はてなキーワード: 司令官とは
ロシアが核を使うのか?という懸念が再三取り上げられる様になって来ているけれど
これまで人類は13回ほどミスによって核ミサイルを発射する直前まで至っているという報告書があるのを知ってるだろうか?
この報告書は、英国のRIIA(王立問題研究所)によって発表されたものだ。
3章のCasesに詳しく書いてあるけれど、有名なものだと
アメリカの研究者によって打ち上げられたオーロラ観測用の科学機器を搭載したロケットの発射軌道がモスクワへの攻撃軌道と一致したために、発射命令が出される直前まで行ったという事件。
この事件の直接の原因はミスコミュニケーションで、アメリカ側は「観測機器をうちあげる」とモスクワに報告を行っていたものの、現場のレーダー観測要因にまで話が行っておらず
これを観測したレーダー要員によって警告が発動されて発射準備命令が発動されたというもの。しかし、他の観測員がギリギリのところで「これはモスクワには来ない」と結論した事で発射は回避された。
この事件を受けてエリツィンは「誰かが我々の早期警戒システムの検査をしたのだ」なんて冗談を言っていたが、いくら酔っ払って川に落ちる様なユニークな大統領エリツィンでも冗談では済まされないというもんだ。
1995年 ノルウェーロケットインシデント - ニコニコ動画
これはブラックブラントの恐怖よりも更に酷い理由で起こりかけた核戦争だった。ソビエト連邦はアメリカの核ミサイル発射を探知するための衛星群を持っていた。この衛星は発射の際の熱を探知する事が出来る。
この衛星が4発のミサイル発射を探知したけれど、ペトロフ中佐が彼個人の判断で核攻撃ではないと判断して寸でのところで攻撃を見送った。
後から、発射の熱と思われたものは衛星が雲による太陽光の反射を誤検知したものであることが分かったという。
1983 Soviet nuclear false alarm incident - Wikipedia
この事件もミスコミュニケーションによって起こった。キューバ危機が囁かれていた時に、アメリカ海軍は戦艦による機雷投下訓練を行おうとして、この訓練を行っている警告をソビエト海軍に行っていた。
ところが、この警告はキューバ沖に配備されたソビエトの核攻撃可能な潜水艦4隻には通信途絶の為に伝わっておらず、自分たちが機雷による攻撃を受けいていると判断した司令官によって攻撃命令が出された。
しかし副司令官の説得によって思いとどまったことで事なきを得たというもの。
2007年に米軍は、誤ったオペレーションで核ミサイル6基を36時間にわたって見失ったことがある。謝ってB-52 爆撃機に搭載され整備されないまま、ノースダコタ州からルイジアナ州バークスデール基地へ飛行していた。
仮にこの爆撃機に問題が起こった場合、アメリカに6発の核が落ちたし、何も知らされてないパイロットが問題に対応する事は難しかっただろう。
こうしたミスオペレーションがアメリカの歴史上「幾度か」起こっているらしい。
キューバ危機に始まり人類が13回にも渡って核を使用するかもしれない危機を迎えていたというのは、知らなかったものも含めて驚いたし
今回のウクライナ戦争は14回目にカウントされることになるんだろうし、ただの未遂で終わる様に願うしかないが
人類は単純なミスでいつでも滅びうるリスクがあるんだなと恐怖を感じると同時に、核を廃絶することの大事さを改めて感じた。
日本でも核を持つべきという議論が盛り上がりつつあるけれど、このようなリスクを我々は知っておくべきだし、その上で議論をすべかもしれない。
国防相「本会議は来週の開戦…失敬、特別軍事行動の開始前に、改めて全員で作戦について再点検しようという主旨である。対外情報庁の方から新しい人間が来ているようだが『一人の知恵より二人の知恵』という格言の通り、実り多い物となることを期待している」
対外情報庁長官「ことわざで受けるならばわが国には『自分のものでないそりに乗るな』という言葉がある通り、軍にまかせておくべきなのでしょうけれども、フランスのクレマンソーも『特別軍事行動というものは、軍人たちに任せておくには重要すぎる』と言っています」
増田「申し遅れました。私はトール・アノニマヴィッチ・マスダスキーです。所属は…」
書記「組織図に載ってない部署の人間の所属を聞くとか時間の無駄だ。本題に入れ」
増田「失礼しました。今回は原則に立ち返って孫子に基づいて今回の作戦行動を見直そうと」
増田「孫子は2500年前に作られた古い書物ですが今でも通用する…」
国防相「そんなことは誰でも知ってる。すでに十分検討は行われている」
増田「えっ」
連邦保安局長官「まあいいじゃないか。『初めて焼いたブリンは塊になる』というだろう。それで君は何をするつもりだったんだい?」
増田「ええと、まず『計篇』に従って作戦の見込みを検討したかったのですが」
連邦保安局長官「ああ、あの『数が多い方が勝つ、少ない方が負ける』ってやつか」
参謀総長「そんなところだ。五事、つまり五つの原則があり、それを七計、つまり七つの基準を使って敵味方を比較して優劣を事前に把握しろと言っている。そうだな」
書記「道とは国民と指導部の一致、天とは時期、地とは地理的条件、将とはリーダーシップ、法とは組織と規律ということだ」
増田「…く、詳しいですね」
書記「今、Википедиюで読んだ。七つの基準というのは君主の支配力、司令官の能力、天と地の理解度、法令の公正な執行、軍の兵力、軍の練度、信賞必罰。そういうことだな」
増田「…それもВикипедиюに書いてあるんですか?」
書記「…(頷く)」
連邦保安局長官「最初は問題ないな。大混乱から国と軍を建て直し、選挙で常に圧勝、メディアも押さえ、経済界からも国民からも広く支持を集めている我が大統領と、コメディアンあがりで選挙でわずか3割(注・1回目投票)、支持率でも4割のあの大統領。どちらが優れているかは一目瞭然だよ」
大統領「世辞はいい。私だって国民すべてから敬愛されているわけではないことぐらいは承知している。が、あの男より国民から支持されていると認めるのは吝かではない」
参謀総長「我が軍の将軍達の能力については私が請け負おう。皆、『外国』や『外国でない場所』で戦ってきた、経験豊富で勇敢な祖国の誇りとすべき男たちだ。向こうの軍の能力はどうだ?」
対外情報庁長官「8年前と比べると改善されているのは既報通りです。ですが常に戦い続けていた我が軍と比較すれば経験豊富とは言えないでしょう」
国防相「今は冬季で作戦地域は障害地形も少なく、機動化された我が軍は全力を発揮できる。作戦目標はいずれも国境から100km程度で軍事的には至近距離と言ってよい。気象予測も安定しており、作戦行動に支障ないと出ている。開始時期はもう少し早くてもよかったが、これは政治の絡むことであり、軍としてはその判断に従う」
大統領「友好国の面子を潰しても何もいいことはない。その点で軍に負担を掛けているならそれは私の責任だ。問題あるかね」
対外情報庁長官「経済制裁の規模が予想できない以上、経済力のある友好国をつなぎ止める努力にはそれだけの価値はあると判断します」
国防相「軍規は…認めたくはないが、我が軍の伝統的な弱点ではある。それでも、今回は最善を尽くしている。少なくとも、現時点で統率の疑わしい『友好国』の兵隊を使うつもりはない。正規軍だけでやる短期決戦にそんなものは無用だ」
参謀総長「軍人にまともに給料が支払われなかった時代を覚えている将官連中はみな、大統領を支持しておる」
連邦保安局長官「ま、人手不足でネオナチ集団の私兵まで使ってる相手より軍紀が悪いってことは流石にないでしょうな」
書記「兵力…考えるまでもなく陸海空その他、すべて我が方が優勢だ。練度もそう考えていいな」
対外情報庁長官「一応、8年前よりは向こうの練度も上がっています。予備役兵のプールを積み増ししているので、長期戦になると兵力が増える可能性はありますが…」
国防相「うむ。ただ、そうなっても積み増しできる兵力はこちらの方が多い。あまり考えたくはないが、市街戦に慣れた友好国の兵隊を連れてくることもできる」
書記「いざという時に切れる札があるとないでは大違いだ。そうだな」
書記「それで、最後の信賞必罰ってのは法令の公正な執行ってのと同じだと思うんだがなぜ入ってる? Википедиюの編集者がボンクラなのか?」
なんかウクライナ勝ちそうじゃない?
気のせい?
ロシアには核とかミサイルあるからなりふりかまわなきゃウクライナ全土焼き尽くすんだろうけど
それしちゃうとさすがにアメリカ出てくるし(出てくるか??)、露国民を騙しきれないと思うから
まー使えんと思う。
露軍19万と宇軍20万で損耗率はそれぞれ10%ぐらいてことは互角の戦いしてんじゃない?
現状としては
露軍は、士気ぐだぐだだし、なんか弱いし、補給もぐだってるようだし、前線で司令官とかちょこちょこ戦死してるし、ヘリとかやられまくりでいいとこなしの情報しか入ってきてない(ウクライナのプロパガンダ?)
宇軍は士気高いし、西側から武器も弾薬も潤沢に届いて補給もバッチリだし、義勇兵とか2万も集まるし、なんならおばちゃんとかも勇ましいしで
とにかく強い強い
ウクライナのプロパガンダ情報に触れる機会のほうが多いからなのかもしれんが
ウクライナがロシアをボコってる情報が強くて、キエフ囲まれそうではあるけどなんか勝てそうなのかと思ってしまう
識者はなんぼなんでも最後はロシア戦力が押しきるとのことだが……
まじか?ウクライナ勝ちそうじゃない?
Changelogを入れたら末尾が切れてしまった…Changelogはリプにします。https://anond.hatelabo.jp/20220308162009
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https://twitter.com/igorsushko/status/1500301348780199937
最初はTwitterに流しましたが(https://twitter.com/Vorspiel2/status/1500677825044819971)、誤訳を修正し、追加情報を入れて清書しました。
なお、この文書の真正性について、まずこちらの評価をご参照ください。(イギリスの情報サイトBellingcatの幹部Christo Grozev氏による)
https://twitter.com/christogrozev/status/1500196510054637569
以下はその翻訳です。
昨晩[日本時間3/5早朝]、FSBの内部告発文書と称するものが公開された。そこには、ロシア軍のウクライナでの失敗と、今後数週間~数ヶ月におけるロシアの惨状の予測が記されていた。これが本物かは分からない—ウクライナは以前に、心理戦の一環として偽のFSB文書をリークしたことがある。
だがこれはそれとは違うようだ: 情報源は信頼できるもので(gulagu.netの創始者)、偽造にしては遥かに長い文書だ(長くなるほどボロが出やすくなる)。
私はこの文書を、知己のFSB職員2人(現職または前職)に見せた。2人とも、これは間違いなく同僚が書いたものだと判断した。彼等は結論のすべてには同意しなかったが、それはさておき。
文書はこちら。一読の価値がある: https://www.facebook.com/vladimir.osechkin/posts/4811633942268327
内部告発というのが仮に真であったとしても、内容に虚偽が含まれている可能性にご注意ください。
更に、私はロシア語は分からないので、露→英訳時に意図的か否かを問わず誤情報が紛れ込んでいる場合にはそのままになります。この点について、ロシア語が理解できる方はチェックをお願いします。
以下本文です。
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[冒頭は英訳者Igor Sushko氏のコメント。氏はウクライナ出身・アメリカ育ちのレーシングドライバー]
以下は、現職のFSB分析官による、ロシアの現状分析を英訳したものである。長いスレッドになるので心して読んでいただきたい。シェア歓迎。全文で2000語以上になる。カーテンの裏で起きていることに対する高度な洞察であり、幅広い題材を含む。
文意を明確にするための補足を、必要に応じて括弧書きで加えている。[日本語訳時に、追加の補足を角括弧書きで入れている。] では始めよう:
最近はろくに眠れていない。ほぼ24時間勤務で、頭に靄が掛かったような状態だ。過労なのだろうが、まるでシュールな世界の住人になったような気分だ。
パンドラの箱は開いた—本当の世界規模の惨劇は今夏までに始まるだろう—全世界の飢餓は避けられない。ロシアとウクライナは小麦の主要産地なのだから。(コメント: 世界規模の飢餓が起きるという予測には同意しない。)
我が国の指導者層に本作戦(ウクライナ侵攻)を決断させたのが何かは分からないが、彼等は揃って我々(FSB)の責任だとしている。我々の分析は非難され、もっと沢山報告を出すよう、最近はますます圧力を掛けられている。
こういう政治コンサルタント、政治家、権力者ども全員が混乱の元凶だ。何より重要なのは、誰もこんな戦争が起きるとは知らなかったということだ—開戦は誰に対しても秘匿されていた。
一例を挙げる— ロシアに対する隕石攻撃(コメント: 西側諸国による制裁を指すと思われる)[これは露→英訳時のミスと思われる。詳細はhttps://anond.hatelabo.jp/20220322231355を参照]があった場合の結果と影響の分析依頼があったとしよう—
そこで攻撃のモードを分析するが、一方これはあくまで仮説であって細部を強調するな、とのお達しがくる。なるほどこのレポートはどこぞの官僚がチェックリストとして使うもので、分析結果はロシアにとってポジティブなものでなくてはならない、
そうでなければ「仕事ができていない」と詰問されるんだな、と理解する。したがって、我々にはどんな攻撃にも対抗手段が揃っている、という結論を出さざるをえない。もう完全にやりすぎだ。
ところが、蓋を開けてみればこれが仮説ではなく現実に起こっており、こんな仮説に基づいた分析など全くのゴミ屑になってしまった。制裁に対抗できていないのはこのためだ。こんな戦争が起きることは誰も知らず、従って制裁への対抗策も準備していなかったのだから。
これは秘密主義と裏表だ—誰もが知らされていないのなら、準備のしようがあるだろうか?
カディロフは激おこだ。ウクライナが「FSBからキーウのチェチェン部隊の情報をもらった」と吹聴したことで、我々(FSB)と連中は一触即発になりかけた。
カディロフの部隊は戦闘に入る機会すらなく壊滅し霧消した。FSBからウクライナへのリークがあったという情報を私は持っていないので、推測するにその可能性は1-2%だろう—とはいえ、可能性を完全に排除できるものではない。
我々の電撃戦は完全に失敗した。そもそもが完遂できないタスクだ: ゼレンスキーと部下を開戦3日で確保し、主要な建物をすべて占拠し、城下の盟を誓わせたとしたら、
ウクライナの抵抗は最小限に抑えられただろう。理屈上は。だがそれがどうした? こんな「理想的な」展開であってさえ、解決不能な問題が残っている: 我々は誰と交渉する気だ?
ゼレンスキーは排除するとして、よろしい、では合意に署名するのは誰だ? ゼレンスキーが署名するなら、彼の排除後は合意は役立たずだ。ОПЗЖ(ウクライナの親露派野党)は協力を拒否している。
臆病者のメドヴェドシュク[実業家。プーチンの友人]は逃亡。指導者は他にもいるが—ボイコ[野党党首]は拒否、彼の支持者も理解しないだろう。ツァリョーフ[DPR・LPR議会議長]を呼び戻そうにも、ロシア国内ですら不評。ヤヌコーヴィチ[前大統領]を戻す? どうやって?
占領は不可能、ということになれば、我等の撤退後、[ウクライナ]新政府は10分ももたずに倒されるだろう。
占領するにしても、必要な人員がどこにいるというのか? 司令部、軍警察、防諜、諜報—ウクライナ人の抵抗を抑え込んだとしても、50万人は要る。これに更に補給と兵站が加わる。
こんなのは決まりきったことだ—質の悪いリーダーシップを量で補おうとするなら、何もかも分が悪くなる。繰り返すが、これは「理想的なシナリオ」での話だ。現実はそうではない。
それでどうなっているのか? 総動員を掛けることはできない。理由は2つ:
1)総動員を掛けたらロシアの国内問題で自壊する: 政治でも経済でも社会でも。
2)我々の兵站は今日ですら伸びきっている。これだけ巨大な分遣隊をウクライナに送り込めたとして、何が得られる? ウクライナ—広大な国土を持ち、我々に向けられる敵意は半端ない国において。
我々の道路はこんな大部隊の補給に耐えうるようできていないから、何もかもがストップするだろう。現在の混乱状況を鑑みれば、指導者層がどうにかできるものでもない。
この2つの理由が同時に存在している。どちらか一方でも、失敗には十分だというのに。
ロシア軍の損失について: 実数は分からない—誰にも。開戦から2日間は何がしかの情報が入ってきたが、今となってはウクライナで何が起きているのか誰も把握していない。主要師団との連絡は途絶えている。(!!)
通信は回復するかもしれないし、攻撃を受けて散開しているかもしれない。司令官ですら戦死者数・負傷者数・捕虜数を把握できていない。戦死者の合計数は千人単位だろう。1万人か、5千人か、2千人ですんでいるか。
こんなことすら、司令部の誰も知らない。もしかしたらロシア兵の戦死者は1万人近くかもしれない。しかもここにはDNRとLNRの戦死者は含んでいない。
ゼレンスキーを殺害ないし捕縛したとしても、状況は変わらない。我々に向けられる敵意はチェチェンのそれ並だ。今となっては、ウクライナの親露派ですら公然と我々に反抗している。
それもこれも、(ロシアの)トップがすべて決めたから。こんなシナリオ(ウクライナ侵攻)など、先制攻撃を受けない限り起こらないと聞かされてきたから。
我々が脅威を高めていくのは、戦闘によらず交渉で結果を出すために必要と聞かされていたから。ウクライナ国内でのゼレンスキー批判の準備も、ウクライナ侵攻など考慮にも入れていなかったから。
今日、ウクライナ市民の死者数は幾何的に増加しており、抵抗は強くなる一方である。歩兵部隊は都市侵入を試みているが—落下傘部隊20隊のうち、わずか1隊が「暫定的に」成功を納めたのみ。
モスル侵攻を思い出してほしい。まるで同じだ—どの国でも起こることで、何も新しいことなどない。ここ数十年のヨーロッパでは—セルビアが一番良い例だろう—都市を包囲しても数年は持ち堪えられる。ヨーロッパからウクライナへの人道的支援が始まるのも時間の問題だ。
我々のひとまずの期限は6月だ。というのは、6月になったらロシアには経済というものが無くなるからだ—何にも残らない。
大局的には、来週には(ロシアで)(戦争賛成派対反対派の)両者の一方が崩れるだろう。こんな(ロシア国内の)緊張状態は長続きできない、というだけのことだ。
分析のしようもなく、混乱状態で予測の立てようもなく、何が起きるか確度を持って言える人間など(ロシアには)誰もいない。
直感に従って、しかも強い感情に動かされて行動するなどというのは最早ポーカーではない。だが賭け金は釣り上がってしまい、どれかしらの手段はうまく行くだろうという望みに掛けるしかない。悲しいけれど、人間は往々にして計算違いを起こすし、そうなればすべてを失うことになる。
見渡してみれば、ロシアにはアウト[ポーカーにおいて「これを引けば勝てる」というカード。「勝ちの目」]が無い。勝ち筋などなく、どうやっても負けるしかない—ということだ。(ここで一旦中断。小休止後に再開する)
(ここから後半。こちらはもっと興味深く、ラストには喜ばしい方向で驚くべきことが記されている)
我々は前世紀の失敗を100%なぞっている。「弱っちい」日本を蹴散らして瞬く間に勝利するつもりが、実は我々の軍はずたぼろだった。[日露戦争]
その後、また勝ちを目指して戦争[第一次世界大戦]をおっ始め、軍隊再教育のためにボリシェヴィキの徴兵を始めた。当時よく知られていなかったボリシェヴィキは戦争反対のスローガンを掲げ、ああいった行動に出た…
プラスの面も見よう: 懲罰部隊を前線に送り込むなんてことは考えもしないよう、我々は手段を尽くした。政治犯や社会不適合者を徴兵したら、前線の士気は下がるだけだ。
敵軍(ウクライナ)の戦意は高い。恐ろしく高まっている。戦い方をよく知っているし、有能な指揮官も多数居る。武器も補給もある。世界的な人道破局の舞台を整えているようなものだ。
我々が最も恐れていることは: 首脳が古くからの問題を新しい問題で糊塗しようとしていることだ。ドンバスで2014年に起きたことの大きな理由がこれだ—我々は西側諸国をクリミアの「ロシアの春」から引き剥がす必要があった。それで、いわゆるドンバス危機を演出し、西側の注意を逸らして
交渉材料にするしかなかった。だがそれで問題はさらに大きくなった。そこでエルドアンに圧力を掛けてサウス・ストリーム(ガスパイプライン)を4本引かせた上で、シリアに侵攻した。
ソレイマニ(イスラム革命防衛隊)が自分側の問題を解決するために、わざと偽情報を我々に流したために起きたことだ。その結果、クリミアの問題は片付けられず、ドンバスの問題も無くなっていない。
サウス・ストリームは(ガスパイプライン)2本に減らされ、シリアは宙吊り状態だ—我々が撤退すればアサド政権は倒され我々は無能扱いされるが、我々が駐留し続けるのも困難だし意味もない。
こんな「ウクライナ電撃戦」を誰が思い付いたのかは知らない。もし仮に我々が正しいインプットを受け取っていれば、少なくとも初期の計画には疑問点があり、大部分を再評価するよう指摘できただろう。それはもう大量に。
それが今や、我々はクソみたいな(PGな言葉遣いは英訳者による)ハマリ状態で、どうしたら良いかも分からない。「非ナチ化」「非武装化」というのは分析のカテゴリには無い。というのも、具体的に数値化されたパラメタが無く、目的達成を何をもって評価できるのか分からない。
今や我々は、頭のおかしい参謀がトップにヨーロッパとの紛争を決断させるのをただ待つだけだ。要求は制裁の緩和だ—制裁を弱めるか、それとも戦争か。
西側が拒絶したら? その場合、本物の国際紛争に巻き込まれる可能性も否定しない。1939年のヒトラー同様に。我々の「Z」[紀章]は鉤十字同様に扱われるだろう。
(ウクライナでの)局地的な核攻撃はありうるか? イエス。但し軍事目的ではない。こんな兵器は防御を崩す役には立たない。使うなら目的は我々以外(西側諸国)の恫喝だ。
我々はウクライナに全責任をおっ被せるシナリオの土壌を作っている。ナルイシキン(ロシア対外情報庁官)と配下のSVRは、ウクライナが密かに核兵器を製造していた、という証明をせっせとこさえている。クソったれ。
連中は、我々がとっくに分析し放棄した論を押し通そうとしている: [核兵器開発の]専門家やウランがあったことの証拠や証明など、でっち上げることは不可能だ。ウクライナには劣化同位体238[ウラン238。劣化ウラン]が1トンある—だが問題にはならない。核燃料サイクル上、作り出すことを秘密にはできない。
「汚い爆弾」にしても秘密裏に製造することはできない。ウクライナの古い原発では、それに必要な物質は副産物として最小限産出されるのみだ。アメリカはMAGATE[IAEAのロシア語表記]と共にこういう施設を監視しているから、こんな論など出したら馬鹿にされるだけだ。
1週間後には何が起きているだろうか? 2週間後でもよい。我々はドツボにハマり、古き良き、空腹の90年代を思い出すことになるだろう。
市場が閉じつつあるのに対抗して、ナビウリナ[ロシア連邦中央銀行総裁]は正しい措置を講じているようではあるが、所詮は船に空いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみちどんどん悪化し続ける。3日とか5日とか7日、などのうちには最早解決しない。
カディロフが地団駄を踏んでいるのも故ないことではない。彼等には彼等の野心がある。彼は「無敵」として名をあげた—もし失敗したなら、自分の部下達に引き摺り下ろされることになる。
それからシリア。「諸君—耐えろ、ウクライナは片づける、そうしたら我らのシリアでの地位を強化する。」実際のところ、ロシアの分遣隊はいつ補給が切れるかも分からず、その後には熱波が待っている…
トルコは海峡を封鎖したし、シリアに物資を空輸するのはかまどに金をくべるようなものだ。しかもだ—これはすべて並行して起こっている。ひとまとめにして分析する時間すら無い。
我々の現状は1943-1944年のドイツのようなものだ—だがこれはウクライナでの「初期状態」にすぎない。
過労でくらくらするし、これは夢で、実は以前と何も変わっていないのではないかと思うことすらある。
監獄について—今後も悪化するだろう。ナットは血が滲むまで締め付けられるだろう。どこでも。有り体に言って、純粋にテクニカルな観点では、現状をコントロールし続けるにはこの手しかない。
我々は既に総動員体制だ。だがこんな体制は長く続けられない。タイムテーブルがどうなっているのかは分からないが、状況は悪化の一途だ。国家統治というのものは、総動員を掛けたら狂い始めるものと決まっている。しかもだ: 100mを疾走できるとして—それをマラソンでやったらどうなるか。
で、ウクライナ問題について100m競走よろしく飛び出したものの、よく見たら参加登録したのはマラソンだった、ということだ。しかもこれは、現状のかなり簡潔な要約でしかない。
更に皮肉なことを言えば、私はプーチンが核の赤ボタンを押して世界を終わらせるとは信じていない。
まず、それを決められるのは1人ではない。誰かが反対するだろう。このプロセスには多数の人間が関与している。「赤」ボタンを1個押すだけ、というものではない。
経験的に知られているとおり、制御構造に透明性があるほど、問題点は見つけやすい。誰が何をどうコントロールしているか混沌としているにも関わらず、虚勢を張った報告ばかりが飛び交う状況にこそ、問題が潜んでいるのが常である。
「赤ボタン」システムが言われているとおりに稼働するかは確信が持てない。それに、プルトニウム燃料は10年毎の交換が必要だ。
3つ目、これが最も唾棄すべきで悲しいことだが、私個人の信念として、側近や忠臣すら近づかせないようになったプーチンが、自分自身を犠牲にするなどとは思えない。
プーチンが恐れているのがCOVIDなのか暗殺なのかはどうでもいい。もしプーチンが、自分が最も信頼していた人々すら恐れているのだとしたら、自分自身と最愛の人々を破壊するなんてことができるものかね? (英訳終)
たしかに。
無理を押し付けるのがかっこいいみたいな刷り込みをされて育ったら、平気で無理を押し付けてブラック化するのは目に見えているね。
現実は増田が言う通り、無理をするために余分なパーツという無駄と最低限の検査だけをするというムラが発生してしまうわけなんだけどさ。
司令官の見通しの悪さを棚に上げて、無理な作戦で頑張ろうみたいな話であって、実は司令官が無能ってことを示す話。
....と、書きながら「銀河英雄伝説」は割とその辺を描いているような気がする。
例えば、整備ミスをポプランが怒ったら、整備士はパイロットと違って飯食ってないなか作業していると言われ、謝るみたいなシーンがある。
アフガニスタンでの自衛隊が、まともに邦人輸送できなかった件がリベラルの間で批判されている。
その中に「現地に外務省職員が残るべきだった」的な意見が、リベラルの間で人気を集めている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4707516352093983522/comment/honkon17
今回の作戦失敗は自衛隊の問題ではなく、大使館の問題だよ。残って交渉すべきだったし一時的でいいからアフガン人スタッフと家族も受け入れるべきだった
これは一見するとまともに見えるのかもしれないが、実はかなり鬼畜な意見であると言える。それをここで説明したい。
単純明快な理由だが、そもそもアメリカやフランスなどが退避を進めている間、日本だけが残るのは危険すぎる。
リベラルの間では韓国の「ミラクル」が褒め称えられているが、韓国も当初は外交部職員を退避させていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/10fcfa50f00616eb681edf57dc4fb10a4c1df4bf
韓国大使館の職員ら3人と現地在住の韓国人1人が17日午前(日本時間)、首都カブールから国外退避した。これで韓国国籍の保有者全員がアフガニスタンを離れた。
ニュースでは「韓国は外交部職員が連携して」という記事があるが、アフガニスタン人輸送を決めた後、一旦国外脱出させた職員の数人をアフガニスタンに戻したのである。
では、なぜ日本は同じことが出来なかったのか。これは法律の壁が影響している。「現地の安全が確認できない限り、自衛隊は輸送できない」などという、意味不明な法律である。
もし日本大使館の職員を戻す場合、彼らにこう伝えて仕事をしてもらう必要があるわけである。
「お前たちは、現地の避難民をまず呼び寄せてくれ。そもそも自衛隊が来ない可能性すらあるし、下手すると避難民を輸送するどころか、お前たちも現地に残されるけどな。あ、この場合、自衛隊の支援は当然無理なので、外国軍の力を借りてくれ」
こんな危険極まる戦地に、丸腰の職員を戻すように強要し、しかも軍事的支援の確約すらしない。こんなとんでもないことを日本のリベラルは堂々とネットに書き込んでいるのである。
なぜ韓国は外交部職員を戻せたのか。それは、いざとなれば自国軍の兵士が責任を持って、輸送するという確約があったからである。
韓国軍は、当然、日本のように「現地の安全が確認できない限り、輸送できない」などという、意味不明な法律は存在しない。軍自らが、かなりの裁量を持って、事に当たる体制が構築されている。
ところが、日本はそんな事ができない。「現地の安全が確認できない限り、自衛隊は現地に入れない」ので。
つまり、外務省職員が韓国と同じようにバスを予約し、空港に大量のアフガニスタン避難民を呼び寄せたところで、下手をすると「乗る機体がありません」という事態になりかねない。この可能性は、かなり高かったはずである。実際に、8月26日にISIS-Kによる攻撃があったが、もしこの攻撃が数日早ければ、自衛隊はパキスタンあたりで足踏みし、アフガニスタンに入ることもせずにトンボ帰りしていた可能性がある。
現地のちょっとした変動で、自衛隊を法的に送る根拠を失う。これでは、日本政府や日本外務省が慎重になったのも当然だったと言える。
なぜなら、最悪の場合、次のような異様な事態になりかねないためである。
この状態になると、日本大使館職員はそのままアフガニスタンに置き去りにされるわけである。まさか「アフガニスタンにずっといろ」と命令することも出来ないので、外務省は職員に帰国命令を出すだろう。この時、職員が頼るのは外国軍である。それも、大量の難民を押しのけ、軍用機に乗る必要が出てくる。
「大量の難民を押しのけ、自分たちが呼び寄せた避難民も見捨てて、外国軍によって移送される日本大使館職員」という絵面が世界に配信されるわけである。下手をすると、「軍を送ったけど、ほとんど移送できませんでした」よりも、国際的イメージの失墜に繋がる可能性すらある。
これも全て「危険がある地域に自衛隊を派遣できない」という意味不明な法律があるためである。
こんな状態なのに「職員が残れば良かったのだ」「政府が頑張れば出来たはず」と言い出す日本のリベラルは、ほとんど何の根拠もなく「元来日本人は草食である、然るに南方の草木は全て即ち之食料なのである」と言い放ったどこかの司令官と同じだろう。
阪神淡路大震災とオウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定の記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである。
「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」
西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。
上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体は存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所のソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体の発見の事実がさらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連に解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部の黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体が発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連に占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体の写真まである。
このように実際には見つかっていたという話を知らないネットの否定派は多いようだが(西岡も1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定派である。実は個人的にもマイダネクの報告書はちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒の死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連の裁判という理由で否定派は認めようとしない。当時ソ連は見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。
しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である。定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまったからである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。
確かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体が存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格の共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言で事件を立証する以外になかったのである。
しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから、疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。
では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?
流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料に精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。
しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判で採用されているようである。ナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺の事実を隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書に記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツの火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。
さらに、裁判で採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害の目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人がガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンドの生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスのニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのである。さらに彼は、拘置所において自らの意思で回想録を執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝は日本でも普通に売ってる)。
細かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺の隠蔽に関する証言でさえも、囚人は証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現を記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的な部署でも囚人が働いていたからである。さらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判で反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである。
結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺を否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人や被告が存在しただけである。果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?
ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室・大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。
証人:アウシュヴィッツで絶滅された子供たちの移送に関しては、ゾンダーコマンド(特別部隊)で働いていた同僚から聞いたことを繰り返すことができます。この子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初の火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした。
私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロのセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーはシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。
その後、私は火葬場から「カナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部の部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。
ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより
人間の証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外のサイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。
しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのである。しかもそれらは裁判の中での証言であり、被告が法廷に存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告はガス室を否定しなかった。
でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国の陰謀者によって、ガス室の証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりである」である。ルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室・大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。
少なくとも、マルコポーロ事件の西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないからである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことである。ユダヤ人がナチスドイツの手によって大量移送されたこと自体を否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連のスターリンが収容所に収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。
ほんの僅かだけど、ネットで議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。
有能な和歌山県知事がホームページで良いこと書いてるのに、スマホに非対応で読みづらすぎる。ちゃんと読めるようにしといてよ。
最近における新型コロナウィルスの感染拡大ぶりは凄まじく、毎日全国のほとんどの県で2ケタの感染者が報告され、それも結構多くの県で3ケタを記録するなど、これまでになかったような感染状況となっています。救いはワクチンの接種が早かったからだと思いますが、高齢者の罹患が少なく、高齢者は重症化しやすいので、重症者の割合が過去に比べて低いということです。しかし、そのワクチンが国からの配分量が少なくなり、接種スケジュールが大幅に遅れています。また、若いからと言って重症化しないということはなく、かつ、(和歌山県は全国で唯一全員入院を死守していますのでいいのですが)自宅等でケアーを受けないで療養していると、一定の比率で重症化する人がいるわけですから、命も危険な状態になるところがどんどん増えてきていると思います。
和歌山県も、8月15日には51人の感染と、感染の抑え込みに四苦八苦している状況です。今のところ、強力な保健医療行政が頑張って、県民には、特定のリスクの高い行為への注意喚起はするけれど、一般的な外出、行動の自粛、すなわち一般的な人流抑制はしていません。ただ、これもこれ以上感染が拡大すると、発動しないといけないかもしれません。楽観はできませんが、科学的、合理的に必要な対策は迅速に打つつもりです。
その中で再び様々なデータも出てきましたし、現在、打っている対策の合理性の説明を県民にも改めて説明しないといけませんし、国全体の動向を見ていると誠に遺憾と思われるところがありますので、オムニバス形式でいくつかに分けて、最近時におけるコロナの状況と対策について述べさせていただきます。
8月2日、厚生労働省は、コロナの感染拡大に伴って病床、特に重症病床のひっ迫を防ぐためと称して、入院基準の見直しを行いました。本来なら、コロナは感染力の強い、かつ、重症化リスクのかなり高い感染症であることから、感染が確認された人はすぐ病院に隔離して、医療看護を行い、病状が悪化した時に備えてよくウォッチしながら、悪化した時はさらに高度な医療措置を加えるとともに、ほかの人にこれ以上うつして、感染拡大が起きることを防ぎ、さらに他の人との接触の履歴、行動履歴をよく聞いて、感染している可能性の高い人を割り出して、検査をして、万一感染していたらその人も隔離するし、濃厚接触者などはしばらく自宅にいてもらって他の人との接触を断ってもらうというような積極的な疫学調査をするわけです。また、この備えとして日頃から保健所の統合オペレーションができるようにし、病院にもお願いして各種コロナ病床を用意しておいてもらい、さらにはこの後詰めとしてホテルのベッドも確保しておくというようなことも行政がやるわけです。(なお、和歌山県ではホテルはコロナが治りかけてもう病状が悪化しないと判断される場合に、病院の出口として使用する方針ですが、幸いまだ一回も使わずに済んでいます。他県では感染者をいきなりホテルに収容する、いわば入り口として位置付けているところが多いようです。)和歌山県は、今に至るまでずっとこの本来のやり方を忠実に守っています。
ところが、今は、感染者があまりに多いため、東京などでは余程の重症者でないと入院はさせてもらえず、ホテルも満杯で、自宅で療養を余儀なくされている人が多数に上っています。このような状況で、厚労省は入院基準を改めると発表しました。あくまでも感染が爆発して、入院などがおぼつかない地域においてということでありますが、入院は「重症患者や特に重症化リスクの高いものに重点化。自宅・宿泊療養者の急変に備え、空床を確保。入院患者以外は自宅療養を基本とし、家庭内感染の恐れや自宅療養ができない場合に宿泊療養を活用。」というものでありまして、これに関して各方面から批判が出て大騒動になっています。
これまではどうであったかと言いますと、「重症化リスクの高いものを中心に幅広く、原則入院で対応。無症状・軽症患者は原則として宿泊療養施設で療養・健康管理。無症状・軽症患者のうちやむを得ず宿泊療養を行えないものを自宅療養で対応。」でありました。
しかし、現実は感染者が多すぎて、上記の「やむを得ず」に自宅療養を余儀なくされている人が圧倒的に多いのであります。したがって、どこが変わったかというと「やむを得ず自宅で」が「原則として自宅で」ということになったわけで、現状に原則を合わせたということだと私は思います。
私は、この改変には反対です。とは言え、現実に東京都などで入院やホテル療養をさせようとしたとしても感染者の数が多すぎてできないでいる保健所などの行政を責めようとは思いません。病院やホテルに入れたくても入れられないのだから、「やむを得ず」で違法状態とは言えません。しかし、それを原則を変えていわば正当化もしくは追認してしまうというのは別の話です。
何故ならば、このような正当化、追認によって、結果として次のような方向にインセンティブが働くからです。
まず、それでいいんだとなったら、行政にとって、病床やホテルをもっと確保しなければならないという動機がなくなります。また、ひょっとすると、本来なら入院して病状を経過観察しなければならない人なのだから、クリニックなどと協力して自宅療養をしている人のウォッチ体制をきちんと作ろうというプレッシャーもなくなるかもしれません。行政の行動原理は、どうすればクライエントである国民若しくは都道府県民の命や利益を守れるかということであるべきで、行政側が容易にできるかできないかではありません。
次に、自宅療養は、命を守るということからすると、かなりリスクの伴う方法です。和歌山県の現実のデータから見て、コロナ患者は発症から4~6日で肺炎になることがあり、その数日後くらいから酸素吸入を必要とするようになることがかなりあり(これを国基準では中等症と言いますが、命にかかわるものなので和歌山県では重症と称しています。)、その中には、ICUに入ってもらわなければすぐに命にかかわるような本当の重症になる人も一定割合いるからです。発見された時に無症状ないし軽症だからといって、それがずっと続くわけではありません。(だから命を守るため和歌山県は全員入院にこだわっているのです。)
行政が対応不能だからといって原則を変えるのは間違っています。それに対応不能なのは東京都など限られた都道府県です。和歌山県は現に全員入院ですし、他の多くの県も感染者の処遇は手厚くしています。少なくとも旧基準で十分でしょう。原則との乖離があまりにも目立っているところは、東京など首都圏とあと少しではないでしょうか。どうも国は東京都のことしか見えていないような気がします。東京都、首都圏など大変な所には、現状を追認してあげるのではなく、よりうまくいっている地方圏などのやり方を参考に、技術的に保健医療行政のやり方をアドバイス、指導するといった方法をとるべきでしょう。
1と並んで厚労省から退院基準の見直しが連絡されました。これも何度か変遷していますが、これまでは有症状の場合、「①発症日から10日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としていました。その基準を満たさなくても医師の判断で退院が可能になり、自宅療養・宿泊療養にうつることができるようになりました。これは賛成です。異論はありません。
さっそく、和歌山県では10日を7日に改め、「②発症日から7日間経過し、かつ、症状軽快後72時間経過した場合、退院可。」としました。また、無症状者の場合も、検体採取日から10日間経過した場合退院可であったものを、10日を7日に改めるということになりました。何故かというと、これまでのデータからこれは科学的に正しいと和歌山県は分かっているからです。和歌山県のこれまでの事例では、感染者が他者に感染させたと推定されるタイミングは、発症後最長7日です。むしろ発症前にも結構うつしていて、発症後は4日もあればほとんどうつさなくなりますが、変異株で一例だけ発症後7日というのがありました。それでも7日です。だからこれ以後はうつさないという判断をしていますので、国の基準改定は賛成です。むしろ、発症の4日前から他者にうつしている例もあるので、和歌山県の積極的疫学調査では行動履歴の調査でその辺を念頭に置いて前広に調べています。
今回の第五波の感染爆発において、高齢者の罹患率が著しく低いというのは明らかにワクチンのためだと思います。そういう意味で、もう少し政府の対策を評価してあげるべきところもあると私は思います。何故ならば、国は、今年の初めに3億回分のワクチンを確保したと発表し、まず県自身が医療従事者に接種し、次に市町村が65歳以上の高齢者に接種せよ、その後、60歳以上及び基礎疾患のある人、そして一般の人と順番をつけて接種を実施しました。
この第五波の猛威を考えると、もし、この政策なかりせば、現状はもっと阿鼻叫喚の地獄になっていたと思います。この国の政策を受けて、和歌山県は、早くから県と各市町村が緊密に連絡をとり、接種体制を整えスタートダッシュをしましたが、他県では医者が協力してくれないので接種できないなどと言って、中々その進捗がはかばかしくない所もありました。そもそも医療関係者は真っ先にワクチンを接種しているのに、かつ国民がそれを望んでいるのに、接種に協力しない医師が多いなんて信じられません。行政が理をもって頼めば協力するのは当たり前だと思います。現に和歌山県ではそうなっています。ところが進捗がはかばかしくないところがあるというので、菅総理が7月末までに高齢者への2回の接種を完了させよと厳命を下しました。そのおかげで全国的に接種が進んだと思います。
そういう意味では、いつも政府が無策だ、けしからん、コロナがこうなるのも悪いのは皆政府だというばかりでなく、専門家やマスコミもそして野党の方々は、このようによくやった所はよくやったと褒めて差し上げたらどうかと私は思います。
しかし、良いことばかりではありません。3億回分確保と言っていたのが、契約もしていなかったというお粗末ぶりで、今に至るまで量が確保できず、接種体制を整えて、そのまま突っ走れば、9月中には接種が全て完了するはずだった和歌山県でも、ワクチンの配分が無いために、各市町村が接種スケジュールを後ろ倒しにせざるを得なくなっています。すなわち、予約を制限せざるを得なくなっているのです。
この点は本当に政府の罪は重いと思います。無いものは仕方がないというかもしれませんが、それでも、次の2点は、もう少しなんとかしてほしかったと思っています。
一点目は日本への供給量、供給スピードを増やす努力をもっとやる余地はなかったのかということです。既に一時は欧米でだぶつき感が出ていた中で、支払いが確実な日本に特別に先に回すということが、企業として本当にできなかったか、当事者でないので、とやかく言うのは失礼になるかもしれませんが、私の経験では疑問です。例えば、政府とファイザー社との交渉ぶりが報道に出たことはほとんどありません。外務省も経産省も厚労省も動いているという感はなく、唯一、菅総理が直接ファイザー首脳と交渉という報道が2回あっただけです。元役人として言えば、総理にだけ交渉させ、他の要人が一回も渡米すらしていないというのは信じられません。
二点目は本当に足りなくなった8月に入って、接種で今まで先行していた当県はじめ成績優秀県が大幅に配分を削られました。接種が遅い所に合わせて、終期を統一していこうという、日本人得意の悪習についに入ったかとしか言いようがありません。和歌山県などが接種が早かったのは伊達や酔狂でも偶然でもありません。それこそ全県をあげて皆で力を合わせてスピードアップに取り組んだからです。菅総理や河野大臣の掲げるワクチン接種の早期完了を達成しようと死に物狂いで努力したからです。それを先行している所はもういいだろう、遅い所が追いつくまで待っていろと言われたら、もう立つ瀬がありません。努力する者は報われるというエートスが壊れたら、人は皆堕落します。働いても働かなくても、勉強してもしなくても、練習してもしなくても、努力してもしなくても、最後は皆同じというのは人間の持つ向上心を一番破壊する行為です。私は時として日本人に現れるこういう何でも平等マインドがいずれ政府を覆うのではないか、そうして努力して先行している県がパニッシュされるのではないかということを常に恐れていました。そのため、常に河野大臣などに早くできる所は早く終わらせればいいではありませんか、早いからと言って絶対に不利に扱わないで下さいねと申し上げてきました。でも、ついにその恐れが現実になりました。日本でモラルが廃れた瞬間のように思いました。
ファイザーやモデルナのワクチンは95%と発表されてきました。とても優秀です。でもあんまりよく効きすぎて、私も含めて2回打ってしばらくしたら100%うつらないし、重症化しないと思い始めていました。
しかし、和歌山県でも1回目が終わった人はもちろん、2回目が終わった人もボツボツ感染が出始めました。和歌山県では私に全数報告されますから、結構いるものだなぁ、ひょっとしたら実はワクチンは効かないのではないかと思ったこともあります。しかし、そうではありません。和歌山県の調査によりますと、やはり、2回接種を受けた人のおおよそ95%は感染をしていません。または、ワクチンを2回受けた人の感染リスクはそうでない場合の5%になっているということです。また、重症化(又は中等症化)している人はもっと少ないように思います。8月12日、和歌山県はデータを公表しましたので、詳細はそちらへ。PDF形式を開きます新型コロナワクチンの効果等について(PDF形式 2,051キロバイト)
ワクチンがこれだけ効くのに、ワクチンを打ちたくないという人がいます。どうやら、副反応が恐ろしい、本当に効くのかよくわからない、実際に2回打ってもかかる人がいるではないか。そんな不安があるものは、まず他の人に打ってもらって、様子を見て、大丈夫だったら自分も打とうといった理由によるものと思います。
確かに1つ1つとると、ワクチンに伴うそういったリスクも0ではないかもしれません。しかし、人間の長所は、そういうリスクが0でない時でも、色々な状況から比較衡量でどうすべきかを判断できることです。それぞれのリスクがどのくらい1つ1つ重そうで、かつ発生確率がどのくらいで、もし、それを避けると別のリスクがこれこれの損害と確率で襲ってくるが、そうするとどっちの方が得かということです。2回打ってもかかる人はいるけれど、打たない時の感染リスクに比べて5%ぐらいだし、重くなるリスクはものすごく少ない。一方、打たない時は感染リスクが20倍で、感染したら重くなる可能性も高い。また、東京都などでは、感染が分かっても自宅でいて下さいと言われるだけで医療加護が十分できないこともあり得るから、ひょっとしたら命に関わる。どうも若くても症状が重くなる場合もあるようで、軽くても後遺症に苦しんでいる人がいるようだ…ということぐらい考えられないのかなぁと私は思います。
それに自分のことばかりを考えないのが人間の人間たる所以でしょう。ワクチンを打つということは、家族や同僚など、人にうつすリスクも少なくなるということですし、かかった時に必死で世話をしてくれる行政や病院の方々の苦労も大幅に減るということです。和歌山県のように保健医療行政がまだ頑張って持ちこたえていて、感染防止と感染者の医療加護を何とか出来ているところでも、行政や医療関係者の苦労は筆舌に尽くせません。ずっと働いてくれているのです。ましてや、保健所や医療機関があまりの数の感染者と次々に現れる重症者にほとんどマヒ状態になって苦しんでいる都道府県の関係者の苦労と心痛はいかばかりでしょうか。それを避けるように努力するのも立派な社会人の姿だと思います。
このところワクチン接種に対するテレビなどの論調は明らかに変わってきました。以前は打たぬ自由を強調して報道していたのが、感染の拡大とともに打たないと危ういという方向になってきていると思います。そうすると、そういうテレビを見ている人は今までよりもコロナ感染を恐れて接種を希望する人が増えるような気がします。でも少し遅いかも。これまでと違い政府のワクチンの配給が遅れがちになってきました。 Permalink | 記事への反応(2) | 09:51
学生のころアフガニスタン専門の日本人研究者やジャーナリスト、現地人の人権活動家や留学生の講演会に何度か行った。
「タリバンというのはイスラム原理主義で、支配地域で異教徒や言論の自由を認めずに公開処刑するわ女性の教育を禁止してブルカを強制するわのろくでなし連中であります」
という説明を、昔の美しい街並みや綺麗な花畑やタリバン支配後の同じ場所の廃墟のスライドと一緒に聞かされて(実は街が破壊されたのはソ連侵攻で、花畑が荒れ地になったのは大旱魃のせいと後で知ったが)、
「へぇ、酷い連中がアフガニスタンを支配してたんだな。アメリカの援助で民主的で平和な国になるといいな」と初心な自分は素直に思ったのだった。
だけど、ちょっと深くあの国の歴史を勉強するとそんな単純な善悪の図式じゃないことにはすぐ気づいた。
タリバンが出てくる前から、王党派やソ連の援助を受けた共産勢力や軍閥が内戦を繰り返していて、それぞれのグループの内輪でもさらに小さな部族単位での小競り合いが絶えないカオスがアフガニスタンだった。
そんな中でイスラム主義による世直しを掲げた学生や知識層の運動としてタリバンは生まれた。
自己利益しか考えない腐敗した各軍閥に比べて、イスラム法に基づくある程度は公平でクリーンな統治を行うタリバンは草の根の支持も集めてアフガニスタンの支配勢力になった。
アメリカはタリバン政権を打倒して形式としては民主的な選挙で選ばれた政府を建てたが、中身は昔の腐敗した軍閥のままで、地域ごと、官庁のセクションごとに部族が利益誘導をする、全くバラバラの政府だった。
侵攻から20年かけても日本の明治維新のような国民国家の建設ができなかった。
「タリバンのような暴力的な組織に対して同じように暴力的に反撃するなどできません」
この他人事感!
そこは現実には無力だとしても「私は女性ですが武器を取って最後まで祖国を守ります!」と言うべきだろうと。
こんなことになる前に彼女は、「女子供の人権が守られる世俗国家を防衛するために戦って! 私たちを守って!」と夫や兄弟や息子たちの尻を全力で叩くべきだった。
世俗国家の恩恵を一番受けるであろう都市部の知識階級の女性という立場ですら国民意識が無い。政府軍の兵士がすぐに逃げ出し、司令官があっさり降伏して無血開城したのも当然というもの。
動画の女性のこの後の運命が、西側への協力者としての処刑か、戦利品としてタリバン兵士の第二婦人として分配されるのか、かなり幸運なケースとしてブルカを被り家族の男たちに庇護されて静かに暮らすのかは分からない。
なんにせよ、もうすぐタリバンが正統な政府となるのだから、アフガン人は民主主義と世俗主義よりも、イスラム法と部族の慣習への回帰を願って戦って勝利し、彼らの国を取り戻したということだ。
笑うしかない。
ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方のペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。
これまで取り上げている二つの戦いから分かるように、戦争芸術の定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術の極致と言える。
当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事・政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である。
その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロスが企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。
アレクサンドロスは紛れもない西方世界の英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロスが破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。
アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世はペルシア西岸のイッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効な機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。
それから二年、ダレイオス三世はアレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢を招集し、ガウガメラの荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。
この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。
第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世の招集した軍勢は傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベルの軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。
また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア軍騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。
更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車(チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数の軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利な刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである。
また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである。
相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器、駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。
紀元前331年10月1日、ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。
この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦はシンプルなものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵を突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。
言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである。
開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロスは自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼)から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。
その大軍の王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロスは自軍を純粋な横列ではなく、左翼と右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼と左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。
しかし兵数の差が決定的であったことから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。
とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。
曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面に鋭利な物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしまう本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまり、チャリオットの突撃を部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘から、マケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。
これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効な戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。
さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。
ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世は本来であれば本陣の防衛に充てるはずであった予備兵力の騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである。
この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。
アレクサンドロスは超人的な直感によりペルシア軍の崩壊を予知した。右翼の防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア軍本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵は世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世の位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。
やがて、ダレイオス三世の本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである。
参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw
オリンピック関連のホロコーストネタで盛り上がったが、個人的にはあまり興味はなかった。何せ、私はホロコーストそれ自体のことは実際詳しく知らないのだ。興味が偏っていて、関心があるのはいわゆる「ホロコースト否認論」だからである。否認論に詳しいのに、ホロコーストそれ自体のことをあまり知らないって変に思うかもしれないが、そりゃまぁ全然知らない人よりは遥かに詳しいけど、例えばワルシャワゲットー蜂起なんて言う有名な事件についてなどほとんど全然知らなかったりする。だもんで、話題になったホロコーストネタについては「へー」程度にしか思わなかった。興味が湧かないんだから仕方ない。
でも、ホロコーストへの興味が向く契機にはなる。最近は、ホロコースト否認に対する活動も停滞していたのだけど、Netflixで暇つぶしでもしようと思っていたら、たまたま目についた『シンドラーのリスト』。そう言えば、まだ二回しか見たことがない。その二回とも、ホロコースト否認やホロコーストそれ自体にすらほとんど知識がなかった頃の鑑賞だったので、ある程度知識のある今ならどんな感想を持つだろうと思って、鑑賞したのである。史実・原作通りではないこと程度は当然知ってる。例えば、映画の中の本当の主役であるアーモン・ゲート所長は、あのバルコニーから狙撃するのは実際には不可能だった、なんて話も知っている。プワシュフ収容所跡地はユダヤ人団体の反対により、当時使うことは出来ず、近所の採石場を使ったので、それに伴って原作の記述から変更したのである。
ともかく、映画は原作通りではなく、史実に基づき考証も経ているとはいえ、全体としてはフィクションである。そんなことは細かい話を知らなくとも映画を見てりゃ誰でも分かるはずなのだが、呆れたことにこのシンドラーのリストですら、ホロコースト否認論者たちは「事実ではない」と否認論に利用するのである。例えば以下のように。
この映画は、全く持って史実ではありません。その事を、私は、ニューヨーク・タイムズの2004年11月24日の記事で知りました。同紙が2004年11月24日に掲載した、エロン大学の歴史家であるデイヴィッド・M・クロウ(David M. Crowe)教授へのインタビューの内容は衝撃的な物です。クロウ教授に依ると、この映画が描く出来事が有ったとされる時期に、シンドラーは、収容所所長であったアモン・ゲートへの贈賄によって刑務所に入れられており、この映画が描く様な活動を出来た訳が無いのです。その他、多くの矛盾を同教授は指摘しており、この映画を「実話」と錯覚する事は全くの間違いなのです。(詳しくは、ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビューをお読み下さい。)
この映画が、イスラエルの墓地の場面で終はる事が、イスラエル建国の美化である事は余りにも明らかです。プロパガンダは感動的である事の一例です。皆さん、もっと、冷徹に物事を見てはいかがでしょうか。この映画が、オスロ協定に基ずく中東和平交渉とそれによって起こったイスラエル・ブームの時期に公開された事は、はたして偶然だったのでしょうか?私は、スピルバーグ監督が好きですが、同監督が、フィクションを史実と錯覚させるこの作品を作った事を本当に残念に思ひます。
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7074177.html
西岡は、マルコポーロ事件で一気にその界隈の知名度トップに上り詰める以前は、英字新聞の常連投稿者であったらしい。だからニューヨークタイムズも定期購読でもしていたのであろうか、そうした記事を見つけたのだろう。
さて、西岡の文章、後半のイスラエル云々は、ネットの一般否認者でも使う論理なので無視して良いと思うが、問題は前段である。西岡の書き方では、『シンドラーのリスト』全体が全くの嘘であるかのようにすら読めてしまう。もちろん、映画はフィクション性が強いと言っても全くのウソではない。オスカー・シンドラーは実際に約1000人のユダヤ人の命を救ったのである。トマス・キニーリーの原作は史実と見做されているし、映画は概ね原作に沿っている。では一体どう言うことなのであろうか?
西岡は、私自身とTwitterでやり合った時もそうであったが、参照文献の示し方が杜撰なことが多い。その時は、西岡は「国会図書館で読める!」と豪語しながら文献名すら示さないという呆れた態度すら取っていた(その後その文献をめぐってややこしいやり取りになったがここでは触れない)。今回もまた「ニューヨーク・タイムズ2004年11月24日に掲載されたクロウ教授へのインタビュー」である。あのね、そりゃそのニューヨークタイムズは探せばどっかにあると思うけど、常識的に考えて一般日本人が、ある特定の日のニューヨークタイムズなんてすぐに探せると思う? 「普通は」とはあんまり言いたくないけど、普通は他者の参照のし辛さを考えて、一部その記事を引用とかすると思う。それを「お読み下さい」って、いちいち図書館にでも行って調べろとでも言いたいのか?
というわけで、普通ならニューヨークタイムズなんか参照できないと諦め、西岡の言っていることを鵜呑みにするか、あるいは真偽不明として信じないか、だけだろう。ところが、今時の時代、ある程度ならなんでもググれば見つかる便利な時代であった。その記事とはこれのことである。
Book Adds Layers of Complexityto the Schindler Legend - The New York Times
ニューヨークタイムズの記事って、有料だとほとんど全部ネットで読めるそうだけど、まさかこれが無料で読めるとは意外だった。当該部分のみを翻訳して引用しよう。このニューヨークタイムズの記事自体、ちょっと書き方が悪い。
「シンドラーはリストとはほとんど無関係だった」と語るのは、ホロコースト史家でノースカロライナ州イーロン大学教授のデビッド・M・クロウ氏である。『The Untold Account of His Life, Wartime Activities and the True Story Behind the List(オスカー・シンドラーの人生、戦時中の活動、そしてリストの背後にある真実の物語)』を今秋、Westview Press社から出版した。
映画では、リーアム・ニーソン演じるシンドラーが、1944年にポーランドのクラクフにあるエナメルウェアと武器の工場のユダヤ人経営者に、比較的安全な現在のチェコ共和国に連れて行くべきユダヤ人労働者の名前を教える場面が描かれている。しかし、クロウ氏が電話インタビューで語ったところによると、当時シンドラーは、映画の中でラルフ・ファインズが演じた残忍な親衛隊の司令官アーモン・ゲートに賄賂を贈った罪で刑務所に入っていた。また、経営者のイツァーク・シュターン(ベン・キングズレー)は、当時シンドラーの下で働いているわけでもなかった。
クロウ氏によると、リストは9つあったという。最初の4つのリストは、主にマルセル・ゴールドバーグが作成したもので、彼は腐敗したユダヤ人保安警察官で、ユダヤ人輸送を担当するSS将校の補佐役だった。(ゴールドバーグは後に、賄賂を受け取ったことや、好意的な態度をとったことで非難された。)シンドラーは何人かの名前を提案したが、リストのほとんどの人を知らなかったとクロウ氏は言う。他の5つのリストの作成者は不明である。
「そもそも、「シンドラーのリスト」はなかった」だなんて、ほとんどの人が「えっ?」と驚くに違いない。タイムズ紙も妙な書き方をするものである。だが読み進めれば分かるとおり、映画で描かれたようなシュターンとシンドラーが二人してリストを作ったというようなことはなかった、とクロウ教授は言っているだけなのである。そして、記事に書いていない内容を記事から類推するに、シンドラーは刑務所から釈放後、ゴールドバーグらが作成したリストに何人かの名前を加えるよう提案した、としてリストに関わっており、何れにしてもリストは存在していたのである。実際、原作者のトマス・キニーリーが使ったとされるリストはオーストラリアで発見されている。
'Schindler's list' found in Sydney
ともかく、西岡の記事だけを読めば、シンドラーのリストの話自体が全部嘘のように読めてしまうが、事実は、単に映画には細かい相違があるというだけの話なのだ。こんなの余程うるさい人でもなければ「映画は事実ではなくウソである!」だなんて言わないレベルの話でしかない。ホロコースト否認論者ってどいつもこいつも常にこの調子で読み手を騙しにかかるので注意されたい。西岡の場合などは特に、イスラエルがどうたらこうたらと余計な印象操作まで含めているので、より悪質度は高い。ただし否認論者としては必須のはずの「スピルバーグはユダヤ人」を入れなかったのは否認論者としての自覚が足りないとは言える(笑)
最初に書いた通り、ホロコーストそれ自体の知識はあまりないので、どこが史実でどこが違うのかなどの細かい話は、Wikipediaレベルの知識しかない。その上で言えば、オスカー・シンドラーはリーアム・ニーソン演じたような人物ではなかったと思うけど、概ね的なレベルでは史実通りと見なして良いと思う。「所詮はフィクションだから」と言う人も多いけど、現代の基準から言えば、信じがたいレベルの惨劇が起きていたことは事実だし、映画ではそれを描き切れてなどいないとさえ言える。そもそも描き切るなど無理だろう。今年もホロコースト映画が何本も公開されていて、食傷気味だという意見も多いし私もそれら映画を見る気もないけど、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』程度の代表作はぜひ見ておいて欲しいという気はする。
・東条英機
近衛内閣で陸相を務め、東条内閣では首相、陸相、内相を兼任。米国に宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。
陸軍大将。満州国建国、華北分離工作において中心的役割を果たした。
・松井石根
陸軍軍人。東条内閣で陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。
・武藤章
陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。
・広田弘毅
文官。岡田内閣で外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件後首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。
・小磯国昭
陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相に就任し、戦争を継続した。
・荒木貞夫
陸軍大将。犬養、斉藤内閣で陸相を務めた。皇道派の代表格であったため、二・二六事件後予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。
陸軍大将。シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定を中国に要求した。陸軍次官、関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。
・南次郎
陸軍大将。若槻内閣の陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官や朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。
・畑俊六
陸軍大将。阿部・米内内閣で陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣を誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。
・大島浩
陸軍中将。ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。
・鈴木貞一
陸軍中将。近衛・東条内閣で企画院総裁、内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。
・佐藤賢了
陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。
陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社「桜会」を結成、三月事件・十月事件を企画するも失敗。
・平沼騏一郎
山本内閣で法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相に就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。
・木戸幸一
近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。
・賀屋興宣
・星野直樹
満州国国務院総務長官、近衛内閣の企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。
・白鳥敏夫
・東郷茂徳
東条内閣で外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦の責任者とされた。
・重光葵
・永野修身
海軍大将。広田内閣で海相を務め、その後、連合艦隊司令長官、軍令部総長を歴任し、戦時中に元帥に就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。
・松岡洋右
ジュネーブの国連会議に全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。
・大川周明
学者。満州事変、二・二六事件、五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判中梅毒による精神異常のため免訴された。
・本庄繁
陸軍大将。関東軍司令官として満州事変を承認。戦後戦犯に指名されたが自決した。
・石原莞爾
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機と対立したため予備役に編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。
・近衛文麿
第一次内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯に指名されたが、服毒自殺した。