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2018-09-30

anond:20180930081205

符をa、飜数をnとすると、a*2^(n+2) が子が払う点数。その倍 2*a*2^(n+2) が親が払う点数。で、100点未満は切り上げてる。

から30符1飜だと 30*2^(1+2) = 30*2^3 = 30*8 = 240 子の払う点数。親はその倍 480 。

100点未満を切り上げると子が300、親が500で、いわゆるゴミ

40符2飜なら 40*2^(2+2) = 40*2^4 = 40*16 = 640 が子。親はその倍の 1280。

100点未満を切り上げると 700/1300 でナナトーサン

親のツモ和了りのときは、子はみんな親が払う点数を払う。

和了あがりのときは、三人分を一人で払う。

(例は面倒なので省略)

何回か計算してみると覚えられる。30符2飜が60符1飜と同じ点数なのもなっとく。

阿佐田哲也小説に「場に二翻ついた」みたいな表現が出てくるけど、これが 2^n じゃなくて 2^(n+2) で計算してる理由なんだと思う。

2018-05-13

上司との接し方

50を超えた管理職上司がいるのだが、

なんというかどうやって接すればいいのか、もう全然わからん

・ろくに業務についての知識もなく、勉強する気がない

最近事情や世相についても話が通じない

・完全に和了(アガリ)を迎えて、あとは退職金もらってオサラバ感がでてる。

知識もないのに評論家したがり

・わかんないことはだいたいオウム返し

もう怒りしか湧いてこないんだが、

争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」

なっちゃいそうで、相手と同じレベルに落ちるのも我慢ならないので

我慢する日々を送っている...。

(´Д`)ハァ…、こういう人たちどうやって扱えばいいんですかね?

2017-04-04

花見麻雀

数年前に京都の有名な公園花見をした。

持ち運びできる雀卓を自作して持ち込んで、メンツが足りないから1人募集って紙を貼って、のんびり酒飲んで花見しながら三麻してた。

何人かチラチラ見て行ってくれたり、通りすがりカップルのお兄さんがかなり食いついてくれたけど、結局彼女にしばかれて去っていった。

あの時の3人のうち俺以外の二人はもう遠方に引っ越ししまったけど、また花見麻雀やりたいなー。今度は誰かきてくれるかなー。

(追記)

ただ麻雀がしたいだけで細かい点数計算全然できないようなゆるい感じなので、

もちろんノーレートだったし張り紙にもノーレートだか和了ったらうまい棒差し上げますだか書いてた気がする

2016-07-20

[] スーカン

四槓子(スーカンツ)とは、麻雀における役のひとつ役満。暗槓・明槓を問わず槓子を4つ作って和了った時に成立する。

天和九蓮宝燈と並び、麻雀で作ることが最も難しい役とされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%A7%93%E5%AD%90

2014-04-10

三槓子和了れない

もう3000局近く戦っている。

四暗刻和了った。国士無双を何度も和了った。

二盃口混全帯么九ホンイツ和了れた時は、天にも昇る心地だった。

でも、未だに三槓子和了れない。

カンカン!つ

... ロン。一万八千。

心が折れそうだ。

2013-08-24

麻雀にも相性があり、天敵がいる

こないだの麻雀小噺の続きだ

http://anond.hatelabo.jp/20130821233120

繰り返すが、完全オカルト理論だ。デジタル派は黙ってな

前のエントリで、麻雀では「ツモ力」が一番重要だという話をした。ツモ力が何か説明していなかったが、欲しい牌を引いてくる力のことだ。

だいたい10回に3回の割合で一番必要な牌を引ければ、野球で言う三割打者クラスだ。前のエントリで話した「とんでもない奴」は、それくらい引けると言っていた。

これくらい引ければ、配牌が9種9牌なら国士を余裕で上がれる。対子がちなら、四暗刻を余裕で上がれる。

ちなみに俺は、2年くらい前に1万回ツモって統計をとったところ、34回に1回くらいだった。まだまだ練習が足りない。

でだ。「ツモ力」が自分の力量のみに依存するパラメータなら、卓に座った4人のバランスで決まる、「相性」というべきパラメータもある。

誰が誰に振り込みやすいとか、誰が誰から鳴きやすいとか、そういうのがこの「相性」によって決まる。

普通は微々たる差だ。1晩10半荘程度やっただけでは、誰々さんにどうも振り込むようだ、という感覚すら掴むことができないだろう。

同じ相手と千半荘、1万半荘と打つことによってはじめて実感できるものだ。いや、それでも実感はできず、きちんと統計をとってはじめて気付くのかもしれない。

から普通は気にする必要はない。

しかしだ。飛び抜けて「相性」の悪い相手、つまり「天敵」が存在する。

一生の間に「天敵」と打つことがあるかどうか。無い人も多いだろうが、不運にも俺は「天敵」と当たってしまったことがある。

俺がその「天敵」と打ったのは8年ほど前だ。その日も徹マンをして、一晩で11半荘打った。まあ、打つのが速い人ならば普通のペースだ。

その「天敵」は、やや「ツモ力」も高いのか、速いリーチが多かったように思う。

別にエキセントリック和了りを見せるわけじゃない。リータンドラドラとか、リーチチートイとかだ。至って普通だ。ただ、どうも単騎待ちが多かったような気もする。

問題なのは、俺がそのリーチに対してことごとく一発で振っちまうことだ。

スジ牌を切っても当たるし、六に対して九を切っても当たるし、2枚切れの字牌を切っても当たる。ダブリーが2回あったがどっちも一発で振った。

それどころか、いやこれは俺の気のせいかもしれないんだが、現物を切っても当たるんだ。

リーチがかかる。降りて現物を切る。するとロンされる。フリテンを指摘しようとして河を見ると、あったはずの牌がないんだ。

こんなことが何度もあった。確かにその時、俺は酒を飲んでいたが、酒を飲んで麻雀をやるなんていつものことだ。それなのに牌を見間違えたのだろうか。

この不思議な現象を味わったのは、後にも先にもこの晩の麻雀だけだった。

その「天敵」が言うには、安牌ほしさにありもしない現物を見てしまう。そういう心理的なプレッシャーもまた、「相性」のなせる業らしい。

というわけでその日、振り込みをほとんど回避できないまま俺は手ひどい一人負けを喫した。

そして、その「天敵」とはその後打つことはなかった。

「天敵」は、一度打ってみるまでそうと分からないのが厄介だが、一度「天敵」と知ったら打たないようにするしか対策はないだろう。

2013-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20130813092609

いやそういうことじゃなくて、ルールがザルなせいで起こる問題をプレイヤーの暗黙のマナーの問題にするなよってことだよ(ゲームじゃなくて博打だというなら、ラス確でも和了れば少しは支払い減るんだからそれはそれでアリとするべき)

ドラが嫌ならアルシーアルでもやればいいし、2確3確ラス確が嫌ならブーでも東天紅でも千式でもやればいいし、役作りを大事にしたいなら中国麻雀でもやればいい。雀鬼流みたいにマナーではなくてルール(あんま面白い麻雀とも思わんが)にしてしまったっていい

2013-08-12

「役牌ドラ3」を平気で和了る風潮

最近若い人と麻雀を打つと「役牌ドラ3」などと平気で申告することに驚く。

一昔前は、お手軽な満貫を戒めて、役牌にドラが3つ乗っていても「役牌ドラ2」の三翻で申告するのがマナーだったのに。

満貫は三色同順とか、一気通貫とか、チンイツとか、そういう役によって到達すべきもの

挙げ句の果て「喰いタン」には呆れた。

タンヤオを鳴いてもいいらしい。タンヤオを鳴いてよければチャンタ立場がない。

同じように若い人たちは「タンヤオドラ3」と平気で申告する。せめて三翻申告しろと思うが、これも時代の移り変わりだろうか。

2013-02-05

福本伸行麻雀漫画が致命的につまらない

十数年前、俺が小学生だったころ。

当時コロコロコミックで『デュエルマスターズ』というMTGを扱ったマンガの連載が始まり結構楽しみに読んでいたのだが、

途中からオリジナルカードゲームを売りたくなったらしく、その新カードゲームをメインに扱うようになった。

俺はその新カードゲームにはもう全く興味がわかず、なんでこんな訳わからんカードゲームしなきゃなんないのと思って、

俺はコロコロコミックから卒業したのだった。

時は流れ、麻雀を覚えて

福本伸行麻雀漫画を読むにつけ、その時と似たような感想を抱いてしまう。

まり、なんで麻雀をこんな変なゲームに改造しなきゃなんないの?ということ。

カイジ』のように最初からオリジナルゲームをやるならそれはそれでいいよ。

でも麻雀悪魔改造するにあたって、いかなるコンセプト性も見いだせず、

かといってゲームとして面白そうにはとても見えず、わざわざ改造する意義が一切見いだせない。

読んだのは『天』と『アカギ』の鷲巣麻雀編だけだが、これ以上読むのは苦痛なので勘弁。

『天』は、天がひろゆきを変な麻雀もどきゲームで試したところから、既に怪しくなっていたが、

とりあえず東西戦の話だ。

東西戦、最初面白かったよ。原田がイカサマで四暗刻和了った健の左手をぶっ刺すところとかね。

その次から交代方式の麻雀が導入されたが、これもまあ良かったよ。

赤木の作った手牌を天が引き継いで四暗刻和了る場面は熱いし、あれは確かに共闘するからこその面白さだ。

交代方式以外に特に面白いとも思えないルールが山ほどオマケでくっついていて、全部要らないと思うが、

それは忘れることにするよ。

ここまでだよね、『天』が面白かったのって。

東西戦の準決勝からこの漫画は一気につまんなくなる。

決勝で導入されたルールクリア麻雀によって。

クリア麻雀」とは、

麻雀の代表的二翻役である、「一気通貫」「三色同順」「七対子」「チャンタ」「三暗刻」を先に全て和了したグループの勝ち

というルールだ。

もう、ハァ?という感じ。パッと見、何が面白いのかさっぱり分からない。当然漫画を読んでも、とても面白そうなゲームには見えない。

こんなルールを導入するからには、それなりの説明があっても良いのだが、それも特に無い。

天が言うには、「チームワーク重視であること」「ひろゆきの理詰めのセンスが生かされやすいこと」が理由だが、

明らかに論理の飛躍がある。そのためなら、こんな意味不明ルールでなくても良い。

しかもだよ。「三暗刻」が「麻雀の代表的二翻役」ってどういうことだよ。滅多に和了れないだろそんな役。

まだ「トイトイ」が残ってるのに。

トイトイ」を差し置いて「三暗刻なのはなぜ?どう見ても作劇の都合で「三暗刻」にしたよね?

導入する理由も不明瞭、ルールも作劇の都合というわけで、決勝編はかなり悲惨だった。

原田が「そんなパズルみたいなことやってられるか」と言うが、ごもっとも。

ちなみに原田の提案で普通の点棒制との並立制が取られている。それがなければもっと悲惨だったかも。

まだ終わらない。決勝がいろいろあって引き分けに終わったのち、原田と天の一対一の対決が始まるが、

ここでもまた意味不明ルールが導入される。名前がついていないので、福本ルールと呼ぶね。

ざっくり言うと

18巡以内に二人のうちどちらかが先にテンパイを宣言する。宣言された方は当たり牌を推測し、宣言した方はひたすらツモる。

ツモ和了までに当たり牌を当てられたら宣言された側の勝ち。当てられるまでにツモ和了したら宣言した側の勝ち。

もちろんこれに点棒の収支が絡む。知らない人はWikipediaでも見て。

これは、本質をついた改造でも何でもなく、麻雀というゲームを激しく勘違いしているよね。

麻雀ってそういうゲームじゃねーから

ただ二人で麻雀したいだけなら、萬子筒子の2~8を抜くとか、あるいは萬子だけでやるとか、やり方あるじゃんよ。

まーこれどっちもゲームとしてはクソだよ?特に後者天和人和地和が連発する歪なゲームなっちゃう。

でも漫画なら面白く盛り上げる方法はあるだろうし、ゲームとしてクソなのは福本ルールどっちもどっちでしょ。

そんなんだったら、そういうスタンダードルールを退けて、こんな意味不明ルール採用する理由ってなに?

無いでしょ?そんなの。

天の提案したクリア麻雀を「パズルみたいなことやってられるか」と一刀両断した原田が、

ここでこんな幼稚なゲームを提案してきたことに俺はひどくガッカリした。

健の左手をぶっ刺したときは、ヤクザーな感じで超かっこよかったのに、

もう俺には原田がガキンチョにしか見えなかった。

この後、麻雀とは特に関係のない通夜編が始まる。通夜編の評価は特に高いようだが、

俺には原田だの天だのが赤木を送り出すに相応しいとはとても思えず、特に何か感じるものもなかった。

強いて言えば、「ナイン」を見たとき

こういうシンプルゲーム原田と天の最終決戦でこそやれよ…って思い、更にガックリと来た。

これが『天』の感想

もうなんかめんどくさいので、『アカギ』鷲巣麻雀編の感想は簡単に済ますと、

アレは一晩の対決を何十年もかけて連載していることに価値があるんだと思う。それは認める。

しかし、鷲巣麻雀ではなく普通麻雀だったらもっと良かった。鷲巣麻雀は『天』の時ほど本来の麻雀からかけ離れているわけではないが、

やはり変則ルールを導入する意義が見いだせない。

カイジ』にも変な麻雀やってるとこあるけど、アレはちゃんと読んでないか感想言えない。つーかもう読みたくない。

つーわけで以上。

好きな麻雀漫画は『咲』です。

『咲』もまあ、キャラ数がいい加減多くなりすぎて苦しくなっているところはあるけど、

能力キャラクター性が緊密に連携しあっていて、それがいかにも少年漫画的で、良いと思いますスピンオフの『阿知賀編』も面白い

あと全然関係ないけど、最初に書いた時期のコロコロで、魔法使いの話が読み切りで掲載された事があったと思うんだけど、

あれが何だったのか気になるので知っている人は作品名と作家名を教えて下さい。

2011-11-03

天鳳はクソ

今日だけで国士無双3回和了ったぞ

因みにNO課金

どうなってんだ?

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208002238

さて、咲は超能力マンガなわけだけれど。

主人公の能力が一番優れている、というのはあの手の世界では普通なので、特段突っ込みどころではない。

あの世界で実力が伸びるというのは、技術的な話ですらない。

「カンすれば手が伸びる」とか、「ハイテイツモなら和了」とか、「東場で強い」とか、「デジタル打ち」とか、

そういう能力のぶつかり合いなのだから、単純に能力を磨くという話になる。

能力の相性や、力そのものの強弱でほぼ勝敗が決まる世界なのだ。

(そういう意味で「かじゅ」はすごい、オールタイプニュータイプと互角にやっているからだ)


レールガン世界も一緒で、能力が強さを決定する。

そういう世界で「成長」を語るというのは、どうにも馬鹿馬鹿しい

それはつまり、そうした努力価値があるのだ、という描写を見せて欲しいという、視聴者の願望でしかいからだ。

しかもこの考えは、バトルもので若者が年長者に勝つとき破綻する。

20年の積み重ねよりも、数か月の修行の方が勝ってしまう、本来ならおかしな描写。

しかしこれも、そうした描写を見せて欲しいという、即物的な視聴者の願望を満足する。

前者も後者も、ともに見たい描写は一緒。

世界には絶対の強者などなく、それらは努力や成長で打ち破れるのだ、という幻想


それらの症状が進むと、今度は逆視点にすら嫌悪感を感じてしまう。

主人公が絶対の強者で、努力では覆せそうにない場合、今回のように嫌悪感を感じてしまうのだ。

折角主人公を強者にしたと言うのに、こんどはそこを逆視点で見て絶望するなど、つくづく救われない。

2009-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20090903133523

こういうことをされると馬鹿にされてるとしか思えない。

常に一役上を狙う打ち方をするというのはどうだろうか。

トイトイ狙うなら絶対三暗刻つけるとか、チャンタじゃなくて純チャン狙う。タンヤオなら絶対面前、みたいにして妥協はしない。

和了確率が落ちる分、和了れたときは流石と思わせて、これなら負けても仕方がないと思っていただく。

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