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2023-12-14

服のダサさの壁

壁その1.自分センスを疑えるか

ダサさというのは自分センス相手世間)のセンスの差で起こる

自分の思い通りの服を着れる場合

自分センス世間センスが一致している場合

この条件下ではダサさは生じない

 

ダサいというのは思い通りの服を着れないか、思い通りに着たのに世間からダサい認定された時に生じる

前者は一旦置いておいて、ダサいやつがハマるのは大抵後者

このとき、「自分では良いと思っているのに世間ではダサいと思われている」ことに気づき、それを認めなきゃならない

これにはコミュ力空気を読む力が要るので、陰キャはこの壁が苦手である

あと謙虚さがない人もこの壁が苦手、周りにイエスマンが固まってるとか

 

壁その1の内側に居る状態を「無垢幸せ者」と呼ぼう

できれば中学生でここは卒業しておきたい

(私は大学生だった、中学生はそれ以前「お母さんセレクト」だった、お母さんセレクトセンスが前時代でありダサさの象徴である

 

壁その2.市場調査の壁、個人差の壁

自分はどうやらダサいらしいと気づいてから地獄が始まる

ここで自他のセンスの差をすぐ理解できる人は良い

あるいはマネキン買いとか、ファッション雑誌パクリのような、何かしら解決策を見つけられた人も良い

それ以外のセンスのない人は苦しむことになる

 

ファッションは非常に難しい、言語化されていないし、個人差もあるし、時代によっても違う、足し算すればいいわけでもない

おまけにほとんどの人はスタイルが良いとか美形であるというポテンシャルもないか有名人の真似をしてもダサいままだ

(服がなんでも合いやすい人、服がなんでも合いにくい人がいる。後者地獄だ)

これはダイエット情報美容情報にも似てる

調べるのがとても難しい

 

とにかく勉強し、色んな人の意見を聞いて試行錯誤していくしかない

この時調べるべきは一般的知識もそうだけど、自分にそれがあってるかどうかも調べなければならないから難しい

まりセンスの良い友達家族と服の話をするとか、複数店員にひたすら聞いて深掘りして聞いていく必要がある

(私はぼっちだったので後者選択した、店員は嘘もつから複数店員意見総合する必要がある)

 

別解

壁1,2をすっ飛ばしてなかったことにする人らが居る

自分スタイルを崩さず、オリジナリティを突っ走り、かつスタイルが良く美形な人、あるいはキャラクターである

こういう人は無垢幸せ者の状態にも関わらず全てを解決する

なんならフォローされ真似されたりもする

彼らは天然であり天才である

服に悩んでる人は究極彼らに成りたいのだが、成れないため悩む

ただ、戦略的に天然を装ってる人もいる

これは物差しで測れない領域に行くと人のセンスセンサーバグるので、それを狙ってる人だ

毎日同じ服を着るのもこれに該当すると思う

「◯◯さんはそれでいいと思う、むしろそれでいてほしい」と言われたら勝ちだ

養殖と呼ぼう

 

壁その3 オリジナリティの壁

市場調査をし、自分にとってそれなりに最適解である服を選べるようになったとする

ここまで到れる人は6割は居ると思う(苦手な人にはこの割合が信じられない)

当然都会の方が多い、都内大学生あたりは若いうちにここまで来ている

田舎者は人から見られる機会が少ないので一歩二歩出遅れ

 

ただ、ここまで来れた者たちはほとんど同じ格好になる

無難選択」というやつだ

すると残酷なことに、いつしかダサい認定されていることに気づいてしまうんだ

真似する人・空気読む人という姿勢がまずダサいとまで言われてしま

キョロ充とか呼ばれることがあるが、天然との対極にいる存在だ)

 

ここから無難からの脱却」をする必要が出てくるが、下手にやると壁2に逆戻りする

この先は本当にセンスが要る

 

壁その4 結局相手次第の壁

無難から脱却した人たちというのは、ある程度センスが有る人たちばかりだ

そこには個性があり、界隈の色があり、ポリシーや好みがある

センスよく見られたい」などという邪なモチベーションで来た者には出せないものをもっている

センスない者は結局その「どれをパクるか」を選択しなきゃならないわけだが

そのファッションというのは結局その人やその人の属するコミュニティTOPにとっての正解であって

その条件を間違い、安易パクると途端にダサいゾーンに入ってしま

「どうしたのその服(笑)」となってしまうわけだ

 

センスを一回パクってみるとわかるが、見る人次第で「いいね」という人と「ないね」という人が出てきてしま

ある場面ではおしゃれな人達からおしゃれ認定されるし、他の場面では直接ではなくとも間接的に「アレはないよね」と言われてしま

当然人によって良いと思うものは違うので当たり前なのだ

人の顔色ばかり伺って最適解を探そうとしてきた人はここで壊れる

 

結局自己満足で服を着ていたセンスある人が正しいんだと気づいて、じゃあ今までの苦労はなんだったんだと思い、でも自分自己満足で着ると酷いことになるんだよなー、などとぐるぐるし始める

 

この壁を突破して、「無難自分ポリシーTPO」という自分なりに答えを出せる人はそう多くないと思う

究極言えば服は「どう見られたいか」「どうありたいか」という哲学的な話になってくる

 

3〜4の間 最適無難ゾーン

多くの「外出するタイプ東京人」あたりがやっているのは

「界隈の無難」を使い分ける手だと思う

界隈のユニフォームみたいなのあるだろ?あれをその場に応じて使い分ける

化粧もそれに応じて使い分ける、キャラクターも使い分ける

ここらへんが凡人の限界であり、ここでいいんだと思う

特に日本人は目立たないことを優先するから

これを「擬態」と呼んでいる

(私はここの割り切りがどうしてもできず、ちょっとオリジナリティを出そうとして浮いて羞恥するザコである羞恥するのはポリシーがないからだ)

 

別解:着れりゃなんでもいいよ

完全に諦めたらここになる

田舎おっさんの7割が至る境地がここである

ある意味ここは一番楽な領域である

息子のお古のジャージだって着れる

最強である

解脱者」と呼ぼう

 

おまけ:センスあるものの苦しみ

ダサさとはある意味古臭さ、飽きであり、情弱検出装置である

まりセンスが有り感度が高い人ほど服がどんどん着れなくなる

ひどいと「新しい服を3回着たらもう着れない」みたいな人もいる

女子に多い、友達にいるがバカジャネーノと思いつつちょっと可哀想でもある

 

おまけ:「相手」が無垢幸せ者だった場合

無垢幸せ者がカッコいいと言う服、それはつまりダサいである

その人に好かれる最高の服はダサい服であり、無難な服ではない、そこが面白いと思う

そういう人だとか、天然に向けたブランド服というのも結構ある

 

おまけ:最低限のルールは調べれば出てくる

足しすぎないとか、色を合わせるとか、Aラインだの、骨格だの

それらは一見虎の巻に見えるが、これを覚えても実践との差がある

それに、これらを超越してるセンスの人たちも当然いる(例えば大阪のおばちゃんとか)

厄介なことに、これらを超越してるセンスの人の中にもセンスが良い人がいる

 

おまけ:ファッション凝るよりまずは体型

これまじ

良いスタイルシンプルは最適解の一つである

ただし体型をよくするとそれをアピールしたくなる病気にかかるから注意でもある

筋トレしてみるとわかる、私はダイエット成功した時細くてピッチリした服を求めてしまった)

 

おまけ:母の「ダサい発言

散々頑張った結果、母から出てくる感想は「ダサいである

次に出てくるのは「こうしたほうが良いよ」である

心を強く持たなきゃならない

極稀に「母がセンス良い」という家庭があるがただのラッキーな者なので妬んでやろう

 

おまけ:流行レイヤー、父母をダサい認定してしま弊害

多くの若者は父母世代センス否定することから入る

しかし父母世代センスの中にも光るものが必ず有り、それはやがて復刻する

復刻した時、ダサい認定していた世代は着れないが、その下の世代は着るので、そうやって流行レイヤーができる

しろ子供世代が「父母世代センス否定呪い」にかかってるからこそ、更にその下の孫世代安心してそれが着れるわけだ

父母世代センス否定呪いを克服できる人はかなり稀だ

それは下の世代のウケはいいけど、同年代からのウケが最悪になるから

 

参考:https://anond.hatelabo.jp/20231212220116

2023-12-08

anond:20231208004424

哲学的な考えれば考えるほど深い問題だと思うのだが……

小学生には手が負えない、全人類が本気出して考えてみるべき問題じゃないか

人類は本当に労働を賛美しつづけるべきなのかどうか

2023-12-03

哲学って意味あるのか?

先日とある話し合いの場のような所に参加してきた。

そこは哲学的議論しようというスタンスの集まりで、ある話題について色々と話したんだ。

どんなことを話し合ったのかは身バレしてしまうので詳しくは書けないんだけど、それでも話を聞いていて一つ思ったことがある。

x + 1 =

xは変数で、どのような数も入れることが出来る。このとき正確な答えを導き出すことは可能か?

当然、無理だ。

そして哲学というのもこれと同じではないか

話を聞いていて、ふとそう思ったのだ。

そもそも答えのないもの哲学的と呼ぶようだし、人によって価値観は違うのだからxの数値は常にバラバラになってしまう。

それなら答えが出ないのも当然で、答えのない答えを求めたところで意味はあるんだろうか?

2023-11-30

人類は明らかに低能化している

21世紀にもなって世紀めくりの話題が忘れられてるのってやっぱ人類低能化って本当なんだな。

世紀めくりと性器関係性について論じた論文がどこかにあったが、俺自身低能化しているので見つからない。

性器をめくるというのはどういうことなのだろうか、この哲学的質問については、ウィトゲンシュタインの以下の名言が思い浮かぶ

語るのではなく示せ。-- ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

性器をめくって示さない限り、性器めくりについて語るのは無意味ということか。

しかし、いくらウィトゲンシュタインと言えども、そのようなプラグマティズムに陶酔するとは、笑止千万である

男というものは、実際に示さなくとも、妄想の中で現実と同じリアリティを感じるものである

そのリアリティのことを、専門用語で、パミュフリーという。パミュがどこから来ているのか、フリーとは何がフリーなのかは定かではないが、とにかくそういうことだ。

俺が言いたいのは、ざっくりいうとそういうことだ。理解していただけたと思う。

anond:20231130111833

イギリス登山家ジョージマロリー

「なぜ、山に登るのか。」

と問われて

「そこに、山があるからだ」と言ったそうだ。

この言葉哲学的意味で捉えれば、

「山は、人生に似ている。

目先の小さな目的に捉われず、その山の頂上を目指し、ただ一生懸命のぼればいい。

それが、充実した人生を過ごす秘訣なのだ

ということになる。

2023-11-23

弁護士って暇な仕事多そう

地域に根づいた街の法律事務所民事担当とかだと登記とか手続きとか離婚相談とか近隣トラブルかばっかりでしょ、そういう仕事って暇というかやりがいなさそう。

憲法学とか刑訴法かじったけどああい人権とは何かとか平等とは何かとか哲学的なことも真剣に学んで結局やる仕事手続きと人の愚痴相談って、なんだか割に合わなそうだよな。

2023-11-08

抜粋

スー 「暮らし」をやってみたらなかなか良いものだった?

宇多田 良いものというか、自分に自信を持つためには絶対必要なことでした。得意なことばかりやっていると成長しないと思って“人間活動”に入ったんですけど、ほかの人たちが当たり前にやっている社会の基盤のような暮らしや、世界がどういう仕組みで動いているのかがわからない。何がわからないのかがわからなくて不安でした。歌詞抽象的なこと、哲学的なことばかりになったり、周りが見えてない人っぽい内容になりそうなのも怖かった。

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode

2023-10-28

今のインターネット面白いと言う奴はつまらない

インターネットがつまらなくなった、と言う人がちらほらいることに気がついている人もいるかもしれない。皮肉を言いたがる鬱陶しい人は、すぐに「それはお前がつまらなくなったからだ」と言うが、それは物事のほんの一つの側面でしかない。

長文を読むことが苦手な人のために、結論から述べようと思う。インターネットがつまらないのは、人々がタイパと刺激を求めた結果である。限りある人生有効に使いたい。ここまではよかったはずだ。だが世の中を見渡せば、「簡単理解できるコンテンツ」「刺激的なコンテンツ」「感情を煽るコンテンツ」で溢れている。マスターベーションを覚えた猿が繰り返すように、インターネットから刺激性を学習した猿は狂ったようにスクロールする。

私がソフトウェアブログを書いていた時、あることに気がついた。難解でユニークアルゴリズムを公開するよりも、「○○のインストール方法」といった初心者コンテンツのほうがアクセスが多いのである。何かをインストールする方法など、ドキュメントを見れば一発でわかるのに、ブログアクセスしてくる。いや、検索エンジンドキュメントではなく私のブログTop誘導するのがそもそもおかしいだろう。悲しいことに、ドキュメントちゃんと読める人が少数派であり、平易な言葉で書かれたブログの方を好む人が多いということだ。

個人的価値観を述べれば、インターネットに私が求めるのは「深遠」であるゲーム理論確率微分方程式を組み合わせたらどうなるのかとか、プラグマティズムソフトウェア工学に適用するAndy Huntの最新の哲学的考察を知りたいとか、そういうことだ。

深淵理解には時間がかかる。タイパと刺激の発想とは逆だ。一見退屈に見える無刺激な長文を、ゆっくりと地道に隅々まで理解しなければならない。深淵は真面目でストイックで、人生を共に歩むように接する。コンテンツを書いた人間個人として尊重し、友達と語り合うような気分で読み解くのである

コンテンツは見て射精して賢者タイム。それで終わり」というのが現代人がやっていることだ。インターネットは元々学術的な(つまり深淵的な)情報交換のために作られたが、今では娯楽(つまりオナニー)が大半を占めている。そういう消費者に合わせて作られたものは、簡単理解できて、極端で、やたらに感情煽りたがる。コンテンツだけではなく、検索エンジンや推薦システムなどありとあらゆるものが、刺激性の猿回しになっている。

逆説的だが、今のインターネット面白いと思っている人間がつまらないのである。猿がオナニーして、それが楽しいというのなら文化的ではないだろう。インターネットがつまらなくなったという人は、意識的努力しなければ深淵にたどり着くことが難しくなったことを嘆いているかもしれない。私が高校生の時は、「ハッカーになる方法」と調べたとき、Eric S. Raymondの深淵文章トップに出てきたのだ。現代では、なぜかコンピュータセキュリティについてトップに出てきて、まさに中二病患者が求めるものをそのまま出してきていると言える。

といっても、いきなりarxivを読むのも、またそれはそれで時間がかかりすぎてしまうこともある。具体的数式ではなく、個人の持つ哲学を知りたいと思うこともあるかもしれない。哲学にも概ね2種類あり、本質を平易に説明するものと、無意味ものを難解に説明するものだ。後者ポストモダニズム的で忌み嫌われる。

ポストモダニズムに陥ることなく、本質深淵にたどり着くためにはどうすればよいのか。検索エンジンだけでは、そのコンテンツが深遠なのか浅知恵なのか区別する能力に欠けている。おそらく、我々が本当に必要としているのは「ブックマーク」であり、場当たり的な検索ではないのかもしれない。本質的な深淵を語る人をブックマークし、その人の哲学を友人のように尊重したいのだ。大量の刺激的情報を消費してオナニーするよりは、少数の人の長文に触れたほうが充実するに違いない。

2023-10-26

anond:20231026001954

勉強しろ」という表現一般的に、大学生学生に向けられるアドバイス要求ですが、具体的な行為意味文脈によって異なることがあります。以下は、この表現が指す可能性のある行為意味の一部です。

  1. 学習: 「勉強しろ」という言葉は、学業真剣に取り組むことを指すことが多いです。これは授業の資料教科書を読む、レポートを書く、宿題を提出する、試験の準備をするなど、学業に関連する活動を行うことを意味します。
  2. 自己啓発: 勉強に限らず、新しいスキル知識習得し、自分自身を向上させることも含まれることがあります。これは、趣味学習、新しい言語プログラミングスキル習得趣味や専門分野に関する深化などを指すことがあります
  3. 研究: 大学生研究プロジェクトに取り組む場合データ収集、文献調査実験設計など、研究活動積極的に行うことも含まれます
  4. 考える: 「勉強しろ」という言葉は、単なる情報受動的な取得だけでなく、自分の考えを深めることも含まれることがあります哲学的問題の探求や批判的思考の訓練も含まれるかもしれません。
  5. 目標設定: 勉強すると同時に、将来のキャリア目標人生目標を設定し、それに向けて努力することも含まれることがあります

総じて、「勉強しろ」は学業知識の獲得に向けた積極的な取り組みを促す言葉です。ただし、学習スタイル目標個人によって異なるため、具体的な行動計画個人の状況に合わせて考えるべきです。

2023-10-21

anond:20231021120105

いや友達いませんけど?

ここ増田ですよ。逆張り大好きマンのすくつ(何故か変換できない)ですよお。

友達はいないが通院先の精神科主治医相手に一時期そういう哲学的な話をしてたな。

その人は文系じゃなくてゴリゴリ理系だったかあん有益な話はできなかったけど。

答えのない問いにのんびり付き合ってくれるほど相手は暇じゃないし。

UCSFに留学して出世するような頭の良い人だから洞察力と物事への理解力が高くてそこだけは勉強になったかな。

そんなわけで元増田は金で解決したいなら、臨床心理士(この時点で修士号以上確定)かつ公認心理師を持ってるSSランク大学院卒のカウンセラーを見つけて、そいつ相手課金カウンセリング料金を自費で支払い)して哲学的な話をすればええと思います

いくらでも話を傾聴してくれるし、文系高学歴層なら有益な返答もやり取りも期待できる可能性大では。

2023-10-18

anond:20231018140654

ま、ボブディランが選ばれうる賞な時点でお察し。歌手兼業でやってたような程度の文章ならヘンリーダガーじゃないがそういう感じのやつでまだ世に埋もれてる人間小説でもそっちの方が論理的に優れてるとも評価可能作品普通にあると思う。

評価可能と言ったのがキモで、どっちが絶対的に優れてるかなんて結論づけることは哲学的意味原理不可能だろう(たとえばみにくいアヒルの子の定理当たりが関係してそう)で、なら有名な方が圧倒的に有利だし他の作品より(論理的には当然真逆評価可能だが)いい作品評価する方の推論に脳の態度が傾きやすい(アンカリングかな?)ってだけ。

chatGPTに課金すると、これ以上の回答を期待できる?

俺の問い

人格神信仰する論者の「神の思惑は人間には測れない。人間から見て間違えていると思える事も、それは人間能力限界から来ているものである」という詭弁を崩す有効反論を教えて下さい。

GPT返答

人格神信仰する論者の主張に反論するために、以下のポイント考慮に入れることができます。ただし、これは議論の一部として提示される可能性がある反論であり、信仰に関する議論個人の信念や哲学的視点に基づいており、感情的な側面を含むことに留意必要です。

1.
神の意図矛盾: 人格神信仰する論者の主張に対抗する際、神の意図矛盾する場合、それが人間限界によるものであると主張することがありますしかし、矛盾や不合理性が神の意図からくるのであれば、その信仰論理的にも宗教的にも問題があるかもしれません。一貫性論理的説明が欠如している場合信仰妥当性に疑問を投げかけることができます。

2.
問題や苦悩の存在: 信者が「神の思惑は人間には測れない」と主張する一方で、世界には問題や苦悩が存在している場合、この点について問題提起できます。なぜ神の思惑が人間には理解できないのに、神の存在を信じる上での困難や苦悩が存在するのか、という疑問を投げかけることができます。

3.
神の属性矛盾: 人格神信仰する論者は、神を普遍的に愛と賢明さを持つ存在として描くことがありますしかし、世界には苦しみや不条理存在し、これが神の賢明さや愛に矛盾する場合、この矛盾について議論できます。なぜ賢明で愛に満ちた神が、苦しみや不条理を許容するのか、という問いが提起されることがあります。

これらの反論は、信仰と神に関する哲学的議論の一部であり、異なる信念や哲学的立場に基づく反論存在します。一般的には、信仰宗教についての議論感情的で複雑であり、相手立場尊重することが大切です。

他にも色々と別の聞き方をしてみたけど無料版だとこの程度の回答が限界っぽい。

正直まったく反論として成立してない。これらの反論には「なぜなら神の思惑は我々人間レベルの知能では全く理解できないからだ」で終わってしまう。

有料版のGPT4vとかだともっと鋭い回答を期待できる?それとも、これが現時点での人間も含めた知能の限界

2023-10-16

anond:20231015151001

明治から昭和初期にかけての文学では、科学もっと神秘的で哲学的ものとして描かれていたと思う。宮沢賢治とか。

戦後復興を経て日本人が巨大ロボットに憧れるようになったのは、やっぱり巨大な工場と巨大な機械日本の発展を支えてきたのが大きいんじゃないだろうか。

現代人は科学というものを再び教養として捉え直しているというか、科学スキルとして見ている気がする。ラノベとかなろう系とかの「魔法」と呼ばれるものが、どんどん小難しくSF的になっている。扱うもの機械であれ魔法であれ、「理屈理解して、自ら分解して組み立てられる」というスキルに対する憧れがあるんじゃないだろうか。

2023-10-08

anond:20231008014932

日産のようなブランドドライバーの「宗教的または哲学的信念、性的指向、および性的活動」などのデータ収集していると伝えられている。

2023-09-26

anond:20230926132144

ワイ:

人の躰はテセウスの船と言えるでしょうか。


ChatGPT:

テセウスの船」は、哲学的問題議論において使われる概念です。これは、ある物が時間の経過とともに部品が交換される場合、それは本当に同じものであるのかという問いかけを扱います


テセウスの船物語は、ギリシャ神話に由来しており、テセウスアテネからクレタ島への航海中に乗っていた船を例にしています。この船は長い間の航海の間に何度も修理や部品の交換が行われ、最終的にはすべての部品が新しくなりました。したがって、テセウスの船は完全に新しい船になったという問いかけが生じます。それでも、それはまだテセウスの船と呼べるのでしょうか?


人の体やアイデンティティに関して、同様の議論存在します。たとえば、細胞の入れ替わりや細胞寿命に関連する生物学プロセスにより、私たちの体は時間とともに変化します。また、精神的な成長や経験私たちアイデンティティに影響を与えます。したがって、人の体やアイデンティティが一貫して不変であるのか、それとも変化するものであるかについての議論存在します。


この問題哲学的な興味深い問題であり、異なる哲学者や学派からさまざまな意見提唱されています。一部の哲学者アイデンティティ連続性を強調し、他の人は変化を重視しています。従って、人の躰がテセウスの船のようなものであるかどうかは、哲学的視点によって異なる結論が導かれる可能性があります

2023-09-01

昔の日記出てきた

なんかがんばって生きてたなーって思ったしとにかく疲れてるなー

2017 5月16日(火)

中学同級生の出てくる夢を見た

そうか中学は楽しかったのか

しかったのかもしれない

その夢に引きずられ高校ときの「〇〇さんに聞いてるんだけど」などを思い出す。学祭終わりに、体育館でチームみんなで打ち上げのようなことをしていて、お菓子いる?と聞かれてわたしが受け答えしたところ言われたこと。もしみかが受け答えしたときには「増田さんは?いる?」と付け足されただろうか。うめなんとかくん、〇〇のこと好ましく思ってただろう(恋愛とかでなくとも)。こういった記憶ばかり残っていて、わたしは不遇だ、選ばれない人間だと思っているが、逆にわたしが選ばれ他のひとが除け者にされたときのことは、わたしは覚えていないんだろう。勝手人間だ。人間とはかくあるもの?除け者にしたではないかと責められたくないのであれば、除け者にされたことを責めるべきではないよ。でもつらーーい

〇×△□(俳優)、たいへんかわいい。ムリだ。ガチ恋かよというレベルだ。なにかにハマるのはたのしい。

つらい。ひとを心の底から好きになれるときなんて来るのか?と思春期のようなことを思う。ひとをしんらいすることが難しい。下手をうつとそのうち刺されるんだろうと思ってしまう。刺されるならそれはそれでいいのかも。

別れたときのこと。人生が楽しくないというはなし、自分自分である限りこの人生はたのしめない、だから人生巻き戻りボタンなんて押さない、というようなことを言ったら「中学とか高校ときの俺もそう思ってた」。だからなんだよ。だからなんなんだよ。思春期のクソガキみたいなことを言っているのはわかってるよ。我ながらバカみたいなことに苦しんでると思ってるよ。でも昔の俺もそうだったっていうお得意のフレーズでぶった切られたらどうしたらいいの。そんな人間をこの先の人生パートナーにするの?無理でしょう。昔の俺もそうだったならこうこうこうしたら楽になったとかこういう考えかたがあるとか、欠片も示せないわけ?真剣自分を開示したってまだまだ子供だな☆みたいな返答されたらもうなにも言いたくないじゃん。ほかのときだってわたしがそれはこうなんじゃないかな?と言ったら「俺もそう思うんだ」としか言わないの腹立ってたよ。そこからわたしの考えに付け足すなにかが出てくるならいいけど出てこないじゃん。「俺もそう思うんだ」「そっかあ」「…」「…」「…」ってお前ほんとうに思ってた?乗っただけじゃないの??ふざけんなよ。「増田哲学的な話きくの好きだったんだけどな」じゃねえよ。ひとの知識をただで消費してんじゃねえよ。「妊娠させたら結婚する?」とかもヤバイから。性暴力しますぼくちん~っていう犯罪宣言なのわかってる?狂気的な俺かっこいい☆とか自分に酔ってない?気持ち悪い。最後に「俺…増田バイバイって言ったことないんだ…」宣言からわたしが遠ざかってギリギリ聞こえる声量での「――バイバイ…………」ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとうに気持ち悪かった。ヤバい自分に酔いすぎ。自分のこと好きすぎ。オナニーわたし使うのやめてくんない?ナルシシズムに溺れて二度と浮き上がってくるな。

2017 6月9日(金)

言葉は力だということは強く思ってるけど言葉は力だと思っているひと同士でないと通じない力なのではとも思う

特にプラスの方に作用する言葉は余計に

プラスというか、何て言うんだろう

言葉で傷をつける、言葉で元気づける、というのは割りとわかりやすく広く通じやす観念の気がするけど、言葉によって目の前が開けるような、価値観が変わるようなことって、言葉には力がある!とかいうやつらにしか通じないのでは?と

わたしも○○ちょう感動した!人生変わる!とか言われてもなーにいってんだこいつってなるジャンル作品はたくさんあるので、向こうからすればきっとそうなんだな

こういうことを考えていると、自分は大変幼稚で、付き合っている人間に「中学とか高校ときの俺もそう思ってた」とか言われても仕方ないのかなと思ったりもする

まだ傷ついています

軽く人格否定じゃないですか?ちがうかーー

つらいわーー

2017 6月30日(金)

なんか、すごく疲れている。自律神経がうまいこといっていないのかな。

ふつふつと色々なことを思い出しては、怒り傷つき悲しみみたいな、マイナス感情自分引き起こしている気がする。思い出さなきゃいいのにね。

△△と会ったときのこと。今月17日。付き合いたいという好きがわからない話をしたかったのにイタイやつみたいに見られた。わたしの言い方が悪かったんだけどもう全然がんばれない。誤解したままどうぞ。そもそもいつもイタイやつとか変なやつという目で見られているし。職場若い子のノリについていけなくて~とかもう年だから~とかずっと言っているので疲れてしまった。この国に蔓延するすぐババアになりたがる病ってなんなんだろう。疲れる。どれだけババアを名乗ったって平均寿命まで生きるのならあと半世紀生き続ける羽目になるんだよ。すぐには死ねないよ。半世紀もババアやるの疲れないのかな。

2017 7月30日(日)

疲れた

わたし意思とはなんなのだろうか。××氏は、わたしには意思があると知っていただろうか。たわむれの性的接触だとしても、いちゃいちゃみたいな、そういうつもりだとしても、拒否拒否として受け取ってもらえないこと、そこに不満を持つのおかしいのだろうか。ヒステリックに叫んでようやくやめてもらえること、それはおかしくないのだろうか。人形のようにおいておきたい、胸だけほしい飾っておきたい、そんな言葉誰が喜ぶの。わたし人間ではないのだろうか。そういわれるのいやだわたしだって生きてるんだよ意思があるんだよと言ったらそんなつもりじゃないってぐずる。きもい。しにたい。ころしたい。はやくしんでほしい。みんなしんでほしい。もういやだ。なんでつらいものから距離をおくことを許してもらえないんだ。余裕があればがんばれても余裕がなかったらむりだ。しにたい。

2023-08-24

プーチン派ってのが日本にもいるみたいなんだが、右翼なのか左翼なのか

2023-08-18

anond:20230818161218

でも哲学的物事とか人の言葉の使い方とか考えてると境界性やばくなってくるのが常なんちゃう

2023-07-21

anond:20230721142115

話運びが上手いやつとか哲学的なやつとか。

幽白とか寄生獣とか掃除の敵すぎない?

あと結界師とかxxxHoLicとかは価値観の話してるシーンとかふと思い出して再読したくなったりする。

2023-07-17

君たちはどう作るか

宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。

ネタバレありだからね。

正直、観る前に想像してたより悪くなかった。

テンポも悪くないし、人間関係に緊張感もある。

作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。

火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。

田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。

もちろん、本物はせいぜい田舎豪農レベルなのだろう。

心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである

敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。

なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているかである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。

初対面から一目ぼれレベル主人公は慕っていたのだろう。

でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、

まあ、なんだ、ここから批判が多くなる。

まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。

これは褒めてない。

宮崎駿もののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。

1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。

まり寓話的で哲学的記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。

ハウルとか千と千尋とかでも顕著だったけど。

これの何が悪いって、妄想が爆発してないのである

ムスカラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。

あいう爆発するほど格好いいシーンに意味なんてないのだ。

「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」

という作り手の妄想の大爆発なのだ

妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。

その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。

本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作快感である

ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。

なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。

庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。

そこにはTVエヴァのような溜めに溜めた便秘解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコしかない。

一方、宮崎駿はそれを哲学記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界から、やたらとデジャヴがある。

もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。

でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在説明されてフェードアウトする。

エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズ世界になっても良かったのだ。

そこから進めて、「現代日本主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。

ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である

ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿マイブームである

そういう「意味」だけで構成されたパートからストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである

一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。

人力車描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。

多分、キャノピー実在ナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。

っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。

というのも、この父親ある意味主人公と後妻という二人の問題元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまタイプ

というジブリ作品ちょっと見ないタイプキャラからだ。

こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)

そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである

経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場意図せずに作り上げた鬱屈爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。

主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。

しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作快感を感じたのではないかと思う。

なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、

この父親勝手にやらかすし勝手決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、

前半には明らかに狂言回しだったこキャラけが、後半に「キャラ勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である

そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である

まあ、悪くなかったよ。

でもね、道徳副読本を作りたいんでもなければ、作品作る時はもっと一点の妄想・一点の美意識に全賭けしましょうや監督

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