はてなキーワード: 回覧とは
ひょんなことから、中学高校をノーブルな学校で過ごした。インターとか、学習院とか、慶応とか、桜蔭とか、シュタイナーとか、まあそういう知力財力保護者力の高い生徒ばかりいる学校だと思ってくれて構わない。きっと読んでくれる人の中にも同じような学校出身者がいると思う。
ノーブル中高は、認知できる範囲ではいじめがなかった。そりゃ、周囲から浮き上がるような子はいたんだけど、ああそういう子だよねって感じで避けられもせず疎まれもせずって具合だった。大人の社会でちょっと合わない人に出くわすとそういう対応するじゃん。当たり障りないってやつ。そのうち変わった子もそれなりに同士を見つけて学生生活をやっているようだった。
ヒエラルキーを見せつけるためのいじめみたいなのもなかった。どっちかっていうと、一人ぼっちの子を仲間に誘うようなタイプがかっこいいとされる雰囲気で、学年で一番目立つ生徒が仲良くしていたのは病気で留年して学年が一つ落ちてきた生徒だった。仲良しグループはあったけど、流動的に形を変えていて、派閥争いみたいなものもなかった。縦の圧力もなかった。何を着て登校しても先輩は何も言わなかったし、後輩はバスの後ろ座席を朗らかに占領して賑やかに喋っていた。不登校の同級生もいなかった。
つまり、中高通していじめを感じたことがなかった。翻って地元の友人から聞く中学の様子は地獄のようだった。呼び出し、暴力、告げ口、万引き強制、度胸試し、無視、写真回覧。
大人になるとみんな当然のように中高時代の理不尽ないじめの話をする。いじめられたとか、いじめたとか当事者の話題はあまり聞かないけど(言えないもんね)、学校でこういうことがあって〜なんて話題は事欠かない。でも、自分にはよくわからない。だって、いじめ、なかったんだもん。
本当にいじめはなかったんだろうか。自分の知らないところで狡猾に行われてたのだろうか。この話をすると、たいてい、いいとこの学校だもんね〜と流されてしまう。一見いじめは存在していなかったけど、本当はあったこと知っている人は、どこかにいませんか。もしくは、本当にいじめが存在しない中高を過ごした人はいませんか。世間と自分の経験をすり合わせたとき、過去が道徳の創作物の中にあるような不穏な気がしてしまう。
私の勤めていた会社に、ハナクソ決裁という習慣があった。
「ハナクソ」というのは比喩に聞こえるかもしれないが、そうではない。
汚い話で恐縮だが、文字通りハナクソを使って決裁するのである。
仕組みは簡単。
変なのは、その承認をする際、印鑑ではなく自分のハナクソを書類に押し付けることだ。
複数の部署に回覧する場合、その数だけハナクソが付けられることになる。
社長はいくつもの闇市をまわり、決裁のための印鑑を探したのだという。
しかし、食うにも困っていた時代のこと、印鑑など扱っている店はなかった。
そうしてやむなく代用品として考えられたのが、ハナクソであったのだ。
このエピソードは創業当時の美談として、社史にも掲載されている。
社訓である「創意工夫」の精神を体現する行動として、いまでも新人研修の定番ネタだ。
そのこともあり、廃止にしようという声はなかなか上がりにくかった。
もちろん、この奇習を苦々しく思っている社員は少なくない。
管理職だと一日に何件も決裁しなければならないので、ハナクソの掘りすぎで鼻血が慢性化している人もいた。
指を鼻に突っ込むハナクソ決裁は、感染対策の観点から不適切だとみなされるようになったのである。
こうしてはじめて常識的な衛生観念のもとで、ハナクソ決裁の廃止が議論されることになった。
さて、ここまでの動向を他人事のように見守っていた私にある通知が届いたのは、つい二ヶ月前のことである。
それは異動通知で、私を「鼻垢決裁廃止検討担当係長」に任ずるものであった。
ただ、とくに複雑な仕事というわけではない。
「廃止検討」といっても、そもそも既定路線のことだったので、審議も形式的。
「廃止するメリット・デメリット」などという体裁だけのパワポを作って各部署にレクチャーをするだけで、反対する社員などいなかった。
各部署への根回しが終わり、いざ廃止の稟議を提出しようかとなった。
しかし、当たり前だがこの時点ではまだハナクソ制度が廃止されていないので、本件の決裁にはハナクソを用いなければならないのだ。
この廃止には社内の全部署が関係するので、私は会社中を行脚してハナクソをコレクションするはめになった。
細かい話は割愛するが、この過程で腹の立った事例だけいくつか紹介しておきたい。
当然ハナクソは押せない。
こっちが困っていることを伝えると「じゃあ部下の○○さんに押してもらってよ」などと言う。
私も呆れ果て、どうせ本人かは分からないのでその部下に押してもらった。
弊社には「一課」「二課」のように分かれている部署があって、その課長同士はライバル関係にある。
決裁にあたっても、相手よりもデカいハナクソを押さなければみたいな意地があって、良いハナクソが出るまでなかなか書類が戻ってこない。
複数が一度に剥がれてしまい、どれが誰のだか分からなくなることもあった。
が、この頃にはもう面倒になっていて、ランダムに糊付けして直した。
この三例だけでも分かるように、この業務は相当のストレスで、ハナクソが揃うにつれて、私はどんどん体調を崩していくことになった。
ある日、急な胃痛を感じ、私はほぼ完成した決裁書類を片手に持ったまま、トイレに駆け込んだ。
程なくして無事にひとまずスッキリしたあと、個室に紙がないことに気づいた。
どこかに紙がないか、とあたりを見回したが、適当なものは見当たらない。
ガックリして肩を落としたとき、自分の手に握られた一枚の紙が目に入った。
いやいや、これで尻を拭くわけにはいかない。
と、はじめは思った。
しかし、本当にそうだろうか。
手に握られた書類には、色とりどりのハナクソがひしめき合っていた。
それらの一つ一つが決裁にとって欠かせないものであったが、いまの私には、それに実質があるとはとても思えなくなっていた。
ただのハナクソになんの意味があるというのだろう。
そのハナクソを廃止するために、さらにハナクソを集めなければならないなんて、なんて馬鹿げたことだろう。
そんな馬鹿げたもののために、自分の尊厳を犠牲にしてパンツを汚すなんて、不条理ではないか。
私は手元の紙切れをもう一度じっと見て、それを握りしめる。
そして、それを四つ折りにして、肛門を拭いた。
力強いひと拭きは、腹痛で汚れてしまった肛門をじっくりと撫でていった。
その日のうちに、私は辞表を提出した。
アホらしいことに、辞表にも本人のハナクソが必要なのだという。
私は、いま出せるありったけのハナクソをそこに押し付けてやった。
帰り道、立ち止まって深呼吸をすると、緑の匂いが強く感じられた。
そうか、これから夏がやってくるのだ。
ハナクソがなくなってはじめて、私はこのことに気づいたのだった。
A1: ウマ娘自体が権利者との相談の上に成り立っている二次創作なので、お前がやろうとしていることはいわば三次創作ということになる。直上の権利者が黙認すれば良いという話にはならない。文句があるなら馬主にでもなるんだな。まあ、なったところで馬主一人が黙って頷けば良いって世界でもないけど。
A2: そもそもお前が他人の創作物を好き勝手にしたものを自由に発表出来る権利なんぞ存在しない。チラシの裏なり秘密のノートに描き殴るなりして、気心知れた友人に回覧するか、墓まで持ってくことだな。描きたいって奴はとっくに描いてるよ。お前等の見えないところでな。いちいち確認しないと心配で「公開」出来ない? どうせ流行りのキャラでエロい絵描いて耳目を集めたいだけだろ?
俺はそういった。
車の中でファミチキにかぶり付きながら家に帰るのが日々の楽しみだ。(過度におかわりすると奥さんがうるさいのよ…)
いつものようにかぶりついて味わうがおかしいかな、あのファミチキブラックペッパー味から強烈な黒胡椒の香りがしてこない。
急いでレシートを確認する。ブラックペッパー味でレジに通っていない。
店に言うべきか。いや、俺も疲れていた。疲れていたから声が小さかったのかもしれない。
こういう事がちょこちょこあった。
仕事中に「これ回してね」と書類を渡す。なんてことない情報共有の回覧だ。
同僚は「おっす、置いといてください。」と言う。
これが一週間ちょっと前ぐらいだったが、みんながそれを読んでいる前提で話をする。
「なにって先週月曜日回した回覧だが」というと部署内全員読んでない。
だから一週間待っても返ってこなかったのか…。
渡した奴に「回してっていったよな?」と確認を取ると必死に考え込む同僚。
「すみません、シュレッダーに聞こえてシュレッダーかけちゃいました…」
まぁ重要な書類じゃなかったからもう一度最初から説明してなんとかなったがこれがもし先方への提出物だったりしたら…とゾッとする。
たぶんマスクのせいで聞こえにくいんだ。
「ほぉー、豚角煮丼…」とろとろな豚角煮がこれどもかと載った丼の写真をみた自分はお腹が「今日は牛丼だろ」と語りかける。
救いを求めてページをめくると
「牛あいがけ豚角煮丼」という自分の脳と腹両方を満たせるメニューを発見。
早速店員を呼んで
「これください」
とメニューを指差す。
そう滑舌がだめなら指をさせばいい。英語が苦手な自分は海外に行くと必ずこれでどうにかしてきた。
店員は「それと?」と聞いてくれる
「以上で。」という。
来たのは普通の豚角煮丼だった。
伝票をみると「豚角煮丼(大盛り)」の文字が。
「えぇ…」と思いながら店員を呼ぶと相手はしまったという顔をして終始謝り倒してくる。
と言ったら店員は頭を下げてすぐに持ってくる。
牛丼を…。
多分滑舌とかそこまで関係なくてマスクの呪いか自分の肥満体型のせいだな。
苦しくなりながら大盛りの豚角煮丼と並盛の牛丼を平らげたのでした。
人事部長という役職名ではないが、似たような名称のポジションだった。
問題のある社員への指導教育だったり、人間関係のトラブルに決着をつけたり、罪を犯した人間を罰したりする機能だ。
それに比べれば、勤怠管理だの、給与の支払いだの、社会保険の手続きなどは子どもの遊びに思えてくる。
今でも夢に見る。
後悔がある。どうしてあの時、もっとやれなかったんだろう、やらなかったんだろう。
どうして、あの人の心に寄り添うことができなかったんだろう。どうして、自分の思う正しさを貫くために上位の役職者を説得しなかったのだろう。
そんな後悔を吐き出したくて、はてな匿名ダイアリーに投稿することにした。
事案は4つある。そこまでぼかしてはいない。私自身と向き合うためには、真実を吐き出さないと意味がないからだ。
彼女は現場の仕事をする職種だった。現場といってもそこまで肉体労働ではないけれども、専門職なのは間違いない。
ある年から、その仕事を外注に出すようになった。このままでは失業することになるが、組織として無責任だということで事務職に職種変更となった。
結果は想像のとおりだ。てんで話にならなかった。
料金計算を間違えた請求書を送るし、システム上の顧客情報を誤編集するし、よく交通事故を起こすし、難しい質問がきたら硬直して動かなくなるし、気分の浮き沈みが激しい。
職種変更してからは、1年毎に様々な部署をたらし回しになった。当時の私は人事部長でも何でもなかったけれども、1年毎に異動するパターンの人なんだな、というありきたりの感想だった。
こういうタイプの人は、適合する部署が見つかると十年単位で同じ部署に磔になる。いい部署が早く見つかってほしいな、と思ったのを覚えている。
4つ目の部署だったと思う。この部署は、基本的に事務が主体だが、肉体労働の仕事もあった。
彼女は、あろうことか肉体労働のポジションに充てられてしまったのだ。木を切ったり、ごみを運んだり、池に浮かんだ鳥や鼠を回収したり…
一度だけ、見たことがある。ごみ処理場のダストシュートに軽トラックが止まっていて、60から70くらいの老人達(シルバー人材センターの会員だと思う。派遣労働者ならもっと若いことが多い)が伐採くずをダストシュートに投げ込んでいたのだが、その現場で彼女も仕事をしていた。
泥まみれの作業服。トラックの荷台の上で、えっちらおっちらと伐採くずをダストシュートに放り込んでいた。
ひどい話だろう。でも、当時の私はそうは思わなかった。その部署には肉体労働ができる男性が足りていなかったので仕方がない。そう思っていた。真奈美さんの上司は男性だったけれども、管理監督職がそんな仕事をすべきではないと素朴に考えていた。
労働組合の女性部が人事研修課に怒鳴り込んできたのを今でも覚えている。「どうして女性社員にあのような仕事をさせているのか」、「あなたたちには法的な正しさ以外は理解できないのか」といった内容だった。
その後すぐ、真奈美さんの職場を覗きに行った。上司に怒られている最中だった。周りの社員は何も言わないでいる。むしろ失笑していた。仕事が早いわけでもなく、制度が高いわけでもないので当然の結果だったのかもしれない。
翌日、私は課長に相談に行った。「真奈美さんはあのような状況ですし、肉体労働で女性の社員がケガをしたらうちの課の立場が悪くなります。今年度末で異動させた方がいいと思います。早ければ来月にでも」といった内容だった。課長は、「急ぎの案件ではない。そのうちまた検討する」と言っていた。
それが12月の初旬だった。この3週間後に真奈美さんは死を選んだ。死因は延べない。
今でも夢に見るのは、課長に相談をした場面だ。どうして、「うちの立場が悪くなる」という理由を述べたのだろう。「真奈美さんの健康が心配です。大事になる前に手を打ちましょう。今すぐに異動させるべきです」となぜ言えなかったのだろう。
なぜ私は、正しい行いができなかったのだろう。
事案2 結衣さん(当時18才)
性格は明るめだったと思う。高い声の人で、社内で大声で笑い過ぎて注意を受けることがあった。
配属されたのは債権管理の部署だった。知能テストで理数分野の点数が高かったのと、定型的な業務が中心の部署なので、新人に相応しい配属先だと判断された。
問題が起こった。配属されて3か月が過ぎた頃、人事に連絡が入った。「あの子は服装が派手過ぎる。あれではお客様の前に出せない。試用期間中なのにあれはひどい」というものだった。
先輩や上司が注意しても直す気がなく、それどころか、注意した男性の先輩をハラスメントで人事に訴えると威嚇したという。
結衣さんのいる部署の前を不定期に通ってみると、いくつかのことが判明した。
実際、派手な装いだった。髪は金髪だったし、ピアスをしていたし、ひらひらのスカートを身に着けていた。
接客態度もお世辞にもよいとは言えなかった。お客にため口になったり、自分1人では手に負えないのに先輩に相談せずに不動産会社に怒られていた。
人によって態度が違う。若手社員に対しては強気だが、お父さん風(?)の優しい雰囲気の社員の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
結衣さんに対して研修室で面談を行った。当時は役職がついていた私と、課長(事案①と同じ人)と、結衣さんの直属の上司がその場にいた。
本人が言うには、
・変な格好で来ているとは思わない
・仕事に来る服装は自分で選びたいし、他人が口を出すのはおかしい
・この格好が自分らしい。学校でも、アルバイト先でも文句を言われたことはない
結衣さんは、最後には「努力します」と言ったけれども、金髪が直ることはなかった。服装は大人しめになった気はしたが、私にはファッションのことはわからない。彼女と同年代の女性社員に廊下でやんわりと聞き取ったところ、「反省する意思はない」とのことだった。
私は反対したが、すでに人事のトップである総務部長まで話が通っていた。あとは役員級が承認するだけだ。
さて、当時の手帳を見ながらこれを書いているわけだが、その中には彼女に対する個人的乾燥として、こんなことを書いていた。
自分の意志があって動いているように見える。高校生で3年間アルバイトをしながらうちの入社試験に通ったのはすごいし(※当時の弊社の高卒入社倍率は30倍程度だった。おそらく今でも)、3人の年配社員に囲まれても自分の意見を貫いたというのも尊敬できる。うちの娘や息子を見ていても思うが、彼女は優れている。ぼんくらじゃない。うちの子ども達が情けなくなってくる。でも、うちの会社とは相性が悪い性格なのは否めない
結衣さんは、その後どうなったと思う? ここに記している時点で読み手は察しておられるだろう。
久保になったのだ。試用期間で切られた。
あの時、研修室で「あなたを本採用できない」と伝えた時の彼女の面持ちは今でも覚えている。一瞬、歯ぎしりをしたように見えた。眉間に皺を寄せたと思ったら、すぐに平時の顔つきに戻った。淡々とした声の調子で、「わかりました」と言っていた。涙を浮かべるのを我慢していた。
…それから、私は結衣さんを首にしないために何をしたと思う? なにもしなかった。
『まさか、総務部長やそれよりも上の人間が、高卒の子を半年で切るという意思決定はしないだろう』
手帳には記していないが、私は当時、こんなことを考えていた。情けない。今でも結衣さんの顔が脳裏に浮かぶことがある。
そのことがあってから、「別の会社でうまくやれていたらいいな」とずっと考えていたし、ずっと祈っていた。
真奈美さんと違って、結衣さんの夢は見ない。良い知らせがあったからだ。政令指定都市の職員として働いていることがわかった。
知ったのは偶然だ。回覧物に閲覧済のシャチハタを押している時、偶然に名前を見つけた。
あの時の安堵を言い表すのは難しい。心の底から安心できた。この日は早く家に帰る予定だったが、変更して居酒屋に寄ることにした。
事例3 和也さん(当時20代後半)
発達障害と呼ばれていた。私には診断能力はないが、周囲の評価はそうだった。
ある時、彼が直属の上司を怒らせてしまった。その上司は、一般市民その他の重要人物が観ている前で怒鳴り声を上げたのだ。私も見ていた。イベント会場だった。彼が指示を守らなかったのが原因のようだ。
その上司と和也さんは偉い人から大説教を受けた。後日、彼の指導教育を人事で受けることになった。
事前の報告書によると――まず、空気が読めない。他人が喜ぶとかイラつくとか、そういったことを予想できない人だった。
会話能力が低い反面、言語での表現能力は高い。文書ドキュメントの作成能力は社員の平均を超えていた。特に、プログラミング能力が秀逸であり、エクセルの帳票データを改良しては、これまで半日かかっていたものを20分で~みたいな改革を進めているとのことだった。
文章やレイアウトのこだわりが非常に強く、人が気にしない箇所でも時間をかけて修正する。かと思えば、オフィシャルな文書で使うべきではない表現(見積りあざッスヽ(^^)など)をメールにしたためることもあり、取引先からやんわりと注意を受けることがあった。
彼と面談した頃は、人事研修課長と呼ばれる立場になっていた。実際に面談してみて感じたのは、論理性が高いということだった。すべての言葉に理由を付けようとする。とりとめのない理由もあれば、よく考えているものもあった。
「職場の和が乱れるのはどうしてだと思う?」という質問に対しても、「理由は不明です。非常識なことはしていません。でも、ほかの人と自分の感じ方が違うのはわかります」と答えていた。
ほかにも多くのやり取りはあったが、どうにもおかしい点があった。
彼の発達障害についてだ。当時は発達障害という言葉が流行り始めていた。今ほどには一般的な言葉ではなかったと思う。
彼は発達障害なのか?という疑問を持った。というのも、発達障害に関する書籍を読んだところ、真の発達障害では弊社の面接を突破することは不可能だと確信したからだ。
彼との面談では、イラっとすることはあったものの、怒りの感情とまで呼べるものは湧いてこなかった。彼はその実、他人に配慮することができるのではないか?
つまり、発達障害を装っているのだ。本来的には、別の何かであって、それが原因で周りとの不和が起きている。サイコパスとか、ソシオパスとか、反社会性障害とか、当時は色々と調べたが、素人に結論を出すことはできなかった。
ひとつだけ、わかったことがある。『演技』ができる人間だということだ。
彼の採用面接の記録を見たところ、今の状況とはまるで異なる印象が記されていた。例えば、個人面接では溌剌とした雰囲気だとか、グループ討論では司会を務めており、周囲と協調しながら自分の意見を主張できる~といった内容だ。
グループ討論というのがポイントだ。個人面接では、面接官との相性次第でどうにかなることもある。それが合否の大半を占めるといっても過言ではない。しかし、集団面接の相手は同じ受験者だ。その中でリーダーシップを取って、しかも面接官3人すべてから高評価というのは、これまでの彼の社内評価と矛盾している。
この問題については、根拠を示して解決できるものではなかったので様子見とした。彼は不和こそ引き起こしているものの、能力自体に問題はなかったからだ。小さいミスは起こすようだが、大きいミスの経験はないし、頭の回転も速かった。それに、弊社にとってプログラミングができる人材は希少だった。
彼と彼の部署は結局、不和を乗り越えることはできなかった。和也さんの態度にキレた別の上司が、彼に対して暴力行為を働いたのだ。それを見ていた一般市民が警察に通報し、社屋の前にパトカーが停まった。
半年後、和也さんは転職した。退職面談の記録によると、次に行く会社ではプログラミングの専門職のようだった。IT業界には詳しくないが、はてなブログでもたまに見る名前の会社だ。
彼にとっては、よい結果になったのかもしれない。でも弊社にとっては違う。あれから、社内インフラ等の整備に関する部署が新たに誕生したし、私が退職する間際も情報関係の業務ができる人材は常に足りない状態だった。
今思えば、電算管理システムを担当している総務課にでも異動させてやればよかった。そうすれば、あんな事件によって心が傷つくこともなく、今でも働いていたのかもしれない。
【追記】
昨日の夜にはてなブックマークの人気エントリーに入っているのを見ました。
今では、この日記を消したい思いでいっぱいです。
私は結衣さんのような人に憧れていたのです。
権威や、周囲の空気に流されずに自分を保ち続けようとする姿が羨ましかったのだと、日記を書いている最中に自覚しました。
誤字や脱字が多くなりましたが、修正はしません。このままにしておきます。
ご意見をいただいた皆様への感謝を込め、はてな匿名ダイアリーのコメントの一部に個別に返信します。
※全員へのコメントを考えていたのですが、やはりどうしても途中で切れるので一部としています。ご容赦ください。
長文なので0かな、と思っていました。
今は消したい思いです。
性別に関係なく、上司や周りに空気に逆らえる人間が眩しかったんだと思います。
ただ、若い子なので、自分の感情をぶつけて周りを不幸にすることがあったのは間違いないです。
死なないで。今すぐこの増田をプリントアウトしてもしなくてもいいから病院に行って。 あなたに必要なのは医療です。 読み物としては面白かった
もう少し考えたいと思います。
面白かったのなら幸いです。
彼は発達障害を演じていたのではなくて、定型発達の一般人としての振る舞いを求められて、都度学習しては演じていたのだと思いますよ 発達は本来の自分のままに過ごすと問題を起こ...
彼は頭の回転が速いタイプだったので、面接対策の本をよく読んで勉強していたのかな、とあなたのコメント読んでいて感じました。
突然久保になる結衣さん
日曜日の朝、「お前はなにをしてるんだ?」と恥ずかしさでいっぱいになりました。
率直な印象を書くと、自分ができることを過大評価している感じがするね。本人に起こったことは、本人の選択によるところが大きく、他人がしてやれることなぞはたかが知れているも...
でも、期待が働いてしまうのです。
例えば、ビリヤードの玉が転がっている最中に、横からちょっと力を加えると別方向に・・・みたいな。
自分の力で助けてやりたい、何とかしてやりたいと思うのです。
叶わないことの方がずっと多いのですが。
大事なところで失敗を繰り返してきました。
体力がそこまでないタイプの人でした。
とある中小企業で総務平社員(だった)も罪を告白してみる 人事部長さんの後悔を見て、自分の過去(数年前)がフラッシュバックしたので、総務平社員だった自分も勝手に懺悔の意味を込...
返信させていただいております。
昔の、たとえばサザエさんの波平とかが働いている会社では こういうった和也なんかはトンチの受け答えで 「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする ...
今はどこの会社も余裕がありません。
適合できない人が生き残りにくくなっています。
退職鬱の症状はなかったのですが、最近になって、当時のことが頭をもたげてくるのが苦しくてしかたがありません。
こんなことを試さざるを得ないほど苦しいのです。
各事例については、当然ぼかして書いています。
誤字なのです。この年になると、体調がいい日と悪い日との落差がひどいのです。
事例1~3を書いた日は頭の回転が鈍く、こんなことになってしまいました。
それ以後の内容については誤字が少ないはずです。
総務課の仕事がやりづらいのは回覧、決済という流れがあるからだ。今までは担当者レベルでやっていたことばかりなので、ある程度は自分のペースと裁量でやれていたことが多かった。という前の部署から異動してきて現在、総務の仕事をしている。締め切りは守れるが、決済の時間を考慮に入れるということができない。
社会人も10年近くやっているが、決済の存在すら知らなかった。ていうかマジでこんなこと教えてくれないんだな。10年前に新社会人に向けたネット記事にそんなこと書いてあったか。挨拶だのメモとることだの飲み会の話だの。くだらん。まぁそういう記事もマトモに読んでなかった気がするけど。
前任者の退職により俺は異動することになった。キャリアアップではない、総務課に人が足りなくなっただけだからだ。前任者の退職は半年前から決まっていたようだが、俺に与えられた引継ぎ期間は一週間。人事異動の決済はどうなってたんだ。いい加減にしろ。前任者は退職なので、誰にも聞くことができずに仕事をしている。たぶん間違いだらけだろうが誰も気づかない。もう知らん。一週間でできたことはなんだ?わからん。こっちは一回で言われたことができる人間じゃねぇんだよ。メモを見返して理解できるほどの知力もないんだよ。仕事できない人間はつらいよマジで。その上、仕事内容も、経営だったり運営において必要なのだと思うのだが、自分の中で必要性が感じられない。やべぇ。
今日は他部署から退職者の連絡が入ってきた。引継ぎは1ヶ月かかるからお盆過ぎくらいにはパート職員を、1人採用したいと。一週間でやれ。
正確には、リモートワークが実現した(完全に問題がなくなったとは言っていない)ことで、コスト削減になった。
そして、今まで当たり前にあるものと思っていた仕事をやめてみて、なくても別に全然困らないんだ!と腹落ちした話。
あんまり具体的な数字とかは書いちゃいけないと思うので、創作小説として読んでください。
震災の時に社員の出社困難があったことから、いざという時には家でも業務ができるようにしておこうという動きは以前から社内にありました。
ただし、社内運動のテーマや、役員クラスの会議の議題には上がれど、いざ実行まで至ったのは今回が初めてです。
これまでは、やれシステムは、パソコンとデータの管理は、帳票はプリントしないのか、書類の回覧は、勤怠管理は、さぼる社員への対応、OJTの場合は、
等と、課題を見つけるのをお仕事にする人たちに阻まれて予算すらまともに組ませてもらえませんでした。
が、今回ここまでの事態になったことで、状況が一変しました。どこの会社も多かれ少なかれそのような状況になっているのではないでしょうか。
弊社は、営業が外回りをする以外はオフィス内で完結する業務が多かったことから、意外なほどあっさりリモートワークへの移行が完了しました。
バックオフィスの者として、社員や役員とオンラインで様子を聞きます。
戸惑いや、寂しいとか、管理職からは部下の業務把握が難しいなどのマイナス意見も出るものの、若手~中堅社員からはのびのび仕事ができているようです。
して自分、営業が数字を挙げることありきの会社のバックオフィスの者として、初めてこんなに現場の人たちと話したなぁと思いました。
自分は総務の経験を買われて、会社の本業ではない部分を回す仕事、というざっくりとした立場で今のポジションに中途入社していますが、
前職(まぁまぁ大手)時代も、この会社のこれまでも、現場との連携という名目の会議はあれど、末端の事務職員や、逆に役員クラスとここまで密に個別面談をする時間はありませんでした。
オンラインで1対1のやり取りをする場合、オフィスの会議スペースのように周りに人の気配がしないせいか、社員の皆さんは意外とのびのび色々な話をしてくれて。
この人こんな人だったんだー、こんな仕事してるんだ(部署として、どんな仕事をしているか知っているつもりだった)という発見がいくつもありました。
逆に、自分の仕事もあまり知られていなかったんだな。と思うことも、多々。
これまで、自分のした仕事に対してXXの件ありがとうございました!と、個別に言われることってあんまりなかったなぁと。メールの枕詞ぐらいなもので。
みなさんの為に仕事してたつもりなんですけどね。でも、個別に連絡をしてきて、話をした人、がする仕事の方が、ちゃんと見えるんだろうなぁ、と。
自分も、社員が本業で力を発揮するためのバックオフィスなのに、今までは誰を、どこを見て仕事をしていたんだろう。という感じ。
結構忙しくて残業なんかもしてたんですが。あれはなんだったんだろう、とふと考えてしまうことがあります。
そして先週、タイトルの通りの決定がありました。
オフィスの大幅縮小。スペースのリフォーム。社員が毎日出社必須ではなくなったため、交通費支給の廃止
これまでは、各部署ごとに社員の机が固まる島があって、その前に部長を座らせて、それぞれのセクションに会議スペースがあって、という作りでしたが、
・会議スペースも統一、社員が集まる必要があるときは、オンラインでスペースの空き確認をして会議スペースを予約。
・社外との打ち合わせは、可能ならオンラインで、顔を合わせる必要のある時はこちらから出向くことにするか、レンタル会議スペースの使用も検討
・原則、どうしても印刷、ファイリングが必要な帳票類があるときに出社、ハンコ捺印は社内のものはすべて撤廃
・これまでオフィスは賃貸で1フロアを借り切っていたのを、1ブロックに
・交通費は、定期代支給をやめ、回数券代を支給(2か月に10回出社のイメージ)、超えた分は小口現金で個別精算。
・部署ごとの定例会議は、一応残しておく。ただし頻度は月に1回、ラッシュ時の通勤を避けられ、時短社員も対応しやすい朝の11時ごろに
正直、オフィスの家賃(都内)と、定期代の支給は大きく、今まで削減するという発想もなかったが、やってみたらインパクトは大きかった。
あと、今までは社員間の不公平をなくすために席替えなんかも結構やっていて半日かけてやる一大イベントだったんですが、当然廃止に。
会社に1日中いることもなくなったので、コーヒーサーバーとか、もういらないし、オフィスグリコは弊社にはなかったけど、自販機も片付けてもらった。
昨日久々に会社(リフォーム前)に行ってみて、あれもいらない、これも片付けよう、と見ていたら、タイトルを思いつきました。
これって、ミニマリストがミニマリストになる過程でやるやつなんじゃないか。
常識を疑う~、とか、一度リセットして考えるとか、まぁそんなことを書いてある本にはよく当たる。業務効率化の本も何冊か読んでいたし、
でも、そこで具体的なコストダウンの方法として交通費支給を辞めるって書いてある本には今まで1冊も当たったことがない。
自分でも経費削減のために社員の出社をなくして交通費の支給を辞め、家賃を半額までコストダウン!ということは思いつきもしませんでした。まぁ思いついたところで会議通らなかったでしょうし。
この先の弊社は、備品を減らし、管理職の数を減らし、管理部門により無駄な管理項目も減らし、会議も、書類も、新入社員に配っていた日付判子もなくし、コピー用紙代や、文具代も削減されるでしょう、
今まではまとめて買って置いていたけど、誰かが次から次へと新しいものを開けたり、それを防ぐために管理ノートを作って目を光らせたり、全て無駄な事でした。
無駄なことをやめ、本業だけに一生懸命になれる会社はきっとすごく居心地が良いものになると思う。
オフィスに行った帰りに久々の本屋でミニマリスト本と断捨離本を何冊か買い、今日の午前中はそれを弊社のオフィスと業務に落とし込む作業をしていた。
ミニマリストはよく、捨てること自体が楽しくなって気分もよくなると書いていたけれど、まさにその通りだと思う。
凝り固まった「これまで」から非日常に放り込まれて、1つずつ本当に必要なものを見極めようとしている。
部屋の中と違って会社のものをなんでも独断で捨てられるわけではないんですが。すぐできないからこそ、それをやろう、という目標が出来て、今は正直ワクワクしています。
上司「君、その帳票はね、紙でしか無いの。先月回覧した時に、担当ページのコピーとっててなかったのかい?」
ぼく「え? 業務サーバーにファイル入ってないんですか? システムから出力したらエクセルですよね?」
上司「無いよ。権限持ってる○○課に謝ってもう一度請求してコピー貰いなよ。」
ぼく「え? コピーって紙ですか?」
上司「紙だよ(半ギレ)」
ここに就職してから、「紙じゃないとできない仕事が多くてね。だからテレワークは無理だよ。」と何度も言われてきた。
たが、できないのではなく、しないだけ。
ただの怠慢だ。
さらには余計な手間を増やしている。
この帳票だってまた別のファイルに入力しなければならないのだ。
客とのやりとりとか、どうしようなく紙になることならまだわかる。
今週末から東京都ではステイホーム週間が始まり、もはやStay Homeのハッシュタグやおうち時間を満喫する人々のツイートを見ない日はない。
しかし私はめちゃくちゃStay Homeしたいのにさせてもらえない、なぜなら昨日も明日も通常出勤だからです。
別に医療従事者でもインフラ関係でもない不要不急の業種で、実際デキる同業者はとっくの昔に在宅勤務を始めている。
しかし私の職場には在宅勤務の意識などさらさらなく、正社員も嘱託職員も派遣もパートも毎日変わりなく出勤している。
在宅勤務ができない原因は様々だが、主に正常性バイアス働きまくりの職場の空気と決断力のない上層部、日々大量に溜まっていく紙書類とDMにすら枠印作って回覧するハンコ至上主義に問題があると思う。
しかし世の中の優良企業は続々と在宅勤務やテレワークを導入しているようで、正直すごくすごく羨ましい。
朝はいつもゆっくり起きて自室のデスクで好きな背景に設定したzoomで会議とか打ち合わせして、昼にはちょっと凝ったランチを食べ、おやつにはクッキーとか焼いたりして、終業後はオンライン飲み会で盛り上がる。
そんな悠々自適な生活を送る人達を想像すると羨ましすぎて気が狂いそうになる。
さらにそんな高等遊民達が「在宅勤務って暇」「外出できなくてしんどい」「通勤って必要なことだったんだな」とか言ってるともう、こっちの立場はどうなるんだと惨めになってくる。
元来オタクなので頼まれなくても家に引きこもっていたいのに、出勤しなければならない。
自分や家族が感染しないためにも外出を控えろとさんざん言われているのに、出勤しなければならない。
それならいっそ出勤拒否すればいいのに毎朝同じ時刻に家を出てしまうあたり、なんだかんだ私も同調圧力に弱い人間なんだなあとつくづく感じている。
今、世界中の人達が互いに距離を取り、店を閉め、家で過ごそう、みんなでこの危機を乗り越えようと頑張っている。
だけど私はそういった人達の努力を台無しにしているのだ。出勤して仕事をする、たったそれだけのことで、世間を裏切っている。
いつかコロナが終息する日がくるとしたら、それは国や自治体の要望に従い、家で過ごせるような環境づくりに注力した個人や企業の功績である。
「あの時頑張って良かったね」とみんなが健闘をたたえ合う輪の中にきっと私は入れてもらえないし、入る資格もない。
なぜなら明日もあさってもGWも出勤で、無症状のうちに誰かを感染させたり、逆にウイルスを自宅に持ち帰ってしまう危険をはらんでいるからだ。
安全な暮らしがしたいのに、させてもらえない。世界中に広がるStay Homeの輪の中に加わりたいのに、できない。つらい。
しかし私も休日を家で過ごしつつ通販で不要不急の買い物をしたりして、見えない誰かのおうち時間を奪っているんだろうなあと思う。
早く元通りの生活が戻ってほしい。そうすれば私が外出自粛中にのん気に出勤してたバカ女だってバレることなく、友達と映画やカラオケに出かけられるはずだ。