はてなキーワード: 合鍵とは
去年7年付き合ってた彼女と別れた。
元々が5年目から遠距離だった。長く付き合ってる遠距離カップルの例に漏れず、セックスレスだった。最後の2年はどちらかが往復二万払って会いに行き、大して美味くもない飯を買い、俺は無理やり会話を盛り上げようとし、向こうはそんな態度に冷ややかで、俺は相手が寝た後にやっと安心してシコって寝るような関係だった。無論9割俺が会いに行く側だ。
文句は無かった。向こうは俺に興味が無かったかもしれないが、俺は浮気をしていた。無論バレてはいないはず、月に一回会う惰性で付き合っている興味の無い男の浮気はバレるはずがない。
ただそんな関係でも俺は不思議と相手が好きだった。明確な拒絶は無かったので、その内結婚するのかななんて考えていた。
そんな関係が更に2年続いた去年、いよいよ遠距離をやめて同棲しようという話が持ち上がった。
具体的に言うと、俺は職場が都内のため、彼女と埼玉で同棲しようとなった。彼女が1ヶ月ほど俺の家に住みながら2人で住居を探そうという計画だという。
寝耳に水だった。先程話したように俺は浮気をしていて浮気相手と半同棲だった。慌ててハウスクリーニングを雇い痕跡を消し、なんとか彼女を迎え入れ住居探しをしたがこれが地獄の始まりだった。
遠距離の間、とにかく俺と彼女の価値観が合わなくなっていたのだ。
田舎の実家に暮らす高卒の彼女と、都内の大学に進学し1人暮らしで就職していた俺では全てが違った。
俺は車は不要で駅が近ければOKの考えだった。東京寄りの埼玉なので、1万円弱の駐車場代金を家賃に上乗せすれば移動に不自由ない場所に住めるはずだが、彼女は頑なに車を譲らなかった。
彼女曰く、車は必須だ。今まで車が無かったら生きていけなかった。買い物はどうするんだ。等。
俺としてはスーパー徒歩3分駅7分の立地で車は要らないと思うのだが、そうでは無いらしい。
これは序章だった。俺はわりと車が好きだった。これを機にクルマを保有するのもアリか…と考えたが、溝はどんどん深まっていく。
曰く、築年数は絶対に浅く無いといけない
曰く、部屋は2LDK
ここで冒頭に年収を書いた理由となるのだが、かなり無理があった。共働きならともかく、彼女は無職であった。(当時は同棲したら職を探すとは言っていたが)その上車を保有したいという。
懇々と難しさを説いたが、自分が絶対に正しくお前がおかしいという姿勢を信じて違わぬスタンスに心が折れ、条件に合いかつ収入的にもギリギリイケそうな物件を探してくれた営業さんへの申し訳なさもあり、ついには向こうの条件の物件に契約を決めたのだった。
そして審査が通り、敷金礼金の支払いの段階となった。ここで俺は彼女が原理的共産主義であったことを知る。
俺「敷金礼金で25万、こちらの引っ越しで10万、そっちの引っ越しも10万くらいかな?こっち多く30万出すから25万頼むよ」
彼女「こっちは無職なんだよ!!?そっちが全部出してよ!!親だってお金あるじゃん!」
俺「引っ越し程度で親にお金出してもらうわけにはいかないよ、俺はお金無いしせめて半分くらいは…」
彼女「おかしくない!?お金がある人が無い人にお金出すべきじゃない!?」
彼女「もういい!別れる!」
こんな感じで彼女が発する別れる!はたまにあったのだが、いつもはこちらが分かった分かったで済ませていた。
しかし、今回の件についてはあまりに気持ち悪い共産主義で、俺は
「んじゃ別れよう、荷物はまとめとくわ」
と返してしまった。数日後、仕事中に彼女は荷物を持って帰り、ポストに合鍵を入れ関係は終わった。
その後半年程、俺はモヤモヤしていた。というのも付き合っていた7年という月日は長く、どんな事をしても元カノがチラついてしまう。新幹線に乗っても、飛行機に乗っても、なんなら新宿駅や東京駅に行くだけでチラついていた。
そして文章から醸しでてしまう通り俺はキモい人間のため、こんな別れ方をしても最終的に結婚する人はあの人なんじゃ…とか考えていた。
内容としては[結婚しました!人生の大半いたから伝えておくね!]みたいな内容だった
自分は上がったけど、お前は〜?ww
みたいに言われたと感じた。実際その気持ちはあったのでは?まだ思う。
長年付き合ってる年上彼氏が先日かなりヤバい事件を起こしやがった
ふとした事で、向こうが我が部屋をずっと監視していた事が発覚したのだ
その日の夜。うちには男友達が来ていた。
そいつは車を持ってるから、私の頼みで不要家電を引取ってもらう&ついでにそいつが狙ってる女友達を交えて夕飯を食べさせ仲を進展させようぜー!っていう青春的な夕餉会をする為に一緒に料理をしていた
インターフォンが鳴ったのでドアを開けるとプルプルしながら
そうか全部知っているのか。ならばこちらが特に言う事はないなーと思っていたら
「もうこないから」と合鍵を丁寧に返してきて、何故か「ウェブカメラ返して」って言ってきた
カメラ?あ、うん。もうこないならいらないよな、と思って手提げに入れて丁重にお返しした
そもそも何で我が部屋にウェブカメラがあるかというと、彼が買ってきたからだ
私は機械に疎く、ネットワークカメラとか全く知らないし出来ないのを知っているので、買ってきた
設置の理由は、彼がうちの爬虫類を好き過ぎて、離れている時でも爬虫類を見たい!というハートウォーミングな理由
色々と倫理観が少しズレてるマイペースな私だが、さすがに部屋にカメラを置くのはちょっと…っていう抵抗感が湧いてかなり躊躇った
単純に生活風景を見られたり、生活音(おならとか)聞かれるのはイヤだなあと思ったのだ
が、ヤツが動物大好きなのはすごく知っているし、うちの爬虫類は全く鳴かないし、何よりも珍しくおねだりしてきたので押しに負けた
水槽のみ(角度はこちらで物理的に決める)&音声オフを条件にカメラ設置を許可した。
が、アプリの音声ロックをこっそり解除されてて、我が部屋の音声を聞かれていた事が今回良く判った
カメラは家電搬出の為に向きを変えていた&音声聞かないと男友達が来たのか判らない状況だったからね
さすがに引いた
これには能天気の私も引いた
何故ならこれまでの独り言も下手な鼻歌もおならもゲップも友人とのアフォな会話も全部聞いていてそれでも気にせずに接しられてたという事実にドン引いた
あと、かなり頭のいい彼なのにこんな事で私に盗聴していた事が発覚してしまうなんて秀才らしくない大ミスをされたのにガッカリした(ガッカリポイントがおかしい)
ともあれ今回の件で、こちらから別れる事はないけれど、もうどんなカメラも未来永劫許可しない
友人らはカンカンだし(そうだよね盗聴されてる部屋に来たくないよね)、好きな時におならが出来ない生活は過敏性腸症候群の私の腸に超悪い
一見、多くの若い男が経験する「女遊び」の延長のように見えて、独自の生態系が面白かったので記録。
一言にナンパと言っても、目的や方法によって、いくつかのタイプがある。
複数に属していいたり、タイプが違っても気が合えば合流したりするので、うっすらと別れている感じ。
彼らの多くはTwitterアカウントを持っていて、地域や属性ごとにクラスターという集団を作っている。
(コロナが流行る前にTwitterでライトにこの言葉を使っていたのは、ナンパ界隈とSHARPくらいだと思っている。)
なぜ集団を作るかというと、ひとりでやるのが辛いからである。ナンパというとチャラチャラしている遊び人みたいなイメージがあるが、実は大手企業のサラリーマンや公務員など、真面目な人が多い。彼らは暑い日も寒い日もひとりで街に出て、自分の目的のために淡々と声をかける。楽しいことなんてない。道で知らない人に声をかけるということ自体、かなり精神負荷が高いし、シカトされたり舌打ちされたりして、気持ちが滅入ってしまう。だから合流する。同士と話して、お互いに励まし合う。
俺もよく合流したが、何人かで集まり、「最近はどうですか?」「お互いがんばりましょう!」と近況報告をしたり、励まし合ったりして、その後また散り散りになって街に消えていく。会話だけ聞いていると、まるで休日に趣味の山登りに来たおじさんが、すれ違いざまにする会話みたいだった。
ソロナンパを楽しむには、高確率で成果が出せなければならない。多くの人にとって、辛い、厳しいことが多い。だから、合流で書いたみたいに、スキルアップ・自己啓発として山登りのようにやってる人が多い。1on1で相手の心に深く入り込む技術が求められる。慣れれば一番成果が出やすい。(複数人の場合、女の子は自分の気持ちより、友達の目を気にするため)。
グループナンパは歓楽街やクラブの近くでグループに対して声をかける(コンビが多い)。とにかくノリと勢いと容姿が大切で、楽しそうな雰囲気を作り出し、そのままホテルに持ち帰ったり、自宅に呼び込んだりする。結果、4Pやクルクル(相手を交換して2回セックスする)をして、非日常的な体験ができる。パス即(即したあと別の人にパスして即)なんかもよく聞く。もちろん女の子も同意のもと。自己啓発的な要素よりも遊び要素が多く、楽しい。
→パス即の5連続とかも聞いたことがあるから、その女の子は同じ日に5人の男に抱かれていることに…、そういう女の子はノリノリで来るらしい。
増田は29歳の独身女性。営業マンであった。出世街道まっしぐらと言うには今ひとつパッとせず、営業成績もいつだって二番手止まり。
焦燥感ばかり募り、空回りを繰り返す。そんな時期に直面していた。
デートをドタキャンされたある週末、昼間から1人缶チューハイを開け、増田ははてな匿名ダイアリーを巡回した。下ネタ、政治、男女論、いつも通りのくだらないエントリが並んでいる。この間の釣りエントリはまだホッテントリに登っていない。ああつまらないな。そんなことを考える増田の目にある文字列が飛び込んだ。
「おっさんの皮」
真っ白なバナーに地味なフォントでポツンとそう書かれた広告は、いつもみる洋服のセールやソシャゲの広告とは違っていた。
気になった増田は広告をクリックした。古臭いhtml形式のホームページには、スーツ姿の3人のおじさんの写真が並んでいた。下には2万円、と価格らしきものが書かれている。
4、50代だろうか?3人とも違った顔立ちをしているが、どれも似たような印象のおじさんだ。冴えない、少し脂っぽい、髪の薄くなりかけた、どこにでもいそうな普通のおじさん。
一番左のおじさんは、高校の頃の数学教師に少し似ていた。似たり寄ったりのおじさんの中から、わずかな親しみを感じられる1人を見つけた増田は、青い字で表示された2万円、をクリックした。
「おっさんの皮。48歳、73kg、173cm。老眼あり。眼鏡付属。」さっきと同じおじさんの写真の隣には、短くそう記されていた。後は、「戻る」「カートに入れる」があるのみだった。
不思議なサイトに好奇心をかられた増田は、ほかのおじさんのページも覗いた。身長体重は異なるものの、説明文は似たりよったりだ。
初めのおじさんのページに戻って、写真をまじまじと眺める。平凡でつまらないおじさんだ。良く見ると色々な人に似て見える。取引先の川上さんにも、政治家の武川にも。親戚にこんな人がいたような気にもなる。増田は、カートのアイコンにカーソルを重ねて考える。
2万円、それはちょうど今日の増田が彼氏の誕生日を祝うために予約していたコース料理の値段と同じだった。記念日にドタキャンなんて、もう別れどきということだろうか。心の底で澱が渦巻く。
酔っていたせいか、それともドタキャンされた腹いせか、増田は「おっさんの皮」をカートに入れ、レジに進んだ。Amaz○n IDでの決済が可能らしい。どういうことなのだろう……強く回り出した酔いに身を委ねながら、増田は考えようとした。が、暫くして暗い部屋に増田の寝息がスースーと聞こえた。
ーーー
「おっさんの皮」が届いたのは、増田がすっかり忘れ去った頃、一月もしてからのことだった。増田が、興味半分疑い半分で、その変に軽い段ボールを開けると、そこにはおっさんの皮があった。
ああ、そういうことか。
ひと目見て理解した増田は、試しに皮をまとってみた。浴室の鏡の前に立つ。そこにはあのおっさんがいた。増田より10センチも高く、20キロ近く重いおっさんが。白目は黄色がかり、眉はひょろりひょろりと伸びている。近くで見ると想像以上に肌の凹凸が激しい。ああ、おっさんだ。と増田は思う。
翌日増田は、自分のスーツの上から皮を着て会社へ向かった。皮を着ても、皆増田が増田と分かるようで、「増田さんおはようございます」と声をかけられる。いつも通り……、ではなかった。いつもなら「増田ちゃんおはよー」と声を掛けてくる鬱陶しい同僚も、今日はどうしたことか「どうも」だけであった。いつも煩わしいほど和かにお節介に挨拶をしてくれる老齢のヤクルトレディも、今日はやけにさっぱりとした対応だ。
おっさんの皮の効用は、取引先で顕著であった。いつも若造扱いされているような、舐められているような、どこか雑な対応が今日は違った。
増田の口からでる言葉、一つ一つが地に足がついたような、しっかりとした印象を与えてるのがわかる。それに今日はやけに取引先の社員と目が合う。
二週間が経った頃。おっさんの皮の影響は、如実に成績に現れていた。いつも良くて2番、4、5番を浮き沈みしていた増田の営業成績は、ついに1番になっていた。
おっさんの皮を着てからというもの、いいことづくしである。月に1度は遭遇していた痴漢も、皮を着て乗るようにしてから全く合わない。電車で妙に密着されて苛立つこともない。夜道を歩くのも平気だから、残業も気にせず出来る。
普段皮を着て過ごしている分、彼氏や友人と会う時は目一杯のおしゃれを楽しむ。似合わないからと敬遠していたリボンやレースをあしらったフェミニンなファッションにも挑戦した。最近の増田はいつも明るい。そのせいか、会社でもデートでもよく褒められる。
今日の増田は一段と楽しそうだ。金曜の夜だからか?いや、それだけではない。今日は、彼氏が家に来る日だからだ。それというのも、来年の4月と2人で決めた、結婚式の招待状を書くためだった。……招待状なんていうのも一つの口実で、再び愛に火がついたのだから家でのんびりいちゃつきたい、というのが真の目的なのだが。
増田は思ったより遅くなってしまった帰宅に、焦りながら部屋を片付けた。会社帰りの崩れたメイクじゃ嫌だ。この間買ったばかりの可愛い部屋着もだそう……と、背中に手をやって気づいた。
脱げないのである。おかしい。そんなはずはない。どんなに試しても脱げないのだ。皮はまるで初めから増田のものであったかのように張り付いている。今までどうやって皮を脱いでいたか、思い出そうとするが、うまくいかない。焦る増田の脂汗はおっさんの皮をつたう。臭いまでおっさんそっくりだ。このまま一生見ず知らずのおっさんの皮を貼り付けたまま生きていかないといけないのだろうか。
ああ、彼氏が来てしまった。すぐに合鍵でドアを開ける音した。でも大丈夫だ。おっさんの皮を着ていたって、わたしはわたしと認識されるんだから……。大丈夫、大丈夫。
ほら、いつも通りの表情だ。あはは、なんだ心配することなかったじゃない。皮の脱ぎ方は後でショップに連絡すればなんとかなるはず。今はせっかくの彼氏との時間に集中しなきゃ……。
彼氏が役所で貰ってきたばかりの婚姻届を取り出す。増田は笑顔を作ろうとするが、口角はぎこちなくひくつく。机の上には金色のインクで細かな縁取りのされた可愛らしい招待状が並び、まるで幸せの象徴のようである。しかし増田の頭の中は貼りついたおっさんの皮のことでいっぱいで何も頭に入らない。彼氏がなにかと尋ねるが、今日の増田の返事は要領を得ない。
最近仕事も忙しかったようだし。もう休もうか、と彼氏が言う。増田は皮に気を取られながら、口先の同意をする。
そうして、気もそぞろの増田を、彼氏がそっとベットに押し倒した。そういえば久しぶりな気がする。ここ最近お互い仕事が忙しくて会えなかったからな……。鏡を見なきゃ自分じゃわからないんだし、電気を消してしまえば……と、増田が彼に身を委ねよ……
「なんだお前おっさんじゃねーか!!」
突然彼の声が響いた。
暗い部屋にはおっさんが1人、残されるばかりであった。
ものすごくありがたがるようなものでも無理して捨てるようなものでもない
自分は興味本位と押しに弱いのの間くらいでいい加減に喪失してしまったが今思えば別にあいつと寝なくてもよかった
増田とは逆の頑なさで「男って結局そういうものなんだ(だから仕方ない)」と決めつけてきたがそれはそれで特にいいことはなかった 若いとありがちなんだろうが一度した後はそればかりの関係になるのがつまらなかった
親の言いつけを守り続けても仕方ないけど逆を行っても別にいいことはないので、自棄にはならないでほしい
迫られて「こいつじゃない」と思った時にていのいい断り文句として活用するといいと思う
30前半で都会に出れる距離に住んでるならそんなに悲観しなくてもいい 一人暮らしするときは親が合鍵作った上毎日来て居座るような状況を防げるように考えておいた方がいい
障害者雇用で働いてるけど、親がいちいちいちいち金銭について口を出してくる。
障害で結婚もせず暮らしていくことを公言してるし、家庭を持っている姉妹とは折り合いが合わず一緒には暮らせなかったので、障害を抱えて一人で一生生きてくことはほぼ確定してる。
お前の人生これから支えてくれる人もいないし良いこともないのだからせめて金を貯めろという憐みと押しつけが透けて見えて本当に腹が立つ。
友達と遊ぶ金の支出にも渋い顔をして、ある日いきなり私の貯金を勝手に定期に入れ、その月の薬代が払えず通帳がマイナスになったことをギャーギャー騒いだの根に持ってるからな。
ようやく一人暮らしを許可したと思ったら、やれ監視に行くだの合鍵よこせだの、一月の収支がマイナスになったら即実家の倉庫上の部屋に戻らせるなど勝手なことをつらつら並べてまくしたててくる。
人生の楽しいこと全部削って、金だけ貯めて死ぬ方が、親が危惧する悲惨な人生よりよっぽど悲惨だとどうしたらわかるんだ。
あと、社会のセーフティーネットを何一つ使わずに葬式代以上に金を貯めて死ぬという人生プランを押しつけてくるのが嫌。
初めから社会に頼り切るわけではないけど、そのやり方だと、私の楽しみ趣味が何一つできないの理解しろよ。
あー腹立つ。
関東に台風が直撃した次の日、彼が暮らしている県が被害を受けたってニュースで見て送った。
一ヶ月ぶりの連絡にしては童貞臭すごかったかないやそもそも一ヶ月連絡取ってないってやばいなとか反省しながら返事を待っても待っても来ない。
そもそもずっと未読。見られてすらいない。
むしろブロックされているのかな~一ヶ月経った今でも怖くてブロックされているかどうか確認できていないけれど。
結婚を前提に付き合ってなんて初めて言われたから舞い上がってしまった。
大切にするって言われて信じてしまった。
みんなのもので有名な凪のお暇のゴンさんの洗面台、もうね、めちゃくちゃ既視感あった。
合鍵貰ったときは本当に嬉しかった。合鍵貰うなんて憧れだったし、信用されてるのかなって思ったから。合鍵はさすがに彼女しか持ってないだろうなって思ってた。そんなことなかった。
思えば付き合って1ヶ月後にはインスタのストーリー見れないようにされたしなんならフォロー外されてるし。
でも、未来のことを話されるとさ、この人とずっと一緒にいれるんだろうなって思ってしまって、ずっと好きだった。
好きだったというか今も嫌いになれてないし、だからこそこうしてぐだぐだグダグダ書き連ねてる
こうして夜中に彼のことを思い出してうだうだするのも今日でもうおしまいにしたい。さようなら。
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そしておとといと昨日、若手俳優がキャッキャしている姿を観て、今までうじうじしてたのがもうど~~~でもよくなりました。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。
当時住んでいた町はお世辞にも治安が良いということはなく、
昼間でもしょっちゅう黒バイにとめられて車体番号の検査とかやられるようなところだった。
俺も在学中に2台くらい盗まれたし、友人には盗んでるやつも盗まれているやつもいた。
(朝に駅から徒歩できて、門の近くの駐輪場で自転車に乗って、帰る時また門に停めて徒歩で駅に向かう)
俺は当時コー○ンで買った8000円くらいの自転車に乗ってたんだけど、
しかもその中には鍵まで同じで他人の自転車なのに解錠できて乗れたりするわけ。
で、いつからとかはわかんないんだけど、ある日黒バイに停められて調べたら俺の自転車じゃないのよ。
俺は持ってる自分の鍵で解錠できたし、これは自分の買った自転車と同じものだと言ったけど、
当然車体番号に登録されている名前とは違うわけで一旦交番に行こうね、となった。
まぁその言い分を信じろって言われても無理があるなとは思うけど、
乗ってた自転車の本当の持ち主に電話したら「その自転車は鍵をつけっぱなしにしていた盗られた」と言った(らしい)せいで、
「自分の持っている鍵であいた」という俺の証言も嘘ということになった。
(こいつが何でそんな嘘ついたのかもわかんないし、本当に言ったのかも誘導尋問だったのかもわからない)
罰金だけ払えば前科はつかないよ?早く認めちゃえよ、みたいな。
警官A:おじいちゃん。優しく話しかけて泣き落としかけてくる。
あと、同じ自転車だって言うなら購入したときの保証書とか説明書あるだろってパトカーで家に行ったのね。
頑張って探して見つけたのよ。でも何か「商品名が違う」とか警官Bはもう俺のこと犯人だと思ってるから調べてもくれないわけ。
本当にその時の自転車と一緒のものだったんだけどね。合鍵あればよかったけど1本なくして使ってたやつしかなくて、
「鍵にキーホルダーもつけずに裸のまま使うやつなんていない」とか、もう理論がめちゃくちゃなわけよ。
俺としては入れ違いが起きたんだとしたら大学しかありえなくて、
普通に同じ自転車が同じ鍵で開いたら自分のだと思うだろって話をずっとしてて
押し問答が続いて「取り違えたっていうならお前の自転車は大学にあるんだろ」ってなって、
深夜の大学まで全員で出向いてよく行く校舎の周りとか探したんだけど
いつから取り違えが起きているのかもわかんないから見つからなかった。
(というか、嘘だと思われてるから5分くらいしか時間くれずに「あるわけねぇだろ」って言われた)
Aは「信じてあげたいけど、君の言っていることが証明できないと盗まれた方に説明がつかない」
Cは「言ってることはわかるけど、状況的には君が盗ったようにしか見えない」
みたいな感じでまだ俺の言ってることにある程度は理解を示してくれたけど、
Bは「この2人はこんなこと言ってるけど俺は1つも信じないし100%お前がやったと思ってる」って終始睨んでたけど
結局7-8時間かかっても俺は認めなかったのね。
したら業を煮やしたBが
「じゃあお前の証言が正しいって証明しろ。3日やるからその同じ鍵で解錠できるお前の自転車をもってこい。
できなかったらお前は犯罪者で前科者だ。逃げられると思うなよ。3日後絶対ここに来い。俺は絶対に待ってる」
ってなって、夜中に開放してくれた。(ついでにマンションまでパトカーで送られて恥ずかしかった)
そっから2日間、学校中の駐輪場とか付近のマンション、路上から撤去された自転車の集積場を
駆けずり回って探した。マジで3000台とか見た気がする。
確か捕まったのが金曜日で土日は休みのシフトだから月曜日に来いみたいな話で、
日曜日の夕方に溝に捨てられている本当の俺の自転車を見つけた。
後々考えるとこれは悪手だったんだけど、当時の俺は1秒でも自分の疑いを晴らしたくて
その足で交番に自転車持ってったんだけど、その話は聞いてないからわからんと。
月曜日もう1回来てくれって言われて交番に自転車だけ置いて帰った。
AとCだけがいて、言っていることは正しかった、すまなかったと謝ってくれた。
おいおい絶対待ってるって恫喝したBはどこに行ったのかな、って思ったけど
「いやいやこいつがやったに決まってるじゃん」って思う状況ではあるけど、
いや、されていた。
誰がした。
部屋に侵入者があったのか。
鍵は。
帰宅するときに、鍵を開けた記憶はある。鍵はかかっていたのだ。
犯人は鍵をもっていたのだろうか。
部屋を見回す。
荒らされた形跡はない。
いや悪戯としてなら程度は良い。
だが、はて、鍵を開けた記憶は、はたして本当に今し方の記憶だろうか。
幾度となく繰り返してきた行為から、先ほどと認識している記憶は昨日以前の記憶ではないのか。
では鍵は開いていたのか。
開いていたとしても、三角折りにだけして立ち去る侵入者などいるか。
なんらかの侵入者はトイレを借りることを目的として、その詫びに三角折りにしたのだろうか。
侵入者が田舎から上京してきた母親などと考えることは可能だろうか。母親は合鍵をもちトイレを掃除しに来たのだろうか。これってありうるか。
昨晩は酔っていない。
夢遊病という線はあるだろうか。
何も信じられん。
自分も夜間大学出身。高卒で1年ぶらぶらしてたんだけど、やっぱり大学入ろうと思って、でも金がないから学費の低い夜間にした。
あの頃はとにかく楽しかったなぁ。授業が少ないから毎日行くのが唯一大変だったけど……。
授業で社会人の女性の隣に座って話しかけて、仲良くなっていちゃいちゃするのが楽しかった。
社会人ってたいてい孤立しているから、話しかけたらすぐ仲良くなれるんだよ。
だから、授業ごとにいちゃいちゃする相手を見つけて、授業終わったら相手の家で遊んで、って生活をしていた。
たまたま最寄り駅の隣に住んでる女性がいて、合鍵ももらって半同棲みたいなこともしてたなぁ。
毎年、どんな社会人女性が入ってくるんだろう、って四月になったらわくわくしていた。もう最初に話しかけたら仲良くなれるのは確実だから。
面白いことに卒業したらみんな連絡取らなくなったな。一時的な火遊びだと割り切ってたんだろうな。みんな社会人で、10歳以上年上だったからな。
ぼくは社会人になってからそんなにモテないから、彼女らに連絡してみようかなってたまに思うけど……。
ま、こういう楽しみ方もあるよ、と元増田には言っておくw
どんな風に表現したら伝わるんだろう?
文章が不得手なので、私が今強く思っていることが正しく伝わるかどうか自信がない。
でもとりあえず書いてみることにする。
言いたいことはタイトルの通りだ。
例を挙げると、私は以下のような状況に対して非常な抵抗をおぼえる。
・職場に、職場に関係している人以外の自分の知り合いが来ること
・何らかの知り合いと職場で一緒に働くこと(私より前か後かは関係なく)
・知り合いと一緒にいるところを、共通ではない別の知り合いに見られること
どうして嫌悪感をおぼえるのか、あるとき考えてみたことがある。
その結果、
自分が、自分の家以外のあらゆる場所で演技をしていて、しかもその振る舞いが場所によって違うので、他の場所の人に見られると都合が悪いからなのだと気が付いた。
職場の中では、あまり感情を出しすぎない、口答えしない、落ち着いたキャラクターで通している。
家族の中では、私の兄が昔からいつもちょっとしたことですぐ不機嫌になりがちで空気が悪くなることが多かったので、その空気をやわらげようとピエロのようにおどけるキャラクターで通している。
友達の前では、お笑いのボケ役みたいな感じのキャラクターで、中二病ポエム的なことをうっかり言ってしまう(中二病ポエムはわざとではないのだが)。学校でもそんな感じだった。
好きな人の前では、おっとりしていて優しいキャラクターで、恥ずかしがりやでモジモジしがちである(これは好きな人のことがすごく好きだからなのだが)。
一人暮らしの自分の家では、たぶん本当に素でいられて、ムカつく人間を罵りながら酒を煽ったり、いきなり性的欲求に襲われてそれを即座に一人で解消したり、xvideosを観たり、本を読みながら独り言を言ったりしている。
小学生の頃くらいから、友達を実家に連れていったことがない。何かにつけて断っていた。
過去の恋人を実家に連れてきたことはないし、恋人を友達と引き合わせたこともない。
一人暮らしの家には人が来たことはあるが、本当はいつもあまりいい気持ちではない。
世の中には、気軽に友達を家に連れてきたり、
私もそういう風になりたい。
私は自分の知り合いのことを恥ずかしく感じているわけでは決してないのに、
こうやって別々にしておきたいと強く思って、彼らが混ざりあうような状況を全力で避けようとしてしまう。
敏感で繊細な人は、私のこうした考えに気付いて、ひそかに傷ついているのかもしれないと思うといたたまれない気持ちになる。
私自身は、自分の知り合いの職場に行きたいとか、家族とか友達とか恋人とか学校の人に自分のことを紹介してほしいと思ったことがない。
でも、周りにいる人もまた私と同じように思っているわけではないということもわかっている。
知り合いが混ざりこむ状況が我慢できなくて死にそうになってそれを避けてしまうのは、結局自分が一番大切で、本当は心から変えたいと思っていないのだろうか。