はてなキーワード: 同時多発テロとは
フランスの同時多発テロでテロリストが使ったAK47あたりは、ルートにもよるけども10万円しません。
車両調達代や装備品、腰に巻いた爆弾などぜんぶ含めてもせいぜい500万かそこら(犯人他の実働部隊への報酬含まず)。
対して米軍がジハーディ・ジョン一名に、無人機よりぶっ放した対戦車用ホーミングミサイルは、安くても一発20万ドル。日本円で2400万円です。
無人機仕様の専用品ならばその2~3倍くらいはみてもいいかもしれません。
加えてマスメディアを利用した宣伝効果も、ジハーディン・ジョンの殺害の三日を待たずに被せ、なおかつより身近な場所でみんなが使い方と効果を理解できてる小銃と爆弾で目的を遂げたテロリストのほうが一枚上手だったというべきでしょう。
丸々二日全世界のテレビを占領した報道も、宣伝費用いくら分に相当するのかわかりませんが、とにかく費用対効果は抜群というほかない。
まるでリュックベンソンの映画、ニキータの冒頭から15分をみているかのようです。
そもそもテロリズム本来の目的は、社会を恐怖に陥れることで治安悪化や経済活動の鈍化を狙うことであり、戦争に勝利することではない。
その点を考えれば、今回の仏同時多発テロは完全な成功を納めたと言っても過言ではありません。
アニメや最近のラノベ系SFでは、統合経済圏が国家権力そのものを担う近未来が常識の今、作戦遂行そのものにかかる費用対効果を考慮しない方針を掲げて国家運営を担う組織は将来性がないと言われてしかるべき...ではないでしょうか。
普通に考えれば、「厳戒態勢のパリで120人以上の犠牲者がでる同時多発テロが起きた」と聞いて、
まっさきに語るべきはそのテロ自体のことであって、国内の報道体制に対していちゃもんを付けることに精を出すのはおかしな話だ。
だが、マスコミを叩いてる人っていうのは、テロリストを批判することに感情的に難しさがあるんだろう。
人の性として、強大なものを相手取っている少数勢力というのに、感情移入しちゃうってのは良くある話だし、
その相手が自分の敵としているもの(アメリカとか)だったりしたら、その行動を否定しきれないわけだ。
でも、人がたくさん死んだのは哀しいし怖いから、許せない。
そうやって憎しみが応酬にとどまらず、無関係なところで憎しみが拡散していく。
なかなか絶望的な話だなあ。
パリの同時多発テロ、なぜ我が国は報道しないのかという人多いけど、土曜の朝って、民放は関西発の番組ばかりで、東京のキー局は手薄なんだよね。しかも、固定番組の視聴者が多いから、逆に抗議されるのを恐れてるから、下手に変えられない。
"43年間サバイバル生活"という単語に興味を持って開いた記事だが、左翼臭がして調べたらそうでしたというお話。
「43年間サバイバル生活「洞窟おじさん」注目すべき意外なポイント」
ttp://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20151013/E1444675485206.html
最初に違和感を感じたのは「戦争が終わったことに気付かずにジャングルにずっと潜伏していた日本兵とは大きく異なる。」と書かれていたところ。
なんでここでこの文を入れる必要があるんだろうという疑問と、書き方に思いがにじみ出ていた点で引っかかった。
戦後も何十年と潜伏していた人の話を対比のために出すのはいいんだけども、なくても違和感なく文章はつながる。
まぁ確かに他の事例を混ぜて深み(何て言えばいいのかわからない)を出すのは良いと思うんだけども、本来そういうのって絶対悪でない限り中立的に書くべきものだと思う。
それなのに「戦争が終わったことに気付かずに」という書き方をしていて、嫌悪感というかネガティブな印象を感じた。
そもそも戦争が終わったことに気付かなかったんではなくて、終わったと信じ込まなかったという話だったはずで。
その人のことをまともに調べたことのない俺でも知っている事を、ライターをやるような、話を引っ張り出すような人が知らないわけがない。
とすると、軍への忠誠心からくる行動を「気付かず」に置き換えた点で、"軍"というくくりに嫌悪感を持っているんじゃないのかと考えるに至ったわけだ。
さて、そんな感じで左翼臭いなこのライターとか思ってたら、「戦後復興、東京オリンピック、新幹線、あさま山荘事件、ディスコブーム、」とかいう単語が出てきたわけだ。
「戦後復興から高度成長」という点で例を出すのはいいんだけど、あさま山荘とか経済なの?ディスコも経済と言うにはちょっと違わないか?とか更に思いが強くなった。
で、この人の記事を見ると
「株価や経済成長が幸せへの道でしょうか。半市場経済な生き方ってなんだ」
「同時多発テロから14年…イスラム教徒に対する偏見はどうなっているのか『日本の中でイスラム教を信じる』」
「過労死ラインを超える企業が7割という実情『ルポ 過労社会』」
あぁ、やっぱりってね。
てかなんだよ「大変化時期」って。
そんな言い方聞いたことないぞ。脱字かね。
SFっていうかディストピアものか。設定にリアリティがなさすぎていろいろと微妙。
100億人にまで増えた人類がいきなり紙切れ一枚である程度強制的に人口抑制できるその仕組みっていったい何?
許可証欲しさに自殺なんか企てるより手っ取り早く満員電車の四・五本くらい同時多発テロればとてもたくさんの椅子が空きますよ?
同世代と遊ぶ機会のない子どもの心理がどうこう以前に人口ピラミッドのバランスとか教育制度そのものとかに関する
延命措置って具体的に何だか知らないけど施しただけで事故とか殺人とか無効化されるレベルなの?
儀式的な寿命死に焦点当てる前に早すぎた埋葬リバイバルとかいろいろ他の切り口考えた方が死について描き出せることが多いんじゃないの?
定年になって脳みそ経年劣化してからこういうの考えるのってめんどくさいしおすすめしないよ?
悠長なこと言ってないで時間絞り出してすぐにでも書いたら?
「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい
http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです。
たくさんのコメント、ブックマークありがとうございます。
もうちょっと書きたいことがあるので書きます。
ぼくらはけっこう慎重なもんで、
「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると
という考え方に持っていこうとする。
じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。
なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。
もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで
あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。
そういうのをなんて言う?構造主義的?
現在属している共同体の文化や価値観に従って決定することを避けられないから、
ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。
慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。
しかし、ぼくはもう待てない。
というコメントを頂いた。
ぼくは長期的な幸せを望む。
間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、
ぼくたちはおそらくみんながみんな、
なるべく誤魔化しや、
その場しのぎでない、
恒久的、
永続的な幸せを望んでいると思う。
もしかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアやアフリカの話)は
「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。
よく考えてみてほしい。
ナチスのユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?
9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?
こういう例は枚挙にいとまがない。
うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。
基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。
このシールを大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、
慎重に慎重を重ねてものを言うなら、
「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかないかもしれないし、
「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。
そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。
ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)
「戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。
そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。
戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、
少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。
そう考えることしかできないと思う。
さて、間違った部分とはなにか?
ネガティブな発言を減らしていくということは、
間違った部分を正していく行為なのかもしれない。
それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。
ぼくが言いたいのは、
「ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、
「ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、
実際に人が死んでいるかもしれないということだ。
もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。
ネガティブな発言をみんながやめられるということが
少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。
しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば
話は別だ。
ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。
いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。
死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。
それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?
考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?
そうであるならばそれが一番いい。
ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。
がんばらなければいけない社会、
他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて
自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。
かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである。
民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。
最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。
弱い人が、
虐げられた人が、
ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。
その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。
「はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。
しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも
世界は止まることがない。
つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。
切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。
もう待てない。
ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、
いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。
弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。
もう待てない。
長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。
がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。
地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。
ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?
蛇足かもしれないけど、
資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)
なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。
まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、
資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。
それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、
解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、
考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。
まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。
ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから。
その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、
それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。
理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、
ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」からだ
(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。
ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。
強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。
ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。
クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。
すいません。言い方を変えます。
ぼくを殺さないでください。
上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。
ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。
このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから、
あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。
死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?
でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。
「ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。
もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、
「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」
と言われて、
ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。
後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。
まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。
これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。
336 名無しさん@涙目です。(大阪府) 2011/05/05(木) 18:47:01.17 ID:r6bCmZq+0
とりあえずFXと信用取引、デリバティブはやったらあかん http://news4vip.livedoor.biz/archives/51785299.html
FXなんぞという糞商品を知ったのはもう10年以上前だろうか。
大学生当時為替やら投資信託やらをやっていたが、こんな借金をして株を買うより危険な商品に誰が手を出すのか、すぐに消えるだろうと思っていたのは間違いだったようだ。
99.9%安全と言われた板MRF,MMF,中期国債ファンド等が元本割れの責任で消え去り、逆にこんな危険な商品だけが生き残り流行り出すとは思いもしなかった。
金融商品事情がこうなったきっかけである9.11同時多発テロを期に手を引いてよかった。
tokumei5599 3 日前 21 http://www.youtube.com/watch?v=BBk0hYC6PaI
またこの話か。
これってあれだろ、ペンタゴンに突っ込んだのは旅客機じゃなくてミサイルだった、んで旅客機は本当は撃墜されてアメリカ沿岸のどこかに沈んでるとかいう与太話だろ。
ペンタゴンの傍には高速道路通ってるんだわ。んで旅客機が突っ込んだ時間帯は午前9時頃で、何百人も旅客機を見てるんだわ。あと、あの近辺は大小合わせて何十社とテレビ局や新聞社、通信社がひしめいていたりするんだよね。だから直接の目撃者やその関係者含めて数万人は下らないはずなんだけどね。当たり前だけど、ペンタゴンからは飛行機の残骸が大量に見つかってるし、そのうちの一部は新聞やテレビで写真・映像付きで報道されてる。
当時俺はアメリカにホームステイしてて、その家の親父の弟が偶然現場に居合わせてパニック気味に電話掛けてきたのを覚えてるし、しばらく後の検証番組でも一番最初の通報が「大変だ!国防総省にエアバスが墜落した!」って放送されてたんよ。その辺をその映画は全く触れてないだろ。
そもそも、NY同時多発テロが本当に米政府の自作自演なら、遺族の一人や二人が当時野党だった米民主党に「俺の家族はブッシュに殺された!」と駆け込んで来てもいいはずなんだけどね。未だにそういう話を聞いたことがない。当時のオバマやクリントンもグルだったんかね。
つい5,6年前までは日本人にとって中韓なんて、ラーメンマンとキムチだっけ?のどうでもいい国でしかなかったはずが、今や立派な仮想敵国。
してないしてない(笑)。地球の裏側へ届く核ミサイルを何百発と持ってるのはアメリカくらいだよ。それについこないだだって「これ以上南シナ海でヤンチャしてたら俺も黙ってねえぞ」と中国にメンチ切って中国のメンツ潰したばかりだし、昨日はグアムにグローバルホークの配備も決定した。太平洋全域を無人偵察機で監視する気満々。覇権を諦めた国のやることじゃねえわな(笑)。
小沢は中国の犬と言われているけれども、別に中国が好きなわけじゃなくて、アメリカの覇権が終わる今、国是を考えて、最善の策を取ろうとしてるに過ぎないと思う。
小沢一郎ってのは、徹頭徹尾「選挙のプロ」でしかないよ。政策とか理念なんてものはゼロ。その辺の土方のオッサンと同レベル。カネと権力を集める事しか考えてない。本当にアメリカの覇権が終わると考えているのだとしたら目玉が節穴にも程があるし、ぶっちゃけ独裁国家の傘下に入ろうなんて正気を疑われるレベル。自国民ですら大虐殺しても政権交代してないような国が、余所の国の人間をどんだけ大切に扱ってくれるかっちゅー話。
来年成人するから選挙の機会もあるだろうし、いい加減ちゃんと政治に関して知っておきたい。
けれども政治についての知識を例えばネットから得ようとしても、正直言ってどれを信じていいかがわからないから困っている。
例えば民主党か自民党か選べって言われたとして。
民主党を選ぼうとすると「政策にどうやら問題があるらしい」みたいな声が聞こえて、逆に自民党だと「政策実行力に欠ける」とかそんなイメージがわく。で、どっちが正しいかを判断しきれる情報が見つからない。というより、仮に民主党の問題点が列挙されたとしても「自民党支持者が書いた詭弁」に見えてしまうし、その逆もまたそうなのだ。自分で政策を見極める頭もないし、特定の政治団体に偏らずにそれを会得する方法も浮かばない。本でも読む? では何の本を? ロック、それともケインズ? むしろいっそアリストテレス? ああもうぐるぐるしてくる。
問題なのは、誰のどの情報も信頼できない状態なんだと思う。特に「団体」の構成員からの意見がどうしても信用できない。政治に限らず。
ものすごく真剣になってる人のなりふり構わない感じがどうしても気持ち悪くて、それは多分小さい頃にオウム真理教事件とかの報道を見たり同時多発テロ以後のお祭り騒ぎに流れてったからだとも思うんだけど、ともかく誰かが自分に必死になればなるほど冷めてしまう。懐疑的になってしまう。ドン引きしてしまう。感情的にこうなりたくないって思ってしまう。
そういえば、中学の時に通っていた塾が「合宿」と称して自己啓発セミナーまがいのことをやっていたっけ。当時好きだった女の子が涙流しながら「頑張るぞー」って絶叫してた。宗教としか思えなかった。その子はたまに手首を切りながら難関進学校に合格し、けれども志望大学には行けなかったらしい。集団でイデオロギーのプールに浸かることに、ものすごい抵抗を覚える原因はここなのかもしれない。
僕の政治団体に対するイメージはたぶんこんなのだ。偏見ですよね、気を付けます。
とにかく自分で判断したいとは常々思っている。投票に関しても、所詮は自己満足であり一票にそれほど価値が無くとも、政治に関わる以上は見極めて一票を投じたい。けれども特に政治の話を誰かから聞く場合、その人の支持政党とかそんな情報まで入ってきてしまう。で、このとき聞き手は話し手に説得されただけになってしまい、じゃあ彼と同じ政党を……ってなるのはすごくいやだ。自分で選んでないから。潔癖症かな。中二病だな。
本当にもう、政治を見極める視野ってどうすれば身に付くんだろう。
ていうか皆さんはどうやって投票されたんですか?
まずどこでどんな知識から入れていったんでしょうか?
テレビもネットも人も信用できないんです。
メディアリテラシーを教育するメディアって、何がもっともふさわしいんですかね?
所詮は『程度の差こそあれ、全ての教育は洗脳である』とは言えども。
私たちの1つ上の先輩方は、同時多発テロ(2001)により海外への修学旅行を諦めた。
また、1つ下の後輩たちは、イラク戦争(2003)により同じく国内への修学旅行となった。
その間にいた私たちは、無事(?)に海外への修学旅行となったが、旅行先が中国ではなく韓国だった。
国際交流ってやつなのか?校長、職員の趣味だとしたらかなり悪質だが…理由はよくわからない。
嫌々行ったけど、修学旅行は楽しかった。行ってみれば韓国も想像よりは良かったと感じた。
ホテルのバイキングが不味くてコーンフレークばかり食べていたけど…。
その修学旅行で、1つ疑問がある。
教師達は、何を考えて私たちをあそこへ連れていったのか?
なぜ??なんで??それが日教組ってやつなんですか??
ググったら修学旅行生が多く訪れているらしいが、恐ろしい、吐き気がしてきた。
本当に意味がわかりません…。
y_arimです。
ここまで具体的に言わないとオタの人は服を買えないものなの!?
そっちにびっくりだ。普段どうやって服を買っているんだ・・・。
おっしゃるとおり、ここまで具体的に言わないと買えません。
で、普段どうやって服を買っているかというと、買っていません。マジで。
ぼく個人の話をさせていただくならば、5月に自ら思い立って服を買いに行きましたが、
これは実に4-5年ぶりのことです。現在着まわしている服には、2001年の同時多発テロ前に購入したものが多いです。
もちろん、まともに社会人をやっているオタの人ならばもう少しマシだとは思いますが、
ここ数年会うたびに同じ格好しているよなあという30代のオタの知り合いはざらにいます。
一般化は難しいですが、重症例の多いと思われるぼくの見聞きした例(自分含む)で言うならば、
まず「普段」服を買うという習慣自体が存在しないわけです。
服を買うのはとてもレアなイヴェントです。相手の都合を考えない身勝手さを承知でオタク的に喩えるならば、
東京ビッグサイトでやってるコミックマーケットは年2回しか開催されませんが、
年2回は確実に開かれるぶんまだ馴染みがあります。それくらいに縁がない行為といえます。
マンガみたいに年中一張羅というやつは、学生ならばマジでいるんです。冬でもサンダル履きってのも。
まあそういうひとは、脱オタファッションに手を染める意志も最初からないと思いますが。
これについては、極端な場合「服について色の好みやデザインを考える」という思考回路自体をインストールしなければなりません。
あと、ある程度服を買うことに目覚めても、色の好みやデザイン自体がはなはだしく世間一般からずれていることは本当によくあります。
放っておいたら上から下まで黒一色とか、似合いもしないネックレスとか買い始める人種ですから。
一体どこら辺が専門用語なの?
では、列挙させていただきます。キーワードリンクや画像ページへのリンク辿ればわかるだろ、というのはいったん措いて。
多めに見積もってこれくらいは、「なんだか馴染みのない単語が書いてある→専門用語なのか……」と受け取られるでしょう。
もちろん「行動するか自分で調べ」ることは可能ですし、ネット上で検索しても解説ページに行き当たる単語ばかりですが、
正直言って心理的な障壁は高いです。
2008年10月14日 Nunocky Nunocky ネルシャツとかチノパンとかマルチボーダーって書かれて全くわからない自分はどうすれば
現にこのようなブコメもありますし。
なんか、用語から一つ一つ子供に教えるように細かく具体的に言わないと理解出来ない人が多いのかなぁ。
脱オタファッションをあてがわれるようなオタは、服飾に関してはまるっきり子供といって差し支えないと思います。
まさしく、おっしゃるようなケアが必要でしょう。