はてなキーワード: 嘘も方便とは
幼馴染が了承してるとは思えないんだけど、その辺りはどう?
どの道碌な人間じゃない。
いざ幼馴染に行ったところで断られてあなたの所に戻ってくるのは目に見えてる。
それを喜んで受け入れるならそれこそ惨めで馬鹿な女と蔑まれる。
ただそれでも好きで彼といれば幸せと思うならそれでいいと思う。
他人への見栄で自分の本当の幸せを捨てるのは後悔するだけになるからね。
あなたが幸せならそんな男でも受け入れて一緒になってあげればいい。
今回のことで冷めたなら一刻も早く別れて逃げるのをおすすめする。
先にも書いたが、そんなハイスペックな幼馴染がそんな男と結婚するとは思えない。
つまりフラレてのこのこ帰ってこられたら貴方に粘着して離れないということ。
「帰ってきてやった」と偉そうにふんぞり返り、仕方なく貴方と結婚してやるといい、幼馴染に未練タラタラな男と生涯をともにする羽目になる。
逃げるなら今だと思う。
誰々の話でした、でまた聞き紹介など情報の二次利用をする方もする方の立場も守ることができるのに
情報の利用者に観測点の情報の特定を押し付けてしまうことになったり
理論上よい話なのだからなくてもよい→実在しない情報の利用についての責任制→自己の責任制回避のための攻撃的態度
という状況により口悪く相手にとって受け取られ方が心地よくなくなるような言葉選びでの返答を誘発させることになるのは散見されるところです。
これはよく理想を追い求める強力な指導者が破綻している論理に向かって強行する姿勢で物語などでも表されますが
これをネガティブな思想と考えず、そういった態度で自身を守ることができると考える方が出てきてしまっているようにも見えます。
物語は実在しない盲目的に服従する下位の支持者、実務者がいるのですがネットではその数がなくとも、気分的にあるような気持ちになれている所や
匿名であることがその状況に近い高揚感を持たせていると思います。
実際に、言葉優しく足りない部分を指摘してくれていれば、嘘も方便かと思うのですが、事実ご自身のとられた態度について
どのような意図で、どのような行動規範で、何の証明のためにされているのか、お考えいただきたいです。
「ただ自分の気持ちがよくなるから」という返答を折り返しご自身が受ける事になったときのお気持ちも予想されつつ、どのような意図をお話しをされる相手に与えることになるか
言葉を選びやすくなる情報源であるものをお選びになられるようになればと思います。
ご自身の支持される情報源が嘘ではないか信じていいのか裏切られたとき自身を保護しないといけないのではないかという不安とともに良い話をお話しされるより
ネタに真面目に書くけどさ、
男女で脳構造に違いがあります。大きくは違わないけど、例えば、「男はどこそこの機関が発達してる。」ぐらいの。そういった男女差はたいてい個人差よりは幅が狭いので、”男女で機能的な差はない”となるわけです。
科学は先端を語っても世間が理解しないので、こんなもんで「嘘も方便」というか。
で、環境因子の他に、まず「学校の勉強が試験が頭脳のものさしになるか」という問題があります。これは考えればたやすく不十分だということがわかります。
そうすると、当然、スポーツやゲームなんかも頭をつかうわけで、勉強が得意でほかは苦手や、勉強は苦手だけど、他が得意なんて子もでてくるわけです。
可能性としては、男性より女性が勉強できるのは男性より女性の方が”型にはめられた教育を受ける”といった考え方も当然できるわけです。
あーこれ言う。哲学とか文学とか宗教には言わないけど、いわゆる固有名詞に付いてる権威とかヒエラルキーとか金銭感覚とか、そういう世間知的なことには疎くて、右から左にスルーしてるから。その割に変なことだけ滅茶苦茶詳細に覚えてたりして、世間相場から外れてる自覚あるので、「ありがちな世間話とか話題の共有とか全然出来ないので、微妙な空気が流れる前に自己申告しときます。変人ですんません。」的な心理で言う。
「理系だから」じゃなくて「アスペだから」と言ってみた方が、自分の言いたいところが伝わるんじゃないかとも思うけど、差別的に取る人もいるかもしれないので言えない。変人の自己申告は難しい。
それと理系の結構な割合の人は、哲学とか文学とか宗教どころか、法律(学)みたいな実学に対しても充分懐疑的だと思うよ。ただ世間の大多数は増田みたいなスタンス(役に立ってんだからいいじゃんとかそれがなきゃ回らないじゃんみたいな、功利主義的なあれ)なのを知ってるから、うっかり口を滑らして機嫌を損ねるコースに突入したくないので、その話題とは距離を置きたいのだと思う。そんな牽制してないで嘘も方便で話合わせときゃいいんだけど、それが出来たら理系やってないと思う。
今日の昼間、趣味のサークルの一部メンバーにLINEしたけど、全く応答なし。(既読にはなっている。)私はいちおうそのサークルの役員で、別に自分で立候補したわけではなく、4月からも雑用チックな内容だけど引き続きスタッフとして働いてねと言われている。単に出席率が良くて幹部の命令に従って動くからそういう仕事頼まれてるんだとは思うけど、なんでそんなに粗雑な扱いを受けなきゃいけないんだろう…。
「今度の週末に集まって一緒に活動できる方いませんか?」的な内容なんだけど、都合が悪いならそのように言えばいいし、単に気が進まないなら気が進まないで、嘘でもいいから「奥さんの許可が出ない」とか「別件の先約が…」とか返してくれればいいのに。自分もあんまりLINEとかに即レスするタイプじゃないし、メッセージが来ても気付かないことも多々あるので、多少返事が遅いということについては極力怒らないようにしてるんだけど、無視されるのが一番ムカつくわ。
LINEが普及する前、ケータイのメールが主流だったときめちゃめちゃメールの返事が遅い子がいてイライラしたもんだったけど、とりあえず返事があるだけこれよりましだった。自分も忙しいときにこの手のメッセージやら連絡が来たら「いつでも即レスできるわけじゃね~よ」とは思うので、人にも即レスを求めてはいけないとは思っているけど、1行か2行で返せる話を返してくれないってどゆこと?
自分がわりとLINEとかメッセージとかで長文書きがちなので、ややうざいのかも知れないけど、無視されるとマジ凹むので勘弁してほしい。「嘘も方便」という言葉があるけど、本当に見え透いた嘘でもいいから、「ごめん、行けないわ」とかなんとか言えよと思う。1対1のやりとりだったらもう少しまともに相手してくれるんだろうか。
世間にはそう言った類のものが溢れており、それなりに体系化されているし
漢方だったりインド薬学だったり、嘘とまでは言い切れないものだってたくさんあるわけだしね
整体の流派だったりツボだったりも、まるで関係ないわけでもないだろう
けどそういったものを読みかじり聞きかじりした知識から、勝手にアレンジして適当なことを言うのはやめてほしい
適当に思いつきで言ってる話というのは、言い方話し方でなんとなく分かるもんなんだ
(江原啓之の話し方もそんな感じだったけど、似たような感じ)
一気に白けて、そのクラスの全てが胡散臭いものに感じられてしまう
ストレッチなんかの人体に関する知識は間違ってないんだろうし、そこだけちゃんとやってほしい
「ストレッチのクラスのインストラクターが、たまにオカルト的な話題をする」じゃなく
とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分の備忘録として。
最近、大学生のお話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分の内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。
で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接そのものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。
彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文やゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである。
つまり、ある程度客観的で指向性のある、極端な話マニュアル化が簡単に可能な表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。
彼らの「自己PR」はまず、感情の言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである。
より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問で企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなものは履歴書でいいのである。
次にいわゆる「盛り方」があまりに稚拙である。嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。
先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字は説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。
しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的な説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)
総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直な結論を提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである。論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である。
とはいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態に対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というものが存在する。
大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己の内面表現そのものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。
もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである。
そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分の表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分の内面と他者の視線というものをバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である。
読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象と感想、意見などとを区別するとともに、目的や意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象と感想、意見の関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要な作業ではなかろうか。これらの中には論文の作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実を対象とするそれだけでは、我々は「自己の内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。
確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文の指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しかし教育や就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである。
自己の表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。
・新世代の人々の前に広がった風景(サード後)は、悲惨なものであった
・彼らはそれに触れるうちに慣れてしまった
・世界が滅ぶかどうかという危機的状況に置かれている彼らは一個人の生死を優先することができない
・サード後はサクラはシンジに対し複雑な感情をもって葛藤している
・歴史認識(サード、ニアサード)に関して、新世代とシンジの間で相違がある
・シンジが起こしたサードのせいで、新世代の平穏な生活は奪われた
・他人を思いやれるほど平和な状況ではない、むしろ十分な対応している
・「怒りと悲しみの累積」をそれぞれが抱えている
・それゆえ、悪意はないにせよ各種の言動に繋がった
大体こんな感じですが、もう少し要約したいと思います
<1>
新世代には明るい未来が広がっていたが、サードインパクトによってそれは全て壊されてしまった。サードインパクト後、凄惨な風景が彼らの目前には広がり、悲惨な暮らしを強いられた。サード(ニアサード関係)を起こしたのは碇シンジであり、新世代は彼に対し複雑な感情を持っている。特に、サクラはエヴァ搭乗者としてのシンジの側面も兄から教えられているために、余計に葛藤している。
<2>
サードインパクト後、生き残ることで精一杯であった彼らは悲惨な暮らしを過ごす中で、人が死ぬことは日常茶飯事になり慣れてしまった。そして、危機的状況の中では人類の存続が最優先であり、シンジ一個人の希望を優先することはできない。この点に関し、シンジと新世代の間で齟齬が生じている。また歴史認識、すなわち「世界はなぜ壊滅的な状況になったのか」という史実に関しても情報は錯綜しており、新世代は誰を憎んでいいのか分からない。
<3>
新世代にとって、「シンクロ率」とは憎悪/恐怖の対象であり、サクラの発言は純粋な喜びから出たものである。他人を思いやれるほど平和な状況ではない上に、各人が「怒りと悲しみの累積」を抱えている。それゆえ、新世代にとって複雑な感情から各種の言動に繋がってしまった。世界崩壊の犯人扱いされたシンジも可哀想だが、未来ある人生を壊滅させられた新世代も同時に可哀想な存在であり、ヴィレの中に悪者はいない。
まず押さえておきたいポイントですが、肝要なのはサードインパクトです。「破」のラストでは、アスカは精神汚染で隔離中、マリと弐号機は戦闘不能に陥り、綾波は故障明けの零号機での戦闘を試みるもゼルエルに飲み込まれてしまい、残っているエヴァは初号機のみです。
シンジがあのまま残り、何もしなかったと仮定しましょう。そうすると、自ずと零号機と同化したゼルエルは地下のリリス+槍と共鳴を果たし、サードインパクトが起こります。これは旧劇における最後のインパクト(初号機+リリス+槍)と同じであり、ほぼ人類の生存は期待できません。
すなわち、シンジが勝手な行動を取ろうと取らまいと世界の壊滅は決定的だったわけです。まずこの点が重要。「シンジが勝手な行動を取ったために」世界が壊滅したわけではなく、あの状況においてはシンジの動きに関わらず世界は確実に壊滅します。ダミープラグの処遇を巡ってシンジを追放した時点で、世界の壊滅はほぼ決定的だったのです。これらの事をミサトたちは目前にし、自分たちでは解決不可能な問題のを一人の少年に託したはずです。責任転嫁も甚だしい。
そのため、新世代の未来は元々明るくありません。それに加え、戦闘が続き疎開が相次いでいたサード前から推察しても明るいものではありません。戦闘に爆弾に見知らぬロボットによる迎撃、ドンパチ騒ぎ。当時から元々平和ではなく、明るい未来/今と同じくらいの幸せは元々存在していません。
そうなると、次に問題となるのは「誰が世界を滅茶苦茶にしたか」という史実です。14年間何があったかは分かっていません。しかし、前述のとおり、ミサトたちは一連の内容を把握しています。シンジの追放、そして再び手に負えなくなったら都合よく再利用。しかも、「自分自身のために!」と応援とまきた。自分たちの範疇を超えた問題を一人の少年に託しておいた、これは致し方ありません。初号機に乗れるシンジにしか解決できぬ問題ですから。しかし、新世代はなぜこの史実を正確に把握していなかったのでしょうか。青葉がビデオも取っていたのに。情報の錯綜は当然あるでしょうが、凄惨な暮らしを強いられたのであるならば、その犯人が知りたいというのは最もです。
14年間の内容は分かっていませんので、ある程度の推察も含みますが、おそらくミサトたちは組織を作るために嘘を伝えました。まさか事もあろうに世界を再建しようとしている幹部たちが、実はこの凄惨な状況を招いたサードインパクトを自分たちの力では解決できず、一人の少年に託した上に、失敗に終わった。などという情報を流せば、組織の混乱/疑心は図りかねません。
そのため、「サードインパクトは碇シンジによって引き起こされたものであり、自分たちはNERVに騙されていた」という主旨の内容を伝えたはずです。そうすれば、ヴィレの総括はしやすくなります。嘘も方便というやつですね。その結果、ミサトは建前上シンジに冷たくしなくてはならなかった。オペレーター全員がいる戦闘室ではハッキリと冷たい目線/口調で述べたのに対し、サクラのみが同行した応接間では俯き「もうレイはいないのよ…」と寂しげに呟くだけでした。その後、マーク9の突入時にもサクラがいたために、「身元は私達で管理します、ここにいなさい…!」と言うしかなかったのです。本音はその後のDSSチョーカーの震えに現れている通りであり、シンジを組織統括の大義名分として利用したことへの罪悪感と、そこから生じたシンジの命だけは守りたいというアンビバレントな感情の現れです。
新世代には嘘の史実が伝えられました。「碇シンジが君たちの世界をぶっ壊した張本人である」といった旨を教えられたために、たらこ唇は苦い顔をしサクラは憤りを顕わにしました。シンジと新世代の間で、サードインパクト史実に対する認識が異なっているのはミサトの嘘のためです。この齟齬によって、彼らはシンジに対し憎悪/複雑な葛藤を抱くしかなかったのです。旧世代とリアクションが異なるのも、嘘があったためと考えると納得いきますね。
彼ら新世代にとっては「自分たちの幸せな未来を吹き飛ばしたのは碇シンジである」という史実がありますが、軍人としては問題を分けて考えるべきではありませんか。軍に身を置くのならば、職責と史実は分けて考えるべきです。アメリカに原爆を落とされたからといって、共同戦線を張る際に感情を表に出すなどあってはなりません。さらに言うと、サクラが本当に「サードを繰り返したくない」と考えているのであれば、なおさら自分の感情は胸に秘め、”危険な対象である”シンジには慎重な扱いが妥当です。シンジは新世代にとって大型地雷みたいなもんで、どこを歩くと爆発してしまうかということには慎重になるべきです。危機的状況が続いて精神的に疲労していたとしても、ここは慎重にならざるを得ません。シンジを最も危険な対象として認識しているのであれば尚更、軽はずみな言動は避けるべきです。
さて、シンジはその前のシーンで自己のアイデンティティを支えていたエヴァ(「あなたはもう何もしないで」)を奪われ、自己が安定していない心理状況です。774さんのおっしゃるとおり、確かにここのサクラの発言;「シンクロ率は0です。良かった」には曇りがありません。純粋に喜んでいます。しかし、前述のとおり、ここは大変に慎重ならざる得ない場面であります。トウジからエヴァ搭乗者であったことをサクラは知っていたはずです、それならばシンジの大変さ/苦労も伝わっているはず。そうであるならば、シンジの拠り所であったエヴァに関する言及は非常に繊細になる必要があります。
なぜ、サクラは不用意な発言をしてしまったか。それは、ミサトがここでもう1点嘘を付いていたからです。新世代に伝えられていた2つ目の嘘は、「シンクロ率は危険な指標である」ということです。サード前はエヴァ搭乗者のポテンシャルを図るポジティブな指標でした。しかし、サードを起こしたのはエヴァ、エヴァの搭乗者にはある一定のシンクロ率が必要、そしてシンクロ率は危険という考えに至ります。サードを起こしたエヴァに乗るためには碇シンジのシンクロ率が必要であり、それさえ無ければ金輪際インパクトは起きないと伝えられていたと推察します。ある程度は新世代の思い込みもあります。そのために、「シンクロ率0で良かった」というサクラの不用意な発言に繋がってしまったと考えられます。
さて、ここまでの内容を振り返っても、サクラを筆頭に新世代が迂闊であり、配慮に欠けている自己中心的な人物であるという自分の結論は変わりません。彼らの苦しみを考慮していなかったのは事実ですが、それらは軍事的な職責とは関係してはいけません。広島/長崎に原爆を落とされたからといって、いつまでもアメリカを憎んでいても仕方ありませんし、感情的には理解できても意味のない行動です。ましてや彼女らは軍人、マヤさんなんて吹っ切れてビシビシ動いてるじゃないですか、あれもシンジやサードで亡くなった人への贖罪の一つですよ。
もう一つ、彼らが迂闊で自己中心的だというのは、ミサトたちの話を信じこんでしまっている点です。本当にシンジがサードの犯人であるのか、本当に敵であるのか、危険な存在であるのか、といったことに思慮を巡らせず、自分たちの都合のいいように解釈し、シンジを原発のような危険物とみなす。悲惨な現実は確かに目前にありましたが、そこに思考の責任転嫁をするのは納得できません。旧世代、青葉や伊吹、日向は度重なる戦闘のオペレーションを繰り返して精神がすり減る中でも、自分たちで思慮していました。「ダミープラグは仕方ない措置だった」「そうじゃなきゃ君が死んでいた」と、目前にしたシンジの心情にも折り合いをつけながら分析して答えています。旧世代の行動は利他的ですよね。新世代の彼女らからは稚拙さが拭えません。感情論に支配されている軍人は、利己的/幼稚と捉えられても致し方ないと思われます。
また、新世代たちに同情的な目線を向ける必要がなぜあるのでしょうか。そこがよくわかりません。「新世代もいろいろあって辛いんだよ!!だからシンジに気配りできなく当然!!」なんて論理は通りません。彼女たちの先には幸せな未来が広がっていて、なおかつそれをシンジに壊されたと仮定しても、彼女たちに世代的な苦しみへの慮りを要求するのは些か理解に苦しみます。シンジは世界をたった一人で守れと言われた、背負わされた、その上理由もなく突然にそれをヤメロと言われた。エヴァを通じて人間関係を築けたのに、アスカは精神崩壊し綾波の感情はリセットされたTV版以上ですね、精神の乱れ具合は。
それで、ぼくは劇中のゆとり世代に腹は立ちますが、物語としては彼らの成長も一つの展開だと思うんですよ。旧世代も新世代も力を合わせてお互いに妥協する点を模索して、やっていくストーリーだと思うんです。世代論にかまけてたり、時代や環境のせいにするのではなく、当事者意識をもって問題の解決に(能力差があっても)構成員全員で取り組もうというメッセージだと思うんです。左翼/右翼、若者/年配で内ゲバ起こしてる場合じゃないんですよ、今の日本って。GDPは下がり年金受給年齢は上がり、消費も増えない。賃金も上がらない。対立してる場合じゃないんですマジで。
まあ、今苦しんでる君にそういうこと言ってもしょうがないのもわかるんだけど。
ホモであるってことは少数派ではあるけど、決して異常なわけでも劣ってるわけでもない。
だけど頭の悪い人たちはそれがわからずに見下したり差別したりする。
君は中2って言ってたけど、それぐらいの歳だとまだやっぱりいろんなことが考えられなくて、
まわりに理解者は少ないだろうと思う。
いま君はたぶん、すごく孤独で居場所がなくて不安なんだろうと思うけれど、短気をおこさず
頑張ってほしい。ネットや図書館で必要なこと調べたり出来るんだから、これを機会に
いっぱい勉強して、このことだけじゃなくもっと頭よくなってほしい。
なんでかって言うと、上の方で書いたように君を攻撃しようとする人たちは、頭が悪いんだ。
だから逆に言うと、頭のいい人たちはそんなことで差別したりする人は少ないってこと。
もちろんまったくいないってことはないけど。
だから、勉強とかで出来るだけいい成績取って、頭がいい人がたくさん居るところを目指せばいい。
そうすればきっと君にも居心地のいい場所が出来ると思う。
この先何年かはつらいかもしれないけど、くじけずに頑張ってな。
もちろんうそは良くないけど、人を傷つけたり、自分を大きく見せたりするようなうそじゃなければ、
それは単に「自分を守る手段」でしかない、そういう風に割り切るべきだよ。
「嘘も方便」とか「言葉は自分を正当化する道具である」って言葉もあるしさ。
頑張ってな。
選挙カーで名前を連呼した方が、票が多く入るようになるらしい。
民衆はまだまだ愚かだから、有効な手段として使おう、というのはまだ判る。
安全保障関連法案に関して、国会前のデモを観たけど、煽り方が低レベルだった。
もはや、有効な手段にすらなっていない、内向きで、残念な煽り方だった。
別にお題目なんだから、判りやすくキャッチーな造語で良いと思う。
(内閣も「平和安全法制」って呼んでるし、まあ五十歩百歩だろう)
ただ、次がない。
スローガンとしてはアリだろう。つかみはオッケーだ。
最初は理解できていなくて当たり前だ。不安とか不満とか、漠然としたことでも行動するのは立派だ。
そこから、隣の国とどう揉めてて、誰と揉めてて、この法案は誰が後ろにいて、どういう法案なのか。
その理解を促すヒトが居ない。
公正中立とは言わなくても、ゴリゴリに偏向した洗脳するような教育ですら出来ていない。
次がない。単発。2chの大規模オフと同じ。せっかく集めて何もしない。夏休みの思い出レベル。
人が集まることには意味がある。
数が揃って不満の声を上げることはプレッシャーになるし、過去、デモは世界を変えてきた。
キング牧師のかの有名な演説、「I Have a Dream」は、人種差別撤廃を求めるデモでの出来事だ(ワシントン大行進)
失業率に抗議するデモから、政権への批判のデモ、数百人のデモが数千人となり、結果政権が転覆したことすらある(ジャスミン革命)
ただし、運動が盛り上がった結果人数が増えることに意味があるのであって、逆ではない。
成績が良い家庭に本がたくさんあるからといって、自宅の本の数を水増ししても賢くはならない。
ジャスミン革命と呼ばれる事になったチュニジアで起こったデモは、最初はごく少数の規模で始まった。
インターネットでゆるく連携しながら、着実に考え方を広げ、数百名のデモに警官隊が出る騒ぎになっている。
ワシントン記念塔広場を完全に埋め尽くしたワシントン大行進の記録映像は衝撃的だ。
そのテレビの放映は、公民権運動が、一部の黒人だけのものではないアメリカの問題だと雄弁に物語った。
アメリカ国民誰もが当事者であると突きつけたあの映像に残るデモには「20万人」以上が集まったと言われている。
3万人が集まった運動は、チュニジアの政府転覆に繋がるデモの、数十倍の規模だ。
だが、主催者発表の累計35万人という数字は、ワシントン大行進の映像を観た後では、ひどく滑稽だ。
60年安保の参加者だって居ただろう。岸打倒のデモで30万人(警察発表で13万人)だぞ。バカにされたとは思わんのか。
なぜ、わざわざ自らを貶めるような発表をするのか。誰も止めないのか。
最初に言っとくと、俺は安倍さんは嫌いだ。昔っから嫌いだった。
個人としての安倍さんはまだ嫌いだ。だが、安倍晋三内閣総理大臣は、失敗も多いが無難に外交をこなしてる。
安倍内閣も国民をバカ扱いしてるのかもしれんが、テレビや新聞のコントロールは現政権のほうが上だ。
海外の報道までコントロールできているかは判らんが、概ね好意的な声が大きい。
結果を出すのに嘘も方便でやるのであれば、現政権には勝てない。
だから、テレビや新聞に勝てるような煽り方をしないといけない。
所詮は意向に基づいたデータの取捨選択だ。陣営が違うだけで科学者ですらタマにはやってる。
情緒で煽った後に、データを並べて、理路を広げて、説得していくフェーズに移らないといけない。
いつまでもシュプレヒコールを上げるだけじゃ、バカ扱いされてるんじゃなくて単なる馬鹿だ。
憲法学者が反対しているのはなぜか。自衛隊にも反対しているのはなぜか。
軍隊を持たないことを理想とするのか、折衷案として自衛軍は許容するのか。
警察なら良いのか、災害派遣ならどうなのか、海上保安庁はどう扱うのか。
海外からどう言われてもどんな理由でも軍隊は国の外に出さないのか。
全てに答えを出せなくても良いが、せめて想定問答を議論する会合くらいは持てないのか。
キッカケや、最初の入口としては、良いと思う。
そのキッカケから、何を学ぶのか。どう動くのか。それが全く見えない。
情理を尽くせば外交でもうまくいくという主張も、一つの主張だとは思う。
安倍首相を説得するのの数百倍は、朴槿恵大統領を説得するの大変だぞ。
たぶん、オバマ大統領を説得するのは数千倍、アメリカ合衆国を説得するのは数億倍大変だ。
それに比べたら、日弁連と学者の会とSEALDsとミュージシャンに声かけて回って、Youtubeに講義を載せてCSに冠番組作って、次のニコニコ超会議を乗っ取るくらい大したことないだろう。
それが出来そうもないと感じるなら、たぶんもっとスタートラインを下げて、地道に始めるべきだと思う。
モンストのイベントですら、炎天下の中5万人以上集まったんだぞ。資金力でも動員数でも必死さでも負けている。
意義が違うというならその意義をスローガンから掘り下げて広げてくれ。
1
金曜日。
ドアを開けようとするところだった。
私の声に気付くと振り返り、もう一度、
急ぎ足に帰っていった。
机に目を戻しながら、
私は少しだけ頬を緩めた。
彼女はきっと、
15分前に帰った、向かいの席の後輩と、
いつものバーで、
将来を語らうに違いない。
会社近くでの逢瀬は、
誰に見られても構わないという
二人の意志が込められているようだ。
2
奴ら、結婚するのかな。
そんなことを思いながら、ふと
「不倫」の文字。
瞬間、暖かな気分に影が差した。
3
「浮気してるのか!?」
私の問いに答える代わりに、あいつは、
「お前、あの子……奥さんに悪いと思わないのか?」
二人で新入生を勧誘していたとき、
半ば強引に入部させたのだ。
夏休みには付き合い始めて、
披露宴でそう言って、皆を笑わせていた。
「一度は子どもを諦めていた。
頬に流れた涙は、今でも鮮明に覚えている。
結婚なんて……と斜に構えていた私が、
遅れること2年で独身貴族に別れを告げ、
息子を得て、家庭一筋で暮らしてきたのも、
あの涙を見たからだった。
「あ?バレなきゃいいんだよ、そんなもん。
言うだろ?『嘘も方便』って。
いろいろ探し物してた~、って
言えばいいだけ」
そしてあいつは、口を歪めながら、
続けて言った。
その言葉は、
私の心にしまっていた、
永遠の春の温もりを、踏みにじった。
4
知らん顔して、まだ揺れていた。
あいつは春を謳歌する。
だが、そのためにつく嘘は、
花を枯らし、葉を枯らし、
秋風を冷やして、季節を冬にする。
5
月曜日。
すでに着席していた私へあいさつすると、
特別なほほえみを、後輩に向ける。
彼も、また、上気した表情でほほえみを返す。
そんな二人を見て、私はまた頬を緩めるのだ。
二人の真実は春をもたらすのだろう。
誰もいなくなった、夜の会社で、
こんな文章を書いている。
私の季節は揺れている。
STAP細胞の不正論文の件とHSPプログラムコンテスト2013の窓の杜賞が盗作だった件は似ている
何故、不正な論文を提出してしまったのだろうか?何故、盗作をしてしまったのだろうか?このように倫理観というものが欠如している場合、特に科学者にはなって欲しくないし賞賛もされて欲しくない。
科学の分野では倫理観の欠如の様を広く広報してほしくない。不正な科学的知見を広めることはその知識を取り入れる人すべてに嘘をつくことなる。嘘も方便?いいや、そこでそのことわざが出る所が倫理観の欠如の元なのだ。文脈の破綻を自らで見つけられないのは何かしらの訓練が足りないのだ。
学校で習う主要5課目は高校、大学受験の金科玉条である。しかし、学校生活をする上で身につけていくある種の倫理観を養う体験、もしくは倫理観について自ら考えることを疎かにされていた場合このような事が起こるのではないだろうか?日本で必要なおおよその倫理観はすでに結論が出ている。結論を出すまでの過程は自ら見つけていかないと自らの倫理観というのは実感できない。しかも今この日本社会では個性や考え方の違いというような言い訳で「社会人」「人間として正しい姿」の像がブレているようでならない。むしろ、「正直者はバカを見る」というように倫理的な言動に準じている人を目に見える形で社会的に高く評価したりサポートしてこなかったツケをこれからも払わせられるのではないかと感じている。
とある地域の学校では成績さえ良ければ何をしてもよいというような風潮がある。「何をしてもよい」は生徒によって非倫理的行動(公共施設での迷惑行為、影での不良行為、他害行為、犯罪行為など)すらも受容されると解釈され実際に非倫理的行動を行い多くの人に迷惑をかけ、傷つけ、場合によっては取り返しの付かないこともしている。マスメディアに取り上げられる段階になってようやく教育者がアタフタして取り繕うのだ。滑稽でならない、そして教育者もなっていない。それによって被害を受けた際、往々にして当事者達は何かと理由をつけて問題をうやむやにし責任を取らないし実際に取れない。非倫理的行為は他者の貴重な時間を奪い、場合によっては被害者が苦痛を負うということを当事者は理解できてないというのを感じる。むしろ、理解していても「自らの利益の為には他害も厭わない」と見受けられることが多々ある。これこそが倫理観の欠如なのだ。
本来、こういった不正をわざわざ起こすのはやはり「賞賛」及び「賞賛に付随する多くの付加価値」が人を不正に駆り立てるのだ。私はこのような振る舞いを『倫理観の欠如した利己行為』として認知している。かならず学校、会社、友人、親類の中でこういった行動を日常的に繰り返す人達がいるのではないだろうか?私はいろんなことろで見てきている。第一印象が良くても、成績が良くても、会社での評価が高くても、社会での評判が良くても、こういった行為を行う人物は目に見える形でシグナルを発している。これらのシグナルは裁判で使われる証拠となるような確かなものとは言いがたい。人によっては妄想だとか不確かなものだとか思われるだろう。だが確実にその人が発している中にあるのだ。そういう人に注意しこれらの人に関わらないようにしていきたいし、願わくばそういう人は倫理観を身につけて欲しいと思っている。
『三つ子の魂百まで』という”ことわざ”があるが、私は今まで自らの意志と訓練でどうにか修正できると思っていた。しかし、私の人生経験の中そのような人は皆無だった。だから倫理観の無い人に倫理観を語っても身につけることは困難を極めるのではないだろうか?私はそう思う。
蛇足だが、この件で旧石器捏造事件((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6))とサイコパス((http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA))が浮かんだ。
そして、これらの「倫理観の欠如した利己行為」を行う者の助けになるような事を行うのはどうにもこうにも納得がいかないのである。虫唾が走るのである。だからその者からは離れたいのである。インターネット上の非倫理的で無慈悲な制裁もいけ好かないが、かといって該当する行為を許容する事も出来ない。なんともむず痒い思いがする。
最近たまたま見たアニメでそれらをテーマにしたものがあった。ハマトラの10話~12話にかけてである。敵役が言葉で色々と説明してくれているので作品としては興ざめだが、逆に問題点を凝縮して映像として見せてくれているのでとてもわかりやすい。今の時代に訴えるべき内容がある良い脚本だった。
説明しないで、不正なプログラムが入っていて問題を起こしているのでメンテナンスさせてください。でメンテナンスして戻せばOK
説明したり、理解させたりすることは重要じゃない。嘘も方便。ウイルスを除去してアンチウイルスソフト入れればOK
坊主だって休みがほしいんだ!とか神主だって休みがほしいんだ! というと いや人が死んでるんだぞ!とか 吉事だぞ!とか いろいろゴリ押しが来るけど
仏滅だからとか、大安だからというと、多くの人が納得した。嘘も方便。そういう歴史的背景なしに、仏滅とか大安とかを語れない。
神様がお休みの日を決めたから、土曜日はお休みです。というのも
宗教が違うだけで、同じこと。どっちでもいいんだよ。ただ、だいたい、同じグループの人みんなでお休みする日を一緒にしようね。という背景。
だれだって、休みはほしいし、集団で仕事してるから(医者が開くと 事務のお姉さんも必要だし・・・調剤薬局も必要という連鎖)休みはある程度揃えないといけない。