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はてなキーワード: 哲学とは

2024-05-16

10キャバクラ セクキャバに通った俺が思う「この話題はやめよう」

スピン

「さっきニュース見てきたけとまた大谷だよ、

あれ実は自民党不正を隠すスピンなんだよ」

と言ったとこで

嬢の脳みそサッカーボールぐらいしか

無いので「???」みたいな顔される

やめよう

プログラマー煽り

プログラマーを嬢の前でバカにしたとしても

嬢は内心「頭おかしいよこの人」と思う

だけですし

周りにプログラマーがいたら、喧嘩になります

やめよう

他店の方が安かったよ

家電量販店じゃあるまいし、値引きしてくれませんよ。

やめよう

ホイ卒マウント

保育園マウントいわゆるホイ卒マウント

周りから見たら頭のどうかしてる人にしか

思えませんし、例えマウントとったとして

あなたしか楽しくないでしょう

ネットでそゆのはやろね

デモに誘う

夜職の人間そもそも昼間のおっさん、おばさん

だらけのデモに連れ出すのは無謀です

数合わせも大概にしましょう

学歴マウント

早慶MARCH出身じゃない嬢の方が世の中

大半です

やめよう

追記<こんな話題もやめよう>

哲学

自分ってどこから来たと思う?」

他人とすれ違う原因ってなんだと思う?」

実存主義ってどう思う?」

「てかイデア論知ってる?笑」

などと嬢に言ったところでキャバ嬢キリストでも仏様でもありません。そんな話は大学でやりましょう。

日本語以外の言語で話す

マジで迷惑なのでやめよう

キャバクラに来るなら日本語覚えてから行こう

歯医者さんやだやだアピール

いくら嬢が客には演技でも優しく対応してくれる

からって「明日歯医者さんいやだよぉ」

「お注射こわいよぉ」などと髭が生えたおっさんがするのは気持ち悪い以外何者でもありません

やめよう

ブコメアピール

あなた匿名はてなを好きなのと大量のブコメ

獲得したのは分かります、だけどキャバクラ嬢全員が匿名はてなを知ってるとは限りませんし

周りの客からしたら「あ、頭がおかしいやつだ」

しか思われません

やめよう

結局自分努力とか頑張りとか懸命さを空疎ものに感じられるのは、お前それパレスチナでも同じこと言えるの?って思っちゃうからなんだよね

それってただの環境じゃん

自分日本に生まれたのは努力のおかげでもなんでもないし

結局そこまで頭が回らない人たちの自己陶酔エンタメだよなあ。

から努力とか懸命さとか関係ない、楽しみのためにエンタメやってますって人たちの方が好きなのかな。もちろん努力はしてるだろうけどそう言うことを打ち出さない人たち。哲学を持ってる人たち

2024-05-14

ポスト構造主義マルクス主義は、構造主義マルクス主義の要素を組み合わせつつ、両者を批判的に再解釈し、社会経済分析を行う理論的枠組みです。このアプローチ代表する重要思想家の一人がジャック・デリダであり、彼の弟子とされる学者には以下のような人物がいます

### ジャック・デリダ弟子

1. **スラヴォイ・ジジェク**

- ジジェクは、ラカン精神分析ヘーゲル哲学、そしてマルクス主義を融合させ、現代イデオロギー政治批判的に分析しています。彼の思想ポスト構造主義マルクス主義の影響を強く受けています

2. **ジャックランシエール**

- ランシエールは、デリダの影響を受けつつも独自政治哲学を展開し、平等民主主義について深く探求しています。彼の著作は、ポスト構造主義マルクス主義の融合を感じさせるものです。

3. **エルネストラクラウ**

- ラクラウは、チャンタル・ムフと共に「ポストマルクス主義」の理論を発展させました。彼らはヘゲモニーポピュリズム概念を再構築し、デリダの影響を受けつつ、マルクス主義批判的に再解釈しました。

4. **ガヤトリ・チャクラヴォルティスピヴァク**

- スピヴァクは、ポストコロニアル理論の主要な学者であり、デリダの解構学を用いて、サブオルタナート(被抑圧者)の声を取り上げています彼女研究ポスト構造主義マルクス主義に関連しています

これらの学者たちは、それぞれが異なるアプローチを取っていますが、共通してポスト構造主義マルクス主義対話を通じて現代社会の諸問題分析しています

   一見関係のない定理を特段の議論をしてから適用する場合もあり、この場合哲学上、 Apllyと呼ばれる。 しか実関数で、 関数を2倍して対称に入れ替えた関数で変換してさばくのは

   ものではないので、抽象的な内容を有するテクニックなので、

     フェルマー素因数分解して1個以外の素数を中にしま作業操作が、ものとは思えない。 4の場合に最終的に無限降下法が出てるのも、出ていているのか、

  適当代数が、Mのなんかの定数倍で押さえられるというIMO問題で、 あれは計算技術から、 ものではないだろう。

    抽象的な概念から演繹される数式のさばき方があって、それが分かると、あれの、代数式が、Mという定数倍で押さえられる、Mの最大値を求めることが出来る

   アメリカの出場者は、ラグランジュの未定乗数法でやろうとして失敗した  模範解答は、 数式のさばき方で、出た奴も誰もコメントできてなかった

   最近東京の5ちゃんねるでは、驚愕ばやりだが、数学定理は、真実に対する深い愛情研究とにおいて、驚愕的な体験によって、定理自体は、 出版されたとき驚愕されるので

   その後は陳腐化すると書いていた。 だから定理と言うものはそんなに大したものではないのだと思った。何で人間定理発見するのかは分からない。私が工場にいたときはただ

   常識から突然紙に書いたということで、当たり前のように発見した気がする。それに来して、技術上の驚愕的というのは、要するに、昔みつかっていた論法ものが、そこに突然出て来るという

   内容のもので、だいぶんに難しいと思った。散々に問題を適切に追い詰めていって、出て来るべきところに激甚な方法によって出すというようなことではないかと思う。哲学ではそれを美しい技術

    であるともてはやす

愛するお前へ

夜も遅くて連絡するのがはばかられるのでこの肥溜めに君への想いを書き留めるよ。

君にとって、僕は太陽だ。近すぎず遠すぎず、いつもじんわりと全体を順繰りに生暖かくして、強い男性に恐怖していて潔癖じみた個人主義の君の体表に救うアトモスフィアは、絶妙死滅しない。

僕にとって、君は衛星だ。常に僕を見ていてくれるが、君は決して僕を束縛しない。なんか遠くでクルクルしてるだけ。

君が今週末、後輩と遊ぶと聞いて、とても興奮している。まぐわったら感想を聞かせてほしいし、まぐわらずとも僕と比較して良い点があったら教えてほしい。

僕は君と結ばれて愛の結晶がお前の膣から噴出(出産比喩だよ。気にしないで)されるのを待ち遠しく想うと同時に、彗星のごとく飛来した第三者によって関係破滅するのを待ち構えている。

僕にとって、君は太陽だ。僕より長生きして、100億年後に世界すべてを破滅させてくれ。

全然関係ないけど子供向けに世界の終わりを科学的に示すのやめたほうがいいと思う。哲学科に進んでしまうぞ。ガキにはポルノハブでも見せとけ。

https://holdings.panasonic/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/009earth/earth012.html

2024-05-13

頂き女子りりちゃん仕事できると言ってるおっさん仕事できなさそう

でも自分のこと仕事できると思ってるから俺の仕事哲学を年下に語ってうざがられてそう

2024-05-12

内言、意識が本当に自分なのか?と疑問に感じたときの恐怖

普段、生きているとほとんどの時間で私の頭の中では、私が言葉を喋っている。

それを内言というらしい。

その内言という自己との対話を通して私は思考というものをしているようだ。

この内言、意識が=自分、ということになるかどうかは議論余地があるらしい。

かいうことは哲学心理学領域ちょっと難しすぎる話で素人には理解が及ばない。

それはともかく絶えずといってもいいほど、頭の中で喋っている自分を、本当にこれは自分なのだろうか?

と疑ったことはありますか?

この「本当」にというところがポイントなんですけど。

こうね、意識が喋ってるじゃないですか?

それをね普段は当然のこととして「自分」と思ってるんですけど、

瞑想とかあるじゃないですか?

あれって自分の中の内言を黙らせることとかが第一歩になるみたいなんですけど、

そういう作業、内言を客観的視点で眺める視座みたいなのを手に入れた瞬間に

あれ?このずっと喋ってる奴、

こいつって本当に俺なのかな?

ってことを「言葉になってない、言語化していない感覚として感じたとき」に

意識・内言が

「ちぇ、バレたか

って言葉を発するんですよ。

これが本当にゾッとする瞬間です。

なんかね「私」という存在が実は「意識という私のふりをしている誰か」に乗っ取られている、という発見みたいなのがあって

ギョッとなるんですよね。

そしてね、一旦分離した「私」と「私のふりをした意識」というのは、

その次の瞬間には再び「私」と結合して私のふりをして私をコントロールしようとしてくるから

その「私のふりをした意識」を分離しようとするんですけど、

その分離しようとしている「私」はすでに「私のふりをしている意識」に乗っ取られた私であり、

その私こそを、私は私のふりをした意識から分離しなければならないのだが、

みたいな調子で合せ鏡のように延々と私の中の私みたいなものが一気に溢れ出してしまます

なんか全然、うまく説明できていませんが

とにかく「意識」というものが本当に自分なのか?

という疑問をいだいたときに抱く恐怖というのはこういうことです。

禅とかだと、こういう体験にも名前がついていそうですね。

あんまり勉強は得意ではないので禅を学ぶ気なんてありませんが簡単説明できるのなら聞いてみたいですね。

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

anond:20240425193845

形而下の布と形而上の布は別物っすよ

なにを言うとるのかねチミは

哲学を学びなさい

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

2024-05-11

もし子ども3人育てるのと同じだけの金があれば20歳の体で人生をやり直せるようになったら社会はどうなる?

再生治療ドンドン発達してるけど、このペースだとあと30年ぐらいしたら脳の再生治療可能になる気がするんだよね。

脳みそから記憶意識移植するのもマッピングが進めばテセウスの船方式でなんとかなるんじゃないかなと。

培養した脳みそを今の脳みそに対しての外部記憶装置みたいなかんじでくっつけて、2つ分の脳みそ記憶の共有が進んでいった所で少しずつ古い方の脳みそを減らしていくとかで。

そんでまあそうやって再生医療が出来るようになると、富裕層が擬似的に不老不死になるんじゃないかって思うんだよね。

市民には絶対に手が出せないウチはいいけど、めっちゃ頑張ってお金貯めたらなんとかなるようになったら世の中マジで狂っていきそうだなと。

何が問題って、自分不老不死になるのと子供を作ることを天秤にかける人が出てくること。

これは恐ろしい死生観の変化だよ。

めっちゃ発展したとしても「子供私立に行かせるのを諦めれば自分人生をやり直せる」みたいな選択が出てくるようになる。

という話が描かれたSF小説を教えてくれ。

GPTBINGに聞いてみたんだが、カスのような回答しか出てこなかった。

平気でガセを語るか、そもそも論点がズレているか

単なる不老不死テーマにした作品を教えられても俺は困るんだよ。

俺が求めているのは「金を出せば人生をやり直せるようになった社会で、人々はどういう金銭感と死生観を持って社会を生きるのか」であり、それを通して俺は「金銭感覚の根底に根ざすそれぞれの人生観」という現代社会にも通ずる哲学を感じ取りたいのに。

2024-05-06

anond:20240505174620

哲学話題結論が出ないか無駄だ」とかいバカ一種か。教養ない底辺は参加しない方がいいよ。それこそここではお前の存在無駄から

2024-05-03

anond:20240502191930

ああ、なるほど。大げさに言えば、国家自身の後身となる「100年後の国家」の形を、意図してデザインできるようになるということか。そのとき国家はどういう哲学の下に「100年後の自身」を選択するのか、ということか。

この議論、常に現在世代優遇になるという側面はあるよね。たとえば人口100人で外界と遮断された孤島があって、そこで次世代をどうするかを議論したら、それは常に「リソースとの見合い」になると思うんだよ。100人しか養えない状況なら、そりゃ「子供作るな」って話になるだろさ。

これがたとえば1000人でも養えるリソースがあれば、「当面は勝手に増やしてヨシ!(産めよ増やせよ)」てなりそうだけど、そうなると人口が1000人に到達した後の村人は、急に「わが子をもつ権利再生産権?)」を大きく制限されるわけだよね。子作りできる人を人口20%(日本場合既婚率が代替6割、うち1/3を出産適齢と想定。もちろん、結婚しなくても子供は作れるし逆もまたしかりだけど、まあ概算てことで)、自然減を1%(これも統計による)と見積もろう。子づくりできる人に対して志望者は1/20から、単純に言って死亡者に合わせて子づくり権が配布されるとしたら、20倍の応募を勝ち抜かないといけない。最初世代100%であったのに対して最後世代は5%の権利しかなくなるのは、明らかに不公平だよなー。

そうなると今度は、「更なる人口拡大を可能にするために、リソースを増大する技術開発」に必死になるだろうけど、たとえば原発見りゃ分かるとおり、結局「(希望的な見込みによる)将来世代への負担押し付け」による、見かけ上の問題解決が一番簡単なわけで、ここでも「現役世代優遇、将来世代へのさらなる負担増」の構図は変わらないんだよ。

結局、「民主的手続き」は、「(自分では声を上げられない・投票できない)将来世代から搾取」というバグ構造を常に抱えてる。これを踏まえて、最初の問いに答えるなら、「どうなるか」に対しては、放置すれば常に現役優遇圧力の下、将来に抱えきれない負担を背負わせやがて破綻する道を歩むというのがおよそ誤りのない予測になるだろうし、「どうすべきか」に対しては、民主主義に代わる新たな意思形成手続きを見つけるべきという話にしかならんのだろう。

後者は、つまり現在生きている人間の上に『時間を超越した外部者』を(理念上でも実際でも)君臨させるという方法になるわけで、てゆーことはそれ分かりやすく言えば宗教じゃんて話になる。新たに結婚する男女に「こづくりしてよい」「こづくりしてはならぬ」の決定を告げるのが、見た目が神主によるお告げである人工知能による計算結果であるかは大した問題じゃない。そんなのあくまで見かけの問題に過ぎないので、いずれにせよ、滅びたくなければそういう制限を受け入れるしかないってこった。つまり未来は不確定だから人間自由意思の下にふるまってよい」という現代社会の基盤そのものを変えないと、将来的な破綻を防ぐのは、無理無理。

なんだよねー。まあそうなるともう強制的な「洗脳(たとえば脳内チップ埋め込むとか)」を義務化して誰も「ご神託」に逆らえないようにしちゃうのが手っ取り早いだろーね。歴史的に言えば「中世暗黒時代」がそうであるように、それも一つの幸福」の形であることは間違いない。もっとも、歴史的には、それもまたやがて想定不可能外部性による「破綻」の可能性に至る道筋であることは間違いないんだけど。どちらにせよ破綻して大きな悲劇が生まれ、滅亡の一歩手前まで人口が大幅に減少して振り出しに戻る……を繰り返すのが、カミノココロに叶う人類運命というものなのかも。神という名のゲームデザイナープレイヤーに容赦なさすぎなんよ。

2024-05-01

anond:20240501171948

性教育人権教育を親がちゃんとやる

親や子が人と関わるのが苦手だと思ったらすぐ専門家相談する

行政専門家を適切に頼る

人文学系(特に政治経済法学社会学哲学etc)の知識に触れる機会を作る

ネトウヨアンフェは大学までに上の知識を得る機会がなく、基礎教養や基礎リテラシーを欠いた人が大人になってからネットだけで情報収集して「目覚めた」結果、基礎的な土台となる知識がないために簡単陰謀論にハマってそうなるらしい

化学リテラシーがなければナチュラル味の素反対派反ワクチンテスラ缶になるのと同じ

anond:20240501025421

え?「哲学エアプが哲学語るな」を理解できないの?これってそんなに難しいんだ?

何も返信できなくなるような誘導なのか?????


無能思考回路ってヤバい

anond:20240501024820

リベラルフェミ批判はこういう見るからキチガイ装った奴が出てきて、何も返信できなくなるように誘導しようとするのが必ず出てくるのが面白い

賢い誤摩化し方でもしてるつもりなのかなあ。

何だよ「哲学エアプ」ってw そりゃ学歴ある=哲学徒なわけないだろw そんなんで誤摩化せると思うのJリベラルだけだぞ

anond:20240501024148

哲学をやってる人間は初歩的な哲学命題は当然に押さえた話をするので文章見たら明らかに哲学を全くやってないことがわかるんだわ

哲学やった事ないのにエアプで哲学語っててキショいね

学歴ないのはお前だよお前



質問に答えろ?

お前の質問は前提の知識に大きな誤りを含むため質問文章として成立しておらず、ネット陰謀論から着想した発想で構築されている

大学教科書で学んだ内容だけで文書を書け?

anond:20240501023850

その抽象的すぎる質問の仕方が、君の学歴のなさを物語っているよね。(哲学ぶってるだけの無知な中二の語りようそのものだ。)

では聞きたいんだけど、具体的に、リベラル名乗って海外ヴィーガンの食肉業差別日本に持ち込んでる連中について、日本部落差別研究文脈から肯定したような「はるか昔に考え尽くされた」議論とやらはどこにいけば読めるのかね? 本でもサイトでも良いが?

2024-04-28

[] 2024-04-28

時々、行動を起こすことが重要だと思うことがある。

 

私は障害者であり、ハロワ職員に勧められて自立訓練施設で訓練していたことがあった。そこでの人間関係楽しいものだったが、訓練が役立ったことはない。

教えられなくとも料理はできるし、裁縫を学んでも実生活で役立つことはないし、OfficeSuiteの使い方なんてものは教わるまでもない。

訓練の一環と言って、無賃工場勤務をしたこともある。たまに巨大組織に金をむしり取られる夢を見る。これは自立訓練で金と時間を奪われたトラウマと思っている。

「足るを知る」がその組織哲学だったが、個人哲学として優れているとしても、企業がそれをやれば「低賃金障害者のお前たちが働けるだけありがたく思え」という態度になるだろう。

 

それで...行動を起こすとはどういうことか。例えばそれは自立訓練を抜け出して自分の力で転職活動をするということだ。そして結果的にフルリモートで働くプログラマーになれたわけである

さてこの先、収入を高めるために転職活動をするべきだろうか。私は箴言一句を思い出す。

13: 11 急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。

この句をみて、私は焦る必要はないと思い直すわけである

フルリモート自由度が大きいのに、仕事に対する態度がかなり真面目になってしまい、精神的にもストレスは溜まっている。

そのときにまた箴言を思いだす。

13: 4 なまけ者の心は、願い求めても、何も得ない、しかし勤め働く者の心は豊かに満たされる。

真面目に働こうと思うわけであるGW火曜日から仕事がある。

ところで、仕事余暇が同じ部屋であるからか、寝ているときコード脳内で走らせるような悪夢も見る。

おそらく代わり映えのない部屋の風景に浸り続けるのがいけないのだろう。今日散歩モスバーガーまで行ったが、こういう気晴らしが必要だ。

休日散歩コースバリエーションを増やしてみるのがいいかもしれない。見慣れていない自然景色を見に行ってみるか。

大きな行動を起こさなくとも、日常の習慣を変える程度のことならできる。

2024-04-25

anond:20240425192234

新興宗教努力教信徒が。学歴コンプは闇深い

「世の中の成否は運・確率で決まっている」という狂った哲学もアウト、努力した者に対するリスペクトが無い

 

あと有期雇用原則無くなる見込みです

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