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2024-05-23

anond:20240523121637

人参大根品種改良されてない時代はヒョロヒョロだったぞ(現代にもヒョロい品種はある)

なので根っこを食用とすることになんの疑問も持たなかったのでは

しろ葉っぱの方が虫だらけで食うものではない認識

2024-05-17

anond:20240517193933

観光農園もアリやけど、あれも人手がかかるんで辛いやで。

果樹農家場合はできるだけ新しい品種積極的に入れて、改植を躊躇わずどんどんやるってことやな

ミカンなら、古い木を後生大事にやるんじゃなく、矮化台木を使って樹高を低くして管理簡単に、甘くて美味しくて作りやすくて高く売れる品種をどんどん導入するんや。

昔は自分土地だけに拘ってやる必要があったが、今は農地レンタルし放題や。土地を借りて改植し、そっちが育って収入が上がったら元の土地を改植し、って贅沢に土地を使えるサイクルができるようになっとるんや。

現役の農家にとって、農業人口の減少はメリットもおおいやで。

anond:20240517192938

念のためマジレスしとくと、果樹農家をやりたいなら引退してから準備するんじゃキツよ。

引退する前に兼業農家若木を育てて、収穫量が上がってきたタイミング退職して本業になれ。

ちょうど良くどっかの農家の居抜きを拾えればいいけど、それはそれで最新の付加価値の高い品種ではないとか問題がある。

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-05-09

合法国で大麻吸ってみた感想

まとめるとこんな感じだった。

①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。

②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初サイン

③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感有機的につながって、ひとつ体験として感じられる。

④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン個人的体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。

上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全環境合法的環境であることが望ましい点も含まれる)

だんだん普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界彼岸からこちらの世界此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。

個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。

詳しくレポートしていく。

まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。

もちろん、日本では違法から吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。

さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種マリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。

マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくま文化慣習的な目安だという。

ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。

ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた

さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。

キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。

まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議感覚が襲ってくる。

あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……

気がついたときには、もうすでにストーン状態だった。

あぁ、そうだ。マリファナマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから

あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか

身体椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。

1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。

上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。

思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。

自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。

もう一つ、夜に眠る前に吸ったときの話をしよう。

その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。

それはさておき、ぶくぶくぶく。

もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇き身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。

吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。

人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感コントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。

本当に深いリラクゼーション体験だ。

布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動空気を伝う。自然振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。

風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない家族、友だち、社会人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。

内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。

もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。

あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃいからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。

いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。

2024-05-08

anond:20240507234221

無洗米はまずい」は時代錯誤! いまの無洗米は美味いしエコだし栄養たっぷり

https://magazine.cainz.com/article/119100

──無洗米を炊いたときに「パサパサしている」という声も聞きます。その原因は?

小島:おそらく水の量が足りないのが主な原因だと思います。というのも、無洗米は肌ヌカを取っている分だけ、1カップ(計量カップ)に入る米の量が多くなります。全体の米の正味量が増えるので、通常の精米の時よりも1カップにつき小さじ1杯(5ml)程度多く水を入れてください。品種や硬さの好みにもよるので、微調整は必要です。炊飯器無洗米モードを使うことで、さらにおいしく食べられますよ。

炊き方で変わるという話

2024-05-06

anond:20240506225329

赤い花と言えばアマリリスじゃないの

https://www.fp-k.org/hanazukan/3471/

日本への渡来江戸時代天保年間に原種が入り、交配種昭和初期より品種名のない丸弁系や剣弁系として輸入され、日本でも改良が行われました。

原種は毒々しかったわ

https://ameblo.jp/1898/entry-12331777330.html

これが本当に江戸時代に入った原種かどうかはまでは知らないアマリリスって属名みたいだから違うかもしれん適当にググっただけ眠い

anond:20240506102746

品種や産地をざっくり示してるだけ

牛肉で言えば国産バラ、とかアメリカ産サーロイン、とかそのレベル

それで何がわかるかは想像にまかせるが

どのレベルで同じなのか違うかの感覚も人によるので

2024-04-15

じいちゃんばあちゃん若返る 第一話に寄せて

どうもこんにちは

面倒くさいアニメファンです。

じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。

なお、アニメしか見てない。

漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。

ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく

りんごの木について

りんごの木の書き方が妙にリアル

りんご高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。

また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。

そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。

ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。

これを丸木栽培と言って、最も古いりんごの育て方だ。

じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。

一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。

先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。

りんごに限らず果樹は基本接ぎ木である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままで大木になる。

そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。

のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。

じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。

じいさんばあさん若返った後は?

若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。

大きくなった矮化栽培は、矮化栽培メリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培メリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家基本的に絶えず行っていく。

のだが、改植すると当然一時的収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。

そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。

が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。

さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本りんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある


作画の都合上省略されたり変更されたりしていると思われる部分

まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。

基本的果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。

日本では、伝統的に平坦な場所コメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである

物語的に変更されたと思われる部分

先祖伝来の土地はあまり多くない

りんご栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地りんごを植えた所から本格化している。

日本農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。

じいさんばあさんは戦中に生まれ若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。

ただ、聞くところによると、2人とも元々地元豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。

津軽りんご農家豪農が多く、後継者も多い

りんご農家豪農が多く収益率も高い領域だ。

全国から考えると比較収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。

一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。

そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。

まとめ

りんご農家アニメ化するってのは結構レアなんで農協とかコラボやろうぜ

まだりんごシーズン本格化前田からやれるって。

2024-04-09

anond:20240409082327

穀物類ってほんと合う合わないがあるよな。

ふるさと納税で麦(品種は伏せる)を返礼品でもらったんだが、その麦を少し白米に混ぜて炊いて食べるだけでも吐き気がしたし(どんな作用なのか調べても分からなかった、単純に飽満感か)。

玄米も合わなかったな。口の中がヒリヒリする。

まあ合わないと思ったらすぐに食べるのをやめたほうが良いと思うわ。

2024-04-08

お花見神社に行く増田の春歯の出す馬喰にゃ人事に皆は御(回文

私も東京ドームビールの売り子1日売り上げ400杯売りたいなー!

あ!

ごめんなさいおのののかさんのウィキペディア見過ぎちゃったわ!

おはようございます

お花見した?

桜が絶賛今咲いていて事務所の近所の神社境内の中にいくつかある桜も満開!

お昼休みちょっと適当なところに腰掛けお花見気分でサンドイッチを食べるのが私のお花見マイスタイルよ。

でね、

今まで知らなかったところにも桜が一本立派なのがあって、

区の銘木って桜を紹介している立て札看板も立ってあってライトアップもしてるの。

いつも行かない時間帯にお買い物行ったもんだからそれに初めて気付いたのよね。

へーこんなところにも桜あったんだ!ってね。

うそうそんで有名なお寺の前の大通りは露店が出てて桜気分も盛り上がること間違いなし!って感じだったわ。

私の街の桜は今週が見頃でそれと同時に私も桜前線と一緒に北上していくのが春の常なんだけどね。

ほんと最近遠くに出歩いてないし走ってないしお出かけもしてないし!

そんでお出かけしたらしたで

いつも行く町中華屋さんが失火してお店ごとお休みみたい!

営業してるのに営業してなかったか不思議で表の貼り紙をみたら、

そう言うことだったのよ。

しばらくはここの町中華の味は味わえなさそうなぐらい私の町中華への熱も鎮火してしまったわ。

でもマジえー!って感じなんですけど。

そこでルービーを決めながら食べるから揚げが美味しいのになぁ。

私の唯一のいろいろある中の楽しみの一つだったのに。

早くお店が再開しますようにって願うのよ。

たぶん調子いまいちなのはそこの町中華パワーを得ていないからだと思うわ。

筆が進まないわ!

これは度々努々由々しき事態よ。

そんな帰り道に朝マック買って帰ってきて買ったのを忘れて

お昼頃に食べるその朝マックの美味さに、

いやジャンキーだけど冷めた朝マックってまた作りたてよりも美味しさ増してない?って思うの私だけ?ってまるで世界に一人だけ取り残されたような気がするけれど、

できたての熱々は肉汁ルーシーが落ち着いてないからとりあえず落ち着いて!肉汁!って思うぐらいジューシーなんだけど、

その冷めて落ち着いた朝マック肉汁も一応に固定されてマフィンと一緒に染み、

出来立てとは違って肉汁ルーシーが爆発しなく手が汚れなくて済む感じが。

落ち着いているな!ってなんだかそれによって美味しさを感じる春なのかしらね?って

これが生活かーって思い、

春を通り過ぎていくのよ。

きっともう遅かった桜は何事も無いように私の気持ちも知らずに北上して私を置いていってしまうの。

ちょうど桜前線のが北上するスピードは徒歩のそれと一緒で

私も一緒に歩いてついて行けそうな気分だけれど

行ったとてまた毎日日常に戻らなくてはいけない帰路があって、

戻り鰹みたいな言葉の戻り桜ってのはないけれど

戻ってきたら

新色の新しい桜の葉っぱが迎えてくれるのよ。

戻り桜の新緑の葉は緑。

桜の新緑もいいわよね。

春のあけぼのなのか。

あけぼの文字を並び替えたらあのぼけ!ってなるぐらい

なぜか筆が進まない春眠現象なのかしら?

眠くは無いんだけれど

筆がとにかく進まないわ。

春なのによ。

そう言う時もあるわよねきっと。

うふふ。


今日朝ご飯

食パンタマサラダをたくさんのっけるオープンサンドイッチね。

挟んでないサンドイッチってオープンサンドイッチって言い方であってるのかしら?

タマサラダ乗せ放題!

だけどタマサラダはやっぱりいつものサンドイッチ屋さんの方が美味しいのよね不思議と。

食べ慣れてるせいもあるのかしらね

デトックスウォーター

イチゴ一番粒って言う品種のを買ってみました。

世間の紅警戒度数が上がっているのか分からないけど、

苺の紅って言葉は害は無いと思うけど風評被害って凄いわよね。

いつも紅ってよく見かけていたような気がするけど気のせいね気のせい。

その一番粒って名前の苺を昨日デトックスウォーターボトルに仕込んでいたので

薄ら春苺色のピンクベリーウォーラーができたわ!

春の苺のデトックスウォーターはとても春らしいわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-04-04

どこもかしこ夜桜ライトアップをやってやがる

ピンク色の雪洞(ぼんぼり)でライトアップしちゃって、白い桜もピンク色になって風情が台無しだよ。

ソメイヨシノ以外にもシダレザクラとかサトザクラとか品種の違いで花びらの色合いが微妙に異なっていて(詳しい人なら河津桜とか薄墨桜とかもっと細かく分類できるんだろうけど俺はそこまで詳しくない)、それが花見醍醐味なんだけど、ライトアップのせいで全部ピンク一色になってるよ。

そもそもライトアップするのに雪洞を使うのはなんなんだよ?

「桜は昼間に観るんじゃなく、雪洞で照らして夜に観るのが粋ってもんよ」みたいな伝統的な風格を醸しやがって。

治水のために人工的に作られた河川敷同一品種ソメイヨシノを等間隔に植樹することに、たいした歴史伝統もないだろうがよ。

夜桜を観るにあたって、月明りで桜を見るなんてド田舎でもなきゃできないけど、これならまだ街路灯の明かりで桜を観る方がましだよ。

桜をライトアップして風情を台無しにするんなら、いっそのこと様々な色でライトアップして虹色のゲーミング桜にしちまえよ。

半年前はどこもかしこ紅葉ライトアップやってたけど、桜の時期になってもやることは同じかよ。

行人はみんなスマホ写真撮ってやがるし。

肉眼とカメラとでただでさえ受光能力が異なるというのに、夜のライトアップともなればなおさらだよ。

そのカメラで撮った画像は己の眼で見た印象と同じか? 全然違うだろうがよ。

自分の眼で見た印象なんてどうでもよくて、キレイ画像を作ることにしか興味ないんだろ。

光ったものに群がるインスタ蝿共がよ。

その場に来ることでしか感じられない、香り温度・風・雑踏を味わおうなんて気はさらさらないんだろ。

ピンク色のぴえん系量産服で自撮り棒使ってる地雷女よ、カメラのピントがお前の顔にしか合ってないから桜はピンボケしてんぞ。

これならまだ、酒をしこたま飲んで路上で寝転んでるおっさんの方が全身で花見を味わってるぞ。

2024-04-01

anond:20240401175949

1000年後だとソメイヨシノは滅んでるかもしれないけど、別の品種覇権とって、それ見ながら宴会はしてるんじゃないか

しろ、昨今の流れだと酒が禁止規制されてる可能性のほうが高そう

2024-03-29

ペットショップ動物買う人の心理理解できない

ペットショップ犬猫その他動物を買う事が本当に無理って考えてて

どう考えても理解できない

でもそこ場にいる犬猫たちも早く誰かに飼われて大事にされて欲しいと思うから、「買うな!」とは思わない

ただペットショップに生体が並ぶことが嫌い、そこで買ったら新しい別の命が犠牲になると考えてしまう。

ペット産業地獄なのもあるしそれに加担しようとしていて、自分が買った一匹の命は大事にする考えが理解できなくて考えてみた。

そして、そういう命をお金買う人と違うのはわたしの考えがそもそも犬や猫をすぐ「個性として考えない」ということなのかもと。

ペットショップに行ったら複数選択肢の中からすぐ「この子」となる

保護団体かに引き取りに行ったら「この数の中からの子を選ぶ」となる

わたしは良い意味でも悪い意味でも、目の前に現れた「動物」を「個性」としてすぐ考えないんだなと思った

から、目の前に現れた動物が「どういう体調でどういう気持ちなのか」ということをすぐ考える

例えば犬なんて表情筋もあるから悲しんでるとか喜んでるとか人懐っこいとか人嫌いとかも当たり前にわかるって思っているし周りのわたしと同じような考え方も同じようなことは言っている(そして勘違いかもしれないけどねとオチになるけど)

また、人間動物なのに、わたしが実際に会ったショップで買う人って人間動物区別がはっきりとついているんだなと思った。

今住んでる土地や家も今は近代文明ゴロゴロとあるけど、実際は全て「自然」でできてて、みんなの「場所であるから動物暮らしているのを「お世話してる」と考えるんじゃなくて「一緒にこの家に住んでもらっている」って考えがないんだなと。

「この家に買われなければ今ごろ殺処分」とか「買われなければ野良になってた」とか自分の側に置かなかった場合未来を想定して「うちの子にしてあげてる」っていう人間の方を優勢に考えてるのかなと思った。

かといってショップで買うな!とは思わない

ショップで買う人じゃなくて、ショップを嫌いになるべきなのにそのペット産業をどうにかするのもできないからどうも動物愛護が故に思い浮かべる殺意の矛先がショップで買う人に向きがちなんだと思った。

ショップで買う人も売れ残りの子たちを買う人だっている

また、お金という概念もあるけど、

品種で選ぶ」っていうのが理解できない

前に話したことがある男の人は「俺は犬買う時、毛色、大きさ、性別、顔の作り、全てにこだわって選んだ」って言ってたか

お金でなんでも選べるという考えより、

根本的な「命」や「生き物」に対して考え方が

人間とそのほか」で分けてるんだなってその時思った

そういう人たちは数は少ないとは思うけど、何かしら犬や猫を飼いたいと思った時に保護が真っ先に出てこないのが教養の無さと知名度の低さなのかと思った

2024-03-26

味の素、そして次は国産論争へ

いずれ味の素と同じ構図で「国産問題が起きるだろう。

これに言及している料理人専門家は皆無なのでここに記録しておく

後年話題になったときに、

「あぁそれね、俺は大昔から言うてたけどね」鼻ツーン

颯爽とこの日記エビデンスとして出すのだ

 

さて、本題、結論、「今や国産よりも外国産の方が安全です」ドーン

 

消費者の大半は漠然と「国産」が安全安心だと思い込んでいる

味の素と同じ、情緒

 

輸入食材と言えばオレンジ牛肉から始まった

国産業者抵抗キャンペーンを張り、輸入品ヤバい宣伝消費者に刷り込んだ

これが未だに生きている

 

古いんです、知識が古いんです

 

オリンピック国産食材は使えなかった

2023年東京オリンピック選手村では選手たちに日々の食事提供されるのだが

主催者IOCリスクのある食い物を世界トップアスリート達に提供できない

IOCは厳格なレギュレーション要求しており、その一つがGlobal-GPA取得。必須事項。

国際的農業認証農業ISO、内容はググレカス

世界食品流通はこの認証を取得していなければ事実上国境を超えられない、スーパーには卸せない。日本を除いて。

日本はG-GAP取得率が極端に低いのでオリンピック供給できなかった。

 

苦肉の案で、選手村の外に日本レストランを作りIOC管轄外で選手自己責任で食うてくださいという屈辱的な施設が作られた。

選手選手村しかメシを食えないわけではない、勝手に出歩いて自費でそこらでメシを食うても構わないのだ。そういう建前

 

なぜ日本だけG-GAP取得が進まないか

理由は「輸出しないから」、だって食料自給率5割だもん

 

Global-GAPを取得している農家世界で20万経営

日本のG-GAP取得農家は750経営体、ちなみに日本全農経営数は100万経営

 

世界基準で言えば日本農作物は、正当な認証下で生産されてない、安全性が担保されてない、得体のしれない食い物、です。

 

そんな認証なくても日本農家は善人しかいないので問題ない、厚労省だか農林水産省ちゃんとやってるもん、日本は凄い国だもん

ふーん

 

農薬

耕作面積当たり農薬使用量という国際データがある。

日本イスラエル台湾の次の3位

中国の50倍の農薬を使っている

日本は高温多湿で欧米とは主要作物が違う、散布方法農薬の成分も違う、と言うのだが

かにその通りで、日本よりも劣悪な高温多湿の国でも日本よりも使用量は少ない国は多い

水田の米と乾田の小麦では流出する農薬の量が違うため多めに散布しなきゃならないというが

タイ日本よりも高温多湿は酷い、稲作をやっているが、農薬日本の100分の1

 

使用成分に関しても欧米では早々に使用禁止制限されたグリホサート、ネオニコチノイドなど日本では規制どころかむしろ緩和をした。

2015年、この時期欧米規制が始まったにもかかわらず日本

ロチアニジンアセタミプリドチアトキサムの残留基準値を緩和、フルピラジフロンを追加承認している。

欧米でまったく使えないわけではないが残留基準値は厳しかったり、成分規制があったり(クロチアニジンはほぼ使えない)、使用用途も葉物ではなく果樹、穀類に制限されていたり、散布方法制限されている。

日本はなーんの規制も無い。

ドローンを使った空中散布希釈倍数なども年々緩くなっている、農家から要望があれば議員はすぐに動く。

 

日本お話にならないほど酷いんです

 

農薬検査

年々検査を減らしてる、そもそも日本農水省検査意味を履き違えてる

「長年検査しているが検出限界以下が続いているのでこの成分検査辞めます

 

おーい

あ ほ で す か?

日本のお百姓さんは善人しかいないので規制成分を勝手に使わない

検査されないからと言ってそれを使わない、そんな悪人いませんキリッ

こーゆー前提なの。ナメてる?

 

外国はどんどん検査項目を増やします、検査は抜き打ちランダムにやります

日本のように農協通じて事前通告なんてしません。

海外不正がバレたらG-GPA認証を取り消され事実上出荷不可能となるので詰みます

 

農林水産省は「国内産農産物における農薬使用状況及び残留状況調査の結果について」という調査を毎年行っている。

古いもの平成15年から令和最新まで開示されているので見比べて欲しい。

年々調査対象作物を減らしているのがわかる。

さらに詳しいデータもあるのだけど調査項目、成分も毎年減らしていってるんです。

あんまりクロが出ないからやってもツマラナイ」だそうです。

 

小規模農業

日本の1農家あたりの経営面積は2ha

ヨーロッパ30ha

アメリカ100ha超え

生産作物が違う?

農家比較すると

日本、1ha

カリフォルニア、161ha

オーストラリア、51ha

中国、10ha(国営

日本は極端に経営面積が小さい。

不正ミスが起きやすい、高齢化も進んでおり近代化も進まない

日本農業経営」になってない、家庭菜園の延長にすぎない。

行政が厳しく指導しようとしても議員に泣きつかれる、大票田なので議員も動く

この悪循環日本農業近代化が遅れている

品質農業などできるわけがない、実際できてない。

時代的な農薬ジャブジャブの農業を続けている

経営単位が小さいので農業地域全体の面制御がしずらく農薬は過剰に使いがちになる

 

さな単位で暖かく目配りの効いた丁寧な農業、みたいな漠然としたイメージもある。

現代農業科学です、統計です、経営です。

その方が安全で安いんです。

 

でもでも、海外モノカルチャーで単調な食生活じゃん

これも幻想欧米外国スーパーマーケットにいってごらん。

日本よりも遥かに豊富で多品種です。

 

罰が甘い

2008年に発覚した中国ギョーザ中毒事件犯人無期懲役を食らっている。

その他にも、特に国際問題になった信用毀損に関して中国共産党は厳しく短期間の裁判判決を出し見せしめ的に死刑執行されるケースもある

 

海外農家はG-GAPで縛られているので不正は即認証取り消しで経営が詰む。

取り消しは容赦ないです。だから不正やらんです、検査も抜き打ちだからすぐにバレる

 

一方日本は、例えば熊本偽装アサリ事件、確かに健康被害は出ていないもののこの事件で訴追された人は一人もいない、軽い行政処分が出ただけ。

毎年なにかしら食品偽装不正が起きるが逮捕、訴追されることは皆無。

魚沼産コシヒカリ流通量が生産量30倍と言われ続けているが、何十年も行政放置したまま。認証制度罰則が整備されてないのでやりたい放題。

 

ここまで書いてやっても、

国産農薬とか少なめで善良なお百姓さんが心を込めて作っているので安全安心

味の素は毒

 

いいんだけどねw

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

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追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

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ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

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メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

---

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

2024-03-15

イチゴ味の苺を堪能する増田須丸吸う暢田を後地位のじあ後地位回文

おはようございます

今私が一人でひとりでに開催した自分いちごフェア!

こないだ偶然にマーケットに立ち寄った際

もちろんマーケット入店する際には飛び込み前転で入店することは忘れていないわ。

そこでそもそもとして買うつもりではなかったけれど偶然発見した目に飛び込んできたそれは赤い赤い割引イチゴをゲットして、

もうこれも苺一会と言わんばかりにもれなくゲットして美味しい苺でションテン上がりまくりまくりすてぃー。

やっぱり春は苺、

苺は春!

まり春は苺であり同時に苺は春である!と言うことなの!

赤い苺色のイチゴイチゴした美味しい甘ーい苺。

サクラクレパスでまつざきしげる色があるなら私はサクラクレパスイチゴイチゴ色を作って欲しい赤よりも苺赤強い苺色なのよ。

あと私そんな苺の銘柄とか気にしないんだけど、

そのときに目の前にあった苺をつどつどゲットするスタイルなので。

もこないだ見かけた「苺一号」って品種は今までの苺の品種の美味しそうな甘い香り漂わせる感じの名前ではなくて、

なんかストレートにパシーンと

叔父さんが姪にビンタしたときの音のようなパシーン!

そして叔父さんが姪のバカ!っていって駆け出して走り出して行ってしまうシーンを彷彿と、

違う違うそうじゃないの!

その私のハートにその苺の品種名前の「苺一号」ってのがストレートに来たの!

ツーシームかも知れないけれど。

でもさ、

変わりダネ美味しい苺品種

白い苺だとか緑の苺だとかない?

いっぺん私食べたことがあって一粒とても私のお小遣いの500円じゃ買えないぐらいの値段だったかも知れないので私は買っていないおこぼれをもらったときに、

どうせそんな色は酸っぱい苺よ!って

葡萄酸っぱいって言うキツネのように思っていた時代があったの。

でもその白や緑の苺は装いも新たに私に新しい苺感別館の新しいそれはそれは本館をも凌ぐ別館のおもてなしを目の当たりにしたのよね。

こ、これは苺だ!って

苺を食べて苺だっていって何言ってるかよく分からないと思うし

言葉意味はよく分からなくても

とにかく凄い自信なの!

サクラクレパスイチゴイチゴ色を作ってもらったらたぶん私たちが思っているイチゴイチゴした感じの色ではない色になっちゃうぐらい、

かつて中条あゆみちゃんハーゲンダッツイチゴ味のシーエムで

この苺感がイチゴイチゴして美味しい!て言ってるシーエムがあって、

あ!イチゴイチゴした感じのこの分かっている感じの魅力的な文字を2回繰り返す作戦大事なことだから2回言ったのかな!って思うぐらい。

私はその白色や緑色の苺に戸惑いを覚えながら舌ではダイレクトに感じるイチゴ味に舌鼓をポンポンポンと打ったわけなの!

苺もここまで来ているのね!って

あと注意したいこととしては

私は春先に毎回と書いていることだけど

苺狩りで入場前半袖の人がいてビニルハウスの前に構えている人がいたらその人はイチゴ狩りのプロから気を付けた方がいいわ。

私たちは冬の重装備で

それこそダウンジャケットを着込んでビニルハウス飛び込み前転で入場して、

えーイチゴ狩りの制限時間は30分でーす!って係の人の説明

こんな30分じゃ短すぎるわ!って不満の「ふ」を表明するぐらい物足りなさを最初感じるかも知れないけど、

そうなのよ。

察しの通り

温室ビニルハウスの中にダウンジャケットを着込んで入場すると

3分ももたないのよその気温で温まる体温で汗だく!

もう30分もいらないわ!って

あと冷静に考えたら30分苺を食べ続けるというのもなかなか難しくてよほどのフードファイターが苺フェアやんない限り、

常人には30分気温と苺食べ続けるのは無理なのよ。

から半袖で挑んでいる人はイチゴ狩りのプロなのよね。

こ、こいつ出来る!って感じの。

そういう人を見かけたら要注意よ。

そんで、

まりに30分と言えどももう飽きて暑いし汗だくだし5分でビニルハウスから出ちゃって

尺が余りまくりまくりすてぃーじゃない

そう言った場合に備えてやっぱりイチゴ狩り業者も来てくれたお客さんを飽きさせないように

イチゴ狩りのあとは焼き肉を楽しめまーすって

イチゴ狩りと焼き肉がセットになっている苺農園とかがあって、

なかなかの策士ね!って思った一番の名物

焼き苺!って私そこで焼き苺なんて初めて食べて苺って焼いていいのね!って確かに焼き菓子ベリーベリベリ使いがちだけど

まあ理には適っている

いや適いまくりまくりすてぃーで、

わずすみませーん網交換してくれますかー?って焼き肉屋さんボケかましたいぐらいなのよ。

それぐらい

白と緑と焼き苺は私衝撃的だった苺の記憶ね。

あと「苺一号」って品種名も。

記録に残る苺より記憶に残る苺を目指したのかしら?

私のなかの苺アルバムにそっと1ページを加えることになったことは言うまでもないわ。

春になるといつも苺のことを思い出すのよね。

なんだか苺食べたくなっちゃったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンにしてみました。

良はチョコッとよとかって言わないわよ絶対に。

そんなチョコパンコーンスープを飲みつつ私はカップを指先でくるくる回して

熱々のコーンポタージュスープを美味しくいただいたわ。

今日も割と朝はゆっくり余裕のある時間で余裕ね。

デトックスウォーター

とか言いながら今日イチゴウォーラーとかってのじゃなくって御免なさいわ!って思うけれど

イチゴウォーラー簡単なので、

絶対春にオススメよ!

今思いつきだけどイチゴ茶ってのあんのかしら?

だいたい人類想像できるものは既にもう世の中にあると思うのであるかも知れないわね。

今日はホッツレモンウォーラーね。

全然関係ないけれど、

冷凍庫に置いてある三日月切りの凍らせたレモンをホッツウォーラーにいれて微かに香るレモン感は

レモンレモンしていいわよ。

いただいて温まる朝の温活ね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-03-14

anond:20240314112117

その対象に興味があるかないか、食べ慣れているかだと思う

ワイは美味しい野菜を食べる機会があまりなかったので、あまり品質が悪いものならわかるが、それ以外は全くわからん

その品質って食感とか香りとか収穫後の保存状態についてのことで、野菜のもの糖度とか苦味とかの方はよくわからん

言われてみたら美味しい気がするなぁって思ったりするけど、ぜったいこの品種じゃないとダメとか無いな

 

食べ慣れている、肉やお菓子ならあるよ、ぜったい○○じゃないとイヤ、食べないって

2024-03-11

anond:20240311173237

バナナは、栽培地域じゃそこらじゅうにいる自然のカビか細菌かなにかに定期的に全滅させられていて、そのたび研究者たちは少しずつ品種改良したバナナを植えている

しか細菌たちも新しい品種対応する進化をするため、新しい品種もまたやられる

さらに新しい品種を作り植える…………

それを繰り返しているのがバナナ歴史

2024-03-04

anond:20240304125903

馬の品種としてしか知らなかったけど、「純血」って意味もあるんやな。でも親子で発達のケースなら母親から遺伝ケースも当然考えられるわけで、別に発達のちんこを使いたがる女の存在証明にはならなくない?

2024-03-03

anond:20240303174015

クワ(桑)は、クワクワ属の総称。ヤマグワ、シマグワなど品種が多い。カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。

2024-02-24

anond:20240224133416

アメリカで買える小さなニンジンの袋詰めというと

成長しても小さいままの、ベビーニンジンという品種の話しか

ふつうニンジンカットしただけのベビーカットニンジン

の二種類があるんですよ。

ベビーニンジンは、高く売れるなら農家が育てるようになるでしょうけど、

その保証がない限り誰も作らない。

ベビーカットニンジンは、カットして売ればいいだけだから、いつでも作れるでしょうけど、

カットしなくても売れてしまうから、やっぱり作らない。

2024-02-14

セミ品種改良して昆虫食向けに出来ないか

殆ど動かず樹液を吸うだけで成長するセミって飼育やすい部類ではある

そして品種によっては2年で大きくなる品種存在する

だったら品種改良と樹液の代わりの溶液の改良で数十日程度で大きい幼虫になるセミも作れるんじゃないだろうか

大量生産出来ないかな…

2024-02-13

一部界隈のオタクを〇〇豚と呼称するけど

本物のブタ可愛いからブタには災難だなと思う。

ブタは味覚と嗅覚が発達してて、蛇毒の影響を受けないという強さもある。

体脂肪率も13〜18%で見た目がまるっこい種族なだけで太っているわけではないし、トイレも1箇所に決めてするという綺麗好き。(動物園ブタちゃんたちは泥まみれだったりもするけど)

社交的だし、頭もいい。犬みたいに芸ができる。

ペットに向いた品種もいるし、研究にも食にも関連した生き物で人間目線で見たらとにかく「良い生き物」じゃない?

かたや一部のオタクくん、オタクちゃんたちはビジュアル無頓着山崎パンエナドリを貪り、風呂に入らない上に悪臭を気にもとめない鼻はバカ

SNSでの愚痴愚痴した書き込み大袈裟にわめきたて、体脂肪率が30%ありそうな見た目…という奴も珍しくない。

汚部屋タグで部屋を晒しても笑っていられるくらい衛生観念がザルでコミュ障仕事は出来るんか?

ブタのほうが絶対可愛いと思うんだけどなぁ…。

2024-02-03

ウイスキー派とハイボール派の対立が密かにあることをご存知か

俺は下戸なので、ウイスキーについて何も知らなかったが、ウイスキーには味や香りの違いがあり、それこそワインのようにテイスティングを楽しむ、または楽しめるお酒なのである

今、「楽しめる」という文言を追加したが、過激ハイボール派へのエクスキューズである

ウイスキー派とハイボール派の区別の仕方であるが、ウイスキー炭酸で2倍から3倍で割り、氷で冷やして飲むことをハイボールと呼び、ウイスキーを基本ハイボールで飲むことを好む者をハイボール派と呼び、それ以外のウイスキー愛好家をウイスキー派と分ける。


この対立は、コーヒーブラック派とミルク砂糖派と同等である。ただし、一点違いがあると考えている。

どういうことかいうと、ウイスキーを飲み、動画ブログ情報発信する者は、その味や香りの違いなどを楽しみ、個人の感想を発信しているのである

ウイスキーにはワインのような味わい、香り千差万別お酒なので当然であるが、ハイボール派は炭酸で割って薄めているのである

ワインを薄めて飲んで、その味や香り批評するものがいるだろうか。

勘違いしないでほしいのだが、ハイボールという飲み方を否定するわけではないのである。多くのハイボール者は、「好きに飲んで何が悪い」と反論してくるのだが、そこを否定していないことを断っておく。

仰せの通り、好きに飲めばいい。

ただし、味や香りの違いを楽しんでる風に発信するのはおかしいだろうと言っている。

ハイボール派が好きなのはアルコールであり、飲酒行為であり、ジュースのようにゴクゴクと飲みたいかハイボールを飲んでいるだけで、味や香りがどうこうの門をくぐってはいないだろう、という点を指摘したいのである

しろハイボール派はウイスキーを薄めなければ飲めないのであろう。当然である。概ねアルコール度数は40度のお酒をゴクゴクとは飲めやしない。舌も喉もキツイウイスキーが飲みたいのではなく、ゴクゴクと喉に流し込むアルコールが飲みたいだけなのであるから

それはそれで良い。それは正しくビールの飲み方であり、ビール大正義アルコールである。それを批判する者はいやしない。

しかし、香りや味の違いを感じたいとは思ってはいいであろう?


冒頭でコーヒーの話をしたが、私はコーヒーである。飲むたびに豆を挽き、ハンドドリップで飲んでいるが、別に砂糖ミルクを入れる飲み方を否定しない。カフェオレ邪道とも思っていない。

ただそれは、ブラックで飲まない者たちが豆に拘っていないかである。僅かな味や香りの違いを気にしていないかである

単にカフェインを接種したいだけの者や、お茶という気分ではない時の飲み物として選んでいるだけで、ドリップの仕方、豆の煎り具合、挽き具合、そのような点に、言及しないものたちが多いかである


しかし、ことウイスキーになると、なぜか炭酸で割りながら酒の品種にこだわる。

味はどうだ、香りはどうだ、と。

ハイボールは飲めばいい。冷えた炭酸でゴクゴクと飲める素晴らしい飲酒である。だが、あなたハイボールを飲んでいるのであってウイスキーを飲んでいるわけではない。

カルーアミルク等、甘いお酒しか飲まない者、特にそれが男性場合、何かしら思うところがあるだろう?

ハイボール派は、「冷えた」「炭酸」「流し込む」タイプお酒しか飲めない者なのである

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