はてなキーワード: 団体旅行とは
中国からの団体旅行制限が発表される直前、都心のホテルでアジア系の一行がN95マスクを着けて荷物を運び入れるのを見かけた。武漢から避難してきた家族かもしれないと思った。
武漢からやってきた人たちには、東京で地下鉄に乗ってきてほしくない。ショッピングモールや商店街にも来てほしくない。感染が怖い。
だからといって、そんな思いを口に出したり、行動に表しては、たんなる人種差別とどこが違うのだろうか。
武漢からやってきた中国人も、上海人も、香港人も、台湾人も、私には見分けがつかない。
かりに武漢からやってきた人たちが東京でひっそりと避難生活を送っていたとしても、彼らは自分たちがコントロールできない要因によって、もう十分に恐怖を味わい、苦しんだはずだ。差別されるいわれなど毛頭ない。
検診は受けてほしいし、症状が出た場合は自発的に医療機関を受診してほしいと思うが、「あなたは武漢から来たのですか。ところで検疫はお済みですか?」と尋ねるのは、差別とどこが違うのだろうか。
ウイルスが引き起こす感染症の実態がまだよくわかっていないために、感染者や感染地域の出身者にたいして、魔女狩り的な恐怖と攻撃心が自分のうちにもあるなと思う。
いま武漢で起こっていることは、これから世界中のどこでも、日本でも起こりうるのではないか。
これだけ国境を越えた人の往来が日常的になった時代には、逃げ場はないという前提で物を考えた方がよいのではないか。
「肺炎がうつるから中国人は日本に来るな!」と思っている人は、東京発、大阪発の新型肺炎が発生した際に、差別されることを受け入れられるだろうか。
明日は我が身、もはや逃げ場はないという前提で、最悪の事態を想定して、感染しないようにするにはどうすればよいか、もし感染、発症した場合は、どこに助けを求めればよいか、という知識を持っておく方がましではないだろうか。
ほぼ、というのはまあ大体大丈夫だけど、宝くじ1等に当たったり道で転ぶくらいの確率で違法にもなりえるから。
まあ、あくまで入浴を補助する女性がいるだけで、たまたま恋愛関係になってるという無理のある設定だが、管轄の警察やら保健所もまあ知っててスルーしてるかな。
料金はそれなりにするが確実にセックスできる。セックスが初めてでも、むこうもそういう客にも慣れてるので心配なし。カラオケボックスみたくドアに窓はあるが、普段はタオルで隠してるので大丈夫。
料金は入浴料+サービス料。最近は総額表示が多いけど高級店だと入浴料だけで万超えるので注意ね。
公式では禁止だが、もちかけるとOKも多い。(追加でお小遣い払うけどどう?みたく軽く一回聞いて駄目なら諦めるスタイル)
「AF(アナルファック)OKって実質そういう意味だよ]と嬢から言われた事はあるよ
ソープの存在しない地方都市だと客引きが「うち、本番できますよ」とか言ってたりする。
特に箱ヘルもない地方としだと実質本番ありみたいな状況もあるみたい。
ただ、あくまで公式では禁止なので無理だと言う子はいるし、リスクとウザがられるの気にならなければ。
追加料金は5kから10kくらい。
なお追加料金ありは円番とか言ったりするみたい。
感覚としてはデリヘルと変わらない感じ。ただ、いわゆる風俗的なサービスは期待しないほうがいいかも。
なお、デリヘルと出会い系で両面待ちしてるような状況もけっこうあるみたい。
場所によってはピンクコンパニオン。温泉やホテルに呼んで、ホステスさんが下着姿、あるいは全裸でエロい感じ。ただし、抜きサービスや二次会のセックスは本来してないので、「私はそういうのやってません」と言われる可能性はある。なお二次会は追加料金あり。
男だけの団体旅行であるけど、世間の普通の人は知らないのも多そう。
地域性を問わないとこんな感じかな?
あのさ、
ふと思ったんだけど。
すごい早さでスイカを食べるやつ。
大人になって気付いたんだけど
夏と言えば花火大会!
あの音聞くと血が騒ぐわ!
花火の音ってドーンって響く音が夏らしいわよね。
花火は下の方に見えるのかしら?
すごいわーって思うわよ。
あんまり実際どこから打ち上げられてるから分からないんだけど、
そこら辺の近所にある
行く前は団体旅行で行くと
それ見るだけでも充分値打ちあると思うわ。
あれは必見よ!
東京にたまに行くと、
見上げちゃうわ。
うふふ。
たまに食べ応えのハムりたい時があるわ。
肉肉しいやつ。
たくさん薄く切ると表面積が増えるから、
キュウリ成分がより出るような気がするわ。
水分補給はしっかり!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
皆さん、歯の磨き方を誰に教わりましたか。お母さん、お父さんだけにですか。当然親だけに教わると、私はずっと思っていました。でも去年の12月に、仕事の一環として、或る小学校に母国であるアメリカの文化を紹介しに行き、目を丸くするようなことを見ることが出来ました。それが、給食の後の歯磨きの時間だったのです。この歯磨きの時間を見て実感できた日本の教育と私の国の教育との違いを、三つ挙げさせていただきたいと思います。
まず一つ目は、子供のしつけの責任分担のことです。これについて日本とアメリカは大きく違うと聞いてはいました。例えば、夜遅くまでお祭りで遊んでいる教え子を見かけた学校の先生が「早く家に帰って寝なさい!」と注意する話を、日本語の教科書で読んだ覚えがあります。アメリカだったら、特に学校外において子供を注意することは親の責任であるという考えが強いため、こういった場面で先生は注意しないと思います。
この日本とアメリカの違いを、歯磨きの時間を通して目の当たりにすることができました。アメリカでは、歯磨きを教えるのは当然親の役目であると思われています。そうした中で生まれ育った私が日本に来て、学校で歯磨きを教えているのを目撃して感じた驚きを、なんとなく想像できるでしょうか。それから自分の中の常識と食い違うことを目にして、自分の視野が少し広がったような気もしました。
日本の先生は教科のみならず、歯磨きなど生活のことまでも教えなければならなく、本当に大変だと思いますが、子供のしつけという非常に難しくて、なおかつ重要な親の仕事を学校が手伝うことは、親と子供、そして社会全体のためになると思います。一方で、学校がしつけを手伝ってくれるなら自分は怠けてもいいと思ってしまう親が出かねないでしょう。それでしつけの責任が主に学校にあると親が思い込み、子供が学校の窓に小石を投げつけるなど悪いことをしたとき、学校のせいにしてしまうことまであるそうです。 子供のしつけの責任分担に関してアメリカのやり方も日本のやり方も一長一短があり、うまく組み合わせることが出来たら、親が主な責任を持つと同時に学校も手伝うような仕組みが出来るのではないでしょうか。
では二つ目の違いに移ります。更に驚いたことに、教室の前に立ち、良い歯磨きのお手本を見せていたのは、担任の先生ではなく、児童2人だったのです。つまり小学生は先生に教わるだけではなく、お互いに教え合うのです。児童の協力によって学校が成り立つわけです。歯磨き以外の例を挙げますと、私が参加する小学校訪問には必ず開会式があり、その司会を務めるのは、ほとんどの場合児童です。アメリカだったらきっと先生が果たす役割を児童が果たすことにより、協力する心が育つと思います。学校の清掃時間や日直などにも、協力のような人間性を育てることを重視する日本の教育が見られます。この点に関してアメリカに日本を見習ってほしいです。
最後に三つ目の違いについて話します。日本人が集団で行動する場合が多いとは、日本に来る前に聞いていたことですが、来日し、社員旅行など団体旅行の普及や、合コンの人気などをみて、確かにそうだなと思いました。しかしなぜそうなるかは、あの12月の小学校訪問まで、不思議に思い続けていました。もちろんこれだけが原因とは思いませんが、30人以上の小学生が完璧に一斉に左上の奥歯の内側を「いち、に、さん、し」と磨いている光景を呆気にとられて見て、なるほどと思いました。歯磨きの時間の他に、私の国にはほとんどない修学旅行や、全員が同じメニューを食べる給食もありますし、集団志向が学校で育ち始めるのだと思いました。これも一長一短がありますね。一方では、集団志向といいますと、集団の和を保つために周りの人に同調する必要がある場合が多いですが、そうしますと個性が出にくい環境になってしまう恐れもあると思います。他方で、アメリカでは一日中一緒にいる学級というような学校の構成は小学校のみなのに対し、日本では中学校も高校も学級があります。そのおかげで、将来は社会の一員になる生徒が、グループの一員として頑張ってグループに貢献する精神を社会に出る前に身に付けておくことが出来ます。
本日は日米教育比較をテーマにし、しつけの責任分担、それから人間性も集団志向も育てる日本の教育という、歯磨きの時間を通して実感した点を三つ挙げました。あの日がきっかけで、日本の教育に対するイメージがよりはっきりし、日本もアメリカもお互いに学び合えることがたくさんあるのだと改めて気づきました。しかし、不思議ですよね。歯磨きのような本当に何気なくすることが実は、日本の教育理念を色濃く示していると思うと、自分の常識がどれほどこうした平凡なことから成立するのか、ということに気づかされます。皆さんが今度歯磨きをされるとき、私のスピーチを思い出し、そのことについて考えて頂けたら幸いです。
ご清聴、ありがとうございました。
Mr. Jonathan MICHAELS
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/education/benron/pdf/49/6.pdf
どうか取るに足らないことですが、そういえばこんなことを言っていた人がいたなぁ、と心のどこかに留めてくださる方が一人でもいらっしゃったら、と思います。
世間では団体旅行は減っているとは聞きますが、実際に働いている立場からみると、まだまだそれなりに法人様やグループ様の団体旅行はあるように思います。
さて、団体旅行の醍醐味といえば、宴会芸…出し物、という方もいらっしゃるのではないのでしょうか。
今回はその宴会芸について、一言申し上げたく、僭越ながら筆を取らせて頂きました。
皆様は、最近、テレビでしばしば見かける、裸芸をする芸人様をご存知でしょうか。
お盆で局部をうまいこと隠してパフォーマンスをするあの方です。
話題になり、売れているし、わかりやすく宴会芸としても申し分ないネタなので、モノマネをされる(検討されている)方も多いのではないのでしょうか。
(店舗様にもよりますが)やるなとは言いません。ですが、店舗や宿泊施設の備品のお盆を使っての芸は控えていただけませんでしょうか。
食物を取り扱う施設である以上、同じお盆で配膳をすると嫌がるお客様もいらっしゃいます。
触れていないからいい、というわけではありません。遠方から見ていれば、触れているか触れていないかなどわかるはずもありません。
ご自身でお盆を持ち込んでいただく場合はおそらく問題ないかと思いますし、それで嫌がる店舗様もよほどのことがなければないかと思います。
今時100円ショップでも丸盆は置いています。段ボールにアルミ箔や包装紙などでもそれらしく見えるでしょう。
どうか店舗の備品のお盆でなく、持参していただいたお盆で素敵なパフォーマンスをして頂けたら、と思います。
長々と失礼しました。
花咲くいろはの聖地となった湯涌温泉に先日行ってきた。個人的には非常に印象が良い温泉街であったが、この温泉街が抱え持つんじゃないだろうかという悩みも分かったような気がしたため、あくまで一観光客の暴論ではあるが書き留めることにした。
まず、湯涌温泉街に入ってすぐ抱いた印象は、ここが上品な「静かさ」を持つ温泉街であり、こうした選好を持つ個人客向けにぴったりな温泉街だろうなというものだった(一例とすれば、温泉街にありがちな射的や場末的バーがない)。これは私個人とすれば、この温泉街に希少な強みのように思え、この「静かさ」を壊しかねないアニメファンの流入をなぜ許そうと思ったのか?ということが非常に気がかりであった。
詳しく言えば、うらぶれていない「静かさ」というものを湯涌はブランド価値として認識しているのだろうか?そもそもそれを、ブランドとして認識しているのか?次に認識しているとしたらなぜいろは招致を行ったのか?そのリスク管理をきちんと計算しているのか?というのが気がかりであった。
さて、観光業もまた普通の産業と同じように、投資のリターンを得る産業である。簡単に言えば、高山鉄道を作ったり、そこに歴史ロマンがあるのだというアピールをしないアルプスは単なる険しい山だ。観光地のPRの宣伝文句自体が、宣伝文句と同じブランド意識を作るのであり、ブランドイメージは絶え間ないPR戦略によって形作られる。では、湯涌が長年投資してきたブランドイメージとは何か?
湯涌温泉観光協会によれば、湯涌温泉のブランドというのは、「名湯がある静かな温泉街」であろう。湯涌温泉は、このブランドイメージのために投資を続けてきたのであり、それは後述するように恐らく成功しているといっていい。
問題は、こうしたブランドを花いろ招致が傷つけるのだろうか?という点にある。しかし、これは表層的な次元の話なのでもう少し深い次元についての話をしてから述べたい。つまり、そもそもなぜ、「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージから通常、広告を打つべき20代以上女性層、30代以上男性層ではない層に宣伝したのかという話である。「名湯がある静かな温泉街」というブランド自体に湯涌温泉側が価値を見いだせなくなっているのではないか?これが極めて重大な深い次元での問題である。
湯涌温泉の経済状況ははっきり言って分からない。以下、本項では一般的な温泉街へのイメージであるやや経済的に苦境に立っている温泉街というイメージを湯涌に勝手ながら当てはめる(潤ってたらすいません)。つまり、「名湯がある静かな温泉街」では競合他社が数多く存在し、このため他にもう一つアピール材料が欲しいともがく湯涌温泉、そもそも「名湯がある静かな温泉街」というブランドに魅力があるのか怪しんでいる湯涌温泉というイメージである。
繰り返しになるが、一観光客として湯涌温泉の魅力として感じたのは、「静か」であることであり、団体旅行客向けと一瞬で分かるような老朽化した大型ホテルがないという2点だった。湯についてはその効能が他の温泉と何が違うのかよく分からなかった。ただし、白鷺の湯の盛況ぶりを考えれば地元の人々に非常に愛されていることが分かり良いお湯なのだろうということは分かった。「名湯がある静かな温泉街」というのは、概ね成功しているようである※1。
であるが、やはり「名湯がある静かな温泉街」のみではメインターゲットである宿泊客は集客できないという判断があったのだろう。そこで、湯涌には「名湯がある静かな温泉街」以外のアピール材料として、それは夢二館と江戸村を設定しているようである。しかし、夢二のアピールはそれが単独で温泉街を支えられるほどの魅力かはあやふやなものであろう(東京に美術館があり、生まれ故郷も宣伝し、他の温泉街でも夢二アピールする場所があり、そのなかでなぜ湯涌が選好されるのかは分からない)。江戸村は総花的な江戸時代博物館となってしまっており、金沢の奥座敷というブランド宣伝と違ったファミリー向けの平凡な教育施設となっている。夢二館と江戸村も既存宿泊客(リピーター)に害をなすような施設ではないため加点要素は少ないが減点要素はないのは幸いとはいえる。とはいえ、とどめをさすようで気が引けるが、web上にある湯涌温泉街MAP(事前の予習に非常にお世話になった)を見ていただきたい。右端には大正ロマンの街散策と書いてある一方、左端には武家・街やゾーンがアピールされている。これでは何を見ればいいのか分からない。湯涌の自己意識の分裂ぶりが明瞭に映し出されていると言っていい(もちろん、江戸時代から明治・大正につながる構成になっていれば文句ないのだが、江戸の住宅と夢二に大した関係はない)。
結局のところ、現在、湯涌温泉の獲得している資源とは、「静か」であることと「うらぶれていないこと」である。「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージは一応確保していると思われるが、メインターゲットである宿泊客をひきつけることに成功していないのではないだろうか。白鷺の湯目的で来るような人間の訪問時間を増やそうという目的があるだろう夢二館、江戸村は、しかし、一泊させることにはつながっていない。どっちとも見ても温泉に入って日帰りで帰れてしまう。いろは聖地巡礼も同じである(それでも、日帰りでくるような客層はファミリーであるため、「名湯がある静かな温泉街」というブランドは大して傷つくことがなく、メインターゲットである宿泊客に不快感を与えることはおこらなかったはずである)。
勝手な憶測だが、湯涌温泉とは、メインターゲットである宿泊客が減少する中、これを「名湯がある静かな温泉街」というブランドイメージのみでは防げないとして、新たなアピール材料を探しているが既存の施設(夢二館、江戸村)では十分に成功していないという温泉街なのではないだろうか?そこにアピール材料としての新候補としてやってきたのが花咲くいろはである。
では、ようやく元に戻る。さて、この「名湯がある静かな温泉街」というブランドを花いろ招致は傷つけるのだろうか?はっきり言うが、現状のままならば傷つけるに決まっている。4月9日の配布イベントだが、あれを宿泊客が目撃したらどう思うだろうか?あるいは爆音をならしながらバイクで聖地巡礼をする人間について宿泊客はどう思うのか?しかし、これは湯涌温泉としては当然予想できたことである。問題なのはブランド価値を傷つけるリスクを負ってまで花いろを招致したことに、どのような意図があるのかということである。
1つは、メインターゲット自体を変えたいということが考えられる。つまり、宿泊客から日帰り客に客層をシフトさせたいという意図が考えられる。「静か」というブランドに価値がもうないと判断しているという可能性がある。もう1つは、花いろ招致は、今までと同じような単なるPRの一つに過ぎないと湯涌温泉が考えており、それがブランド価値を減ずるものと分かっていないという可能性がある。あるいは、ブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きい(騒ぎも半年もすれば収まる)と判断している可能性がある。
第一の可能性の場合、今のところ湯涌温泉に落としそうなお金は個人につき1000円以内だろうということが予想され、この単価引き上げが急務だろう。サイダーは温泉側にとっては最悪な商品になりかねないことを肝に銘ずるべきである。1本200円のあれ(店だと189円でした)は瓶そのものもお土産としての価値があるため、食べ物+グッズという選択肢を見事に消してしまえている。いろはにおいてはグッズ問題は解決するはずだが、日帰り客にシフトさせたいのならば単価引き上げは急務だ。白鷺の湯の規模的に日帰り客を狙うことはあまり考えていないように思える(あたらしや、やました、戸田屋では日帰り客を狙った展開を考えているようである。このアピールはもっと強調してもいいだろうが、現時点では諸刃の刃と認識されているのか扱いがいまいち見えない)
第二の可能性の場合はかなり末期的であるとしか言いようがないので考えないことにする。
最も考えられそうなのは、第三の可能性、一時的にブランド価値を減ずることは分かっていも、新規客層の増加のメリットの方が大きいという判断である。花いろの良いところは視聴層が10代、20代と非常に若いため潜在的顧客を長く保てるという点にある。このため長期的に見ても、花いろ招致はプラス面を強く持つだろうことは予想できる。しかし、それでもだ。既存客にダメージを与えるマイナス面にはやはり注目すべきであり、この管理もまた重要ではないだろうか。マイナス面についてはもっと慎重に考えるべきではないだろうか。長年投資してきた「名湯がある静かな温泉街」というのは意外に貴重である可能性が十分あり、現状のリピーターを奪ってしまう可能性は深刻なものと受け止めるべきである。
では、湯涌温泉は花いろについてどう対処すべきなのだろうか。答えはシンプルであり、少しでも不快な事態が起これば、PAワークスにすぐ苦情を申し立てたり、出来ればファン向けに何らかの注意を呼びかけるべきである。バイクについては深いところまで入れるべきではないだろう。イベントについては他箇所に譲る、あるいは、逆に大々的なものにしてしまいファンではない他の客を一笑に付させてしまうのが良いと思われる。湯涌温泉に分かっていただきたいのは、作品を愛するアニオタの敵は、その作品世界観を壊そうとするアニオタであり、激しい同族嫌悪が我々の特徴であるということである。そして、このアニメは作品を愛するファンを数多く生み出すことが予想できるのだから、過剰反応と思われない程度には警告を発し続けるべきである(出来るだけマナーを守るファンとそうでないファンを分断させるような方法で)。
さて、長くなったが、まとめると、
①花咲くいろはは朝ドラ・昼ドラ的なものをアニメに移植させ新しい科学反応を試すという冒険作であり、いわゆるアニメとは違ったアニメになるだろう(信者的目線では)。しかし、それはアニメを見ればの話であり、アニメを見ない層からはいわゆる深夜アニメでしかない。
②湯涌温泉が長年投資してきたブランドとは、「名湯がある静かな温泉街」であるが、名湯はアピールしきれておらず、「静かな」は花いろ信者の来訪によって傷つけられる可能性がある。
③花いろ効果は②のマイナス面を打ち消して余りあるものになると思われるが、それでもマイナス面については慎重に考慮すべきである。苦情を言ったところで、それはファン間の内ゲバになるだけで、ついてくるファンは数多くいる。
④そもそもこうしたブランド価値を傷つけかねないPR誘致を行った原因についてはきちんと整理するべきであり、湯涌温泉はブランド戦略について徹底的な議論を重ねるべきである。
⑤とりあえず、日帰り客は大してお金を落としていないので、客単価を引き上げる行動をするべきである。
以上の事を、先日感じました。物事にはプラス面とマイナス面があるのは当然なことですが、今回の場合、そのマイナス面が湯涌温泉が投資し続けてきた資源を傷つけかねない(元々観光地で生計を立てていたというところが鷲宮等と決定的に違う)のが気がかりです。花いろ誘致は大正解だと思いますが、慎重に取り扱ってほしいなと。ま、アニオタ専用温泉とかに開き直るのもいいのかもしれないけど、個人的にはそうなったら行きたくないので。
※1
個人的には、この路線の徹底的な深化が議論に上がったかどうかが非常に気になってしまう。先ほど述べたように、湯がどれほど良い湯なのか一見でも分かるようにアピールし尽くせていないのは問題である。本当にいいお湯ならば、どういう比較優位があるのか等アピールし尽くすべきであろう。湯が本当に良く静かならば、高価格路線(現在の湯涌は中価格)でも全く問題ないはずだが、この可能性はなかったのだろうか。あるいは、金沢駅から立地が近く、それでいて静かな温泉というのは相当貴重なはずであり、立地の優位を生かして個別・ファミリー別に送迎するなど中価格ながら高品質なサービスを提供するのも手であったはずである。