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2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

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 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-02-04

anond:20240204130010

兵庫県神戸市垂水区出身

2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代音楽会にてピアノ演奏2004年4月神戸市立歌敷山中学校入学中学時代学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長多忙中学生活を過ごした。

2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミ旅行として赴いた経験がある[11]。元来は文書執筆が得意だったこともあり、テレビ局報道政治部記者の職を志望していたが、大学セミナー記者向けのゼミが見つけられなかった。同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。

2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。

2023-12-03

こんなんもあったわ

Change.org




#軍拡より生活 !~未来の子どもたちのために平和を!

24,488人が平和を求め 軍拡を許さない女たちの会さんのオンライン署名賛同しました。目標賛同数25,000を一緒に目指しましょう!

ワンクリック賛同

岸田政権は、5年で43兆円、GDP比2%という防衛費の増額を打ち出しました。しかし、防衛費は、その詳細が明らかにされておらず、どう捻出するかも決まっていません。むしろ、この軍拡周辺諸国の緊張を高めました。これが、私たちの国のためになるのでしょうか。

 政府がこれまで掲げてきた、少子化対策労働者賃上げ女性や1人親家庭、非正規労働者性的マイノリティ子どもなど、社会的弱者のための公的支援政策が、マイナスの影響を受けるのは明らかです。

 政府の全世代社会保障構築会議は昨年末改革の方向を示しましたが、働く女性過半数を占める非正規労働者子育て支援のための財源論は先送りされました。現状の日本教育への公的支出先進国で最低レベルです。大学までの教育無償化給食費無償化は、3兆円でできると言われながらも先送りされました。これでは物価高の中、子育て世帯負担は重くのしかかるばかりで、この国の喫緊課題である少子化が防げません。

 ところが、自民党税制調査会は、こうした課題真剣に取り組まず、軍事費増額については、法人税所得税たばこ税の3税を増税して財源の一部にあてることを大筋合意しました。

 子ども女性少子化対策なおざりにした軍拡は、この国を衰退させ、諸外国に敵を作るだけです。軍拡の前にもっと外交努力を積み重ね、平和模索してください。

 今こそ、軍事に進む政治から脱し、生活平和を守る「女性目線政治必要です。軍需産業の育成でなく、平和のための産業技術人材投資してください。女性安心して生活し、働ける環境なしでは、男性子ども貧困します。

 戦後安全保障原則の大転換が、国会審議も、総選挙国民投票もなく、特に女性社会的弱者の声を聞くこともなく進められています私たちはこの歯止めのなき軍拡の決定を認めません。

 私たちは、岸田文雄首相政府与党野党各党の代表連合代表に対し、

 1、軍事費GDP比2%を撤回すること

 2、歯止めなき軍拡を押し進めることをやめ、そして女性子ども若者社会的弱者目線に立った政策を進めること

 この2点を行うことを強く求めます。   

平和を求め軍拡を許さない女たちの会

竹信三恵子 ジャーナリスト和光大学名誉教授

杉浦ひとみ 弁護士

上野千鶴子 WAN理事長 東京大名誉教授

前田佳子 日本女医会長

田中優子 法政大前総長

奥谷禮子 ザ・アール創業者

伊藤和子ヒューマンライツナウ副理事長 弁護士

和田静香 ライター

菱山南帆子 市民運動家

福田香子 アクティビスト

平井美津子 大阪大学立命館非常勤講師

浜矩子 経済学者

東村アキコ 漫画家

代表賛同人(順不同)

望月衣塑子 新聞記者

島田雅彦 作家

駒井知会 弁護士

中島京子  小説家

狩野史枝  与那国島の明るい未来を願ういそばの会

高橋済   弁護士

吉永みち子 コラムニスト

米澤明憲 東京大名誉教授

武市正人 東京大名誉教授

西山誠子 弁護士

長谷部大介 DJ/サウンドプロデューサー

井上春生 映画監督

向井徹 編集者

鳥越俊太郎 ニュース職人

平嶋彰英 立教大学経済学部研究所研究員

安彦恵里香 Social Book Café ハチドリ舎

木村医師・文筆人        

古橋綾 大学准教授

渡部睦美 記者編集者

三牧聖子 同志社大学

本田宏 NPO法人利用制度研究会理事

前田亜紀 ドキュメンタリー映像作家/プロデューサー

小野川文子 北海道教育大学教授

吉岡正晴 音楽ジャーナリスト

宮嶋みぎわ 音楽

津山恵子 ジャーナリスト

黒部エリ 叙述業

三上智恵 映画監督

佐々木芳郎 写真家映像作家

加藤雅司 歯科技工士

五野井郁夫 政治学者

髙橋済 弁護士

石田多叡子 自営業

疋田哲夫 放送作家

海北由希子 自営業 

川口真由美 シンガーソングライター

松井寛子 映画宣伝 

柏崎智子 新聞記者

大坂恭子 弁護士          

西山温子 入管面会活動フレンズ」        

出田阿生 新聞記者          

小林由比 新聞記者

奥野斐 新聞記者

藤原恵美子 映画製作 

青木正美 医師   

元橋利恵 大阪大学大学人間科学研究科招へい研究員

清末愛沙 室蘭工業大学大学教授

星野親行 僧侶 

丸川司文 僧侶

加藤真悟 僧侶

那須野あつ子 僧侶

森祐昭 僧侶

徳正俊平 僧侶

木山響心 僧侶

永井康子 一般社団法人 WITH理事

原田冨美子 編集者 

大袈裟太郎 ジャーナリストラッパー

高瀬毅 ノンフィクション作家

中山和郎 合同会社 きろくびと

米田龍也 日刊ゲンダイ 

まのあけみ 名古屋入管人権侵害をなくす市民の会

高田健 総がかり行動実行委員会共同代表

岡田元治 株式会社リンク 代表取締役社長

アルテイシア 作家

朝岡晶子 団体職員

佐治洋 CL代表取締役

豊島智子 ふくふく女将

山田厚史 ジャーナリストデモクラシータイム同人

志葉玲 戦場ジャーナリスト

山岡淳一郎 ジャーナリスト

進藤榮一 筑波大名教授

小林三四郎 配給会社代表       

山崎雅弘 戦史・紛争研究家

小泉朋 映画プロデューサー

北原みのり 作家

庵逧由香 立命館准教授

富岡Grico ドラマー

宮子あずさ 看護師

猪股哲 南西諸島ピースネット共同代表

中津留章仁 劇作家演出家 

石山悦子 演芸作家

大川和子 遺品3Rディレクター

橋本智子 弁護士

馬場紀子 医師 

生田あい 沖縄意見広告運動事務局長

上原公子 元国立市

秋山則子 新聞記者

小林美穂子 つくろい東京ファンド

比企敦子 日本キリスト教議会(NCC)教育主査

中谷臣 東山高校教師

浜田真理子 音楽

深月ユリア ジャーナリスト女優

白井聡 政治学者

高田昌幸 大学教員

海野雅威 音楽

ジョー横溝 『君に問う』編集長ラジオDJ

松元ヒロ スタンダップ・コメディアン 

田中稔 社会新報編集長

藤井誠二 ノンフィクションライター

島薗進 NPO東京自由大学学長

前川喜平 元文科事務次官

三枝成彰 作曲家

打越正行 社会学者

長間信子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

福浜美津子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

山口京子 与那国島の明るい未来を願ういそばの会

増田雅昭 会社員音楽ブロガー

川上真二 社会福祉士

立岩陽一郎 InFact 編集長

北丸雄二 ジャーナリスト作家

宮崎亮 新聞記者

竹田昌弘 通信社記者

鈴木耕 一般社団法人ジン代表理事

岡田行雄 刑事法研究者

恭子 矯風会グループ代表

永尾佳代 熊本原発止めたい女たちの会代表

シェリーめぐみ ジャーナリスト

松本圭介 歌手

有田芳生 ジャーナリスト

工藤剛史 CL取締役

中田亮 音楽

柏尾安希子 神奈川新聞記者

黒田貴子 歴史教育者協議会副委員長

丹羽雅代 一票で変える女たちの会

後藤弘子 千葉大

2023-11-20

悲報:能川先生、歴史修正主義者だった

https://twitter.com/streamkamala/status/1725819300169302244

そもそも、当該男性の "性自認女性" と言っておられますよ、能川先生。

なぜ この方は、"トランス女性" ではないんですか?

アカデミア(東大清水先生同志社大学岡野先生)や一部弁護士の方々をはじめ、代表的トランス理論家のみなさんが "トランス女性” ならば「ペニスがあっても女湯に入れるのは当然」、とずっと昔から主張してきたことをなんでネグレクトできるんですか?

2023-08-16

例の事件から暫く経って今思ってること

政治家銃撃事件からうそれになりに時間がたった。

エホバ二世の俺から見れば、あの事件は当然の結果と思っている。

到底許されるテロではない事は勿論だが、この文章を読んでいる貴方もその原因になった一人だ。

なぜなら、あなた方はオウム真理教の頃に何もしなかったのだから

あの銃撃犯は俺から見ればタダの「甘ったれ」だ。

裕福な家に生まれバスケ部に入り、関関同立同志社大学にまで行っている。

心折れたから銃を作った。そんなクソみてぇなテロだ。

思想犯のような矜持もない。アレを闘士と持て囃すなど論外だ。

勝手極まる動機なので厳罰も当然、死刑相当だろう。

当然だろ?

俺の親はそんな選択肢を俺に与えなかった。

あの頃は家族学校も全ての人物が俺の敵だった。

その時に抱えた世間への不信と憎悪は今でも俺の根底にある。

事件後に声を上げた人々はどうだろう。

どいつもこいつも目立ってんのは大半が女だ。

本を書くのも記者会見するのもどいつもこいつも女しかいねぇ。

これも正直言えば俺は気に食わない。

母親カルトに染まって以来、俺は一切女性を信用できないからだ。

男はボヤキ書いちゃいけねぇみたいな空気出してるよなお前ら一般人様は。

あの人達弁護士先生だの記者だのと組んで団体を作った。

彼ら彼女たちは今の世代の子供を救えという主張はわかる。頭では。

でも何ができるんだ?

それができるのは何年後だ?

この現状は何一つの淡い光にすらならない。

結局俺から見れば2023年8月16日時点では「大して何も変わってない」。

ハナっから希望など抱いていない。

この恨みと憎しみだけは誰にもやらん。俺だけのものだ。

から俺はこの国がどうなろうがお前達一般人は助けない。

あの時お前たちは助けてくれなかったんだからな。

当然だろ?

2023-07-03

環境保護活動家粛清必須】グレタは火炙りにするべきカルト

ネオナチですね。

日本メディア学者有害悪魔ナチス

環境活動家グレタさん、キーウに ゼレンスキー大統領会談

6/30(金) 5:48

共同通信

ウクライナのゼレンスキー大統領(左から3番目)や、環境活動家グレタ・トゥンベリさん(右から3番目)らによる会合=29日、キーウ(ウクライナ大統領提供ロイター=共同)

 【キーウ共同】スウェーデン環境活動家グレタ・トゥンベリさん(20)が29日、ウクライナ首都キーウ(キエフ)を訪れ、ゼレンスキー大統領会談した。南部カホフカ水力発電所ダム決壊による環境への影響について意見交換した。

ロシアが核攻撃に踏み切ったらアメリカはどこに報復するか? 米政権内で行われていた机上演習の衝撃的な中身

 ゼレンスキー氏は、ダム決壊農業生態系に重大な損害を与えたと指摘。ロシア支配する地域では、避難が遅れて人的被害も大きかったと述べた。グレタさんは、戦争による環境への影響に注目する必要性を訴えた。

岡部芳彦

2日前

神戸学院大学経済学部教授/ウクライナ研究会会長

注目度の高いグレタさんなので「グレタ・ゼレンスキー会談」に注目が集まりがちですが、同席の訪問者も重要です。グレタさんは、スウェーデンの元副首相マルゴット・ヴァルストローム、欧州議会ハイジハウタラ副議長(フィンランド)、アイルランドメアリーロビンソン元大統領らの国際グループの一員としてキーウを訪問しました。カホフカダム破壊後、ゼレンスキー大統領は、グレタさんはじめ60人以上の世界政治家公人に対し、環境破壊の罪でロシア非難する事を呼び掛けました。グレタさんの反応は早く、6月9日にはツイッターで「ロシアによるいわれのない全面的ウクライナ侵略継続としてのこの環境破壊は、世界言葉を失うもう一つの残虐行為である。我々の目は再び、自らの犯罪責任を問われなければならないロシアに向けられている。」とコメントしています

高橋浩祐

2日前

外交安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

グレタさんがゼレンスキー大統領と会うことで、世界中の若い環境保護家を中心に反プーチン網をぐっと強めるだろう。グレタさんとプーチン大統領確執は以前から世界中で知られているからだ。

グレタさんは2019年9月ニューヨークで開催された国連気候行動サミット温暖化対策を訴えた。サミットに合わせて若者らによる大規模なデモ行進も行われ、グレタさんは「各国のリーダー未来と今の世代を守る責任がある」と訴えた。これに対し、プーチン大統領は「世界が複雑で多様だと誰も教えていない」と述べ、グレタ氏をまるで世間知らずのように扱った。これに対し、グレタさんは「なぜ大人たちは子ども科学評価して勧めるのをあざ笑ったり、脅したりするのか、理解できない」と反論した経緯がある。

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三牧聖子

2日前

同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科准教授

ロシア侵略行動の影響は人間だけにとどまらず、自然環境にも甚大な影響を与えている。著名なZ世代環境活動家グレタ氏との面会は、ロシアの行動の環境破壊的な側面を、世界の人々、特に若い世代に伝える効果もあったのではないか。今月6日、ロシア占領下のウクライナ南部にあるカホウカ水力発電所の巨大ダム決壊し、多くの住民動植物が巻き込まれ生態系生物多様性にも大打撃を与えた。ロシアダム決壊への関与を否定しているが、いずれにせよ、一連のロシア侵略行為の中で起こったことだ。ウクライナは「エコサイド」と批判し、国際刑事裁判所ICC)や国際法事務所グローバルライツコンプライアンスとも連携して、実態の解明につとめてきた。昨今、「エコロジー」と「ジェノサイド」の合成語であるエコサイド(大規模な環境破壊)について、国際刑事裁判所ICC)で裁く犯罪に加えることを求める声も大きくなっている。

全員バカ

植物には二酸化炭素が必需で、熱帯や温帯のように暖かく湿潤であればあるほどよく育つことを学んでいないアスペルガー学習困難少女をいつまで野放しにしているのか。欧州の友人たちは異口同音に、『バカ餓鬼』と今や嫌悪をもって呼ぶ。紳士たちまでも。一友人は『昔はこんな餓鬼は、□□□を受けて当然だった。親ならそうしていた。そういう子はそうして痛みを体得し、矯正されたものだ』と深憂している。だがもはやその存在犯罪であるバンライナの核は環境破壊を引き起こさないと云う。劣化ウラン弾、今輸送であるクラスター弾もだ」

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 2/3


3. 就職活動のこと

 大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義レポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。

 当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。

 三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産スマートイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。

 その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記コメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixi友達になった。

 キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考レベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合もっとずっと、『上の視点からサッカーのものを見詰めていた。

 例えば、同志社大学サッカー部は、今でも大学単位ブログ更新し続けている。各選手自分生活サッカーに関する考えを書き綴っていく。

アメブロ catch the world

https://ameblo.jp/duscblog/

 ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。

 当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記のものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人日記に断片的なメモがある。

 当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。



集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。

自分らは、全員で一丸となって目標邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつ目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。

組織には、絶対に衝突や背信生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。

理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。

・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。

・言いたいことを言い合えない集団未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。

・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここから勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!

ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。

・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。

・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカー試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。

・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。

・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしか個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。

他人言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。

・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。

自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。



 上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカー試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。

 実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。

 就職活動に話を戻す。必死エントリーシートを磨いて、SPI勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験突破した。二次試験グループ面接も通って、いよいよ三次になった。

 会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。

 面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。

 肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーアピールもできたし、面接二名サッカーをしていたことがあったらしい。「インカレスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。

 面接全体だと、簡単質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、

□なぜ総合商社を志望するのか、その中でもなぜ住友商事を?

集団の中でどのような役割を果たすか

卒業までをどう過ごしたい

総合商社で叶えたいことは何か

□今後の人生目標

あなたにとって「仕事」とは何?

□弊社の弱点を教えて

仕事ができない人や嫌いな人が職場にいた時にどうする?

 こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。

 時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまたからだ。

 面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。

 それから普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212236

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 1/3


先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。

小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。

この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。

小学校中学高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分サッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。

高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。

それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。

大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。

俺という人間が落っこちきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダー彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。

俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学サッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。

これがまた凄かった。価値観大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社内定して、それで最後に、俺の彼女そいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。

俺がいい会社内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。

ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。

大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。

まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。

今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。

今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビサッカー試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。

それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってから体験記になる。



1. 高校大学に入ってから

 運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代全国大会活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハード練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。

 高校と違って、大学場合セレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。

 幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。

 大学回生までは順調だったかな。部活毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。

 本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカー一部リーグ活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこら学生と一緒のレベルだった。

 練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。

 勉強部活もマジメにやったつもりだ。普通大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せ大学生になったのだ。

 関西地区での試合だと、応援団チアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニング完璧だったし、要所要所で相手ドリブルカットして、俺が蹴り上げたボールセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。

 試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中チアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterLINEは当時ない。GREEmixi黎明期だった)を交換した女の子がいた。

 その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。

 体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。

 千亜子は、恋愛積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。

 交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活最後満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。



2. キャプテン君のこと

 三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大サッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちからしかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。

 それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。

 俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通アルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子マイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。

 ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。

 ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。

(注)

サッカーでどこまで相手接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカー試合を見ることがあれば意識するのも面白い

自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ

自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手接触しても反則にならない。。

ボールを狙った行為でも、真後ろからスライディングなどは危険行為とされる。

 そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカー活躍できるレベルにはないという意味だ。

 当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強サッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。

 キャプテン君の試合最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手ふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。

 レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかまししまい、さらイエローを食らって……しょっぱい試合になった。

 当時、俺はある意味キャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。

 ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。

 人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分言葉自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212235

2023-02-28

anond:20230228131918

宇垣ちゃん、何一つ地獄みとらんやん

2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代音楽会にてピアノ演奏2004年4月神戸市立歌敷山中学校入学中学時代学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長多忙中学生活を過ごした。

2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミ旅行として赴いた経験がある[11]。*元来は文書執筆が得意だったこともあり、テレビ局報道政治部記者の職を志望していたが、大学セミナー記者向けのゼミが見つけられなかった。

同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、

宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。

2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。

2022-10-01

同志社大学アメフト部集団レイプ事件

示談にならず起訴されたみたいだけど

成人年齢引き下げで大学生になったら全員少年法ではなくて刑法で裁かれて刑務所に入るかもなんだな。

一人暮らし大学生に親の管理責任者問うのもおかしな話だし、それでいいと思う。

2022-09-12

同志社大学集団レイプアメフト部ホームページ謝罪調査中ですの一言も載せないのに、メンバーページだけ削除してる

なんかこすいな

どんな認識だと初めて会った女性が男4人とセックスしようってなるんだ?

泥酔させた女子大学生(20)に性的暴行を加えたとして、京都府警9月8日同志社大学アメフト部所属する片井裕貴容疑者(21)、山田悠護容疑者(21)、濱田健容疑者(22)、牧野容疑者(21)の4人を、準強制性交の疑いで逮捕したと発表した。いずれも4年生の部員複数容疑者行為自体を認めたうえで、「女性認識の違いがあったかもしれない」などと逮捕時に供述している。

2022-09-09

性的暴行同志社大学だけに限った問題なのか


同志社大学アメフト部が『無期限活動停止』を発表

https://news.yahoo.co.jp/articles/167538a475d9993892729eac4375467d81508062

※このほかにも多くの記事が出ている。

一応卒業生だ。約10年前に卒業した。当時は体育会に入っていた。アメフトみたいな洒落たやつじゃなくて、もっと古風なやつだ。

さてタイトルだが、そんなはずがないだろう。こういうのは大学生に限った問題じゃない。ほぼ若者に限った問題だ。

若いうちは愚かだ。自分でもわけがからいくらいにテンションが上がって、相当馬鹿なことをやらかししまう。

特に、シモに関してはそうだ。いろいろと欲求不満な年齢なだけに、性的暴行に走る人間もいるだろう。

ところで、私も彼ら犯罪者4人と同じくスポーツ推薦で入学した。少し、当時のことを思い出してみるに……

体育会ほとんどの部において、彼らと同じようなことをする者が最低一人はいた。

・同じ部の新1回生の家に押しかけて長居し、帰る頃に性交渉に及ぶ(行為中の写真を撮って部員に自慢する)

・個室のある居酒屋新歓・追い出し・祝勝その他の飲み会をする際、メンバーによっては性的行為が行われる

 ※2009年京都教育大学事件が懐かしい。当時京都高校生だった自分は汚い物を見るような視線を向けた。今思えば、あの時は純粋だった。幽遊白書の仙水みたいに、この世には正義と悪があるのだと信じていた。

・他大学女子であれば証拠が残りにくいと考えるのか、合コンになると途端に狂暴になる。後先構わず打ちまくるイメージ。店を出た後で「二次会に行こう」と腕や手を掴んで引っ張るのは基本だった。

元になっている価値観が原因だと感じる。

思えば、体育会の後輩は奴隷のように扱われていた。私のところだと、後輩は先輩の投げ込みに何百本でも付き合う必要があった。どれだけ痛くとも。それで、その彼が先輩になる頃には同じことを繰り返すのだ。

そういう鬱憤が溜まると、精神的に一定の域に達していない者は、「条件さえ揃えば誰かを好き放題してもよい」という価値観もつようになる。精神的にレベルの高い者は「こういう文化自分の代で終わりにせねば」と社会未来を考えた意見もつようになる。

自分も、強姦といってしまってもいいのか、そういう事案に巻き込まれたことはある。3回生の時だった。

ニュースの4人と同じく、中京区東京で例えると新宿池袋みたいな感じか。飲み屋街の近くに百貨店などが並んでいる)の個室居酒屋合コンがあったのだが、お持ち帰り交渉成功しかけた柔道部の後輩がいて、彼の住んでいる三条通りのマンションに男3人と女2人が入ることになった。

そいつ普段大人しいのだが、酒が入ると異性に積極的になるタイプだった。ほろ酔いだった私も家にお邪魔させてもらって、三次会を楽しんだ。

日が変わった頃、私がトイレから出てくると、男女1組が【そういうこと】になっていて、残りの2人がそれを見ていた。性行為の一番初めが終わって、上の服を脱がせている場面だった。

私は立っていたから、たまたまその女子が嫌な表情を垣間見せたのを見ていた。どうやって止めたかは覚えてないが、「やめとけ、嫌がってる」とか言ったかな。

それで、後輩の方は急にしおらしくなって「、ごめんね」と女の子に告げた。酒が抜け始めていたのか、それともいったん理性が強くなったのかは分からないが、言うことを聞いてくれた。

でも、もし後輩でなくて4回生とかだったら。私は止めるために声をかけただろうか。かけなかったんじゃないか。今となってはわからないが。

かなり前の増田で、自分と同年代と思しき社会人が日記を上げていた。「俺の通ってる大学に入りたかったんか」と勘ぐった思い出がある。

https://anond.hatelabo.jp/20210301212331

後半の方に、社会に生きる人間としてよくない行為をする大学生簡単に紹介される。こういうのを見ると、冒頭の話に戻るが、性的暴行に限らず、若い人間は愚かなことをするのだというのがしみじみとわかる。

あの4人は氷山の一角に過ぎない。若い人間というのは、京都府内だったら京大だろうと、京都府立医科大学だろうと、同志社だろうと立命館だろうと、それ以外のどんな大学でもそうだし、専門学生でもそうだし、フリーター派遣労働者ニートでもそうだ。彼らは『愚か』という点では全く一緒の存在だ。

ただまあ、あの連中に限らずスポーツ推薦(特にセレクション入試)で入学している場合は、中学高校時代スポーツ世界活躍してきた人ばかりになる。ちょっとばかし全能感に駆られることが多い。それで物騒な行為に及んでしまうのだ。中途半端で、間違った方向の自信が他者蹂躙することになる。

思ったより長文になってしまった。取り留めのない内容ですまない。

一般人的には同志社大学学生に気をつけようだわ

同じキャンパスの誼でアメフト部実態も暴いてくれや

原理研究会(統一協会)に気を付けよう! : その実態を暴く

同志社大学神学部自治会 : 神学部原理講演実行委員会 : 学友会中央常任委員会, 2004.3

2022-07-18

山上徹也の映画タイトル名を決めようぜ

冒頭シーンは、殺害現場

安倍晋三が登壇し始める。

杜撰な警護フォーメーション

→佇む山上徹也。

台車を押す男にSPが気を取られる

山上徹也行動開始。

  

まぁ、これが定番かな。

  

で、次のシークエンス子供時代かな?

13歳くらいで阪神大震災1994年なのかな?

カルト宗教によって日常が壊されていく様。

応援団エピソード同志社大学合格エピソードも入れて欲しい。

  

その後は、海上自衛隊で銃に触れた経験も絡め、自殺未遂

兄の死、妹の結婚弁護士叔父に協力によって5000万円が返還され、一筋の希望が見えるも、母はその金をまた寄付して地獄へ逆戻り。この辺が効果的に生きるように、家族愛的な伏線は事前に必要かもな。

  

その後、十数年が経ち、ホームセンターで購入したもの火薬を精製。暗殺のためのトレーニング最上階のワンルームマンションで銃を密造

奈良の山奥で試射しながら、精度を高める。

ここら辺までに三浦瑠麗氏は登場させて欲しい。

  

で、統一教会施設への銃撃、岡山での襲撃断念を経て、7月8日事件当日の模様。

撃たれた安倍晋三錯綜する情報

安倍晋三の弔いムードの中、自民党の大勝で幕を閉じる参院選

自供やSNSなどで次々と明るみになる真相

福島みずほに対する東浩紀氏や三浦瑠麗氏の強引な歪曲シーンも欲しい。

淡々腕立て伏せを続ける容疑者山上徹也。

  

ラストシーンは秋晴れの空で国葬黙祷fin.

  

ここまで書いてみたけど、もっと構成や切り口に工夫を凝らせば物語としての魅力は高まるかも。

安倍晋三の背負ったカルマみたいなエピソードがあっても良いのかな?

ユリイカ並みの3時間30分はやり過ぎなので、2時間15分くらいでまとめるのが理想

  

で、肝心のタイトルなのだけど、バイオレンスだったりセンセーショナルなネーミングは見る気が湧かない。

漢字文字だと、さも重厚感を狙った軽薄さが出る。

心の移ろいなど、精神性にクローズアップしたものが良いと思う。

  

そういう訳で、私が考えたタイトル名はコレ↓

『かなしいもの

2022-07-10

anond:20220709173549

そもそも山上同志社大学工学部で、中退となった原因こそ、母親統一教会に金を注ぎ込みまくって中退する羽目になったってことだから

選挙当日に統一教会自民党との関係がここまで注目される。更に教祖よりも政治家のほうが時間場所を知らせてるから暗殺しようとすれば狙われやすいことも公になった。

自民党もそうだが、統一教会にとっても最悪のタイミングだろう。相当な搾取で金を得たカルト宗教出身議員議員候補とか震えてるんじゃないか特に幸福実現党議員候補。

じゃあ聞くが、一体どうすりゃ良かったんだ?

安倍晋三が撃たれて死んだ。

インテリのみなさんはこぞって「暴力絶対に許されない」「暴力による言論弾圧に屈しない」と発言している。

しかし、じゃあ聞くが、彼は暴力以外の何に訴えればよかったのだ?

聞けば彼は、母親統一教会に入れ込んで破産し、せっかく入った同志社大学中退になってしまったらしい。

法律も、言論も、だれもこの理不尽糾弾しない。糾弾できない。

自己責任なのか?いい年した大人なんだから理不尽の一つや二つ飲み込めと?

幼少からエスカレーター大学に進学し、コネ就職まで決めたクソムカつく政治家が、自分人生がめちゃくちゃになった原因の宗教ねんごろやってるのだ。

かたや自分は今後の人生が良くなりようがないというのに。

暴力がいけないというのなら、彼は一体どうすればよかった?

2022-07-09

山上容疑者母親宗教団体に金をつぎ込んで同志社大学中退になるまではリア充ライフだったんじゃないの。宗教団体に入らなかったら、せめて大学卒業後だったら、全く別の人生だったのだろうなぁ。

なんていうか、恵まれ状態から転落するほうがこじれるというか。逆に今恵まれている人間たまたま運が良かったにすぎないんだろうけど、それに気づいていないというか。

2022-07-07

食べ物で遊ぶこと」や「食べ物を粗末に扱うこと」に対する抵抗感は現代日本社会でもそれなりに広く共有されている倫理観だと思うけれど、僕の捉え方だと「料理を番号で注文すること」はそれに類する。番号化が受け入れられつつあるのだとすれば、それは食をめぐる倫理観の変化(麻痺)を意味する。

https://twitter.com/hitoh21/status/1544311743500980224

伊藤 弘了

いとう ひろのり

映画研究者批評家

1988年まれ愛知県豊橋市出身慶應義塾大学法学部法律学科卒業京都大学大学院人間環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。関西大学同志社大学甲南大学非常勤講師東映太秦映画村映画図書スタッフ。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」を受賞。近刊仕事人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)。専門は小津安二郎

2022-02-23

昔と比べて「普通人生」に到達するハードルが上がったというけどね

そこまで無理ゲーになったわけでもないと思う。

あえてタイムリー大学入試だけで例えると、現役で上智大学同志社大学一般入試合格する程度の努力を積めば、凡人でも普通人生ルートに入ることができる。

就職結婚子育て、老後、、、それぞれ進学とは異質の難しさがあるけどね。

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