。
「そうだ、自分も通報しないと」携帯を取り出して110番に通報した。
電話を終えて後ろのトラックをチラッと見てみると、運転席に運転手が座っていた。60〜70くらいの男性だろうか。呆然とした様子で、誰かに電話をかけるような様子もなければ、降りてきて救護する様子もなかった。
でも、自分には彼にかまっている暇はなかった。後部座席に座っていた後輩2人の無事を確認しなければいけなかった。
後部座席を運転席側から覗くと、とても現実とは認めがたい光景が眼前にひろがっていた。
運転席側に座っていた後輩は口から血の塊を吹いていて、目を見開いていた。気付くと血の塊を手で拭っていた。血の塊はゼリーのように半固形状になっていて、事故が起きてから経った時間を物語っていた。
大丈夫か問いかけても反応がなかったけれど、なんとか息はしているようだった。奥を見やると、助手席側に座っていた後輩の首から上が、後ろのトラックに圧迫されているのが確認できた。
一気に自分の心拍数が上がるのを感じた。次の瞬間、思わず叫んでいたことだけ覚えている。窓から手を伸ばして、背中を叩きながら、ただ一命をとりとめてくれることを叫んで祈るしかなかった。
急いでドアを開けようとしても開かない。ビクともしなかった。追突の衝撃で歪んだせいだろう。どれだけ力を加えても開けることができず、それがより不安を加速させた。
ビクともしないドアが、生と死の境のように感じられた。それからずっと、救急車が来るまでただひたすらに、叫ぶことしかできなかった。もし少しでも止めてしまったら、2人がもう二度と帰ってこない気がしたんだ。
気付くと、救急隊の人が到着していて、引き剥がされながら、いつの間にか脱出していた助手席の友人と救急車で近くの病院に搬送されることになった。
結局、自分は左足骨折と頭を数針縫う怪我を負い、助手席の友人が頭を数十針縫う怪我、運転席側の後輩が顎の骨が砕けて、全治半年以上の怪我を負った。助手席側の後輩は帰らぬ人になった。
今でもあの日のことを思い出す。あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときにもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。
事故を防げたかもしれないあらゆる可能性を思い浮かべては、そうできなかった自分を責めている。
数日後に控えていた後輩たちの旅行も台無しにして、亡くなった後輩のご両親からもただ一人の息子を奪ってしまって本当に申し訳がない。生きている価値がない。
あれからずっと、生きている実感が無い。
ここまで読んでくれた人たちにお願いがある。交通事故は本当に、誰一人も幸せにならないから、本当に気をつけて運転してほしい。
食洗機(60cm)のメリットしか語らないのはステマみたいなコメがあるけど、使えている人にとってはデメリットがあまりないから仕方ない。でも多分一般的な家庭では以下のようなデメリットがあると思う。
うちは2人だけど、1日分の調理器具(ボウルや鍋、フライパン)と食器とカトラリーを夕飯後に洗って寝る前に片付けるような使い方をしている。食器等の予洗いはしないけど固形物はシンクで流す。食洗機で洗わないのはフープロの部品の一部と包丁くらい。食器以外の換気扇のフィルターも洗える。
1. 入れられるキッチンが限られる
日本のキッチンは天板が低いことがあり、その場合は入らない。また、大手メーカーの場合はハイエンドのキッチンでしか対応していないので、(こんな人はあまりいないが)クリナップのラクエラやTOTOのミッテがどうしても好きという人は保証が無効になるけど後から入れることになるし、それ前提でキッチンのキャビネットを選択したり天板を高いものにしないとならない。
2. 200V電源
IHコンロと同じく200V電源が必須なので、寒冷地の築古マンションなんかだと建物側が200Vに対応していないこともある。ほとんどないけど。あとマンションによってはアンペア数を増やせないので、上限40Aとかだと洗浄中に他の機器を使えないかもしれない。
3. 価格
国内メーカーのものより少し高い。60cmの中でもIKEA(Electrolux)のだと少し安いので国内メーカーのハイエンド品といい勝負。
60cmに限らず食器を食洗機に最適化しないとならないので、既存の食器が非対応のものばかりだと導入で得られる省力化という最大のメリットが得られない。土っぽい・木っぽい・塗りは非対応なことが多い。プラ食器は耐熱温度に注意だけど、これは自然乾燥させる海外メーカーのものよりも温風を吹きかける国内メーカーのものの方が問題になると思う。
サクレを数十年単位で存在する地縛霊にひとさじあたえれば(あ もう いいかな)と力が抜けて行くべき場所に行くか レモンの種までも味わい尽くしたいとガッツを起こしさらなる怨霊と化すかのどちらかだろう
もちろん天国では毎日サクレの全フレーバーが饗される サクレは天上に奏上される菓子だからだ
この文章はサクレに感謝を捧げる文章を病床でつづったものである
今の私は謎の高熱と嘔吐感に悩まされて床に伏せっている PCR検査はしたがコロナではないそうだ
コロナにはかかったことがある いっそコロナであれよ そんな不謹慎さと八つ当たりがないまざった気持ちすら湧いてくる 原因がわからない病と戦う人の不安感が小指の爪の先の先ぐらいわかった気がした 募金します
今回の病はとにかく固形物を受け付けない ゼリー飲料すらダメで吸ってはもどし吸ってはもどしを2~3回くり返したあと、ひたすらスポドリや麦茶などを飲んでしのいでいる
3日目にたどり着いたのがサクレのレモン味だ。いちおう説明すると ザクザクのかき氷にほどよいシロップを染み込ませて 輪切りにしたフルーツを一枚ぺろんと乗せたカップアイスである
もちろんそのまま食べてもおいしい しかし今の固形物が受け付けない私がサクレをぞんぶんに楽しむための方法がある
まずちいさいボウル状の皿を用意して輪切りにされたレモンを置く
そしてサクレをけずりつつ下に敷かれたレモンをちょっとだけ押し潰してほろ苦さとすっぱさのある果汁を出しながら食べる これが私のたどり着いた答えだった
サクレがすばらしいのは病床で不足しがちなあまい すっぱい にがい このみっつがひとつで味わえるところだ この比率も重要でにがい すっぱい あまいの比率ではサクレはロングセラーにはならなかっただろう
レモンシロップがたっぷりと染み込んだ氷をシャリシャリと繊細な音を立ててすこしずつ削るのに 食べるときは奥歯をぞんぶんに使ってガリガリと食べる これがたまらない
しっかりと噛んだサクレは涼やかな液体となってのどをうるおし 私を苦しめる固形物としては残らない しかしちゃんと食べた!という実感があるのだ
こんなに喜ばしいことがあるだろうか
サクレは思い出させてくれた ゼリーすら食べられないと鬱々としていた私が人間であることを サクレは私にとってリコに対するミーティのようなものだ
追伸 えげつない頭痛も吐き気も直前に読んで観たばかりのメイドインアビスで(リコちゃんもがんばってたもんな……)と勇気をもらえた 治ったら烈日の黄金郷を観ます