はてなキーワード: 図画工作とは
図画工作のおかげで強くなれました
お前さんが中抜き企業と言ってる所だって属人的な技術の結晶なんやで?
対人関係の奥義なんてマニュアル化出来るものでもないし、個人の資質も大いに絡む。
毎日2時まで宴会して次の日7時に出社するのを「毎日楽しく遊べてラッキー」と思えるような人間じゃないとやってけない世界がいくらでもある。
陰キャからすればキチガイとしか思えない行き方を「ほぼお喋りして遊んでるだけなのにお金貰っていいの?」と考えてる怪物の巣があちこちにあるんだよ。
結局ね、君も同じなの。
自分のよく知らない業界の人を「楽して金もらってるなあ」と勝手に思ってるだけ。
幼稚園の図画工作の延長みたいなハサミチョキチョキだけ何十年も続けてお給料貰えて裏山地位でちゅね~~~~~頭の中もそろそろ年中ちゃんになりまちたか~~~~
とか言われたらムカつくだろ?
タイトル通りです。最初に言っておきます。僕はクソみたいな人間です。否、クソです。
何事も成し遂げられていないし、ただ飯を食って排泄をしているのと何ら変わらないゴミ人間です。
そんな僕なんで、誰も話せそうな友人は当たり前のようにいません。いないのでここに殴り書きます。
彼女とは付き合って約1年半になります。最初はジェットコースターの到達点ぐらい好きだったんですが、ぐんぐんと下っていって今は好きかどうかも分からなくなっています。今は多分、惰性で付き合ってます。
それは僕にもお相手さんにも原因があるなと思うのですが割愛させて下さい。
僕は大学生なのですが、最近対面授業が本格的に始まり、彼女とは諸事情で一緒に受けていないです。代わりと言ってはなんですが一緒に授業を受けている女の子がいます。まあ単刀直入に言えばその子が好きだった訳なんですけども。
僕自身こんな状態でその子を好きなのも可笑しいと思うし、何よりも現時点で付き合っている彼女に申し訳ないと感じています。しかし、好きになってしまったらバカでかい出来事が無い限りその気持ちを終わりに出来なくて。恋心はゴミ人間を更に奈落へ加速させていきました。
その子はある男性に片想いをしていて、僕がよくその話を聞く立場にいました。正直、地獄みたいな立ち位置ですがその子と関わる事が出来ていたらまあ良かったんです。顔がこちらに向いているだけで幸せでした。
話を聞いていくうちに毎回その子の男性に対しての感情が高まっていくのが分かりました。僕は嫌われたくも無いし、臆病な人間なので好きだとは伝えられませんでした。段々と日にちが経つにつれて、向こうの男性もその子の事が好きだという事が分かったみたいでとても嬉しそうに報告して来ました。告白はされていないものの結ばれるだろう事は明白になり、胸が痛くなりました。そして最近その子は告白されたらしいです。またそれを嬉しそうな表情で伝えて来れられるので僕の中は色々な感情がごちゃごちゃにかき混ぜられて図画工作終わりの筆洗の様になってます。そのまま排水溝にでも流せたらいいんですけど。
チャンス的なタイミングは僕にもあったはずなんですけど、色んな物が足枷となり、1歩踏み出さないで傍観しているだけでした。20年間生きてきてずっとこんな調子なので慣れました。
「俺って、しょーもな」って。
今はそんな感じでこのブログというか心情を夜勤バイトの最中に書いています。何かで心を埋めたくて彼女にLINEを即レスしたり、煙草は少し怖さがあるのでモバイルシーシャで煙を出している自分をカッコつけてます。
二重跳びができないとか
逆上がりができないとか
50m走が遅いとか
運動が苦手、というのに「努力が足りない」と言うと割と擁護があるじゃん。
どれだけ練習したって多少改善はされても平均には程遠いレベルで足の遅い子も全然ボール投げれない子もいて、本人の努力が足りないなんてことはないって言ってもらえるし自分もそう思う。
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でも芸術分野というか、イラストとかだと「練習したら描けるようになる」「神絵師の腕食べたいとかいうのは失礼」って言われるのはなんで?
学校の図画工作の授業の時点でもうどうにも不器用で絵も工作も苦手な子はいたじゃん。一周回って前衛的みたいな。
運動苦手な子と同じように絵や工作が苦手な子を見てきたはずなのになんでイラストが下手なのは個人の努力不足のせいがまかり通るの?
下手くそでも練習すればうまくなると思って趣味の域は超えないけど描くことを続けてた
さすがに何年か前よりはましになってるんだけど納得のいくレベルではない。
周りを見渡せば自分より年下で圧倒的にうまい人はいくらでもいるので(上を見たらきりがないのは分かってる)努力が足りないんだろうなあセンスがないんだなあ自分は…程度に思ってたんだけど
ふと井村屋のあずきバーのCMで逆上がり練習してる子を見て、小学生のときにいくら練習しても逆上がりができない子がいたことを思い出した。
二重跳びがいくらやっても飛べない子とか。
そういう子に練習が足りないとか言う子もいたけど自分は持久力がまったくなくてマラソン大会はいつもドベに近かったので
どれだけ練習してもできないことがあるだろ、と。そんなこと言うなよ…と思ってたんだけど
自分が今、どれだけ描いてもたいしてうまくないのってそれか?と思ってしまった。
運動の分野だと練習しても多少マシにはなっても及第点に届かない子がいることは割と認識できるんだけど
芸術分野になるとただの本人の努力不足としか認識できなかった。
でもあり得るというか、図画工作の時間に何描かせてもアーティスティックなのか下手なのか分からん絵を描いてる子や
保育園の頃から書道教室に通ってるのにすごい字が下手な子とかを思い出した。
自分はずっとこの保育園から書道やってるのに、真面目に通ってるけど下手なままな子なんじゃないかと思ったらなんだか、悲しくなってきた。
割り切って好きな絵を描いてたらいいと言われるだろうし、そうなんだろうけど、なんか悲しい。
そりゃ今までだって大した反応をもらえていたわけじゃないんだけど、虚しいな、
俺の故郷では陶芸が盛んで、小学生の頃は毎年図なにか陶器を作らされた。図画工作と郷土学習が兼ねられて子供ウケもいいんだから、最高の教材だっただろうな。
湯呑みみたいなシンプルなやつを最初は作らされ、途中からは立体の自画像を作れとか夏を表現しろなんてヘンな課題を出されることもあったりして、結局最後はなんでもいいから自由に作れってことになった。
当時の俺は早めの中二病で、剣とか竜とかそういうものが大好きだった。自由にやれと言われたので、当然喜び勇んで剣を作った。(剣って言ってもしょぼいもので、十字の形をした陶器の棒といった方がいいかもしれない。装飾のセンスもないし、刀身らしい刀身なんて作れなかった)
作ってるときはノリノリだったのに、作り終わって10日くらいたったところで猛烈に恥ずかしくなった。普段クソ真面目なキャラでやってるのに突然剣なんか作っちゃってイタい。純粋にクオリティが低くてダサい。いま思えば別にどうってことない気がするんだけど、当時は本当に恥ずかしくて、夜にその剣のことを思って寝られなくなったりもした。
陶器は捏ねてその日のうちにパッと焼いて終わり!ってものでもないので、実際に完成品が手元に届くまでには結構日があく。小学6年生くらいのときだったと思うんだけど、そのときの俺はかなり気が気でない状態で日々を過ごしていた。いつ返ってくるのか、返ってきたらどうしたらいいだろうか!
児童が作った焼き物(そう、焼き物って表現をしていた!)校舎の横のプレハブ小屋みたいな倉庫に入れられていて、給食を運ぶときなんかにその近くを通るたびに心拍数が上がっていたような記憶がある。
そんで、そんなに気にしてたのに、結局その剣は俺の手に渡らなかったんだよな!というか、そのときに作られた作品は全部なんとなくウヤムヤになってどこかに消えた。マジでどうなったのかわからん。さすがにもう捨てられてるだろうな。
小学校卒業あたりの俺の心配事といったらあの剣のことだった、ってくらいに俺にとっては大きいものだったのに、結局出来上がりの姿すら見ずに大人になってしまった。
ガキの頃の自分に会えたら、あの剣のことは気にしないでいいぞって言ってやりたいな。
芸術はさ、やりたい人が自分の金で勝手にやりゃあいいじゃん。材料とかもあるもん使って創意工夫すりゃいいじゃん。芸術家は「描かずにはいられない」「作らずにはいられない」「演奏せずにはいられない」生き物なんでしょ。
ほんなら、国から支援されなくたって発表の場をわざわざ用意されなくたっていいんじゃないの。普通に就職して、寝食削って作りゃあいいじゃん。追い詰められた人間が魂削って描いた物の方がいいのできそうだし。
まあ、建築系の人ぐらいはいてもいいかなと思うけどさ、画家とか彫刻家とか1人で勝手にやっててくれって思うよね。
絵が飾ってある空間、要る?
博物館はいいよ。学びが深まる。科学館もいい。図書館も大事だ。小さなコンサートホールも町に一つぐらいあっていい(異論は認める)。でもさ、美術館、圧倒的に要らないよね。
必要な人はいるんだろうけどさ。「じゃあ、買えば?絵。」って思っちゃうよね。2000円のチケットで見に行ってないで、市井の絵描きの書いた絵を買った方がいいんじゃないの?芸術振興ってそういうところじゃないの?
貧乏人にも手が出せるように?じゃあサイゼみたいに壁にデカデカと印刷しとけよ。とか思うけどね。中国からレプリカ仕入れて、モナリザでもピカソの絵でも飾りまくりゃあいいじゃん?贋作に価値がないのって結局偽札に価値がないのと一緒だよね。「本物にもなんの価値もないから」でしょ。どこぞの大金持ちコレクター(とそこから金を引っ張り出したいバイヤー)の付けた値段を芸術的価値だと思い込んでるなんておめでたい話だよな。
税金は無限にあるわけじゃないんだよね。ちょっと子育て支援、ちょっと障害者に福祉を、って話になったら途端に財源が〜なんて話になるのに、芸術の話になると黙るよね。国が貧しくなりゃ芸術どころの話じゃないんだけどね。既存のものの存在意義は熱っぽく説明するけど、これから必要なものの話はできないんだよね。そういうところが日本をダメにしたんじゃないかな。俺は芸術みたいな贅沢品を身にまとって先進国ぶってないで、全部売っ払って(ってのは比喩として)なりふり構わず這い上がる努力をすべきだと思うよ。
そもそもさ、ルーベンスの絵の価値がわかる国民よりも、水素水に騙されない国民のがよっぽどいいよね。美術の時間とかあったら、科学教えたほうがマシだと思うよ。トレードオフじゃない、比べるものじゃないとか言うのかもしれないけど授業時間なんて普通にトレードオフだしさ。小学生の図画工作なら楽しみにあってもいいかも知れないが、中高生に2時間も美術要らないだろ。その2時間で理科でも数学でも社会でもやったほうがマシだろ。
美術館も要らないから科学に回せばいいし、美術の時間も要らないから理数に回せばいいよ。将来的に本当に役に立つものは何かよく考えるべきだよ。救われました〜とか個人的な体験談じゃなくてさ。芸術がなくなったから衰退してるんじゃなくて、衰退してるから芸術がなくなってんだよ。で、芸術にこの衰退をなんとかできますか?って話だよ。
そりゃまず小学校の学習っていうのが(もちろん有名私立とかは知らないけど……)基本下に合わせて、低いラインを全員がクリアするのが目的でしょ
高い能力を持っていても100点以上は評価の対象にならないし、それよりも授業態度とかの方が重要になる
「バカなりに一生懸命頑張ってます」という奴の方が、少なくとも通知表の上では優等生になってしまうわけだ
そういうのが評価されるのはどっちかというと塾のテストの方だし、だいたい公立の先生なんか塾敵視しまくってたしさ
学校の四教科で本当に死力を尽くして頭をフル回転させた経験って、それこそ50マスとか100マスの計算ぐらいのもんじゃないか?
その点、副教科は本気を出しても空気の読めない奴扱いされない
私は運動が苦手で走るのも遅くて運動会が苦手だった。でも絵を描くことだけは自信があったから、赤組白組でそれぞれシンボルマークを生徒が描いて投票で決めるって知ったとき徹夜して絵を描いた。
私は赤組だったから「火の鳥」を描いた。図画工作で使うような簡単な絵の具しか使わなかったけど、30作品の応募があったなかで圧倒的に大差で1位を受賞した。運動会当日には体育館の外壁に私が描いた火の鳥がでっかく貼り出されていて、本当に嬉しかった。何より親や祖父母も運動会に来てくれて私が描いたシンボルマークをいっぱいいっぱい写真に撮ってくれた。100m走はビリから数えたほうがはやいくらい悪い結果だったけど、それより何より家族が私の絵を観て褒めてくれてくれたことが嬉しかった。それから運動会は私にとって楽しみなイベントになった。せっかくなら100m走でも1位になりたいと思って、走る練習もした。そしたら翌年の100m走で初めて1位をとれた。私にとって運動会は小学校で一番好きな行事になった。
少し時間が経ってからあることを知った。シンボルマークの生徒からの公募を提案したのは当時の図工の先生だったそうだ。なんでも「運動会で輝けない生徒達にも活躍の場を与えて行事を楽しんでほしい」という思いがあったそうだ。
私が中学に入りその後の離任式に参加したときにその図工の先生からその話を聞いて、「私に居場所をくれてありがとう、ありがとうございます」と号泣してしまった。
それからいくつかの絵のコンクールに応募してたまに賞を取れていたりする。私が絵を好きになれたこと、努力が報われる喜びを教えてくれたのは紛れもなく図工の先生だった。
基本的な戦法は、「同じ文字で攻め続ける」です。始まる言葉が少なく、終わる言葉が多い「ル」攻めが基本ですが濁点が有効なら「ズ」の方が効果的です。
それで攻め続けるだけで、だいたいは勝てるはずです。
しかし、逆に自分が「ズ」攻めを食らったときのために「ズ」で始まる言葉を羅列しておくです。
そして取っておきの「ズ」で始まって「ズ」で終わる言葉
相手が中級以上のしりとリストならば「ズ」攻めを使ってくるかも知れません。「ズ」攻めを食らい続けて散々つぶした後に「ズ」返しをする戦法が最強です。